三三 法螺吹
国ではいつも、もっと男らしくやれ、とケチをつけられていた五種競技の選手が、ある時海外遠征に出て、暫くぶりで戻ってくると、大言壮語して、あちこちの国で勇名をはせたが、殊にロドス島では、オリンピア競技祭の優勝者でさえ届かぬ程のジャンプをしてやった、と語った。もしもロドスへ出かけることがあれば、競技場に居合わせた人が証人になってくれよう、とつけ加えると、その場の一人が遮って言うには、
「おい、そこの兄さん、それが本当なら、証人はいらない。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」
事実による証明が手近にある時は、言葉は要らない、ということをこの話は説き明かしている。
*五種競技 跳躍、徒競走、円盤投げ、槍投げ、レスリングを含む。
*オリンピア競技祭 ペロポネソス半島西部にあるゼウスの聖地オリンピア(オリュンピア)で、四年に一度、夏に行われた運動競技祭。最初は俊足を競うものであったが、後に戦車競走、競馬、五種競技、ボクシング、レスリングなども加えられた。優勝者の記録は前七七六年に始まり、この年がオリンピア紀年(四年で一単位)の起点となった。後三九三年、ローマのテオドシウス一世により廃止された。
イソップ寓話集より
跳ぶのか、踊るのか。ーーロドスはマルクスの薔薇(全)
目次
1 saltaは「踊れ」
2 Hic Rhodus, hic saltus!」の翻訳と注釈
3 ヘーゲルの薔薇
4 マルクスのロドス
5 ロドスの下向と上向
興味がわき真偽のほどを確かめようと図書館で辞書や関連するような文献をみたが、記事が指摘していた単語は見当たらなかった。もしあるとすれば、もっと専門的なギリシア語やラテン語の語源を研究するような文献だろうと思ったが、行き止まりであった。これが2007年である。
2011年に、「ロドスとポールとバラ」のリンクをたどってみたら、記事は違っていた。まずタイトルが、Hic Rhodus , hic salta! から、Hic Rhodus, hic saltus!に 変わっていた。つぎに、ロドスはもともと島ではなく棒だとする箇所がすべて削除されていた。
記事には、saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]と明記されていた(saltus = 跳躍 [名詞], salta = 踊れ [命令形])。Hic Rhodus, hic salta! は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」なのであった。
しかし、私は、saltus が「跳ぶ」、salta が「踊る」ではなく、「跳ぶ・踊る」の意味をもつsalto が原形で、その名詞の対格が saltus 、その動詞の命令形が salta と考えていたので、salta は「踊る」ではなく「跳ぶ」と訳すのが妥当なのだとこれまでの考え方に疑いをもたなかった。そして、この記事もタイトルを変えることによって、ロドスでは「跳ぶ」ことを選んでいると思った。むしろ、ロドスはもともと島でなく棒であるという説の方が気になってきた。ありえないのか。このときも調べたが結果は同じだった。そんななか、「タ メタ タ ポーネーティカ」というサイトを見つけた。これは、古典ギリシア語と日本語を中心に置き、さまざまな言語について考察しているサイトである。それを運営されているユミヤらくと氏に、思いきって、疑問を述べ、教えを請うた。
返事をいただいたが、うろたえてしまった。
小文字が成立したのはアレクサンドロスと無関係であること、「棒」という意味をもつ ΡΟΔΟΣ というギリシア語はないこと、ラテン語の rodus (= raudus)にも棒という意味はないこと、英語の rodから連想された作り話ではないか、ようするに、ロドスを「島」でなく「棒」とみる根拠はまったくないことが指摘されていた。
もしかしたら、という気持ちがあったが、作り話だったのである。しかし、本当にうろたえたのは、これではなかった。
『世界の名著 44 ヘーゲル』の注は正確であると指摘されたのである。つまり、saltus は「跳ぶこと」で、salta は「踊れ」である。saltus は salto の名詞ではなくて、salio (跳ぶ)の名詞である。salta の訳は「踊れ」が正しく、「跳べ」の方が間違っている。
アイソーポスの物語(ここがロドスだ、ここで跳べ)とあわないのは、「salta」ということばが使われているからである。アイソーポスの原文は、「 ΠΗΔΗΜΑ (跳ぶこと)」という名詞が使われていて、原文に忠実な訳は、Hic Rhodus, hic saltus!である。また、エラスムスの『格言集』(Adagia 3.3.28)でも Hic Rhodus, hic saltus!である。
saltusが salta に変わったのは、いつの間にか salta に変化したか、マルクスがヘーゲルの tanze と対応させ 、一瞬でsalta に変えたのか、二つの可能性がある。
Hic Rhodus, hic salta! の訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」が適切なのである。
また、saltus はギリシア語の原文とおなじように単数・主格の「サルトゥス」が適切で、複数・対格の「サルトゥース」と考える必要はない。Hic..., hic... という対句で、どちらにも主格の名詞が使われた考える方が素直な読み方である。
ようするに、「踊るのか、跳ぶのか。」を書いた私の語学的な根拠は真っ向から否定されたのである。
ユミヤらくと氏は、その後、Hic Rhodus, hic salta! はマルクスの作文であることを確信された。氏とは違った見解を示している辞書やサイト、また私自身の推測を提示し見ていただいたが、ことごとく反駁された。「踊るのか、跳ぶのか。」の語学的な根拠はまったくなくなってしまったのである。
しばらくして、「タ メタ タ ポーネーティカ」に「ムーンサルト、サルトプス」という記事が出た。おそらく、私とのやり取りからお考えになったことをまとめられたのだと思う。
Hic Rhodus, hic saltus! に関係するところを、引用しておこう。
イタリア語の salto [サルト]は「とびはねること、ジャンプ、飛躍、急激な変化」っていう意味があって、ラテン語の saltus [サルトゥス](とびはねること、急激な変化)が変化してこれになった(厳密にいうと対格の saltum が salto になったっていわなきゃいけないんだろうけど)。
エラスムスの『格言集』(Adagia III, 3, 28)に Hic Rhodus, hic saltus! [ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス](ここがロドスだ、ここで とんでみろ)っていうのがあるけど、ここに saltus がでてくる。これはアイソーポス(イソップ)の「ほらふき」にでてくることばをラテン語に訳したものなんだけど、この格言はヘーゲルが引用して、さらにそれをうけてマルクスが引用したことで有名になったらしい。ただしマルクスの引用だと最後のことばは salta [サルター](おどれ)になってる。
saltus は salio [サリオー](とびはねる)っていう動詞の動作名詞なんだけど、salto [サルトー](おどる)っていう動詞からつくられた名詞だってまちがえられやすい。マルクスの引用にある salta はこの salto の命令形だ。saltus は動詞の語幹からつくられる第4変化の抽象名詞で、完了受動分詞とか目的分詞(supinum)とおんなじ語幹になる(っていうかこの抽象名詞の対格形が目的分詞になったんだけど)。salio の目的分詞は saltum だから、saltus とおんなじ語幹なのはすぐわかるだろう。ところが salio の反復をあらわす強調形 salito [サリトー](「とびはねる」の反復が「おどる」になるんだろう)が salto になったもんだから、まぎらわしくなった。
salio(サリオー)跳ぶ、 salto (サルトー)踊る、Hic Rhodus, hic saltus! (ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス)ここがロドスだ、ここで跳べ。ラテン語の読みがついているのがうれしい。
「踊るのか、跳ぶのか。」を読み直してみると、私の間違いの原因がわかる。
フォイエルバッハの「ここがアテナイだ、ここで考えろ!」という表現をラテン語に翻訳するとき、Hic Rhodus,hic salta!を参考にした。そのとき「salta」が「salto」の命令形であること知った。このときの学習がそもそも間違いだった。「cogita」は、奇跡的に、考える「cogito」の命令形であった。
次に、saltus" と "salta" の違いについて説明する森田信也(東洋大教授)の見解を見つけたことである。これは「salta」が「salto」の命令形という私の記憶を支持していたのである。この森田氏の見解は私の最初の間違いを覆い隠したのである。
堀江忠男は、Hic Rhodus, hic salta! を、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と主張していた。私は違和感を覚えるのであった。「踊る」と「跳ぶ」の違いは、ヘーゲルとマルクスの違いと思っていたからである。いったい、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」などという訳はありえるのだろうか。これが「踊るのか、跳ぶのか。」のモチーフだった。調べていくと、踊れと訳しているのは、堀江忠男だけではなかったのである。
『唯心論と唯物論』(フォイエルバッハ)の二人の訳者も「ここがロドスだ、ここで踊れ!」だったのである。私は次のように述べている。
いったい、船山信一も桝田啓三郎も、どんな理由で「跳ぶ」ではなく、「踊る」と訳したのだろう。堀江忠男と同じなのだろうか。違う理由があるのだろうか。岩波文庫の初版は1955年である。角川文庫の初版も1955年である。そのころは、「踊る」が主流だったのだろうか。
恥ずかしいかぎりだ。ラテン語に忠実ならば、「踊る」でよかったのである。「跳ぶ」ではないのである。
