2026年3月22日日曜日

Amazon.co.jp: 力と交換様式 (Audible Audio Edition): 柄谷 行人, 辻井 健吾, Audible Studios: 本

力と交換様式 Audible版 – 完全版 

2023


定本版2026ではない。

柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」|じんぶん堂 2022

柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」|じんぶん堂

柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」

柄谷行人さん
柄谷行人さん

「これ以上ないところまで書いた」

 柄谷さんは、四半世紀にわたって、〈交換〉から社会の歴史を見る仕事に取り組んできた。今作は、その〈交換様式〉がもたらす〈観念的な力〉に着目した到達点といえる一冊だ。

 「私は、これ以上ないというところまで書きました。だから、今後どうすればいいんですか、なんてことを聞かないでもらいたい(笑)」

 その仕事に取りかかったきっかけの一つは1991年のソビエト連邦崩壊だった。

 「やはり、すごく大きな事件だったんですね。このとき、〈歴史の終焉〉ということが大々的に言われましたが、私は反対でした。なぜなら、何も終わっていなかったからです」

 当時、米国の政治学者フランシス・フクヤマが、イデオロギーの対立は自由・民主主義の勝利に終わったという仮説を示して注目を集めた。根本的な革命はもう起こらないとも言われた。しかし、柄谷さんは、〈歴史の終焉〉が意味するのは、本当の終焉ではなく、国家と資本、ネーション(民族)が互いに結びついた強固な体制が出来上がることだと考えた。それは歴史の前進ではなく、必然的に戦争や恐慌をもたらす、と。そして、その体制をどうやって超えるか、ということを問い続けてきた。

 近年のインタビューでは、「戦争の時代が来る」と指摘してきたが、現にロシアがウクライナに侵攻する事態になっている。

 「私は別に驚かなかった。資本、ネーション、国家が残っている以上、歴史の〈終焉〉はなく、〈反復〉があるだけです。たとえば、90年ごろにアメリカで言われた〈新自由主義〉は、その後、事実上、〈新帝国主義〉に転じた。つまり、90年以後の世界史は、別に新しいものではない。実際、ロシアとウクライナの戦争は、第1次世界大戦や第2次世界大戦の反復でしかない」

なぜ「交換様式」なのか

 資本=ネーション=国家を超えた未来はあり得るのか。まず、柄谷さんがその可能性をまとまった形で考察したのが、2001年の『トランスクリティーク』だ。カントとマルクスの読解を通じて、交換の観点から社会をみるというアイデアを示した。その後、9・11以降の世界の分断を受けて、その考察を練り直し、〈交換様式〉として2010年の『世界史の構造』で全面的に展開され、体系的理論となる。

 〈交換様式〉は、柄谷さんが編み出した独自の概念だ。社会のシステムを交換から見ることで、四つの交換様式を見いだした。その四つは、A=贈与と返礼の互酬、B=支配と保護による略取と再分配、C=貨幣と商品による商品交換。Dは、Aを高次元で回復したもので、自由と平等を担保した未来社会の原理として掲げられている。歴史上にあるDは様々な形を取るため、柄谷さんは〈X〉と呼んできた。

 四つの交換様式は同時に存在していて、どの交換様式が支配的かによって、社会のありようが決まってくる、と説く。Aならば氏族社会、Bであれば国家、Cの場合は資本制社会が、その代表例だ。Dが支配的な社会はいまだに存在していないという。

 そもそも交換様式という考えはどのように生まれたのか。柄谷さんは、ソ連崩壊によって〈マルクス主義〉が否定されても、マルクスや主著『資本論』は「終わっていない」と考えた。

 「いわゆるマルクス主義では、国家やネーション(民族)といった上部構造は、経済的下部構造(生産力と生産関係)によって規定されている、という考えが支配的ですが、それだけでは説明できないことが多い」

 「そのため、マックス・ウェーバーは、近代の産業資本主義を生んだのはプロテスタンティズムであるとし、宗教的な上部構造の自立的な力を強調した。また、フロイトは、経済的下部構造ではなく、心理的な上部構造に、人間を動かす無意識の働きを見ようとした。それ以来、観念的、イデオロギー的な上部構造を重視する考えが強くなったといえます」

 「一方、マルクス主義者も、エンゲルスがいっているように、別に〈経済決定論〉を唱えたわけではない。したがって、現在では、経済的なものだけでなく、イデオロギー的宗教的なものを総合的に見るべきだという考えになっています。しかし、私はそこで済ませたくなかった」

 柄谷さんは、「経済的な下部構造が上部構造を決定するという考えに反対ではない」という。「ただし、経済的下部構造には、生産様式だけではなく、交換様式がある。そして、生産様式を超えるような力は、交換様式からくるのです」

 「マルクスが『資本論』で注目したのは、交換様式です。そして、それがもたらす物神的な力です。そう考えたマルクスが参照したのは『リヴァイアサン』で、国家という怪獣について論じたホッブズです」

 「国家には力がありますが、それが武力によると思ってはいけない。武力があっても、国家は続かない。国家が存続するためには、武力ではない何か別の力が必要です。そのことを見抜いた人が、ホッブズです。ホッブズが洞察したのは、国家の〈力〉が、それに従えば保護されるという〈交換〉によって成り立つということです」

 「同様にマルクスは、貨幣の力が、商品の交換に根ざすことを見た。『資本論』で交換様式という観点を取ったとき、すでにマルクスは、ウェーバーやフロイトが気づいていたにもかかわらず、それを宗教や無意識に求めた問題を、交換、すなわち、広い意味で〈経済的〉な観点から説明できると思っていたわけです」

 しかし、このような考えは、その後無視されるにいたった。そして、柄谷さんは、交換様式という視点から、2010年に『世界史の構造』を書き上げた。

「再考」して見いだした交換の「霊的な力」

 柄谷さんは「『世界史の構造』を書いたとき、これで最後だ、もう言うことはない、と思った」と話す。実際、その後の著作『哲学の起源』や『帝国の構造』は、補足として書いたものだという。そして、2015~16年に、雑誌「atプラス」で「Dの研究」を連載した。

 「一番説明するのが難しい『D』について書いているうちに、A、B、Cについてももう一度考える必要を感じたのです」

 本書では、「再考」という言葉が度々登場する。

 「考えるということは、再考するということですよ(笑)。そうすると、同じ問題が違って見えてくる」

 「今度の本で注目したのは、交換様式が観念的な力をもたらすということです。それが顕著なのは交換様式Dです。それは、観念的なあるいは霊的な問題、つまり宗教的な次元にみえます。だから、だから他の交換様式とは違う、ということになる。しかし、どの交換様式も霊的な力をもつのです。ただA・B・Cの場合は、その力が霊的なものとは見なされない。私はそれらがもつ霊的な力について考えた」

 〈霊的〉というと科学的でないという反論が浮かぶ。しかし、柄谷さんは、「磁力も17世紀半ばまでは実在の力とは見なされなかった」と指摘し、「科学的な態度とは、たんに霊を斥けるのではなく、霊として見られるほかないような『力』の存在を承認した上で、その謎を解明すること」だと説く。

 「交換が〈霊的・観念的な力〉をもたらすということは、もともとマルクスが『資本論』で考えたことです。そこでは、貨幣・資本の力が、交換から生じる〈物神的な力〉だということを示していました」

 商品は、交換されることで初めて商品としての価値を持つ。マルクスはそれを「命がけの飛躍」と呼んだ。

 「ところが、ルカーチに代表されるマルクス主義者は、物神という考えを単なる冗談として扱った。今もそうみなしています。それが交換様式Cから来る、観念的な力だということを見なかった」

