https://note.com/iovis_takahasius/n/n13d02398aa6d
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https://movies.yahoo.co.jp/movie/386117/review/883a6a69-1bbb-430f-84f0-4c04d4cacab8/
前作が『ファウスト』なら新作は『神曲』。
AIで想像力は駆使できるが本作は倫理が上回る。
後半ファンタジーは総棚ざらえ。
手塚猿田彦的鼻、諸星的美女、新海的扉を含めれば、日本アニメの総決算か。
冒頭リアル世界と米津の歌はナルシスティックだが、本作を見た青少年は宮崎駿のメッセージを正確に受け止めるだろう。
吉野版は発生論的ではなかったが、本作は発生論を含む。
ワラワラを使った、君たちはどう生まれてきたか?という視覚的提示は見事。
アオサギは鈴木プロデューサーかも知れない。宮崎駿自身かも知れない。
(真偽は別に、アオサギのモデルが鈴木プロデューサーだと考えて見ると、本作が格段にとっつきやすくなるは確かだ。)
所詮仮説だが、13個の石云々も『パンダコパンダ』を含めた宮崎駿作品の数が13作品だととりあえず考えるとわかりやすい。
ちなみに主人公が『君たちはどう生きるか』の本の挿絵の上に涙するシーンがあるが、
その該当箇所は生産関係を描いたところではなく、友情を描いたところだ。
『失われたものたちの本』が隠れた原作だが、カオナシような悪役を悪で終わらせないような仕掛けは宮崎駿の専売特許だ。
自分なら『君たちはどう生きるか』を部屋に置いて出てゆく。
置き忘れられた本のクローズアップ映画を終わらせる。
初回は欠点が目立ったが、二回目は心地よく見ることが出来た。
前半の出来がやはり良い。
アニメーターとしての宮崎駿は陰を潜めているが時間が経てば経つほど宮崎駿監督作品として評価される映画だと思う。
ジブリ作品は正統的な社会メッセージに回収される傾向があるが、本作は娯楽映画として完成されてはいてもテーマが多岐に渡り、単一のポジションに回収され得ないからだ。
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「コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ。」
—ものの見方について(おじさんのノート)
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(1982)岩波文庫、25ページ
https://virtualgorillaplus.com/anime/how-do-you-live-unconscious-abundance/
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https://realsound.jp/movie/2023/07/post-1376389_2.html
ポッドキャスティング
「映画作り」 が物語の本作
引用:https://www.tfm.co.jp/asemamire/
なんかね、僕が出ているんですよ
僕は主人公の宮さんと冒険に出ないといけない
「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」
君たちはどう生きるか (映画)
公式サイト等からのストーリーなどの文章のコピー&ペースト等による転載は行わないでください。著作権侵害となり、削除の方針ケースB-1により削除の対象となります。 |
君たちはどう生きるか | |
---|---|
The Boy and the Heron | |
監督 | 宮﨑駿 |
脚本 | 宮﨑駿 |
原作 | 宮﨑駿 |
出演者 | 山時聡真[1] 菅田将暉 柴咲コウ あいみょん 木村佳乃 木村拓哉 風吹ジュン 大竹しのぶ 阿川佐和子 火野正平 小林薫 竹下景子 國村隼 滝沢カレン |
音楽 | 久石譲[2] |
主題歌 | 米津玄師「地球儀」[3] |
制作会社 | スタジオジブリ |
製作会社 | スタジオジブリ |
配給 | 東宝 GKIDS |
公開 | 2023年7月14日 |
上映時間 | 124分[4] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
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『君たちはどう生きるか』(きみたち-は-どう-いきるか,英: The Boy and the Heron)は、2023年7月14日に公開されたスタジオジブリ制作の日本のアニメーション映画作品。監督は宮﨑駿。
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』からタイトルを取っているが直接の原作とはならず、同小説が主人公にとって大きな意味を持つという形で関わり[5]、物語そのものは冒険活劇ファンタジーとなる[6]。
ストーリー
太平洋戦争中、牧眞人は実母・久子を失う。軍需工場の経営者である父親の正一は久子の妹、ナツコと再婚し、眞人は母方の実家へ工場とともに疎開する。疎開先の屋敷には覗き屋のアオサギが住む塔がある洋館が建っていた。不思議に思った眞人は埋め立てられた入り口から入ろうとするが、屋敷に仕える[7]ばあやたちに止められる。その晩、眞人はナツコから塔は、頭は良かったが本の読みすぎで頭がおかしくなったといわれている大叔父様によって建てられ、その後大叔父様は塔の中で忽然と姿を消したこと、近くの川の増水時に塔の地下に巨大な迷路があることからナツコの父親(眞人の祖父)によって入り口が埋め立てられたことを告げられる。
転校初日、眞人は学校でうまく馴染めず[8]、帰り道で地元の少年らからイジメを受ける。眞人は少年らから殴る蹴るの暴行を受けた。眞人は道端の石で自分の頭を殴ると、出血を伴う大けがを負ってしまう。帰宅後、正一にその傷のことを問われる。自室で寝込んでいる最中、アオサギが眞人の部屋に入り込んできたのをきっかけに襲ってくるアオサギに木刀で立ち向かう。アオサギに「母があなたを待っている。死んでなんかいませんぜ」と話しかけられ、魚やカエルたちに全身を包み込まれる。眞人の怪我に正一が校長に怒り狂う一方で夏子は妊娠によるつわりに苦しみ、何度も眞人の顔がみたいと周りに話すが、眞人はナツコを受け入れることができず[3]、そっけない態度をとってしまう。眞人はアオサギの羽で、自作の弓矢を作成する。眞人は、ある日ナツコが森の中へ消えていくのを見かけた。自室で久子が昭和12年に眞人のために残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を発見し、読んでいくうちに涙を流してしまう。
その日の夕暮れ、ナツコの失踪に屋敷中が大慌てになる中、眞人は使用人のキリコともに夏子の後を追って洋館の裏口に入り、閉じ込められてしまう。アオサギに偽物の久子を見せられる。怒った眞人はアオサギに弱点であるアオサギの羽根「風切りの七番」を矢羽根にした矢を放ち、アオサギの嘴を穿つ。するとアオサギは半鳥人の姿から戻れなくなってしまう。塔の最上階にいる謎の人物に命令され、眞人とキリコは「下の世界」へいざなわれていく[7]。
「下の世界」に落ちた眞人はペリカンの大群に襲われ、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている墓の門を開けてしまうが、通りすがりの船乗り・キリコに助けられ、成り行きでキリコの仕事を手伝う(殺生ができない「下の世界」の住人のためと、生まれる前の魂たち・わらわらを飛ばすのに魚の内臓が必要であるため)。仕事を終え、外へ出た眞人の前で多くのわらわらたちが飛び始めた。それを狙ってペリカンたちがわらわらに襲い掛かり、捕食を始めた。そんな中、舟に乗って現れた少女・ヒミが自らの力を使って花火を打ち上げ、ペリカンたちを撃退する。わらわらたちも巻き添えになる中、止めろと叫ぶ眞人だったが、ヒミがいないとわらわらたちは上の世界へ行けないとキリコはつぶやき、ヒミに感謝の言葉を投げかける。便所から出た眞人はヒミの力によって瀕死状態となった老ペリカンと出会う。老ペリカンは海には魚がほとんどおらず、わらわらを食べるほかなすすべがない、子孫の中には飛ぶことをしないものもいる、どこまで飛んでも島にしか辿り着かない、などを眞人に語った後、力尽きてしまう。どこからともなくやってきたアオサギを横目に、眞人は丁重に老ペリカンを土葬した。翌日、アオサギに手伝わせて水くみをしていた眞人だったが、アオサギの「ナツコの居場所を知っている」という発言から、キリコにアオサギとともに夏子を探しに行くよう提案され、キリコの下を離れる。その際、お守りとして「上の世界」のキリコによく似た人形を手渡される。
一方、現実世界では、眞人とナツコ、それに加え女中のキリコも一斉にいなくなってしまい、大捜索が行われ、正一が頭を抱える中、ばあやの一人が塔の正体を告げる。塔は大叔父様が一から造ったわけではなく、隕石の落下とともに出現した石の塔を大叔父様が発見し、周りを建物で隠したという。また、久子が生前、神隠しにあったが1年後、同じ姿のままひょっこり帰ってきたエピソードも眞人の父親に話す。
「下の世界」で夏子を探す道中、アオサギの飛行能力を取り戻すために、眞人は自ら穿った嘴の穴をふさぐべく、枝を削って穴にあてがってやった。アオサギ曰く、ナツコは鍛冶屋の小屋の中にいるらしいが、すでに小屋は人を食うといわれる獰猛な二足歩行のインコの集団に占拠されていた。アオサギが飛んでインコを引き付けている間に小屋に入った眞人だったが、中はインコで溢れかえっていた。ピンクのインコに「お待ちしておりました」と告げられ、ナツコの元へと案内されるがそれは罠で、眞人はインコたちに囲まれ、殺されそうになる。あと一歩の状況の中、突如上がった火の中から現れたヒミが周りのインコたちを焼き殺した。ヒミのワープする力を使って二人はヒミの家へ移動、そこからナツコがいる石の塔へ向かった。上の世界と同じ塔があると気づいた眞人に対し、ヒミはどの世界にも石の塔は存在していることを教える。夏子がいる産屋への道すがら、眞人の世界へ通じる「132」と書かれたドアを見つける。その直後、二人はインコ軍団に挟まれてしまい、やむを得ずドアノブを握って現実世界へ逃げる。その時、捜索にきた正一と遭遇し、ドアが開いた隙に現実世界に大勢のインコがなだれ込む。インコは現実世界に入ると巨大な姿からただのインコの姿になってしまい、正一は眞人がセキセイインコになったと大騒ぎする。
隙をついて「下の世界」に戻った二人はナツコのいる産屋に着き、眞人はナツコに元の世界に戻るよう訴えるが、夏子にひどく拒絶されてしまう。周りを取り囲む石の影響で産屋を追い出され、眞人とヒミは気絶し、警吏のインコたちによって二人は捕まってしまう。
眞人は夢の中で大叔父様と邂逅し、「下の世界」の均衡は石でできた積み木を使って自分がとっていること、眞人に自分の後を継いでほしいことを語る。目覚めた後、調理場で捕まっていた眞人はインコに変装したアオサギに助けられる。インコたちの王であるインコ大王とその手下たちに捕まったヒミは大叔父様のいる塔の上へ連れて行かれ、眞人とアオサギは塔の外壁からインコ大王たちを追っていく。外壁の窓から侵入した眞人たちだったが、インコ大王に足場の階段を切り落とされ、二人は落下してしまう。大叔父様の元に到着したインコ大王は大叔父様に眞人たちが産屋に入るという禁忌を犯したと告げる。
階段の瓦礫から抜け出した眞人たちも大叔父様の元へ向かうが、そのあとをインコ大王が尾行する。道中の屋敷でヒミと再会した眞人は二人で大叔父様の元へ向かう。自分の元へたどり着いた眞人に対し大叔父様は「ここに13個の穢れていない石がある。3日に一つずつ積み上げて世界のバランスを取る自分の役目を引き継いで欲しい」と眞人に頼む。大叔父様曰く、自らの血を引継ぎ、悪意のない人間しかこの仕事は出来ないとのことだった。しかし眞人は自分の石で殴ってできた傷を指して「自分は悪意のある人間だ。この世界にとどまるより、キリコ、ヒミ、アオサギのような友達を元の世界で作りたい」と大叔父様に話す。その様子を見て怒ったインコ大王がこの世界の均衡を保つ積み木をでたらめに積んだせいで積み木は崩れ、「下の世界」は崩壊を始める。塔へたどり着いたキリコによって救われたナツコと眞人たちは合流する。眞人はヒミに自分たちの世界へ来るよう訴えるがヒミは眞人のお母さんになると告げ、ヒミが眞人の実母・久子の少女時代の姿であることが判明する。ナツコもヒミと会い、別れを告げた後、眞人とナツコ、アオサギは「132」のドアから、ヒミとキリコはヒミの少女時代につながるドアから元の世界に戻る。
