2023年7月16日日曜日

「韓非子」説林上【完成版・一気読み】|韓非子を読む

「韓非子」説林上【完成版・一気読み】|韓非子を読む
20230716どうする家康で引用
19)
【原文】 
魯穆公使衆公子或宦於晉。或宦於荊。犁鉏曰。假人於越而救溺子。越人雖善遊。子必不生矣。失火而取水於海。海水雖多。火必不滅矣。遠水不救近火也。今晉與荊雖強。而齊近。魯患其不救乎。
 
【書き下し文】
魯 穆公(※1) 衆公子をして或は晋に宦(※2)し、或は荊に宦せしむ。
犁鉏(りしょ)(※3)曰く、人を越に仮(か)りて溺子を救ふ。越人 善く遊(およ)ぐ(※4)と雖も、子は必ず生きじ。火を失ひて水を海に取る。海水多しと雖も、火必ず滅せじ。遠水は近火を救はざればなり。今 晋と荊と強しと雖も、而れども斉近し。魯 患(おそらく)(※5)は其れ救はれざらんか、と。
 
【現代語訳】
魯の穆公は自分の公子たちをあるいは晋に、あるいは楚に仕えさせた。
犁鉏は言った。「人を越から借りてきて溺れている子を救おうとするのでは、越の人の泳ぎが達者だといえども、子は救えないでしょう。火事になったのに海から水を取ってくるようでは、海に水が多いといえども、火を消すことはできないでしょう。遠水は近火を救わないのです。今、晋と楚が強国だといえども、魯の敵である斉は近いのです。魯は恐らく救われないでしょう」と。
 
【注釈】
※1 穆公は元公の子。名は顕。孔子の孫の子思などを用いた。
※2 宦は仕えさせること。友好のための側面に加え、人質としての側面もある。
※3 犁鉏は斉の人とする説。犁彌とも。最初、斉の景公に仕え、その後、魯に仕えたか。内儲説の「黎且 仲尼を去る」この人のことだとされる。
※4 遊は游(およ)ぐに通ず。越の人は游ぐのが上手かった。
※5 患は恐の誤りであるとする説も。
https://note.com/kanpishi_maniacs/n/n92f155294df8

「韓非子」説林上【完成版・一気読み】

見出し画像

「韓非子」説林 上
※ 説林(せつりん)とは、林の中に木々がたくさん生い茂るように、説話を集めたもの、という意味。
 
1)
【原文】
湯以伐桀。而恐天下言己爲貪也。因乃讓天下於務光。而恐務光之受之也。乃使人說務光曰。湯殺君。而欲傳惡聲于子。故讓天下於子。務光因自投於河。
 
【書き下し文】
湯以(すで)(※1)に桀を伐つ。
而して天下の己を言ひて貪と為(な)さんを恐る。
因(よ)りて乃ち天下を務光(※2)に譲らんとす。
而して務光の之を受けんを恐る。
乃ち人をして務光に説(と)かしめて曰く、湯 君を殺す。而して悪声を子に伝えんと欲す。故に天下を子に譲らんとす、と。
務光因(よ)りて(※3)自ら河に投ず。
 
【現代語訳】
殷の湯王は夏の桀王を滅ぼした。
そして世界中から自分を貪欲だと言われることを恐れた。
そこで天下を務光に譲ろうとしたが、実際は、本当に務光にそれを受けられては困ると思っていた。
そこで人を務光に遣わして説かせた。
「湯王は主君であった桀王を殺しました。そこで湯王は、その主君殺しの悪評をあなたに押し付けようとしています。だから天下を譲ると言っているのです」と。
務光はそれを聞いて自分から黄河に身を投げた。
 
【注釈】
※1 以は己。
※2 務光は当時の賢人。
※3 ここに「抱石」(石を抱えて)の二字が有る諸本も。
 
 
2) 
【原文】
秦武王令甘茂擇所欲爲於僕與行事。孟卯曰。公不如爲僕。公所長者使也。公雖爲僕。王猶使之於公也。公佩僕璽而爲行事。是兼官也。
 
【書き下し文】
秦武王(※1)、甘茂をして為さんと欲する所を僕(※2)と行事(※3)とに択ばしむ。
孟卯(もうぼう)曰く、公、僕と為るに如かず。公の長ずる所は使なり。公、僕為りと雖も、王、猶ほ之をして公にせしめん。公、僕の璽(※4)を佩(お)びて行事を為す。是れ官を兼するなり、と。
 
【現代語訳】
秦の武王が甘茂に侍従と外交官とどちらをやりたいかを選ばせた。
孟卯は言った。「あなたは侍従になる方が良い。あなたは外交手腕に優れているから、侍従になっても、王はあなたに外交を任せるでしょう。あなたは侍従の印を提げ、外交官でもある。役職を兼任することができますよ」と。
 
【注釈】
※1 恵文王の子。
※2 僕は近臣。
※3 命令を受けて四方に使いすること。つまり外交。
※4 璽は璽印のこと。
 
 
3)
【原文】
子圉見孔子於商太宰。孔子出。子圉入請問客。太宰曰。吾已見孔子則視子。猶蚤虱之細者也。吾今見之於君。子圉恐孔子貴於君也。因謂太宰曰。已已見孔子。孔子亦將視之猶蚤虱也。太宰因弗復見也。
 
【書き下し文】
子圉(しぎょ)孔子を商(※1)の太宰(※2)に見(まみ)えしむ。孔子出づ。子圉入り客(※3)を請ひ問ふ。
太宰曰く、吾れ已に孔子を見て則ち子を視れば、猶ほ蚤虱(そうしつ)の細なる者のごとし。吾れ今之を君に見(まみ)えしめん、と。
子圉、孔子の君に貴ばれんことを恐る。因(よ)りて太宰に請(い)(※4)ひて曰く、已(きみ)(※5)已に孔子を見ば、孔子(※6) 亦た将(まさ)に之(※7)を視る 猶ほ蚤虱のごとくならんとす、と。
太宰因(よ)りて復(ま)た見えしめざりき。
 
【現代語訳】
子圉は孔子を宋の宰相に目通りさせた。孔子は退出した。子圉が入っていって、宰相に「孔子はどうでしたか」と尋ねた。
宰相が言うには「孔子に会ったあとで、そなたを見ると、そなたは蚤や虱のようにちっぽけに見える。私はすぐにでも孔子を主君に会わせよう」と。
子圉は孔子が主君に重用されることを恐れた。
そこで宰相にこう言った。「主君が孔子に会ったあとであなたにお会いになると、主君もあなたのことを蚤や虱のようにちっぽけに見えるのでしょうな」と。
そのため宰相は孔子を主君に会わせようとはしなかった。
 
【注釈】
※1 商は宋国のこと。
※2 太宰は官名。
※3 客とは孔子のこと。
※4 請は謂。
※5 已已は君已。
※6 孔子の二字無し。
※7 之は子として、太宰を指す。
 
 
4)
【原文】
魏惠王爲臼里之盟。將復立於天子。彭喜謂鄭君曰。君勿聽。大國惡有天子。小國利之。若君與大不聽。魏焉能與小立之。
 
【書き下し文】
魏恵王、臼里(きゅうり)(※1)の盟を為す。将(まさ)に天子を復立せんとす。
彭喜(※2)、鄭君(※3)に謂ひて曰く、君聴く勿れ。大国は天子有るを悪(にく)み、小国は之を利とす。若(も)し君、大と聴かずんば、魏焉(いづく)んぞ能(よ)く小と之を立てんや、と。
 
【現代語訳】
魏の恵王が臼里の地で会盟を開いて天子の復権をはかろうとした。
彭喜は鄭の君主に言った。「従ってはいけません。大国にとって天子の存在は邪魔ですが、小国にとっては利になります。もし主君が他の大国と一緒に従わなければ、魏は小国と組んで天子を立てたりできないでしょう」
 
【注釈】
※1 臼里は九里ともいう。
※2 彭喜は房喜とも。
※3 鄭は韓のこと。つまり鄭君は韓王。
 
【補足】
魏の恵王の時代は、有名な人物が多数登場します。当時の魏は最大の強国。魏の宰相はかの有名な公叔座。そして、その公叔座が推挙したのが公孫鞅(商鞅)です。公孫鞅が魏を去って仕えたのが秦の孝公。これにより秦は一気に強国へとのし上がります。
また、魏の恵王は「孟子」に登場する梁恵王その人です。その対話の中でも恵王が好戦的であったことが伺えます。
さらに、魏の将軍、龐涓もこの時代の人です。屈強な魏軍を率いるも、馬陵の戦いにおいて、名将・田忌と孫臏率いる斉軍に敗れます。「龐涓この樹下に死す」のエピソードはあまりにも有名ですね。
また、その頃、韓には、申不害もいました。
まさに群雄割拠、激動の時代ですね。 
 