 ところが、後に、同じような事態が、交換様式Aに関しても起きたという。 

 「マルクスの死後、交換様式Aから生じる観念的な力に注目した人物がいます。人類学者マルセル・モースです。彼が未開社会に見いだしたのは、Aがもたらす〈霊的な力〉です。例えば、贈与された者は返礼しなくてはならない。贈与と返礼を強いているのは、物に付着した霊的な力だとモースは言う」

 「しかし、霊的などと言うと、科学者からバカにされるから難しい。モースもそう言ったため、彼を称賛したレヴィ=ストロースなどにも批判された。しかし、モースは、他に言いようがないからそう言ったのです」

 交換様式Bについても、柄谷さんはホッブズが用いた「リヴァイアサン」という怪物の比喩が、単なる比喩に留まらないという着眼点から論を深めていく。

 「国家に従えば保護されるという交換がないと、国家の力自体が終わってしまう。ホッブズが面白いのは、その力を海の怪獣リヴァイアサンと呼んだことです。普通の力じゃない。物理的に力がないように見えても、ものすごい力を持つわけです。

 「その意味で、貨幣も国家も、異なる交換様式から生じた観念的な力としてとらえることができます。さらにネーション(民族)についても同様のことがいえます。それはベネディクト・アンダーソンのいう〈想像の共同体〉ですから。つまり、Aの低次元での回復です」

資本=ネーション=国家を超えるもの

 柄谷さんは『世界史の構造』で、資本、国家、ネーションが、それぞれ異なる交換様式C、B、Aによってもたらされる力によって支えられている、ということを明らかにした。それをさらに根本的に再考することが今作の課題であったといえる。

 「重要なのは、これらの〈霊〉たちを一掃する力をもたらすものがある、ということなのです。それが交換様式Dです。そこに資本・ネーション・国家を揚棄する力が生じる。そうでないと、資本=ネーション=国家、すなわちA・B・Cの連合体が永続するでしょう」

 交換様式論の最大の特色は、Dという第4の交換様式を置いたことだろう。ただ、A・B・Cに比べて、Dはイメージがわきづらい。多くの読者を戸惑わせると同時に引きつけてきた。

 今作でもDについて考えることについて、「一番つまずいた」と明かし、「もう頭が働かない」と苦笑いする。そこで、柄谷さんは長年親しんできたお酒をやめた。

 「禁酒しても別に頭は働きませんよ(笑)。だけど、違うものが出てきた。例えば、マルクスに関しても、以前とは違う態度になりました。乗り越えるとかではなくて、彼の別の可能性を読むという感じになった」

 特に晩年のマルクスが、モルガンの『古代社会』の研究に打ち込んだことに着目した。

 「それは、まだ階級社会以前のAが支配的な段階です。晩年のマルクスは、未来の共産主義を、『古代氏族の自由、平等および友愛のより高度な形態における復活』とする考え方に共感していた。私の言い方で言えば、Aの高次元での回復がDだということになります」

 一方で、それまで否定的に見ていた「エンゲルスの可能性も見つけた」という。

 「私だけではないが、マルクスを再評価するためにエンゲルスを悪者にするということがよくありました。でも、今回は違います。たとえば彼は、最晩年、原始キリスト教の起源の問題に取り組んだ。これは、いわゆる史的唯物論とは違う仕事で、交換様式Dにつながるものです」

人間の意志を超えた「D」の到来

 ただし、『力と交換様式』で強調されるのは、Dは人間の意志で作り出すことは出来ないということだ。

 「交換様式C・B・Aの揚棄を可能にするのは、ただ一つ、交換様式Dが到来することです。とはいえ、それがいつ、いかにして来るかはわからない。それは、われわれの意志を越えています」

 たとえば、国家(B)の力にもとづいて社会を変えれば、結局国家が残る。では、国家に依拠することなく、私たちにできることはないのか。柄谷さんは、「それは、不可能ではない」という。「それは、意識的に交換様式Aを追求することです。ただし、それは、BやCの力に阻まれてローカルに留まります。が、それでいいのです。AがDをもたらすと考えてはいけない」

 実践としてのAの一つがアソシエーションだ。協同組合のように、特定の興味や目的で結びついた社会組織を指す。かつて、柄谷さんは2000年から約2年半にわたって社会運動体「NAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント)」を続け、その後も原発反対のデモなど様々な形で実践してきた。最近では、国葬に反対するデモにも参加した。

 「Aの運動は、自発的なものです。誰かが指揮したり強制したりして成り立つものではない。自然発生的なものです。実際、日本でも、コロナの拡大と並行して、Aの運動が、自然発生的に拡大しているように思う」。たとえば、これまで、人が都市に出て行ったため荒廃した農村部に、逆に都市から人が入ってきて農業をするという現象が各地に見られる。「その場合、それは、従来の村落共同体に戻ることにはなりません。もとからいる人が、外から入ってきた人と一緒に、新しい農業をやるような体制ができつつある。そこから新しい共同体が生まれるのではないかという予感がします。その場合、誰かが導いてそうなるわけじゃない。しかし、今までできなかったことが自然にできるようになる。それと同じようなことが、Dについてもいえます」

絶望的な未来にある「希望」

 Dによる社会がいつ到来するともしれないまま、世界は危機の中にある。柄谷さんは、Dの一つの表現として、マルクス主義思想家エルンスト・ブロッホの〈希望〉という概念を挙げている。それは、資本と国家を揚棄する可能性を指すもので、「中断され、おしとどめられている未来の道」の回帰だという。

 「これは本来キリスト教の観念だと思う。だけど、彼はそれをキリスト教としては言わない。しかし、それではよくわからない。私が考えたのは、それを交換様式の観点から説明することです」

 柄谷さんの考えでは、「未来の道」はブロッホのいう「未だ-意識されないもの」がもたらすものだ。こうしたDの可能性は、原始キリスト教や初期の仏教、あるいは共産主義の構想などとして、抑圧されても繰り返し歴史のなかでよみがえってきた。

 今後において、国家(B)と資本(C)が必然的にもたらす危機は繰り返しやってくる。しかし、それゆえにAの回帰としてのDは必ず到来する、というのが柄谷さんの認識だ。「〈希望〉がまだあります。絶望的な未来においてこそ」

柄谷行人さんが自らの歩みを振り返る連載「私の謎 柄谷行人回想録」はこちら

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希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス) 単行本(ソフトカバー) – 2012/11/7 


「なぜブロッホは、他のマルクス主義者と違って、『未来』について考えたのか、さらに、宗教やロマン主義的な先祖返りというような問題について考えたのか。それは1930年代半ば、ドイツでマルクス主義運動がナチスに敗北したからだと、私は思う。彼が「『未来の哲学』を見いだしたのは、まさに『未来』のない状態においてであった。」(柄谷行人・本書解説より)

来るべき自由の大地を見据える特異なマルクス主義哲学者、ブロッホ畢生の大著である。
一九三八年から四七年、亡命の地で書かれた本書は全五部から成る。まず市井の男のごく平均的な夢が報告される(第一部)。この淡い夢を、〈いま・ここ〉を突破し〈未だ意識されないもの〉を先取りするユートピア機能の発見により「把握された希望」として基礎づけるのが第二部である。世界過程を開かれたものとして措定するこの主体‐客体論が、今後の各論を検証する方法と基準の理論編となる。こうして娯楽雑誌、舞台、映画、サーカス等の擬似ユートピア批判を経て(第三部)、古代ギリシア以降近代に至るまでの広大無辺の「よりよい世界の見取図」を検討する第四部に移る。宗教、文学、音楽など予見的な営みがまさに百科全書的に展開される。「自由と秩序、社会的ユートピアの略図」の章や、技術、建築の章は圧巻である。〈いま・ここ〉の闇を突破する限界踏み越えの導きの像を描く第五部において、ドン・キホーテが、ファウストが、フィデリオが満たされた瞬間に見たものは何か。死、音楽、宗教、東洋の自然を経巡り、マルクス主義的知は前人未到のありうべき「故郷」を指し示してゆく。
哲学は明日の良心を、希望を我がものとする。こう書いたとき著者は、ファシズムと戦争の逆境にあった。3・11を経験した私たちにとって本書は、希望を無から救いだし既成性を造り変える手がかりとなるに違いない。
廉価版全6巻、毎月刊のスタート!

