2020年9月29日火曜日

ドーナツ経済学

循環型社会を実現するには循環する貨幣が必要だ。その意味でラワースがドーナツ経済学#4でゲゼルに言及しているのは意義がある。斉藤幸平などはラワースを紹介しつつもゲゼルを無視する。ケインズによるマルクスとゲゼルの比較に言及したくないのだろう。

参考:








ドーナツ経済学
#4 キーン

#7 アナ・クート
ライファイゼン
ヘンリー・ジョージ(モノポリー関連)

人新世の「資本論」 (集英社新書) 


Lab
Kate Raworth (@KateRaworth)
We launched Doughnut Economics Action Lab two weeks ago today - we are delighted to now have almost 2,000 members, from 100+ countries, co-creating tools for teachers, cities, business, communities, gov. 
You name it, let's do it. Join us ⁦‪@DoughnutEcon‬⁩ doughnuteconomics.org pic.twitter.com/U0xc30GKsl
https://twitter.com/kateraworth/status/1315973331531771904?s=21








A healthy economy should be designed to thrive, not grow | Kate Raworth
2018
日本語字幕







危険な地球環境の悪化

環境的な上限

人類にとって笑全で公正な範囲

社会的な土台

危険な窮乏


ドーナツの基本要素一人間の幸せの社会的な土台 (それ以下には誰も落ちてはならな

い線)と、環境的な上限(それ以上に地球に負荷をかけてはならない線)。それらの2

本の線で挟まれた部分が人類全員にとって安全で公正な範囲になる。




Doughnut Economics Action Lab (DEAL) (@DoughnutEcon)
Today's the day: Doughnut Economics Action Lab is live online! Join the fast-growing community at doughnuteconomics.org

Together, let's turn Doughnut Economics from a radical idea into transformative action. #DoughnutEconomics pic.twitter.com/UVxdekcO7W

https://twitter.com/doughnutecon/status/1310882302176657408?s=21

ドーナツ経済学|幸せ経済社会研究所

https://www.ishes.org/keywords/2019/kwd_id002698.html

ドーナツ経済学

ドーナツ経済学は、経済成長だけに注目することを避け、持続可能な未来をつくるための考え方です。2011年に、当時オックスファムの研究者だったケイト・ラワースによって考え出されました。ドーナツという誰にでもイメージしやすいデザインを用いていることが特徴です。

下がドーナツの図です。仮に、ドーナツの食べられるところ(緑の部分)を「中身」、穴の部分を「穴」、外側を「外側」と表現しましょう。「外側」には環境指標が、「穴」には社会指標が配置されていることがわかります。

kwd_20190924.jpg

ドーナツの外側
ドーナツの外側には、ストックホルムレジリエンスセンターの「プラネタリーバウンダリー(地球の境界)」の9つの分野が配置されています。この9分野で超過(行き過ぎや使いすぎ)があれば、その分野のドーナツの外側が赤色で表示されます。赤色の部分が大きければ大きいほど、超過の程度が大きいことを表します。図を見ればわかるように、現在、このうち4つの分野で超過が生じています。

ドーナツの穴
ドーナツの穴は社会面の12分野の「不足」を表しています。図1を見ると、ドーナツの中身におさまっている分野は一つもなく、すべての分野で問題が残っていることがわかります。赤い部分が中央に向かって伸びているほど、不足の程度が大きいことを示しています。

たとえば、平和と正義について赤い部分が2つに分かれています。これは「腐敗認識指数」(各国の公務員や政治家などが、賄賂などの不正行為に応じるかどうかを数値化したもの)が100点満点中50点以下の国に住む人が85%いること、人口10万人あたりの殺人発生件数が年間10件以上の国に住む人が13%いることを表現しています。
※詳しいデータは書籍『ドーナツ経済学が世界を救う』で公開されています。

ドーナツの中身におさまることを目指して
持続可能な未来をつくるためには、環境面での超過と社会面での不足をなくし、すべてをドーナツの「中身」におさめる必要があります。ドーナツの図を見ることで、GDP成長という一つの目標だけに目を向けることをさけ、総合的に考えることができるように。そんな願いからこの図はつくられています。

参考資料
ケイト・ラワース著/黒輪 篤嗣訳, 2018, 『ドーナツ経済学が世界を救う』, 河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309248486/

