2026年3月24日火曜日

震災時のグランディ・21について(ボランティア)

震災時のグランディ・21について(ボランティア)

震災時のグランディ・21について(ボランティア)

東日本大震災は2011年3月11 日14:46、突然やってきた。
当然、グランディ・21も大きな被害を受けたが、さすがに倒壊の危険はなく、被災地支援の最前線として、その機能を果たすこととなった。
消防隊、各国からの支援隊の基地となった。

次の週。セキスイハイムスーパーアリーナは、被災地最大の遺体安置所となった。
ご遺体は主に、ヘリコプターや専用のトラックで沿岸部から運ばれてきた。
アリーナ北側、外では、ご遺体の洗浄作業が行われ、そのすぐ中で検視などが行われた。

仙台市の市バスが市内とグランディ・21を臨時バスで結んだ。
そのバスを降りてくる人の案内誘導のボランティアを、グランディ・21ボランティアは行った。
初めてグランディ・21に来られる人ばかりだった。
あるときは、私たちの仲間が、そのバスから降りてきてしまった。

アリーナの玄関内は、悲鳴を上げて泣く人、床にへたり込んでしまう人、が、たくさんおられた。
ロビーには、ご遺体の特徴を書いた紙がたくさん貼ってあった。

車で来られて迷われていた、ある若い夫婦を、誘導案内し、小一時間ほどすると、アリーナの中から出てきた。
アリーナ内には関係者しか入れない。ロビーに貼ってある特徴を見てから、可能性を係員(仙台市の職員など)に告げると、直接、棺まで行って良いことになっていた。
その若い夫婦は、手続きを済ませて、煙草を吸いに、外に出てきたようだった。
私が軽く会釈すると、
「先ほどはありがとうございました。やっと子どもに会えました。」
と、おっしゃった。

アリーナの外、A,B駐車場には、外国人部隊、消防隊がテントを張っていた。
英語で彼らに語り掛けると、親しげに返事をしてきた。
比較的最後までいたのは、ロシア、トルコ、そして韓国。
彼らは、生存者捜索をしながら、ご遺体を多く収容した。
ロシアの人たちからはボルシチをいただいた。
韓国人も意外に親しげに話をしてくれた。
とっても人懐っこい、トルコの人たちは、いろんな物資を置いて、帰国していった。
こうやって被災地には多くの外国人が来てくれた。
このことを私たちは忘れない。

遺体安置所は6月末まで続いた。
そして、9月。
震災後初めて、アリーナで、ディズニーオンアイスが開催された。
9月10日(土)・11日(日)、桑田佳祐さんの復帰後初のライブ「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」が開催。
会場周辺はお祭り一色となって、久しぶりに、笑顔あふれるアリーナとなった。

ひとめぼれスタジアム宮城は、柱が折れ、大型映像装置が壊れ、改修に1年半を要した。
2012年8月、FIFA U-20女子ワールドカップが開催され、再びスタジアムは歓声にあふれた。
日本チームのメンバーは、GK 池田咲紀子, GK 武仲麗依, GK 望月ありさ, DF 木下栞, DF 坂本理保, DF 浜田遥, DF 中村ゆしか, DF 和田奈央子, DF 高木ひかり, DF 土光真代, MF 加藤千佳, MF 仲田歩夢, MF 藤田のぞみ, MF 猶本光, MF 田中陽子, MF 柴田華絵, MF 中里優, FW 横山久美, FW 田中美南, FW 道上彩花, FW 西川明花 だった。

【トマス・ホッブズ】「リヴァイアサン」わかりやすく解説│Web大学 アカデミア

https://akademeia-literacy.com/politics/thomas-hobbes-leviathan/

1758夜 『アジール』 オルトヴィン・ヘンスラー − 松岡正剛の千夜千冊

1758夜 『アジール』 オルトヴィン・ヘンスラー − 松岡正剛の千夜千冊

1758夜 『アジール』 オルトヴィン・ヘンスラー − 松岡正剛の千夜千冊

 アダムとイヴはエデンの楽園を追われたのち、二人の子を産んだ。カイン(Cain)とアベル(Abel)である。兄のカインは土地を耕し、弟のアベルは羊を放牧した。二人がその成果を神なるヤハウェに供物として捧げたところ、ヤハウェはアベルが捧げた羊の初子に目をとめ、カインの農作物を軽視した。これを恨んだカインは野にアベルを誘い出して殺害した。
 ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私はアベルの番人なのですか」と答えたが、大地に流れた血はアベルの異常な死を示していた。ヤハウェはカインに「おまえは土に呪われている」と告げると、エデンの東にあるノド(ノデ)の地に追放し、耕作による収穫物から遠ざけた。けれどもカインがノドの者たちに殺されることを怖れたので、ヤハウェはカインに「誰からも殺されないための印」をつけ、「カインを殺そうとする者は7倍の復讐を受けるだろう」と告げた。
 やがてカインはエノク(Enoch)という子をもうけ、ノドの地にエノクという名の町をつくった。そこはカインのしたいことが許容され、カインの罪が問われないところ(アジール)になった。一方、ヤハウェは子を失ったアダムとイヴを不憫に思い、アベルの代わりとしてセト(セツ)を授けた。時が移り、セトの9代目にノアが登場した。人類が40日40夜におよぶ大洪水に見舞われたとき、すでにノアは年老いていたが、ゴフェルの木で方舟をつくって民と動物を救った。

「アベルを死へと導くカイン」(ジェームズ・ティソ画)
ヤハウェにアベルの居場所を聞かれ、「知りません。私は彼の監視者なのですか。」と答えた。これが人類が初めてついた嘘だとされる。

アベルの死を嘆くアダムとイヴ(ウィリアム・アドルフ・ブグロー画)

カインがノドの地に建てた町「エノク」
「町を建てる」ことは、神の防衛の保障が得られないため、人間同士が力を結集して自分たちを守ることを意味する。

 以上は旧約聖書「創世紀」に出てくるカインとアベルをめぐる有名な話で、日本でも有島武郎(650夜)の『カインの末裔』の素材になっているほどなのだが、この話、よくよく読むといくつもの謎がのこる。
 たとえば、なぜヤハウェは土地の収穫物より牧畜に関心をもったのか。あの時代に、農耕民よりも動きまわる遊牧民が重要だったということだろうが、なぜそうなったのか、はっきりしない。「ユダヤの民」という、新たな部族をつくりあげるためには、そういう生産観や労働観が必要だったのだろうか。
 カインの働き方が蔑まれたとしても、それだけで弟を殺したくなったのかも、どうにも唐突だ。ふだんから兄弟の仲がよくなかったのか、貢ぎものや捧げものに区別があったのか。きっとユダヤ教の社会の初期制度の何かを暗示しているのだろうが、兄による弟殺しはよっぽどだ。もっと複雑な理由があったのだろう。
 もっとも弟殺しはカインだけのことではない。古代ローマを建国したロムルスも、弟ゲタと争ったカラカラ帝も、始皇帝も唐の太宗(李世民)も、頼朝も尊氏も信長も、弟を殺した。逆はあまりない。頼朝の義経への憎悪は、日本人に「判官びいき」をふりまくほど有名になったけれど、その奥の真相や意図には、説明しがたいものがある。
 ちなみに動物学や行動生態学では兄弟姉妹殺しを「ジブリサイド」(siblicide)といって、鳥類に多いことがよく知られている。鳥類は成長の途中に兄弟姉妹がひんぱんに殺されてしまうのだ。

 追放されたカインになぜ「殺害を逃れるための印」がつけられたのかということも、気がかりないきさつである。その「しるし」はどんなものだったのか。スティグマ(聖痕)のようなものなのか、刺青のようなものなのか、それとも差別的な服装なのか、魔法のような呪いなのか。こういうことも判然とはしない。
 カインはノドという町をだんだん都市に仕立てていったと察せられるのだが、なぜそこは罪が問われずにすんだのか。無法都市だったわけではあるまい。当時すでに原始都市っぽいところにはなんらかの免罪力があっただろうと思われる。
 これらについての答えは「創世紀」の記述からだけでは推測がつかない。わかることは、ユダヤ社会の初期に労働が分割されていただろうこと(農業と遊牧)、カインが人類最初の殺人者であったこと、そのカインが「しるし」を受けたことはカインが最初の「神から選別された者」になったのだろうということ、そしてカインとともに「聖なる避難所」としてのアジールが生まれたのであろうということである。
 そう、カインとアベルの物語はアジール発生の物語としてこそ読めるのである。ただ、そのように理解はされてこなかった。

 日本の80年代の話になるが、中世歴史学とその周辺でアジール談義が熱くなったことがあった。
 いまは懐しい阿部謹也の『中世を旅する人びと』(平凡社)や『刑吏の社会史』(中公新書)、網野善彦(87夜)の『無縁・公界・楽』(平凡社)や『日本中世に何が起きたか』(日本エディタースクール出版部)、および網野・阿部の対談『中世の再発見――市・贈与・宴会』(平凡社)などが話題になった。そこにはオルトヴァン・ヘンスラーが強調したアジールの議論がしばしば取沙されていた。ただし、原著が翻訳されていなかったせいなのか、ヘンスラーがどのようにアジールを定義したかというようなことは、あまり話題になっていなかった。
 早くに西洋社会のアジールを紹介していた平泉澄の『中世に於ける社寺と社会の関係』(至文堂)も、ヘンスラーにはふれていない。そういうことを引き受ければたいていは調べあげてみせるはずの今村仁司も、のちの『排除の構造』(青土社→ちくま学芸文庫)などはそのことに踏みこんでもよかったのに、さらっとしていた。どうしてそういうふうだったのか、そのころの学問事情は知らないが、日本は"インスラー抜き"のアジール議論でずうっと湧いていたということになる。
 で、2010年になって、やっと舟木が原著の翻訳に名のり出たわけである。翻訳を買ってでただけでなく、たいへん詳しい解説も付けた。
 もっとも、その舟木がヘンスラーの本書のことを知ったのが、小俣和一郎(470夜)の『精神病院の起源』(太田出版)だったというのは意外だった。中世以来の精神病棟がアジールであることについては、小俣以前にアーヴィング・ゴッフマン(1317夜)の『アサイラム――施設被収容者の日常世界』(誠信書房)が記しているのだが、これまたあまり話題になっていない。まあ、それほどに日本の思想界ではヘンスラーのアジール論について疎かったということだ。

ヘンスラーに影響をうけた日本人学者の著作

 原著はゲルマン社会のアジール法についての研究書で、犯罪者や逃亡奴隷などが墓地や教会などに逃げこんだ場合、かれらの権利(アジール権)をどのように処理してきたかをめぐった法制史学の本である。
 ヘンスラーは1923年のシュトゥットガルトの生まれで、学者というより司法行政のプロだったようだ。長年にわたってバーデン・ヴュルテンベルク州の司法省で判事などをしているうちに、ゲルマン法に埋もれていたアジール法の実態を明るみに出すことを思いついた。
 ヘンスラーによるアジールの定義は次のようになっている。「一人の人間が、特定の空間、人間、ないし時間と関係することによって、持続的あるいは一時的に不可侵なものになる。その拘束力をそなえた形態をアジールという」。