エルンスト・ブロッホ 希望の原理 ERNST BLOCH Das Prinzip Hoffnung 目次

エルンスト・ブロッホ 希望の原理 ERNST BLOCH Das Prinzip Hoffnung

目次
山下 肇・瀬戸鞏吉・片岡啓治・沼崎雅行・石丸昭二・保坂一夫 訳 白水社

旧版1982❶①2013新版[1959原著1~258]

まえがき ❶17
  第一部(報告) 小さな昼の夢 39
1私たちは空っぽからはじめる 41
2たくさんしゃぶってみて、もっとたくさん欲しくなる 42
3 毎日とりとめもなく 43
4隠れ場と美しい異郷 45
・自分たちだけで
・家にいてすでに旅への途上
5 逃走と凱旋 48
・船出
・きらめく表皮
6 より成熟した願望とその形象 35
・足なえの駄馬たち
・長いナイフの夜
・門のしまる寸前に
・新しいなぐさみの案出
・友となる機会
7 老年にも残された願望 63
・酒と財布
・よびおこされた青春。その反対の願望――穫入れ
・夕暮れと家
8転換のきざし 70

  第二部 (基礎づけ) 先取りする意識 73
9衝迫として生起するもの 75
10満ち足りぬ赤裸な性向と願望 76
11かなり肥大した欲動体としての人間 79
・個体
・背後に肉体をもたぬ欲動はない
・移り変わる熱情
12人間の基本的欲動に関する種々の解釈 83
・性的欲動
・自我欲動と抑圧
・抑圧、コンプレックス、無意識および昇華
・権力
・欲動、陶酔欲動、集団的無意識
・ 「エロス」と祖型
13すべての基本的欲動がもつ歴史的限界性。自己関心の諸相。満たされた情動と期待情動
・さし迫っている要求 99
・最も信頼できる基本的欲動―自己保存
・自己保存欲動も含めた諸欲動の歴史的変遷
・情動と自己状態、期待情動とりわけ希望という食欲
・前方への自己拡大欲動、能動的な期待
14 昼の夢と夜の夢との原則上の区別。夜の夢における隠された古い願望充足、昼の空想における虚構し先取りする願望充足 114
・夢見癖
・願望充足としての夢
・不安夢と願望充足
・ひとつの要点――昼の夢は夜の夢の前段階ではない
・昼の夢の第一および第二の性格――自由な走行、保たれるエゴ
・昼の夢の第三の性格――世界改良
・昼の夢の第四の性格――究極への走行
・夜と昼の、夢の劇の相互混入、その解消
・ふたたび、夢見癖――昼の夢の媒体としての「気分」
・ふたたび、期待情動(不安、恐怖、驚愕、絶望、希望、確信)と白日夢
15 未だ意識されないものの、あるいは前向きの薄明の、発見。新しい意識段階としての、および新しいもの青春時代の転換、生産力の意識段階としての、未だ意識されないもの。ユートピア的な機能という概念、その機能と、利益、イデオロギー、祖型、理想、寓意象徴との出会い 162
・二つの末端
・前意識のもつ二重の意味
・青春時代の転換、生産力、 における未だ意識されないもの
・さらに生産力について――その三つの段階
・忘却されたものと未だ意識されないものとが明白化にたいして示す抵抗の違い
・未だ意識されないものという概念を長く妨げてきた抵抗についてのエピローグ
・未だ意識されないものにおける意識的な活動と既知の活動、ユートピア的な機能
・さらにユートピア的な機能――そのなかの主体と、現存する悪しきものにたいする対抗手
・ユートピア的な機能と利益との接触
・ユートピア的な機能とイデオロギーとの出会い
・ユートピア的な機能と祖型との出会い
・ユートピア的な機能と理想との出会い
・ユートピア的な機能と寓意象徴との出会い
16 願望実現の際に実現されずに残るユ ートピア的理想像。エジプトのヘーレナとトロイ
のヘーレナ 239
・夢はいつまでも続こうとする
・願望充足およびそのなかにひそんでいるかもしれないもの
・幻滅の第一の理由――汝のいないところに幸せがある。 幻滅の第二の理由
・独り歩きをはじめた夢と二人のヘーレナの伝説
・第一の理由および第二の理由にたいする反論 静止のオデュッセイア
・ユートピア的残像がのこる第三の理由
・実現をはばむさまざまな難問(アポリア)
17 ユートピア的幻想が世界のなかにもつ相関物。実在的可能性、最前線と新事象(ノーヴム)と終極(ウルテイムム)というカテゴリー、および地平 262
・人間は濃密ではない
・世界のなかの多くのものは未完結である
・戦闘的楽観主義、最前線と新事象と終極というカテゴリー
・ 「可能性にしたがって存在しているもの」と「可能性のなかに存在しているもの」、マルクス主義のなかの冷たい流れと熱い流れ
・目に見える予兆としての芸術的仮象
・偽りの自足状態。実在する断片としての予兆
・リアリズムが問題だ、すべて現実的なものは地平をもつ
②[258~519]
18 可能性カテゴリーの諸層 299
・形式的に可能なもの
・即物的(ザハリヒ)・客観的(オブイエクティーフ)に可能なもの
・事物的(ザハハフト)・合客体的(オブイェクトゲメース)に可能なもの
・客観的・実在的に可能なもの
・回想―可能なものにたいする論理的・静的な戦い
・可能性を実現する
19 世界の変革、あるいはフォイエルバッハに関するマルクスの十一のテーゼ 330
・起草の時期
・整理分類の問題
・認識論のグループ直観と活動(テーゼ五、一、三)
・人間学的・歴史的グループ―自己疎外と真の唯物論(テーゼ四、六、七、九、十)
・理論実践グループ証明と検証 (テーゼ二、八)
・合言葉とその意味(テーゼ十一)
・アルキメデスの点。たんに過去にとどまらず、本質的に、現われ出んとするものに関係している知について
20 要約。先取りの性情と、その両極――暗い瞬間とひらかれている適合性 380
・脈搏と生きられている暗闇
・可能な前進のための場
・水源と河口――絶対的な問いかけとしての驚き ふたたび、生きられている瞬間の闇。この日を摘みとれ(カルぺ・ディエム)
・生きられている瞬間の闇(続) ――前景、危険な空間、充足の憂鬱、自己媒介 391
・ふたたび、絶対的な問いかけとしての驚きについて、不安および幸福の形態のばあい。まさにユートピア的な祖型――最高善
・始源における〈ない〉、歴史における〈未だ・ない〉、究極における無もしくは全405
・継続状態でないユートピア。だからこそ〈この日を摘みとれ〉、ただし、真の現在における真の〈この日を摘みとれ〉として
21 魅惑的な姿をとった昼の夢――パミーナ、あるいは愛の約束としての像 420
・愛にみちた朝 肖像画の影響 出会いと婚約をつつむ光輪(ニムブス)
・過剰な像、それからの救済、結婚をつつむ光輪
・高貴な一対とキリストの聖体、あるいはかつての結婚についての宇宙的ユートピアとキリスト教的ユートピア
・愛の残像
22 象徴的な形態をとった昼の夢パンドーラの箱。残った善 444