 
5)
【原文】
晉人伐邢。齊桓公將救之。鮑叔曰。太蚤。邢不亡晉不敝。晉不敝齊不重。且夫持危之功。不如存亡之德大。君不如晚救之。以敝晉。齊實利。待邢亡而復存之。其名實美。桓公乃弗救。
 
【書き下し文】
晋人、邢(けい)(※1)を伐つ。斉桓公将(まさ)に之を救はんとす。
鮑叔曰く、太(はなは)だ蚤(はや)(※2)し。邢亡びずんば晋敝せず。晋敝せずんば斉重からず。且つ夫れ危きを持するの功は、亡を存するの徳の大なるに如かず。君晩(おそ)く之を救ひ、以て晋を敝し、斉 実に利し、邢亡ぶるを待ちて復た之を存す。其の名実の美なるに如かず、と。桓公乃ち救はず。
 
【現代語訳】
晋国が邢を攻めた。斉の桓公がそれを救おうとした。
すると鮑叔が言った。「まだ早すぎます。邢が滅びるまで戦わせなければ晋は疲弊しません。晋が疲弊しなければ斉の力は強くなりません。それに、危機を救ってやる功績より、滅んだ国を復興してやる方が、より評判が大きくなります。主君、救いに行くのはもっと遅くして晋を疲弊させ、斉に実利をもたらし、邢が滅びるのを待ってから復興させます。そうすれば斉の名声もまた高まるでしょう」と。
これを聞いた桓公は邢をすぐに救いに行くのをやめた。
 
【注釈】
※1 邢は姫姓の国。
※2 蚤は早に通ず。
 
 
6)
【原文】
子胥出走。邊候得之。子胥曰。上索我者。以我有美珠也。今我已亡之矣。我且曰子取吞之。候因釋之。
 
【書き下し文】
子胥 出で走る。辺候(※1)、之を得たり。
子胥曰く、上(※2)の我を索(もと)むるは、我が美珠有るを以てなり。今、我已に之を亡(うしな)へり。我且(まさ)に子取りて之を呑(の)めりと曰はんとす、と。
候、因(よ)りて之を釈(ゆる)せり。
 
【現代語訳】
伍子胥が楚から出奔した。いよいよ国境という時に、国境の見張り役に見つかった。
伍子胥は言った。お上が私を追っているのは、私が美しい宝玉を持っているからだ。しかし、今はもうその宝玉を無くしてしまった。私を捕らえるというなら、私はそなたが私の宝玉を奪って呑み込んでしまった、と言おう、と。
国境の見張り役はそれを聞いて伍子胥を見逃した。
 
【注釈】
※1 辺候は国境の見張り役。斥候。
※2 上は楚王を指す。
 
 
7)
【原文】
慶封爲亂於齊。而欲走越。其族人曰。晉近。奚不之晉。慶封曰。越遠。利以避難。族人曰。變是心也。居晉而可。不變是心也。雖遠越其可以安乎。
 
【書き下し文】
慶封(※1) 乱を斉に為す。而して越に走らんと欲す。
其の族人曰く、晋近し。奚ぞ晋に之(ゆ)かざる、と。
慶封曰く、越遠し。以て難を避くるに利(よろ)し、と。
族人曰く、是の心変ずるや、晋に居て可なり。是の心を変ぜざるや、越より遠しと雖も其れ以て安かる可けんや、と。
 
【現代語訳】
慶封は斉で反乱を起こし、越に亡命しようとした。
一族の者が言う。「晋の国の方が斉から近い。どうして晋に行かないのか」と。
慶封は言う。「越は遠い。だからこそ災難を避けるのには良いのだ」と。
一族の者は言う。「反乱を起こそうとするその心根を改めれば、晋に居ても問題ない。その心根を改めなければ、遠く越の国へ行ったとて穏やかには過ごせまい」と。
 
【注釈】
※1 慶封は斉の大夫。左伝によると、呉へ出奔したとされる。 
 
 
8)
【原文】
智伯索地於魏宣子。魏宣子弗予。任章曰。何故不予。宣子曰。無故請地。故弗予。任章曰。無故索地。鄰國必恐。彼重欲無厭。天下必懼。君予之地。智伯必驕而輕敵。鄰邦必懼而相親。以相親之兵。待輕敵之國。則智伯之命不長矣。周書曰。將欲敗之。必姑輔之。將欲取之。必姑予之。君不如予之以驕智伯。且君何釋以天下圖智氏。而獨以吾國爲智氏質乎。君曰。善。乃與之萬戶之邑。智伯大說。因索地於趙。弗與。因圍晉陽。韓魏反之外。趙氏應之內。智氏自亡。
 
【書き下し文】
智伯、地を魏宣子に索(もと)む。
魏宣子(※1)、予(あた)へず。任章(※2)曰く、何故に予へざる、と。
宣子曰く、故無くして地を請ふ。故に予へず、と。
任章曰く、故無くして地を索む。隣国必ず恐れん。彼、重欲厭(あ)く無し。天下必ず懼れん。君 之に地を予(あた)へば、智伯必ず驕りて敵を軽んじ、隣邦必ず懼れて相ひ親しまん。相ひ親しむの兵を以て、敵を軽んずるの国を待つ。則ち智伯の命 長からず。
周書(※3)に曰く、将(まさ)に之を敗らんと欲せば、必ず姑(しばら)く之を輔け、将(まさ)に之を取らんと欲せば、必ず姑(しばら)く之を予(あた)へよ、と。
君 之に予(あた)へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図ることを釈(す)てて、独り吾が国を以て智氏の質(※4)と為さんや、と。
君曰く、善し、と。乃ち之に万戸の邑を与(あた)ふ。
智伯、大いに説(よろこ)び、因(よ)りて地を趙に索(もと)む。与えず。因(よ)りて晋陽(※5)を囲む。韓魏之に外に反し、趙氏之に内に応ず。智氏自(よ)(※6)りて亡ぶ。
 
【現代語訳】
智伯は魏宣子に土地を譲るように要求した。
しかし魏宣子は与えなかった。任章は何故与えないのかと問うた。
魏宣子は言う。「理由もなく土地を要求してきたから与えないのだ」と。
任章は言う。「理由もないのに土地を要求すれば隣国はきっと恐れるでしょう。智伯が欲深く厭きることなくことごとく奪おうとすれば、天下はみな必ず恐れるでしょう。主君、土地をお与えなされば、智伯は必ず驕り、敵を軽視し、近隣の国々は恐れて親密に連合するでしょう。親密に連合した軍で敵を軽視している国に当たれば、智伯の命運は尽きたも同然です。
周書に「これを破ろうと思えば、まずはしばらくこれを助けよ。これを奪おうと思えば、まずはしばらくこれに与えよ」とあります。
主君、まずは智伯に土地を与えて驕らせるのがよいでしょう。主君はどうして天下の諸国と智伯を討つ相談をせずに、ひとり我が国だけが智伯の標的になろうとするのですか」と。
君主は「よし」と言い、智伯に一万戸の土地を与えた。
智伯はとても喜び、趙へも土地を要求した。しかし趙は与えない。そこで智伯は趙の晋陽を包囲した。韓と魏はその外側で寝返り、趙は内側から呼応し、智氏は滅んだ。
 
【注釈】
※1 宣子は桓子(戦国策)とも。
※2 任章は任增(説苑)とも任登(淮南子)とも。
※3 周書は蘇秦が読んだ「周書陰符」であろうという説(王應麟)がある。
※4 質は弓の的(椹)のこと。
※5 晋陽は趙の都。
※6 自は従に同じ。
 
 
9)
【原文】
秦康公築臺三年。荊人起兵。將欲以兵攻齊。任妄曰。饑召兵。疾召兵。勞召兵。亂召兵。君築臺三年。今荊人起兵。將攻齊。臣恐其攻齊爲聲。而以襲秦爲實也。不如備之。戍東邊。荊人輒行。
 