 ドイツ語のアジール(Asyl)はギリシア語の「不可侵」「侵すことができない場所」を意味する asylos や asylon から派生して、ゲルマン社会で「庇護」や「避難所」の意味をもつようになった。その地域の統治権力が及ばないところ、そこがアジールとされた。アジールは「カインの末裔」が逃げ切れるところとして歴史化されていったのだ。
 なぜ、そうなったのか。古代中世のゲルマン社会には「血讐」の習慣があり、ある者が殺害されると、その血縁者が復讐をはたすことが慣行化していた。国家による公権が確立していない時代では、各地の「血讐」の慣行が自力救済の一助となったからだ。
 しかし、これでは復讐の連鎖がおこりかねない。そこでアジール法によってその抑止がはかられた。カインの「しるし」(その実態はあいわらずあきらかになっていないままだが)は、やがてアジール法に取って代わったのだ。
 ヘンスラーはアジール法が適用された実態を調べていくうちに、そこにひそむ歴史的意義に気がついた。法制としてのアジール法のあれこれよりも、その裏側に動くアジールの社会文化的な意図に関心をもったのだ。そこでヘンスラーはアジールの歴史を調べあげ、①宗教的・魔術的段階、②実利主義的な段階、③退化と終末の段階、の3段階に分けてあきらかにしていった。3段階について、かんたんに説明しておく。

 宗教的・魔術的段階のアジールは、原始古代において恐怖と不安を乗りきるためのものである。原始古代人は自然の脅威、獣類の脅威、病気の脅威、死の脅威などから逃れるため、超越的な霊力を想定し、それにすがるための強力な観念をつくりあげた。ヘンスラーはそれを「オレンダ」という用語で説明する。
 オレンダは北米イロクォイ族が信じていた霊力のようなもので、「あらゆる事象を規定する強い効力を信仰する力」のことをさす。ヘンスラーは当時の宗教学者ププィスターがオレンダにもとづく観念状態を「オレンディスムス」と名付けたことを踏襲して、アジールはそうした原始古代特有のオレンディスムスによって発生したとみなした。
 オレンディスムスが律する古代社会や未開社会では、祭場・墓地・酋長・祭司・戦士・シャーマンなどがオレンダをもっているとみなされた。そのオレンダに接した者にもオレンダが感染し、転移すると考えられた。「エンガチョ」がおこるのだ。エンガチョによる感染はジェームズ・フレイザー(1199夜)の『金枝篇』以降の人類学では「類感呪術性」などともよばれる。
 古代オレンディスムスはオレンダが強くはたらく場所をアジール化し、その前後でのやりとりにタブーを発生させたのである。

 やがてアジールは実利主義的な段階にすすんでいく。領主や国王の力が強くなり各地に広まっていくと、それまでのアジールが宗教的な枠組から世俗国家の枠組に組み替えられていった。
 これは定住生活が確立していったこと、農耕社会が地域的に確定されたこと、商業圏が発生してその商圏ネットワークと職人ネットワークができあがってきたこと(定期市やハンザ同盟)、特定の家系が力をもつようになったことなどによるもので、ここにアジールは世俗権力のアジール法によって保護され、維持されることになった。
 ヘンスラーはこうした実利化したアジールが、犯罪者のためのアジール法、外国人(流民や移民)のためのアジール法、奴隷のためのアジール法などに分かれていったことをつきとめた。
 その後、これらのアジール法が法治国家の管轄になり、新たな法制度に切り替えられていくと、アジールそのものが特色を失い、退化と終末の段階になっていく。フランスでは1539年に、イングランドでは1624年に、事実上アジールが廃止されている。
 ヘンスラーはこう綴る。「神聖な中心点のまわりに集まった祭祀共同体から、国家的な目的団体が生成し、それが自らの目標実現のために合理的な手段を発達させ、国家の完成度がある段階に達すると、アジール法はその存在理由と意義を失った」。

教会前の乞食と病人たち
聖域である教会は追われる犯罪者や負傷者、病人などの避難所として提供してきた。4世紀から17世紀の英国法で認められていた。

中世イングランド、攻め入る軍隊にキリスト教の教会神父が庇護の権利を主張している場面(リチャード・バーチェット画)

教会周辺の避難場を示すランドマーク(フィエヒト修道院・オーストリア)

 だいたいこんなところがゲルマン社会における「アジールの発生と退行」のあらましだが、やはり興味深いのはオレンディスムスがどのように網を拡げていったのかということだ。それについてヘンスラーは、オレンダに当たる言葉は古ゲルマン語では「ハイル」(Heil)だろうことを指摘する。
 ハイルは「平安、無事、健康、繁栄、幸福」に向かうことを示す言葉で、神的な空間・人物・時間に充ちているものをいう。漢字一字をはめるなら「感!」というあたりだろう。「万歳!」にも近い。ゲルマン社会では、そのハイルに接触したものも軒並みハイルになるとみなされた。強力なエンガチョだ。
 ハイルが充満しているところや人が「聖性」(Heiligkeit)をもち、そこに匿われているものを「聖なるもの」(Das Heilige)にしていった。ハイル、ハイリッヒカイト、ハイリゲとみなされたものや場所は「一時の平和」を保証し、血讐を遠ざけるアジールになれたのである。
 こうして、森のハイル、氏族のハイル、墓所のハイル、祭場のハイル、集会のハイル、家のハイル、境界のハイル、迷路のハイル、市のハイル、町場のハイルがすだくところ、けっこうな数のアジールがヨーロッパに生まれていった。日本中世でも、網野が挙げたような「無縁」や「楽」が生まれていった。
 そうしたアジールでは、たいていは「通過儀礼」や「聖なる犠牲」や「治癒」や「交換・贈与」が生じた。ドイツ語の治癒を意味するハイルンク(Heilung)はハイルの暴走と沈静の様子をあらわしている。
 このあたりのこと、ヘンスラーばかりが考察したわけではない。アルノルト・ファン・ヘネップの通過儀礼論、ヴィクター・ターナーのリミナリティ論、マルセル・モース(1507夜)の贈与論、ミルチャ・エリアーデ(1002夜)のイニシエーション論、さらにはルドルフ・オットーの『聖なるもの』(岩波文庫・創元社)、ルネ・ジラール(492夜)の『暴力と聖なるもの』『世の初めから隠されていること』『身代わりの山羊』(法政大学出版局)などにも、それなりの言及がある。

アジールについて言及してきた人類学者たちの著作

 さて本書には、さきほども述べたように訳者の舟木徹男による詳細な解題「アジールの近代」が付いている。ぼくが知るかぎり、いまのところ最も浩瀚なヘンスラー論やアジール論になっている。いろいろ解題されているが、なかで次の流れが重要だ。多少を補って、解題の解題をしておく。

 アジールのルーツは原ゲルマン社会にも原ユダヤ社会にもあった(むろん古代中国にも古代日本にもあった)。原ゲルマン社会の原アジールは「森」である。ぼくが阿部謹也さんに会っていたころ、阿部さんは「フランク王国なんてまだおっかない森ばっかりですよ。ゲルマン系のサリ族が占拠した土地です。そこにアーヘンなんていう都を、穴ぼこをあけるようにむりやり穿いたんですよ」と言っていた。
 そこはヘンゼルとグレーテルが迷い、長靴をはいた猫やロビン・フッドが君臨し、ファウスト博士の魔術がかかる地域であった。また魔女や七人の小人が棲む森でもあった。
 ゲルマンの森は平地との境界領域をかたちづくっていた。共同体から追放された者はしばしばそういう森に逃げこんだ。原ユダヤ社会から追放されたカインの宿命を想わせる。カインはおそらく森の中を穿ってノド(ノデ)をつくったのであろう。こうして古代中世を通じて、森の一隅を穿つかのように点々とアジールができていった。
 当初にアジールをつくった者は、ハイルやオレンダを帯びながらも共同体の摂理や機序を破った者だった。それゆえそうした者がつくったアジールでは、不法や犯罪が帳消しにできた。そうすることによって、不法や犯罪の悪しき連鎖が防げるとみなされたからだ。
 そのためアジールには第2、第3の不法者や犯罪者が次々に逃げこみ、よりいっそうの避難拠点に足るアジールとしての性格を強めていった。アジールには聖俗両方が流れこんでいったのである。中国では『水滸伝』の舞台にあたる梁山泊などがそういうアジールにあたる(438夜参照)。
 日本のアジールについては網野の『無縁・公界・楽』や夏目琢史(1559夜)の『アジールの日本史』(同成社)、また最近の著作だが、伊藤正敏の『アジールと国家』(筑摩選書)などが詳しい。中世の寺社勢力の近辺には、比叡山や高野山や各地の修験の山のネットワークの支点のように、いくつものアジール(無縁所)ができていったのである。そこには「別所」や「散所」や「駆込寺」とよばれるスポットも含まれた。
 いま、ぼくは近江の有志たちと「近江ARS」というプロジェクトを準備しているのだが、そこには三井寺(園城寺)のいくつもの別所が息づいている。山科、逢坂山、三井寺一帯は別所だらけだったのである。

中世まで西洋人にとっての森は「異界」だった
古代から中世にかけてのヨーロッパ大陸はそのほとんどが森に覆われていた。村を囲う柵を越えれば、神々・精霊・悪霊の世界があると畏れられていた。
オーブリー・ビアズリー《Merlin Taketh the Child Arthur into His Keeping》、トマス・マロリー『アーサー王物語』より

マークをつけたユダヤ人
カインの末裔としてのユダヤ人は長きにわたる差別をうけて、ヨーロッパ諸国では区別するシンボルの着用が強制されていた。画像は胸に黄色い輪Ringelのついた服をまとっているユダヤ人。もし着用していないところを捕えられた場合、衣服はすべて剥ぎ取られ、告発者と当局に分配された。

「逃れの町」(チャールズ・フォスター画)
旧約聖書の民数記35章に記載されている町。過失で人を死に至らしめた人が復讐から逃れて安全圏が保証される。避難したものはそのときの大司祭が死ぬまで留まらなければならない。

パリのノートルダム寺院の入り口にある「アサイラムリング」
ここにたどり着いたものは、当分の間、迫害者から逃げることができた。

 いまさら言うまでもないことだろうけれど、そもそも「聖なるもの」は「正と邪」の両面性や「聖と俗」の両義性をその内側に孕んでいる。ルネ・ジラールはそうした聖性を「人間がそれを制御できると思いこめば思いこむほど、それだけ確実に人間を制圧するいっさいのもの」と定義した。
 なかなかうまい言い方だ。これは「聖性」には、邪や俗が最も劇的に加速して「暴力」にいたる力が半ば隠されていたということを告げている。ジラールはこの見方に徹して、社会における犠牲や供犠の本質を喝破した。しかしジラールには見落としていたことがあった。聖性と暴力の両面性や両義性は、二つながらアジールとしていかされていたということだ。

ルネ・ジラール(1923-2015)
フランス出身の文芸評論家。ミメーシス論や欲望、暴力論などを展開し、従来の人類学を一新した。1966年10月に企画参加した国際シンポジウム「批評の言語と人文科学」はアメリカ合衆国に構造主義を紹介する上で大きな役割を果たしたとされており、出席者にはジャック・ラカンやロラン・バルト、ジャック・デリダが名を連ねた。