  第三部(移行) 鏡のなかの願望像(陳列品、童話、旅、映画、舞台) 449
23 実物より美しく見せる 451
24 鏡が今日語りかけるもの 453
・スマート
・へりくだりの名人
25 新しい衣裳、まばゆい陳列品 456
・たくみな配列
・ネオンサイン
26 美しい仮面、クー・クラックス・クラン、けばけばしい娯楽雑誌461
・曲がった道
・脅しの効用
・ベストセラー、シロップでできたお話
27 歳の市やサーカス、童話や民衆小説における、もっとましな空中楼閣 471
・りこう者の勇気
・食卓よごちそうを出せ、ランプの精
・ 「歌の翼にのせて、恋しき君よ、おまえを連れていこう」
・ 「ガンジス河の草原へ、そこには世にもすばらしい場所がある」
・歳の市やサーカスにおける南の海
・民衆小説としての無法者童話
28 旅の魅力、古美術、スリラー小説の幸福 494
・美しい異郷
・十九世紀における遠方への願望と懐古趣味の部屋 骨董のアウラ、墟の魔力、博物館
・城内庭園とアルカディアの建築
・荒くるう天候、夜のアポロ
29 舞踊における願望像、パントマイムおよび映像の世界 525
・新しい舞踊と古い舞踊
・新舞踊もかつては表現主義的だった、エキゾティズム
・祭祀の舞踏、デルヴィッシュ、聖なる輪舞
・聾唖的パントマイムと意味表示的パントマイムカメラを通した新しい身振り表現
・腐りはてた夢の工場と透明な夢の工場
30 範型を提示する施設としてみた舞台、およびそこでの決断 549
・幕があがる
・範例の吟味
・さらに、 求むべき範例の吟味
・台本、言葉による身振り表現、および場景
・幻想、虚飾なき仮象、倫理教育機関
・誤ったアクチュアル化と真のアクチュアル化
・さらに、真のアクチュアル化恐怖と同情ではな反抗と希望
31 嘲笑され憎悪された願望像、勝手きままでユーモラスな願望像 574
・もしも、というひと言
・ 「新しく流行するものが役に立ったためしはない」
・虚無(ル・ネアン)。別世界(ア・ノートル・モンド)
・アリストファネスの『鳥』と雲居国
・愉快な誇張ルキアノスの『本当の話(ヴェラ・ヒストリアス)』
・勝手きままでユーモラスな願望像
32 ハッピー・エンド、それは見抜かれていてそれでも擁護される 588

❷③[521~817]
第四部(構成) よりよい世界の見取図(医術、社会体制、技術、建築、地理、芸術と知恵における展望) ❷9
33 夢みる人はますます多くを求める 11
34 身体の鍛練、何事もうまく行くさ(トウ・ヴァ・ビアン) 12
35 健康のための闘い、医術のユートピア 16
・温かい寝床
・迷信とおとぎ話
・薬剤と計画
・実際の身体の改造における逡巡と目標
・マルサス、出産率、食糧
・医者の心配
36 自由と秩序、社会的ユートピアの略図 37
  I 序論 38
・ニュー・モラル・ワールド
・簡素な食事
・棚からぼたもち
・ここにも妄想と通俗小説がある
・地平線に見え 新道徳世界 
・ユートピアにはユートピアの時刻表がある
  Ⅱ 過去の社会的願望像 51
・ソロンと慎ましい中庸
・ディオゲネスと模範としての乞食
・アリスティッポスと模範としての居候
・ドーリア国家についてのプラトンの夢
・ヘレニズム時代の理想国のおとぎ話、イアンブロスの『太陽の島』
・ストア学派と国際的世界国家
・聖書と隣人愛の国
・アウグスティヌスの新生した神の国 77
・ヨアキム・デ・フロリス、第三の福音とその御国
・トーマス・モアあるいは社会的自由のユートピア
・モアの対極――カンパネラの太陽の国あるいは社会秩序のユートピア
・自由とは何か、秩序とは何か、『ユートピア』と『太陽の国』についてのソクラテス的問いかけ
・進展――社会的ユートピアと古典的自然法
・社会的ユートピアに代わる開化された自然法
・フィヒテの封鎖商業国家、または理性法に基づく生産と交易
・十九世紀の連邦的ユートピア――オーエンとフーリエ
・十九世紀の集権的ユートピア――カベーとサン=シモン
・個人的ユートピア思想家と無政府状態――シュティルナー、ブルードン、バクーニン
・三月前期のプロレタリアの空中楼閣――ヴァイトリング
・まとめ――合理的ユートピアの弱点と地位
  Ⅲ 科学への計画と進歩 176
・アクチュアルな残滓――ブルジョア的集団ユートピア
・始まり、青少年運動の綱領
・新しい女のための闘い、婦人運動の綱領
・古き新しき国、シオニズムの綱領
・マルクス以後の未来小説と全体ユートピアーベラミー、ウィリアム・モリス、カーライル、ヘンリー・ジョージ
・マルクス主義と具体的先取り
37 意志と自然、技術のユートピア 225
  I 魔術的な過去 227
・よんどころなく
・火と新装備
・妄想とアラジンのおとぎ話
・ 「ミュストス教授」と発明
・アンドレーエの『一四五九年に行なわれたクリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』
・ふたたび、錬金術――ムタツィオ・スペキエルム(無機類の変成)その人工孵化器
・バロックの無規律な発明と「提案」
・ベーコンの発明(アルス・インヴェニエンディ)、生きつづけるルルスの術
・ノーヴァ・アトランティス、ユートピアの実験室
  Ⅱ 非ユークリッド的現在と未来、技術の結合の問題 265
・プランも外因によって動かされねばならない
・後期ブルジョアにおける技術の絞殺、ただし軍事的技術はこの限りではない 機械の非有機体化、原子力エネルギー、非ユークリッド的技術
・非有機体化における主体、原料、法則、結合
・人間の主体という電子、意志の技術
・自然主体との共同生産の可能性、あるいは自然主体との同盟の基本的な技術
・暴力なき技術。 経済恐慌と技術的事故
・縛られた巨人、ヴェールをかぶったスフィンクス、技術の自由
④ [819~1086]
38 よりよい世界を模写する建築物、建築のユートピア 320
  I 過去の建築様式のさまざまな設計 321
・窓ごしの視線
・ポンペイの壁に描かれた夢
・祝祭の装飾とバロックの劇場建築
・おとぎ話のなかの願望の建築
・絵画に描かれた願望の建築
・石工組合、あるいは仕事の遂行における建築のユートピア
・エジプトあるいは死の水晶体のユートピア、ゴシックあるいは生命の樹のユートピア
・古代建築芸術における指標空間のその他の個別的事例
  Ⅱ 空洞の建設 364
・新しい家と現実的明快さ
・都市計画、理想の都市、そしてふたたび明快さ ―水晶に浸透する充実
39 エルドラドとエデン、地理的ユートピア 381
・発明と発見。地理的希望の特性
・ふたたびおとぎ話、金毛羊皮と聖杯
・フェアキアの島、悪しき海大西洋、地上の楽園の位置
・聖ブレンダンの航海、司祭王ヨハネの国。アメリカおよびアジアの楽園
・オリノコ河デルタにおけるコロンブス。地球の円天井
・南の国とユートピア・トゥーレ
・他の星々におけるよりよい住みか。ここがロドスだ(ヒツクロドウス)
・コペルニクス的関係、バーダーの『地球中心論』
・醒めた地理的延長線。労働により媒介された地球の基礎
40 絵画、オペラ、文学に表わされた願望風景  444
・パースペクティヴ
・花じゅうたん
・人間の静物
・シテール島への船出
・ファン・アイク、レオナルド、 レンブラントにおける遠近法と大いなる地平
・文学における静物、シテール島と深いパースペクティヴ インゼ、バラ物語、ジャン・パウル
・美学における願望風景のパースペクティヴ。 深淵と希望の次元に照らした芸術素材の位置づけ
・残存する日曜日の画家、スーラ、セザンヌ、ゴーガンのばあい。ジョットの伝
説の国
・文学における伝説の国――ダンテの天堂(パラディソ)における天上のバラ、ファウストの天上における超越的高峰
・オペラと聖譚曲(オラトリオ)における絢爛、楽土(エリジウム)
・音楽の精神における室内と無限なるものとの触れ合い――クライストの理想の風景。 システィナの聖母
41 永遠の相の下から(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)、そして過程から見た、願望風景と知恵 503
・中庸の探究
・原物質と法則の「本来性」
・カントと叡知界。 プラトン、エロスと価値のピラミッド
・ブルーノと無限なる芸術作品。 スピノザと水晶としての世界
・ウグスティヌスと目的論的歴史。 ライプニッツと解明過程としての世界
・哨戒する概念、あるいは課題としての「本来性」
・二つの願望命題――教えることのできる徳、定言命令
・アナクシマンドロスの命題、または均一化される世界
・深さのなかにある軽やかさ、光明のなかにあるものの楽しさ
42 八時間労働日、平時の世界、自由時間と余暇 571
・飢えの鞭
・ブルジョアジーの堅固な要塞から
・慈善行為で緩和するあの手この手
・ブルジョア的平和主義と平和
・技術的成熟、国家資本主義と国家社会主義。 十月革命
・自由時間のさまざまな惑わしたっぷり働かせるための訓練
・堕落してはいるが希望を失ってはいない自由時間の古い残存形式個人的な趣味、民衆の祝祭、円形劇場
・自由時間の環境ユートピア的な安息地と牧歌性
・ようやく半ば探究されてきた不可欠の目標としての余暇