What on Earth is the Doughnut?...(英語)
https://www.kateraworth.com/doughnut/

地球の境界(プラネタリー・バウンダリー)2.0 (幸せ経済社会研究所のキーワード解説)
https://www.ishes.org/keywords/2015/kwd_id001823.html

ケイトラワース
ドーナツ経済学
Toshi Kurokawa
5つ星のうち5.0 「公正と環境の経済学」を提示する力作
2018年5月22日に日本でレビュー済み
力作だ。朝日新聞の書評では、これほどよくできた本とは分からなかった。題名が良くないのだと感じる。「公正と環境の経済学」とでも呼ぶべきだろう。ドーナツの形そのものが本質的ではなく、社会的な公正と公平の線と、環境を破壊しないという線の上下の線で区切られた範囲が「正しい」経済学の位置だということだ。
形ということでは、本文中でも「コンパス(羅針盤)」という表現があるが、むしろその方がメタフォーとしては適切だろう。ドーナツという食品を思い浮かべるとなんでドーナツ経済学なんだと戸惑ってしまう。
前書きで、21世紀の正しい経済学のための7つの思考法が示されて、それがそのまま本文の7章になっている。そこで、まずは目次:
経済学者になりたいのは誰か?
第1章 目標を変える―GDPからドーナツへ
第2章 全体を見る―自己完結した市場から組み込み型の経済へ
第3章 人間性を育む―合理的経済人から社会的適応人へ
第4章 システムに精通する―機械的均衡からダイナミックな複雑性へ
第5章 分配を設計する―「ふたたび成長率は上向く」から設計による分配へ
第6章 環境再生を創造する―「成長でふたたびきれいになる」から設計による環境再生的経済へ
第7章 成長にこだわらない―成長依存から成長にこだわらない社会へ
今や誰もが経済学者
付録――ドーナツとそのデータ
謝辞
訳者あとがき

著者が強調しているのは、経済学を説明するモデル、図が、経済活動や経済政策がどうあるべきかを規定するということ。だから、その考え方、立ち位置を変えることで、経済活動そのものが変わるということだ。Rethinking Economicsという、学生たちの活動が紹介されている。経済学が、いま世界が必要とすること、学生が学びたいことを扱わず、世界の不公正に加担しているという批判がこういう活動として行われている。
本書では、経済学の現在がどうしてこうなったかという説明と、これから変えるのはどこをどのようにという説明をデータとともに示しているので、結構細かいことがらまで述べられている。
第1章では、GDPがどのようにして導入されたかの経緯を含めて、その歪みを正すために公正な社会基盤を確保して、環境に対して負荷をかけないというドーナツ形の経済の枠組みを提示する。第7章でGDP成長神話がいかに問題をはらんでいるかの説明があるが、GDPだけを経済指標とすることの問題が述べられている。
第2章では、市場が問題になる。第3章の合理的経済人というモデルとも関係するが、「市場が万能」ではないことが論じられる。「マッチを擦る前と同じように、市場を始める前には注意しなくてはならない。何を燃やし尽くし、灰にしてしまうか、わたしたちにはわからないのだから。」とまとめられている。
市場に関して興味深かったのは、ボードゲーム「モノポリー」のお話。「ゲームの開発者エリザベス・マギーは、土地を人類全員の共有財産と考えるヘンリー・ジョージの思想の熱烈な支持者で、1903年に最初にこのゲームを考案したときには、二種類のまったく異なるゲームのルールを用意していた。「繁栄」と名づけられたルールでは、誰かが新しい土地を獲得するたび、すべてのプレーヤーにお金が配られ、元手がもつとも少なかったプレーヤーの資金が二倍になったところで、ゲームの決着がついた(全員が勝者だった)。いつぼう「独占者(モノポリスト)」と名づけられたルールでは、プレーヤーは自分の土地に止まったあわれなプレーヤーから地代や賃料を徴収して、お金を増やした。ゲームの勝者は、ほかのプレーヤーを全員破産させ、最後まで残ったプレーヤーだった。マギーが二種類のルールを設けたのは、「現在の土地の収奪システムからいかに尋常ではない結果や影響がもたらされるかを、プレーヤーたちに具体的に示し」、土地の所有権の扱いかたしだいで、社会にまったく異なる結果が生まれることを理解してもらいたかったからだ。」とある。パーカー・ブラザーズが1930年代に特許を買い取ってから、今の「モノポリー」だけと改変されたという。