 暴力には相互に認証された暴力や、第三者が立ち会う暴力がある。たとえば決闘だ。決闘はその場をいっときのアジールにする。ドイツ語ではこういう暴力のことを「フェーデ」(Fehde)と言った。
 たんに暴発した暴力が発端したのではなく、暴力による決着のための措置をみとめることがフェーデだった。したがって決闘では第三者が巻きこまれることがない。フェーデは暴力の波及を抑止できると考えられたのだ。
 つまりフェーデは自力救済のための暴力だったのである。10世紀のドイツでは、こうしたフェーデが頻繁におこっていた。
 ところがやがて、つまらぬ言いがかりをつけて相手方に決着を迫り、身代金や掠奪を目的とするような、フェーデを隠れ蓑としてつかう暴力行為が目立ってきた。ゆすり、たかり、詐欺が暴力行為を伴うことになった。ヨーロッパに広まりつつあるキリスト教社会においては、こういうフェーデの恣意的な歪曲は「神の平和」(Pax Dei)を乱すものだった。世俗国家としてもこの歪曲は統制すべきものになった。こうしてここに数々のアジール法が関与したわけである。
 ちなみに、互いに宣戦布告をしあう戦争も、こういうフェーデ型の相互暴力行為を広域で認証したものだとみなすことができる(今日においてもこの事情は変わらない)。また、戦争における戦場も特別なアジール化をおこしているとみなすことができる。

フェーデを知らせる使者
フェーデは原始的な血族単位での報復である血讐を中世法によって制度化したもの。フェーデを行なう時は場所・日時をしかるべき形式の果たし状として公開し、無関係の者が巻き込まれるのを防がなければならなかった。

 ヨーロッパではフランク王国の時代とその瓦解分解以降の時代で、歴史が大きく分かれる。アジールの歴史にとってもこの分岐点が大きい。
 フランク王国以降、ひとつには、ヨーロッパ各地で自治都市が生まれていった。背景には三圃(さんぽ)農法の普及で農業生産力が高まり、定期市が開かれる場所に集まってきた遠隔地商人たちによって居住区を拠点とした都市が発達してきたことが与かった。
 商人たちは聖俗権威の両方から承認をえながら少しずつ発展していったのだが、そのうち税の取り立てなどをめぐって領主と争うようになり、商人が手工業業者や行商人とのあいだに誓約(コンユーラーチオ)を結んで、しだいに自治権を主張する中世都市を形成していくようになった。これは自治都市そのもののアジール化を促進した。
 もうひとつの変化としては、フランク王国の分離以降、キリスト教的な「神の平和」ではまにあわなくなってきたということがある。世俗国家による平和、すなわちフェーデを上から制限するか、禁止するかする「ラント平和」が提示される必要が出てきたのだ。1235年のシュタウフェン朝のフリードリヒ2世によるマインツでのラント平和令(Landfrieden)が、ドイツ語による最初のラント平和の文面として残る。
 ラントは州単位による国家のことをいう(ブレーメン、ハンブルク、バイエルン、ヘッセンなど)。1495年のマクシミリアン1世の永久ラント平和令は、ヨーロッパの多くのフェーデを完全に禁止に追いこんだ。 ここにアジールは変貌するか、世俗国家の手にわたすしかなくなったのである。

中世ヨーロッパの荘園の構造
農地を3つに分け、3年に一度は土地を休ませて放牧も行い、地力の回復をはかる三圃制がおこなわれていた。
「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」

 歴史が近代に向かうにつれ、アジールをめぐる約束事にもいくつかの大きな制度変更が加わっていった。
 第1には、訴訟裁判が前面に出てきた。それまでは親告訴訟であったのが糾間訴訟になっていった。個人の有責性を問い、治安の確立と犯罪を予防するための刑罰が確立していったのだ。
 第2に、市(市場)の充実と貨幣による交換経済がしだいに普及して、それまで贈与や互酬によって保たれていた「ハイルを伴う経済行為」が薄くなっていった。モースの『贈与論』はその経緯をつぶさに綴った。
 第3に、このことはけっこう特筆できるのだが、個人や女性が浮上してきた。呪術的な共同体から個人が独立する準備ができてきて、キリスト教社会での「告解」が一般化していったのだ。ヘンスラーは(阿部謹也も)、こうした個人の出現をアイスランド・サガなどを材料にして読み解いた。フーコーはそのへんの事情を次のように説明した。
 「個人としての人間は、長らく他の人間たちに基準を求め、他者との絆を顕示することで自己の存在を確認してきた。ところが、彼が自分自身について語りうるか、あるいは語ることを余儀なくされている真実の言説によって、他人が彼を認証することになった。真実の告白は、権力による個人の形成という社会手続きの核心に登場してきたのである」。
 女性も特別に議論されるようになった。ヘンスラーはアジールにとっては魔女(Hexen)の強調が重要な事態になったと解釈した。魔女は男性社会には見えない出産力や性的魅力や霊感をもっているとおぼしく、とくに才能あふれる女性には、共同体や都市の中では「森の魔力」が日常社会の真ん中にそのままもちこまれたとみなされた。こうして公権力は「魔女を裁く」という判定機能を発揮するようになった。
 こうして魔女狩りや魔女裁判の断行され、多くの魔女狩りがアジールの駆逐に結びついていった。ナサニエル・ホーソーン(1474夜)の『緋文字』はアメリカ前近代17世紀の魔女裁判の悲劇を描いた傑作だった。
 各地に主権国家が確立していくにつれ、魔女狩りは終焉し、アジールがなくなっていった。

西洋でおこなわれていた拷問の数々
訴訟裁判によって罪を問われた個人に、さまざまな刑罰が執行された。ときには死体に対してもおこなわれた。

中世ヨーロッパ市場の様子

左上は市場に来る人から入市税を徴収する役人。右下は市場の秤の図。

魔女狩りを描いたもの(スイス、1447)

 アジールの後退や終息は、宗教革命の進行や科学の発展とも結びついている。プロテスタンティズムが「天職」や「勤労」を称賛し、それが各地の市場経済の促進に役立っていったことも、アジールの役割を剥いでいくことになった。
 各地に収容所や監獄が林立していったことは、アジールを縮めさせた。アジールはたくみに精神病棟(アサイラム)に変更されていったのだ。
 それでどうなっていったかといえば、実は「啓蒙」が躍り出た。ルソー(663夜)の啓蒙思想は「自然人」を称揚したが、それはかつての「こわい森」を新たな自然観に切り替え、自然権を社会に導入する装置になっていったのである。
 それなら近代国家とともにアジールはなくなったのかといえば、そうではない。近代社会は感性や想像力や文芸や劇場の中にアジールを求めた。舟木はそれを「情緒的避難所」とよんでいる。いまでは、それは心理的避難所ともなって、「うつ」や「トラウマ」を塗り重ねている。
 アジールもアジール的なるものも、おそらくなくなりっこないだろう。われわれが空想やフィクションやアイドルに託すもののすべてに、なんらかのアジール性がこびりついているからだ。本書には言及されていないけれど、すでにスポーツ競技にも芸能社会にもサブカルチャーにも、アジールの特異性がさまざまに頻出しているのである。
 そこには「カインの末裔」も「魔女狩り」も、今後ともおこりつづけていくだろうとも、言っておかなければならない。今後はネット社会にもアジールや別所が必要になるにちがいない。

(図版構成:寺平賢司)


⊕『アジール―その歴史と諸形態』⊕

∈ 著者:オルトヴィン・ヘンスラー
∈ 訳者:舟木 徹男
∈ 発行者:佐藤 今朝夫
∈ 発行所:国書刊行会
∈ 装丁:犬塚 勝一
∈ 印刷所:藤原印刷株式会社
∈ 製本:株式会社ブックアート
∈ 発行:2010年7月1日

⊕ 目次情報 ⊕

第一部 アジール法の諸形態
第二部 異教ゲルマン人におけるアジール法の諸形態

解題―アジールの近代―

訳者あとがき
原註
訳註
解題註
文献および資料一覧
索引

⊕ 著者略歴 ⊕
オルトヴィン・ヘンスラー
1923年シュトゥットガルト生まれ。長年バーデン・ヴュルテンベルク州の司法行政に携わり、同州の司法省で判事および省庁ディレクターとして活動。63歳で定年退職を迎え、現在もシュトゥットガルトに在住。

⊕ 訳者略歴 ⊕
舟木 徹男(ふなき・てつお)
1973年石川県生まれ。1996年京都大学文学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、龍谷大学非常勤講師。

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アジール―その歴史と諸形態 単行本 – 2010/7/1 

エルンスト・ブロッホ - Wikipedia

エルンスト・ブロッホ - Wikipedia

エルンスト・ブロッホ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルンスト・ジーモン・ブロッホ(Ernst Simon Bloch, 1885年7月8日 - 1977年8月4日)は、ドイツマルクス主義哲学者無神論者神学者ユートピア思想や表現主義の影響下に独特のマルクス主義哲学を展開した。ジンメルの紹介でルカーチと親交を結んだほか、ヴェーバーベンヤミンとも交友をもった。代表作である『ユートピアの精神』や『希望の原理』は、1968年前後の学生運動解放の神学などにも影響力をもった。

生涯

生い立ち

1885年ルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインで同化ユダヤ人の鉄道局官吏の家に生まれた。ヴュルツブルク大学で哲学を勉強しながらゲオルク・ジンメルルカーチ・ジェルジュと親交を結んだ。とりわけルカーチとの終生にわたる交友は、ブロッホ自身が後年「共生」とまで呼ぶほど親密なものとなった。

大学卒業後の1913年バルト海の醸造者の娘エリツェ・フォン・ストリツキと結婚した(1934年にはウィーンでカロラ・ブロッホと再婚した)。1915年ハイデルベルクを訪れたさいにはマックス・ヴェーバーとも知り合った。第一次世界大戦の激化にともない、1917年スイスへ亡命。翌1918年、最初の著書『ユートピアの精神』を発表。晦渋な作品であったため世間一般の評判は芳しくなかったが、テオドール・アドルノヴァルター・ベンヤミンなど、問題意識を共有する少数の優れた読者からは絶賛された。1920年代はジャーナリストとして活動し、ベルトルト・ブレヒトクルト・ヴァイルなどの芸術家と関わりをもった。

1930年代

1933年ナチスが権力を掌握すると、ユダヤ人であったブロッホはただちに国外へ脱出した。最初にスイスへ、その後オーストリアフランスチェコスロバキアなどを転々としたのち、1938年にはアメリカ合衆国へ亡命。それから約十年間にわたりアメリカでの亡命生活を余儀なくされた。

この逃避行のさなかに第二の主著『この時代の遺産』を刊行。日常的な現実のなかに潜む「もはや意識されないもの」と「まだ意識されないもの」という二つの概念を軸にして、モンタージュによって自らの思考を構成してゆくという手法は、『ユートピアの精神』から引き継がれたものである。この手法により「なぜワイマール共和国はナチスを生み出し、ヒトラーを政権に就かせなければならなかったのか」を究明したこの作品は、マルクス主義者ではない作家・批評家(ヘルマン・ヘッセクラウス・マンなど)からも高く評価された。また同時期(1937年-1938年)には、表現主義をナチズムに先鞭をつけたものとして非難するルカーチに対して、前衛芸術が未来を展望し実現する可能性を信じる立場から反論を加え、いわゆる「表現主義論争」を展開した。

