2022年7月31日日曜日

石橋湛山昭和32年

石橋湛山昭和32年

「私が旧統一教会を守らなきゃいけない」山上容疑者の母親の想い

「私が旧統一教会を守らなきゃいけない」山上容疑者の母親の想い

「私が旧統一教会を守らなきゃいけない」山上容疑者の母親の想い

(山上容疑者の伯父)
「(山上容疑者の母親は)もう(旧)統一教会の世界の外にいる人とは話しません、だから検事たちとも全然話にならないんですね」
Qそれは検事が質問しても…
「だって話が合わないんですよ、世界が違うんだから」

事件後の山上容疑者の母親の様子を話すのは容疑者の伯父です。
29日サタデーステーションの手紙での取材申し込みに応じてくれました。

3週間前の安倍元総理の銃撃事件。
その直前の山上容疑者と見られる男の様子を映した映像を新たに入手しました。

(銃撃を目撃した 山田正樹さん)
「そのとき安倍さん手を振ってたな、振ってた、こっちに向かって」
「そんな時に山上(容疑者)っぽいのがここで(スタッフが)声かけたら嫌がって、なぜか嫌がってあっち行った」

男性が撮影した映像を見ると、元総理らの背後で周囲をうかがう山上容疑者と見られる男がいます。
このとき男性は、この男の前で起きた別のことが気になっていました。

(銃撃を目撃した 山田正樹さん)
「この横断歩道ではなくて、ガードレールの向こう側を、1人の女の子が横切って行って、『通すんだ』と思って…」

事件直前に元総理の背後を横切った女性。
山上容疑者は警備の隙をうかがっていたのでしょうか?

母親が30年ほど前から旧統一教会=世界平和統一家庭連合におよそ1億円を寄付していたことから、山上容疑者は「どうしても統一教会が許せず、それにつながっている安倍元総理を撃ったのです」と供述しています。

事件について母親はどう思っているのでしょうか?
伯父は検察の聴取に同席した際の様子をこう話します。

(山上容疑者の伯父)
「検事から聞かれて、『本件についてどう思いますか?』と、『(旧)統一教会に対して申し訳ない』これだけです」
「『徹也(容疑者)についてはどう思っていますか?』『何も思っていません』思ってないですよ、思ってたらこんなネグレクトしますか」

(報告:阿部沙織)
「山上容疑者の母親は、ここ山上容疑者の自宅から歩いて5分ほどのところにあるマンションで管理人をしていたそうです」

山上容疑者の母親は奈良市内のマンションで週4日、管理人として働いていたといいます。
同僚だった男性によると、宗教への勧誘などはなく勤務態度も真面目だったと言います。

(山上容疑者の母親の元同僚)
「申し送りの内容もよく覚えているし、先の事も読めるし、几帳面ですね」

徒歩でわずか5分のところにいた母と子。
一方、心の距離は…

山上容疑者のものとみられる、3年前のツイートには…

(山上容疑者のものと見られるTwitter)
「常に母の心は兄にあった。」
「オレは努力した。母の為に。」
「オレは作り物だった。父に愛されるため、母に愛されるため、祖父に愛されるため。」
「何故に母は兄のため、オレを生贄にしようとするか」

母親による教団への多額の寄付で山上容疑者とそのきょうだいは食べるものにも困っていたといいます。

海上自衛隊員だった2005年の自殺未遂についても…

(山上容疑者の伯父)
「あれはまさに兄貴と妹の窮状を見かねて自分の生命保険で、お金を渡してくれって自殺(未遂)した」

山上容疑者は自衛隊を退職したあと、少なくとも8回転職を繰り返していたことがわかりました。
そしてその間、家族とも疎遠になっていたと言います。

(山上容疑者の伯父)
「(山上容疑者の妹)に徹也(容疑者)の状況を聞くしかなかったんですけどね、(妹)も『年に1回ぐらい徹也(容疑者)が帰ってきてる、実家に正月に帰ってきている』というぐらいでね、私は連絡はとっていないんですよ」