私は、「踊る」を「老いたるもの」の立場、「跳ぶ」を「若者」の立場と対応させて理解してきた。いいかえば、「踊る」は肯定的理性、「跳ぶ」は否定的理性と関連させ、ハムレットの表現をかりれば、「踊る」は「to be」(このままでいい)、「跳ぶ」は「not to be」(このままではいけない)と対応すると考えてきた。saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」なら、この考えは修正する必要があるだろう。
しかし、やはり、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。「踊る」のは薔薇、「跳ぶ」のはロドスである。saltaに「跳ぶ」の可能性がまったくないという条件のもとで、私は自分の考えをつらぬくことができるのだろうか。
Hic Athenae, hic cogita! (ここがアテナイだ、ここで考えろ!)
しばらくして、A4のコピー用紙がでてきた。記事をコピーしたもので、訳そうと試みた形跡が見て取れた。まったく同じものであった。2011年のときは読み取れなかったのである。
理由はいくつかある。興味をもっていた説が削除されていることに目を奪われていた。またsaltaは「跳べ」であって「踊れ」とはまったく考えていなかったので、記事がsaltaを「跳べ」から「踊れ」に修正していることが不可解で、内容をくわしく検討する気が起こらなかった。そして、何よりも英語の読解力が不足していた。
しかし、いまは私もsaltaを「踊れ」と考えざるを得ないのである。
Hic Rhodus, hic saltus! の全文をまず読んでみる。だいたい段落ごとに、英文を引用し、そのあとに拙訳を付ける。そして注釈をする場合もある。読み終わったあと、私の考えを述べていくことにする。
Hic Rhodus, hic saltus!
Latin, usually translated: "Rhodes is here, here is where you jump!"
The well-known but little understood maxim originates from the traditional Latin translation of the punchline from Aesop's fable The Boastful Athlete which has been the subject of some mistranslations.
Hic Rhodus, hic saltus!
ラテン語、ふつう、「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳される。
このよく知られた、しかしほとんど理解されていない箴言は、伝承されてきたイソップの物語「ほら吹きのアスリート」のコピー(punchline)のラテン語訳に由来している。それはいくつかの誤訳の種(subject)となってきた。
In Greek, the maxim reads:
"ιδού η ρόδος,
ιδού καὶ τὸ πήδημα"
The story is that an athlete boasts that when in Rhodes, he performed a stupendous jump, and that there were witnesses who could back up his story. A bystander then remarked, 'Alright! Let's say this is Rhodes, demonstrate the jump here and now.' The fable shows that people must be known by their deeds, not by their own claims for themselves.
ギリシャ語では箴言は次のようである。
"ιδού η ρόδος,
ιδού καὶ τὸ πήδημα"
物語はこうだ。一人のアスリートが「ロドスにいたとき、素晴らしい跳躍をした。それを証明する証人もいる」と自慢した。するとも傍にいた人が、「わかった、ここがロドスだ、いま、ここでその跳躍を見せよ」と言った。物語が示しているのは、人はその人自身の主張(claims)によってではなく、その行い(deeds)によって知られなければならないということだ。
In the context in which Hegel uses it, this could be taken to mean that the philosophy of right must have to do with the actuality of modern society ("What is rational is real; what is real is rational"), not the theories and ideals that societies create for themselves, or some ideal counterposed to existing conditions: "To apprehend what is is the task of philosophy," as Hegel goes on to say, rather than to "teach the world what it ought to be."
ヘーゲルがその箴言を使った文脈のなかでは、次のことを意味していると捉えられるだろう。法の哲学は、社会がみずからのために作りだす理論や理念、すなわち現存する状況に対置する何らかの理想ではなく、現代社会の現実性(理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である)と関わらなければならない。すなわち、ヘーゲルが続けていうように、世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握するのが哲学の課題である。
The epigram is given by Hegel first in Greek, then in Latin (in the form "Hic Rhodus, hic saltus"), in the Preface to the Philosophy of Right, and he then says: "With little change, the above saying would read (in German): "Hier ist die Rose, hier tanze":
"Here is the rose, dance here"
箴言は『法哲学』序文のなかで、ヘーゲルによって、まずギリシャ語、次にラテン語(Hic Rhodus, hic saltus!の形で)で示された。そしてヘーゲルは言う、少し変えれば、上の箴言はこう読まれるだろう(ドイツ語で)。Hier ist die Rose, hier tanze.
ここに薔薇がある、ここで踊れ。
This is taken to be an allusion to the 'rose in the cross' of the Rosicrucians (who claimed to possess esoteric knowledge with which they could transform social life), implying that the material for understanding and changing society is given in society itself, not in some other-worldly theory, punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]).
これは、まずギリシャ語でロドスを薔薇(Rhodos=ロドス、rhodon=薔薇)にもじり、次にラテン語で跳躍を踊れ( saltus=跳躍[名詞] salta=踊れ[命令形])に言い替えたものである。そしてそれは薔薇十字団(社会生活を変えることができる深遠な知識を所有していると主張した)の「十字架の薔薇」を暗示していると考えられ、社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていることを意味している。
注 この説明のなかで、「薔薇」を薔薇十字団と関連づけているのは誤った見方である。薔薇はルターの紋章「薔薇と十字架」の薔薇である。ルターの想起が、ヘーゲルの言い替えの動機である。
また、「社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていること」に限定しているのも、誤っている。哲学の課題について述べた内容を意味していると見るべきだろう。すなわち、「世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握する」ことを意味している。
この段落では、言葉の言い替えの指摘だけが読むに値していて、あとは間違っている。それが先に書いてあるので、とても疲れる英文になっている。
ここまでが記事の前半である。後半は次のように始まる。
In 18th Brumaire of Louis Bonaparte, Marx quotes the maxim, first giving the Latin, in the form:
"Hic Rhodus, hic salta!",
―― a garbled mixture of Hegel's two versions (salta = dance! instead of saltus = jump), and then immediately adds: "Hier ist die Rose, hier tanze!", as if it were a translation, which it cannot be, since Greek Rhodos, let alone Latin Rhodus, does not mean "rose". But Marx does seem to have retained Hegel's meaning, as it is used in the observation that, overawed by the enormity of their task, people do not act until:
"a situation is created which makes all turning back impossible,
and the conditions themselves call out: Here is the rose, here dance!."