The Landlord's Game 1904 Patent - Rules

http://landlordsgame.info/rules/lg-1904p_patent.html


世界中に愛好家がいるモノポリーのルーツを巡る泥沼劇とは? - GIGAZINE
2015
https://gigazine-net.cdn.ampproject.org/v/s/gigazine.net/amp/20150621-monopory-history?amp_js_v=0.1&usqp=mq331AQFKAGwASA%3D#origin=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp&prerenderSize=1&visibilityState=prerender&paddingTop=32&p2r=0&csi=1&aoh=16017691670519&viewerUrl=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Famp%2Fs%2Fgigazine.net%2Famp%2F20150621-monopory-history&history=1&storage=1&cid=1&cap=navigateTo%2Ccid%2CfullReplaceHistory%2Cfragment%2CreplaceUrl

パーカー・ブラザースからマギー氏に支払われた額は約500ドルで、The Landlord’s Gameの名前やルールを改変しないことが条件に含まれていたとのこと。マギー氏は売却に関してはとても前向きで、その理由は大きい出版会社から発売されることで大勢の人に遊んでもらえるからだったそうです。

ただし、アメリカの特許は「出願日から20年」または「特許付与日から17年」のうちいずれか遅く終了する期間までが存続期間となるため、訴えられたAnspach氏は「モノポリーはパブリックドメインである」と主張し、裁判の争点はモノポリーがパブリックドメインであるか否かに移っていきます。


シド・サクソン · 2017Crafts & Hobbies
... 番がリジー・J・マギーのゲーム用ボードに付与された。その『地主ゲーム( THE LANDLORDʼS GAME)』は経済学者 ...



NHK資本論テキストより:

上 昌広さんのツイート

上 昌広 (@KamiMasahiro)
日本のコロナ対策をまとめた本を出すことになりました。是非、お読み頂ければ幸いです。

日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2020/11/30

amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9…

https://twitter.com/kamimasahiro/status/1310779217546682371?s=21

2020年9月27日日曜日

可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル 山田広昭 2020/9

  1. 山田広昭『可能なるアナキズム』

    マルセル・モース(Marcel Mauss、1872 - 1950
     https://nam-students.blogspot.com/2019/03/marcel-mauss-1872-1950-httpnam-students.html
    ソレル 1847~1922
      http://nam-students.blogspot.jp/2014/02/vs.html

    NAMs出版プロジェクト: プルードンと集合力
     http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_2.html

    ドーナツ経済学


    スピノザの「マルチチュード」とプルードン:(&マルクスと神学政治論)


    《…宇野(=マルクス)とポランニーの洞察は、柄谷行人の『世界史の構造』によって、モースの贈与体系の分析と結び合わされた上で、文字通り世界史的な、かつ(これが主たるポイントであるが)来たるべき社会を見通すようなパースペクティヴを与えられることになった。 

    柄谷の独創は、下部構造論(経済決定論)の再評価を、ポランニーがまさに経済決定論を批判するために提出した原理、すなわち彼が「本来的に経済とは無縁の」行動原理とみなした「互酬」と「再分配」とを、「(商品)交換」と並ぶ交換様式(経済的下部構造)として位置づけ直すことによって行ったことにある。》

  2. 山田広昭『可能なるアナキズム』#11交換様式D
  3. 169〜171頁


  4. https://inscript.co.jp/b1/978-4-900997-77-6

    可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル | 山田広昭 |本 | 通販 | Amazon

    https://www.amazon.co.jp/可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル-山田広昭/dp/4900997773

    説明
    内容紹介
    権力なき共生はいかに可能か。マルセル・モースに端を発し、ポランニーを経由して、柄谷行人の交換様式論にいたる流れを追い、マルクス、ワルラスらの理論的探求、グレーバー、J・C・スコットらの実践的展望を援用しつつ、贈与のモラルを内包した交換様式の実現に来たるべき社会の構成原理を見出す。モースをアナキズムの文脈へと置きなおし、『贈与論』のアクチュアルな可能性をも明らかにして変革への道筋を描く、渾身の書下し。
    著者について
    山田広昭 
    東京大学大学院総合文化研究科教授(言語情報科学専攻) 
    著書に、『現代言語論』(立川健二との共著、1990年)、『三点確保──ロマン主義とナショナリズム』(2001年、以上、新曜社)、『文学批評への招待』(丹治愛との共編著、放送大学教育振興会、2018年)など。訳書に、『ヴァレリー集成IV:精神の〈哲学〉』(編訳、筑摩書房、2011年)ほか。 


