扶桑国王蘇我一族の真実
「中国の正史『隋書俀国伝』には阿蘇山のことが…」という記述が目に入り、咄嗟に思い出したのが渡辺豊和氏の著した、『扶桑国王蘇我一族の真実』(新人物往来社)である。その渡辺氏は、カッパから『ヤマタイ国は阿蘇にあった』という興味深い本も出しており、以前から阿蘇に関心を持っていた。また、「超阿蘇」と題したホームページにもあるように、阿蘇周辺には興味深い遺跡が多いのだ。
その阿蘇の謎については、今後の『文殊菩薩』に連載されるであろう、『隋書俀国伝』あるいは『日本書紀』についての続編を待ちたい。ここでは、上述した渡辺豊和氏の『扶桑国王蘇我一族の真実』に目を転じてみよう。同書の刊行前、栗本慎一郎が目を通した本であるだけに、「栗本慎一郎」のカテゴリを設けている身として、それだけ信憑性の高い本であると確信している。
栗本慎一郎、千田稔、鍵岡正謹の三氏には途中で読んでもらいそれぞれにご指導いただいた。
『扶桑国王蘇我一族の真実』p.354
ところで、『扶桑国王蘇我一族の真実』について鋭く分析している人物がいる。世界戦略情報誌『みち』の編集人・天童竺丸さんだ。
大化の改新(乙巳の変)で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏)という"一神教派" が天下を取り、それが壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)という"多神教派"の天下となった。そして公になっていないが三度目の乱が起こって再び藤原氏による体制="一神教派"の天下に戻り、それが今日に至っても続いている。
天童さんの真意を読み取っていただく意味で、『みち』平成22年10月1日第324号から連続して7回にわたって掲載された、「ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ」に目を通していただきたい。
みち330号(平成23年01月15日) ツランの足跡 ─ 遙かなるツラン
みち329号(平成22年12月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 6
みち328号(平成22年12月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 5
みち327号(平成22年11月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 4
みち326号(平成22年11月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3
みち325号(平成22年10月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 2
みち324号(平成22年10月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 1
殊に、渡辺氏の著作に関連して注目すべきは、「ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3」の以下の記述である(傍線亀さん)。
●いわば自らの出自ともいうべき北方ツラン的な要素を歴史から消し去った転換点こそ、大化の改新から壬申の乱へと至る政権の混乱期にある、と私は思う。そして、その最大の問題点が、蘇我氏の痕跡をわが歴史から抹殺したことにあることを教えてくれたのが、渡辺豊和『扶桑国王蘇我一族の真実』であった。
渡辺豊和は蘇我氏とはトルコ系騎馬民族の「高車(こうしや)」ではなかろうかとの説を提案している。結論だけを聞くと、誰しも唐突にして奇異の感を拭えないであろうが、騎馬民族の盛衰の歴史を繙いてみると、なるほどと首肯させるものがある。「騎馬民族渡来説」なるものは江上波夫『騎馬民族国家』(中公新書、昭和四二年刊)が唱えた奇説で、岡田英弘などは「完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。江上波夫が創作した、新しい神話」であると酷評しているが、源平時代から室町、戦国時代へと続く争乱は紛れもなく騎馬民族の戦いであった。日本人の血の中には騎馬民族の遺伝子が確かに流れているのだ。
この正月休みを利用して、『扶桑国王蘇我一族の真実』を再読の上、思うところがあれば新たな記事をアップしたい。
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