【書き下し文】
秦の康公(※1)、台を築く三年。
荊人 兵を起こし、将(まさ)に兵を以て斉を攻めんと欲す。
任妄(じんぼう)曰く、饑(き)は兵を召(まね)き、疾は兵を召(まね)き、労は兵を召(まね)き、乱は兵を召(まね)く。君 台を築く三年。今、荊人 兵を起こして、将(まさ)に斉を攻めんとす。臣 其の斉を攻むるを声と為して、秦を襲ふを以て実と為さんを恐るなり。之に備ふるに如かず、と。
東辺に戍(じゅ)す。荊人、行を輒(や)(※2)む。
 
【現代語訳】
秦の康公が楼台を築いて三年が過ぎた。その頃、楚が軍を起こし、斉を攻めようとした。
任妄が康公に言った。「餓えが兵を招き、病が兵を招き、労役が兵を招き、乱が兵を招きます。主君は楼台を築いて三年。今、楚は軍を起こして、斉を攻めようとしています。私は斉を攻めると公言しながら、実は秦を襲おうとしているのではと恐れています。防備を固めておくに越したことはありません」と。
そこで東の国境の防備を固めた。楚は進軍を取りやめた。
 
【注釈】
※1 康公は穆公の子。名は(罃(オウ))。
※2 輒は輟。
 
 
10)
【原文】
齊攻宋。宋使臧孫子南求救於荊。荊大說。許救之甚歡。臧孫子憂而反。其御曰。索救而得。今子有憂色何也。臧孫子曰。宋小而齊大。夫救小宋而惡於大齊。此人之所以憂也。而荊王說。必以堅我也。我堅而齊敝。荊之所利也。臧孫子乃歸。齊人拔五城於宋。而荊救不至。
 
【書き下し文】
斉 宋を攻む。宋 藏孫子をして南 救ひを荊に求めしむ。
荊 大いに説(よろこ)び、之を救ふを許して甚(はなは)だ歓す。
藏孫子憂へて反る。
其の御 曰く、救ひを索(もと)めて得たり。今 子 憂色有るは何ぞや、と。
藏孫子曰く、宋 小にして 斉 大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪(にく)まるる。此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王の説(よろこ)ぶは、必ず以て我を堅くするなり。我堅くして斉敝す。荊の利とする所なり、と。
藏孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜く。而かも荊の救ひ至らず。
 
【現代語訳】
斉が宋を攻めた。宋は臧孫子を南方へ遣わし、楚へ救援を求めさせた。
楚は大いに悦び、救援を承諾して歓待した。
臧孫子は浮かぬ顔で宋へ帰った。 
御者は言った。「救援を求めて得ることができました。今あなたは、どうしてそんな浮かぬ顔をしているのですか」と。
臧孫子は言った。「宋は小国で斉は大国だ。小国の宋を救って大国の斉に憎まれるのは、誰でも心配することだ。しかし楚王が悦んだのは、我々に堅く守らせるためだ。我々が堅く守って斉が疲弊すれば、楚の利益となる」と。
臧孫子は宋に帰った。斉は宋を攻め、城を五つも落とした。しかしいまだに楚の救援が来ることはなかった。
 
 
11)
【原文】 
魏文侯借道於趙而攻中山。趙肅侯將不許。趙刻曰。君過矣。魏攻中山而弗能取。則魏必罷。罷則魏輕。魏輕則趙重。魏拔中山。必不能越趙而有中山也。是用兵者魏也。而得地者趙也。君必許之。許之而大歡。彼將知君利之也。必將輟行。君不如借之道。示以不得已也。
 
【書き下し文】
魏の文侯 道を趙に借りて中山を攻めんとす。趙の肅侯 将(まさ)に許さざらんとす。
趙刻曰く、君過(あやま)てり。魏、中山を攻めて取る能わずんば、則ち魏必ず罷(つか)れん。罷(つか)るれば則ち魏軽し。魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越へて中山を有(たも)つ能わざるなり。是れ兵を用ふる者は魏なり。而して地得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓せば、彼、将(まさ)に君の之を利するを知らんとす。必ず将(まさ)に行を輟(や)めんとす。君、之に道を借し、示すに已むを得ざるを以てするに如かざるなり、と。
 
【現代語訳】
魏の文侯は趙の道を借りて通してもらい、中山を攻めようとした。趙の粛侯は許そうとしなかった。
すると趙刻が言った。「主君、それは誤りです。もし魏が中山を攻めて、取ることができなかったら、魏は疲弊するでしょう。疲弊すれば魏は軽くなり、魏が軽くなれば趙は重くなります。魏が中山を攻め落としても、趙を越えて中山を治めることはできないでしょう。兵を用いるのは魏、そして領土を得るのは趙となります。主君は魏の申し出をお受けください。ただし、許可して大いに歓迎すれば、使者は主君が利益を得ようとしていると察するでしょう。そうなると必ずや進軍を取りやめようとするでしょう。主君は道を貸すけれど、やむを得ないからだと示すのがよろしいでしょう」と。 
 
 
12)
【原文】 
鴟夷子皮事田成子。田成子去齊。走而之燕。鴟夷子皮負傳而從。至望邑。子皮曰。子獨不聞涸澤之蛇乎。澤涸蛇將徙。有小蛇。謂大蛇曰。子行而我隨之。人以爲蛇之行者耳。必有殺子。不如相銜負我以行。人以我爲神君也。乃相銜負以越公道而行。人皆避之曰。神君也。今子美而我惡。以子爲我上客。千乘之君也。以子爲我使者。萬乘之卿也。子不如爲我舍人。田成子因負傳而隨之。至逆旅。逆旅之君。待之甚敬。因獻酒肉。
 
 【書き下し文】
鴟夷子皮(しいしひ)(※1)、田成子(※2)に事(つか)ふ。田成子 斉を去り、走りて燕に之(ゆ)く。鴟夷子皮、伝(※3)を負ひて従ふ。望邑に至る。
子皮曰く、子、独り涸沢の蛇を聞かざるや。涸沢の蛇将(まさ)に徙(うつ)らんとす。小蛇有り。大蛇に謂ひて曰く、子、行ひて我之に隨はば、人、以為(おも)へらく蛇の行く者のみ、と。必ず子を殺す有らん。相銜(ふく)みて我を負ひて以て行くに如かず。人、我を以て神君と為さんや。乃ち相銜負(かんふ)して以て公道(※4)を越へて行く。人皆之を避けて曰く、神君なり、と。
今、子は美にして我は悪(にく)し。子を以て我が上客と為さば、千乗の君なり。子を以て我が使者と為さば、万乗の卿なり。子、我が舎人と為るに如かず、と。
田成子、因(よ)りて伝を負ひて之に隨ふ。逆旅に至る。逆旅の君(※5)、之を待する甚だ敬し、因(よ)りて酒肉を献ず。
 
【現代語訳】
鴟夷子皮は田成子に仕えた。田成子は斉を去り、燕へ向かった。鴟夷子皮は通行手形を持って供をして、望という町にたどり着いた。
鴟夷子皮が言った。「あなたは涸沢の蛇の話をご存知ですか。涸沢の蛇が住まいを移そうとしたとき、小蛇がいて、大蛇にこう言いました。あなたが先に行って私がその後について行けば、人はただ蛇が行くと思うだけです。きっとあなたを殺そうとする者も出てくるでしょう。そこであなたと私がお互いの尾を咥え合って、私をあなたの背に乗せて進むのが良いでしょう。そうすれば人々は私を神様だと思うでしょう。そこで大蛇は互いに尾を咥え合って通りを進みました。すると人々は皆、道を避けて神様だと言い合いました。
今、あなたは立派で私はみすぼらしい。あなたが私の主人とすると、あなたは千乗の国の君でしかありません。あなたを私の従者とすると、あなたは大国の大臣です。ゆえに、あなたは私の従者として見せた方が良いのです」
そこで田成子が通行手形を携えて従い、宿に着いた。宿の主人はとても丁重にもてなし、酒や肉を献上した。
 
【注釈】
※1 太田方は鴟夷子皮は范蠡のこと(「史記」貨殖列伝)とする。また、范蠡とは別人で、田常の家人(「墨子」非儒篇)とも。また、同名の別人で楚に陳成子がいた(「説苑」臣術篇)。つまり鴟夷子皮という名の人物は三人いた。ここでは田常の家人であるとする説が有力か。
※2 田成子は田常のこと。
※3 伝は割符。
※4 公道は大通り。
※5 逆旅の君の君は父の誤り。逆旅の父で旅舎の主人のこと。
 