山上容疑者は、孤立を深める中で犯行を計画していたのでしょうか?
25日、山上容疑者の刑事責任能力を調べるための鑑定留置が始まりました。
奈良地検は精神鑑定の結果を踏まえ、起訴するかどうか判断します。

(山上容疑者の伯父)
「(山上容疑者の妹は)11〜12時ぐらいかな?すぐにオンラインで差し入れやってますよ、たくさん、今オンラインでできますからね」

山上容疑者の妹は、その日のうちに差し入れを送ったといいます。
一方、母親は…

(山上容疑者の伯父)
「検事から聞かれて、『本件についてどう思いますか?』と、『(旧)統一教会に対して申し訳ない』これだけです」
「どっぷりと浸かっていますし『私が(旧)統一教会を守らなきゃいけない』という感じですよ」

サタデーステーション 7月30日OA

サミュエル・ジョンソン - Wikipedia

サミュエル・ジョンソン - Wikipedia
サミュエルジョンソンは偉大だ 

愛国主義は悪党たちの最後の隠れ家である

Patriotism is the last refuge of a scoundrel./愛国心というのは悪党の最後の隠れ家である。

サミュエル・ジョンソン

曖昧さ回避 その他の同名の人物については「サミュエル・ジョンソン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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Samuel Johnson
サミュエル・ジョンソン
サミュエル・ジョンソン(1772年頃) ジョシュア・レノルズ画
生誕1709年9月18日
Flag of Great Britain (1707–1800).svg グレートブリテン王国(現イギリスの旗 イギリス)、スタッフォードシャー州リッチフィールド
死没1784年12月13日(75歳)
Flag of Great Britain (1707–1800).svg グレートブリテン王国(現イギリスの旗 イギリス)、ロンドン
職業文学者
著名な実績シェイクスピアの研究
英語辞典の編集

サミュエル・ジョンソンSamuel Johnson1709年9月18日(ユリウス暦9月7日) - 1784年12月13日)は、イングランド文学者詩人批評家文献学者)。「英語辞典」(1755年)の編集で知られる。

18世紀英国において「文壇の大御所」と呼ばれた。親しみを込めて「ジョンソン博士(ドクター・ジョンソン)」と称される。その有名な警句から、しばしば「典型的なイギリス人」と呼ばれる。主著に『英語辞典』、『詩人列伝』、『シェイクスピア全集』(校訂・注釈)など。

生涯

イングランド中部のリッチフィールドに生まれる。父は小さな書店主であった。

少年期にわずらった結核によって、片耳が聞こえず、片目は見えず、頸には瘰癧(king's evil)があった。オックスフォード大学で学ぶが家が貧しかったため中退し、故郷に戻り教員になった。1735年、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーター(en:Elizabeth Johnson (died 1752) 1689-1752年)と結婚。

1737年、ロンドンに出て、悲劇を書いたり、新聞への寄稿を行った。1746年に「ザ・クラブ」創設に参加。また同年『英語辞典』の刊行計画を公表した。アカデミー・フランセーズフランス語辞典(1694年)を完成させるのに40年かかったことから、個人で行うのは無理だと考えられたが、1755年に『英語辞典』2巻を完成させた。この業績によりオックスフォード大学より文学修士

1759年、小説『ラセラス』を執筆。1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、以後交友を結んだ。1765年、シェイクスピアの戯曲集を刊行。1776年に法学博士

1784年に逝去。

英語辞典

この時代の辞典に不満があったロンドンの本屋業界が1746年6月18日の朝 1,500ギニー(2022年の円換算で約4千万円)でジョンソンと執筆依頼契約した[1]。こうして生まれたのが『英語辞典』 (A Dictionary of the English Language[1]である。編纂にあたりパトロンとしてチェスターフィールド卿を頼ったが断られ、独力で完成させた。