「下の世界」の崩壊により避難してきたインコたちやペリカンたちも眞人たちの世界に出現し、塔は崩壊する。アオサギに「まだ向こうのことを覚えてんですかい」と問われた眞人はポケットの中のキリコの人形や大叔父様の下へ向かう最中で拾った石に気付く。「じき忘れていく」という言葉とともにアオサギは眞人の前から姿を消す。そしてキリコの人形がこの時代の桐子に変わる。
2年後、戦争が終わりナツコは子どもを産み、眞人には弟ができる。一家が東京に戻ることになり、ナツコの玄関先からの一声で、眞人が自室から出ていくシーンで物語は終わる。
映画公開までの流れ
2013年、宮崎駿が自身の漫画作品『風立ちぬ』を原作としたアニメーション映画『風立ちぬ』を公開し、それを最後に「宮崎が長編映画の制作から引退する」ことをスタジオジブリ社長の星野康二が発表した[9]。
しかし、2017年2月24日にプロデューサーの鈴木敏夫が「Oscar Week 2017」において、宮崎が長編映画の制作に復帰したことを公表し事実上の引退撤回となった[10][11]。ただし、宮崎自身は「自分は引退中であり、引退しながらやっている」と発言している。
同年5月19日、新作のスタッフを公式サイトで募集開始し本格的に制作がスタートした[12]。10月28日に早稲田大学で開催されたイベントで新作のタイトルが『君たちはどう生きるか』であると明かされた[5]。
2020年5月13日にエンターテインメント・ウィークリーの取材で鈴木が1か月に1分間のペースで制作中と語った。鈴木は単純計算で2020年5月時点で3年間費やしたので36分が完成したことになる、と述べている[13]。
2020年11月30日の『アーヤと魔女』合同取材会において、鈴木は作画の半分が完成し、全体の尺がオープニングとエンディングを入れて約125分になる予定であり、あと3年はかかると明かした[14]。
2022年12月1日、本作に出演した木村拓哉が自身のInstagramで「久しぶりにお会いする(宮崎)監督の元、とある作業へと向かいます」と映画の題名を隠した台本と共にアフレコ作業を行ったことを投稿し、その翌日にスタジオジブリの公式Twitterでハウルが「ありがとう」と感謝する画像の投稿を行った[15]。
2022年12月13日、配給の東宝は本作を2023年7月14日に公開すると発表した[16]。
2023年2月下旬、初号試写が行われた[3]。試写終了後、宮崎は「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」と発言した[3]。
2023年6月16日、ドルビーシネマ、ドルビーアトモスで上映されることが決定した[17]。また7月7日に、IMAXで上映されることが決定した。スタジオジブリ作品のIMAX上映は初めてとなる[18]。
2023年7月4日、音楽は久石譲が担当することが判明した[2]。また、同年8月9日に徳間ジャパンコミュニケーションズから主題歌含む37曲が収録されたサウンドトラックが発売される[2][19]。
プロモーション
プロデューサーの鈴木は、2023年6月2日に行われた『文藝春秋』編集長の新谷学との対談において、本作については宣伝を一切行わない方針を明らかにした[20][21]。
また、「金曜ロードショーとジブリ展」の開会セレモニーにて、鈴木は、「いろいろ考えているうちに一切宣伝がなかったら、皆さんどう思うんだろうと考えてみた。僕の考えですけど、これだけ情報があふれている時代、もしかしたら情報がないことがエンタテインメントになる。そんなふうに考えました。うまくいくかどうかわかりません。わからないけど、それを信じてやる、ということです」と語っている[22]。
2022年12月13日に公開予定日とポスタービジュアルが発表されたが、以降予告編の公開やCM、新聞広告、公式サイトの開設といったプロモーション活動は全く行われておらず、出演者や主要なスタッフについても公開日までほとんどが非公開となっており[22]、2023年2月下旬に行われた初号試写でも、厳重な箝口令が敷かれたほどでもあった[3]。
公開日となる2023年7月14日に出演者が解禁となり、米津玄師が主題歌を担当したことが判明した[1]。
製作体制
2019年12月25日に掲載された宮﨑のインタビューによれば、働き方改革で午後8時にはスタッフが帰るようになり、みなが今までより人間的な顔になったという[23]。
鈴木によれば、宮﨑は本作においては全てのカットに自ら手を入れるようなことは行っておらず、あくまで絵コンテの制作に専念しているという[21]。具体的な作画は作画監督の本田雄に一任しており、鈴木はそれによって本作が「がぜん面白くなりました」としている[21]。
主題歌「地球儀」を担当した米津玄師は、2019年に宮﨑が『パプリカ』を聴いたことがきっかけで制作を開始、4年かけて楽曲を完成させた[24]。
登場人物
わらわら
産まれる前の魂たち。わらわらを飛ばすのに魚の内臓が必要。飛ぶ前に大きくふくらむ。飛んでゆくことで上の世界に行き、産まれる。まるくて白い姿をしている。目と口があり、小さい手足がある。
スタッフ
声の出演
登場人物 | キャスト |
---|---|
牧眞人 | 山時聡真 |
アオサギ | 菅田将暉 |
キリコ | 柴咲コウ 大竹しのぶ? |
ヒミ[25] | あいみょん |
夏子 | 木村佳乃 |
七人の小人的老婆達 | |
ペリカン?(歩け!) | ヒコロヒー |
? | 滝沢カレン |
? | カンヤダ |
老ペリカン/爺 | 小林薫 |
インコ大王 | 國村隼 |
大叔父 | 火野正平 |
牧正一 | 木村拓哉(特別出演) |
キリコ(老婆)は大竹しのぶ?
インコ大王の二人の部下を担当した声優が気になる。
ogu @ogu_151a
『君たちはどう生きるか』💡
少し分かった事😆
主役の少年、牧眞人(まひと)の声は
俳優の山時聡真✨
他のキャストは
眞人の父:木村拓哉✨
眞人の母・夏子:木村佳乃✨
アオサギ:菅田将暉✨
ヒミ:あいみょん✨
若き日のキリコ:柴咲コウ✨
老婆(キリコ):大竹しのぶ✨
#君たちはどう生きるか 2023/07/15 22:00
https://twitter.com/ogu_151a/status/1680200688767500289?s=61
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『君たちはどう生きるか』💡 少し分かった事😆 主役の少年、牧眞人(まひと)の声は 俳優の山時聡真✨ 他のキャストは 眞人の父:木村拓哉✨ 眞人の母・夏子:木村佳乃✨ アオサギ:菅田将暉✨ ヒミ:あいみょん✨ 若き日のキリコ:柴咲コウ✨ 老婆(キリコ):大竹しのぶ✨ #君たちはどう生きるか | |||||
2023/07/15 22:00 |
主題歌
- 「地球儀」
- 作詞・作曲・歌 - 米津玄師
- 2023年7月14日、米津がOfficial Site「REISSUE RECORDS」にて自身が主題歌を担当することを公表した[26]。
公開
日本では、2023年(令和5年)7月14日に全国公開[27]
パンフレットは公開日に販売されず、劇場では「パンフレットは後日発売」との旨の告知が掲示された[28]。
脚注
出典
- ^ a b "宮崎駿監督10年ぶり新作『君たちはどう生きるか』公開 菅田将暉・柴咲コウ・木村拓哉らズラリ 主題歌は米津玄師「地球儀」". オリコン. (2023年7月14日) 2023年7月14日閲覧。none
- ^ a b c d "宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」久石譲が音楽担当 主題歌の存在も明らかに". 映画.com. (2023年7月4日) 2023年7月4日閲覧。
- ^ a b c d e "「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと|好書好日". 好書好日. 2023年7月14日閲覧。
- ^ 君たちはどう生きるか TOHOシネマズ
- ^ a b "宮崎駿監督、新作タイトルは「君たちはどう生きるか」". 朝日新聞デジタル. (2017年10月28日). オリジナルの2017年10月28日時点におけるアーカイブ。 2017年10月29日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は冒険活劇ファンタジー!". シネマトゥデイ. (2017年11月30日) 2020年7月23日閲覧。
- ^ a b "映画「君たちはどう生きるか」レビュー". GAME Watch. 2023年7月15日閲覧。
- ^ 転校初日に車で登校したことが地元の少年達にとって生意気に映ったような描写がなされている。なお、学校のシーンは転校初日のものしか無く、地元の生徒達と打ち解けたのかどうかは不明。
- ^ "宮崎駿:長編映画製作から引退へ 「風立ちぬ」が最後の作品に". 毎日新聞. (2013年9月1日). オリジナルの2013年9月4日時点におけるアーカイブ。 2013年9月2日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督が長編復帰へ 鈴木敏夫プロデューサー「一生懸命、東京で作ってます」(※鈴木Pの発言追記)". ねとらぼ. (2017年2月24日) 2019年4月19日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督が新作長編の準備に 事実上の「引退」撤回". 産経新聞. (2017年2月24日). オリジナルの2017年2月25日時点におけるアーカイブ。 2017年2月24日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督の新作、始動!ジブリがスタッフ募集を開始 今度こそ本当に最後の監督作品に…". シネマトゥデイ. (2017年5月19日) 2017年5月19日閲覧。
- ^ "Studio Ghibli co-founder teases Hayao Miyazaki's next 'big, fantastical' film". エンターテインメント・ウィークリー. (2020年5月13日) 2020年5月13日閲覧。
- ^ "スタジオジブリ再起動:待望の新作『アーヤと魔女』は初の全編3DCG作品。 宮崎駿の新作は3年後!?". ニッポンドットコム. (2020年12月11日) 2022年12月15日閲覧。
- ^ "キムタク&ジブリ公式が「意味深投稿」新作映画めぐり匂わせ?ファン期待「確定演出な気がする」". J-CASTニュース. (2022年12月15日) 2023年7月14日閲覧。
- ^ "宮崎駿の新作長編「君たちはどう生きるか」7月14日に公開決定、ポスター解禁". 映画ナタリー. (2022年12月13日) 2022年12月13日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」ドルビーシネマ、ドルビーアトモスで上映". 映画.com. (2023年6月24日) 2023年6月26日閲覧。
- ^ "映画「君たちはどう生きるか」、IMAX同時公開へ ジブリ作品では初". ITmedia NEWS. (2023年7月7日) 2023年7月8日閲覧。
- ^ "「君たちはどう生きるか」 サウンドトラック". 徳間ジャパンコミュニケーションズ. ニューリリース. 2023年7月4日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督作『君たちはどう生きるか』の「いっさい宣伝なし」は成功するのか。過去の類似例と比較した". All About NEWS. (2023年6月14日) 2023年6月16日閲覧。
- ^ a b c "謎に包まれたジブリの新作 鈴木敏夫Pに聞いた!". NHKニュース. (2023年7月6日) 2023年7月7日閲覧。
- ^ a b "一切宣伝なしの異例「君たちはどう生きるか」宮崎駿の現在の心境は?鈴木敏夫が明かす". 映画ナタリー. (2023年6月28日) 2023年7月4日閲覧。
- ^ "宮崎駿さん「いまわの際に」見る景色 独占インタビュー". 朝日新聞デジタル. (2019年12月25日) 2020年11月25日閲覧。