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で、マルクスはその箴言を引用している。最初にラテン語で、次のように
Hic Rhodus, hic salta!
――ヘーゲルの二つの言い替え(versions)の歪んだ混合物( saltus跳躍の代わりにsalta踊れ)、そしてそれからすぐに続けている。Hier ist die Rose, hier tanze! まるで、翻訳であるかのように。しかしそれはあり得ないのである、なぜなら、ギリシャ語のRhodos、ましてやラテン語のRhodusは薔薇を意味しないからである。しかし、マルクスはヘーゲルの真意(meaning)を引き継いでいるように見える。というのは、その箴言は次のような見解(observation)のなかで使われているからである。課せられた課題の巨大さに威圧されて、人々は動くことができない、そしてついに(until)、
もどることがまったく不可能となり、状況そのものが次のように叫ぶ情勢が作られる。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ」
注 この指摘は『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』でマルクスがラテン語とドイツ語を併記していることを分析したものである。garbleには、伝言などを混乱して伝えるという意味がある。そこから、ごっちゃにする、歪曲するという意味も生じてくる。a garbled mixtureというのは、ヘーゲルが、ロドスを薔薇に、跳躍を踊れに、二つの言い替えをしたが、マルクスは、一方しか翻訳していないことを指したものである。
a garbled mixture of Hegel's two versionsが跳躍点となったとだけ述べて、記事の続きを読んでおこう。
and one is reminded of Marx's maxim in the Preface to the Critique of Political Economy:
"Mankind thus inevitably sets itself only such tasks as it is able to solve, since closer examination will always show that the problem itself arises only when the material conditions for its solution are already present or at least in the course of formation!."
そして、『経済学批判』序文のマルクスの定式の一つが思い出される。すなわち
人はつねに、解決できる課題だけを提起する。というのは、くわしく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的な条件が、すでに存在しているか、少なくとも形成の過程にあるときにだけ、生じることをつねに示すからである。
So Marx evidently supports Hegel's advice that we should not "teach the world what it ought to be", but he is giving a more active spin than Hegel would when he closes the Preface observing:
"For such a purpose philosophy at least always comes too late. ...
The owl of Minerva, takes its flight only when the shades of night are gathering."
マルクスは明らかにヘーゲルの「われわれは世界が何であるべきかを教えるべきでない」という忠告を受け継いでいる。だがマルクスは、ヘーゲルが『法の哲学』の序文を次のように述べて閉じるときに示していた解釈より、もっと積極的な解釈(spin)を示している。
そのような目的のためには、哲学はいつも来るのが遅すぎるのである。……ミネルバの梟は、夜の影が集まってくるときにはじめて飛ぶのである。
Marx also uses the phrase, but with salta instead of saltus, but with more or less the meaning intended by Aesop in Chapter 5 of Capital.
マルクスはまた『資本論』第5章で、およそイソップによって意図された意味で、その箴言(saltusの代わりにsaltaを用いたもの)を使っている。
注 私の考えでは、マルクスは使っていない。
以上が、Hic Rhodus, hic saltus!の全文である。これから、私の考えを述べていくことにしよう。
Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)
Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)
Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)
まず、Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)とHier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)の関係をみておこう。
ヘーゲルは『法の哲学』(藤野渉訳)の序文で、次のように述べている。
Ἰδοὺ Ρόδος, ἰδοὺ χαὶ τὸ πήδημα.
Hic Rhodus, hic saltus.
〔ここがロドスだ、ここで跳べ〕
存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。なんらかの哲学がその現在の世界を越え出るのだと思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外へ出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである。その個人の理論が実際にその時代を越え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界をしつらえるとすれば、このあるべき世界はなるほど存在しているけれども、たんに彼が思うことのなかにでしかない。つまりそれは、どんな好き勝手なことでも想像できる柔軟で軟弱な領域のうちにしか、存在していない。
さっきの慣用句は少し変えればこう聞こえるであろう――
ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。
自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性との間にあるもの――まえのほうの理性をあとのほうの理性とわかち、後者のうちに満足を見いだせないものは、まだ概念にまで解放されていない抽象的なものの枷である。
理性を現在の十字架における薔薇として認識し、それによって現在をよろこぶこと。この理性的な洞察こそ、哲学が人々に得させる現実との和解である、―― いったん彼らに、概念において把握しようとする内的な要求が生じたならば。
ヘーゲルは「ここがロドスだ、ここで跳べ」の直後に、「存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。」と続けている。このことから、ヘーゲルがこの箴言に読み込んでいるのは「哲学の課題」であり、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことであると捉えるのが妥当だろう。
ヘーゲルはイソップの物語を知らなかったわけではないだろう。しかし、ここではその物語は捨象され、Hic Rhodus, hic saltus!だけがとり出されていることに注意しなければならない。そしてヘーゲルは「ロドス」と「跳ぶ」に特異な解釈をしている。イソップでは、ロドス島のなかの運動場とそこでおこなわれた走り幅跳びの「跳ぶ」が問題になっている。これに対して、ヘーゲルは、まずロドス島全体とその「跳ぶ」(「跳び越え」)を問題にしている。そして、その「跳び越えて外へ出る」ことが不可能なことをイメージさせることによって、哲学が時代を越え現在の世界を越え出ると考えるのは、妄想であり愚かであると指摘する。そしてそのような考え方を排除すると同時に、「跳ぶ」をロドスの内部に制限するのである。このように、ヘーゲルは、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことを表現するものとしてHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を取り上げているのである。
ヘーゲルのHic Rhodus, hic saltus!は、端的にいえば、現実(ロドス)で、哲学せよ(跳べ)という意味である。そしてこのように変位された「ロドス」と「跳べ」に対して、言い替えが行われる。
Rhodus ―― Rose
saltus ―― tanze
言い替えをしたのは、哲学の課題の端的な表現としてHic Rhodus, hic saltus!を取り上げたが、それはあまりにもイソップの物語と違っている。そのために同じ内容をヘーゲル独自の表象で表わす必要を感じたからだろう。
「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。」
これには次のような注が付いている。 「ギリシア語のロドス(島の名)をロドン(ばらの花)、ラテン語の saltus(跳べ)をsalta(踊れ)に「すこし変え」たしゃれ。ヘーゲルはここにギリシア語もラテン語も記してはいないが。」
いま改めてこの注を見ていると、おかしなことに気づく。ヘーゲルはラテン語の saltus(跳べ)をドイツ語の tanze(踊れ)に変えたのであって、salta(踊れ)に変えたのではない。ヘーゲルはギリシア語もラテン語も記してはいないのである。さかのぼって言えば、英文の記事(punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative].)も厳密にいえば正しくないのである。
ちなみに、ギリシア語で、ロドス(島の名)はΡοδοςである。これをローマ字表記したのがRhodosである。また、ロドン(ばらの花)はροδονで、ローマ字表記がrhodonである。
「十字架における薔薇」には次のような注が付いている。
十字架は苦しみ、ばらは喜びのしるし。『宗教哲学』でも「現在の十字架のうちにばらをつむためには、おのれ自身に十字架を負わなくてはならない」と述べている。別のところでヘーゲルは「ばら十字架会の周知のシンボル」と記しているから、十七、八世紀ごろの神秘主義的な秘密結社「ロ-ゼンクロイツァー」Rosenkreuzerのシンボルからの示唆かと思われるが、メッツケによると、ルターの楯紋様が白いばらで取り囲まれた一つの心臓のまんなかに黒い十字架を描き、題銘に「キリスト者の心は十字架のまなかにあるときばらの花に向かう」とあるのを連想し、ルターにおいてはキリスト信仰の純粋な表現であったものがヘーゲルでは理性信仰になり、現実のもろもろの対立分裂のなかにおける和解の力としての理性のシンボルになるという。
メッツケの解釈が正しいと思う。ロドス(島の名)をロドン(ばらの花)に変えるとき、ルター(の紋章「薔薇と十字架」)への同調があったのである。これはもっと強調されてよいと思う。
「現に存在している現実としての理性」は「十字架における薔薇」といいかえられる。
十字架は現実、薔薇は理性と対応している。「十字架における薔薇」は、「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である。」(What is rational is real; what is real is rational.)というヘーゲルの基本的な思想を象徴しているのである。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ」を省略しないで表現すると「ここに十字架における薔薇がある、ここで踊れ」である。ヘーゲルの薔薇は十字架における薔薇である。そして、理性を現在の十字架における薔薇として認識するとは、理性的なものを現実的なもののうちにおいてのみ把握するということである。
ヘーゲルはイソップのHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を解釈して、次のように要約した。
ロドス(現実)で、跳べ(哲学せよ)。
Hier ist die Rose, hier tanze!も同じように、
薔薇(現実)がある、踊れ(哲学せよ)。 である。
しかし、薔薇の方が、内に秘められている理性と現実の関係が見やすくなっていて、美しく深みのある箴言になっているように思える。
マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳)で次のように述べている。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
Hic Rhodus, hic salta!