❸⑤[1087~1391] 
第五部 (同一性) 満たされた瞬間の願望像(道徳、音楽、もろもろの死のイメージ、宗教、東洋の自然、最高善) ❸9
43 自分が何なのか分からない 11
44 家庭と学校が手引きする 13
45 人間らしくなるための導きの像そのもの 16
46 危険な生と幸福な生の道標 21
・さまざまな問いが待ちうけている
・暖かすぎる服を着て
・向こう見ずな魔王の眷族
・フランス的な幸福と喜び
・幸福の冒険
47 意志のテンポと省察の道標、孤独と友情の道標、個人と共同体の道標 28
・思慮深い人
・ファビウスあるいは逡巡する行為者
・ソレルとマキャベリあるいは行動力と運命の車輪
・分裂の問題、岐路に立ったヘラクレス、ディオニュソス対アポロヴイタ・アクティヴア サイタ・コンテンプラテイヴア
・活動的生、観照的生、あるいは選ばれたよいほうの世界
・孤独と友情の二重の光
・個人と集団の二重の光
・共同体による個人の救済
48 若きゲーテ、 非諦念、エアリエル 72
・壊したい願望
・ヴェルテル的なものの幸福と苦悩
・要請、プロメテウス、ウル・タッソー
・崇高さの志向、ファウストーゴシックと変態(メタモルフォーゼ)
・エアリエルと詩的空想性
・魔性(ダス・デモーニッシェ)と自己を告げる寓意的・象徴的閉鎖性
・あこがれを知る者ミニョンならでは
・われわれの能力の予感としての願望
49 限界を踏み越える導きの人物像。 ファウストと満たされた瞬間を求める賭け 107
・濡れた薬は火がつかぬ
・竪琴は鳴りグラスは空になる
・ドン・ジョヴァンニ、全女性と結婚式
・ファウスト、大宇宙、待てしばし、おまえはいかにも美しい
・ファウスト、ヘーゲルの現象学と出来事
・オデュッセウスはイタカーで死んだのではない、彼は人の住まぬ世界へ行ったのである
・ハムレット、引っ込みがちな意志。プロスペロー、根拠のない喜び
50 ドン・キホーテとファウストに示された、抽象的でしかも媒介された限界踏み越えの
道標 150
・発酵する意志
・ドン・キホーテの憂愁の姿と黄金の幻想
・類似した問題――アントニオにたいするタッソーの正当性と不当性
・ルシフェル的・プロメテウス的なもの
51 音楽における踏み越えともっとも濃密な人間世界 183
・盲者の幸福
・ニンフのシリンクス
・奇怪な主人公とニンフ――幻想交響曲
・音楽と不可分の人間表現
・カノンと法則世界としての音楽。 天体調和、より人間的な導きの星
・音画、ふたたび自然作品、音楽の濃密性と倫理性
・空洞。ソナタとフーガの主体
・葬送行進曲、 レクイエム、死のかなたへのコンドゥクトゥス
・フィデリオのなかの瞬間とマルセイエーズ
52 自己と、墓場の提灯、または最も手強い非ユートピアの力、死に抗する希望像 243
 I 序論 244
・死の話はしないこと
・この世ではもはやいかなる朝も持たない夜のユートピア
  Ⅱ 死と勝利の宗教的対位法 251
・死者からは幸こそ来たれ
・影とギリシア的薄明
・再生の肯定。 オルフェウス教の車輪
・魂の霊液とグノーシス派の天の旅
・墓のなかのエジプトの天
・聖書の復活黙示録
・イスラム教の天国、肉の強さ、魔法の園
・純粋な安心は天からの解放すら求める、涅槃という願望像
  Ⅲ 啓蒙主義的安楽死とロマン主義的安楽死 289
・強靭な精神の持ち主たる自由思想家
・松明を下げてもつ若者と新たに点火した松明をもつ若者
・解体して万有に向かわんとする願望、死して自然へ帰らんとする願望
・氷河、母なる大地、そして世界精神
  IV その他の世俗的対抗手段、ニヒリズム、人類の住みか 308
・またしても色とりどりの死
・担保つき貸出し信仰の四つの目印 比喩としての不死
・作品に表われたばあい
・悲劇における鑒としての死
・社会主義的意識のなかで死という無は消失する
  V 万物に宿る生の欲求と断片 336
・死を究めんとする旅
・非現存在としての瞬間。死の領域にたいする外在性
⑥[1392~1628]
53 宗教的な秘密、すなわち、星辰神話、脱出、御国、 への人間参加の増大。 無神論と御国のユートピア 346
  I 序論 347
・信頼できる手のなかで
・またしても狂者、オカルト術
・族長とまじない師。すべての宗教には宗祖がいる
・宗教的な人間性のなかにもあるスミノーゼ
  Ⅱ 宗祖、福音、および「神はなぜ人となり給いしか(クール・デウス・ホモ)」 375
・異境よりの教師カドモス
・陶酔的救いを歌う歌手 オルフェウス
・アポロ的な神々とその従者を歌う詩人ホメロスとヘシオドス。ローマの国家宗教の神々
・ついに花咲くことなきプロメテウス信仰と悲劇の祭儀――アイスキュロス
・魚の姿をした人間と星辰神話における月の報告者――オアネス、ヘルメス・トリスメギストスート
・地上天国の均衡と、眼に見えぬ世界の拍動(道(タオ)) ――孔子と老子
・自分自身すでに福音の一部となっている宗祖モーセとその脱出の神
・モーセ、あるいは宗教におけるユートピアの意識、ユートピアにおける宗教の意識
・戦士の自己投入が星の光と混じり合ったばあいゾロアスター、マニ
・無宇宙を限界とし涅槃と関係する救済的自己投入仏陀
・モーセと脱出の精神から生まれ、その福音と完全に一致する宗祖イエス、黙示録、御国
・イエスと父。救世主としての楽園の蛇。 三つの願望の秘儀 復活、 昇天 再臨
・アラーの意志への狂信と服従――マホメット
  Ⅲ 現実の治外法権性としての地上の核 476
・現存していない目的に至る道
・避けられない運命と避けられる運命、またはカッサランドとイザヤ
・未知の存在たる人間をユートピア的に実体化した理想としての神。フォイエルバッハ、ふたたび「神はなぜ人となり給いしか(クール・デウス・ホモ)」
・無神論に関連して。神が想像されユートピア化された空間の問題
・宗教の層における〈待てしばし〉 ――神秘思想における瞬間の合一
・奇跡と奇跡的なもの。勝利の女神(ニーケ)の足が踏みしめる地点としての瞬間
54 究極の願望内容と最高善 523
・欲動と食事
・三つの願いと最善の願い
・最高善の変種としてのさまざまな価値像。
・キケロと哲学者たち
・〈待てしばし〉と最高善、世界過程のなかのある導きの像の問題
・ふたたび欲動と食事について、あるいはさまざまな善、価値、および最高善の主観と客観性
・最高善にかかわる流動性と厳密性(夕風、仏像、御国の形姿)
・量の数と符牒。最高善の自然的意味
55 カール・マルクスと人間性。希望の素材 580
・正しい鍛冶屋
・ 「人間が卑しめられ、奴隷化され、無視され、軽蔑された存在としてある一切の関係を転覆すること」
・世俗化と両足で立たせる力
・前向きの夢、冷静と熱狂およびその統一
・確信、未完の世界、故郷