『英語辞典』には以下に示すような皮肉に富んだ語釈も含まれていたが、これらは第2版以降で修正されていることが多い。

  • oat(オート麦)=穀物。イングランドでは一般に馬に与えられ、スコットランドでは人が食べている[2]エンバクを参照)。
  • tarantula(タランチュラ)=昆虫。これに咬まれると音楽以外に治療法はない[3]
  • lexicographer(辞書編集者)=辞書を書く人。文章を書き写し、言葉の意味を説明するという仕事をこつこつとこなす無害の人(a harmless drudge)[4]
  • dull(退屈な)=活力のない、楽しくないこと。例:辞書作りは退屈な仕事だ。
  • fart(屁)[5]=体の後ろから空気を吹き出すこと。
As when we a gun discharge, 「大砲を発射する時のように

Although the bore be ne'er so large, ただし口径はさほど大きくはない
Before the flame from muzzle burst, 砲口から火を噴く前に
Just at the breech it flashes first; 砲尾で爆発
So from my lord his passion broke, こうして閣下は癇癪を起こされ、

He farted first, and then he spoke. Swift. 屁を一発、それから口を開かれた」(スウィフト
  • patron(パトロン)=支持し、擁護し、援助する人。たいていは尊大な態度で保護し、お追従という代償を得る見下げ果てた人間。

クラブ向きの男

ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設されたザ・クラブ(文学クラブThe Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バークオリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にボズウェル、デイヴィッド・ギャリックen:David Garrick。俳優)、エドワード・ギボンアダム・スミスらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。

エピソード

  • 弟子のスコットランド人ボズウェルによる『サミュエル・ジョンソン伝』は数々の警句で知られ晩年のジョンソンを生き生きと描いており、人物伝の古典大著とされる。
  • ロンドンの高等法院近くにジョンソンが暮らし「英語辞典」を完成させた家がジョンソン博士の家として保存されている。
  • リリアン・デ・ラ・トーレの推理小説『探偵サミュエル・ジョンソン博士』(中川みほ子訳、論創社、2013年)では、その博識と話術によって事件を解決してゆく。

語録

  • 「腐敗した社会には、多くの法律がある。」
  • 「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」
  • 「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。」
  • 「あらゆる出来事のもっともよい面に目を向ける習慣は、年間1千ポンドの所得よりも価値がある。」
  • 「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくてはならない。」(「彼」が誰なのかは不明)
  • 「過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。」
  • 「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから。」(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)
  • 「愛国主義は不埒なやつらの最後の隠れ家だ。」

この言葉は1775年4月7日の夕方にジョンソンが述べたものである[6]。広く信じられているのとは異なり、この言葉は愛国主義一般に関するものではなく、スコットランド出身の愛国的な政治家第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートとその支持者、さらにはビュートのイングランド系ではない出自につけこもうとする政敵たちが「愛国主義」という言葉を乱用していたことが背景にあり、とくにジョンソンはビュート伯爵に敵対して愛国をかかげていたジョン・ウィルクスに対して非常に批判的であった[7]。ジョンソンは「自称愛国者」一般に対して批判的だったが、「真の」愛国主義と自らが考えるものについては評価していた[8]。愛国主義に真贋を定める発想は前年1774年から既に見られ、この時ジョンソンは「アメリカに対する権利侵害などという馬鹿げた主張を正当化する者は愛国者ではない。(中略)植民地は英国の保護のもとで安定し、英国の憲章によって統治され、そして英国の武力によって防衛されてきたのだ。」と語り、ジョージ・ワシントン率いる独立運動家を似非愛国者として痛烈に批判している[9]

  • 地獄への道は善意が敷き詰められている。」
  • 「怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。」
  • 「人生において新しい知人をつくらずにいると、やがて独りぼっちになるだろう。人はね、君、友情を常に修復し続けなければならないのだよ。」(ジョシュア・レノルズに向かって)
  • 「信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。」(Rambler #18 (May 19, 1750))
  • 「芝居の規則はお客様が決める[10]