Hier ist die Rose, hier tanze!
記事は、マルクスがラテン語とドイツ語を併記しているのを、ありえないが、まるで翻訳のようだと述べていた。私は次のように読み替える。
as if it were a translation(まるで翻訳)を it was a translation(翻訳)に、
it cannot be (ありえない)をit can be(ありえる)に。
ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を翻訳したものとして、Hic Rhodus, hic salta!を捉える。つまり、saltaはtanzeの訳で「踊れ」である。そしてRhodusはギリシア語でもラテン語でもあり得ないが、Roseの訳で「薔薇」である。ありえないはずの翻訳がありえたと想定する。Rhodusは、当時でも現代でも「ロドス」という島を指すが、saltaと初めて結びついたRhodusは、島の名前ではなく、薔薇なのである。マルクスはラテン語とドイツ語で、同じ一つのことを言ったのである。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」と。マルクスの頭の中では、RhodusはRoseなのである。マルクスはrhodonのつもりでRhodusと書いているのである。
rhodonはギリシア語の薔薇ροδονのローマ字表記である。ドイツ語では名詞を大文字で始める。それゆえrhodonではなく、Rhodon。ロドスの古名Rhodosなら一字違い、Rhodusなら二字違いである。it can be(ありえる)である。
マルクスは Hier ist die Rose, hier tanze!(ここに薔薇がある、ここで踊れ!)をラテン語に翻訳しただけである。ラテン語の表現もドイツ語の表現も、英語の表現でいえば、Here is the rose, here dance!と言っているだけなのである。Hic Rhodus, hic salta!は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を書いているマルクスの頭の中では、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」とか、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という意味をもっていない。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。
なぜドイツ語の提示だけでなくラテン語に訳しそれを先に提示したのかといえば、それはヘーゲルの「法哲学」ではなく、「ヘーゲル法哲学批判」の立場を鮮明にしたかったからである。いいかえれば「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」の精神を、ミネルバの梟ではなくガリヤの雄鶏に、夕暮れではなく明け方に、和解ではなく挑戦において継承しようとする意志を表していると考えられるのである。ヘーゲルを継承しその先へ行くという姿勢を表しているのである。記事がいうa more active spin(もっと積極的な解釈)である。
ヘーゲルが「存在するところのものは理性である」と見たのに対して、マルクスは「存在するところのものは理性を実現していない」と見たのである。マルクスは「世界が何であるか(what is)」を把握するだけでなく、「世界が何であるべきか(what it ought to be)」を展開しようとしたのである。
Hic Rhodus, hic salta!というラテン語を正確に訳せば、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。しかし、マルクスはその意味の表現を意図したのではなく、あくまでも、Hier ist die Rose, hier tanze!の翻訳として提起したのである。もちろん、それはマルクスの内部においてだけ成立する。そしてマルクスは生涯にわたって、この間違いに気づかないのである。Hic Rhodus, hic salta!は、マルクスにとって、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。
しかし、マルクスの表現したHic Rhodus, hic salta!を他の人が読むと、薔薇の花はたちまちロドス島に変わることになる。薔薇がロドスに変わったあと、二つの読まれ方をすることになる。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と「ここがロドスだ、ここで跳べ!」である。
最初は「ここがロドスだ、ここで踊れ!」の方だったろう。フォイエルバッハの『唯心論と唯物論』(桝田啓三郎訳)には次のようなところがある。
すなわち私とは、ここで考えるこの個人、ここでこの肉体のなかで、とりわけ汝の頭の外にあるこの頭の中で考えるこの個人のことなのである。単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」を正確にラテン語に翻訳すると、Hic Rhodus, hic salta!である。フォイエルバッハはマルクスの作ったラテン語の箴言を引用していると思われる。
「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」には訳注がついていて、Hic Rhodus, hic salta!への言及がある。
アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。(最初が大文字ではなく小文字になっているのは訳注にある通りで、引用の間違いではない。)
この訳注には「跳ぶ」と「踊る」が混在している。「ここがロドスだと思って跳んでみせろ」の直後に、「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。Hic Rhodus, hic salta!が掻き乱しているのである。
桝田啓三郎はHic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで踊れ!)が格言として伝えられたと述べているが、これは誤解である。格言として伝承されてきたのは、Hic Rhodus, hic saltus!の方である。そして、Hic Rhodus, hic salta!は1852年に、マルクスによって作られたばかりの表現なのである。
注の後半に、「ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである」(二つの「ここ」・「この」には強調の傍点がある)とある。この指摘は正しいが、背景がまったく違っている。ヘーゲルのロドスは、Hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)ではなく、Hic Rhodus, hic saltus!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)である。
ちなみに、フォイエルバッハは『唯心論と唯物論』を書いていたのは1863年から1866年のあいだと解説にある。ここの引用は、『資本論』(1867年)ではなく『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(1852年)からのものであることがわかる。
このように、マルクスのHic Rhodus, hic salta!は、マルクスの頭の外にある個人の頭の中では、違った意味に捉えられるのである。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」が最初に現れた例である。
「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は、ラテン語の意味としては正しい翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップの物語とはまったく切断されていて、歴史的にも文化的にも孤立した表現であるというべきだろう。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』にもどって、確認しておこう。先の引用はあえて、ラテン語の表現とドイツ語の表現に注釈を付けなかった。実際は、次のようになっているのである。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここでとべ!)
