2023年7月30日日曜日

長田博 - Wikipedia

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なお、自衛艦隊司令官は横須賀地方総監と同等の政令指定職5号ポストであり海幕長への登竜門となっているが、自衛艦隊司令官から海幕長への昇格は長田を最後に23年間、杉本正彦が就任するまで途絶えることとなる。

長田博

略歴

1944年(昭和19年)10月、海軍兵学校に第76期生として入校する。終戦により、海軍兵学校が閉校となり第2学年扱いで修了となる。その後、第一水産講習所に入学[1]。卒業後は、日魯漁業に入社し、トロール船に乗組む。1953年(昭和28年)8月、海軍ができると聞き、保安庁警備隊に応募し、三等警備士で入隊する[1]。職種は砲術、ターター・システム導入に備えて第1回米留、帰国後は「あまつかぜ」砲雷長。念願の艦長は護衛艦「きたかみ」の1回だけで、以後、海幕防衛畑を歩む[1]4次防53中業を手掛け、海上幕僚監部防衛部長として56中業をまとめ、海上防衛力の整備に尽力した[1]。その後、呉地方総監自衛艦隊司令官を経て、第16代海上幕僚長に就任。「新・八八艦隊」などと俗称される「八艦八機」体制の生みの親であり、退官に際して「海軍兵学校出身の最後の海幕長」として朝日新聞「この人」欄に取り上げられた。退官後は、艦船総合情報誌「世界の艦船」に高い頻度で執筆・寄稿したことでも知られた。

なお、自衛艦隊司令官は横須賀地方総監と同等の政令指定職5号ポストであり海幕長への登竜門となっているが、自衛艦隊司令官から海幕長への昇格は長田を最後に23年間、杉本正彦が就任するまで途絶えることとなる。

年譜

栄典

関係する人物

脚注

  1. ^ a b c d 海上自衛新聞・1985年(昭和60年)9月8日(日)第3面「海上幕僚長・長田博に聞く」
  2. 『官報』号外220号(平成9年11月4日)
  3. 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊
  4. "元海上幕僚長、長田博氏が死去". 産経新聞(MSN産経ニュース) (2013年12月2日). 2018年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。none
  5. 『官報』本紙6206号(平成26年1月10日)
  6. "長田博氏が死去 元海上幕僚長". 日本経済新聞 (2013年12月3日). 2021年1月17日閲覧。none
先代
吉田學
海上幕僚長
第16代:1985年 - 1987年
次代
東山収一郎
先代
古賀鶴男
自衛艦隊司令官
第24代:1983年 - 1985年
次代
古閑健一郎
先代
小室祥悦
呉地方総監
第18代:1983年 - 1984年
次代
佐藤英夫

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