2023年7月31日月曜日

蘇我氏はスキタイ? | 日本語を活かした情報処處理入門

蘇我氏はスキタイ? | 日本語を活かした情報処處理入門

蘇我氏はスキタイ?

栗本慎一郎は著書『シリウスの都、飛鳥』で蘇我氏がスキタイ系である、といふ假説を提唱した。僕も栗本氏とは違ふ理由で、その假説を支持する。


栗本氏の假説と其の根據については、直接氏の著作を讀む事を御奬めする。この賦錄では、氏の指摘してゐない根據についてのみ御報告する。


渡辺豊和氏の『扶桑國王蘇我一族の眞實』では、蘇我氏が秦氏や安倍氏とともに東日本にやつて來た、といふ假説を提唱してゐる(これについても深くは述べない)。注目すべきは、これら氏族の役割分擔だ。


渡辺氏は、蘇我氏が政治、秦氏は産業・經濟、安倍氏は軍事を擔當してゐたといふ。これは以前に紹介したスキタイ社會の三層構造そのものではないか。


スキタイ社會は祭祀階級と軍人階級、庶民階級の三層構造からなり、それぞれの階級を代表する三種の神器を持つてゐた。これについては『日本の神話』といふ講談社學術文庫の本に詳しい。


日本では政治は祭事だから、蘇我氏を祭祀階級と見做すと此の三氏族はぴつたりスキタイの三層構造と一致するではないか。


要するに、インドのカーストを生んだアーリア系の種族も、支那の周王朝も、日本の蘇我氏もスキタイ系なのである。


インドに侵入したスキタイはバラモン(祭祀階級)、クシャトリヤ(軍人階級)、バイシャ(庶民階級)の三階層で構成され、先住民族のドラビダ人を奴隸(スードラ)とする事でカースト制度が生まれた。


周王朝は商(殷)王朝を滅ぼしたあと三つの都市を建設して支那を支配しようとした。白川静氏の指摘によると、此の三都の役割は宗教・祭祀と軍事、行政である。


スキタイ文化が周王朝を作つたといふ僕の主張に、或いは疑問を持たれる方がゐられるかも知れない。スキタイは前八世紀に歴史に登場し、周王朝は前十一世紀に成立してゐるからだ。


だが前八世紀といふのは、スキタイが希臘人に意識されるやうになつた年代だ。亞細亞にはそれに先行するスキト・シベリヤ文明といふのが七千年前から存在してゐる。


だから周族がスキタイ系の遊牧民族(西戎)と考へるのは、年代的には全然問題が無いのである。因にスキタイは他稱で、彼等自身はアスカとかアサカと自稱してゐた。


要するに歐羅亞細亞(東洋)の大文明は皆、スキト・シベリヤ文明を起源としてゐるのである。メソボタミア文明のスメル(シュメール)族も勿論、スキタイ系である。


此處らへんの流れは栗本氏も指摘してゐるのだが、スキタイ社會の三層構造を根據にした説明は多分、僕が最初の筈である。

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