2023年7月19日水曜日

八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲 | KAZ★中二的キリスト者のブログ (『実用★聖書リーディング入門』Amazonにて発売中)

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八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲

 前回の続き。  
■聖書では、出エジプト記の雲の柱以外にも、神と雲はしばしばセットで登場する。
私がすぐに思い当たるのは、この3カ所。

【1】 ノアの箱舟と契約の虹

【2】 高い山の上でイエスの姿が変貌し、雲の中から神の声がする

【3】 終末の日に、人の子が天の雲に乗って来る(キリスト再臨)

今回は、それぞれ関係する聖書個所を引用しながら、

神と雲の関係について、私の実感ベースで書いていきたい。



■ 【1】 ノアの箱舟と契約の虹

ノアの箱舟と大洪水の物語は、聖書を読んだことがない人にも広く知られていることと思う。

神の天地創造から時がたち、地上に人間が増えたのはよかったのだが、

 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、
 いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、

 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。
 人も獣も、這うものも、空の鳥までも。
 わたしはこれらを造ったことを悔いる」  と言われた。

 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

 ――旧約聖書『創世記』 6章5-8節


ということで、神はノアに大きな箱舟を造らせ、
ノア一家8名と動物たちのつがいを箱舟に乗せた。
それから地上に40日間雨を降らせて大洪水を起こした。

箱舟はアララト山に漂着し、徐々に洪水が引いて山々の頂が現れた日から40日後に、
ノアは箱舟の窓からカラスを放つ。

それから7日後、今度はハトを放つと、このハトはオリーブの枝をくわえて帰ってきた。
それによってノアは洪水の水が引いて地表が現れたことを知る。

そういうわけで、ハトがオリーブの枝をくわえている図は、
平和のシンボルとしてもよく用いられる。

意外なことに、東日本大震災復興のため、2012年に日本の財務省が発行した
「個人向け復興応援国債」に付いてくる記念金貨の図案にも……

財務省 http://www.mof.go.jp/jgbs/individual/kojinmuke/main/outline/fukkou_ouen/

とくに右端のデザインが、どう見てもノアの大洪水後のハト&オリーブだよね。

日本政府もついに日ユ同祖論を公認!?……かどうかは知らないけど。
「豊かな自然と鳥」という不自然なタイトルをつけてるね。

私としては、大きな津波被害を含む震災復興デザインとしては、
とてもわかりやすくていいじゃないかと思う。

でも、日本と無関係の宗教を連想させるデザインはいかがなものかという批判もあったようで。
シンボルの受けとり方は人それぞれだから、難しいところですわな……

ただ、8月6日の広島平和記念式典でも、原爆死没者慰霊と、
世界恒久平和の祈りをこめた「放鳩」が行われているわけだから、
ハトが平和と復興のシンボルだというのは、特定の宗教シンボルではなく、
現代の世界共通語の一つとみていいと思う。


■で、ハトとオリーブの件はともかくとして。

洪水が完全に引いて、地表が乾いてから、神はノア一家とこういう契約を交わす。

 さらに神は言われた、
 「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に
 代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。

 すなわち、わたしは雲の中に、にじ(虹)を置く。
 これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

 わたしが雲を起こすとき、にじ(虹)は雲の中に現れる。

 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、
 及びすべての肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思い起こすゆえ、
 水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

 虹が雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、
 神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた
 永遠の契約を思い起こすであろう。」

 ――『創世記』 9章12-17節


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、「契約宗教」ともいわれる。
神が人を助け導いてくれるのは、契約関係のゆえなのである。

神の側からさしだされた契約書に、人間の側がサインするか否かは、
人間の自由意志に委ねられている。
神の契約に同意しないで、神に背くということも可能。
ただし背く人は、神の導きも助けも得られないということになる。

