2004
https://www.amazon.co.jp/扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史-渡辺-豊和/dp/4404031955/ref=sr_1_16?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1D3KUHZYUXL5C&keywords=渡辺豊和&qid=1690761462&s=digital-text&sprefix=渡辺豊和%2Cdigital-text%2C165&sr=1-16-catcorr
https://www.amazon.co.jp/扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史-渡辺-豊和/dp/4404031955/ref=sr_1_16?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1D3KUHZYUXL5C&keywords=渡辺豊和&qid=1690761462&s=digital-text&sprefix=渡辺豊和%2Cdigital-text%2C165&sr=1-16-catcorr
2013年6月11日に日本でレビュー済み レポート
Amazonで購入
そもそも、著者が「推理」と明記しているのだから、ここは「民俗学」的に読むべきではないですか?そもそも、文書が中国からのものや、考古学的裏付けがまだまだ少ないのだから、科学的かつ実証的に読もうとすることがそもそもナンセンスではないですか?
最初から著者はそう断ってから、この論を進めているのだから、間違い探しをして批判するそのものがそもそも変ではないか。
まずはそう感じた。私もこの本の内容が全て的を得ているとは全く考えない。だからどうだというのだろうか?
私は、「古事記」や「日本書紀」等にしても、あちこちの伝承や伝聞の編集や改変による創作物であるという前提で進めないと、記録物至上主義に陥って、非常にトンチンカンな批判になる面が古代日本の歴史にはあることを注意してほしい。つまり「全てを疑う」ことをしなければいけないこと位は大前提なのです。
従って彼が考えたゾロアスター教の観点は、間違いないと考えられる。シルクロードの草原の道をほぼ制覇していた遊牧民族国家と、交流があったのが扶桑国と考えられ、栗本慎一郎氏はそれが北陸から東北にあったのではないかと考えている。
草原の道は、匈奴等の遊牧民族が幅を利かせていたから、漢等の中華国家は「属国」だったことは中国の歴史書を紐解いても決してわからない。中国の歴史書は自らの民族アイデンティティを揺るがす論調は一切掲載しない(現代も同じ)から、そこを割り引いて考えないといけないのはごぞんじだろうか?バックミンスター・フラーのダイマクションマップに落とし込むと草原の道はカスピ海から満州方面までがユーラシア大陸を渡る最短ルートであることが判明しているし、冬はともかくそれ以外の季節は最も斜面も少なく貿易ルートとしても安定していた。
渡辺豊和氏の畏友、栗本慎一郎氏も彼の著書を引用していますが、全て正鵠を得ているかは別としても、蘇我一族が渡来の一族であること、それがペルシア的(遺伝子レベルの民族同一性は否定している)であることは発掘調査で結構深く明らかになりつつある(あとは久慈力氏の著作を参考にどうぞ)。栗本慎一郎氏は「聖方位」として北のシルクロードを渡っての調査でそういった行き来する民族の存在が、古代日本の深層レベルで影響を与えていることを語っている。
勿論、中国からの影響はかなり強いことは今や否定するわけではない。だがしかし、中国の文化を丸ごと取り入れることなく日本「独自」に文化編集されているのはなぜか?という疑問を持って研究している人が意外と少ない(例えば、科挙、纏足がなぜ日本では普及しなかったのか等)。それこそ日本が大陸との「違い」に注目することで、日本も多民族性らしきものが後世まで影響を与え続けていることはまず間違いなく存在していると思う。私は科学的実証性も必要だが、想像力の翼を広げることも必要ではないだろうか?特に他のレビューの方は民俗学者が激怒必至の内容なので早々にレビューを下げることをお勧めしたい。
最後に私が一番言いたいこと。中国方面からの著書を言葉通りに解釈すること自体がおかしい。中国の著書の大半は歪曲や改変が大変多いのでそのまま読んで、条件反射的に批判することこそナンセンスである。文献に書かれていればそれが「正しい」と鵜呑みにするのは学術者としては、あるまじき態度ではないか。例えば「史記」にしても、司馬遷が書いていることに実はかなり矛盾があるとも言われている。このことは、日本の古代の著書も辻褄合わせが多いので、同じことが言える。
記録を残すという行為そのものが、歴史で「勝利者」を飾り立てる人間の愚行であるという視点が無い。中国や欧米の歴史書などそればかりが繰り返されているではないか!歴史の記録には、あるインテリジェンスのバイアスがあるという確固たる「疑い」を常に片隅に抱えて読むべきだと私は思うのだ。
例えば、日本人も邪馬台国は、中国の魏志倭人伝には「邪馬壹(ヤマイ)国」としっかりと明記されている。にもかかわらず、そのまま邪馬台国のままつっぱしっているという酷い改竄もある。みんなが共通で広がってしまったことに対してなあなあで済ませるのは、日本人によくある悪癖なのだが、これではいけない。でも指摘する人も一部を除いていないことも事実。(古田武彦「 「邪馬台国」はなかった 」参照)
だから文字で記録が残っていることと違う!と、鬼の首を取った様に反発するのがまずおかしい。その背景を徹底して調べる力が無いなら、ここは割り切って、伝奇小説の様に読むべきではないだろうか?解釈は多様性をもってしかるべきで、まずは検証の遡上に乗せて検討するのが、学者としてのあるべき態度かと思うが。柳田国男の「遠野物語」の様に、物語として考えてみる余地ぐらいは残すべきだろう。疑いを晴らしたければ、大陸まで出向いて発掘調査でもすればいい。それが出来もしないなら中途半端な批判など、ダサイからやめなさい。
いずれにしても、頭の固い人が読むべきではないという意味で星3つ。
最初から著者はそう断ってから、この論を進めているのだから、間違い探しをして批判するそのものがそもそも変ではないか。
まずはそう感じた。私もこの本の内容が全て的を得ているとは全く考えない。だからどうだというのだろうか?