- ^ "米津玄師、宮崎駿監督10年ぶり新作『君たちはどう生きるか』主題歌秘話明かす「最初は驚愕」". オリコン. (2023年7月14日) 2023年7月14日閲覧。
- ^ "宮﨑駿監督によるスタジオジブリ最新作「君たちはどう生きるか」あいみょんが声優キャストとして参加!". あいみょん OFFICIAL SITE. 2023年7月16日閲覧。
- ^ "「地球儀」宮﨑駿監督「君たちはどう生きるか」主題歌". 米津玄師 OFFICIAL SITE. 2023年7月16日閲覧。
- ^ "宮崎駿監督 新作 10年ぶりの長編「君たちはどう生きるか」来年7・14公開". デイリースポーツ. (2022年12月14日) 2023年2月21日閲覧。
- ^ "『君たちはどう生きるか』が公開 劇場パンフレットも後日発売という徹底ぶり". オリコンニュース. (2023年7月14日) 2023年7月14日閲覧。
外部リンク
限定 LIVEゼミ#496メンバーシップ(7/16~2024/7/31 公開) https://www.youtube.com/live/6SNqQMy_wd0?feature=share
『君たちはどう生きるか』の感想【ネタバレあり】
宮崎駿監督の10年ぶりとなる新作『君たちはどう生きるか』を観てきました。
ネタバレありありで書いていくので、まだご覧になっていない方は、鑑賞後に戻ってきていただければと思います。
さて、2013年の『風立ちぬ』を最後に引退したはずの宮崎駿監督ですが、あるとき鈴木さんに「ジブリは映画を作らなきゃいけないよ」と言い出し、引退宣言も早々に2016年に『君たちはどう生きるか』の企画書が書かれます。2017年には制作開始と、延べ7年の歳月をかけて公開されました。
あまりにも待っている期間が長いために、同じ時間をループしてるんじゃないかと思いました。
『君たちはどう生きるか』の原案
なぜ引退した宮崎監督が突然引退を撤回したのか。
鈴木敏夫著『ジブリの文学』のあとがきには、宮崎監督はアイルランド人の書いた児童文学を読み、その本に刺激を受けたことから映画化を提案したといいます。
その本というのは明言されていませんが、ジョン・コナリーの『失われたものたちの本』ではないかと思われます。
宮崎駿監督が帯の推薦文を書いていることでも知られていて、ジブリ美術館でも販売されていることから、ジブリファンの間では原案になった本として周知されていました。
内容のほうはというと、舞台は第二次大戦下のイギリス。母親を亡くした少年のデイヴィッドが、死んだはずの母親の声に導かれ、幻の王国に迷い込むというもの。そこは、おとぎ話の登場人物が生活する、物語の世界。そこでデイヴィッドは、木こりと出会い冒険へと出る。
対する『君たちはどう生きるか』は、太平洋戦争下で母親を亡くした少年の牧眞人が、アオサギに導かれて、あの世と思われる世界に入り込みます。そこは、おとぎの国と近い異世界で、キリコという女性と出会う。
この物語の流れを考えれば、参考にされていたのは間違いなさそうです。
以前、宮崎監督はドキュメンタリー番組で、ある本について、「何度も熱読したからね。こういう世界のつかまえ方、描き方があるんだなって、何もなくなったわけじゃないなって」と触発されたことを明かしていました。
かねてから、主人公が異世界に入り込むときのパターンというのは擦られすぎていて、面白くないと。そこで見つけた新しい切り口というのが、この『失われたものたちの本』だったと思われます。
舞台は太平洋戦争下
公開前には、物語の舞台は一切明かされていなかったのですが、実は2019年に公表された一枚の絵から、舞台は太平洋戦争下ではないかという予想が、ジブリファンの間では出ていました。
1枚の絵というのは、ジャズピアニストのジョバンニ・ミラバッシ氏に提供された、「MITAKA CALLING -三鷹の呼聲-」というCDジャケット。これは、スタジオジブリ作品の楽曲をカバーしたアルバムで、ミラバッシ氏と親交のあった宮崎監督が提供したことで話題となりました。
この絵が、燃え盛る街並みと少年というもので、新作のイメージボードを提供したのではないかとみられていました。
そういったことから、事前情報まったく無しといった触れ込みですけども、ある程度の情報が集まっていました。
いざ、映画が始まると冒頭からイメージボードのシーンがやってきて、おおやっぱりか、なんて思っているのも束の間、宮崎駿監督のアウトプットの博覧会といった映像の連続。これまでに蓄えたイマジネーションの在庫を、惜しみなく放出しているような印象を受けました。
その宮崎監督のアイデアを映像化した作画陣の皆さんにも感服します。エンドロールには、安藤雅司、井上俊之、大平晋也、賀川愛、高坂希太郎、近藤勝也、田中敦子、山下明彦、稲村武志、米林宏昌(敬称略)など、そうそうたるメンツが並んでいます。ただ、思ったより人数が少ないように感じました。少数精鋭で作っていたのかもしれません。なにしろ、作画に入ってから長かったですからね。
異世界に入るまでの展開というのは、新しい切り口を見つけたというだけあって、さすがの面白さがありました。前半と後半で、まったく違う映画に切り替わるというのは、たしかに宣伝を打たないほうが面白みがあります。
事前に鈴木さんは、冒険活劇ファンタジー映画であることは公言していましたけど、これも言わないほうがインパクトが大きかったんじゃないでしょうか。
あの世
宮崎駿監督は『千と千尋の神隠し』あたりから、ことあるごとに「あの世」を描いてきました。
今回もあの世が登場するに違いないとは思っていましたが、それが想像以上にちゃんとあの世です。比喩としてのあの世じゃなくて、『すずめの戸締まり』と同じくらい、あの世です。
実際に、一度そっちの世界を覗いて帰ってきたかのようなリアリティ。ただ、これから生身の肉体に入ると思われる霊魂のワラワラの居場所でもあるので、魂の浄化場所のようなイメージもありました。それをあの世と言うのだろうか。きっと、みんな一度はこの世界を抜けて、人間の世界に行くのでしょう。そして死んだら戻ってくる。
その生命の誕生と死を思わせる世界には、『海獣の子供』という映画が思い浮かびました。映画の内容はまったく別物ですが、これもずいぶん観念的な作品でして、生命の秘密に触れるような試みであったり、生命というものに関するとらえ方に通ずるものを感じました。偶然ですけど、この作品も音楽は久石譲さんで、主題歌が米津玄師さんです。
以前のドキュメンタリーで宮崎監督は、新作について「何が何だか全然わかってないけど、モヤモヤと、あっちのほうに行くんだ。そこには入ったことがないってところに行くんですよ。触れてこなかったところに、触れるんですよ」と話していました。
これはきっと、あの世のことと亡くなった母親のことだったのでしょう。このふたつのテーマに真っ正面からぶつかること。
母親
宮崎駿監督といえば、ことあるごとに母親を投影したキャラクターを登場させてきました。
監督自身がインタビューで話しているように、母親はカリエスで身体を悪くしていたため、子供時代に寂しい思いをしたことを明かしています。
甘えたいときに甘えられなかったという思いが募り、映画では母親を登場させるようになります。『天空の城ラピュタ』では若き日の母親をシータに、精神的な強さをドーラに投影しました。
そのほかにも、『となりのトトロ』の草壁ヤス子、『崖の上のポニョ』のトキさんと、さまざまなキャラクターに母親の面影を重ねてきました。
そして、本作の主人公・牧眞人の母親は、物語冒頭で火事に巻き込まれて死んでしまいます。
母への思いを募らせた眞人には、もちろん宮崎監督が投影されいて、その母親・ヒミには監督自身の母親が投影されていることは明らかです。
シータにも少女時代の母親を投影してきましたが、今回は物語の設定上も主人公の母親です。なんだか、とても際どいものがあります。
ここまで真っ正面から、母親のことを描いたのは初めてじゃないでしょうか。
宮崎監督は、これまでにも作品を作ることで、いろいろな抱え込んだものを手放してきましたが、今回はついに母親への思いから解放されたのだと思います。
そして今回は、宮崎監督の父親も登場しています。眞人の父は戦闘機工場で働いており、自宅には戦闘機の風防を持ってきています。あれは、宮崎監督の幼少期の記憶をそのまま再現したものと思われます。
監督の実際の父親・勝次さんは、軍用機の部品を作る工場を経営していたことから、自宅にはゼロ戦の風防が置いてあったといいます。当時子供だった宮崎監督には何かわからなかったそうですが、キラキラしていて綺麗だった記憶があり、後に風防だったと気づいたそうです。
宮崎監督は、この映画で両親との別れの挨拶をしたのだなぁ、と感じました。
それぞれのモデル
眞人の疎開先にある謎の塔。きっと、イメージの源泉は『幽霊塔』だと思いますが、比喩としてはスタジオジブリを表していると感じました。
そして、大叔父は宮崎監督で、高畑勲監督で、森康二さんぽくもあった。だけど、「13個の積み木」のことを考えると、おそらく宮崎監督が強そうです。こちらの13作品のことを指しているんじゃないかと思います。
未来少年コナン、カリオストロの城、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ、風立ちぬ、君たちはどう生きるか。
そのほか登場キャラクターも、それぞれモデルがいそうな感じがします。何でも教えてくれる優しいキリコは、きっと高畑勲監督。あのお墓に関しては、きっとそういう意味があるんだと思います。
そして、制作時からずっと言われていたことですが、「鈴木敏夫さんがモデルの人間じゃないキャラクター」というのは、当然アオサギ。主人公・眞人には、宮崎監督だけじゃなくて、吾朗さんやお孫さんも投影されているように感じます。それでいうと、眞人を異世界に引きずり込んだアオサギは、アニメーション業界に吾朗さんを引きずり込んだ鈴木さんと重なります。
最後に、怒ってすべてをぶっ壊してしまうインコ大王はなんだろう。スポンサーか、広告代理店か、もしくは観客か。否、いい加減に語っているので、すべて外れているかもしれません。ここら辺のことも、もう少し鑑賞を重ねて考えたいところですね。
悪意
珍しく宮崎駿監督は人間のもつ「悪意」を描いています。これは、これまでの作品には感じられなかったことです。
宮崎さんの作品に登場する主人公は、みんな健やかだ。ここまで真っ向から悪意と向き合う主人公というのはいなかった。
不条理な運命に合う主人公は、これまでにはアシタカがいた。だけど彼は、悪意というものに支配はされなかった。むしろ、「憎しみに身をゆだねるな」と周りを窘めるような人間だった。ところが眞人は違う。
良い母になろうと振る舞うナツコに対しても、眞人の態度は素っ気ない。悪意のある態度をとる。
今までのジブリ作品に、ここまで悪意を表し、憎悪に囚われる主人公はいなかった。
ウソばかりつく友達のアオサギにも悪がある。みんな悪をもって生きている。ピュアに見えるもの、美しく見えるものの裏側にも悪がある。綺麗な世界には鳥の糞はなかったけれど、元の世界に戻ると糞まみれの世界が待っている。眞人は最終的に、自分の悪意を認めて前を向く。
宮崎監督、ありがとうございます。鳥の糞尿にまみれた世界ですけれど、元気に生きていきます。
集大成?
この映画自体は、遺言の側面を強く感じる。すべてが宮崎監督からのメッセージ。「俺はこう生きてきたけど、君たちはどう生きるか」と問うている。
源泉から出たそのまんま、純度120%の宮崎駿監督がいる。『風立ちぬ』のときが100%だと思っていたのに、もっと濃いから今回は120%。まさに集大成。ここまで集大成感を出してくる? という映像とメッセージの連続。『風立ちぬ』では終われなかったという、その気持ちが伝わってくる。
人は皆いずれ死ぬ。だから、そのときまでに持ち物を渡していかなきゃいけない。知識、知恵、技術。これらを次の世代に渡したい、という宮崎監督の思い。そして、最後にアオサギは異世界から帰ってきた眞人に「まだ覚えてるのか?」と言った。これには、いつまでもジブリ作品ばっか観てんじゃないよ、と言われた気がした。そしてあっさりと去っていく。「じゃあな、友達」と。今回こそ、これで終わるのかという、宮﨑監督からの別れのあいさつのように受け取れた。
観終わって少しの寂しさが残る。
いやしかし、まてよ。
「飛行」ということに関しては、これまでの作品と比較しても軽いものだったような気がする。何かやり残してはいないだろうか。1997年当時、集大成といわれながら、『もののけ姫』では空を飛ばなかった宮崎監督に対し、「引退なんて話にならん」と言い放った高畑勲監督を思い出す。
そうだ、宮崎監督、次は空を飛びまくる映画を作りましょうよ!