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後の1949年には東ドイツへ帰国してライプツィヒ大学で哲学教授の地位を得た。アメリカで過ごした大戦中には思索の成果をまとめる機会に恵まれなかったブロッホは次々と著書を刊行し、1954年から1959年にかけて第三の主著『希望の原理』を発表。しかしブロッホの思想はきわめて独特であり異端的とさえいえるものであったため、修正主義との批判を受けるなど政府当局とのあいだに軋轢が生じるようになった。そして1961年ベルリンの壁の建設を契機にして西ドイツへ移住。テュービンゲン大学で哲学名誉教授の職を得た。1967年ドイツ書籍協会平和賞、1975年ジークムント・フロイト賞受賞。政治活動にも積極的に参加しながら晩年の著作を精力的に執筆しつづけ、1977年テュービンゲンで没した。

著作

  • 1918年 "Geist der Utopie"
『ユートピアの精神』好村冨士彦白水社 1997
  • 1921年 "Thomas Münzer als Theologe der Revolution"
トーマス・ミュンツァー 革命の神学者』樋口大介・今泉文子訳 国文社 アウロラ叢書 1982
  • 1923年『砂漠を越えて』
  • 1930年 "Spuren"
『未知への痕跡』菅谷規矩雄訳 イザラ書房 1969
  • 1935年 "Erbschaft dieser Zeit"
『この時代の遺産』池田浩士三一書房 1982
  • 1946年 "Freiheit und Ordnung"(自由と秩序)
  • 1949年 "Subjekt-Objekt, Erläuterungen zu Hegel"(主体:客体 ヘーゲル読解)
  • 1952年 "Avicenna und die aristotelische Linke"(アヴィケンナアリストテレス左派)
  • 1953年 "Christian Thomasius"(クリスティアン・トマジウス&mdash悲惨をまぬがれたドイツの学者)
  • 1959年 "Das Prinzip Hoffnung"
『希望の原理』新井皓士・山下肇ほか訳 合同出版 1973
  • 再版 白水社 1982
  • 1961年 "Naturrecht und menschliche Würde"
  • 1961年 "Philosophische Grundfragen I"
『哲学の根本問題』竹内豊治訳 法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス) 1972
  • 1962年 "Verfremdungen"
『異化』片岡啓治種村季弘船戸満之現代思潮社 1971
  • 1963年 "Tübinger Einleitung in die Philosophie"
チュービンゲン哲学入門』菅谷規矩雄・今井道夫・三国千秋訳 法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス) 1994
  • 1968年 "Atheismus im Christentum"
『キリスト教の中の無神論 脱出と御国との宗教のために』竹内豊治・高尾利数訳 法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス) 1975-1979
  • 1970年 "Politische Messungen, Pestzeit, Vormärz"
ナチズム 地獄と神々の黄昏』池田浩士・藤原辰史・本庄史明訳 水声社 2008
  • 1970年 "Marx und die Revolution"
マルクス革命花崎皋平紀伊國屋書店 1972
  • 1972年 "Das Materialismusproblem, seine Geschichte und Substanz"(唯物論の問題:その歴史と全体)
  • 1975年 "Experimentum Mundi"
『世界という実験 問い,取り出しの諸カテゴリー,実践』小田智敏訳 法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス) 1999

脚注

DIEGO FUSARO: Fichte against the "anarchy of commerce" in "The Closed Commercial State" - YouTube


https://www.youtube.com/watch?v=CMJz_STnv8U


Filosofia e speranza: Ernst Bloch e Karl Löwith interpreti di Marx (I Centotalleri Vol. 2) (Italian Edition) Kindle版 


Uno dei maggiori problemi irrisolti che Karl Marx ha lasciato in eredità ai suoi interpreti riguarda la legittimità della speranza in sede pratica e teoretica, tanto nella cornice del suo pensiero quanto nel più ampio orizzonte della filosofia. L’intera opera marxiana sembra enigmaticamente in bilico tra le opposte dimensioni della scienza e della speranza. La linea interpretativa adottata da Ernst Bloch e da Karl Löwith scorge in Marx il filosofo della speranza più che della scienza, riconoscendo nella sua riflessione un’ineludibile tensione utopica rispetto alla quale la scienza sarebbe un fenomeno secondario e funzionale. Entrambi sostengono la centralità del momento della speranza in Marx, ma in forza delle concezioni antitetiche di questo sentimento che essi fanno valere all’interno della propria riflessione filosofica, finiscono poi per valutarlo in maniera opposta.


ディエゴ・フサロ:フィヒテが「閉鎖的な商業国家」で「商業の無秩序」に反対する - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=CMJz_STnv8U 0:01 1 商業的無政府主義の概念 無政府主義は、1800 年のある著作で哲学者によって展開された概念であり 、商業 国家は、私のささやかな意見では、政治哲学の特に重要なカテゴリーを構成しています。なぜなら、たとえ今日ではそうであっても、今日のグローバリゼーションの形態の 1 つである商業的無政府主義、つまり、現代の語彙では規制緩和の新自由主義のカテゴリーで翻訳されるグローバルな Lass Fer の形態を、どのように理解できるかを、今日のグローバリゼーションの形態の 1 つである商業的無政府主義を、効果的に批判することを可能にするからです。新自由主義的景観は、経済(資本主義の力の結節点であり、生活と思考の統合的な経済化)が、政治勢力、特に経済に対する政治の優位性の場としての国家の力によって制限されることなく、自らを押し付けるような、深刻な政治的変革である。フィヒテのテキストは当然、もはや我々の時代ではない時代に言及し、それについて語っているが、 1:29 1:29繊細な読み方をすれば、我々が今グローバリゼーションと呼ぶもののいくつかの基本的動きを予見、あるいは少なくとも予見することができる。このテキストでは今日の資本主義の無政府主義的傾向を批判することを可能にする閉鎖的な商業国家であり、 1968年の転換点以降、少なくとも60年代以降、資本主義がもはやブルジョワ的ではない資本主義になったことを理解することを可能にする。

確かにそれは明らかに反ブルジョワ的であり、

パゾリーニがすでに指摘したように、

もはや主体は存在せず消費者が存在する無政府主義的で寛容な資本主義であり、マルクスが言うところの貨幣的等価物、交換価値さえあれば文字通り何でも可能な資本主義である。フィのテキストは、ある観点から、グローバルな自由と規制緩和、あるいはもう一つのキーワードである最小国家の旗印の下にある今日の新自由主義秩序のこの明らかに無政府主義的な特徴を正確に理解することを可能にする。 新自由主義文法の 2/57 と

閉鎖的な商業国家 Fi は 3:02 3/2 であり、3 冊の本に分かれており、当然一緒に読む必要があります 3:09 3/9 

最初の本は哲学について、2 番目は歴史について、3 番目は政治哲学について語っています

 3:17 3/17 最初の本は、理性による国家、つまり理性の命令に実際に 対応していればあるべき国家について説明しています 3:25 3/25 そして Fi にとって、この国家は市民に基本的な社会権が保証されている国家です3:31 3/31 Fi は、国家を理解する伝統的な方法は、誤った方法であると言います3:38 3/38 なぜなら、国家は市民に財産の維持を保証しなければならないと考えられているからです3:46 3 分 46 秒ジョン ロック モデルですが、実際には Fi はこの点を忘れていると言います3:53 3 分 53 秒国家の最も重要な任務は、市民が人間として尊厳を持って生きることを可能にする財産の中に市民を配置し、そして、彼らがその財産の中で常に尊厳を持って生きるのに十分なものを持つように維持することである、と 4:02 4 分 2 秒このように述べている。 4:09 4 分 9 秒このようにして、国家はその機能において自由主義の伝統によって誤解されてきた。なぜなら、自由主義の伝統における国家は、市民がすでに獲得した財産の中で市民を維持することだけに限定し、市民は貧しく生きるために必要なものを奪われていると考えることはできないため、財産を持たなければならないという事実を無視しているからである。 4:27 4分27 秒閉鎖的な商業国家の第二巻では、少し早口で話を進めますが、非常に重要でありながら、自由主義の伝統では省略されているこのテキストの意味を伝えるために、伝統は哲学的なものだけではなく、第二巻は歴史に関するものです。つまり、

哲学第一巻が国家のあるべき姿を示し、歴史が国家のあるべき姿を示すのに対し、フィヒテには明らかにプラトン的な特徴があり、フィヒテはプラトンの『国家』のように、理性に基づいた国家の理性的な理想を概説しています。

それに対し、第二巻の歴史は、国家が実際にどのようなものであるかを問いかけています。つまり、既存の国家の現実、そしてまさにここでフィヒテは、実際に存在する国家がどのようなものであるかを考察しています。 5分39秒 あるいは彼自身が言うように、我々はこの時代の歴史の一部であるこの現実の状態を概説しなければならない。 5:46 5分46秒 特に彼はこの第二の著書で常に、我々は巨大な商業国家として知られるシトの世界、6:00 6分 巨大な商業国家を取り上げなければならないと言っている。彼はこの第二の著書で、6:08 6分8秒 商業に支配された時代の現実を概説している。それは、6:15 6分15秒 1800年にはすでにますます、商業主義の原則に従って世界を統一しようとする傾向があり、 6:21 6分21秒 商業主義の原則は現実を略奪し、単一のグローバルな経済モデルを提案する傾向がある。6:31 6月31日 czz Fi はまさにこの現実を批判し、真の6:39 6月39 秒国家は単に世界経済の手先であってはならず、むしろ共同体の具体的なニーズ、すなわち市民と人々が自由に交流する場所を前面に出すことによって、それを規律的に統治しなければならない。特に、あらゆる政治秩序を取り除いて、無政府状態の商業経済の秩序を押し付けようとする商業の無政府状態を再び批判し、経済疑念以外の原理を知らない無政府状態の商業経済の秩序を批判し、

フィヒテは、国家の主な義務は、まず第一に、すべての人に自分にふさわしいものを所有させることにあると述べているが、そのような義務は、商業は、政治的無政府状態が徐々に無力化されるのと同様に消滅し、国家が立法や司法機能において閉鎖されているのと同様に商業的に閉鎖されていない限り、商業的無政府状態は、現代の基本的な特徴を別の言葉で表現すると、完全な罪深さの時代とも言える商業的無政府状態の時代であり、それはまさに個人とその具体的なニーズが物神崇拝的経済の祭壇に犠牲にされる状態であると特徴づけられる。そのためには、国家を商業的に閉鎖する必要がある。つまり、経済よりも政治を優先させることである。 8.37 今日ではおそらくグローバリゼーションとも理解できるこの世界的な商業的無秩序を中和するために、 フィヒテは、この商業的無秩序の状況では、人間社会は個々の原子の個人主義の遠心力によって崩壊し、それぞれが自分の所有物を増やすことを目指し 、このようにしてそれぞれが自由主義思想によって増幅された自由を享受すると述べています。9.11