  5. 書評:
    全13章。
    帯は「孤立を求めて連帯を恐れず」。
    (ホッブズは国家に頼ったが)モースにとって贈与は戦争抑止効果を持つ(71頁)。
    柄谷の影響もあり政治というより交換について考察される。
    モースのソレル、ボルシェビキズム批判が興味深い。
    モースを今日に生かす運動も紹介される。
    ワルラスへの影響も言及されるがプルードンはそこまで論じられない。
    著者の本領はシャルル・ジッド紹介など文学関連だろう。
    かつて著者はヴァレリーの資本論評の翻訳で注目されたようにマルクスへの言及がより目立つ。
    とりわけマルクスの貴金属貨幣(観)への疑義、というより技術的な貨幣論は重要な今後の課題とされる(#13:225頁)。
    クラストル、ドゥルーズ、グレーバー、フェリックス・マーティンも言及される。
    読みやすいので一般向けだが(あとがきから読むべし)専門研究書的な踏み込んだ著者による論考も読んでみたい。

    追記:

    信用貨幣論はマルクス陣営の課題だ。再生産表式のカレツキによる発展が欠かせないものとしてあった(鍋島直樹が紹介している)。
    なお再生産表式はプルードンへの批判から生まれた。
    唯物論的商品へのこだわりがマルクス陣営に足枷となった。



  6. マルクスは信用貨幣論も視野に入れている。
  7. あくまで恐慌論の裏返しではあるが。
  8. 岩波文庫7
  9. 重金主義(モネタルジュステム)は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金を嫌う The Scotch hate gold.」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在(ダーザイン)である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。》3-35-2

    宇野、熊野が引用した部分。

  10. #11
169〜171

上述したような宇野(=マルクス)とポランニーの洞察は、柄谷行人の「世界史の構造」に

よって、モースの贈与体系の分析と結び合わされた上で、文字通り世界史的な、かつ(これが主

たるポイントであるが)来たるべき社会を見通すようなパースペクティヴを与えられることに

なった。 柄谷は、社会の形態を「交換様式」という視点から見ることの重要性を強調しつつ、自

著の狙いを次のように述べている。


マルクス主義者は国家やネーションをイデオロギー的上部構造とみなしてきた。しかし、国…


柄谷は同時に、歴史を見る際に経済決定論的な見方を維持することの重要性を強調している。

上記引用が明らかにしているように、マルクス主義に対する従来の批判は、主として上部構造の

相対的自律性を言うことで、あるいは結局同じことだが、上部構造の「重層的(多元的)決定」

(アルチュセール)を言うことでなれてきたからである。柄谷の独創は、下部構造論(経済決

定論)の再評価を、ポランニー がまさに経済決定論を批判するために提出した原理、すなわち彼

が「本来的 に経済とは無縁の」行動原理とみなした「互酬」と「再分配」とを、「(商品)交換」

と並ぶ交換様式(経済的下部構造)として位置づけ直すことによって行ったことにある。

繰り返すが、ポランニーは資本主義社会以前のとのような社会も経済的領域の社会的領域から

の離床を知らないと主張した。そうした社会では私たちが経済活動とみなすものは、共同体の活

動全体の中に埋め込まれていて、そこでは、経済的構造と政治的構造を区別すること自体が不可

能である。しかし、このような不可分性、一体性は何がそうした一体的構造の基底にあるのかと

いう間いを排除しない。ポランニーが、互酬、再分配、交換を実体経済の「統合形態」と呼んで

いることがそれを示している。「人間と自然環境および社会環境との間の代謝interchange」とし

ての実体的経済を抜きにしては、人間の生存は不可能であり、結果としてとのような社会形態も

存在しえないがゆえに、実体経済のこれらの「統合形態」こそが社会形態の基礎となる。その意

味で言えば、ボランニーの経済人類学は実質的には下部構造論(経済決定論)なのである


ーーーー


山田広昭はヴァレリーの資本論評を邦訳紹介し(『三点確保』)、柄谷行人はそれを参照している。


(59) ヴァレリーは『資本論』についてこう書いている。《昨晩、読み返したよ(少しばかり)、『資

本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の一人だ。ジョレス[当時代表的な社会主義者]

自身はーー(読んでいないように見える)。(中略)『資本論』はといえば、この分厚い本(book)

にはきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさえすればいい。これは

かなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、無益にやたらと衒学的であ

ったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが言いたいのは、物事をとらえる

際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ているということであり、彼の言葉は、か

なりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。対象の違いは重要ではない。それに

結局をいえば、対象は同じなんだから!》(一九一八年五月一一日、ジッド宛書簡)(山田広昭訳)

(A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890–1942, Gallimard, 1955, pp. 472–3)

トラクリ文庫489頁より


17. Paul Valery, "Reflections on Art," in Paul Valery, Aesthetics, trans. Ralph Manheim (New York: Pantheon, 1964), pp. 142-143. 