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https://realsound.jp/movie/2023/07/post-1376389_2.html
『君たちはどう生きるか』には宮﨑駿の"ジブリでの全て"が詰まっている【ネタバレあり】
文=タニグチリウイチ
吉野源三郎の小説からタイトルを借りる一方で、この映画にはストーリー面で影響を受けた作品があるようだ。それがジョン・コナリーの『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)だ。
母親を病気で失ったデイヴィッドという少年は、父親の再婚に伴いローズという名の継母と暮らし始める。ローズの家には本でいっぱいの古い部屋があって、その持ち主だったジョナサンという人物はある日忽然と消えてしまったという。そしてデイヴィッド自身も、飛行機が墜落して来て炎上した際に異世界へと飛ばされてしまい、そこで木こりと出会って落ち着きを取り戻したあと、元の世界へと戻るための冒険に向かう。
こう聞くと、『君たちはどう生きるか』のストーリーに通じる部分が感じられる。木こりはキリコで、デイヴィッドを惑わすねじくれ男はアオサギとして眞人の前に現れたともとれる。どうして似ているのか。『君たちはどう生きるか』でもプロデューサーを務めた鈴木敏夫の責任編集で刊行された『スタジオジブリ物語』(集英社新書)の第24章「宮﨑駿82歳の新たな挑戦『君たちはどう生きるか』」の中に、興味深い記述がある。
「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)
この児童文学に刺激を受けて作られたのが『君たちはどう生きるか』という映画だ。そこでは具体的な書名は挙げられていなかったが、どうやら『失われたものたちの本』ではないかといった推測が出回った。何よりこの本の帯に、宮﨑駿監督自身が推薦文を寄せていた。
ただし、「この本には刺激を受けたけど原作にはしない。オリジナルで作る。そして、舞台は日本にする」ともあるように、舞台はイギリスではなく日本となり、眞人が異世界へと向かう動機にも独自の状況が乗った。宮﨑吾朗監督の『ゲド戦記』で、アーシュラ・K・ル=グウィンの原作に、宮﨑駿監督の絵物語『シュナの旅』を取り込んだスタジオジブリの作品らしいミクスチャーだ。
なおかつ宮﨑駿監督を筆頭に、作画監督の本田雄をはじめとしたすご腕のアニメーターがずらりと並んで描きあげた、動きも絶妙なら表情も豊かな人物の描写がある。武重洋二らジブリ作品と関わりの深い背景美術のエキスパートが作り上げた、想像を絶する風景描写がある。ジブリ作品には欠かせない久石譲の音楽も、壮大なテーマをオーケストラによって鳴らして物語を包み込むのではなく、ピアノの旋律を物語に添えるように奏でて観客を映画の世界に浸らせる。
映画『君たちはどう生きるか』には、あらゆる感覚を駆使して味わうアニメーションならではの醍醐味がある。だから映画館で観ることが重要で、観れば確実に宮﨑駿監督の現時点での到達点を感じられる。そんな作品だ。
気になるのはその先だが、この映画からは宮﨑駿監督が82歳にして物語を紡ぐことに貪欲で、愛らしかったり強かったり憎々しげだったりと多彩なキャラクターを描くことに飽いたところがないように見える。きっとまた何か面白い本を読んだといって、映画にしたがるに違いない。
■公開情報
『君たちはどう生きるか』
全国公開中
原作・脚本・監督:宮﨑駿
製作:スタジオジブリ
主題歌:米津玄師
©2023 Studio Ghibli
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。
宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』考察【公開前】
CDアルバム『MITAKA CALLING 三鷹の呼聲』(2019年発売)に宮崎駿が提供したイラスト。スタジオジブリ公式アカウントが2021年に投稿ツイートした新作の絵コンテの表紙のイラストと一致していたことから、宮崎駿の映画『君たちはどう生きるか』(2023年7月14日公開)のイラストであることが確定した。イメージボードのようにも思えるが、レイアウト用紙に描かれていて、カットナンバーも指定されていることから、映画冒頭のカット(Aパート・cut20)の作画担当者のために、宮崎駿が表現の説明として描いたものかもしれない。
「主人公は孤独な少年です。彼は見失った自分の世界を取り戻そうとしている。私がこの種のキャラクターを作ったのは初めてです」
(宮崎駿インタビュー・女優ジュリエット・ビノシュとの対談【2018年6月】)
絵コンテ「Aパート・cut20」は、宮崎駿の前作の長編映画『風立ちぬ』(2013年公開)でいえば、二郎少年が夢の中で鳥型飛行機を操作して飛び上がろうとする場面に相当する。『君たちはどう生きるか』も「少年の夢」から始まるのだと思う。『君たちはどう生きるか』のために宮崎駿が描いた「cut20」のイラストは、現実の場面と考えるには、あまりにも異様な雰囲気を漂わせている。これの6カット後「cut26」は、本作最大級の原画枚数「1068枚」を費やして、時間と手間をかけて作画された。『君たちはどう生きるか』映画の主人公の少年が「母親を喪失したトラウマの悪夢」が描かれるのだと思う。
「主人公の少年が手にして読む本」吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』が出版されたのが昭和12年。絵コンテ(Aパート)を執筆する宮崎駿の作画机に飾られてあった山川惣治『爆弾サーカス』(ペン画)のレコード紙芝居が発売されたのも昭和12年。「昭和11~13年」の長野の一農村の写真記録を収めた本を参考資料としていたことからも、映画『君たちはどう生きるか』の時代設定は「昭和12年(1937年)」と考えられる。
さらに宮崎駿の「自伝要素」を考慮に入れると、宮崎駿の名前の由来となったと思われる「軍人・多田駿」が陸軍参謀本部次長の要職に就いたのも昭和12年。宮崎駿の父親「宮崎勝次」が召集されて兵隊に取られた(しかし戦地には行かなかった)日中戦争が始まったのも昭和12年だ。映画『風立ちぬ』の「堀越二郎の現実パート」は、九試単座戦闘機の飛行試験が成功した昭和10年(1935年)で終わっている。『風立ちぬ』から『君たちはどう生きるか』へ、時代設定は連続して繋がっていて、いよいよ戦争が始まった時代の日本を描くのだと思う。
太平洋戦争末期(1945年)、東京から栃木に疎開していた宮崎駿(4歳)は、宇都宮空襲に遭っている。そのときの疎開先の家は、B29の焼夷弾の被害を免れ、宮崎駿は小学3年生(9歳)まで住んでいた。『となりのトトロ』「サツキとメイの家」の階段や『風立ちぬ』二郎の群馬の生家にイメージが反映されている、その家は現存しており、2012年にはギャラリー「絆和(HANNA)」としてオープンしている。2015年頃、宮崎駿は1人お忍びでギャラリーを来訪して、昔のわが家を懐かしがったという。
「2015年にぼくをしあわせにしてくれた本」と三鷹の森ジブリ美術館の図書閲覧室「トライホークス」で宮崎駿が推薦していたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』が、映画『君たちはどう生きるか』制作のきっかけであると思われる。第二次世界大戦下のイギリスの少年の物語を読んで、「子どもの頃の心の蓋」が開いたのだと想像できる。栃木の家に訪れようと思ったきっかけも、その本を読んだことにあるのかもしれない。
「大正末期から昭和初期」の栃木の食事を紹介している本を参考資料にしていたことと、『君たちはどう生きるか』制作初期の2018年に社員旅行で栃木に行っていたことから、映画の舞台が「栃木」である可能性は高いように思う。
他の可能性も探ってみたい。吉野源三郎の小説の舞台「東京」。前述の農村写真集の「長野」。映画に反映された鈴木敏夫の小学生時代の体験場所「名古屋」。映画公開日の金曜ロードショーのジブリ映画『コクリコ坂から』の舞台「横浜」。後述するように「主人公の少年は旅をする」から日本各地を転々とする可能性だって否定できない。
宮崎駿が宇都宮空襲の体験者であることから、映画『君たちはどう生きるか』冒頭「cut20」に描かれている「火事」は「空襲によるもの」と速断したくなるかもしれない。しかしここで立ち止まって考えてほしいのだが、宮崎駿も『雑想ノート』に描いているように太平洋戦争が始まるまでは日本本土に爆弾は落とされていない。映画が日中戦争初期から始まる前提で考えると、「火事」は「空襲によるものではない」と判断するのが穏当だと思う。
(三鷹の森ジブリ美術館企画展示「幽霊塔へようこそ展」パンフレット)
戦後しばらくして東京に戻った宮崎駿は、小学校から中学校にかけて通った近所の本屋で、一冊の本『君たちはどう生きるか』と出会った。
「『君たちはどう生きるか』は1937年に出された本です。今回の映画は、主人公が亡くなったお母さんの本を整理していて、この本の表紙をめくったときにお母さんからの手紙を見つけ、そこから物語が始まります」
(ジブリ鈴木敏夫さんが見据える、メディアの本質と未来像)
「お母さん亡くなっちゃうんですけれど、本の整理をしてたら、本が落っこちて、『君たちはどう生きるか』って。そのね、表紙をめくったところにね、主人公に対してね、"お母さんから" つって、彼にね、手紙が書いてあるんです。そういう始まりなんですよ」
(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 講演会『メディアたちはどう生きるか』後編)
映画『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の本のストーリーをそのまま使ったものではなく内容は全くの別物。映画『風立ちぬ』が、堀辰雄の本のストーリーと内容が全くの別物だったのと同じである。おそらく主人公の少年が「母親を喪失する」悪夢から目覚めて母親の遺品整理をしているときに、吉野源三郎の本『君たちはどう生きるか』から母親の手紙を見つけて、それから物語が展開していくのだろうと想像する。
宮崎駿の母親「宮崎美子」は、1947年に結核菌が原因の脊椎カリエスという難病にかかって、9年間、体をギプスで固定されて「首と手しか動かせない」闘病生活を余儀なくされた。宮崎駿は男4人兄弟だったが、彼らの思春期・成長期の大部分において、「実質的に母親を欠いていた」と宮崎駿の弟・宮崎至朗は証言している(『天空の城ラピュタ GUIDE BOOK』宮崎至朗「兄・宮崎駿」)。
『君たちはどう生きるか』の絵コンテ(Aパート)を読んだ鈴木敏夫の感想は、「宮崎駿は自分の少年時代を描いていた」であった。
宮崎駿が『岩波少年文庫の50冊』のため描いたイラスト。本を読むことが好きだった少年時代を描いた。「チク」という名前の犬を飼っていた。
『君たちはどう生きるか』の参考資料として使用されていた長野の農村「會地村」の写真記録本に【授業】と書いてある付箋が貼られていた。実際に本を開いて該当箇所を探してみると、「昭和12年前後」の小学校そして青年学校の教室での授業風景の写真が各々1枚見つかる。『君たちはどう生きるか』の序盤で、『風立ちぬ』では極僅かだったが、主人公の少年の学校生活が描かれるのだと思う。写真に映っている男子は、皆丸刈り頭。男子の学生服が、大正期の二郎の少年時代はまだ着物姿だったが、皆洋服に変わっている。主人公の少年と思われる「cut20」の駆けている後ろ姿であるが、「洋服」であるように見える。
『君たちはどう生きるか』主人公の少年は「みっともない男の子」。「エヴァンゲリオン」の最重要スタッフだった作画監督の本田雄が描くことで、「少年の孤独感」が深まったそうだ(『yom yom vol.61』「鈴木敏夫&養老孟司 対談」)。「碇シンジ君」みたいな立ち居振る舞いをする「ジブリキャラクター」が観られるのかもしれない。
(『ブラッカムの爆撃機』宮崎駿「ウェストール幻想 タインマスへの旅」)
「昭和12年7月7日の盧溝橋事件をまだ対岸の火のように考えていた会地村の人たちも、15日の深夜3名に赤紙(召集令状)が来るに及んで俄然緊張した。日をおかず次には20余名に赤紙が来た。兵士だけでなく強健な馬も徴発された。戦争の拡大に不安を抱いていた村人も、事ここに至っては、これはただごとでないと悟った。役場では銃後を守るための対策を講じた。在郷軍人、消防団、青壮年団の人たちが立ちあがり、婦人を総動員して「大日本国防婦人会会地支部」が結成された。その後も出征は相ついで、戦死された方もふえてきて、不安はつのるばかりであった。5年たち、もうなんとかならないかと思っている時、昭和16年12月8日に突然朝のラジオで、「我陸海軍は米英と戦争状態に入れり」と言う放送を聞き、言葉を失った」
(熊谷元一『写しつづけて69年 會地村―阿智村 昭和・平成』)
『君たちはどう生きるか』絵コンテBパート~Cパートを描いていた2017年、宮崎駿は吉野源三郎の話を聴くため、長男の吉野源太郎と会っている。宮崎駿が特に強い関心を抱いていたのは、吉野源三郎の「獄中体験」だったという。吉野源太郎は「あくまで推測ですが」と前置きをして、「(宮崎駿は)戦中に幼少期を過ごした体験から、軍国主義下での自問自答の複雑さを(映画『君たちはどう生きるか』で)丁寧に描きたいのだと思います」と語っている。
宮崎駿の妻の父親「大田耕士」は、昭和13年に創刊した風刺漫画誌『カリカレ』の中心人物で、昭和16年に治安維持法によって検挙され、獄中にいたことがある。『君たちはどう生きるか』制作中、ジョバンニ・ミラバッシが反戦歌や革命歌をピアノで弾くCDアルバム『AVANTI!』を宮崎駿は聴いていた。『風立ちぬ』で暗躍するスパイや特高(特別高等警察)を登場させたりしていたが、『君たちはどう生きるか』はもっと反戦色が濃い映画なのかもしれない。
『君たちはどう生きるか』絵コンテBパートは「ジメジメした男の子の深刻な話」が描かれていたそうだが、途中から「溌剌とした元気な男の子の話」へと方針転換したようである。『千と千尋の神隠し』で「グズな女の子・千尋」が油屋で働くことでキチンとするようになっていったことや、序盤の「おどろおどろしい異界の雰囲気」が持続しなかったことを想起させる。