しかし、互いに破滅させる自由は注意深く分析されており、フィヒテは、引用すると、自分の労働の期間にわたって自分の状態の安定性が保証されている人は誰もいないと述べています。9.26 9:36哲学者であり、科学の教義の哲学者であるフィヒテ自身の目に映るシナリオです。フィヒテは、ある国家において、誰かが必要なものさえ欠いているのに、余剰物を処分できるというのは、理性に反する最も卑劣な光景だと書いています。これは、今日のタイプの裕福な社会の都市における、この商業的無秩序の全人類に対する戦争が確立されている、通常のポストモダニティの場面です。政治は経済を規制することも、すべての個人に最低限の幸福を保証することもできないとフィヒテは述べています。10 : 16 10 分 16 秒フィヒテは、理性に従って国家においては誰も搾取されることはなく、誰も他人を搾取する必要もなく、たとえ搾取したとしても搾取する相手は見つからないだろうと述べています。

10: 25 10 分 25 秒フィヒテは、理性に従って国家においては誰も搾取されることはなく、誰も他人を搾取する必要はなく、たとえ搾取したとしても搾取する相手は見つからないだろうと述べています。10: 33 10 分 33 秒フィヒテは、その代わりに、現実に存在する国家は、純粋に経済的な搾取の荒涼とした風景を豊富に提供しています。10:41 10 分 41 秒カルロ・マーズが賃金奴隷制と呼ぶのはまさに、10:49 10 分 49 秒単純な経済的多様性から単純な経済的タイプの違いによる支配と隷属の関係の確立です。10 :57 10 分 57 秒国境による国家間の緊張の傍らに、貿易の利益と利益のために新たな紛争の原因が生じるとフィヒテは書いています。11:14 11分14秒、そして、自分の利益のために共通の地下貿易戦争が加わる11:21 11. 21. 他人の損失は、たとえ最初の者がいなくても、単に他人の利益のために損害を与えることを愛するがゆえに、享受される。 11.29 . 11. 29. 引用の終わりであり、フィはまた、高尚な動機への明らかな依拠の背後で、近隣諸国や遠方の国々が商業的に征服し服従させるという秘密の目的で攻撃される帝国主義戦争という、今日でも特に人気のある恐ろしい行為を、彼のテキストの中で非難している。 11.44 . 11. 44. 人権や輸出される民主主義のイデオロギーなど、帝国主義戦争では、近隣諸国や遠方の国々が、今度は第三の書である。その一方で、それは政治に捧げられた書であり、政治は、このようにして、12.09 . 12 9 フィヒテの閉鎖的な商業国家において、理想と現実の間の困難な仲介技術として理解される。12:17 12 17 あるべき国家と具体的な国家の間には、特にフィヒテにとって政治は、理性に基づく国家という理想の次元と、現実の国家の矛盾した具体的な現実、そして商業的無秩序のシナリオを接触させるという、理想国家を現実の国家に翻訳するという繊細な作業に対応します。

フィヒテによれば、政治の課題は、まず第一に、現在の現実が不変の所与に対応するのではなく、科学の教義が教えるように、主観的な仮定の時間的に与えられた結果に対応することを認識すれば達成できる。そしてそれは実際に存在する状態だが、それは単一の主体として考えられる人類の自我の活動によって仮定されたため、したがって、すべての思想のインスピレーションの偉大なモデルであるフランス革命が教えるように、与えられた状況は、人間の行動を通して歴史的に変容した実践であり、現実には非自我である内在には決定的なものはなく、常に変容可能な仮定の結果である。自我、したがって社会レベルでは政治的存在であるため、政治的および社会レベルで科学の教義が決定され、したがって歴史的、社会的、経済的現実は、形成不可能な事実ではなく、実践によって変革可能な設定の結果であり、閉鎖的な商業国家でさえ、現実を受け入れる人々の教条主義と現実との間の架空の二分法である。 14:16 14 5月 16商業的無秩序の存在を、形成不可能な所与の観念論として受け入れる人々。一方、これらの関係の矛盾を見抜き、それゆえに、合理的とは程遠い既存のものを合理化するために、それらを変革しようと行動する人々は、

フィヒテが次のように書いている。今日ではなおさら、商業的利益の衝突は、しばしば 戦争の真の理由であり、戦争のためには常に異なる動機の秩序を求める傾向がある。このようにして、地球の半分が政治に対して動員される。

彼らが言うところの国民の原理14:59 14分59秒戦争は実際にはその貿易に向けられ、新兵自身に不利益をもたらしている 引用終わり15:07 15分7秒今、この現在の矛盾を克服し、理性に従って国家を実現するためには、15:16 15分16秒フィヒテの観点から、経済に対する政治の優位性を再導入することによって商業的無秩序を克服する必要がある15:22 15分22秒フィヒテは、経済に対する政治の優位性を再導入するためには、今日私たちがグローバル化された商業的無秩序、グローバリゼーションと呼ぶ世界貿易計画を中和する必要があることをよく知っている15:30 15 May 30秒そして、それを行うには、市場のこの円滑な計画を中和するために貿易を停止する必要がある15:38 15 May 38秒15:51 5月15日 51秒グローバルな観点から見ると、フィヒテが提案する療法は解決策以上のものとなり得る。それは私たちの現状に対する批判の基礎となり得る。したがって、既存の療法に代わる、フィヒテが提案する療法にも代わる療法を概説するための必要な出発点となる。 15:59 5月15日59秒このようにして、フィヒテを超えても、特に商業的無政府主義のカテゴリーから、私たちの現状の本質(フィヒテ自身が言うように、完全に罪深い)を理解し、人類にふさわしい共同体の創造を目指して、そこから再び出発することができる。16:29 16分29秒もし私たちが自分自身を表現したいと思うなら 16分37秒フィヒテの自然法理論、17967年の自然法論からの非常に美しく示唆に富む一節を引用すると、 16:46 16分46秒「世界において、自由な存在は共同体の中にいなければならない。世界はこのように配置されなければならない。しかしながら、自由な存在の共同体は、17:01 17分1秒彼らによって配置された場合にのみ存在する。引用終わり。まさに、今日のグローバル化された商業的無秩序の非論理的な論理に対抗する連帯の共同体の中に存在する、連帯した自由な個人の共同体を確立するために行動する必要があるのだ。」17:09 17分9秒


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1 秒il concetto di anarchia commerciale andels Anarchy è un concetto che viene

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7 秒messo appunto dal filosofo in un suo testo del 1800 lo Stato commerciale

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15 秒chiuso derges schlossen e andelst e che costituisce A mio modesto modo di vedere

0:22
22 秒una categoria di filosofia politica particolarmente importante perché permette anche se izzata oggi di

0:31
31 秒criticare quella che è effettivamente una delle cifre dell'odierna globalizzazione cioè appunto l'anarchia

0:38
38 秒commerciale quella forma di Lass Fer globale che si traduce anche nel lessico contemporaneo con la categoria

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46 秒neoliberista di deregulation categoria che permette appunto di comprendere come la cifra

0:52
52 秒dell'odierno paesaggio neoliberale sia una profonda spoliti czz di modo che l'economia il nesso di

1:02
1 分 2 秒forza capitalistico la economici zazione integrale della vita e del pensiero si imponga senza più essere limitato dalle

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1 分 11 秒forze politiche e in particolare dalla forza degli Stati come luoghi del primato della politica sull'economia il

1:21
1 分 21 秒testo di Fichte naturalmente fa riferimento e parla a un'epoca che non è più la nostra e Tuttavia se letto in

1:29
1 分 29 秒filigrana permette di anticipare o se non altro di

1:36
1 分 36 秒prevedere alcuni dei movimenti fondamentali di quella che oggi siamo soliti chiamare globalizzazione è un

1:44
1 分 44 秒testo Questo di fi lo Stato commerciale chiuso che permette appunto sotto il segno di categoria dell'anarchia

1:52
1 分 52 秒commerciale di criticare la tendenza anarchica dell'odierno capitalismo permette cioè

1:59
1 分 59 秒di di comprendere come il capitalismo almeno dagli anni 60 dopo la svolta del

2:06
2 分 6 秒1968 abbia preso essere un capitalismo non più Borghese Anzi spiccatamente

2:12
2 分 12 秒antiborghese un capitalismo in cui Come già notava Pasolini non ci sono più i sudditi ma vi sono i consumatori un

2:21
2 分 21 秒capitalismo anarchico e permissivo un capitalismo in cui letteralmente tutto è possibile a patto che si abbia

2:30
2 分 30 秒l'equivalente monetario il valore di scambio direbbe Marx corrispondente ora il testo di Fi ci permette da un certo

2:39
2 分 39 秒punto di vista di comprendere esattamente questo tratto spiccatamente anarchico dell'odierno ordine

2:48
2 分 48 秒neoliberale all'insegna dell'ass Fer globale e della deregulation vuoi anche dello Stato minimo altra parola chiave

2:57
2 分 57 秒delle grammatiche neoliberiste e lo Stato commerciale chiuso di fict si

3:02
3 分 2 秒articola in tre libri in tre libri e che chiedono naturalmente di essere letti

3:09
3 分 9 秒insieme il primo parla della filosofia il secondo della storia e il terzo della politica la filosofia cioè il primo

3:17
3 分 17 秒libro descrive il Fern stat lo Stato secondo ragione cioè lo stato come dovrebbe essere se corrispondesse

3:25
3 分 25 秒effettivamente ai dettati della ragione e per Fi questo stato secondo uno stato

3:31
3 分 31 秒in cui ai cittadini vengono garantiti Diritti Sociali fondamentali dice Fi che

3:38
3 分 38 秒il modo tradizionale di intendere lo stato è un modo falso erroneo perché si pensa che lo Stato debba garantire ai

3:46
3 分 46 秒cittadini il mantenimento delle loro proprietà modello John Locke ma in realtà dice Fi si dimentica in questo

3:53
3 分 53 秒modo il compito più importante dello Stato che è quello di immettere i cittadini in una proprietà che permetta a loro di esistere di vivere

4:02
4 分 2 秒dignitosamente in quanto parti della razza umana e poi di conservarli in questa loro proprietà di modo che

4:09
4 分 9 秒appunto sempre dispongano di quel tanto che permetta a loro di esistere dignitosamente in questo modo dice

4:18
4 分 18 秒lo stato è stato dalla tradizione liberale frainteso nella sua funzione perché appunto lo Stato nella tradizione

4:27
4 分 27 秒liberale si limita a conservare are i cittadini nelle proprietà che essi hanno già acquisito omettendo il fatto che i

4:35
4 分 35 秒cittadini debbano disporre di proprietà perché non possono essere pensati come

4:42
4 分 42 秒poveri e privi di ciò di cui necessitano per vivere il secondo libro dello Stato commerciale chiuso procedo un po'

4:51
4 分 51 秒rapidamente Ma giusto per dare il senso di questo testo così importante e così omesso nella tradizione non soltanto

4:59
4 分 59 秒filosofica il secondo libro riguarda la storia Cioè se il primo libro filosofia ci dice come dovrebbe essere lo Stato e