18. Valery wrote on Capital: "Hier soir relu ... (tin pen) Das Kapital. Je suis tin des rares hommes qui l'aient In. 11 parait que Jaures lui-meme ... "Quant an Kapital, ce gros book contient des choses tres remarquables. II n'y a qu'a les y trouver. C'est d'un orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses
orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses sont epatantes. Je veux dire que la maniere de saisir les choses resemble a cell dontj'use assez souvent, etje puis assez souvent traduire son langage dans le mien. L'objet ne fait rien, et an fond cest le meme!" (A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890-1942 [Paris: Gallimard, 1955], pp. 472-473)

"Last night, I read Capital a little. I am one of the few who actually read it. It seems that even Jaures himself [has not read it] .... 
"Speaking of Capital, this big book includes quite remarkable things. All we have to do is find them. This is a product of tremendous confidence. Often insufficient in terms of scholastic rigor and pedantic for no reason, but certain analyses are brilliant. liant. I want to say that the method of grasping things resembles the one I use quite often, and in many cases I can translate his language into mine. The object does not matter, and ultimately it is the same!"




ヴァレリーの資本論評を柄谷は山田広昭★訳から引用していた。

可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル (日本語) 単行本 – 2020/9/18
山田広昭 (著)
単行本 
¥3,740 

権力なき共生はいかに可能か。マルセル・モースに端を発し、ポランニーを経由して、柄谷行人の交換様式論にいたる流れを追い、マルクス、ワルラスらの理論的探求、グレーバー、J・C・スコットらの実践的展望を援用しつつ、贈与のモラルを内包した交換様式の実現に来たるべき社会の構成原理を見出す。モースをアナキズムの文脈へと置きなおし、『贈与論』のアクチュアルな可能性をも明らかにして変革への道筋を描く、渾身の書下し。

著者について
山田広昭
東京大学大学院総合文化研究科教授(言語情報科学専攻)
著書に、『現代言語論』(立川健二との共著、1990年)、『三点確保──ロマン主義とナショナリズム』(2001年、以上、新曜社)、『文学批評への招待』(丹治愛との共編著、放送大学教育振興会、2018年)など。訳書に、『ヴァレリー集成IV:精神の〈哲学〉』(編訳、筑摩書房、2011年)ほか。

発売日 : 2020/9/18
単行本 : 272ページ
ISBN-10 : 4900997773
ISBN-13 : 978-4900997776
出版社 : インスクリプト (2020/9/18)
商品の寸法 : 19.5 x 13.5 x 2.4 cm

https://www.amazon.co.jp/dp/4900997773/



356〜8頁
http://polariscope.blogspot.com/2008/12/blog-post_03.html
ポール・ヴァレリーの資本論
柄谷行人が著書「トランスクリティーク」のなかでマルクスの価値形態を論じている箇所に、ポール・ヴァレリーの芸術論を引用している。マルクスが価値というものを複数の体系の間の不透過性としてみたように、芸術的価値の問題を「社会的交換の不透過性」から考えたということである。孫引きになってしまうが面白いのでその後半部分を引用しておこうと思う。

 きわめて重要なのは、これらふたつの変形作用 ―作者からはじまって製造された物体に終わる変形作用と、その物体つまり作品が消費者に変化をもたらすという意味での変形作用― が、相互に完全に独立しているということです。その結果として、このふたつの変形作用は、それぞれべつべつに考えられるべきである、ということになります。

 みなさま方は、作者、作品、観客あるいは聴き手という3つの項を登場させて命題をお立てになる。―しかし、この3つの項を統合するような観察の機会は、決してみなさま方のまえにあらわれないだろうという意味で、そういう命題はすべて無意味な命題なのです。(中略)