ノアの箱舟物語では、神と人間の契約のしるしが、雲の中の虹となっている虹

神は「わたしが雲を起こすとき」といっているが、
「雲を起こすとき」とは日々の気象現象のことではなく、
神が試練を与えるときという意味で解釈するとわかりやすい。

自力ではどうしようもない苦難の中にあるとき、
それは神が起こした試練の雲に囲まれているということ。

神は雲の中に現れるということを知っていて、苦難の日にそれを思い出せたなら、
自分を取り囲む暗雲のうちにある虹すなわち神を見つけることができる。
すると、その苦難の意味もわかってくる。

虹は晴天のハレルヤな日には現れない。

すべてが思いどおりに進んでいる時、心は快晴で気持ちいいかもしれないが、
どこにも神の虹を見ることはできない。
神の虹を見ることなく、ただ平穏なだけの人生というのはどうだろう……

神の雲も、神の虹も、霊的な比喩だから、
実際にいつどんなふうに雲が起こって、どんな虹を見ることになるかは、本当に人それぞれ。
雲の規模も違うしね。

■今まさにそういう試練の雲の中にいるという人は、神とさらにお近づきになるチャンスだ。
理不尽な仕打ちへの不満でも怒りでも、なんでもぜんぶ神に直訴するとよい。

神は真剣に立ち向かってくる者には真剣に答え、あるいは真剣に沈黙し、
場合によっては真剣に投げ飛ばしてくれる。

「神は尊い存在だから感謝と賛美だけを伝えるべきだ、
神に向かって愚痴ったり怒りをぶちまけるのは失礼だ、そんなことは許されない。」
という考え方は、私は間違っていると思う。

試練の雲に囲まれた時、神に真正面からつっかかるのはOKだ。
それは神に対してナオ(直)つまり素直であるということだから。

試練の日に、神から離れてマガ(曲)になってしまうのがNGなのだ。

神に対する不満を抑えて「お利口さん」「いい子ちゃん」でいようとするのは、
神を敬っているようでいて、実は神を信頼していないマガではないかと私は思う。

(関連記事) 何に対して素直であるべきなのか。ナオ(直)とマガ(曲、禍)。

「イスラエル」という名は「神に勝利した者」という意味で、
ヤコブという人が天使と一晩中レスリングで格闘して勝利したことに由来する。(創世記32章)

試練の雲がもくもくとわき起こったときには、神と取っ組み合いの格闘をしていいのだ。
「なぜ神はこんな理不尽を放置するのですか!」と旧約時代の詩人も預言者もよく叫んでいる。
(神への叫びというテーマは、また別の機会にまとめて書くつもり)

神に感謝する気になれないときに、社交辞令みたいな祝詞など奏上しなくてもよい。
そんな嘘くさい賛辞で神の機嫌を取る必要などまったくない。
そのかわり、神に感謝する気になれないという本音をあらいざらい神にぶちまけてみるとよい。


■雲は試練の雲というだけでなく、乾いた地に雨を降らせてくれる、恵みの雨雲でもある。
猛暑の日差しをさえぎってくれるやさしい雲でもある。

旧約聖書の『詩編』第68編に、出エジプトを導いた雲の柱をうたっている個所がある。
68編の雲は、「恵みの雨」と結びつけられている。

 神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
 雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。

 その名は主、そのみ前に喜び踊れ。

 その聖なるすまいにおられる神は
 みなしごの父、やもめの保護者である。

 神は寄るべなき者に住むべき家を与え、
 めしゅうど(捕らわれ人)を解いて幸福に導かれる。

 しかしそむく者はかわいた地に住む

 神よ、あなたが民に先だち出で、荒野を進み行かれたとき、
 シナイの主なる神の前に、イスラエルの神なる神の前に、
 地は震い、天は雨を降らせました

 神よ、あなたは豊かな雨を降らせて
 疲れ衰えたあなたの嗣業(しぎょう)の地を回復され、
 あなたの群れは、そのうちにすまいを得ました。

 神よ、あなたは恵みをもって貧しい者のために備えられました

 ――『詩編』 68編4-10節   ※嗣業=神から与えられた地・財産


出エジプト旅路の完結編ともいえる『申命記』(しんめいき)でも、
約40年にわたる荒野の旅をのりこえ、いよいよ約束の地を目前に控えたところで、
あらためて神と雲の恵みについてこう語られている。