「楽しい宮崎アニメが生まれる予感がありますね」とアニメーターの井上俊之が2021年にコメントしていたが、『君たちはどう生きるか』参加時期に作画したのが「方針転換」以後の絵コンテであると考えれば、納得できる。
宮崎駿が描いた映画『君たちはどう生きるか』のポスタービジュアル。登場キャラクターの「サギ男」だと思われる。
「(『君たちはどう生きるか』に)特徴的なある男が出てくるんですよ、サギ男っつってね。なんかちょっと悪い奴なんですよね。こいつがね、主人公と喧嘩しているわけ。事あるごとに喧嘩するのよ。そしたら、あるお姉さんがね、「ふたりとも仲良くやんな」つって。そんなセリフがあって。だいたい近い人をモデルにしてるでしょ。だいたい僕わかったんですよ。その「ふたりとも仲良くやんな」つったのは、ジブリにずっといた色の職人で保田道世さんという人がいて、この人なんですよね、年は若いけれど」
(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 米津玄師さんを迎えて その1)
「感想を言葉にすることすら叶わないくらい素晴らしい」『君たちはどう生きるか』絵コンテCパート(映画中盤)から出てくるらしい「サギ男」(鈴木敏夫『禅とジブリ』「プロローグ」)。宮崎駿は「否定している」が、鈴木敏夫は「自分がモデル」のキャラクターだと公言している。「鈴木敏夫の一番のお気に入りジブリキャラ」だと思う。「宮崎駿と鈴木敏夫がしてきた会話のやりとり」がそっくりそのまま「主人公の少年とサギ男」で再現されているという。
主人公の少年とサギ男の喧嘩を仲裁する「ひびこ」。宮崎駿作品の色彩設計を務めてきた「保田道世」がモデルらしい。サギ男と並んで、『君たちはどう生きるか』で名前が公開前に明らかになっている数少ないキャラクターであるが、「カンヤダの着物姿」をモデルに描いた『君たちはどう生きるか』のヒロインと同一人物であるかどうかはわからない。
「(『君たちはどう生きるか』の)絵コンテでは、二人で旅に出ます。アオサギが変化したサギ男という、いいキャラクターなんです」「あのサギ男というのは近代にはいない、いいキャラクター」「僕は主人公の宮さんと二人で冒険に行かなきゃいけない」
(『yom yom vol.61』「鈴木敏夫&養老孟司 対談」)
「二人で旅に出る」というキーワードから、「一人の少年と一匹の犬で旅に出る」ロバート・ウェストール『海辺の王国』を私は思い出す。『失われたものたちの本』と同じ、第二次世界大戦下のイギリスが舞台だ。空襲によって家族を失った少年ハリーは、同じくドイツ軍の爆撃によって飼い主を失った犬と、戦時下のイギリスを彷徨いながら旅をする。映画『君たちはどう生きるか』と共通点になるかもしれないと思っていることがあるが、ネタバレになるからここではあえて書かない。名作だから、未読の人には是非読んでもらいたい。
「鷺」(サギ)を捕る「鳥捕り」が仕事を終えて、汽車に戻ろうと「両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのやうな」格好をしているところ(『まんがで読破 銀河鉄道の夜 宮沢賢治・作』)。
宮崎駿の妻「宮崎朱美」は、宮沢賢治作品の大ファンだそうだ。「宮沢賢治作品の要素」を宮崎駿は自作に持ち込んで「妻のご機嫌とり」をしていると、鈴木敏夫は言う(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ「もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展~鈴木が愛した風景写真~」後編)。『どんぐりと山猫』は『となりのトトロ』のモチーフ、そして『銀河鉄道の夜』は、『千と千尋の神隠し』の「電車のシーン」と『ハウルの動く城』の「星が降ってくるシーン」のモチーフになっている。
『君たちはどう生きるか』のキャラクター「サギ男」という名前から、私は『銀河鉄道の夜』に出てくる「鳥捕り」を連想する。モーツァルト最晩年のオペラ『魔笛』にも、主人公と行動を共にする「鳥捕り」を生業とする「パパゲーノ」という人物が出てくるが、彼は「鳥の扮装」をしている。『君たちはどう生きる』のレイアウトとジブリパーク開園記念のイラストから判断して、サギ男は空を飛べるようだ。オペラの公演でそういう演出をしているのがあるのかは知らないが、ロシアのアニメーターが作画しているアニメーション版の『魔笛』ではパパゲーノは空を飛んでいた。
『君たちはどう生きるか』は「冒険活劇ファンタジー」と報告されたのは、宮崎駿がCパートの絵コンテを描いていた頃だ。少年は「ファンタジー・キャラクター」の「サギ男」と「冒険」の旅に出る。「山川惣治の絵物語を参考にしている」そうだから、「活劇要素」は、『少年タイガー』『少年ケニア』といった「密林冒険物語」からの影響があるかもしれない。『少年タイガー』に出てくる怪人「ブラック・サタン」が「サギ男」の元ネタではないかと考察する外国人のツイートを見たことがある。
『君たちはどう生きるか』主人公の少年とサギ男が旅に出るそうだが、『失われたものたちの本』のように迷い込んだ「異世界」を旅するパターンか、『海辺の王国』のように「現実」の日本を旅するか、『風立ちぬ』のように「夢」と「現実」を行き来しながら旅をするパターンの、3つのうちのどれかではないか。「サギ男とひびこ」が主人公の少年にしか見えない「イマジナリーフレンド」のような存在であれば、2つ目の解釈も成り立つと思う。
『まんがで読破 銀河鉄道の夜』では、宮沢賢治が「第4次稿」で消去した「ブルカニロ博士」を登場させている。
「お前はも一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないゝ子供だ。よくあの棘の野原で弟を棄てなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうはだしで悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ」
(宮沢賢治『ひかりの素足』)
『君たちはどう生きるか』絵コンテDパートを宮崎駿が描いていた頃、『ひかりの素足』の「あなたはもとの世界に帰りなさい」が今度の映画に出てくる、と鈴木敏夫は語っていた。『ひかりの素足』は、雪嵐に遭った兄弟が「あの世」に行き、「この世」に兄だけが戻ってくる話だ。『銀河鉄道の夜』の先駆的作品といえる。『ひかりの素足』で「道を教える」菩薩の役割は、『銀河鉄道の夜』(第3次稿まで)においては「ブルカニロ博士」が果たしていたといえるだろう。
宮崎駿が悪戦苦闘しながら描いた絵コンテDパートに「高畑勲がモデルのキャラクター」が出てくる。宮沢賢治作品の「菩薩」や「ブルカニロ博士」のように、「現実世界」と「異界」の狭間に立つ、少年を教え導くキャラクターなのだろうか。『風立ちぬ』での二郎少年にとっての「カプローニ」のような存在かと思われるが、「高畑勲の死」によって、『銀河鉄道の夜』の「ブルカニロ博士」のように「存在を消される」まではいかなかったが、「高畑勲がモデルのキャラクター」の出番は当初の予定より「あっさり」としたものになったようだ。
絵コンテ「Dパート」が『君たちはどう生きるか』の最終章になる予定だったが、「宮さんダメですよ、もっと長くやりましょう」と鈴木敏夫の進言があり、「高畑勲によって導かれた宮崎駿」というテーマが「高畑勲の死」によって変わっていったことも影響してか、「Eパート」まで描かれることになった。
『君たちはどう生きるか』絵コンテ完成後、監督とプロデューサーの2人は「始める時は想像もつかなかったけど、ずいぶん遠くまで来た」(宮崎駿)「最初に計画してたやつがね、全部引っ繰り返った」(鈴木敏夫)と述懐している。
『風の王子たち』(ボードウイ作 安東次男訳 寺島竜一絵)
「あなたがこの本を読んでグライダーに乗りたいと思ったら、あきらめてはいけません。今の日本でならチャンスを見つけることができます。もちろん、はじめからひとりでは翔べません。ふたり乗りの機体に乗せてもらうのです。ぼくは近眼で、しかも机にかじりつく仕事を選んだので操縦はあきらめましたが、何度か乗せてもらいました。今は、たとえあなたが近眼で眼鏡をかけていても大丈夫です。ひとりで翔べるようになったら、きっと本当の素晴らしさが判るのだと思います」
(『岩波少年文庫の50冊 選・宮崎駿』)
『日本昭和航空史 日本のグライダー 1930~1945』(川上裕之著)という本を、『君たちはどう生きるか』制作の参考資料に使用していたと思われる。アニメーター山森英司の「レシプロ機はいいなぁ……」という嘆きと合わせて考えると、エンジンとプロペラが付いてない(レシプロ機ではない)「グライダー」が、山森英司の作画で『君たちはどう生きるか』作中に登場する可能性は高いと思う。映像制作の後半時期の「嘆き」であるから、該当するのは映画後半の場面ではないだろうか。
『君たちはどう生きるか』の主人公は、『風立ちぬ』主人公の堀越二郎、そして監督の宮崎駿と同じく、飛行機好きな少年なのかもしれない。グライダーは競技スポーツの一種として戦前にすでに普及していて、昭和12年から少し後になるが、日本全国の中学校にグライダーが配布されるということもあったそうだから、主人公の少年がグライダーに触れる機会も作れそうだ。
『君たちはどう生きるか』「美術」を担当している吉田昇が、雪に覆われた山を描いていた。この大パノラマの背景をバックに、主人公の少年が乗ったグライダーやサギ男が滑空するのかもしれない。
「山本有三原作の「眞実一路」(1954年)ですけれど、僕はこの映画を最近見直して無茶苦茶面白かったんです。今、宮崎駿と「君たちはどう生きるか」という映画を作っていて、内容的に少し関係あると思って見直したんです。少年がどう生きていくかの話ですからね。主人公の少年は生まれてからずっと、母親は死んだと聞かされてきた。でも実は生きていて、これを淡島千景が演じているんです」
(『キネマ旬報 2018年11月下旬号』鈴木敏夫「新・映画道楽」)
絵コンテDパートを宮崎駿が描いていた頃の鈴木敏夫の発言であるが、「亡くなった」とされている『君たちはどう生きるか』主人公の少年の「母親」が、実は「生きている」可能性があるかもしれない。『千と千尋の神隠し』の冒険の終わりには、千尋のもとに両親が戻ってきた。『君たちはどう生きるか』の少年のもとにも、母親が戻ってくるのだろうか。
「宮崎駿の自伝」という視点から考察すると、宮崎駿の母親「宮崎美子」は、闘病の末に「起き上がって家の中を歩くようになる」まで回復した。だから、『君たちはどう生きるか』が「宮崎駿の個人史」を辿るのだとすれば、「母親が戻ってくる」ことはありえない話ではない。でも、そのとき駿少年はもう高校生に「成長」していた。これも映画に反映されている可能性はある。
(左)『ハウルの動く城』魔法で怪物に変身した人間。(右)『風立ちぬ』二郎の夢に現れた「幻想のツェッペリン」爆弾虫に搭乗しているヒトガタ。
『風立ちぬ』で「戦争の問題が中途半端に終わって片付かなかった」ことが、「宮崎駿の引退が失敗した」原因の1つであるという。『君たちはどう生きるか』は「日中戦争初期の戦時下の日本を舞台にした少年の物語」と予想しているが、戦争の暴力描写がどれほどあるかはわからない。『もののけ姫』のような人間と人間が殺し合うハードな描写は、少年が主人公であるし、リミッターを解除して描くとはちょっと考えにくいが、「戦争によって怪物になってしまった人間」が描かれる可能性は考えられる。『風立ちぬ』で「時空を超える」裏技を「二郎とカプローニの夢のシーン」で宮崎駿は使ったが、『君たちはどう生きるか』でも使えばもしかしたら、少年が戦地にいなくても「戦争」が向こうからやってくるかもしれない。
「戦地」に行かなかった宮崎駿の父親「宮崎勝次」は、軍用機の部品を作る工場を家族経営して戦時中は経済的に潤っていた。そのような親たちに養われたことを宮崎駿は、「間違いの産物」と「自己否定」して、「戦争を否定する本」や「戦争の惨憺たる写真」ばかり読み漁っていた。「戦争責任」について、思春期に宮崎駿は父親と口論した。「戦争をしたのは軍部であり自分ではない、スターリンも日本人民に罪はないと言った」。そして、母親の持論は「人間は仕方がないものなんだ」だった。『君たちはどう生きるか』で宮崎駿は両親とどのように向き合うのだろうか。
「僕はここにいてもいいんだ!」と宮崎駿が叫び出す、『君たちはどう生きるか』が宮崎駿にとっての「エヴァンゲリオン」のような作品だったら、碇シンジの側に付き添っていた「渚カヲル」や「綾波レイ」に「父と母の性質」が投影されたように、宮崎駿の「父と母の性質」が「サギ男」や「ひびこ」に投影されているのではないかと想像する。
『君たちはどう生きるか』制作最初期に「宮崎駿は孫のために作っている」と鈴木敏夫は言っていた。だから、映画の対象は「小学校高学年~中学生の少年」であると思われる。『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』(2011年発売)「3月11日のあとに 子どもたちの隣から」の章で、宮崎駿は「今ファンタジーを僕らはつくれません」と言って、『風立ちぬ』(2013年公開)を作った。それから10年、『君たちはどう生きるか』が、「おそろしく轟轟と吹きぬける」「死をはらみ、毒を含む」「人生をを根こそぎにしようという」「風が吹いている時代」に生きる子どもたちが「ほんとうに観てよかった」と思える「強靭なファンタジー」であることを願っている。
(記.2023年7月10日)
https://note.com/watanabeyumiko/n/ne51db998f19b
『君たちはどう生きるか』【ネタバレ感想】宮崎監督は「自分の人生の扉を離すな」と言った。
メタファーがすぎる!ww そんな映画に見えました。
『ラピュタ』も『トトロ』も『カリ城』も、ジブリ作品のモチーフがてんこ盛り。
キリコさんの船の足こぎ(カッコいい!)には、『もののけ姫』のタタラ場の足踏みを、サギ鳥が渾身の力で飛ぶ「ビィィン」と鳴くような羽ばたきからは『ラピュタ』で海賊兄弟が乗るフラップターを感じました。
まだ1回しか見ていないのですが、その時点での感想を書きます。
眞人くんは宮崎駿監督の心の中にいる少年。
直近の記事には「自分の理想だけではなく己の悪い面まで反映した」とありました。
眞人くんを煽り、だまし、違う世界(ジブリの城)に連れて行くのはアオサギ。私は「サギ鳥」と呼んでいますのでここではサギ鳥と書きます。
このいい"詐欺師"ぶりはきっとプロデューサーの鈴木敏夫さん!