 …私のたどりつく点というのはこうです。―芸術という価値は(この言葉を使うのは、結局のところ私たちが価値の問題を研究しつつあるからですが)この価値は本質的に、いま申したふたつの領域〔作者と作品、作品と観察者〕の同一視不能、生産者と消費者のあいだに介在項を置かねばならぬというあの必然性に従属しているということです。重要なのは、生産者と消費者とのあいだに精神に還元できぬなにものかがあって、直接的交渉が存在しないということ、そして、作品というこの介在体は、作者の人柄や思想についてのある概念に還元できるようななにごとも、その作品に感動する人間にもたらさぬということなのです。(中略)

 …芸術家と他者(読者)このふたりの内部でそれぞれ何が起こったのか、それを厳密に比較するための方法など、絶対にいつになっても存在しないでありましょう。そればかりではありません。もし、一方の内部で起こったことが他方に直接的に伝達されるのだとすれば、芸術全体が崩壊するでありましょう。芸術のもつ力のすべてが消失するでありましょう。他者の存在に働きかける新しい不滲透性の要素の介在が是非とも必要なのです。…

(ヴァレリー「芸術についての考察」清水徹訳、「全集」第5巻、筑摩書房、柄谷行人「トランスクリティーク」岩波書店からの孫引き)

柄谷によればヴァレリーはこのような視点を「資本論」からえたということである。社会に向けて発言し、コミュニケーションをはかろうとする作品が数多い現代美術の世界において、もう一度問い直される必要があることのように思う。
ラベル: ART, BOOK, QUOTE



津島陽子『マルクスとプルードン』1979,247頁より
《サドラー…『人口法則』(一八三〇年)…「結合しない個人の生産を超過する結合した個人の生産の剰余」(ebd.S. 116.) →p.83》

ch5
p.83
Combined labour produces results which individual exertion could never accomplish. 

Thomas Sadler ; The Law of Population : etc. London 1830.
https://www.amazon.co.jp/law-population-superfecundity-developing-principle-ebook/dp/B07H6J7H8W

津島陽子((マルクスとプルードン』1979年247頁)指摘のプルードンに先行する集合力理論=サドラーの対マルサス反論。
ただし、プルードンには''外観"としての階級意識があった。
それが合成の誤謬を免れさせる要因となった。
ケアリの社会形態を並存させた反マルサスも重要。




柄谷行人 in 1987 雨月の使者
https://youtu.be/D8Go9s5SGpo

2011 9 11 新宿アルタ前 柄谷行人 演説
https://youtu.be/ylWQlrHQ4Gk

先月逝去したグレーバーを柄谷行人は昔(オキュパイ運動の頃)、友人と呼んでいたが
どの程度親しかったのか?

David Graeber: what the government doesn't want you to know about debt – video
2015
https://youtu.be/LxJW7hl8oqM

しかし回顧的になる余裕もなく事態は進む

【キリスト教学者など】菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1601562426/
https://www.tokyo-np.co.jp/article/59092

☆☆
スピノザの「マルチチュード」とプルードン:(&マルクスと神学政治論)

以下、スピノザ神学・政治論下光文社文庫20:06より

しつこいようだが、国とは人間を理性的存在から野獣や自動人形におとしめるためにあるので
はない。むしろ反対に、ひとびとの心と体がそのさまざまな機能を確実に発揮して、彼
らが自由な理性を行使できるようになるために、そして憎しみや怒りや騙し合いのために
争ったり、敵意をつのらせ合ったりしないためにある。だとすると、《国というものは、実は
自由のためにあるのである。》

《》内をマルクスが抜き書き(鷲田小彌太☆『スピノザの方へ』161頁参照)

マルクスの『神学・政治論』研究の理論射程
http://chikyuza.net/archives/59516
参照:
内田弘「スピノザの大衆像とマルクス」『専修経済学論集』第34巻第3号、2000年3月

マルクスはつぎの文に注目し抜粋する(MEGA,IV/1,S.240)。
「人間は、安全にかつ立派に生活するために、必然的に一者に(necessario in unum)結合しなけれ
ばならなかった。しかもその結合によって人間たちは、各人が万物にたいして自然から与えられ
た権利を共同して所有する(collectives habeo)ようになった。またその権利がもはや各人の
能力と欲望によってではなく、万人の力と意志によって決定されるようになったのである」…

マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた

「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
(ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_29_00&p=486
(会員のみ閲覧可能)
しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。 

エチカ4:73
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p73
 定理七三 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に
従って生活する国家においていっそう自由である。

鷲田小彌太は相米慎二の講演を企画した。