 
13)
【原文】
溫人之周。周不納客。問之曰。客耶。對曰。主人。問其巷人。而不知也。吏因囚之。君使人問之曰。子非周人也。而自謂非客何也。對曰。臣少也誦詩。曰普天之下。莫非王土。率土之濱。莫非王臣。今君天子。則我天子之臣也。豈有爲人之臣。而又爲之客哉。故曰主人也。君使出之。
 
【書き下し文】
温人(※1) 周に之(ゆ)く。周(※2) 客を納(い)れず。之に問ひて曰く、客か、と。対(こた)へて曰く、主人なり、と。其れ巷人に問へども、知らざるなり。吏 因(よ)りて之を囚(とら)ふ。
君、人をして之に問はしめて曰く、子は周人に非ず。而して自ら客に非ずと謂ふは何ぞや、と。
対(こた)へて曰く、臣、少(わか)かりしとき詩を誦す。曰く、普天の下、王土に非ざるは莫し。率土の浜、王臣に非ざるは莫し(※3)、と。今 君は天子なり。則ち我は天子の臣なり。豈に人の臣と為りて、又た之が客と為る有らんや。故に主人と曰ふなり、と。
君、之を出ださしむ。
 
【現代語訳】
温の人が周へ行った。しかし周は外部の人間を入れなかった。彼に、外部の客人か、と問うた。それに答えて、内部の主人だ、と言う。それならばと町の人間に尋ねたが、誰も彼を知らないという。そこで役人は彼を捕らえた。
周の君主は人を遣わして尋ねさせた。「そなたは周の人間ではない。それなのに他国からの客人ではないというのは何故だ」と。
答えて言った。「私は若い時に詩経を学びました。そこに、天下は全て王の土地。地の果てまで全て王の臣、とあります。周の君は天子です。だから私は天子の臣です。周の天子の臣である私を、どうして他所者だということができるでしょうか」と。
これを聞いた周の君主は牢獄から彼を釈放した。
 
【注釈】
※1 温は現在の河南省温県。
※2 周は東周。現在の洛陽。
※3 「詩経 (毛詩)」小雅北山篇。
 
 
14)
【原文】 
韓宣王謂樛畱曰。吾欲兩用公仲公叔其可乎。對曰。不可。晉用六卿而國分。簡公兩用田成闞止。而簡公殺。魏兩用犀首張儀。而西河之外亡。今王兩用之。其多力者樹其黨。寡力者借外權。羣臣有內樹黨以驕主。有外爲交以削地。則王之國危矣。
 
【書き下し文】
韓の宣王(※1)、樛留(きゅうりゅう)に謂ひて曰く、吾 公仲 公叔を両用せんと欲す。其れ可ならんか、と。
対(こた)へて曰く、不可なり。晋 六卿(りくけい)を用ひて国 分かれ、簡公 田成 闞止(かんし)を両用して、簡公殺され、魏 犀首 張儀を両用して、西河(せいか)の外 亡(うしな)ふ。
今 王 之を両用せば、其の力多き者は其の党を樹(た)て、力寡なき者は外権を借らん。群臣 内 党を樹(た)てて以て主に驕る。外 交を為して以て地を削る。則ち王の国 危ふし、と。
 
【現代語訳】
韓の宣王が樛留に言った。「私は公仲と公叔の二人をどちらも重用したい。良いだろうか」と。
樛留は答えて言った。「だめです。晋は六卿を重用し、国を分裂させました。斉の簡公は田成と闞止を重用したために殺されました。魏は犀首と張儀を重用したために西河の外の領地を失いました。今、王がこの二人ともを重用すれば、勢力の大きい方は徒党を組み、勢力の小さい方は外国の力を借りるでしょう。群臣は徒党を組んで君主に対して驕り、他方では外国と組んで領土をその外国に分け与えるということになれば、王の国は危ういでしょう」と。
 
【注釈】
※1 宣王は宣恵王ともいう。釐侯(きこう)(昭侯ともいう)の子。釐侯は申不害を宰相として登用した人物。
 
 
15)
【原文】 
紹績昧醉寐而亡其裘。宋君曰。醉足以亡裘乎。對曰。桀以醉亡天下。而康誥曰。毋彝酒者。彝酒常酒也。常酒者。天子失天下。匹夫失其身。
 
【書き下し文】
紹績昧(しょうせきまい)、酔寝(すいび)して其の裘(きゅう)を亡(うしな)ふ。
宋君曰く、酔は以て裘を亡(うしな)ふに足るか、と。
対(こた)へて曰く、桀は酔を以て天下を亡(うしな)へり。而して康誥(こうこう)(※1)に曰く、酒を彝(つね)にする毋(なか)れ、と。酒を彝(つね)にすとは、酒を常にするなり。酒 常にする者、天子は天下を失ひ、匹夫(※2)は其の身を失ふ、と。
 
【現代語訳】
紹績昧が酔って眠り、自分の皮の衣を無くしてしまった。
宋君は言った。酒に酔ったくらいで自分の衣を無くすものか、と。
答えて言うには「桀は酔って天下を無くしました。康誥に「酒を彝にすることなかれ」とあります。酒を彝にする、とは、酒を常に飲むということです。酒を常に飲み続けると、天子は天下を失い、匹夫はその身を失います」と。
 
【注釈】
※1 康誥は「書経」の篇名。
※2 匹夫はひとりの男、庶民。
 
 
16)
【原文】 
管仲隰朋從於桓公而伐孤竹。春往冬反。迷惑失道。管仲曰。老馬之智可用也。乃放老馬而隨之。遂得道。山中無水。隰朋曰。蟻冬居山之陽。夏居山之陰。蟻壤一寸而仞有水。乃掘地。遂得水。以管仲之聖而隰朋之智。至其所不知。不難師於老馬與蟻。今人不知以其愚心。而師聖人之智。不亦過乎。
 
【書き下し文】
管仲 隰朋 桓公に従ひて孤竹(※1)を伐つ。
春往きて冬反(かへ)る。迷惑して道を失ふ。管仲曰く、老馬の智 用ふ可きなり、と。乃ち老馬を放ちて之に隨ふ。遂に道行を得たり。
山中水無し。隰朋曰く、蟻 冬は山の陽(みなみ)に居り、夏は山の陰(きた)に居る。蟻壌一寸(※2)して、仞(じん)(※3)に水有り、と。乃ち地を掘る。遂に水を得たり。
管仲の聖と隰朋の智とを以てして、其の知らざる所に至れば、老馬と蟻とを師とするを難(はばか)らず。
今 人 其の愚心を以てして、聖人の智を師とするを知らず。亦た過たずや。
 
【現代語訳】
管仲と隰朋が桓公に従って孤竹を討伐した。
春に出陣して冬に帰ってきたので道に迷ってしまった。
管仲が言った。「老馬の知恵を借りましょう」と。老馬を放して後について行くと、道が見つかった。
また、山の中で水が無くなった。隰朋が言った。「蟻は冬には山の南にいて、夏には山の北にいます。蟻塚の高さが一寸ならば、その下一仞の深さに水があります」と。そこで地を掘り、水を得た。
管仲のような賢人や隰朋のような知者でも、自分の知らないことに出会うと老馬や蟻でさえ師とすることを憚らない。
今の人は愚かな心を持ちながら聖人の知恵を師とすることさえ知らない。これは実に誤ったことである。
 
【注釈】
※1 孤竹は国名。
※2 一寸は守の誤りであるとし、壌守とする説もある。壌守は土封(盛られた土)のこと。
※3 仞は八尺。七尺または四尺とする説も。 
 
 
17)
【原文】 
有獻不死之藥於荊王者。謁者操之以入。中射之士問曰。可食乎。曰可。因奪而食之。王大怒。使人殺中射之士。中射之士。使人說王曰。臣問謁者。曰可食。臣故食之。是臣無罪。而罪在謁者也。且客獻不死之藥。臣食之而王殺臣。是死藥也。是客欺王也。夫殺無罪之臣。而明人之欺王也。不如釋臣。王乃不殺。
 
