天石門別八倉比売神社
天石門別八倉比売神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531 |
位置 | 北緯34度3分20.81秒 東経134度27分53.85秒座標: 北緯34度3分20.81秒 東経134度27分53.85秒 |
主祭神 | 八倉比売命 |
神体 | 杉尾山(神体山) |
社格等 | 式内社(大)論社 阿波国一宮論社 旧県社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 神明造檜皮葺 |
例祭 | 10月13日 |
地図 | |
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天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)は、徳島県徳島市国府町西矢野にある神社。式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」の論社の1つ[1]。旧社格は県社。
鎮座する杉尾山自体を神体とする。
祭神
- 大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神の別名であるとする
歴史
創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。はじめは気延山(標高212.2m)の山頂にあったが、後に気延山南麓尾根の杉尾山の標高110m付近に鎮座した。安永2年(1773年)に書かれた文書には、鎮座から2150年と記されており、逆算すると紀元前378年(孝安天皇15年)となる。
承和8年(841年)に正五位下の神階を授けられ、元暦2年(1185年)に最高位の正一位となった。江戸時代には阿波国を治めた蜂須賀氏が当社を崇敬した。寛保年間(1741年 - 1743年)に杉尾大明神と称し、明治3年(1870年)に現社名に改めた。
境内
- 一の鳥居
- 二の鳥居
- 摂社・箭執神社(やとりじんじゃ): 祭神は櫛岩窓命と豊岩窓命で、天石門別神とも云う。
- 摂社・松熊神社: 祭神は手力男命(たぢからお)と天宇受女命(あめのうずめ)
- 三の鳥居(木製): 本社境内への石段途中にある。
- 拝殿・本殿: 江戸時代に神陵の一部を削り造営、奥ノ院の神陵を拝する。
- 摂社・小祠
- 摂社・小祠
- 奥ノ院・五角形の磐座: 社殿裏手へ約100メートル、標高116メートルで、丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部の頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれ、その上の青石の祠の中に砂岩の鶴石亀石を組み合わせた「つるぎ石」が祀られている。 一説には卑弥呼の墓であるという。
- 摂社・大泉神社: 境内より北西約500メートルの山中に「天の真名井」と呼ばれる五角形の井戸があり、傍らの石積みの祠に祀られている。天文年間までは十二段の神饌田の泉であった。
脚注
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現地情報
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- 所在地
- 交通アクセス
外部リンク
- 八倉比売神社 徳島県観光情報サイト 阿波ナビ
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