日本語訳

  • 「イギリス詩人伝」(小林章夫ほか6名訳、筑摩書房、2009年)
     エイブラハム・カウリー、ジョン・ミルトン、ジョン・ドライデン
     リチャード・サヴェッジ、アレグザンダー・ポープ、ジョナサン・スウィフト、トマス・グレイ
    • ドライデン伝」 中川忠訳(あぽろん社、2006年)
    • スウィフト 伝記と詩篇」 中川忠訳(あぽろん社、2005年)
    • ポウプ伝」 中川忠訳(あぽろん社、1992年)
  • シェイクスピア論」(吉田健一訳、解題福原麟太郎、創樹社(新版)、1975年)- 序説と作品集の解説
  • 「シェイクスピア序説」(中川誠訳、荒竹出版「シェイクスピア論シリーズ5」、1978年)
  • 「古典的シェイクスピア論叢 ベン・ジョンソンからカーライルまで」(川地美子編訳、みすず書房、1992年)- ジョンソンも収録。
  • 「幸福の追求 アビニシアの王子ラセラスの物語」(朱牟田夏雄訳、岩波文庫、2011年)、初訳は1949年
  • 「アビシニアの王子ラセラス」(中村賢一訳、朝日出版社、2019年)
  • 「王子ラセラス、幸福への彷徨」(高橋昌久訳、京緑社、2021年)
  • 「スコットランド西方諸島の旅」 諏訪部仁・市川泰男・江藤秀一・芝垣茂訳(中央大学出版部・中央大学人文科学研究所翻訳叢書、2006年)
  • 「ジョンソン博士とスレイル夫人の旅日記」 諏訪部仁・市川泰男・江藤秀一・稲村善二訳(中央大学出版部・中央大学人文科学研究所翻訳叢書、2017年)。ウェールズ(1774年)、フランス(1775年)の滞在記録

日本語文献

  • サミュエル・ジョンソン伝 (ジェイムズ・ボズウェル中野好之訳、みすず書房 全3巻)。完訳版、のちオンデマンド版
    • ジョンソン博士の言葉 (中野好之編訳、<大人の本棚>みすず書房)。簡略版
  • サミュエル・ヂョンスン伝 (神吉三郎[2]岩波文庫 全3巻)。戦前の抄訳版
  • 福原麟太郎著作集2 ヂョンソン大博士」、のち「新英米文学評伝叢書」(各・研究社出版)- 著者の代表作
  • ジョンソン博士の『英語辞典』 (ヘンリー・ヒッチングズ、田中京子訳、みすず書房、2007年)
  • サミュエル・ジョンソン百科事典 (パット・ロジャーズ、日本ジョンソン・クラブ共訳、ゆまに書房、1999年)
  • 永嶋大典 ジョンソンの『英語辞典』 その歴史的意義(大修館書店、1983年)。上記を監訳
    • 永嶋大典 ドクター・ジョンソン名言集(大修館書店、1984年)
  • 英国文化の巨人 サミュエル・ジョンソン (江藤秀一、芝垣茂、諏訪部仁編著、港の人、2009年)
  • 江藤秀一 十八世紀のスコットランド-ドクター・ジョンソンの旅行記を巡って(開拓社、2008年)
  • 諏訪部仁 ジョンソンとボズウェル 事実の周辺(中央大学学術図書:中央大学出版部、2009年)
  • 中原章雄 「辞書のジョンソン」の成立 ボズウェル日記から伝記へ(英宝社、1999年)
  • 中原章雄 ジョンソン伝の系譜(研究社出版、1991年)
  • 早川勇 啓蒙思想下のジョンソン辞書 知の集成を目指して(春風社、2013年)
    • ジョンソンと「国語」辞典の誕生 十八世紀巨人の名言・金言(春風社、2014年)- 約千語を選び邦訳・解説
  • ジョンソン博士語録(伊丹レイ子監修、パレードブックス、2007年)- 英文併記:対訳テキスト