Hier ist die Rose, hier tanze!(ここにバラがある、ここでおどれ!)
このように、19世紀のドイツで表現されたものが、時代を越え、国を越えて、20世紀の日本にまで来ると、マルクスが同じ一つのことを言っているのではなく、イソップとヘーゲルの二つを併置していると捉えられるようになるのである。
確認しよう。ここには、次のような注が付いている。
はじめの行のラテン語、ここがロドスだ、ここでとべ、はイソップ寓話の一つ(岩波文痺『アイソーボス寓話』第五一話)に由来する。「ロドス島のとびくらべでものすごくとんだ、ちゃんと証人がいる」といってほらを吹く人に、「証人なんかいりゃしない、ここがロドス島だ、ここでとんでみろ」という話である。すなわち、ここで実践してみせろの意。ところでつぎのドイツ語、ここにバラがある、ここでおどれは、ロドス島がロドンすなわちバラに由来した名でバラの花で有名な島であることから、ロドスにバラをひっかけたしゃれであって、ヘーゲルは『法律哲学』の序文で「ここがロドスだ、ここでとべ」をこう言いかえることができるといっている。マルクスはここでこのヘーゲルの文章を思い出して、前の句にこれをつけたのである。
Hic Rhodus, hic salta! の「salta」が「跳べ」と読まれるようになったのは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではなく、『資本論』だっただろう。そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』は当時、マルクスの周辺の人が読んだだけで、ほとんど読まれていないと言っていい。しかし、『資本論』は多くの人に読まれたのである。
『資本論』には、Hic Rhodus, hic salta!だけが書いてある。そして、次のような注釈がついている。「ここがロドスだ、さあ跳べ!」(向坂逸郎、岩波文庫)、「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(大内兵衛・細川嘉六、大月書店)。ここに初めて、二番目の読み方が登場したのである。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』では無理だったろう。そこには二本の薔薇が並んでいた。『資本論』において、ヘーゲルの薔薇Roseと切り離され、単独でマルクスの薔薇Rhodusとして提起されて初めて、saltaは「跳ぶ」可能性をもったのである。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではsaltaは「踊る」のままで、「跳ぶ」兆候はないのである。
『資本論』のHic Rhodus, hic salta!も『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と同じである。これはマルクスの頭の中では、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。マルクスの内部では、これは積極的になったHier ist die Rose, hier tanze! である。Rhodusはマルクスの薔薇なのである。しかし、いったんマルクスから離れ、多くの人に読まれ始めると、Rhodusはロドス島とみえ、Hic Rhodus, hic saltus!と結びつく可能性が生まれたのである。そして、実際、saltaは、命がけの跳躍(salto mortale)をして、saltusになったのである。いいかえれば、saltaは「跳ぶ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」はマルクスが作ったのではない。マルクスの頭の外で作られたのである。命がけの跳躍(salto mortale)はマルクスの頭の外で起こったのである。いいかえれば、マルクス主義の運動が作り出したのである。ラテン語には精通していないが、イソップの物語はよく知っている人たちが多くいたのである。
それはマルクスの精神を否定するものではなく、マルクスの精神をより積極的に表現したのである。マルクスが、ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!をラテン語に翻訳したのは、ヘーゲルの精神を積極的にとらえ直すことにあった。このときマルクスは誤ってHic Rhodus, hic salta!と書いた。こんどは、正しい「踊る」saltaが「跳ぶ」saltusと誤って読まれ、Hic Rhodus, hic saltus!と重なることによって、このマルクスの精神は、さらに積極的に捉えられるようになったのである。
マルクスの精神はマルクスの頭の外で補完され実現されたのである。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
初めに『資本論』である。そこでsaltaが「跳ぶ」に変わった。次に『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が読まれるようになって、二本の薔薇が、ロドスと薔薇に分かれる。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(イソップ)と「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」(ヘーゲル)が併置されていると解釈されるようになったのである。
私の学生時代は1970年代前半だが、Hic Rhodus, hic salta!は、もっぱら「ここがロドスだ、ここで跳べ!」であった。『唯心論と唯物論』も読んだが、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は目に入らなかった。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠男を読むまでまったく自覚することはなかったのである。
堀江忠男はHic Rhodus, hic salta!の成立過程を次のように捉えていた。(『弁証法経済学批判』参照)
「Hic Rhodus, hic saltus!」(ここがロドスだ、ここで跳べ!)。Hier ist die Rose, hier tanze!(これが薔薇だ、ここで踊れ!)をラテン語に直した「Hic rodon, hic salta! 」。マルクスはこの二つを知っていて、前半Hic Rhodusと後半hic salta!を結びつけて、Hic Rhodus, hic salta!と書いた。それゆえ、これは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく「ここがロドスだ、ここで踊れ!」
そして、その考えを自然なものにするために、古代ギリシアまでさかのぼって、イソップの話を書き替えたのである。
余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。
しかし、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。踊るのは、薔薇。跳ぶのはロドスである。しかしマルクスの書いているラテン語は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。堀江とは違った成立過程を提示しなければならないと思った。
イソップのHic Rhodus, hic saltus!が、ヘーゲルによって独特な解釈をされ、Hier ist die Rose, hier tanze!なった過程をRhodusの下向ということにしよう。そして、ヘーゲルの薔薇が誤って翻訳され、ふたたびRhodusになり、Hic Rhodus, hic salta!になった過程を、Rhodusの上向としよう。
ヘーゲルによる下向。イソップのロドスRhodusは、現実と置き換えられ、薔薇Roseとなる。他方、跳躍saltusは、存在するものを把握する(「to apprehend what is 」)行為として、踊れ tanzeになった。
マルクスによる上向。ヘーゲルの薔薇は誤ってラテン語に翻訳されロドスRhodusとなる。他方、踊るtanzeは正確に翻訳されてsaltaとなったが、このとき踊るsaltaは、「和解」ではなく「挑戦」の色彩を帯びるようになった。
そしてHic Rhodus, hic salta!はロドスRhodusを支点にして、Hic Rhodus, hic saltus!と関連するようになった。そして、Rhodusは、「薔薇」から「ロドス」に変わり、saltaは「踊れ」から「跳べ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、一つの与えられた課題(task)に挑戦する人(自分でも他人でも)を鼓舞する箴言として把握されるようになっている。
これはイソップのHic Rhodus, hic saltus!(主張と行為)ともヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!(現実と哲学)とも違っている。しかし、「踊る」saltaが「跳べ」と解釈されることによって、両者を複合した意味をもつようになったのである。
「主張と行為」の関係の中に「現実と哲学」の関係が入り込み、また「現実と哲学」の中に「主張と行為」が入り込んで、両者が「課題と挑戦」を構成している。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、ラテン語の意味としては誤った翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップのHic Rhodus, hic saltus!とヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を止揚していて、歴史的にも文化的にも連帯している表現なのである。
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。saltaの意味が振れる原因を、Rhodusと saltaの奇妙な結合に見出し、ロドスの下向と上向という過程が19世紀に起きたと想定することによって、Rhodusと saltaの謎を解こうとしたのである。