【書き下し文】
不死の薬を荊王に献ずる者有り。謁者(※1)之を操りて以て入る。
中射(※2)の士、問ひて曰く、食ふ可きか、と。曰く、可なり、と(※3)。因(よ)りて奪ひて之を食ふ。
王 大いに怒り、人をして中射の士を殺さしむ。
中射の士、人をして王に説かしめて曰く、臣 謁者に問ふに、食ふ可しと曰へり。臣 故に之を食へり。是れ臣 罪無くして、罪謁者に在るなり。 且つ客 不死の薬を献じ、臣 之を食ひて 王 臣を殺さば、是れ死薬なり。是れ客 王を欺くなり。夫れ無罪の臣を殺して、人の王を欺くを明らかにせんよりは、臣を釈(ゆる)すに如かず、と。
王乃ち殺さず。
 
【現代語訳】
不死の薬を楚王に献上した者がいた。取次の者がそれを持って奥へと入っていった。
奥にいた侍従が尋ねた。「これは食えるのか」と。取次は「食えます」と答えた。そこで侍従は薬を奪って食べてしまった。
王は大いに怒り、臣下に命じて侍従を死刑にしようとした。
侍従は人を遣り王に説いてもらって言った。「私は取次に食えるかと問うたところ、食えるというから食いました。これは私に罪はなく、罪は取次にあります。また客は不死の薬を献上したのに、私がそれを食って王が私を殺せば、これは死薬です。これでは客が王を欺いたことになります。無罪である私を殺して、客が王を欺いたということを世に知らしめるより、私を許してしまう方がよろしいのでは」と。
これを聞いて王は死刑にするのをやめた。
 
【注釈】
※1 謁者は取次役。
※2 中射は侍従、側仕えの官。
※3 謁者は、侍従が冗談で「食えるのか」と聞いてきたのだと思い、「食えます」と答えた。
 
 
18)
【原文】 
田駟欺鄒君。鄒君將使人殺之。田駟恐告惠子。惠子見鄒君曰。今有人。見君則䀹其一目。奚如。君曰。我必殺之。惠子曰。瞽兩目䀹。君奚爲不殺。君曰。不能勿䀹。惠子曰。田駟東慢齊侯。南欺荊王。駟之於欺人瞽也。君奚怨焉。鄒君乃不殺。
 
【書き下し文】
田駟(でんし)(※1) 鄒君を欺く(※2)。鄒君(※3)将(まさ)に人をして之を殺さしめんとす。
田駟恐れて惠子(※4)に告ぐ。惠子 鄒君に見(まみ)えて曰く、今 人有り。君を見れば則ち其の一目を䀹(しょう)す(※5)。奚如(いか)ん、と。
君曰く、我必ず之を殺さん、と。
惠子曰く、瞽(こ)は両目 䀹(しょう)す。君奚為(なんすれ)ぞ殺さざる、と。
君曰く、䀹(しょう)する勿(な)き能はざればなり、と。
惠子曰く、田駟 東 斉侯を慢(あなど)り(※6)、南 荊王を欺く。駟の人を欺くに於ける 瞽(こ)なり。君奚(なん)ぞ怨みん、と。
鄒君乃ち殺さず。
 
【現代語訳】
田駟が鄒君を欺いた。鄒君は人をやって田駟を殺そうとした。
田駟は恐れて恵子に相談した。恵子は鄒君に見えて言った。「今、人がいて、君主に見(まみ)えるのに無礼にも片目を瞑っていたらどうしますか」と。
鄒君は「私なら必ず殺すだろう」と答えた。
恵子は言った。「盲目の者は両目ともに瞑ります。この場合はどうして殺さないのですか」と。
鄒君は答えた。「盲目なのだから瞑らないわけにはいかないだろう」と。
恵子は言った。「田駟は東では斉侯を欺き、南では楚王を欺きました。田駟は人を欺くことに関しては盲目も同然です。主君、そんな男を怨みなさるな」と。
そう言われて鄒君は殺すのをやめた。
 
【注釈】
※1 田駟については不詳。
※2 ここでの欺くは、侮ること。
※3 鄒君は山東省鄒県にあった小国の君主。
※4 恵子は恵施。魏の大臣で、「荘子」にも登場する弁論家。
※5 䀹す、とは、睫毛を合わせる、目を閉じること。人を侮るときの仕種。
※6 慢は謾に通じ、欺くに同じ。
  
 
19)
【原文】 
魯穆公使衆公子或宦於晉。或宦於荊。犁鉏曰。假人於越而救溺子。越人雖善遊。子必不生矣。失火而取水於海。海水雖多。火必不滅矣。遠水不救近火也。今晉與荊雖強。而齊近。魯患其不救乎。
 
【書き下し文】
魯 穆公(※1) 衆公子をして或は晋に宦(※2)し、或は荊に宦せしむ。
犁鉏(りしょ)(※3)曰く、人を越に仮(か)りて溺子を救ふ。越人 善く遊(およ)ぐ(※4)と雖も、子は必ず生きじ。火を失ひて水を海に取る。海水多しと雖も、火必ず滅せじ。遠水は近火を救はざればなり。今 晋と荊と強しと雖も、而れども斉近し。魯 患(おそらく)(※5)は其れ救はれざらんか、と。
 
【現代語訳】
魯の穆公は自分の公子たちをあるいは晋に、あるいは楚に仕えさせた。
犁鉏は言った。「人を越から借りてきて溺れている子を救おうとするのでは、越の人の泳ぎが達者だといえども、子は救えないでしょう。火事になったのに海から水を取ってくるようでは、海に水が多いといえども、火を消すことはできないでしょう。遠水は近火を救わないのです。今、晋と楚が強国だといえども、魯の敵である斉は近いのです。魯は恐らく救われないでしょう」と。
 
【注釈】
※1 穆公は元公の子。名は顕。孔子の孫の子思などを用いた。
※2 宦は仕えさせること。友好のための側面に加え、人質としての側面もある。
※3 犁鉏は斉の人とする説。犁彌とも。最初、斉の景公に仕え、その後、魯に仕えたか。内儲説の「黎且 仲尼を去る」この人のことだとされる。
※4 遊は游(およ)ぐに通ず。越の人は游ぐのが上手かった。
※5 患は恐の誤りであるとする説も。
 
 
20)
【原文】 
嚴遂不善周君。患之。馮沮曰。嚴遂相。而韓傀貴於君。不如行賊於韓傀。則君必以爲嚴氏也。
 
【書き下し文】
厳遂 周君に善からず。[周君](※1)之を患ふ。
馮沮(ひょうしょ)曰く、厳遂(※2)は相にして、韓傀(かんかい)(※3)君に貴ばる。賊(※4)を韓傀に行はんに如かず。則ち君必ず以て厳氏と為さん、と。
 
【現代語訳】
韓の厳遂は周の君と仲が悪いので、周の君はこのことを気にしていた。
馮沮が周の君に言った。「厳遂は韓の宰相で、韓傀は韓の君に重んじられています。韓傀を暗殺するのが良いでしょう。そうすれば韓の君は厳遂の仕業だと思うでしょう」と。
 
【注釈】
※1 周君の二字を脱す。
※2 厳遂、字は仲子。韓の宰相。
※3 韓傀は韓の哀侯の末の叔父。君とは哀侯のこと。
※4 賊とは、人を使って暗殺することをいう。
 
 
21)
【原文】
張譴相韓。病將死。公乘無正。懷三十金而問其疾。居一月。自問張譴曰。若子死。將誰使代子。答曰。無正重法而畏上。雖然不如公子食我之得民也。張譴死。因相公乘無正。
 
【書き下し文】
張譴(ちょうけん)、韓に相たり。病みて将(まさ)に死せんとす。
公乗無正(※1)、三十金 懐にして其の疾を問ふ。居る一月。
[韓王](※2)自ら張譴に問ひて曰く、若(も)し子死せば、将(まさ)に誰をか子に代らしめんとする、と。
答へて曰く、無正は法を重んじて上を畏る。然りと雖も、公子食我の民を得るに如かざるなり、と。
張譴死す。因(よ)りて公乗無正を相とす。
 
【現代語訳】
張譴は韓の宰相だったが、病にかかり死期が迫っていた。
公乗無正は三十金を賄賂として懐に忍ばせて見舞った。そうしてひと月が過ぎた。
韓の君主が張譴を見舞い、問うた。「もしそなたが亡くなったら、後事を誰に託せば良いだろうか」と。
張譴は答えて言った。「無正は法を重んじ、上を敬う人物です。公子の食我が民の人望を得ているのには及びません」と。
張譴は亡くなった。そこで公乗無正が宰相に任ぜられた。
 