……と思ったら、本当にそうだったというのもニュース記事から知りました。
■『アニメージュ』にいた私から見た鈴木敏夫さん
私は90年代『アニメージュ』編集部に入り、ライターとして育ててもらいました。80年代に鈴木敏夫さんが編集長を務めて『ナウシカ』を立ち上げた場所です。
90年代初め、鈴木敏夫さんが編集長を辞めてジブリに行かれたばかりの時、入れ替わりのように私は編集部に入ったのでした。
そんな新人ライター時代、編集部の黒電話が鳴って私が取ったら、
電話口から「おう、俺だ」と声がします。
ドスの効いた、でもちょっと愛嬌も感じるような男性の声です。
「ど、どなたですか……」
「…鈴木だぁーー!!!」
びっくり、びっくりです!電話で名乗らず名前をわかれというのです。
どうしようどうしようとパニックになっていると、別の編集さんがすぐに電話を代わってくれました。
「おう、俺だ」という肩で風切るような言い回し。
それは、のちに私の声優記事の担当編集になる古林英明さんとそっくりの言い方でした。
古林さんは、宮崎駿さんのマンガ『風の谷のナウシカ』担当を鈴木さんから引き継いだ編集さんです。
古林さんは「俺が『ナウシカ』を引き継いでやっている方法は、鈴木さんのまねをしているだけだから」と言うことがありましたが、その言い回しも鈴木さんから受け継いだものだったのかもしれません。
■世界の美しい調和を保つ城=ジブリ
今回の『君たちはどう生きるか』には、宮崎監督の人生が入っていると感じました。
城はスタジオジブリ。レンガ造りの塔と窓の形。私が三鷹ジブリ美術館のムック作りで取材した時に見た、動画机周りに貼られていたイメージボードと似ているような(うろ覚え)。
登場人物の多くは、宮崎さんがこれまでに知り合った人々。
「サギ鳥」は鈴木敏夫さん、
静寂な城の中で「世界の調和を保つ」賢者となった大叔父は、高畑勲さんにも重なりました。
美しい調和の世界を保っていたのはぐらぐらのつみ木。「明日までしか持たない」不安定な状態で世界は存在していると提示されます。
眞人くんは、積み木を積み続ける役を託されることを断ります。「外に出るよ」と。
ふたつの意味を受け取りました。
この平和な世界の外に出れば、火の海と戦争が待っている――現実にある戦争、人が争う世界は、私たちが生きる世界そのものでもある。
眞人が外に出る選択することで、観客である私たちに「君たちはどう生きるか」を問うているのです。
そういう意味では、世界に送り出す大叔父賢者は宮崎監督とも重なります。
もう一つは、「争いを起こす人の醜さは無くならない」という提示です。
「人が持つ醜さを受け入れる」こと。それがこの作品と、宮崎監督自身のテーマであるとも思っています。
私は宮崎作品でモヤモヤしていることがありました。『千と千尋』では千尋の両親が"人の醜さ"を象徴する人物として描かれましたが、宮崎監督は子どもに理想像を託しすぎでは? 醜さを大人と子どもで分けているのがいやだな、とか。
私は「現実社会は醜いところもある。人にも醜さもある。その社会の中でどう生きるか」のほうに関心がいきます。だから宮崎作品が登場人物に「理想像」と「醜さ」を分けて対比させる手法や思想にちょっと抵抗があったのです(これは評論ではなく私自身の感想文なので好きに書きますね)。
だから眞人くんが外に出るのは「勇敢な少年という理想像だから」ではなく、
鳥の皮を被った人を騙す鳥人間、サギ鳥とも手を取り「友達」になり、「共に助け合うことで外の世界で生きていこう」とすることが、私にとってすごくすごく嬉しかったのです。
■自分の人生を進めという「君たち」へのメッセージ
崩れていく城。眞人が宮崎さん自身だとすれば、美しい調和の世界を作ってきた"自分のジブリ"は自分の代で終わらせる、という意思表示に見えます。
美しい世界を終わらせる時、大叔父賢者と眞人はふたりで崩壊していく世界を見届けます。
そして大叔父は外で生きることを選んだ少年に自分の思いを託します。
大叔父と眞人、ふたりが並んで立っているシーンでは、宮崎さんの「心の中の少年」と、若者に託していく「今の自分」の投影になっています。
登場人物がそれぞれの自分の時代の扉を開けるシーン。
火の海になること、戦争が続くことを知らされても、美しい世界から「外へ出る」選択をする。眞人くんのお母さんになる少女・ヒミも同じで、皆が自分の運命を引き受ける。
ここは理想ですが、自分がいる社会を引き受ける選択をするというメッセージは良かったと思いました。
ここで宮崎監督は、
自分の世界とあなたの世界は違う、それぞれの人生を「自分で生きるんだよ」と言っている。
これは観客にも向けたメッセージだと思います。
それぞれの人に人生があって、おばあちゃんたちは、ジブリを支えてくれた女性スタッフだったかもしれないと思います。キリコさんは宮崎監督の盟友・色彩設計の保田道世さんなのだろうなと。
■罪悪感に向き合い、吐露することで心の荷物をおろす
眞人は、宮崎監督が「自分の心にある悪い面」を投影したもの。悪い心と向き合い、そこ決着をつける存在でもあります。
ナツコさんに対して最初、意固地で頑なな態度を取るけれども、自分からナツコさんを探しに行き、母さんとして認めることができた。
眞人の頭の傷は、同級生たちとのケンカの後、自分でつけたもの。それをちゃんと告白できた。
頭に付けた傷は宮崎監督が抱えてきた「罪悪感」です。宮崎監督の生い立ちの談話を読むと、少年時代は戦時中でも実家が裕福で、それに負い目があったと語られています。
自分が抱えていた「罪悪感」。それを眞人に「傷」という形で象徴させて、眞人に「自分でつけた傷だ!」ときちんと告白させたことが宮崎監督にとって心の荷物を下ろせたということかなと思います。
これで前に進めるぞ、というよりも、ようやく荷物を下ろせたというほうが80歳になった監督の気持ちに近いかもしれません。
■みんな逃げて、飛び立ち、それぞれの人生を生きろ
ラスト、ジブリの城は崩壊しますが、鳥たちもみんな逃げ出せるんですよね。「人を食う」鳥たちはジブリに紐付くお金周りの人々(宮崎監督にとってはそう見える)。彼らももちゃんと逃げていたり。
それからスタッフさんたちも鳥に仮託されているのかなと。なんたって翼があって、空に飛び立てるんです。鳥たちが崩れる城から逃げるシーンも、"自分のジブリ"が終わっても彼ら彼女らが巻き込まれないようにしたいという宮崎監督の願いが込められている気がします。
あと、眞人たちを追い続ける鳥の隊長は宮崎吾朗さんではないかなと思っています。
ジブリの城は美しい世界をたくさん作ってきました。
作っておきながら、それを自分の代で崩そうというのが良いですね。
そして友達になったサギ鳥が、鳥人間からまた鳥の皮を被り直してしゃあしゃあとしているのもさらに良い。
理想と現実の清濁を併せのむサギ鳥・鈴木敏夫さんが、またサギ(ジブリブランドでマネタイズ)を始めてもそれはそれでまた良し、友達の生き方だからと認めているのも良いですね。
自分の人生の扉を離すな! 友達を作れ(できれば自分と正反対なタイプと)というメッセージ、しっかり受けとめましたよ!
ジブリ鈴木敏夫さんが見据える、メディアの本質と未来像 | marie claire [マリ・クレール] - Page 2
■宮崎監督の熱意に負けて制作を決定
高橋 現在、制作を進められている映画について少しお伺いしたいのですが、宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の原作とは違うそうですね。
鈴木 『君たちはどう生きるか』は1937年に出された本です。今回の映画は、主人公が亡くなったお母さんの本を整理していて、この本の表紙をめくったときにお母さんからの手紙を見つけ、そこから物語が始まります。
高橋 非常に楽しみです。引退宣言はされましたが、宮崎駿監督はつくりたい気持ちがあったのでしょうね。
鈴木 ただ、大人げないというか、もう一度映画をつくりたいというときに僕に言ってくるのです。宮崎駿監督が「みっともないのはわかっている」と。「わかっているけれど、もう1本」って。それで僕は「功成り名を遂げた映画監督が、もう1本って言ってつくった作品で、成功作は世界に1本もないです」と言ったのです。そうしたら「20分だけ書くからそれ見て。鈴木さんがだめって言うならやめるから」と。
高橋 では、それをご覧になって鈴木さんが「いける」と思ったわけですね。
鈴木 ある時、金曜日に20分できたと言って手渡されたのです。土曜日も日曜日も読む気がしなかったのですが、仕方がないから日曜日の夜に読んだのです。驚きました。面白いのです。でもこれからつくるとなったら大変ですから、あきらめさせようと思って「宮崎さんは面白いと思っているかもしれないけれど、世間が見たら面白くないよ」というウソを、次の日会社に行くまで一生懸命練習したのです。
高橋 そこまでしたのですか。それで実際には何とおっしゃったのですか。
鈴木 会社に着いたら入った瞬間に「鈴木さん、おはよう」って言って、いつも言ったこともないのに「コーヒー飲む?」って言って、僕の前に持ってきて丁寧に置いたんです。その顔を見たらしょうがないですよね。言っちゃたんです。「やりますか」って。そしたら笑顔になって。
■作品づくりの根底にある本と映画
高橋 今年は、「鈴木敏夫とジブリ展」が開催されました。驚いたのは、会場に若い人が圧倒的に多いことでした。
鈴木 入場者のデータではなんと85%が20代の女性でした。スタッフの間では、どうして鈴木敏夫の展示会に若い女性が押し寄せるのか、いまだに悩んでいるそうです。
高橋 「鈴木敏夫とジブリ展」で圧巻だったのは、映画と本について展示をなさっている中で、鈴木さんの蔵書8800冊がすべて展示されていたことです。
鈴木 あれは僕自身がやってみたかったことで、いつもは5か所くらいに分けて置いてある本を一つの部屋に並べたところを見てみたかったのです。ただ、子どものころから約70年間の本が置いてあるのを見て感じたのが「たったこれだけなのか、自分の人生は」ということでした。いろんなことをやってきたつもりだったので、人間のできることは限られているのだな、と。
高橋 あれだけの本が並んだのをご覧になっても、そんな思いがあったのですね。実はその中に僕の愛読書もありまして、日本では1960年代末に出されたフランスの映画評論家のアンドレ・バザンによる『映画とは何か』という本。今は文庫化されていますが、古書店で探し出すのに苦労した本なんです。
鈴木 アンドレ・バザンは、一言でいうとヌーヴェル・ヴァーグ(フランスから世界の映画界に新しい波)を創った人ですよね。僕は高校生くらいからヌーヴェル・ヴァーグの映画をたくさん見た世代だったので、アンドレ・バザンの本は非常に興味があり大学に入ってすぐ買ったのです。それからは繰り返し読んでいて、僕が映画について語る根っこの一つにこの本があります。
高橋 鈴木さんが雑誌『アニメージュ』の編集に携われていたときも、アンドレ・バザンが関わった『カイエ・デュ・シネマ』という映画雑誌を意識されたと。
鈴木 アンドレ・バザンという人は、自分が関わっていた雑誌にいろいろな人の企画やシナリオを掲載し、それが映画をつくるきっかけになっていて、ゴダールやトリュフォーもその雑誌のおかげで映画をつくる機会を得たのです。そうしたことから、アニメーション雑誌で映画がつくれたらいいなと思いました。
■宮崎監督の熱意に負けて制作を決定
高橋 現在、制作を進められている映画について少しお伺いしたいのですが、宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の原作とは違うそうですね。
鈴木 『君たちはどう生きるか』は1937年に出された本です。今回の映画は、主人公が亡くなったお母さんの本を整理していて、この本の表紙をめくったときにお母さんからの手紙を見つけ、そこから物語が始まります。
高橋 非常に楽しみです。引退宣言はされましたが、宮崎駿監督はつくりたい気持ちがあったのでしょうね。
鈴木 ただ、大人げないというか、もう一度映画をつくりたいというときに僕に言ってくるのです。宮崎駿監督が「みっともないのはわかっている」と。「わかっているけれど、もう1本」って。それで僕は「功成り名を遂げた映画監督が、もう1本って言ってつくった作品で、成功作は世界に1本もないです」と言ったのです。そうしたら「20分だけ書くからそれ見て。鈴木さんがだめって言うならやめるから」と。
高橋 では、それをご覧になって鈴木さんが「いける」と思ったわけですね。
鈴木 ある時、金曜日に20分できたと言って手渡されたのです。土曜日も日曜日も読む気がしなかったのですが、仕方がないから日曜日の夜に読んだのです。驚きました。面白いのです。でもこれからつくるとなったら大変ですから、あきらめさせようと思って「宮崎さんは面白いと思っているかもしれないけれど、世間が見たら面白くないよ」というウソを、次の日会社に行くまで一生懸命練習したのです。
高橋 そこまでしたのですか。それで実際には何とおっしゃったのですか。
鈴木 会社に着いたら入った瞬間に「鈴木さん、おはよう」って言って、いつも言ったこともないのに「コーヒー飲む?」って言って、僕の前に持ってきて丁寧に置いたんです。その顔を見たらしょうがないですよね。言っちゃたんです。「やりますか」って。そしたら笑顔になって。
■メディアの本質は真実を書くこと
高橋 今回のテーマである「メディアたちはどう生きるか」ということについてもお話を伺いたいのですが、鈴木さんのこの夏の鈴木さんの企画展で、過去の映画の新聞広告紙面をずらりと並べている展示があって、僕らのような新聞の人間はとても興味深く拝見しました。いま、SNSやデジタルメディアがさまざまに出ている中で、あえて新聞がメディアとして持つ役割というのを鈴木さんはどうお考えでしょうか。
鈴木 こういう時代でも僕はずっと新聞をとっていて、新聞を読むことをやめていない。それは何故だろうかとつらつら考えると、やはり全体を見ることができる一覧性が大きい。一つの紙面の中でスペースや見出しの大小で記事の扱いがわかりますし、たぶんこれからも僕は新聞を読むだろうと思っています。
高橋 それからいま書店がどんどん減っていて、ネットだと便利な反面、書店にあったような思わぬ本との出合いみたいなものがなくなっている気がします。これからはそうした思わぬものと出合う橋渡しの役割も、新聞にはあるのではないでしょうか。