以前(「踊るのか、跳ぶのか。」)は、肯定的理性・「to be」(このままでいい)と否定的理性・「not to be」(このままではいけない)を「踊る」と「跳ぶ」で区別していた。
「踊る」 ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」 ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
いまは、「踊る」で区別できる。「踊る」のドイツ語表記tanzeとラテン語表記saltaである。
「踊る」tanze(和解) ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「踊る」salta(挑戦) ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
日本語の「踊る」に着目すれば、「踊るのか、跳ぶのか。」では、肯定的理性・「to be」だけに限定されていた「踊る」は、いまはすべて(肯定的理性・「to be」と否定的理性・「not to be」)を含むようになっている。「踊る」の拡張が、以前との大きな違いである。
ロドスでは踊らない。なぜならマルクスのHic Rhodus, hic salta!は、積極的になったHier ist die Rose, hier tanze!だからである。ロドスとは関係ないのである。
踊るのは薔薇。これはヘーゲルとマルクスが共有する認識である。Hier ist die Rose, hier tanze!とHic rhodon, hic salta! 。これはHic Rhodus, hic salta!の基礎である。
跳ぶのはロドス。Hic Rhodus, hic salta!が多くの人に読まれはじめると、Rhodusを支点にHic Rhodus, hic saltus!と関連して、saltaは踊るから跳ぶに変わったのである。
「踊る」tanze ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」salta ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。揺れるのは、 Rhodusとsaltaの奇妙な結合に由来している。a garbled mixture of Hegel's two versions ―― Hic Rhodus, hic salta!。
あと一つ指摘して終わろう。
マルクスが『資本論』の第1巻を仕上げようとしていたころ、ドイツの知識人たちは、ヘーゲルを「死せる犬」として取り扱っていた。これに対して、マルクスは、次のように述べている。
「それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚を呈しさえしたのである。」
これを集約した表現が Hic Rhodus, hic salta! である。いまでは世界中で、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と読まれているが、マルクスが書いているのは、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。
1 saltaは「踊れ」
2 Hic Rhodus, hic saltus!」の翻訳と注釈
3 ヘーゲルの薔薇
4 マルクスのロドス
5 ロドスの下向と上向
1 saltaは「踊れ」
「踊るのか、跳ぶのか。」を書いたあと、ある記事が気になった。その記事は、MIA: Encyclopedia of Marxism: Glossary of Terms にあったものである。イソップが「法螺吹」で伝えていた「ロドス」は、島の名前ではなく、棒高跳びで使うポールだったというのである。ギリシア語のrodosやラテン語のrodusはもともと棒を意味していたが、ある古代の翻訳者が偶然にRhodosと大文字で綴りはじめたため、人々は島の名前を指すと考えるようになったというのである。わたしは「ロドスとポールとバラ」で誤訳が発生した理由を述べた箇所を引用して、その記事へのリンクを張った。興味がわき真偽のほどを確かめようと図書館で辞書や関連するような文献をみたが、記事が指摘していた単語は見当たらなかった。もしあるとすれば、もっと専門的なギリシア語やラテン語の語源を研究するような文献だろうと思ったが、行き止まりであった。これが2007年である。
2011年に、「ロドスとポールとバラ」のリンクをたどってみたら、記事は違っていた。まずタイトルが、Hic Rhodus , hic salta! から、Hic Rhodus, hic saltus!に 変わっていた。つぎに、ロドスはもともと島ではなく棒だとする箇所がすべて削除されていた。
記事には、saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]と明記されていた(saltus = 跳躍 [名詞], salta = 踊れ [命令形])。Hic Rhodus, hic salta! は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」なのであった。
しかし、私は、saltus が「跳ぶ」、salta が「踊る」ではなく、「跳ぶ・踊る」の意味をもつsalto が原形で、その名詞の対格が saltus 、その動詞の命令形が salta と考えていたので、salta は「踊る」ではなく「跳ぶ」と訳すのが妥当なのだとこれまでの考え方に疑いをもたなかった。そして、この記事もタイトルを変えることによって、ロドスでは「跳ぶ」ことを選んでいると思った。むしろ、ロドスはもともと島でなく棒であるという説の方が気になってきた。ありえないのか。このときも調べたが結果は同じだった。そんななか、「タ メタ タ ポーネーティカ」というサイトを見つけた。これは、古典ギリシア語と日本語を中心に置き、さまざまな言語について考察しているサイトである。それを運営されているユミヤらくと氏に、思いきって、疑問を述べ、教えを請うた。
返事をいただいたが、うろたえてしまった。
小文字が成立したのはアレクサンドロスと無関係であること、「棒」という意味をもつ ΡΟΔΟΣ というギリシア語はないこと、ラテン語の rodus (= raudus)にも棒という意味はないこと、英語の rodから連想された作り話ではないか、ようするに、ロドスを「島」でなく「棒」とみる根拠はまったくないことが指摘されていた。
もしかしたら、という気持ちがあったが、作り話だったのである。しかし、本当にうろたえたのは、これではなかった。
『世界の名著 44 ヘーゲル』の注は正確であると指摘されたのである。つまり、saltus は「跳ぶこと」で、salta は「踊れ」である。saltus は salto の名詞ではなくて、salio (跳ぶ)の名詞である。salta の訳は「踊れ」が正しく、「跳べ」の方が間違っている。
アイソーポスの物語(ここがロドスだ、ここで跳べ)とあわないのは、「salta」ということばが使われているからである。アイソーポスの原文は、「 ΠΗΔΗΜΑ (跳ぶこと)」という名詞が使われていて、原文に忠実な訳は、Hic Rhodus, hic saltus!である。また、エラスムスの『格言集』(Adagia 3.3.28)でも Hic Rhodus, hic saltus!である。
saltusが salta に変わったのは、いつの間にか salta に変化したか、マルクスがヘーゲルの tanze と対応させ 、一瞬でsalta に変えたのか、二つの可能性がある。
Hic Rhodus, hic salta! の訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」が適切なのである。
また、saltus はギリシア語の原文とおなじように単数・主格の「サルトゥス」が適切で、複数・対格の「サルトゥース」と考える必要はない。Hic..., hic... という対句で、どちらにも主格の名詞が使われた考える方が素直な読み方である。
ようするに、「踊るのか、跳ぶのか。」を書いた私の語学的な根拠は真っ向から否定されたのである。
ユミヤらくと氏は、その後、Hic Rhodus, hic salta! はマルクスの作文であることを確信された。氏とは違った見解を示している辞書やサイト、また私自身の推測を提示し見ていただいたが、ことごとく反駁された。「踊るのか、跳ぶのか。」の語学的な根拠はまったくなくなってしまったのである。
しばらくして、「タ メタ タ ポーネーティカ」に「ムーンサルト、サルトプス」という記事が出た。おそらく、私とのやり取りからお考えになったことをまとめられたのだと思う。
Hic Rhodus, hic saltus! に関係するところを、引用しておこう。
イタリア語の salto [サルト]は「とびはねること、ジャンプ、飛躍、急激な変化」っていう意味があって、ラテン語の saltus [サルトゥス](とびはねること、急激な変化)が変化してこれになった(厳密にいうと対格の saltum が salto になったっていわなきゃいけないんだろうけど)。
エラスムスの『格言集』(Adagia III, 3, 28)に Hic Rhodus, hic saltus! [ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス](ここがロドスだ、ここで とんでみろ)っていうのがあるけど、ここに saltus がでてくる。これはアイソーポス(イソップ)の「ほらふき」にでてくることばをラテン語に訳したものなんだけど、この格言はヘーゲルが引用して、さらにそれをうけてマルクスが引用したことで有名になったらしい。ただしマルクスの引用だと最後のことばは salta [サルター](おどれ)になってる。
saltus は salio [サリオー](とびはねる)っていう動詞の動作名詞なんだけど、salto [サルトー](おどる)っていう動詞からつくられた名詞だってまちがえられやすい。マルクスの引用にある salta はこの salto の命令形だ。saltus は動詞の語幹からつくられる第4変化の抽象名詞で、完了受動分詞とか目的分詞(supinum)とおんなじ語幹になる(っていうかこの抽象名詞の対格形が目的分詞になったんだけど)。salio の目的分詞は saltum だから、saltus とおんなじ語幹なのはすぐわかるだろう。ところが salio の反復をあらわす強調形 salito [サリトー](「とびはねる」の反復が「おどる」になるんだろう)が salto になったもんだから、まぎらわしくなった。
