出雲の国譲りの真相
西暦185年頃、スサノオ(63歳)が出雲国八雲村熊野で崩御し、オオクニヌシ(25歳)が出雲国におけるスサノオの後継者となった。
日向国のアマテラスはスサノオとの間に3人の娘をもうけていたが、オオクニヌシはその長女の「コノハナサクヤ姫」とも結婚した。
オオクニヌシは出雲のスセリ姫との間に「タケミナカタ」を生み、日向のコノハナサクヤ姫との間に「コトシロヌシ」を生んだ。
西暦215年頃、オオクニヌシ(55歳)は日向国の西都原で死去したが、そこで相続問題が発生した。
オオクニヌシの後継者は、出雲のタケミナカタか、日向のコトシロヌシか、という問題である。
当時、アマテラス(62歳)は幼いコトシロヌシの代行として日向国の女王(卑弥呼)となり、タカミムスビの政策で日向国は九州王朝として独立し、出雲国と完全に分断した。
西暦220年頃、九州王朝の三大武将「タケミカヅチ」「フツヌシ」「アメノコヤネ」が、全軍を率いて出雲国に侵攻し、出雲国は降服した。
これが「出雲の国譲り」の真相である。
そして、タケミナカタは長野県の諏訪に逃亡した。
諏訪は出雲族の亡命地として知られているが、オオクニヌシの後継者候補だったタケミナカタと、その一群が移住した土地だったのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