 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、
 あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、

 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨とともに、時にしたがって降らせ、

 穀物と、ふどう酒と、油を取り入れさせ、
 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。

 あなたは飽きるほど食べることができるであろう。

 ――『申命記』 11章13-15節


乾ききった大地に、恵みの雨が降ることで、飲み水が確保できる。
地が潤えば農作物を収穫できる。
牧草が生えれば家畜を育てて増やすこともできる。
強烈な日差しがさえぎられ、涼しい風が吹き、地上の温度が下がってすごしやくなる。

水は人の命をつなぐのになくてはならないもの。
家畜は、古代人にとって食糧になるだけでなく、お金としても使える財産だった。
(ルーン文字の1番目フェオ(フェイフュー)がまさにそれ)

神の雲は、人の命と生活に必要な恵みを与えてくれる雲である。
ただし神の恵みをうけるには、神を愛して従う者すなわちナオ(直)でなければならない。

神に背くマガ(曲)な者は雲の恵みがなく、「かわいた地に住む」ということになる。

試練の雲に遭うことのない、快晴続き……
「すべて自分の思いどおり」という状態が続くのは
神の恵みが干上がっている危険な状態と隣り合わせかもしれない。

「すべてが自分の思いどおり」という時には、神の虹を見ることもできない。
神の雲がない日が続く時は、順調に思えても、用心した方がいい。
泳がされているだけかもしれない……

 人が見て自ら正しいとする道でも、
 その終わりはついに死に至る道となるものがある。 (口語訳)

 人間の前途がまっすぐなようでも 果ては死への道となることがある。 (新共同訳)

 ――旧約聖書 『箴言』 14章12節


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■神と雲の関係について、【1】 ノアの箱舟と契約の虹 が長くなってしまったので……

【2】 高い山の上でイエスの姿が変貌し、雲の中から神の声がする
【3】 終末の日に、人の子が天の雲に乗って来る(キリスト再臨)

は、手短に。

いずれもキリスト(救世主メシア)と呼ばれるイエスに関するシーンで、

雲が現れている。



■ 【2】イエスの変貌と神の雲のシーン


ここでは3人の弟子を引き連れたイエス、そしてモーセと預言者エリヤが登場する。


 イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。

 祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。

 すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。
 それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、
 イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。

 ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、
 イエスの栄光の姿と、共に立っているふたりの人とを見た。

 このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、
 ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った。
 「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。
 それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。
 一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

 彼がこう言っている間に、雲がわき起こって彼らをおおいはじめた。

 そしてその雲に囲まれたとき、彼らは恐れた。

 すると雲の中から声があった
 「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」。

 そして声が止んだとき、イエスがひとりだけになっておられた。

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 9章28-36節


イエスの言行録として、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書がある。

このうちマタイ、マルコ、ルカの三書は内容が似ている個所が多くあるため、
「共観福音書」ともいう。

マタイ書、マルコ書でも、このシーンはだいたい同じような内容である。
ただ、マタイ書は雲の表現が微妙に違っているので、そこだけピックアップしてみよう。

イエスの一番弟子ペテロが「小屋を三つ建てましょう……」と言った後のシーン。

 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい
 そして雲の中から声がした。
 「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。

 ――『マタイによる福音書』 17章5節


マタイ書では、たんなる雲ではなく「輝く雲」と表現しているが、
とにかく内容としては、とつぜん現れた神の雲が彼らを囲み、雲の中から神の声がした。

ペテロが「小屋を三つ建てましょう……」と言ったのは、人間的に良しと見える道のこと。

しかし神は、ペテロたちが何をどうするべきかは、神の子であるイエスに聞けと諭したのである。
人間的な狭い視野ベースで行動するなということ。

イエスが神の子かどうか、また三位一体の神とは何なのかについて議論をしだすと、
魔女のくせに生意気だと火刑に処せられてしまうかもしれない(笑)ので、
ここではそういう議論はしない。