私は、「古事記」や「日本書紀」等にしても、あちこちの伝承や伝聞の編集や改変による創作物であるという前提で進めないと、記録物至上主義に陥って、非常にトンチンカンな批判になる面が古代日本の歴史にはあることを注意してほしい。つまり「全てを疑う」ことをしなければいけないこと位は大前提なのです。
従って彼が考えたゾロアスター教の観点は、間違いないと考えられる。シルクロードの草原の道をほぼ制覇していた遊牧民族国家と、交流があったのが扶桑国と考えられ、栗本慎一郎氏はそれが北陸から東北にあったのではないかと考えている。
草原の道は、匈奴等の遊牧民族が幅を利かせていたから、漢等の中華国家は「属国」だったことは中国の歴史書を紐解いても決してわからない。中国の歴史書は自らの民族アイデンティティを揺るがす論調は一切掲載しない(現代も同じ)から、そこを割り引いて考えないといけないのはごぞんじだろうか?バックミンスター・フラーのダイマクションマップに落とし込むと草原の道はカスピ海から満州方面までがユーラシア大陸を渡る最短ルートであることが判明しているし、冬はともかくそれ以外の季節は最も斜面も少なく貿易ルートとしても安定していた。
渡辺豊和氏の畏友、栗本慎一郎氏も彼の著書を引用していますが、全て正鵠を得ているかは別としても、蘇我一族が渡来の一族であること、それがペルシア的(遺伝子レベルの民族同一性は否定している)であることは発掘調査で結構深く明らかになりつつある(あとは久慈力氏の著作を参考にどうぞ)。栗本慎一郎氏は「聖方位」として北のシルクロードを渡っての調査でそういった行き来する民族の存在が、古代日本の深層レベルで影響を与えていることを語っている。
勿論、中国からの影響はかなり強いことは今や否定するわけではない。だがしかし、中国の文化を丸ごと取り入れることなく日本「独自」に文化編集されているのはなぜか?という疑問を持って研究している人が意外と少ない(例えば、科挙、纏足がなぜ日本では普及しなかったのか等)。それこそ日本が大陸との「違い」に注目することで、日本も多民族性らしきものが後世まで影響を与え続けていることはまず間違いなく存在していると思う。私は科学的実証性も必要だが、想像力の翼を広げることも必要ではないだろうか?特に他のレビューの方は民俗学者が激怒必至の内容なので早々にレビューを下げることをお勧めしたい。
最後に私が一番言いたいこと。中国方面からの著書を言葉通りに解釈すること自体がおかしい。中国の著書の大半は歪曲や改変が大変多いのでそのまま読んで、条件反射的に批判することこそナンセンスである。文献に書かれていればそれが「正しい」と鵜呑みにするのは学術者としては、あるまじき態度ではないか。例えば「史記」にしても、司馬遷が書いていることに実はかなり矛盾があるとも言われている。このことは、日本の古代の著書も辻褄合わせが多いので、同じことが言える。
記録を残すという行為そのものが、歴史で「勝利者」を飾り立てる人間の愚行であるという視点が無い。中国や欧米の歴史書などそればかりが繰り返されているではないか!歴史の記録には、あるインテリジェンスのバイアスがあるという確固たる「疑い」を常に片隅に抱えて読むべきだと私は思うのだ。
例えば、日本人も邪馬台国は、中国の魏志倭人伝には「邪馬壹(ヤマイ)国」としっかりと明記されている。にもかかわらず、そのまま邪馬台国のままつっぱしっているという酷い改竄もある。みんなが共通で広がってしまったことに対してなあなあで済ませるのは、日本人によくある悪癖なのだが、これではいけない。でも指摘する人も一部を除いていないことも事実。(古田武彦「 「邪馬台国」はなかった 」参照)
だから文字で記録が残っていることと違う!と、鬼の首を取った様に反発するのがまずおかしい。その背景を徹底して調べる力が無いなら、ここは割り切って、伝奇小説の様に読むべきではないだろうか?解釈は多様性をもってしかるべきで、まずは検証の遡上に乗せて検討するのが、学者としてのあるべき態度かと思うが。柳田国男の「遠野物語」の様に、物語として考えてみる余地ぐらいは残すべきだろう。疑いを晴らしたければ、大陸まで出向いて発掘調査でもすればいい。それが出来もしないなら中途半端な批判など、ダサイからやめなさい。