salio(サリオー)跳ぶ、 salto (サルトー)踊る、Hic Rhodus, hic saltus! (ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス)ここがロドスだ、ここで跳べ。ラテン語の読みがついているのがうれしい。
「踊るのか、跳ぶのか。」を読み直してみると、私の間違いの原因がわかる。
フォイエルバッハの「ここがアテナイだ、ここで考えろ!」という表現をラテン語に翻訳するとき、Hic Rhodus,hic salta!を参考にした。そのとき「salta」が「salto」の命令形であること知った。このときの学習がそもそも間違いだった。「cogita」は、奇跡的に、考える「cogito」の命令形であった。
次に、saltus" と "salta" の違いについて説明する森田信也(東洋大教授)の見解を見つけたことである。これは「salta」が「salto」の命令形という私の記憶を支持していたのである。この森田氏の見解は私の最初の間違いを覆い隠したのである。
堀江忠男は、Hic Rhodus, hic salta! を、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と主張していた。私は違和感を覚えるのであった。「踊る」と「跳ぶ」の違いは、ヘーゲルとマルクスの違いと思っていたからである。いったい、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」などという訳はありえるのだろうか。これが「踊るのか、跳ぶのか。」のモチーフだった。調べていくと、踊れと訳しているのは、堀江忠男だけではなかったのである。
『唯心論と唯物論』(フォイエルバッハ)の二人の訳者も「ここがロドスだ、ここで踊れ!」だったのである。私は次のように述べている。
いったい、船山信一も桝田啓三郎も、どんな理由で「跳ぶ」ではなく、「踊る」と訳したのだろう。堀江忠男と同じなのだろうか。違う理由があるのだろうか。岩波文庫の初版は1955年である。角川文庫の初版も1955年である。そのころは、「踊る」が主流だったのだろうか。
恥ずかしいかぎりだ。ラテン語に忠実ならば、「踊る」でよかったのである。「跳ぶ」ではないのである。
私は、「踊る」を「老いたるもの」の立場、「跳ぶ」を「若者」の立場と対応させて理解してきた。いいかえば、「踊る」は肯定的理性、「跳ぶ」は否定的理性と関連させ、ハムレットの表現をかりれば、「踊る」は「to be」(このままでいい)、「跳ぶ」は「not to be」(このままではいけない)と対応すると考えてきた。saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」なら、この考えは修正する必要があるだろう。
しかし、やはり、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。「踊る」のは薔薇、「跳ぶ」のはロドスである。saltaに「跳ぶ」の可能性がまったくないという条件のもとで、私は自分の考えをつらぬくことができるのだろうか。
Hic Athenae, hic cogita! (ここがアテナイだ、ここで考えろ!)
2 「Hic Rhodus, hic saltus!」の翻訳と注釈
今年(2014年)になって、「ロドスとポールとバラ」のリンクをクリックしてみて、ふたたび、驚いた。そこには、Hic Rhodus, hic salta! はマルクスの作文であることを示すような英文が載っていたのである。2011年とは違った記事なのだろうか。それとも同じ記事なのだろうか。2011年に見たときも、『法の哲学』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』、『経済学批判』、『資本論』への言及があり、saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]と記述してあったからである。しばらくして、A4のコピー用紙がでてきた。記事をコピーしたもので、訳そうと試みた形跡が見て取れた。まったく同じものであった。2011年のときは読み取れなかったのである。
理由はいくつかある。興味をもっていた説が削除されていることに目を奪われていた。またsaltaは「跳べ」であって「踊れ」とはまったく考えていなかったので、記事がsaltaを「跳べ」から「踊れ」に修正していることが不可解で、内容をくわしく検討する気が起こらなかった。そして、何よりも英語の読解力が不足していた。
しかし、いまは私もsaltaを「踊れ」と考えざるを得ないのである。
Hic Rhodus, hic saltus! の全文をまず読んでみる。だいたい段落ごとに、英文を引用し、そのあとに拙訳を付ける。そして注釈をする場合もある。読み終わったあと、私の考えを述べていくことにする。
Hic Rhodus, hic saltus!
Latin, usually translated: "Rhodes is here, here is where you jump!"
The well-known but little understood maxim originates from the traditional Latin translation of the punchline from Aesop's fable The Boastful Athlete which has been the subject of some mistranslations.
Hic Rhodus, hic saltus!
ラテン語、ふつう、「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳される。
このよく知られた、しかしほとんど理解されていない箴言は、伝承されてきたイソップの物語「ほら吹きのアスリート」のコピー(punchline)のラテン語訳に由来している。それはいくつかの誤訳の種(subject)となってきた。
In Greek, the maxim reads:
"ιδού η ρόδος,
ιδού καὶ τὸ πήδημα"
The story is that an athlete boasts that when in Rhodes, he performed a stupendous jump, and that there were witnesses who could back up his story. A bystander then remarked, 'Alright! Let's say this is Rhodes, demonstrate the jump here and now.' The fable shows that people must be known by their deeds, not by their own claims for themselves.
ギリシャ語では箴言は次のようである。
"ιδού η ρόδος,
ιδού καὶ τὸ πήδημα"
物語はこうだ。一人のアスリートが「ロドスにいたとき、素晴らしい跳躍をした。それを証明する証人もいる」と自慢した。するとも傍にいた人が、「わかった、ここがロドスだ、いま、ここでその跳躍を見せよ」と言った。物語が示しているのは、人はその人自身の主張(claims)によってではなく、その行い(deeds)によって知られなければならないということだ。
In the context in which Hegel uses it, this could be taken to mean that the philosophy of right must have to do with the actuality of modern society ("What is rational is real; what is real is rational"), not the theories and ideals that societies create for themselves, or some ideal counterposed to existing conditions: "To apprehend what is is the task of philosophy," as Hegel goes on to say, rather than to "teach the world what it ought to be."
ヘーゲルがその箴言を使った文脈のなかでは、次のことを意味していると捉えられるだろう。法の哲学は、社会がみずからのために作りだす理論や理念、すなわち現存する状況に対置する何らかの理想ではなく、現代社会の現実性(理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である)と関わらなければならない。すなわち、ヘーゲルが続けていうように、世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握するのが哲学の課題である。
The epigram is given by Hegel first in Greek, then in Latin (in the form "Hic Rhodus, hic saltus"), in the Preface to the Philosophy of Right, and he then says: "With little change, the above saying would read (in German): "Hier ist die Rose, hier tanze":
"Here is the rose, dance here"
箴言は『法哲学』序文のなかで、ヘーゲルによって、まずギリシャ語、次にラテン語(Hic Rhodus, hic saltus!の形で)で示された。そしてヘーゲルは言う、少し変えれば、上の箴言はこう読まれるだろう(ドイツ語で)。Hier ist die Rose, hier tanze.