関連項目

脚注

  1. Hitchings, Henry (2005), Dr Johnson's Dictionary: The Extraordinary Story of the Book that Defined the World, London: John Murray, ISBN 0-7195-6631-2. p. 54
  2. これに対してスコットランド出身のボズウェルは、だからイングランドの馬とスコットランドの人間は優秀なのだ、と反論した。
  3. 当時はそのような伝説があり、生まれた音楽が「タランテラ」である。
  4. これを受けてアンブローズ・ビアスは、『悪魔の辞典』でLEXICOGRAPHER, n. A pestilent fellow who, under the pretense of recording some particular stage in the development of a language, does what he can to arrest its growth, stiffen its flexibility and mechanize its methods.(辞書編集者:有害な奴である。というのも、一つの言語の発達の、ある特定の段階を記録すると称して、できる限りその言語の成長をおしとどめ、その柔軟性を麻痺させ、またその仕組みを機械的にしようとするからである)と書いている。
  5. 下品な言葉が多いと批判した二人の上流婦人に「あなたはそんな言葉をお探しになったのですね」と反論した話も有名である。
  6. Boswell 1986, p. 182
  7. Stephen Miller (2007). Conversation: A History of a Declining Art. Yale University Press. p. 125none 
  8. ^ Griffin 2005, p. 21
  9. ^ Samuel Johnson (1913). The Works of Samuel Johnson. Troy, N.Y., Pafraets Book Co.. pp. 81-93 
  10. ^ Johnson, Poems, p. 89, 53.

参考文献[編集]

  • Boswell, James (1986), Hibbert, Christopher, ed., The Life of Samuel Johnson, New York: Penguin Classics, ISBN 0-14-043116-0 .
  • Johnson, Samuel, Poems, The Yale Edition of the Works of Samuel Johnson, ed. by E. L. McAdam and George Milne (New Haven: Yale University Press, 1964).
  • Griffin, Dustin (2005), Patriotism and Poetry in Eighteenth-Century Britain, Cambridge: Cambridge University Press, ISBN 0-521-00959-6 .

外部リンク[編集]

町山智浩さんのツイート


257 考える名無しさん[sage] 2022/07/31(日) 05:11:37.90 ID:0 
カルトは通常とは違う力学がはたらくからそこらへんも勘案しとかないとってはなし
ーーーーーーーーー
有田芳生@aritayoshifu
▼語ることと、実際は違うでしょう。梶栗正義氏は、安部さんとトランプ大統領の会談を実現したのは統一教会のルートだと内部で誇っていましたが、
実際は外務省の仕事でした。安倍メッセージも「ワシントン・タイムズ」などのルートです。
▼安倍総理がトランプ大統領と世界の首脳に先駆けて会談できたのは統一教会ルートだと梶栗正義氏は内部で語っていたが、ウソ。
在米日本大使館の仕事です。「現在は国際勝共連合会長職にいるので、プロパガンダを振り撒くのが仕事と勘違いしています。職業病ですね(笑)」と僕の情報源。

引用ツイート
打越さく良 りっけん 立憲民主党@sakurauchikoshi
《スクープ映像入手》旧統一教会のフロント組織「勝共連合」会長が安倍元首相との“ビデオ出演”交渉の裏話を激白 | 文春オンライン

「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った"選挙協力"と"高額報酬"の実態【報道特集】 | TBS NEWS DIG

「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った"選挙協力"と"高額報酬"の実態【報道特集】 | TBS NEWS DIG (3ページ)

■『私は文(鮮明)氏の犬だ』

アメリカ統一教会の元幹部が報道特集の取材に応じ、教団が政界に近づいた理由、そして政治家に多額の報酬を出していた実態などを証言した。

日本での献金はアメリカでの信者獲得にも使われたという。

1960年代から70年代にかけてアメリカ統一教会の政治部門の幹部だったアレン・ウッド氏。報道特集の取材に応じ、教団の実態を証言した。

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「文鮮明氏らは権力者たちを支配しようとしていました。信者に"組織が世界を牛耳っている"と信じ込ませるためです。そのために権力者たちのビデオを作成し、若者に見せるのです」

ウッド氏自身、脱会するまではこうした講演を通して洗脳されていったという。

1970年に日本武道館でおこなわれた統一教会と関連する政治団体「国際勝共連合」のイベント。ここでウッド氏は司会を務めた。日本からは右翼の大物・笹川良一氏も出席。ウッド氏は笹川氏の発言が忘れられないと話す。

