2023年7月25日火曜日

『翰苑』と『太平御覧』


55頁

「翰苑」所引の魏志倭人伝に、
「海中洲島の山に絶在」、
「四面がみなともに、海にそびえ立っている」、
山脈が「或いは絶え、或いは連なり」
とある。


292〜293頁


以下のような異論もあるが、
松永章生のよもやま話 閑話⑦於投馬の「於」が省略された理由
http://matsunagajofuu.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

至於は~(上写真9行目冒頭)について脱線して述べるならといった意味だとANYAチャンネルは述べる。

②邪馬台国 曲解/歪曲 一切無し! ついに行程 完全解明!
阿波から日本が始...


上野は畿内説に立ち上の原資料を活かしきっていない。

上に付け加えて『隋書』倭国伝も重要、



『隋書』俀国伝から俀国の領域を明らかにする
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2022/11/16 -その国境は東西五月行、南北三月行にして、各々海に至る。その. 地勢は東高くして西下り、邪靡堆に都す、則ち『魏志』のいわゆる邪馬台 ..



邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 単行本 – 1993/8/1 


2014年1月26日に日本でレビュー済み 
 多くの中国史書を根拠に、それら文献に記されている邪馬台国についての多くの「特徴」を比定した結果、四国山上の天然自然環境と一致する事が判明し、畿内説や九州説を唱える多くの識者との邪馬台国の比定地比べ論争を自ら申し込んで、その相手の唱える矛盾点等を突いて全て論破し勝利した著者の研究結果が記されています。
 魏志倭人伝をはじめとした、多くの中国史書に在る邪馬台国についての記述内容の多くの「特徴」が、四国の天然自然と一致。
 四国の中腹から上の山上の至る所から、弥生土器・石器が出土。また、古代からの多くの高地性集落と、大土木工事による無数の人造池、山焼・焼畑の風習。井の国=倭奴国=倭国(いのくに)。
 「翰苑」所引の魏志倭人伝に、「海中洲島の山に絶在」、「四面がみなともに、海にそびえ立っている」、山脈が「或いは絶え、或いは連なり」。
 魏志倭人伝の記事を更に詳しく説明した「広輿図」に、倭・女王の境にくっつく斯馬国以下21の旁国(そば・はたの国)の国名と各大きさ・戸数。「日本東海島、夷亦名倭」、昔、阿波は夷と呼ばれていた(「阿府志」)。
 「太平御覧」所引の魏志倭人伝に、邪馬台国が21の小国を皆統治、南隣に属さない狗奴国。
 「釈日本記」の南北二倭は、畿内が北倭、南倭は女王国で阿波。九州は西海道。
 阿波に高天原、天岩戸、天孫降臨の地、葦原中国、出雲、天つ国。本当の高千穂は、現在の友内山(木綿麻山、宮内山、木綿内山、忌部山、連台山とも)。阿波と記紀神話の記述の一致。
 阿波に、高天原族と出雲族、海族が住む。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」による、皇室の出自隠蔽の為の九州・島根(出雲)の神話の形跡。
 徳島県池田町に、倭国の都の地にしか祭らず、全国の3,132座在る延喜式内社の内ででただ1社しかない倭大国玉神大国敷神社が鎮座。
 最初、気延山山頂の前方後円墳に在ったものを後に現在の中腹に移転した、徳島県国府町矢野神山の天石門別八倉比売神社は、大日'命(おおひるめのみこと=天照大神)が祭神。大日'命は「大日巫女命」で卑弥呼のこと。気延山周辺に100基以上の古墳が群在(気延山古墳群)。三角縁神獣鏡の出土。
 邪馬台国の在る倭の地には青い玉と丹(丹砂)が在ると記され、阿波の美しい青石は有名で、阿南市に全国でただ1ヶ所しか確認されていない、弥生時代の丹(辰砂)の採掘跡である若杉山遺跡が在る。
 倭の地では、粟、稲、紵麻を作り、養蚕が行なわれていた。(魏志倭人伝、「古語拾遺」)。
 徳島県神山町神領字高根は、卑弥呼の都跡。天蚕(やまがいこ)、絹の生産。天の中川。高天原と呼ばれていた大川原高原。
 大和国は、四国の山人(やまと、山の住人)の国・邪馬台国から山人が大勢行って作って拡げた山人の国。大阪弁の元は阿波弁。
 三種の神器は、徳島県穴吹町の古墳からも出土。
 秦の始皇帝の使い・徐福の蓬莱山は、徳島県山川町の高越山(阿波富士)。本当の葦原中国の入口にそびえ、そのすぐ内側に天孫降臨の地・忌部大神宮。「義楚六帖」に「徐福此に止り、蓬莱と謂ふ。今に至って子孫皆秦氏と曰ふ」。和歌山県新宮市の熊野に「大秘密政策」によるカムフラージュ用の徐福の偽の墓。
 剣山を囲む様にして、いっちゅう(一宇、市宇=いの中)の地名が5か所。
 和歌山は「紀の国」、阿波は「いの国」。
 神武の阿波からの東征。




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