鈴木 僕も新聞を読むときは必ず読書欄は見ており、本に関していまどんなことが起きているのかを知る役割も新聞にはあると思います。そうしたなかで、メディアの果たす一番の役割はやはり「本当のことを書く」ということだと思います。それができているメディアは信頼できますね。
高橋 おっしゃる通りです。新聞には本当のことを正しく伝えるという使命がありますし、これだけメディアが乱立している中で、物事の本質をどう捉えるかという役割も果たしていかなければなりません。
鈴木 僕は50年前に週刊誌の記者をしていましたが、同じ事件の記事を他の週刊誌も書いているので見てみると、かなりの頻度で内容が不正確でした。そうした経験もあり、メディアについてはどこが一番正しいことを書いているのかということを、常に意識しています。
高橋 我々も皆さんにそう思っていただけるよう、これからも正しい報道や広告をお伝えしていきたいと思います。本日はありがとうございました。
「君たちはどう生きるか」 | 川崎市の自閉症支援団体 認定NPO法人くるみ-来未
心に染み入る言葉がいくつも出てきますが、今日は「人間の結びつきについて」の文章を抜粋してご紹介します。
~~~~~~~~~~
人間は、人間同士、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同士の争いが、いまだに絶えないんだ。
裁判所では、お金のために訴訟の起こされない日は一日もないし、国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争をしても争うことになる。
だが、コペル君、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。
人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。
たとえ「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ちたてていくのが本当だ。
――もちろん、こういったからといって、何も、いますぐ君にどうしろ、こうしろというわけではない。
ただ、君が大人になってゆくとともに、こういうことも、まじめに心がけてもらいたいものだとおもっていうんだ。これは、人類が今まで進歩してきて、まだ解決のできないでいる問題の一つなんだから。
では、本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。
――君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね。
君のためにつくしているということが、そのままお母さんの喜びだ。
君にしても、仲のいい友達に何かしてあげられれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。
人間が人間同士、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。
そして、それが本当に人間らしい人間関係だと、――コペル君、君はそうおもわないかしら。
http://kuruminaoto.org/2018/02/18/526/
「君たちはどう生きるか」
最近、本を読むようになりました。
もともと本は大好きなのですが、子育て&NPO活動&仕事も忙しくなってバタバタしている中で、ほとんど読む時間が取れなくなっていました(反省)。一応会社員なんで、土曜日には日経新聞くらいは読んでいましたが…(ちなみに日経プラスワンが大好き)
それが、年末あたりからすでに10冊以上の本を読んでます。
そして、印象に残ったことをノートに書き綴っています。
本を読む中で、色んな本の紹介がされており、その本も読むとまたさらに…という流れに。
そして、出逢ってしまったのが、この本。
この本が書かれたのは、80年前のこと。
第二次世界大戦前で、厳しい言論統制が敷かれていた中、書かれたものです。
現代にも通じる内容ばかりで、引き込まれてあっという間に読み切ってしまいました。
ですが、何度も何度も読み返したくなる本で、一つ一つのメッセージがとても深いです。
コペル君のおじさんの、コペル君や子供たちへの一貫した深い愛情が感じられて、泣けてきそうになりました。
内容は、今を生きる子供たちへのメッセージ。
社会の、そして人間のありようを示した上で、それを否定するのではなく
「コペル君、君はどう生きるべきか?」を問いかけるような場面がたくさん出てきます。
それがまったく押しつけがましくなく、読んでいて気持ちがいいのです。
私は「コペル君のおじさん」のような大人になることを人生の目標にしたい。とまで思いました。
くるみー来未の活動でも、「こういうことがやりたい!」と深く深く思い、スイッチが入りました。
来年度の事業活動として、さっそく準備しているところです。
心に染み入る言葉がいくつも出てきますが、今日は「人間の結びつきについて」の文章を抜粋してご紹介します。
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人間は、人間同士、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同士の争いが、いまだに絶えないんだ。
裁判所では、お金のために訴訟の起こされない日は一日もないし、国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争をしても争うことになる。
だが、コペル君、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。
人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。
たとえ「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ちたてていくのが本当だ。
――もちろん、こういったからといって、何も、いますぐ君にどうしろ、こうしろというわけではない。
ただ、君が大人になってゆくとともに、こういうことも、まじめに心がけてもらいたいものだとおもっていうんだ。これは、人類が今まで進歩してきて、まだ解決のできないでいる問題の一つなんだから。
では、本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。
――君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね。
君のためにつくしているということが、そのままお母さんの喜びだ。
君にしても、仲のいい友達に何かしてあげられれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。
人間が人間同士、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。
そして、それが本当に人間らしい人間関係だと、――コペル君、君はそうおもわないかしら。
~~~~~~~~~~
https://virtualgorillaplus.com/anime/how-do-you-live-explained/
ネタバレ解説&考察『君たちはどう生きるか』ラストの意味は? 宮﨑駿は何を伝えたかったのか
映画『君たちはどう生きるか』公開
スタジオジブリ最新作にして宮﨑駿監督の10年ぶりの新作となる『君たちはどう生きるか』が2023年7月14日(金) より劇場で公開された。本作について事前に公開された情報は最小限で、予告編やキャストの発表もないまま劇場公開の日を迎えている。
今回は、ついに公開された『君たちはどう生きるか』について、特にそのラストにおいてどんなメッセージが込められていたのかを解説および考察していきたい。なお、以下の内容は本編の結末に関する重大なネタバレを含むため、必ず劇場で本作を鑑賞してから読んでいただきたい。
ネタバレ注意
以下の内容は、映画『君たちはどう生きるか』の結末に関する重大なネタバレを含みます。
Contents
- 映画『君たちはどう生きるか』ラストをネタバレ解説&考察
- 『君たちはどう生きるか』の物語
- 産屋の意味
- 悪意と向き合うこと
- 大叔父は何を言っていたのか
- ラストの意味
- エンドロールの意味
映画『君たちはどう生きるか』ラストをネタバレ解説&考察
『君たちはどう生きるか』の物語
映画『君たちはどう生きるか』の舞台は、戦時中の1944年。東京大空襲で起きた火災で母を失った牧眞人(まひと)は、父と共に疎開(空襲に備えて他の地域に移ること)して東京を出る。そこで、父の子を妊娠した母の妹・夏子と共に新しい暮らしを始めることになるのだが、眞人は夏子のことを新しい母だと認めることができない。お手伝いのキリコとの会話でも「夏子おばさん」と距離を置いた呼び方を使っている。
そんな中、失踪した夏子を追って塔のある森へ入った眞人とキリコは、大叔父から支持を受けたアオサギの"案内"によって"下"の世界へ行くことになる。「母君が待っている」と告げるアオサギに夢中になっていた眞人が失踪した夏子を追うことにした動機は、本の山の中から吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937) を見つけ、それを読んだことだった。
¥1,067
『君たちはどう生きるか』には母から未来の眞人へというメッセージが書かれており、それは昭和12年秋(1937年)に書かれたものだった。1937年は『君たちはどう生きるか』が新潮社から刊行された年であり、日中戦争に突入した時期でもある。父が戦闘機工場を営んでおり戦争の恩恵を受けていた眞人は、社会と個人は繋がっていると考える社会科学を取り扱ったこの小説を読んで涙を流している。
小説『君たちはどう生きるか』では、主人公のコペルが友人たちとのエピソードと叔父からのノートの助言を通して世界を知っていく。一方、宮﨑駿監督の映画『君たちはどう生きるか』では、ファンタジー世界での冒険を通して世界の仕組みを概念として知っていく展開になっている。
若き日のキリコに助けられ、アオサギとも和解した眞人は大叔父が住む異世界で夏子を捜して旅を続ける。炎を操るヒミから与えられた食事を頬張るシーンや、『崖の上のポニョ』(2008) で米林宏昌が手がけた"海"を思わせる水の表現、『もののけ姫』(1997) や『千と千尋の神隠し』(2001) にも通じる躍動感ある"走り"のシーンなどは、ジブリらしい映像表現が盛りだくさん。『君たちはどう生きるか』では宮﨑駿監督は絵コンテしか手掛けていないとされており、確かな"継承"が見てとれる。
産屋の意味
インコたちから助けてくれたヒミと共に眞人は夏子の元に辿り着くが、そこは意思を持った「石」に囲まれた産屋(うぶや)だった。産屋というのはかつて出産時の血が"穢れ"とされて忌み嫌われていた頃に、産婦が人から離れて過ごすために用意されていた場所のことだ。出産が近づいた夏子は自ら、下の世界の産屋に入ってしまったのだ。夏子は、血を流して帰ってきた眞人の"不幸"が自らの"穢れ"のせいだと考えたのかもしれない。その背景には眞人が男性であり、一家の"長兄"であるという背景もあったのだろう。
だが、眞人の頭の怪我は自分でつけたものだった。それは、戦争の恩恵を受けて裕福な家庭で育った眞人が同級生たちとそりが合わず、取っ組み合いの喧嘩になった結果、「自分でこけた」と言い訳するためにつけた傷だ。そして、親に聞かれた時も、キリコに聞かれた時も自分でつけた傷だと言えず嘘をつき続けた悪意の印だった。
小説『君たちはどう生きるか』では、貧富の問題も扱われる。主人公のコペルもまた知識階級の家庭の子どもであり、自分と異なる立場にある人々に思いを巡らせる展開がある。小説を通して社会の構造が個人の行動や生き方にどんな影響を与えるのかということを学んだ眞人は、自らの悪意を受け止め、その悪意をきっかけに産屋に入らざるを得なくなった夏子に対する責任を感じたのではないだろうか。
眞人はそこで初めて夏子のことを「母さん」と呼び、夏子を母と認める。下の世界に来る前にはキリコに「夏子おばさん」と言っていたが、ここでは夏子を「夏子母さん」と呼ぶのだ。
悪意と向き合うこと
眞人は産屋に入るという禁忌を侵したことで、下の世界を治めるインコの大王に目をつけられ、捕えられたヒミは大王によって大叔父の元へ届けられる。「本を読みすぎておかしくなり、姿を消した」と言われていた眞人の大叔父は、空から降ってきた隕石を囲う塔を作り、石と契約して海のあるこの世界を作り出していた。
大叔父は、積み木でこの世界のバランスをとっていた。大叔父は石との契約によって血縁関係がある者にしかその仕事を継ぐことはできないといい、より良い世界を作るために眞人にその役割を継いでもらおうとしていた。キリコ、夏子と共に父の待つ現実に帰るのか、それとも世界のバランスを保つためにここに残るのか、眞人は選択を迫られることになる。
眞人は、一度は積み木を「墓と同じ石」「悪意がある」と拒否する。確かにそれ自体が自立して育っていく木とは異なり、積み木とはすでに切り取られた過去の積み重ねでしかない。ラストで再びヒミと共に大叔父の前に現れた眞人は、改めて大叔父との問答に臨むことになる。
大叔父は、今度は「悪意に染まっていない石」を差し出す。旅をして見つけた13個の石を3日に一つ積み上げろと言っており、単純計算で39日間かかることになる。悪意のない平和な世界を作るよう促す大叔父に対し、眞人は自らの頭の傷を指して、これが自分の悪意のしるしだと主張する。自分には悪意のない世界を築く資格はない、だから元の世界に帰ると言うのだ。
眞人は、傷について父に聞かれた時は一人でこけたと嘘をつき、キリコに聞かれた時には絆創膏が取れたと誤魔化していた。だが、この場面では初めてその傷が自分の悪意を示していると認めたのである。
そして、戦争が続く世界に戻っても、キリコやアオサギのような友達を見つけると言う眞人の姿勢は、友人を大切にすることを掲げた小説『君たちはどう生きるか』のメッセージに則ったものだ。小説版では「すべての人が友達であるような世界が来ないといけない」というメッセージが最後に掲げられる。
