黒岩涙香「明治探偵冒険小説集1」(ちくま文庫)_「幽霊塔」所収 涙香翻案の最高傑作。女性目線で見ると、謎の女「秀子」によるマンハント(亭主探し)の物語。
1.「幽霊塔」が収録。ずっと原作不明だったが、1990年代の調査により、A.M.ウィリアムソン「灰色の女」(1898)が原作であることが判明した。いずれは原作の翻訳がでるのかもしれない(これを書いたのは2005年。その後翻訳はでました)。まあ、日本でだけの再評価(しかもこの一作だけ)なのだろうが。これも涙香の業績ということか。驚くべきは原作の登場の翌年8月から新聞連載の始まったこと。著作権など完璧に無視しているのだろうが、それにしてもこの異例の速さ。その情報収集能力の卓越していること! 船便で取り寄せるしかない状況で、よくこの傑作を見出したものだと思う。
(一応備忘のために。黒岩涙香「幽霊塔」が出版されたのは近年では3回目。一度は1977年の別冊幻影城。高校2年の冬、風邪で数日臥せていて熱が下がったときに、二日で幻影城版を読んだのだった。その熱狂というのは江戸川乱歩の感じたものと同じだったのだろうなあ。その後、1980年の旺文社文庫。2005年のこのちくま文庫。
なお青空文庫に収録されているので、これらの品切・絶版本を探さなくても読める。
図書カード:幽霊塔
2.この小説には、古い屋敷、開かずの間、過去の殺人、正体不明の美人、古時計、幽霊、毒蜘蛛、顔のない死体、密室からの消失、幽閉された異形の者、南海の動物、迷路、隠された財宝、意地悪な敵役、白骨死体の持っている鍵というようなおどろおどろしい意匠に満ちている。だからこれはミステリーの開祖というよりも、ゴシックロマンスの末裔であるというべきだろう。作中、多くの不可解な事件や事態が頻発する。それらはきちんと合理的な解決が付けられる。これは開祖の「オトラントの城」からそうなのだが、18世紀の半ばであれば「神意」「奇跡」で解決・説明していたのだが、19世紀も終わりになると論理的・科学的な説明が必要になってくる。もちろん「オトラントの城」の神の意思というのも合理的ではあるのだが、その説明だけでは納得できない読者層がこのときには形成されていたのだ。
3.同時代にはドイルのホームズ譚があり、ウェルズのSFがあった。それらは今も残るが、この作品(特に原作)は残らなかった。その理由の大半は、「ロマンス」にあるのだろう。この小説では、謎の女の正体はなにかというのが主要なテーマになっているので語り手男性が謎の女に興味を抱き、愛の感情をもつというのは自然なことだ。にしても、そのあたりの描写は冗長なところがあるからね。それを読み続けるにはダレ場が多い。第1次大戦より後になり、よりテンポの速い小説が出てくるようになると、19世紀のロマンスは急速に忘れられたに違いない。上記ドイルや「ビッグボウ」「黄色い部屋」などの第1次大戦前のミステリで今も読まれるものが恋愛を欠いていることに注意。ゴシックロマンスとミステリの親和性は高いにしても、純粋ミステリになるためには、恋愛の要素を抜くことが必要であったのだろう。
(原作「灰色の女」を読んだある作家によると、涙香は一部のエピソードを削除しているとのこと。それは秀子と「余」の会話であったり、お浦(ヒロインの敵役)が事故にあう場面であったり、とロマンスに関係するようなところとのこと。)
4.この小説も登場人物の言葉と行動は一致している。あるいは内面の声と発声は一致している。人物の造詣は単純で、物語の最初から最後まで変わることがない。そういう書き方はゴシックロマンスあるいは18世紀的なものだ。このことに意識してみると、この小説の書き手は女性で、主な読み手が女性であることを思い出した。そうすると、主人公「余」はゴシックロマンス愛好家女性にとって理想的な男性であり、謎の女「秀子」は原作者自身であるように思った。「余」は「秀子」を買い取ったばかりの古城で見た瞬間に恋に陥り、秀子に何が起ころうとも愛を捻じ曲げることがない(人のいい、というか世間知らずというか坊ちゃんな「余」は途中で「秀子」との中を諦めなければならなくなるが、それも大団円までのちょっとした障害、その後を盛り上げる手法)。女性からすると「余」のような金持ちで一途で若い男性(そして恋愛に慣れていない)というのをいつでも待っているのかもね。でも、こういう恋愛のできない時代だったから、小説の中でだけでも「自由」でありたかったのかもしれない。ミステリの初期にこの無名の作者も含めて女性作家がよくでていたということだが、「ゴシック趣味(とりわけ超自然現象)」「自由恋愛」あたりが彼女らのモチベーションだったのだろう。
5.江戸川乱歩の「幽霊塔」は舞台を長崎にした。グラバー邸のような西洋建築があるにはあるが、舞台が日本ではどうしても石造りの高い塔は自然にはならない。その点、舞台をイギリスのままにした涙香作のほうがリアリティがある。また乱歩版では時計塔の内部描写もあっさりしている。ここはしっかり覚えておくことにしよう。涙香版では、時計の鐘がなるごとに扉が開く。人一人がようやく入るくらいの小さな中室があり(時計のギアや鉄棒が動いていて危険)、12時にならないと完全に開かない木戸がある。そこを入ると踊り場風の場所。複数の道(階段)がある。正解は上に上る最も小さいもの。途中はきわめて狭く這って進むことになる。塔の最上階に到着。そこは八角形の部屋。各辺に扉があってどこかに通じる階段がある。秀子の通った後のある階段を使うと、塔の最も低いところに出ることができる。映画「薔薇の名前」の図書館を思い出すのがいい。こういう人工的な迷宮は、日本の建築ではなかなか作りづらい(会津のさざえ堂のような建築物はあるにしても)。これはどうしても石材建築の古城をモデルにしていなければならない。
(乱歩の「幽霊塔」のほうになると、最初の入り口の後の中室と木戸はない。最上階に小部屋はあるが、そこには8つの扉はない。涙香版では下る入り口を見つけた後は、まっすぐに隠し部屋に到着するが、乱歩版では上り下りの多い迷路になっているとされる。全体として、涙香版は立体的な迷路だ。映画「薔薇の名前」の図書館を想起しよう。あるいはフリッツ・ラング「メトロポリス」の死神の出てくる妄想シーンを思い出そう。一方、乱歩版は八幡のやぶ知らずのような平面上の迷路。「孤島の鬼」「パノラマ島奇談」の地下迷路、鍾乳洞を思い出そう。閉塞感は乱歩が上回り、迷宮の錯視感は涙香に軍配が上がる。おまけでいうとヒロインの正体は涙香版と乱歩版ではすこし異なる。原作にたぶん忠実な涙香版では、ゴシックロマンスお得意の貴種流離譚になるのだが、乱歩版ではそれはない。)
2005/08/24
6.併録「生命保険」は1880年代の作品。今日の読者からすると予想とおりの展開。最初のほうでオチがわかってしまう。そういう小説のテクニックを云々するよりも、その時代にすでに「生命保険」というビジネスがあったことに驚くべきかな。「幽霊塔」でも一部の建物には電気が通っていたし、主要都市の鉄道網は完備していた。第1次大戦前を描く「魔の山」でも蓄音機がサナトリウムにあったりと、テクノロジーの普及はわれわれの予想よりも早い(だがそのことは忘れられてしまう)。
0 件のコメント:
コメントを投稿