議論はしないが、とりあえず私は個人的にこういうイメージでとらえている。

ヤハウェ(神) ≧ イエス(神の子) ≧ 聖霊(神の分魂・ワケミタマ) 

三者は別個の存在であるけれども、霊的等号(=)で結ばれているので、三位一体の神。
イエスと聖霊、それぞれを単純に「神」と呼んでも、とくに矛盾はしない。

だから、イエスに聞くというのは、神に聞くのと同じこと。

ただ、こういう三位一体の神やイエスの霊的ポジションについて、他者と会話する際に、
各々の言葉の定義のズレをアジャストするのはたいへん難儀だ。

ここで私は、上記のイメージが正解だということを言いたいのではない。

今後もこのイメージを前提にいろいろ書いていくつもりだという意味で、

私のイメージと考え方を紹介しているだけなので、賛同も批判もいらない。



■ 【3】 終末の日に、人の子が天の雲に乗って来る(キリスト再臨)

 

この世の終わり(終末)、最後の審判とキリスト再臨については、

『ヨハネの黙示録』に詳しく書かれている。

しかし福音書にも、少しだけ終末のことが語られている。

終わりの日には、
「私こそがキリストだ」と名乗る偽キリストがたくさん現れて多くの人を惑わし(笑)、
地震、戦争、飢饉などが起こり……

 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。

 またそのとき、地のすべての民族は嘆き、

 そして力と大いなる栄光とをもって、

 人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

 ――『マタイによる福音書』 24章30節


これがどういう意味なのか、誰も正確にはわからない。

とにかく、この世の終わり……諸々の患難の日には、
再びキリストであるイエスが雲に乗って来るというのである。

人間が上機嫌の日に神が来るのでないことは確かだろう。
神は、患難の日に、試練の雲とともにやってくるという理解でいいと思う。

■福音書で語られている終末の日の様相について、
私は「エゴの世界が完全崩壊する日」として受け取っている。

人間は、自分のエゴに仕えるか、神に仕えるか。
エゴ王国の住人になるか、神の王国の住人になるか。
結局は、この二択なのだ。
両者に同時に仕えることはできない。

 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
 
 一方を憎んで他方を愛し、あるいは、
 一方に親しんで他方をうとんじるからである。

 あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

 ――『マタイによる福音書』 6章24節 (山上の垂訓)


神に仕えるとコミットしたら、エゴ王国は崩壊する。
エゴは激しく抵抗するが、神にコミットし続けることでエゴは滅び、神の国が立つ。
そういうイメージ。

終末預言については、私がルーン占いをやめた理由とも深く関係があることなので、
また別の機会に詳しく書きたい。

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 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


神と雲の関係について、寄り道はこのぐらいにして。

次回でどうにかこの和歌の読み解きは完結させたい。

1 八雲立つ出雲 …… 神(ヤー)の雲が立つ、雲の柱

2 出雲八重垣 …… 神(ヤハウェ)の垣、会見の幕屋に雲が降りる

3 妻籠みに …… 神の宝の民、(キリストの花嫁)、(聖霊の宮である身体)


次回は3について。

でも、私の計画ではなく、神の計画に沿って書くことができますように。
アーメン、インシャーアッラー( ̄∀ ̄)




【おまけ】

神と雲について、イエスはこういうことを言っている。

 パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、
 天からのしるしを見せてもらいたいと言った。

 イエスは彼らに言われた、

 「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴れだ』と言い、
 また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。

 あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、
 時のしるしを見分けることができないのか。」

 ――『マタイによる福音書』 16章1-3節


いま、霊的に晴れているのか、雲が出ているのか。

晴れているなら、神に感謝して、神から心を離さないように。
雲が出ているなら、雲の中にいる神と面談のチャンス……好機を逃さないように。



※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』

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以下追記 2022年12月16日

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