日本語版によせる序言
息子 ヤン・ローベルト・ブロッホに

   「憬憧は、すべての人間のそなえている唯一のまっとうな属性である。
   むろんその内容には、きわめて多様な価値があるにしても。」

『希望の原理』は、一九一八年の『ユートピアの精神』にあらわれた根本思想から成立した。その根本思想とはすなわち、歴史のなかに生まれ育ってきた、よりよい生活をもとめる願望のさまざまな表象(イメージ)こそ、すべての国々の革命 的な運動において原動力としてはたらき、さらにそれを前へとおし進めてきたものであり、そしてまた、十九世紀の産業革命から生まれたテクノロジー的産業資本主義を、その泥を掘りかえしてはそれを乗り越えようとする社会主義と、たえず止むことなく対決させているところのものなのだ、ということである。この思想は、たんなる経済的根本矛盾の止揚だけをめざす傾向にある社会主義運動の停滞に抗して、そのために社会主義の宣伝力も政治力も弱められてしまうからこそ、その停滞に抗して立ちむかう。
『希望の原理』は、人よんで、人間の希望内容の種々相を検証する百科事典、と称された。本書は主としてヨーロッパの歴史にあらわれた願望像に立ち入って論じてはいるが、もちろん断定的にヨーロッパに限られたものでないことは、仏教と中国哲学についての諸章を見ていただくだけでわかるだろう。…
 

ERNST BLOCH
Das Prinzip Hoffnung
© Suhrkamp Verlag, 1959
This book is published in Japan by arrangement
with Suhrkamp Verlag through ORION PRESS, Tokyo, Japan.


ブロッホ『希望の原理』は膨大な著作で哲学、宗教史は優れた記述になっている。

だが肝心なところで党派性に思考が縛られている。

ゾンバルト、プルードン、アドルフ・ヴァーグナー、フィヒテ、こうした信用貨幣の系譜を理解していない。

柄谷が評価しつつも交換様式には到達していないと言ったのはこのことだ。

マルクス主義者はマルクスが批判した思想家を読まないから、先入観を与えるいう意味ではマイナスかも知れない。

ジンメルの影響を書いているのはフェアだし、上記ではフィヒテについては文章を引用して論評いてまだいい方だが。

音楽論でアドルノに、メディア論でベンヤミンに劣る。

精神現象学を意識しているので仕方ないが、論理学や自然科学、数学があまり言及されないので本書を百科全書というのはどうかと思う。

存在論としてもハイデガーに劣る。

自分に不利な論理を自分自身にまで突きつけるのが真の思想家だ。

カントの様相のカテゴリーに未来の不確実性と共に確実性を見出して展開している。

哲学史、宗教史的に学ぶ点は多いが正直評価は微妙だ。

あとブロッホは映画を観ているのか?

ポチョムキンを観て沈黙したベンヤミンの方が信用できる。

とはいえ白水社新版は読みやすいのでおすすめ。



2026年3月21日土曜日

DineshさんによるXでのポスト

希望の原理 - Wikipedia ブロッホ 1954,1959

希望の原理 - Wikipedia

希望の原理

『希望の原理』は、ドイツの哲学者エルンスト・ブロッホ(1885〜1977)の主要な著作です。それは1938年から1947年の間に、米国亡命中に書かれました。もともとは『The Dreams of a Better Life』になるはずでした。1954年に複数巻で出版され、最初は東ドイツで、1959年にVerlagSuhrkampで出版されました。[1]それ以来、「principle of hope」という語はドイツ語の特徴において翼を持つ語となっています。

ヘーゲルカール・マルクス、ブロックは原則として、コンクリート・ユートピアの広範な哲学を展開します。

希望の原理は3巻で出版されました。

  • 第一巻には含まれています
    • リトル・デイドリームズ(レポート)
    • 哲学的な心 予測する意識(基礎)
    • そして、鏡に望ましい画像(遷移)
  • 第2巻は、より良い世界(建設)の間取りを分析します。
  • 第3巻は「Wish Images of the Fulfilled Moment(Identity)」と呼ばれています。

彼自身も、ブロッホが後に執筆した『チュービンゲン哲学入門』を希望の原理への序章として言及した。

「希望の原理」の内容

私たちは誰ですか?私たちはどこから来ているのでしょうか?私たちはどこへ行くのですか?私たちは何を期待していますか?何が私たちを待ち受けているのでしょうか?多くの人がただ混乱しています。床が揺れていますが、なぜ、何から来たのかは分かりません。彼らのこの状態は恐怖であり、もしそれが確実になるなら、それは恐怖です。

かつて、誰かが恐れることを学ぶために外へ出ました。これは過去の時間において、より容易かつより近く実現され、この芸術は驚くほど巧みに習得されました。しかし、今や、恐怖の作者たちの後に、より敬意を払う感情が私たちにあります。

すべては希望を学ぶことです。彼の仕事は放棄せず、失敗ではなく成功を愛しています。(前書きから)