「世界は良くなっていく」という希望的な観測で締められた小説に対し、宮﨑駿監督は、世界に広がる、そして自分の中にある「悪意」から目を逸らさずに、それと向き合うことを求めているように感じられた。
大叔父は何を言っていたのか
では、大叔父がこだわっていた「積み木」と「世界」とは、何を意味していたのだろうか。これは恐らく、「創作活動」の比喩だったのではないだろうか。大叔父は現実の世界を離れて「創作」に閉じこもってしまったのだろう。積み木というのは、誰にでもできる原初的な創作活動であり、現実の世界が戦争へ向かっていく中で、大叔父は創作=フィクションの中で平和な世界を作ろうとしていたのではないだろうか。
創作を次の世代に継がせようとする老人としての大叔父には、宮﨑駿監督自身の姿が投影されているように思える。かつて、『紅の豚』(1992) では主人公ポルコに「飛べない豚はただの豚」と言わせたが、『君たちはどう生きるか』では、年老いたペリカンが「翼が折れた、もう飛べぬ」と言うシーンがあった。大叔父の自分の塔はもう支えきれないという言葉は、宮﨑駿監督の創作活動に対する率直な思いだろうか。
創作=フィクション=空想でこそ理想を描くべきだが、「これから」を生きる眞人は創作に使われる材料を墓石=過去の積み重ねだと言い、それよりも現実と向き合うと言う。大叔父が世界を巡って拾ってきてくれた綺麗な石を引き継ぐよりも、まずは自分の悪意を受け止めて、現実世界で友人を作ると言う。
その決断は、ジブリの制作部を解散して、本作にも参加している米林宏昌監督を中心としたスタジオポノックが新たに結成されたジブリ史にも通じるものがある。
空想よりも現実を、宮﨑駿監督はそんなメッセージを『君たちはどう生きるか』に込めたようにも思える。それでも、この世界を壊すのは、「石ころ」と言って創作を軽んじ、性急な態度で勝手に積み木を触ってそれを崩してしまった権力者、大王だった。
『君たちはどう生きるか』では、子どもの頃には見えた空想の世界が大人になると忘れてしまうという描写が繰り返し見られた。創作に執着する老人の大叔父と、空想の世界が見えながらも、成長するために外の世界に出ようとする子どもの眞人。二人は決して対立関係にあるのではなく、「君たちはどう生きるか」という問いと選択を実行していく関係にある。
ラストの意味
大叔父の世界が壊れゆく中、眞人は扉を通って元の世界へと戻る。だが、ヒミとキリコは別の扉から外の世界に出ること人ある。ヒミとキリコは過去の世界から来ていたため、眞人と共に1944年に帰るわけにはいかないのだ。そしてここで、ヒミはやはり眞人の母の若い頃の姿だったことが明確に示される。眞人の母は小さい頃に塔に入り、一年間もこの世界にいた。
キリコも同様に塔の中の世界で暮らしていた人物で、眞人が塔に入ろうとした時に塔の事情をよく知っていたのはそのためだった。また、1944年のキリコが下の世界に行ったときに姿を消したのは、昔のキリコと存在が被ってしまうからだろう。
眞人がアオサギ、夏子と共に外の世界に戻ると、アオサギは眞人に塔の中の記憶があることに驚く。眞人は若い頃のキリコからもらったキリコ人形のお守りと、丘で拾った"積み木の石"を持ち帰ったことで記憶が継続していたのである。それでも、アオサギはその記憶もいずれ忘れると言い切る。眞人の母もまた塔の中に消えた1年間の記憶はなくなっていたと言及されており、幼い眞人との出会いも記憶に残っていないのだろう。そして共に喧嘩をして冒険をしたアオサギは、眞人の最初の友人になったのだった。
日本の敗戦から2年が経ち、眞人の一家は東京へ戻ることになる。眞人は新しい時代を、戦後の日本を生きていくことになる。それでも、眞人は自分に影響を与えた小説、『君たちはどう生きるか』はカバンに入れている。眞人は完全に創作を否定したわけではない。創作に背中を押され、現実を受け止めてより良く生きることを選んだ。その影響を受けた作品と共に新しい世界に歩み出すのだ。
創作は現実を生きていくためのヒントを与えてくれるもの——このラストからそんなメッセージを読み取ることができる。そんな作中のメッセージと共に、宮﨑駿が創作を続け、このメッセージをファンタジーという形で届けていること自体が、創作の力を信じるという決意表明だったようにも思える。
エンドロールの意味
エンドロールで流れる『君たちはどう生きるか』の主題歌は米津玄師「地球儀」。「時に人を傷つけながら」「この道の行く先に誰かが待ってる」と、眞人が最後に至った答えに基づく歌詞が歌われている。
最後に「君たちはどう生きるか」と問いかけた小説『君たちはどう生きるか』の叔父さんとは違い、映画『君たちはどう生きるか』の大叔父は眞人に「どう生きるか」の答えを提示し、血縁主義の"引き継ぎ"をお膳立てした。だが、小説『君たちはどう生きるか』を読んでいた眞人は、自分で答えを出すことを選んだ。そんな"叔父と大叔父"の重要な違いが、エンディングで改めて示されたように思える。
また、エンドロールでは宮﨑駿の名前は最後に「原作・監督・脚本」として控えめに登場するだけだった。ジブリから独立してスタジオポノックを立ち上げた米林宏昌監督もスタッフに名を連ねていたが、制作の中心を新しい世代に託したことも、眞人に選択を託した作中の展開に重なるものがある。
この"ジブリ映画"を観た現代の子ども達はどのように生きていくことになるのか。願わくは、少しでもマシな世界で、多くの選択肢を持てるように、そして創作の力を信じられるように、大人の責任を果たしていきたい。『君たちはどう生きるか』は、そんな風に思わせてくれる作品だった。
映画『君たちはどう生きるか』は2023年7月14日(金) より全国の劇場で公開中。
久石譲が手がけた映画『君たちはどう生きるか』のサントラは8月9日発売で予約受付中。
米津玄師の主題歌「地球儀」は160頁の写真集が付いた初回版が7月26日(水)発売で予約受付中。
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』は岩波文庫から発売中。
吉野源三郎原作、羽賀翔一イラストの漫画『君たちはどう生きるか』はマガジンハウスから発売中。
『君たちはどう生きるか』の声優紹介はこちらから。
キリコについての考察はこちらの記事で。
『君たちはどう生きるか』の「鳥」についての考察はこちらから。
『君たちはどう生きるか』に登場した場所の解説&考察はこちらから。
『君たちはどう生きるか』のもう一つのメッセージについて論じたネタバレ感想はこちらの記事で。
『風の谷のナウシカ』の声優キャストまとめはこちらから。
『となりのトトロ』の声優キャストはこちらの記事から。
『天空の城ラピュタ』の声優キャストはこちらから。
『借りぐらしのアリエッティの声優キャストはこちらの記事から。
「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと
「私自身、訳が分からない」
「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」。
2023年2月下旬、東京都内のスタジオで上映された、「君たちはどう生きるか」の初号試写。米津玄師の歌うピアノバラードが流れ、エンドロールが終わった瞬間、灯りが点き、宮崎駿監督のコメントが読み上げられた。
客席から軽い笑い声が漏れた。私もその一人だった。あまりの展開の速さと、盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれず、茫然と座り込んでいたが、その言葉で我に返った。
これは「宮崎アニメ」の集大成なのか、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の再解釈なのか。とにかく、1回見ただけではとても全容を把握できなかった。
「自分のことをやるしかない」
今回の作品は、公開前のプロモーションも、メディア関係者向けの試写も一切ないまま公開日を迎えた。異例の態勢の中、内容は無論、見たことすら口外無用のキャスト・スタッフ向け試写に、なぜ私と両親が呼ばれたのかといえば、父が『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の長男で、私が孫にあたるからだ。
その5年ほど前の2017年11月、父と私は東京・小金井のスタジオジブリに招かれ、宮崎監督と対面していた。さらにさかのぼること半月ほど前、とあるイベントで宮崎監督が突然、次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」だと明らかにし、ニュースなどで話題になっていた。親族としては寝耳に水だったのでかなり驚いたのだが、宮崎監督は「うっかり喋ってしまいました」と詫びた上で、作品について語り始めた。
小学生のとき、教科書に載っていた『君たちはどう生きるか』の冒頭部分に強い印象を受けたという宮崎監督は、年季の入った同書をスタジオに持参していた。若い制作スタッフにも読むよう勧めたところ「この本はまだ生きているね」と好評だったといい、作品のタイトルを決める段になって、一人が「『君たちはどう生きるか』がいい」と提案したのだという。制作は当時まだ始まったばかりだったが、映画の序盤とラストシーンにこの本が登場することも、宮崎監督は既に決めていた。
宮崎監督によれば、引退宣言を撤回して臨んだ今回の作品は「ずっと自分が避けてきたこと、自分のことをやるしかない」という思いだったそうだ。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」
監督の自叙伝か 『君たちは~』の再解釈か
そんな話を聞いた上で映画を見ると、今作の主人公の牧眞人(まき・まひと)少年は、宮崎監督の少年時代をモデルにしたのだと理解が行く。
時は太平洋戦争中の1944年、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場とともに、一家は郊外へ疎開する。出迎えたのは父の再婚相手となった母の妹。お腹に新たな命が宿っている新しい母を、眞人は受け入れられず、転校先でも孤立する。そんなある日、疎開先の屋敷で眞人は偶然、1冊の本を見つける。
屋敷の庭の森には、廃屋となった洋館が建っている。眞人の母の「大おじ」にあたる伝説の人物が建てたという。やがて眞人の前に「母君があなたの助けを待っている。死んでなんかいませんよ」と人間の言葉を喋る青サギが現れ、導かれるように、眞人は洋館の中へと進んでいく――。
ここから先は「宮崎アニメの集大成」のような不思議ワールドの冒険が描かれるのだが、少年の成長というテーマが共通するからか、宮崎監督が吉野作『君たちはどう生きるか』を再解釈したのではないかと思わせる場面も登場する。
『君たちは~』の主人公「コペル君」こと本田潤一少年は父親を亡くしており、親代わりでもある「叔父さん」との会話や交換ノートを通じて成長していく。映画の中で交わされる眞人と大おじの対話は、コペル君と叔父さんの対話を思い起こさせる。大おじが眞人に伝える「お前の手で争いのない世を作れ」という言葉は、戦中生まれの宮崎監督が次世代に託すストレートなメッセージだろう。
そういえば中盤に登場する「ワラワラ」というキャラクターは、宮崎監督が小学校時代に読んだ『君たちは~』の冒頭部分に登場する、銀座のデパートの屋上からコペル君が眺めた群衆にも見える。ではあの場面は、この場面は……次々と出現する謎めいた仕掛けに、まったく分析が追いつかないまま、2時間4分はあっという間に過ぎる。
祖父・吉野源三郎と私
試写からの帰り道、ふと思った。眞人少年が、遥か世代の離れた大おじと対話したように、私も今、祖父と直接対話できたら、どんな言葉を交わすだろうか。
私が小学校に入る前、祖父は2軒隣に住んでいて、訪ねて行くと絵本を読んでくれたり、似顔絵を描いてくれたりと、孫の私をかわいがってくれた。既に80近い高齢で、およそ3回に1回は床に伏せっていて「今日は具合が悪いからごめんね」と追い返されたが、やがて入退院を繰り返すようになり、近づくこともできなくなった。肺や喉の疾患が悪化し、最期は話すこともできなくなった祖父は、私が小学校2年のとき、82歳で死去した。
祖父は戦前、陸軍を除隊後に治安維持法違反に問われて投獄され、軍法会議にかけられたが九死に一生を得た。釈放後に作家・山本有三の少年少女向け書籍編集を手伝う中で執筆した1冊が『君たちはどう生きるか』だった。戦後は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長などを務め、父には「反骨の背筋は伸びているか」「謙虚に堂々と」など、言論人の心構えを折に触れて説いていたというが、もちろん私は祖父から壮絶な半生を聞いたり、薫陶を受けたりしたことはない。
祖父の死後も『君たちは~』は岩波文庫に収録され、多くの人に読み継がれてきた。誇らしくもありつつ「偉大なお爺さまをお持ちで」などと言われるのがやや重荷でもあり、積極的には明かしてこなかったが、新聞記者やウェブ編集者になってから時折、祖父の残した他の著作を読み返すようになった。『職業としての編集者』(岩波新書)に収録された、戦前戦後の混乱を経て「世界」を創刊した回想録などは、親族が登場することもあって他人事とは読めず、時代が変わっても守るべき価値や教訓があることを教えてくれる。著作を読むという限定的な形ながら、これも祖父と交わす一種の対話なのかもしれない。
『君たちは~』は2017年に漫画化され、21世紀らしい出で立ちで再び現れた。そして約6年の制作期間を経て、別作品とはいえ、宮崎駿監督の同名の映画が公開された。この間の出来事は「やさしいおじいちゃん」しか覚えていない孫に、祖父が思いがけない贈り物を届けてくれたようでもある。どこかでずっと、孫の私を見守ってくれているのではないか。そして何かを問い続けているのではないか。眞人を見守る「大おじ」のように。将来の息子に1冊の本を託した眞人の母のように。
その問いかけにどう答えるか。つまり私は、どう生きるか。とりあえず、一度見ただけでは回収できなかった伏線を探しに、もう一度、劇場に足を運ぶことにしよう。祖父との新たな「対話」の糸口が見つかるかもしれない。
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