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「彼(笹川)は胸をたたきながら『私は文(鮮明)氏の犬だ』と言いました。驚くべき発言でした。日本で最強の人物が自分を文氏の下に位置づけたのです。あの時、『我々は世界を支配できる』と思いました」

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/110091?page=2

「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った"選挙協力"と"高額報酬"の実態【報道特集】

■岸元総理がレーガン大統領に送った親書には・・・

さらに、文鮮明氏と深い関係にあったのが、安倍晋三氏の祖父・岸信介元総理だという。1982年、韓国で行われた合同結婚式には岸元総理が祝電を送っていた。

岸元総理祝電代読
「天を中心にとした理想と信念のもとに指導し、教育しておられる。私が文鮮明先生を心より尊敬する所以であります」

これはその2年後の1984年、岸元総理がレーガン大統領に送った親書だ。


文書(岸信介)
「本日、大統領にお願いをしたいと思います。文(鮮明)尊師は現在、不当に収監されています。あなたのご協力のもと、何としてでも、一刻も早く、彼が不当な収監から解放されるよう、お願いいたします」

実は、この親書が出されたとき、文氏はアメリカで脱税の罪で収監されていた。岸元総理がレーガン大統領に文氏の釈放を依頼する内容だったのだ。

文書(岸信介)
「文尊師は、自由の思想を掲げ、共産主義の誤りを正すことに人生をかけている、誠実な男だと私は理解しております。彼の存在は、現在も将来も自由と民主主義の維持にとって、貴重で不可欠です」

■反共産主義を掲げると…

結果的には、釈放には至らなかったが8年後の1992年。文氏はアメリカでの実刑後、初めて来日した。

このときに政府に働きかけをしたのが、自民党の金丸信副総裁(当時)だったという。さらに来日中に、中曽根元総理と会談を行っていた。

中曽根康弘元総理
「あの人(文鮮明氏)は統一教会、あるいは昔の勝共というような関係で、むしろ共産圏の中へくさびを入れていくと。そして自由世界の空気、光を入れていくと。そういうような一貫した方針でやられたんではないかと思いますね」

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏は1970年代、ベトナム戦争の終結後、反共産主義を掲げることで教団の影響力が増したと話す。

中でも共和党との関係は…

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「レーガン大統領は教団の関連団体が発行するワシントン・タイムズを見せながら『私が読んでいる新聞はこれだけだ』と言いました。文氏がオーナーの新聞です。政治的プロパガンダのための新聞で、政界に入り込もうとしていました。共和党の政治家を取り込むという点では大いに成功しました」

傘下にある新聞で歴代大統領への支持を表明した。さらに選挙運動においては…

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「レーガン、ブッシュ親子、トランプ、その全員が統一教会の大々的な支援を受けました。信者が資金集めをし、全米各地で戸別訪問をして支持を広げました。父親のブッシュが『統一教会の信者等がいなければ、選挙での勝利はなかった』と発言していました」

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/110091?page=3

■1回のスピーチで約1億3千万円

また大物政治家がイベントに出席したり、メッセージを送ったりする際には、多額の報酬が支払われていたことも証言した。

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「ブッシュが大統領の任期を終えて、韓国に講演に行ったときは1回のスピーチにつき100万ドル(約1億3千万円)を支払いました。レーガンにも1回100万ドル支払いました。これは凄いことです。なぜならこの金は洗脳されて奴隷となった若者たちから巻き上げたものだったからです」

去年9月には、関連団体のイベントにトランプ前大統領もビデオメッセージを送るなど、共和党とのつながりは現在も続いているという。

選挙協力や多額の報酬によって日本やアメリカの政界とつながりを深めた旧統一教会。ウッド氏は…

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「(文氏は)イデオロギーで心を掴めなければ金で買収するんだと言っていました」

金平茂紀キャスター
「普通の教会ではない?」

アメリカ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「教会ではありません。(統一教会は)政治団体であり、そのゴールは権力を握ることなのです。文氏は言いました。『今は自分にあらがう人も多いが、将来は自分の言葉がほとんど法律のようになるだろうと』」

(報道特集2022年7月30日放送)
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