5:07
5 分 7 秒qui Vi è un timbro chiaramente platonico di Fichte il quale Fichte come Platone nella Repubblica tratteggia la

5:14
5 分 14 秒callipolis lo Stato secondo ragione l'idealità dello Stato come dovrebbe essere il secondo libro Storia invece

5:22
5 分 22 秒sait gesik si interroga su come lo stato effettivamente è si Cioè sulla realtà

5:30
5 分 30 秒effettiva degli Stati esistenti e appunto qui Fichte prende in esame Com'è lo Stato realmente esistente

5:39
5 分 39 秒o come lui stesso dice dobbiamo tratteggiare questo stato effettivo che rientra nella storia della nostra epoca

5:46
5 分 46 秒e in particolare dice sempre in questo secondo libro dobbiamo prendere

5:53
5 分 53 秒atto del Cito mondo conosciuto come un grande stato commerciale grosser

6:00
6 分andelst uno stato commerciale enorme in cui appunto fte tratteggia in questo

6:08
6 分 8 秒secondo libro La realtà di un'epoca signoreggiare del Commercio che tende

6:15
6 分 15 秒sempre più così già nel 1800 a unificare il Globo secondo il principio del D Des

6:21
6 分 21 秒mercatis principio che tende a spoliti Zare la realtà e a proporre un unico modello globale di e di economia spoliti

6:31
6 分 31 秒czz Fi appunto critica esattamente questa realtà E mostra come il vero

6:39
6 分 39 秒stato non possa semplicemente essere un'ancella rispetto all'economia globale

6:46
6 分 46 秒ma debba Piuttosto invece disciplinar governarla ponendo in primo piano i bisogni concreti della comunità cioè del

6:56
6 分 56 秒luogo in cui i cittadini gli uomini si relazionano fra loro liberamente in particolare criticando ancora l'el

7:04
7 分 4 秒Anarchy l'anarchia del Commercio che tende appunto a rimuovere ogni ordine politico per imporre l'ordine spoliti

7:12
7 分 12 秒czz dell'economia anarchica commerciale che non conosce altro principio se non

7:19
7 分 19 秒quello del doutdes economico e allora dice Fichte è stato messo il principale dovere dello Stato che consiste nel

7:27
7 分 27 秒porre anzitutto ognuno possesso di quel che gli spetta non si può però soddisfare un tale dovere se non

7:35
7 分 35 秒allorché si è annientata l'anarchia del Commercio proprio come si è un po' alla volta neutralizzata l'anarchia politica

7:42
7 分 42 秒e fintanto che non si sia chiuso commercialmente lo stato proprio come Chiuso nella sua legislazione e nelle

7:49
7 分 49 秒sue funzioni giudiziarie Ebbene il tempo dell'anarchia commerciale che in termini diversi nei grun zuge i tratti

7:58
7 分 58 秒fondamentali del l'epoca presente Fi tratteggi anche come epoca della compiuta peccaminosità si caratterizza

8:05
8 分 5 秒esattamente per essere uno stato in cui gli individui e i loro bisogni concreti sono sacrificati sull'altare del

8:14
8 分 14 秒dell'economia feticidio

8:29
8 分 29 秒per farlo Occorre chiudere commercialmente lo stato Cioè reimp Porre un primato della politica sull'economia

8:37
8 分 37 秒neutralizzando questa anarchia commerciale globale ciò che oggi forse si può anche intendere come

8:45
8 分 45 秒globalizzazione appunto Fichte dice che in questa situazione di anarchia commerciale La gft la comunità

8:55
8 分 55 秒umana si dissolve sotto la spinta centrifuga dell'egoismo individuale dei singoli atomi che Mirano ognuno

9:02
9 分 2 秒individualmente ad accrescere i propri possessi e in questo modo ciascuno gode di una libertà magnificata dal pensiero

9:11
9 分 11 秒liberale Ma che si è analizzata attentamente la libertà di mandarsi vicendevolmente in rovina e ficht dice

9:18
9 分 18 秒in poche parole Cito non viene affatto assicurata a nessuno la stabilità della sua condizione con la durata del lavoro

9:26
9 分 26 秒Infatti gli uomini desiderano essere del tutto liberi di mandarsi vicendevolmente in rovina Ebbene questo scenario di

9:36
9 分 36 秒compiuta peccaminosità nell'anarchia commerciale uno scenario che offre alla vista del filosofo e all filosofo della

9:44
9 分 44 秒dottrina della Scienza Fichte stesso Lo spettacolo più ignobile ripugna la ragione scrive Fichte che in uno stato

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9 分 52 秒qualcuno possa disporre del superfluo quando a qualcun altro manca anche il necessario Ecco questo è la e la scena

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10 分 1 秒di ordinaria postmodernità all'interno delle città della società opulenta di

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10 分 8 秒tipo odierno in cui appunto si instaura questo bellum omnium contra omnes anarchia commerciale in cui la politica

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10 分 16 秒Non Può disciplinare l'economia né garantire un minimo benessere a tutti gli individui e dice ancora

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10 分 25 秒Fichte nello stato secondo ragione Cito nessuno può essere sfruttato nessuno ha bisogno di sfruttare gli altri e seppure

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10 分 33 秒lo volesse non troverebbe da sfruttare nessuno fine citazione laddove invece lo Stato realmente esistente offre a fitte

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10 分 41 秒il paesaggio desolante di uno sfruttamento puramente economico ciò che Carlo Mars chiamerà la schiavitù salariata proprio appunto

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10 分 49 秒dell'instaurarsi di rapporti di signoria e di servitù dovuti alla semplice diversità economica alla semplice

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10 分 57 秒differenza an zale di tipo economico e scrive fte accanto alla tensione fra uno stato e

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11 分 5 秒l'altro a causa dei Confini sorge un nuovo motivo di conflitto per via degli interessi del Commercio andel interesse

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11 分 14 秒e una comune sotterranea guerra commerciale all'interesse del proprio tornaconto va ad aggiungersi quello

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11 分 21 秒della perdita degli altri si gode di quest'ultima pur in assenza del primo per mero amore del danno a vantaggio di

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11 分 29 秒altri fine citazione e Fi condanna anche nel suo testo quell'orribile pratica ancora oggi particolarmente invoga delle

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11 分 38 秒guerre imperialistiche con cui dietro l'apparente ricorso a Nobili motivazioni

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11 分 44 秒come i diritti umani o l'ideologia della democrazia da esportare si attaccano gli

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11 分 52 秒stati confinanti o lontani con il segreto obiettivo di conquistarli commercialmente e di sot metterli

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12 分imperialistico ora il terzo libro Dal canto suo è il libro dedicato alla politica la quale politica così nello

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12 分 9 秒stato commerciale chiuso di Fichte è intesa come la difficile arte della mediazione fra l'ideale e il reale Fra

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12 分 17 秒lo stato come dovrebbe essere e lo Stato Come concretamente è in particolare la politica corrisponde per fict al

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12 分 24 秒delicato compito di tradurre lo Stato ideale nello stato reale di far entrare in contatto fra loro la dimensione

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12 分 32 秒dell'ideal Ità del Fern stat lo Stato secondo ragione con la realtà concreta contraddittoria dello stato così com'è e

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12 分 41 秒dello scenario dell'anarchia commerciale Il compito della politica può attuarsi dice Fi Anzitutto se si è consapevoli

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12 分 49 秒che la realtà presente non corrisponde a un dato immodificabile ma come insegna la dottrina della Scienza corrisponde

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12 分 58 秒invece all'esito temporalmente dato di un porre soggettivo e cioè una condizione realmente esistente ma tale

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13 分 5 秒perché è stata posta dall'attività dell'io cioè dell'umanità pensata come un unico soggetto e dunque come insegna

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13 分 13 秒la rivoluzione francese grande modello d'ispirazione per tutto il pensiero di filte può essere la situazione data

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13 分 20 秒storicamente trasformata prassis tramite l'agire degli uomini nulla vi è di definitivo di intras

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13 分 27 秒formabile nella realtà essendo il non io l'esito sempre trasformabile del porre dell'io e dunque sul piano sociale

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13 分 36 秒politico essendo così si determina la dottrina della scienza sul piano politico e sociale e dunque Essendo la

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13 分 43 秒realtà storica sociale economica non un dato di fatto intras formabile ma l'esito di un porre trasformabile dalla

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13 分 51 秒prassi anche nello stato commerciale chiuso la dicotomia ficti fra il dogmatismo di chi accetta la realtà

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13 分 59 秒l'oggetto come intras formabile E l'idealismo di chi pensando l'oggetto come posto dal soggetto agisce per trasformare il mondo e per

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14 分 7 秒razionalizzare anche nello stato commerciale chiuso è centrale questa dicotomia dogmatico E chi accetta la situazione dello Stato realmente

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14 分 16 秒esistente dell'anarchia commerciale come data intras formabile idealista invece D'altro canto chi vede la contraddizione

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14 分 25 秒di questi rapporti e perciò stesso è disposto ad agire per trasformarli per razionalizzare un esistente che tutto è fuor che razionale

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14 分 35 秒scrive Fichte con un in un passaggio che andrebbe letto A maggior ragione oggi il conflitto degli interessi commerciali è

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14 分 44 秒frequentemente l'autentico motivo delle guerre per le quali si tende sempre a cercare un ordine di motivi differenti

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14 分 51 秒in tal maniera viene assoldato una metà del pianeta contro i principi politici di una popolazione per quanto si dice

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14 分 59 秒mentre la guerra in verità è indirizzata contro il suo commercio e a detrimento degli stessi reclutati fine citazione

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15 分 7 秒ora per superare questa contraddizione del presente per realizzare lo Stato secondo ragione occorre dal punto di

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15 分 16 秒vista di Fichte superare l'anarchia commerciale reintroducendo il primato della politica

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15 分 22 秒sull'economia fi sa bene come per reintrodurre il primato della politica sull'economia occorre neutralizzare il

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15 分 30 秒piano del Commercio globale ciò che oggi diremmo l'anarchia commerciale globalizzata La globalizzazione e per

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15 分 38 秒farlo Occorre chiudere il commercio neutralizzare questo piano liscio del mercato

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15 分 44 秒globale da questo punto di vista la terapia prospettata da fict può più che

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15 分 51 秒essere una soluzione può costituire la base per una critica del nostro presente e dunque il punto necessario di partenza

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15 分 59 秒per delineare una terapia rispetto all'esistente che sia anche alternativa

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16 分 6 秒rispetto a quella prospettata da Fichte in questo modo noi sappiamo che anche oltre Fi

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16 分 15 秒possiamo muovere dalle sue categorie in particolare da quella di anarchia commerciale per comprendere l'essenza

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16 分 22 秒pienamente peccaminosa direbbe Fi stesso del nostro presente e per ripartire da

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16 分 29 秒lì in vista della creazione di una comunità finalmente all'altezza del genere umano Se volessimo esprimerci

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16 分 37 秒con un passaggio molto bello e suggestivo del della teoria del diritto naturale il naturrecht iese del

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16 分 46 秒17967 di Fichte diremmo che Cito poiché nel mondo gli esseri liberi in quanto

