生存者に男の子がいた?は本当なのか
1985年8月12日に起きた日航機墜落事故の現場で、13日の墜落現場の様子を写真家の小平尚典さんが写真集や動画にのこしています。その中の一枚、自衛隊員が幼い男の子を抱きかかえて運ぶ写真について、SNSで「生存者の男の子ではないか」という声があり、その事実関係を確認します。
SNSで広まった説明
この投稿では「自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が、自衛隊員によって死体置場に運ばれていく様子」とあります。写真だけを見ると、男の子が自分の意思で顔を隠しているようにも見え、「もう一人生存者がいたのでは?」「生存者に男の子もいたよね?」と受け止める人も出てきました。
手記にある「今にも動き出しそうな少年」
小平尚典さんは著書『4/524』の中で、救出劇のあとに行われた遺体収容作業について、次のように記しています。
「今にも動き出しそうな少年、幼い少女、サラリーマンであろう半袖の開襟シャツ姿の男性、座ったままのブルーの座席とシートベルトが痛々しい」
この一文があるのは、生存者救出の場面ではなく、遺体収容を描いた段落です。
この写真の男の子は、この「今にも動き出しそうな少年」そのものと見られます。体に欠損もなく衣服も乱れておらず、目立った外傷も少ないため、パッと見ただけでは生きているように映る、それが生存者と誤解される一因になったようです。つまりこの男の子は、写真を撮影した時点ですでに息を引き取っていたということです。
この↓動画には小平さんご本人が登場し、この男の子の写真についても解説しています。動画の11分59秒~※動画をクリックするとちょうど11分59秒~始まります。
当時『アサヒグラフ』を読んでいた人の書き込み
この写真をめぐっては、以前から同様の指摘が寄せられています。2010年、当時の報道を知る人物がインターネット上の掲示板には次のようなコメントもありました。
「これ間違いなく死体ですよ。当時『アサヒグラフ』臨時増刊号で、生々しい事故現場写真と死体写真いっぱい見ましたが、こうやって運ばれる子供の死体写真もありました。すでに息切れてると思います」
※掲示板はこちら
さらに「自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が」という説明について、「それはちょっと余りに深読みしすぎです」とも指摘しています。事故直後に発行された『アサヒグラフ』臨時増刊号を実際に見た人物の書き込みだけに、重みがあります。
生存者は4人、全員が女性
日航機墜落事故の生存者は4人です。吉崎博子さん、美紀子さん母娘、客室乗務員の落合由美さん、そして川上慶子さん。4人とも女性で、男の子の生存者は記録されていません。最後に救出された川上慶子さんは当時12歳。救助隊員が一瞬「少年」と見間違えたという記述も手記に残っています。この事実からも、男の子の生存者がいたという説明は成り立ちません。
1-9歳の男の子は合計21人
当時の乗客名簿を確認すると、1〜9歳の男の子だけで21人が搭乗していたことがわかります。年齢別に見ると次の通りです。
1歳:2人(宗典、祥)
2歳:2人(忠祐、顕光)
3歳:3人(啓介、大樹、智晶)
4歳:2人(論、学)
5歳:2人(陽之介、昌洋)
6歳:3人(直也、健人、勇太)
7歳:2人(潤、佐幸)
8歳:3人(竜太郎、佳幹、秀倫)
9歳:2人(充芳、美谷島健)
1〜9歳という、楽しい未来がたくさんあったはずのこの男の子たち21人も、全員が犠牲になっています。本当に痛ましいことです。
歳月が変えてしまう記憶
こうした記憶のずれは珍しくありません。SNS上には「生存者は5人だった」「救出された男の子には耳に特徴があった」といった投稿も見られますが、これも悪意ある情報操作ではなく、41年という歳月が記憶を変えてしまった一例でしょう。当時の映像や新聞を強烈に覚えているからこそ、細部の記憶が本人の中で像を結び直してしまう。それが積み重なり、事実と異なる「記憶」がSNS上で共有されていきます。
まとめ
写真に写っていたのは、墜落事故で亡くなった子どものご遺体でした。痛ましい写真ですが、正確な経緯を知ることこそ、犠牲になった方々への敬意につながるはずです。
参考・出典
小平尚典 写真集『4/524 日航123便御巣鷹山墜落事故写真集』![]()
阿修羅掲示板 投稿コメント(2010年)
小平尚典氏 YouTube動画





















