【注釈】
※1 秦に公乗という爵名がある。軍吏の高爵。
※2 ここに「韓王」の二字をを補う。
 
【補足】
解説: 臣下が「上を畏る」のは、王にとって喜ばしいことだが、臣下が「民を得る」のは、王にとっては忌むべきことである。張譴は表面上は食我を持ち上げつつ推薦するも、裏では王が無正を選ぶように仕向けた。
 
 
22)
【原文】 
樂羊爲魏將而攻中山。其子在中山。中山之君。烹其子而遺之羹。樂羊坐於幕下而啜之。盡一杯。文侯謂堵師贊曰。樂羊以我故。而食其子之肉。答曰。其子而食之。且誰不食。樂羊罷中山。文侯賞其功而疑其心。
孟孫獵得麑。使秦西巴載之持歸。其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸至而求麑。答曰。余弗忍而與其母。孟孫大怒逐之。居三月。復召以爲其子傅。其御曰。曩將罪之。今召以爲子傅。何也。孟孫曰。夫不忍麑。又且忍吾子乎。故曰。巧詐不如拙誠。樂羊以有功見疑。秦西巴以有罪益信。
 
【書き下し文】
楽羊(※1) 魏の将と為りて中山を攻む。
其の子 中山に在り。中山の君、其の子を烹て、之に羹を遺(おく)る。
楽羊 幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くす。
文公(=侯)(※2) 堵師贊(としさん)に謂ひて曰く、楽羊 我の故を以て、其の子の肉を食へり、と。
答へて曰く、其の子すら之を食らふ。且(は)た誰をか食らはざらん、と。
楽羊 中山を罷(や)む(※3)。文侯、其の功を賞して其の心を疑ふ。
 
孟孫(※4) 猟(かり)して麑(げい)(※5)を得たり。秦西巴(※6)をして之を載せて持ち帰らしむ。
其の母 之に隨ひて啼く。秦西巴 忍びずして之に与ふ。
孟孫 帰り至りて麑(げい)を求む。答へて曰く、余(われ)忍びずして其の母に与へたり、と。孟孫 大いに怒りて之を逐ふ。
居る 三月。
復(ま)た召して以て其の子の傅(ふ)と為す。
其の御(ぎょ)曰く、曩(さき)には将(まさ)に之を罪せんとし、今は召して以て子の傅と為す。何ぞや、と。
孟孫曰く、夫(そ)れ麑(げい)に忍びず。又た且(は)た吾が子に忍びんや、と。
 
故に曰く、巧詐は拙誠に如かず、と。
楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益(ますます)信ぜらる。
 
【現代語訳】
楽羊は魏の将軍となって中山を攻めた。
楽羊の子が中山にいたので中山の君主がその子を捕らえて殺し、その子の肉を煮て汁物を作って楽羊に送りつけた。楽羊は幕下に座してその汁を啜り、一杯を食べ尽くした。
魏の文侯は堵師賛に言った。「楽羊は私のために我が子の肉を食べたのだ」と。
すると堵師賛は答えて言った。「我が子の肉ですら食ったのです。一体誰の肉なら食わないというのでしょう」と。
楽羊が中山を抜いて帰ってきた。文侯はその戦功を賞したものの、楽羊の心の内を疑った。
 
孟孫が狩りに行って子鹿を捕らえた。秦西巴に命じて車に乗せて持ち帰らせようとした。
すると子鹿の母がついてきて啼くので、秦西巴は憐れんで子鹿を母鹿へ返した。
孟孫は帰ってきて秦西巴に子鹿を持ってくるよう命じた。秦西巴は答えて言った。「憐れに思って母鹿に返しました」と。孟孫は大いに怒って秦西巴を追放した。
そして三ヶ月が過ぎた。
再び秦西巴を呼び戻して自分の子の守り役に任じた。
御者が尋ねた。「先日は罰しようとしていたのに、今は召し戻して守り役にしたのはどうしてですか」と。
孟孫は言った。「子鹿にでさえ憐れみいたわったのだ。私の子を可愛がらないはずがない」と。
 
だから言うのだ、「巧詐は拙誠に如かず」と。
楽羊は功績があったのに疑われ、秦西巴は罪があったにも関わらずますます信用されたのだ。
 
【注釈】
※1 かの有名な楽毅は、この楽羊の子孫も言われている。
※2 魏の文侯は、同篇(11)で登場した「道を趙に借りて中山を攻めんとす」の人物。
※3 罷む、は、帰るという意味。楽羊は中山を攻め落として帰国した。
※4 孟孫は魯の卿。
※5 麑は小鹿。
※6 秦西巴は孟孫の臣。
 
 
23)
【原文】
曾從子善相劍者也。衞君怨吳王。曾從子曰。吳王好劍。臣相劍者也。臣請爲吳王相劍。拔而示之。因爲君刺之。衛君曰。子爲之。是也非緣義也。爲利也。吳強而富。衞弱而貧。子必往。吾恐子爲吳王用之於我也。乃逐之。
 
【書き下し文】
曾従子は善く剣を相する者なり。衛君 呉王を怨む。
曾従子曰く、呉王 剣を好む。臣は剣を相する者なり。臣請ふ 呉王の為に剣を相し、抜きて之を示し、因(よ)りて君が為に之を刺さん、と。
衛君曰く、子の之を為す、是れ義に縁(よ)るに非ず。利の為にするなり。呉は強くして富み、衛は弱くして貧し。子 必ず往かば、吾恐る 子 呉王の為に之を我に用ひんを、と。乃ち之を逐ふ。
 
【現代語訳】
曾従子は剣の鑑定が得意であった。衛の君主は呉王を怨んでいた。
曾従子は言った。「呉王は剣を好みます。私は剣の鑑定者です。その私が呉王のもとへ行って剣の鑑定をし、剣を抜きとって王に見せ、衛君のためにそのまま剣で刺し殺して参りましょう」と。
衛君は言った。「あなたがそれをするのは義のためではなく、あなたの利益のためであろう。呉は強国で豊かだが、衛は弱国で貧しい。あなたが呉へ行ったらあなたは呉王のために今の策を私に対して使うのではないかと恐れるのだ」と。そして曾従子を追い出した。
 
 
24)
【原文】
紂爲象箸。而箕子怖。以爲象箸不盛羹於土簋。則必犀玉之杯。玉杯象箸。必不盛菽藿。則必旄象豹胎。旄象豹胎。必不衣短褐而舍茅茨之下。則必錦衣九重。高臺廣室也。稱此以求。則天下不足矣。聖人見微以知萌。見端以知末。故見象箸而怖。知天下不足也。
 
【書き下し文】
紂 象箸を為(つく)る。而して箕子怖(おそ)る。
以為(おもへ)らく象箸 羹を土簋(どき)(※1)に盛らじ。則ち必ず犀玉(さいぎょく)の杯ならん。
玉杯象箸 必ず菽藿(しゅくかく)を盛らじ。則ち必ず旄象豹胎(ぼうぞうひょうたい)ならん。旄象豹胎(ぼうぞうひょうたい)、必ず短褐(※2)を衣(き)て茅茨(ぼうし)の下に舍(やど)らじ。則ち必ず錦衣九重、高台広室ならん。此れに称(かな)へて以て求めば、則ち天下も足らずや、と。
聖人 微を見て以て萌(ほう)(※3)を知り、端を見て以て末(まつ)を知る。故に象箸を見て怖れしは、天下の足らざるを知ればなり。
 
【現代語訳】
紂王が象牙の箸を作った。そこで箕子が恐れて思うには「象牙の箸を使えば汁物を土器の器に入れず、きっと犀や玉の器に盛るだろう。玉杯や象牙の箸を使うなら、豆や葉の汁物など食べず、きっと牛肉や象肉、豹の腹子などの珍味を食べるだろう。そうなると短い毛衣を着て茅葺屋根の家には住まず、きっと錦の衣を何重にも着て広い高殿に住むようになる。この贅沢にしたがって求めていけば、天下の財を全て費やしても足りぬであろう」と。
「聖人は微を見て以って萌を知り、端を見て以って末を知る」という。だから箕子が象牙の箸を見て恐れたのは、天下の財を全て費やしても王の贅沢は止まらないだろうと察したからである。
 
