2023年7月25日火曜日

(20+) 「神武天皇が太龍寺に行幸された。」と太龍寺縁起に書いてあるとのこと。書いたのは空海だそう... - 阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会 | Facebook

(20+) 「神武天皇が太龍寺に行幸された。」と太龍寺縁起に書いてあるとのこと。書いたのは空海だそう... - 阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会 | Facebook

Akiyama Hisanori

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またもや、昨夜資料だけ出して書き逃げすると云う醜態を示してしまいましたので、説明などを少し。

太龍寺は徳島県鷲敷町の東北にそびえる海抜600mの太龍寺山の山頂近くにあり、古来より「西の高野」と呼ばれています。 延暦12年(793)19歳の弘法大師空海が、太龍嶽(舎心嶽)の上で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法」を修法なされたことは、大師24歳の時に著された「三教指帰」の中に「阿国太龍嶽にのぼりよじ土州室戸崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」と記されています。

その太龍寺縁起でありますが金剛遍照こと弘法大師空海の作であり、驚嘆すべき内容が書かれております。

「在々処々是くの如し、その阿波国那賀郡舎心山太龍寺に及ぶ。天神七代の内、六世、面足尊、惶根尊降り磯輪上に居坐す秀真国これなり。当七代伊弉諾尊、伊弉冉尊居坐に降る玉墟うち国産み八嶋あり。まず淡路州を生む、これを淡道穂狭別という。」

と国産みから書き出される寺の縁起。

そして太龍寺山に神武天皇の行幸があったと言うこれも驚くべき記載。

また、「蛭子」の縁起についても

「蛭子、足無し分間無し、天豫樟船に乗せ奉り大海原に放し捨て在り、和修吉(わじき)龍、拾いとり奉り養育す。自地を授け出でて売買を主とし万民に幸す。愛敬神あり、名を戎と奉る、今鷲敷社にあり」

などと、平然と記載されております。

ここらは拙のブログを見ていただければと思うのですが。

その追記部分として昨晩出した「重抄秘勅」があるのです。

作は金剛周照となっておりますが、よく存じ上げません(笑)

タイトルとその部分だけを見れば「神武天皇の勅」があったと書かれているだけですが、通説に言う「神武東征」のルートではかすりもしない、この阿波国で神武天皇が国の中の農作物を(太龍寺に)奉れとの詔を出したとの記録なのです。

さあ、どうしましょう(笑)

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