リトル・デイドリームズ(第1章)[

最初の25ページの部分は、文学的に高度に様式化されています。幼少期から青年期、そして老年に至るまでの欲求切望希望が描写されています。

エルンスト・ブロックの作品における文学様式は、まず読者を個人として簡潔で短い章で語りかけ、次に哲学の複雑な歴史へと導くことが典型的です。それはおそらく、1.5千ページに及ぶ作業の範囲に起因し、各章だけでなく、第一章全体において読者の意見に合っています。

予期する意識(第2章)[

作業の第二部は「基礎」とも呼ばれました。ここが彼の哲学が最も強く圧縮されている場所です。

まだ意識がない者

ブロックは、彼の時代の心理学についての議論から始めます。彼は精神分析的無意識に対し、特に覚醒した夢に現れる「まだ意識がない」ことで対抗し、後に「白昼夢」という用語を好む。

目覚めた夢は、実際の未来を含む限り、すべてまだ意識されていない、未充実あるいはユートピア的な領域へと移ります。

ページ218normal

ブロックはジグムント・フロイトは、主に夜の夢を分析しました。ブロッホによれば、一方で白昼夢は未来の概念を含んでおり、したがって創造的で計画的な性格でもあり、フロイトの深い心理学的研究のように過去の処理だけに限られません。空想の中で可能性に手を伸ばし、それによって自らの存在を判断することは、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』と類似点を示し、存在論哲学が自己決定に未来の概念を取り入れるという非常に新しいアプローチを取っています。[2].もう一つの根本的な区別は、基本的な本能の分析です。フロイトがここでリビドーを作り上げたのに対し、エルンスト・ブロックは空腹を基本的な本能と見なしています。フロイトと区別される深遠な心理学者であるカール・グスタフ・ユングアルフレッド・アドラーは、ブロッホによっても批判され、「ファシスト」(ユング)または「帝国主義」(アドラー)と判断されています。ブロックは、小さな人々の基本的な物質的欲求とその結果を批判しています - 例として飢餓が意識に与える影響は、精神分析において十分に考慮されないでしょう。

カテゴリの可能性

これに続いてカテゴリ別規定が続きます:Front、Novum、Ultimum のカテゴリが導入されます。それでは、アリストテレス的物質概念と、可能性というカテゴリーにおけるブロックの結果としての区別が議論されます:ポスト・ポスシビリティ・イング...の区別可能性の内存在この区別は、エルンスト・ブロッヒが検討した社会分析の区別に対応しています。必要とされた国家社会主義:冷徹な潮流であり、彼は経済状況の硬く明確なマルクス主義的分析を行う社会における資源と権力の政治的配分であり、ポストポジビリティ・ビリティ・ビイングを決定するものであり、熱流は人々の心理的に正当化された感情や期待を真剣に受け止め、したがって客観的・実在的可能性、すなわち不可能性・存在の希望側を狙う。客観的で実在的な可能性は、芸術においてフォレッティングとして現れます。しかし、希望原理の最後の二つの部分が示すように、この姿は遍在しています。

Blochは、カテゴリの可能性を以下の4層に分解します。

  • 形式的に可能であるもの――論理に矛盾しない(形式的に許容される)
  • 事実的・客観的に可能であること認識論によれば可能であること(客観的に推定可能)
  • 事実・目的語・対象が対象に従う可能性対象理論の観点から可能であるもの(対象に従って開かれている)
  • 客観的実在可能性―物質に潜在性と傾向を有するもの(プロセス物質に対応)

客観的・対象・適切な実現を可能にするためには、一方で能動的資産部分的条件と、他方で受動的可能性が相互に組み合わさることが重要です。要するに、読むことができるためには、読むことができる(能力)テキスト(受動的な可能性)を持っている必要があります。その上で初めて(対象に適した)読む可能性が生まれます。客観的実在の可能性は、ブロックを物質と同等にします。しかし、物質は彼にとって陳腐なものではなく、自己創造的なものです。

理論と実践の関係について

これは、彼がマルクス主義のフェウエルバッハの論点と対立することにつながる。ここでエルンスト・ブロッホはマルクス主義の理論実践の関係をさらに展開します:

マルクス主義の弁証法的・歴史的傾向は、現実の媒介された未来科学と、そこに客観的・実在的可能性を加えているものであり、すべては行動の目的のためにある。

ページ331normal

生きた瞬間の闇

それから(p. 343–368)彼は、生きた瞬間の闇驚きについての考察を説明します。本章では、彼はいわゆる精神的問題を階級社会の文脈に持ち込む。

生きた瞬間の闇は、すぐに現在するものであり、それは生きているものの、決して経験したことがありません。現在、それが駆動し、飢餓の基本的な本能であり、即時の現在が真の未来を決定できる最前線を形成します。しかし、この未来の実現は、現在を源としてのだけでなく、対象のような背景の開放性、すなわち対象を正面から決定するユートピアも含んでいます。暗い瞬間と対象物の適切な開放性は、意識を予測する極です。オープン・ア・アシデシティは、予期せぬ沈黙という奇妙な体験や疑問の驚嘆に現れ、そしてそれが構築不可能な問いとして瞬間の闇へと再び流れ込む。

次の場所――最も遠くない場所――には、道の謎の結び目があります。その瞬間に生きた闇の意図された内容は、という神話的な名の下で意図されており、非神話的な指定エージェントが発展する物質の核となっています。これらを直接体験することはまだ不可能であり、したがって誰も本当にブロッホが様々な形で「I am」という式で機能しているものを実際に生きているわけではありません。しかし、まだ自分の気持ちを表現しようとしていません。犯罪の人々のカルペ・ディーム(日を見る)は、現在を体験するには程遠く、純粋な熟考だけでは不十分です。階級社会は、必然的に生産物が実際に生み出されているものを軽視し、事象の現在の推進力を把握することは行われず、せいぜい革命的状況の即時性に垂直に光を当てる。ここでは、過激楽観主義が適切であり、歴史意識の高い本物のカルペ・ディームです。

鏡に映る願いの絵(第3章)[

第一巻の最後の章では、ブロックは会話の中で私たちに現れる望ましい画像について述べます。

それは何よりも、展開できない壊れた願いのイメージに関するものであり、私たちを誘惑的にします。Blochはここで、広告の光とカラフルな雑誌について語ります。彼はフェアグラウンドやサーカスで南海について、そして童話について書いています。「Once upon a time」は過去を指すのではなく、未来を指すものであり、エルンスト・ブロッホによれば、魔法は...シュララフェンランドはユートピアとして。これに続いて、Reiz der Reise と Wunschbilder im Tanz のセクションが続きます。注目すべきは、ブロッホがアドルノよりもさらに過激に、アメリカのジャズダンスを非難した点であり、人間は汚れ、脳は空にすべきだ。彼は、当時は実直で、マーケティングされていない民俗舞踊に反対しました。しかし、フォークダンスにおけるアップライト・ゲイトの哲学者として、彼は今日のジャズダンスをまさに形成すもの、すなわちボディラインとシンバルの動きを称賛しました。

シャウビーネの小章において、ブロッホはベルトルト・ブレヒトを肯定的に言及しています。ここで彼は、解放の喜び、挑戦、そして劇場における未来の積極的な一部としての希望について論じています。

これに続いて、嘲笑された(Luftschloss) と、Das Wörtchen Wenn のような嫌悪された願いの絵や、Aristophanes のコメディ(Wolkenkuckucksheim)しかし、新しいことを信じながらもそれを笑う、先に早まってしまう夢もありますここでは、ブロックが特にHをリードしています。G. ウェルズ