【注釈】
※1 土簋(どき)は土器のこと。
※2 短褐は、裋褐(じゅかつ)とも。破れた短い衣服。
※3 萌は、草が生え始めること。
 
 
25)
【原文】
周公旦已勝殷。將攻商蓋。辛公甲曰。大難攻。小易服。不如服衆小以劫大。乃攻九夷。而商蓋服矣。
 
【書き下し文】
周公旦(※1)已に殷に勝ち、将(まさ)に商蓋(※2)を攻めんとす。
辛公甲(※3)曰く、大は攻め難く、小は服し易し。衆小を服して以て大を劫(おびやか)すに如かず、と。乃ち九夷を攻む。而して商蓋服す。
 
【現代語訳】
周公旦は周が殷に勝ってから、商蓋を攻めようとした。
辛公甲が言った。「大国は攻めにくく、小国は服従させやすいものです。まず周りの小国を屈服させ、大国を脅かすのがよいでしょう」と。そこでまず九夷を攻めた。これにより商蓋は服従した。
 
【注釈】
※1 周公旦は周の武王の弟。
※2 小国の名。商奄のことだとされる。
※3 辛公甲はもともと紂王の臣下。漢書藝文志に「辛公二十九篇」とある。
 
 
26)
【原文】
紂爲長夜之飲。悞以失日。問其左右。盡不知也。乃使人問箕子。箕子謂其徒曰。爲天下主。而一國皆失日。天下其危矣。一國皆不知。而我獨知之。吾其危矣。辭以醉而不知。
 
【書き下し文】
紂 長夜の飲を為し、悞(たのし)(※2)みて以て日を失ふ。其の左右に問ふに、尽く知らざるなり。乃ち人をして箕子に問はしむ。
箕子 其の徒に謂ひて曰く、天下の主と為りて、一国皆な日を失ふ。天下其れ危し。一国皆な知らずして、我独り之を知る。吾れ其れ危し、と。
辞するに酔ひて知らざるを以てす。
 
【現代語訳】
紂王は長夜の宴を催し、楽しんで日どりさえも忘れた。左右の者に尋ねたが、皆忘れ、誰も知らなかった。そこで人を遣わして箕子に尋ねさせた。
箕子は家中の者へ言った。「天下の主が日にちを忘れ、国中皆が忘れるようでは天下は危うい。国中皆が知らぬのに、私だけが知っている。それでは我が身が危うい」と。
そこで使者には私も酒によって忘れた、と伝えた。
 
【注釈】
※1 長夜の飲は、昼夜続けて酒宴を催して酒を飲むこと。
※2 悞は娛の誤りとする。
※3 箕子は殷の賢人。
 
 
27)
【原文】
魯人身善織屨。妻善織縞。而欲徙於越。或謂之曰。子必窮矣。魯人曰。何也。曰。屨爲履之也。而越人跣行。縞爲冠之也。而越人被髮。以子之所長。游於不用之國。欲使無窮。其可得乎。
 
【書き下し文】
魯人 身善く屨(くつ)を織り、妻善く縞(こう)(※1)を織るあり。而して越に徙(うつ)らんと欲す。
或るひと之に謂ひて曰く、子必ず窮せん、と。魯人曰く、何ぞや、と。
曰く、屨(くつ)は之を履く為(ため)なり。而して越人は跣行(せんこう)す。縞(こう)は之を冠する為(ため)なり。而して越人は髪を被る。子の長ずる所を以て、不用の国に游(※2)ぶ。窮する無からしめんと欲すとも、其れ得可けんや、と。
 
【現代語訳】
魯の人で靴をうまく織る人がいて、その妻は絹を織るのがうまかった。この夫婦は越に移住しようと思った。
ある人が言った。「越に行ったらあなた達は困窮するだろう」と。魯の人は言った。「何故かね」と。
「靴は履くためのものだ。しかし越の人は裸足で歩く。白絹のは冠にするものだ。しかし越の人は髪のままで帽子をかぶらない。あなた達の得意なことが必要とされていない国へ行こうというのだ。困窮しないようにと望んでも、それは叶わない話ではないか」と答えた。
 
【注釈】
※1 縞は白絹。
※2 游は遊に通ず。
 
 
28)
【原文】
陳軫貴於魏王。惠子曰。必善事左右。夫楊橫樹之卽生。倒樹之卽生。折而樹之又生。然使十人樹之。而一人拔之。則毋生楊至。以十人之衆樹易生之物。而不勝一人者何也。樹之難。而去之易也。子雖工自樹於王。而欲去子者衆。子必危矣。
 
【書き下し文】
陳軫(ちんしん)魏王に貴ばる。
恵子(※1)曰く、必ず善く左右に事(つか)へよ。夫れ楊(やなぎ)は横に之を樹(う)うとも即ち生じ、倒(さかさま)に之を樹(う)うとも即ち生じ、折りて之を樹(う)うとも又た生ず。然るに十人をして之を樹(う)ゑしめ、而して一人をして之を抜かしめば、則ち生楊毋(な)からん。十人の衆を以て生じ易きの物を樹(う)ゑ、而かも一人に勝たざる者は何ぞや。之を樹(う)うるは難しくして、之を去るは易しければなり。子、自ら王に樹(う)うるに工(たくみ)なりと雖も、而れども子を去らんと欲する者は衆(おほ)し。子、必ず危うからん、と。
 
【現代語訳】
陳軫は魏王に重用されていた。
恵子が忠告した。「よく王の側近の者達に仕えなさい。楊という木は横に植えても生え、逆さまに植えても生え、折って植えても生えます。しかし、十人で植えたとしても、一人がこれを抜いてしまえば皆枯れてしまう。十人で生えやすい楊を植えさせても、一人に勝てないのは何故か。植えるのは難しく、取り去るのは簡単だからです。あなたは自分を王の心に植えつけるのは巧みだが、あなたを除こうとする者は多い。その身は危うくなるでしょう」と。
 
【注釈】
※1 恵子は恵施。魏の大臣で、「荘子」にも登場する弁論家。
 
 
29)
【原文】
魯季孫新弑其君。吳起仕焉。或謂起曰。夫死者始死而血。已血而衄。已衄而灰。已灰而土。及其土也。無可爲者矣。今季孫乃始血。其毋乃未可知也。吳起因去之晉。
 
【書き下し文】
魯の季孫 新たに其の君を弑す。呉起(※1)仕ふ。
或るひと起に謂ひて曰く、夫れ死する者 始めて死して血す。已に血して衄(ぢく)(※2)す。已に衄(ぢく)して灰す。已に灰して土す。其の土に反るや、為す可き者無し。今 季孫は乃ち始めて血す。其れ毋(むし)ろ乃ち未(いま)だ知る可からざらんや、と。
呉起因(よ)りて去りて晋に之(ゆ)く。
 
【現代語訳】
魯の季孫氏がその君主を殺した頃、呉起は季孫氏に仕えていた。
ある人が呉起に言った。「死ぬとまず血が出る。その血が出たあと身は縮む。その身が縮むと灰になり、その灰が土となる。土に返ると、もうどうすることもできない。今、季孫氏は初めの血が出たばかりの頃であり、この先どうなるか分かったものではありません」と。
呉起はこれを聞いて季孫氏のもとを去り、晋へ行った。
 
【注釈】
※1 呉起は「呉子」の著者とされる。兵家としてだけでなく、法家としても分類される。
※2 衄は朒。縮むこと。
 
 
30) 
【原文】
隰斯彌見田成子。田成子與登臺四望。三面皆暢。南望隰子家之樹蔽之。田成子亦不言。隰子歸。使人伐之。斧離數創。隰子止
之。其相室曰。何變之數也。隰子曰。古者有諺。曰。知淵中之魚者不祥。夫田子將有大事。而我示之知微。我必危矣。不伐樹。未有罪也。知人之所不言。其罪大矣。乃不伐也。
 
【書き下し文】
隰斯彌 田成子を見る。田成子 与(とも)に台に登りて四望す。三面皆な暢(の)ぶ(※1)。南望は隰子の家の樹 之を蔽(おほ)へり。田成子 亦た言はず。
隰子帰りて、人をして之を伐らしむ。斧 離(※2)すること数創。隰子之を止む。
其の相室曰く、何ぞ変ずるの数(すみ)(※3)やかなるや、と。
隰子曰く、古者(いにしへ)諺有り。曰く、淵中の魚を知る者は不詳なり、と。夫れ田子 将(まさ)に大事有らんとす。而して我 之に微(※4)を知るを示さば、我必ず危し。樹を伐らざるは、未だ罪有らざるなり。人の言はざる所を知る、其の罪大なり、と。
乃ち伐らず。
 