いずれにしても、頭の固い人が読むべきではないという意味で星3つ。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2010年4月3日に日本でレビュー済み
脆弱な根拠の主張を稚拙な推論でつなぎ合わせた無理やりな理論展開に読んでいて気分が悪くなる。
しかも、事実と仮説の区別がついていないらしく、著者のレベルの低い思考で確信に至った事については、既成事実として記載してあるので始末に負えない。
具体例をあげよう。
「しかも、『古事記』には、書記と違って継体に武烈が手白髪命(命の尊称に注意せよ。命とは天皇のこと)を合わせて位を授けたとある。すなわち、手白髪姫と継体はともに天皇として譲位されたのである。」(P.40)
まず、「命の尊称に注意せよ。命とは天皇のこと」とあるが、これはデタラメ。確かに、手白髪命を除けば、25武烈、26継体の古事記での記述で「命」という尊称をつけられているのは、天皇になった者だけである。しかし、28宣化の条を見れば、「橘の中比売命を娶して、生みませる御子、石比売命。次に小石比売命。」とあり、もし、「命とは天皇のこと」であれば、この3人の女性も全て天皇になってしまう。「命とは天皇のこと」という結論に至った根拠を一切説明せず、単に事実として記載しているところがこの著者の始末に負えない特徴である。
次に、「継体に武烈が手白髪命を合わせて位を授けたとある」である。確かに「武烈が継体と手白髪命の二人に位を授けた」とも読めなくもないが、普通に読めば、「継体に(天皇の)位と手白髪命を(妻として)与えた」ということになろう。
第一、一人の天皇が一度に二人に皇位を譲位するなど他に例がないし、仮に二人に譲位するとしたら、皇位継承は男系でなされるのだから二人とも男性であるべきであろう(一時しのぎで女性に譲位する場合を除く)。また、継体・手白髪命の夫婦の両方を天皇にすることに何の意味もない。
こういう、どうしようもない主張を平然とできるのが著者であり、このようなレベルの主張が満載の書籍である。
しかも、事実と仮説の区別がついていないらしく、著者のレベルの低い思考で確信に至った事については、既成事実として記載してあるので始末に負えない。
具体例をあげよう。
「しかも、『古事記』には、書記と違って継体に武烈が手白髪命(命の尊称に注意せよ。命とは天皇のこと)を合わせて位を授けたとある。すなわち、手白髪姫と継体はともに天皇として譲位されたのである。」(P.40)
まず、「命の尊称に注意せよ。命とは天皇のこと」とあるが、これはデタラメ。確かに、手白髪命を除けば、25武烈、26継体の古事記での記述で「命」という尊称をつけられているのは、天皇になった者だけである。しかし、28宣化の条を見れば、「橘の中比売命を娶して、生みませる御子、石比売命。次に小石比売命。」とあり、もし、「命とは天皇のこと」であれば、この3人の女性も全て天皇になってしまう。「命とは天皇のこと」という結論に至った根拠を一切説明せず、単に事実として記載しているところがこの著者の始末に負えない特徴である。
次に、「継体に武烈が手白髪命を合わせて位を授けたとある」である。確かに「武烈が継体と手白髪命の二人に位を授けた」とも読めなくもないが、普通に読めば、「継体に(天皇の)位と手白髪命を(妻として)与えた」ということになろう。
第一、一人の天皇が一度に二人に皇位を譲位するなど他に例がないし、仮に二人に譲位するとしたら、皇位継承は男系でなされるのだから二人とも男性であるべきであろう(一時しのぎで女性に譲位する場合を除く)。また、継体・手白髪命の夫婦の両方を天皇にすることに何の意味もない。
こういう、どうしようもない主張を平然とできるのが著者であり、このようなレベルの主張が満載の書籍である。
0 件のコメント:
コメントを投稿