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16 分 53 秒tali devono essere in comunità il mondo deve essere disposto così ora però una comunità di esseri liberi esiste

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17 分 1 秒esclusivamente se viene posta da loro fine citazione cioè appunto occorre agire per instaurare una comunità di

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17 分 9 秒individui liberi solidali che esistono nella comunità solidale contro le logiche illogiche dell'odierna anarchia

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17 分 17 秒commerciale globalizzata

Diego Fusaro - Wikipedia



ィエゴ・フサロトリノ1983年6月15日)は、イタリアのコラムニストエッセイストです

伝記

研究と教育

写真家ダリオ・フサロの息子(1955年 - 2025年3月4日)[1], ディエゴ・フサロは、2005年にトリノ大学文学・哲学部で歴史哲学の学位を取得し、論文題目は『Philosophy and Hope』です。エルンスト・ブロッホとカール・ローエウィズはマルクスの解釈者(投票110票、優等)であり、2007年には近代哲学史の修士号を取得しカール・マルクスと賃金奴隷制:歴史の悪側面に関する研究という題名の論文を論じました(投票110票、優等、プレスの尊厳あり)。ミラノのヴィタ・サルテ・サン・ラファエーレ大学でマッシモ・カッチャリが設立し、ラインハルト・コゼレックに関する論文で歴史哲学の博士号を取得した後、ドイツ・ビーレフェルト大学で研究を行い、2011年から2017年まで同大学で哲学史のタイプAの定期教員研究者を務めました。[2][3]2017年に、彼は哲学史の国家科学資格を取得しました。

その他の活動

16歳のとき、彼は哲学に関するウェブサイト「Filosofico.net」を作成し、現在もそのサイトを管理しています。[4]、そして2015年6月20日から2023年まで、Il Fatto Quotidianoブログを修復します。[5]2017年3月、彼はジュゼッペ・アッツィナリとイヴァン・リッツィと共に、文化協会および雑誌『L'Interesse Nazionale』を創設しました。閉鎖直前の短い期間、彼はカトリック週刊誌『Tempi』に執筆しました。[6][7].2018年から2020年にかけて、彼はAffaritaliani.itのコラム『Lampi del pensiero』に執筆し、同年5月以降はCasaPoundネオファシスト運動の公式雑誌『Il Primato Nazionale』で週刊コラム『La raison populista』を執筆しました。[8]

彼はRadio Radioで「Flashes of daily thought」という日刊コラムを持っています。[9]しばらくの間、彼はRadio Padania Liberaと協力しました。[10]2022年5月から「Controvento」は偽情報サイトのコラムです。[11][12][13][14][15][16] バイオブルー。2022年以降、さらに、彼はオンラインプラットフォームを通じて、誕生日や記念日のリクエストに応じて動画を制作しています。[17].また、2022年から彼は『Il Giornale d'Italia』のコラムニストとして定期的に執筆しています。[18]2024年2月から、彼はオンライン新聞『Il Corsaro della Sera』の副局長を務めています。[19]

政治活動

2017年のシチリアにおける地域選挙

2017年、シチリア州大統領候補のフランコ・ブサラッキによって、彼は文化担当地域議員に任命されました。[20]自律主義者リストと共に、私たちシチリア人(ブサラッキ) - ヴォックス・ポプリ - 自由で主権を有するシチリアこのリストは、パレルモ控訴裁判所による形式的欠陥の競争から除外されます。[21]

2019年の行政選挙

2019年、彼はイタリア南部リソルジメントリストでカラブリアジョイア・タウロの地方選挙に市長選出馬し、得票率2.84%を獲得し、最も最位に入りました。[22]同じ選挙ラウンドで、彼はフォリーニョ5つ星運動の市長候補から、彼の承認の場合に文化担当の議員に指名されました。[23]: ペンタステッラティは得票率11.59%で、決選投票から除外されます。[24]

Vox Italy(2019-2021)

2019年9月14日、彼はフランチェスコ・トスカーノと共に設立しました。[25]主権主義とポピュリスト志向の政党、Vox Italia翌月、上院議員カルロ・マルテリVox Italiaに加入し、党が議会に初の代表を任命することに導いた。[26]2021年に発売されない限り、Italexitに登録できます。[27]その党はさまざまな地方選挙や地方選挙に参加しましたが、得票率の0.5%を超えることはできませんでした。

民主的主権のためのイタリアは依然として(2021〜2022年および2023年以降)[

2021年2月28日、フランチェスコ・トスカーノの指導の下にある党は、民主的主権のためのアンコラ・イタリアに名称を変更しました。[28]しかし、同じ機会に、国書記のジュゼッペ・ソッティーレと路線に反対する党の他のメンバーが率いる分裂が議会で決定し、彼らは元の名称で活動を継続することを選び、そしてジアンルイジ・パラゴーネが率いるイタレクシトに集結した。[29][30]2022年6月9日、カリフォルニア州上院議員ビアンカ・ラウララ・グラナート氏は、CALグループ(憲法、環境、労働)-代替-PC-IdVのメンバーとしてAIに加わります。[31]

2022年8月2日、フランチェスコ・トスカーノ率いる党派と意見が対立し、ディエゴ・フサロはアンコラ・イタリアとの協力の中止と、ジアンルイジ・パラゴーネによるイタレクシットとの和解を発表しました。[32]フサロが挙げた理由は複数あり、その中には、まずアンコラ・イタリアのイデオロギーとして認められなかったこと(党規程で定められたが、その後無視され、最終的に2022年ナポリ大会で除外された)、2022年夏にナポリ大会への招待がなかったこと、外交政策で採用された路線(フサロによれば「過度に大西洋主義的」で親中国的すぎる)、そして最後に、マルコ・リッツォ共産党に属する他の組織とのアントニオ・イングロイアが、2022年9月25日の政治選挙を見据えてイタリア主権・人民の名簿に市民行動した選挙同盟を結んだことが挙げられます。[32]

2023年7月、フランチェスコ・トスカーノとマルコ・リッツォによる主権主義同盟としてのポピュラー・ソブリン・デモクラシー(DSP)の設立後[33]トスカーノが率いる現在の政党はアンコラ・イタリア・ソヴラナ・エ・ポポラーレを設立し、民主的主権のためにアンコラ・イタリアに残ったメンバーは暫定党のディエゴ・フサロを任命し、彼は離党してから約1年後にイデオロギーを務めながらその党に戻り、その後名誉会長に就任した。[34][35]

ポジション

彼の出版物において、フサロはドイツ観念論の観点からマルクスの思想を扱い、資本主義体制への批判と共同体主義主権主義の伝統から取り入れた要素を組み合わせました。[36]彼は、イタリアの哲学者コスタンツォ・プレヴェの弟子であった彼の足跡に従うと主張しています。[37][38]

フィヒテの学者であるジョヴァンニ・ジェンティレアントニオ・グラムシは、後者のマルクス主義がジェンティレの実在主義に深く浸透していると考えており、ソラリデル・ノチェの同様の判断を取っている:[39]グラムシはジェンティーレに対して、マルクスがヘーゲルに対してであるのと同等である。[40]ほぼ理想主義的な意味でマルクス自身を再解釈する[41]フサロは、グラムシがこのようにしてマルクス主義の教義の側面を浄化したと主張しています。決定的で、瞬間を再評価するビジョンのために実践するアクティブ歴史は、人間の自由意志が操作される中で、対立 弁証法政治[42]

彼は「Pro Vita e Famiglia」のポスター掲載を支持しました。[43]、反中絶団体および反LGBT権利[44]それはForza Nuovaと関係があります。[45].彼はまた、同性愛者恐怖症、アビビリズム、性差別に対するザン法案に反対することを宣言し、これは「新しいエロティック秩序」を課す手段とみなされました。[43].

彼は「メディアモデルとして構築されたトランスジェンダーは、性的規制緩和、自然と生物学の分野に結びつくすべての限界と主権の破壊に基づいている」と主張している。[46]そして、トランスジェンダーの人々にとっての別名キャリアや、大学において個人的な名前ではなく好きな名前を使用する可能性は、大衆を分断し注意をそらすための武器となるでしょう。[47].

論争

マルゲリータ・ハック賞

2022年5月、フサロは、哲学的研究の功績と潮流に逆らう思考能力により、ヴェネツィアで開催された「ビエンナーレ・ダルテ(パイリオーネ・スポレート)」でマルゲリータ・ハック賞を受賞したことを発表しました。[48][49]しかし、複数の観察者は、実際には賞が「Pro biennale」協会によって授与されており、その協会は有名な展示の場所やダイナミクスとは全く関係がないと指摘しています。さらに、ベネチア・アート・ビエンナーレの「サイト」にはスポレート・パビリオンがなく、また「Premio Margherita Hack」は「Agenzia Promoter」という民間エージェンシーが主催し、サルヴォ・ヌグネスが率いることが常に指摘されています。ヌグネスはヴィットリオ・スガルビカティア・リッチャレッリロミナ・パワー、マルゲリータ・ハック本人などの有名人のマネージャーを務めていました。[50][51]

最後に、2018年の声明でスポンサー団体の一つとして示されていると見られる国立天体物理学研究所は、これまで一切連絡を受けず、イベントに関与したこともなく、したがって同研究所のロゴは許可なく貼付されたことになります。[52][53]

ユーラシアニズム

彼はユーラシアの哲学者アレクサンドル・ゲルヴィチ・ドゥギンと連絡を取っています。

彼はユーラシア主義の教義の支持者であり、ロシアの覇権の下でポルトガルからロシアへと広がるユーラシアの創設を規定しています。[54].ロシアへの支持を表明する中で、フサロは自身のソーシャルプロフィールに、ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーがコカインを使用するという虚偽のニュースを拡散した。[55].

ワクチンとCOVID-19パンデミックに関する立場

彼は、2017年制定の予防接種義務に関する第73号令状に反対すると宣言しました。これは、d.l.が義務付けたワクチン接種回数は過剰であり、製薬多国籍企業の排他的な経済的リターンであると彼の見解である。[56]この声明は、保健省の国家医薬品支出に関するデータによって否定されていますが。[57]

COVID-19パンデミックに関して彼は政府が採用した健康予防策が社会的統制技術の要素を含むという立場を支持し、マスクの使用を聖書の獣の印(番号666に関連付けられる)と比較しました。[58][59][60]

彼は、ネオファシスト組織フォルツァ・ヌオーヴァが主催した「no vax」デモに、ポヴィアアレッサンドロ・メルッツィカルロ・マリア・ヴィガノ大司教(カルロ・タオルミナ)と共に参加しました;2022年には、CGIL本部への襲撃と壊滅で有罪判決を受けたネオファシストを支援する会合に参加しました。[61] [62].2021年、彼はツイートで、COVIDの拡散に対するワクチンの有効性を無意識に示しました。[63][64][65].

フサロは自身のソーシャルプロフィールで、COVID-19ウイルスに関する健康・ワクチン接種状況を証明し、旅行を許可するグリーンパスグリーンパス)が、未納の税金や罰金がある場合に自動的にブロックされるという虚偽のニュースを流布しています。[66].