【現代語訳】
隰斯彌が田成子に会った。田成子は一緒に高台に登って四方を眺めた。三方はみな開けているが、南面のみ隰斯彌の家の樹木によって覆われていた。しかし田成子は何も言わなかった。
隰斯彌は帰って人に樹木を伐らせた。斧で数箇所割いたところで隰斯彌は中止させた。家老が問うた。「どうして急に気が変わったのですか」と。
隰斯彌は答えた。「古の諺に、深淵に潜む魚を知る者は不吉である、とある。田成子は大事を成そうとしている。そこへ私が心の内を察知する奴だと知れたら、私の身が危うい。樹木を伐らなくても罪にはならない。しかし人が口に出さないことを知る、この罪は大きいのだ」と。
こうして伐らなかった。
 
【注釈】
※1 暢は遠くまで妨げなく見渡せる様子。
※2 離は木を割り析(さ)くこと。
※3 数は速いという意味。
※4 微は口に出さずに心に潜めていること。
 
 
31)
【原文】
楊子過於宋。東之逆旅。有妾二人。其惡者貴。美者賤。楊子問其故。逆旅之父答曰。美者自美。吾不知其美也。惡者自惡。吾
不知其惡也。楊子謂弟子曰。行賢而去自賢之心。焉往而不美。
 
【書き下し文】
楊子(※1) 宋に過(よ)ぎり、東 逆旅(※2)に之(ゆ)く。
妾(※3)二人有り。其の悪(みにく)き者は貴く、美しき者は賤し。
楊子、其の故を問ふ。
逆旅の父(ほ)答へて曰く、美なる者は自ら美とす。吾れ其の美を知らざるなり。悪(みにく)き者は自ら悪(みにく)しとす。吾れ其の悪(みにく)きを知らざるなり、と。
楊子 弟子(ていし)に謂ひて曰く、行(おこなひ)賢にして自ら賢とするの心を去らば、焉(いづ)くに往くとして美とせられざらん、と。
 
【現代語訳】
楊子が宋国を通過するとき、東にある宿に着いた。そこには妾が二人いた。
値を尋ねると、容姿の悪い方が高く、容姿の良い方が安い。
楊子は訳を尋ねた。
宿の主人が答えて言うには「美人は自分で美人だと思っており鼻にかけています。私はそれを美しいとは思いません。容姿の悪い方は自分で醜いと思って謙遜しています。私はそれを醜いとは思いません」と。
楊子は弟子に言った。「行動は賢者でありながら自らを賢者だと誇る心を去れば、どこへ行っても褒められるであろう」と。
 
【注釈】
※1 楊子、名を朱、字を子居。
※2 逆旅は宿のこと。
※3 妾は罪によって奴隷にされた女。遊女。 
 
 
32)
【原文】
衞人嫁其子而教之曰。必私積聚。爲人婦而出常也。其成居幸也。其子因私積聚。其姑以爲多私而出之。其子所以反者。倍其所以嫁。其父不自罪於敎子非也。而自知其益富。今人臣之處官者。皆是類也。
 
【書き下し文】
衛人 其の子を嫁して之に教へて曰く、必ず私(ひそか)に積聚(せきしゅう)せよ。人の婦と為りて出さるるは常なり。其の居を成すは幸なり、と。其の子 因(よ)りて私(ひそか)に積聚す。
其の姑 以て私多しと為して之を出す。
其の子 以(もち)て反(かへ)る所の者、其の以(もち)て嫁する所に倍す。
其の父 自ら子を教ふるの非を罪せずして、而して自ら其の益(ますます)富めるを知とす。
今 人臣の官に処る者、皆な是の類なり。
 
【現代語訳】
衛の人が我が子を嫁がせる時に教えて言った。「必ずこっそり貯蓄しなさい。嫁に行っても後で追い出されるというのは常のことで、添い遂げられるのは幸いというものだ」と。そこでその子はこっそりと貯蓄した。
そのうちに姑が隠し事が多いとして追い出した。
その子が実家に帰る時には嫁入りの時の倍の財産があった。その父は自分で子に悪事を教えたことを罪とは思わず、ますます豊かになったことを自慢した。
今 各国の臣下で官職につくものは、皆なこの類である。 
 
 
33)
【原文】
魯丹三說。中山之君而不受也。因散五十金事其左右。復見。未語而君與之食。魯丹出而不反舍。遂去中山。其御曰。及見乃始善我。何故去之。魯丹曰夫以人言善我。必以人言罪我。未出境。而公子惡之曰。爲趙來閒。中山君因索而罪之。
 
【書き下し文】
魯丹 三たび中山の君に説きて而も受けられず。因(よ)りて五十金を散じて其の左右に事(つか)ふ。復(ま)た見(まみ)ゆ。未だ語らずして君 之に食を与ふ。魯丹 出でて舎に反(かへ)らず。遂に中山を去る。
其の御(ぎょ)曰く、見るに及びて乃ち始めより我を善くす。何の故に之を去る、と。
魯丹曰く夫(そ)れ人の言を以て我を善くす。必ず人の言を以て我を罪せん、と。
未だ境を出でず。而して公子 之を悪して曰く、趙の為に来り間(かん)す、と。
中山君 因(よ)りて索めて之を罪す。
 
【現代語訳】
魯丹は三度中山の君主に説いたが受け入れられなかった。そこで五十金をばら撒いて左右の大臣に取り入った。そして再び君主に謁見した。まだ何も語っていないのに君主から食事を賜った。魯丹は退出し、宿舎に戻らずに、中山を去った。
御者が言った。「君主に謁見してようやくはじめて歓迎されましたのに、何故去るのですか」と。
魯丹は言った。「他人のとりなしで私の扱いが良くなったのだ。きっと他人の讒言によって私に罪を着せるであろう」と。
魯丹がまだ国境を出ないうちに、公子が君主に讒言して言った。「魯丹は趙のために来た間者です」と。
中山の君主はこれを聞いて魯丹を探し出して罪した。
 
 
34)
【原文】
田伯鼎好士而存其君。白公好士而亂荊。其好士則同。其所以爲則異。公孫支自刖而尊百里。豎刁自宮而諂桓公。其自刑則同。其所自刑之爲則異。慧子曰。往者東走。逐者亦東走。其東走則同。其所以東走之爲則異。故曰。同事之人。不可不審察也。
 
【書き下し文】
田伯鼎(※1) 士を好みて其の君を存す。
白公 士を好みて荊を乱る。
其の士 好むは則ち同じ。其の為す所以は則ち異なり。
公孫支(※2)は自ら刖(あしき)りて百里(※3)を尊くし、豎刁(※4)は自ら宮して桓公に諂ふ。
其の自ら刑するは則ち同じ。其の自ら刑する所の為は則ち異なり。
慧子(※5)曰く、往者(※6)東に走れば、逐ふ者亦た東に走る。其の東に走るは則ち同じ。其の東に走る所以の為は則ち異なり、と。
故に曰く、事を同じくするの人、審らかに察せざる可からざるなり、と。
 
【現代語訳】
田伯鼎は賢者を好んでおり、君主を救った。白公は賢者を好んでおり、楚国を乱した。
賢者を好むという点は同じだが、その行った結果は違っている。
公孫支は自ら足斬りをして賢者の百里を尊位におき、豎刁は自ら去勢して桓公に取り入った。
自らに刑罰を施した行為は同じだが、その理由は異なっている。
恵子は言った。「狂人が東へ走り、追う者も東へ走る。その東へ走るということは同じだが、東へ走る理由は違うのだ」と。
だから言うのだ。同じ行為をしている人でも、理由をよくよく観察せねばならぬ、と。
 
【注釈】
※1 田伯鼎については不詳。
※2 公孫支は秦の穆公の大夫。
※3 百里は百里奚のことで、秦の穆公の宰相。
※4 豎刁は斉の桓公に取り入って用いられたが、後に易牙、衛の公子開方らと共に反乱を起こし、桓公を幽閉した。桓公はそのまま餓死し、三カ月も放置され、その屍体からは蛆がわき、部屋から溢れ出すほどであったという。名宰相管仲は臨終の際に豎刁や易牙に後任を任せてはならないと諫言したが、桓公は自分のお気に入りである豎刁に、管仲の後任として政を任せた。
※5 慧子は恵子のこと。
※6 往者は狂者の誤りとする。

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