第1巻はハッピーエンドで終わります(見抜き、なおも擁護します)。

より良い世界のフロアプラン(第4章)[

希望の原則の第4部、すなわち第2巻において、ブロックは分析しています。

社会的ユートピア

社会的ユートピアの整理、より良い世界の間取りの大部分を占めています。ここでは、過去の社会的願いが、ソロンディオゲネスからトマス・モルスエドワード・ベラミーウィリアム・モリスに至るまで、ほぼ200ページにわたって提示されています。これらの望ましいイメージは恣意的でも内部的でもなく、社会的に条件付けられており、社会的使命に従っています:

ソーシャル・ユートピアは、驚きと、与えられたものがほとんど自明でないことを見つける力の一部として機能し、その変化だけがその意味を受け止めることができる。

ページ557normal

個人的な意見に基づき、彼らはロードマップに従いました。彼らは、次の潮流の形で来るべきものについて語るだけでなく、過剰なイメージも含んでいました。この小章は、マルクス主義的な具体的な予測を求める訴えで締めくくられます。

技術的ユートピア

このサブ章は、ブロッホがここで同盟技術の概念を提示しているため、非常に重要です。

まず、ブロックは歴史の中で受け継がれています技術的なユートピアここで彼は、アラジンの童話における技術的・魔法的発明のユートピア的内容について論じています。アルキミーフランシス・ベーコンスノヴァ・アトランティステーマラボとして。

その後、技術の後期ブルジョア的スロットリングが議論されます。これは、すべての交換商品が...に変換することが原因です商品思考を通じて、世界がただという事実だけで、コミフィケーション定量的に認識された。この自然に対する定量的理解をもって、ブルジョアは科学、そしてしたがって技術は、限られた範囲でしかさらに発展させることができません。自然はこの形でしかできませんアウトスティまたは搾取されるしかし、自然が...として認識されることはありませんAverroesはそれが創造的な問題だと言っています。社会的自己媒介された主体だけが、自然主体の問題とますます仲介されており(p. 787)、ブルジョア的なコミフィケーションの継続を防ぐことができる。これは、人々が自らを価値を付加するものと捉え、自然を創造的であると理解し、そして自分たちを結びつけて同盟として認識することを意味します。両者は合わせて、テクノロジーの具体的なユートピア、すなわちそれが社会の具体的なユートピアとどのように結びついているかを示唆しています。(p. 787 f.)

満たされた瞬間の願いに満ちたイメージ(第5章)[

最後の巻では、ブロックが満たされた瞬間の望ましいイメージで描写し、彼は道徳音楽宗教自然、そして最後に故郷というカテゴリーで詳細に探求しています。

エルンスト・ブロックの最後の文は、原則としてエーベルハルト・ブラウンが家庭に関する激怒した『Furioso』を構成しています。

人類は先史時代の至る所に今も生きており、はい、すべてのものやすべての人は、右派として世界が創造される以前にまだ存在しています。真の創世記は始まりではなく終わりにあり、社会と存在が根本的になる、すなわち互いに根底で掴み合うときにのみ始まります。しかし、物語の根本は、働き者で創造的で、状況を改革し、追い越する人物です。もし彼が自らを掴み、疎外や疎外感なく真の民主主義の中で自らのものを築いたのであれば、幼少期に皆に思えるが、まだ誰もそこにいない世界、すなわち「家」が生まれる。

ページ1628normal

効果の歴史

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エルンスト・ブロッヒは、ライプツィヒで『希望の原理』の巻を最初に出版した人物で、若い東ドイツの学生に非常に人気がありました。

ヴォルフガング・ハリヒはエルンスト・ブロッヒらと共にドイツ哲学ジャーナルを創刊し、ブロッホはSEDを批判的に表明しました。ブロックの影響下で、ハリチは1956年に『特別なドイツ社会主義の道に関するプラットフォーム』を出版し、同年にハンガリー反乱後に逮捕され、10年の懲役刑を言い渡された。1957年にブロックは強制的に退職させられ、2年後に『希望の原則』の第3巻が出版された。

その終末論と参照宗教は、後にブロックの著作『キリスト教における無神論』で詳述されたものであり、ドイツのプロテスタント神学者によって発展した。解放神学は強い効果があります。影響を受けた例としてB.ユルゲン・モルトマンは、1964年に『希望の神学』という本を出版し、ドロテー・ソーレ無神論者、1968年)

2019年のアルバム『Alles zerplücken』に収録されている楽曲『Traurige Träume』で、パンクバンドのSchrottgrenzeとヒップホップ歌手のSookeeが、エルンスト・ブロックの理論に歌詞で言及しています。

批判

哲学者であり社会学者でもあるテオドール・W・アドルノは、1958年に出版社ピーター・スールカンプへの手紙で次のように批判を表明しました。

ブロッホのような古いヘーゲル的者が神に苦労することを知っているその用語の実際の努力と作業の代わりに、この本は激しい水面のようであり、特に缶を含むあらゆるものが、やや偽り的な物質の上に過度に浮かんでいるが、単に精神的な内容が乏しいだけです。

哲学者ハンス・ヨナスは、著作『責任の原理』において、エルンスト・ブロックの『希望の原理』に対する明確な批判を提示した。

社会学者ヘルムート・シェルスキーは、希望の原理に反対する自身の著書を出版しました:「ブロックの希望:若者が除去されたマルクス主義的実存哲学の批評」。

文学

  • エルンスト・ブロック:作業版。第5巻:希望の原理スールカンプ、フランクフルト・アム・マイン 1985年、ISBN 3-518-28154-2.
  • エルンスト・ブロッヒ:チュービンゲン哲学入門スールカンプ、フランクフルト・アム・マイン 1996年、ISBN 3-518-13308-X.
  • カタリナ・ブロック:ソーシャルユートピアユートピア実現の機会に関するプレゼンテーションと分析(PDF; 22 kB)Scientific Publishing House Berlin、ベルリン、2011年、ISBN 978-3-86573-602-4.
  • エーベルハルト・ブラウン:より良い世界の間取り希望の政治哲学への貢献。タルハイマー出版社、モーシンゲン=タルハイム 1997、ISBN 3-89376-011-3.
  • エーベルハルト・ブラウン:「そして、誰も行ったことのない場所:家。」ブロックの『希望の原理』のフィナーレ・フリオソへ対象: カールハインツ・ヴァイガンド: ブロック・アルマナハ 8ルートヴィヒスハーフェン 1988年、p.137–142.
  • ハンス・ジョナス:責任の原則:技術文明の倫理への試みスールカンプ、フランクフルト・アム・マイン、2003年、ISBN 3-518-39992-6.
  • ハインツ・キマーレ:希望の未来の意味エルンスト・ブロックの『希望の原理』を哲学的および神学的観点から検証する。ボン 1966; 2.版 ibid. 1974年
  • ヘルムート・シェルスキー:ブロッホの希望:若者に動いたマルクス主義的実存哲学への批判Klett-Cotta、シュトゥットガルト 1979、ISBN 3-12-911730-X.
  • ユルゲン・モルトマン:希望の神学章カイザー、ミュンヘン 1964年。(= プロテスタント神学への貢献; Bd.38)
  • ドロテ・ソーレ無神論者は神を信じる。dtv、ミュンヘン 1994、ISBN 3-423-30400-6

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参考文献

  1. Worldcat のプルーフ
  2. Kindlerの新しい文学辞典 研究版 1996年 巻 S.784
標準データ(工場): GND: 4287762-3 (GND Explorer, lobid, OGND) |LCCN: n80018140 | VIAF: 185884716