私生活

彼は2019年にポルト・ポテンツァ・ピチェナのサン・アンナ教会でジャーナリストのオーロラ・ペパと結婚し、同年に生まれた娘をもうけました。[67]

動作

  • 味の独裁幼虫、昆虫、コオロギ:食の正しさに反して、Rizzoli、2024年。ISBN 9788817184991.
  • ウォール街のマルクス金融資本主義とその詐欺、ピエメ、2025年。ISBN 9788856693577.

翻訳、キュレーター、コメント

その他の貢献

  1.  ダリオ・フサロ(1955‐2025):ディエゴ・フサロに描かれた私の父の肖像取得日: 2025年10月20日
  2.  カリキュラムunisr.it にて元の URL は 2013 年 12 月 3 日にアーカイブされました)。
  3.  unimi.ithttps://www.unimi.it/it/media/348/download.
  4.  ディエゴ・フサロがFilosofico.netraicultura.it)を紹介します取得日 2016年1月22日
  5.  ディエゴ・フサロ、Il Fatto QuotidianoIl Fatto Quotidiano にて。取得日: 2020年2月17日
  6.  ディエゴ・フサロは、マルクス主義2.0から、CLの保守的なカトリックに最も近い雑誌へと、2017年7月17日、Giornalettismoで取り上げられました。取得日: 2017年11月25日
  7.  テンピが閉鎖され、編集部および従業員は即時解雇The Huffington Post、2017年11月24日。取得日: 2017年11月25日
  8.  ディエゴ・フサロ、共産主義哲学者の改宗:彼は極右雑誌『Libero Quotidiano』執筆する予定です、2018年5月4日。
  9.  ディエゴ・フサロ、Radio Radio の著者Radio Radio にて。2020年3月14日取得。
  10.  Fusaroのターボ・バカさは面白くなく、危険であるため、2019年9月23日、The Visionで。2020年3月14日取得。
  11.  Michela Rovelli、The ByoBluブログと、Googleが偽ニュース対策のために広告を削除した200サイトIl Corriere della Sera、2022年12月16日掲載。
  12.  Newsguardtech における Byoblu に関する報告書PDF)、sunewsguardtech.com、2022年3月18日。
  13.  Jaime D'Alessandro、Twitter、コロナウイルスに関するフェイクニュースのスーパー拡散者5つのイタリア人プロフィールラ・レプブリカ、2020年5月19日
  14.  最も有名なイタリアのフェイクニュース放送局が、2022年2月3日号のRolling Stone再びストライキを報じました
  15.  アントニオ・ムルツィオ、陰謀ラジオのバイオブルはもはや歌いません。月末に、放送局はエーテルを離れ、ストリーミングのみで放送します。2023年4月28日、ラ・ノティジアで。
  16.  ByoBluの「副作用」ブタックで、2022年4月1日
  17.  Diego Fusarocameo.comで。2023年2月2日に参照されたURL。
  18.  ディエゴ・フサロIl Giornale d'Italia
  19.  LA CIURMAIl Corsaro della Seraで。
  20.  『シチリアを外国の生活から解放する』、ブサラッキ大統領選への選挙を支持する哲学者フサロの考え(動画)、BlogSicilia にて - シチリアからの最新ニュース、2017年8月31日2023年7月30日に参照されたURL。
  21.  社説、地域、控訴裁判所はラ・シチリアに関するブサラッキの除外を2017年10月12日に確認しました。2023年7月30日に参照されたURL。
  22.  Gioia Tauro 2019年の地方選挙結果corriere.it取得日: 2019年5月28日
  23.  フォリーニョ、こちらが可能性のあるM5sの軍事政権です:ディエゴ・フサロの文化委員会議員umbria24.it にて。2020年8月15日取得。
  24.  05/26/2019 エリア イタリア 地域 ウムブリア州 ペルージャ 自治体 フォリーニョelezionistorico.interno.gov.it にて。
  25.  Paolo Mossetti、Vox(ディエゴ・フサロの新党)が深刻なものだからWired Italia、2019年9月19日URLは2021年2月16日に参照されました。
  26.  バーバラ・コッタヴォス、ノヴァラ州上院議員マルテリはディエゴ・フサロに魅了され、ラ・スタンパ「Vox Italia」パーティーに出席します(2019年10月24日)。取得日: 2020年12月14日アーカイブ日: 2020年12月14
  27.  政府を信頼し、今日起こること。ドラギは上院で合意の記録を目指しています。ノーグリリーニが降りますrepubblica.it、2021年2月17日。URLは2021年4月4日に参照されました。
    ジアンルイジ・パラゴーネ、ミケーレ・ジャルッソ、カルロ・マルテッリ追放され、M5Sから追放された彼らは、非常に反ヨーロッパ的な政党であるイタルエグジットに避難した。
  28.  Vox Italiaが政党になる:AISDが誕生oltrelalinea.news、2021年2月28日URLは2021年3月22日に参照されました。
  29.  Vox Italia の全国および地域幹部声明facebook.com にて、2021年2月28日。URLは2021年3月22日に参照されました。
  30.  Giuseppe SottileはItalexitの全国委員会に所属しtempostretto.itにて、2021年6月22日。URLは2022年8月22日に参照されました。
  31.  上院:グラナートが『Ancora Italia』に参加iltempo.it、2022年6月9日。URLは2022年6月10日に参照されました。
  32. ディエゴ・フサロ、アンコラ・イタリアに別れを告げる:「それが私が去る理由です」動画はAffaritaliani.itにありますURLは2022年8月2日に参照されました。
  33.  政党:リゾが大衆的な主権民主主義を開始し、「社会変革への強い構想」をlasvolta.itで、2023年1月23日。URLは2023年2月1日に参照されました元のURLは2023年2月1日にアーカイブされました)。
  34.  ディエゴ・フサロがYouTube.comで2023年7月2日に『THE GUIDE OF ANCORA ITALIAに復帰します
  35.  名誉会長ancoraitalia.itにて。取得日 2025年9月10日
  36.  ディエゴ・フサロ、カール・マルクス著『The "Capital"』ドイツ観念論の勝利、Consorzio Festivalfilosofia、2013年、ISBN 978-88-6703-025-5.取得日: 2018年9月27日.
  37.  カルメロ・カルーゾ、ポピュリスト哲学者ディエゴ・フサロの肖像パノラマ、2018年4月23日
  38.  ディエゴ・フサロ、In memoria di Preveスピッフェロ、2013年11月23日元のURLは2016年11月26日にアーカイブ)。
  39.  レナート・デ・ロベルティス、グラムシ・アンスト・グローバリゼーション、ディエゴ・フサロの言葉barbadillo.it、2021年。
  40.  フランチェスコ・スビアコ、ディエゴ・フサロ:「グラムシ以外では、今日私たちはサブカルチュラル・ヘゲモニーを体しています」culturaidentita.it、2021年。
  41.  ディエゴ・フサロ、マルクス・イデアル派:歴史的唯物論の異端的読解のためにraicultura.it にて。
  42.  Alfio Squillaci、ディエゴ・フサロ著『革命的なグラムシ』、suglistatigenerali.com、2019年。
  43. provitaefamiglia.ithttps://www.provitaefamiglia.it/blog/ddl-omofobia-fusaro-manifesti-di-pro-vita-famiglia-efficaci-perche-risvegliano-le-coscienze.URLは2022年10月21日に参照されました。
  44.  シモーネ・アリバ、The Rightがプロ・ヴィタを議会に持ち込む:祭りの墓地と反ジェンダーミニストリーの間で、そして新たなピロンたちL'Espresso、2022年10月18日。
  45.  フェルッチオ・ピノッティ、エレナ・テバーノ、プロ・ヴィータとフォルツァ・ヌオーヴァのすべてのリンクコリエーレ・デラ・セラ、2017年7月10日。
  46.  ディエゴ・フサロ、トランスジェンダー、私たちの社会が彼らを聖別するからIl Fatto Quotidiano、2017年2月15日
  47.  トランスジェンダーが大衆をそらす権利 - ディエゴ・フサロyoutube.comURLは2022年10月21日に参照されました。
  48.  Margherita Hack 2022賞がIASSPディエゴ・フサロに授与されましたURLは2022年8月19日に参照されました。
  49.  マルゲリータ・ハック賞2022がディエゴ・フサロに授与され、ディエゴ・フサロで、2022年5月16日。URLは2022年8月19日に参照されました。
  50.  2022年5月17日、nextQuotidianoで、Fusaroが受賞した「prestigious」マルゲリータ・ハック賞に戻らないすべてURLは2022年8月19日に参照されました。
  51.  ディエゴ・フサロ、ビエンナーレ、そして『Premio Margherita Hack』の配信に関する不正確さ、2022年5月17日、ブファレで。URLは2022年8月19日に参照されました。
  52.  マルゲリータ・ハック賞(ディエゴ・フサロへ):CICAPに関する懸念URLは2022年8月19日に参照されました。
  53.  「Margherita Hack」賞に関するコミュニケーション、inaf.it
  54.  ドゥギンとイタリア:レガやカサポンドからフサロ、陰謀論者まで、我が国におけるロシア思想家の銀河がrepubblica.itで掲載されています
  55.  https://www.dossierduepuntouno.it/diego-fusaro-tra-guerra-e-bufale/, sdossierduepuntouno.it.URLは2022年10月26日に参照されました元のURLは2023年3月31日にアーカイブされました)。
  56.  アンナ・マセラ、強制ワクチン接種に対する抗議についてラ・スタンパで、2017年7月11日。
  57.  ワクチン、ビッグファーマの費用と収益のデマラ・レプブリカ、2017年6月24日
  58.  ディエゴ・フサロ、目を開いてください:私たちは健康上の緊急事態ではなく、生活の再編成に直面していますradioradio.it、2021年8月10日。
  59.  COVID、5年間マスク着用義務:健康力の制服affaristaliani.itURLは2021年8月28日に参照されました。
  60.  未成年者に対するグリーンパスと強制ワクチン接種に反対する新たなデモ、ディエゴ・フサロがイル・ペスカラに到着しましたURLは2021年8月28日に参照されました。
  61.  ネオファシスト、ノー・ヴァックス、陰謀論者、そしてノーパス:ローマでの会合は、CGILへの襲撃から1年後repubblica.itで。URLは2022年10月21日に参照されました。
  62.  1年前にCGILへの襲撃があり、今日、刑務所から釈放された隊員が数メートル離れた場所で再編成していますfanpage.it)。URLは2022年10月21日に参照されました。
  63.  Samuele Finetti, 「クリアですよね?」:そしてFusaroが(誤って)ワクチンの有効性を示すIl Giornale、2021年12月28日。
  64.  Covidは、主権主義哲学者ディエゴ・フサロのスヴァリオンです。2021年12月27日、ラ・レプブリカで、ワクチンの有効性が無意識に示される投稿とともに
  65.  ルチアーノ・カポーネ、感染に対するワクチン接種の有効性をフサロとトラヴァリオに説明Il Foglio、2021年12月30日。
  66.  Green Pass の「tax block」のデマはopen.online 税金の支払いを強制します
  67.  Antonella Acernese、今日のディエゴ・フサロとは:伝記、年齢、所属、妻と子どもControcampus、2021年8月16日。

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