ここに薔薇がある、ここで踊れ。
This is taken to be an allusion to the 'rose in the cross' of the Rosicrucians (who claimed to possess esoteric knowledge with which they could transform social life), implying that the material for understanding and changing society is given in society itself, not in some other-worldly theory, punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]).
これは、まずギリシャ語でロドスを薔薇(Rhodos=ロドス、rhodon=薔薇)にもじり、次にラテン語で跳躍を踊れ( saltus=跳躍[名詞] salta=踊れ[命令形])に言い替えたものである。そしてそれは薔薇十字団(社会生活を変えることができる深遠な知識を所有していると主張した)の「十字架の薔薇」を暗示していると考えられ、社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていることを意味している。
注 この説明のなかで、「薔薇」を薔薇十字団と関連づけているのは誤った見方である。薔薇はルターの紋章「薔薇と十字架」の薔薇である。ルターの想起が、ヘーゲルの言い替えの動機である。
また、「社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていること」に限定しているのも、誤っている。哲学の課題について述べた内容を意味していると見るべきだろう。すなわち、「世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握する」ことを意味している。
この段落では、言葉の言い替えの指摘だけが読むに値していて、あとは間違っている。それが先に書いてあるので、とても疲れる英文になっている。
ここまでが記事の前半である。後半は次のように始まる。
In 18th Brumaire of Louis Bonaparte, Marx quotes the maxim, first giving the Latin, in the form:
"Hic Rhodus, hic salta!",
―― a garbled mixture of Hegel's two versions (salta = dance! instead of saltus = jump), and then immediately adds: "Hier ist die Rose, hier tanze!", as if it were a translation, which it cannot be, since Greek Rhodos, let alone Latin Rhodus, does not mean "rose". But Marx does seem to have retained Hegel's meaning, as it is used in the observation that, overawed by the enormity of their task, people do not act until:
"a situation is created which makes all turning back impossible,
and the conditions themselves call out: Here is the rose, here dance!."
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で、マルクスはその箴言を引用している。最初にラテン語で、次のように
Hic Rhodus, hic salta!
――ヘーゲルの二つの言い替え(versions)の歪んだ混合物( saltus跳躍の代わりにsalta踊れ)、そしてそれからすぐに続けている。Hier ist die Rose, hier tanze! まるで、翻訳であるかのように。しかしそれはあり得ないのである、なぜなら、ギリシャ語のRhodos、ましてやラテン語のRhodusは薔薇を意味しないからである。しかし、マルクスはヘーゲルの真意(meaning)を引き継いでいるように見える。というのは、その箴言は次のような見解(observation)のなかで使われているからである。課せられた課題の巨大さに威圧されて、人々は動くことができない、そしてついに(until)、
もどることがまったく不可能となり、状況そのものが次のように叫ぶ情勢が作られる。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ」
注 この指摘は『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』でマルクスがラテン語とドイツ語を併記していることを分析したものである。garbleには、伝言などを混乱して伝えるという意味がある。そこから、ごっちゃにする、歪曲するという意味も生じてくる。a garbled mixtureというのは、ヘーゲルが、ロドスを薔薇に、跳躍を踊れに、二つの言い替えをしたが、マルクスは、一方しか翻訳していないことを指したものである。
a garbled mixture of Hegel's two versionsが跳躍点となったとだけ述べて、記事の続きを読んでおこう。
and one is reminded of Marx's maxim in the Preface to the Critique of Political Economy:
"Mankind thus inevitably sets itself only such tasks as it is able to solve, since closer examination will always show that the problem itself arises only when the material conditions for its solution are already present or at least in the course of formation!."
そして、『経済学批判』序文のマルクスの定式の一つが思い出される。すなわち
人はつねに、解決できる課題だけを提起する。というのは、くわしく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的な条件が、すでに存在しているか、少なくとも形成の過程にあるときにだけ、生じることをつねに示すからである。
So Marx evidently supports Hegel's advice that we should not "teach the world what it ought to be", but he is giving a more active spin than Hegel would when he closes the Preface observing:
"For such a purpose philosophy at least always comes too late. ...
The owl of Minerva, takes its flight only when the shades of night are gathering."
マルクスは明らかにヘーゲルの「われわれは世界が何であるべきかを教えるべきでない」という忠告を受け継いでいる。だがマルクスは、ヘーゲルが『法の哲学』の序文を次のように述べて閉じるときに示していた解釈より、もっと積極的な解釈(spin)を示している。
そのような目的のためには、哲学はいつも来るのが遅すぎるのである。……ミネルバの梟は、夜の影が集まってくるときにはじめて飛ぶのである。
Marx also uses the phrase, but with salta instead of saltus, but with more or less the meaning intended by Aesop in Chapter 5 of Capital.
マルクスはまた『資本論』第5章で、およそイソップによって意図された意味で、その箴言(saltusの代わりにsaltaを用いたもの)を使っている。
注 私の考えでは、マルクスは使っていない。
以上が、Hic Rhodus, hic saltus!の全文である。これから、私の考えを述べていくことにしよう。
3 ヘーゲルの薔薇
あるのは次の三つの箴言である。この関係をどのように捉えるかである。Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)
Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)
Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)
まず、Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)とHier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)の関係をみておこう。
ヘーゲルは『法の哲学』(藤野渉訳)の序文で、次のように述べている。
Ἰδοὺ Ρόδος, ἰδοὺ χαὶ τὸ πήδημα.
Hic Rhodus, hic saltus.
〔ここがロドスだ、ここで跳べ〕
存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。なんらかの哲学がその現在の世界を越え出るのだと思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外へ出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである。その個人の理論が実際にその時代を越え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界をしつらえるとすれば、このあるべき世界はなるほど存在しているけれども、たんに彼が思うことのなかにでしかない。つまりそれは、どんな好き勝手なことでも想像できる柔軟で軟弱な領域のうちにしか、存在していない。
さっきの慣用句は少し変えればこう聞こえるであろう――
ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。
自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性との間にあるもの――まえのほうの理性をあとのほうの理性とわかち、後者のうちに満足を見いだせないものは、まだ概念にまで解放されていない抽象的なものの枷である。
理性を現在の十字架における薔薇として認識し、それによって現在をよろこぶこと。この理性的な洞察こそ、哲学が人々に得させる現実との和解である、―― いったん彼らに、概念において把握しようとする内的な要求が生じたならば。
ヘーゲルは「ここがロドスだ、ここで跳べ」の直後に、「存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。」と続けている。このことから、ヘーゲルがこの箴言に読み込んでいるのは「哲学の課題」であり、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことであると捉えるのが妥当だろう。
ヘーゲルはイソップの物語を知らなかったわけではないだろう。しかし、ここではその物語は捨象され、Hic Rhodus, hic saltus!だけがとり出されていることに注意しなければならない。そしてヘーゲルは「ロドス」と「跳ぶ」に特異な解釈をしている。イソップでは、ロドス島のなかの運動場とそこでおこなわれた走り幅跳びの「跳ぶ」が問題になっている。これに対して、ヘーゲルは、まずロドス島全体とその「跳ぶ」(「跳び越え」)を問題にしている。そして、その「跳び越えて外へ出る」ことが不可能なことをイメージさせることによって、哲学が時代を越え現在の世界を越え出ると考えるのは、妄想であり愚かであると指摘する。そしてそのような考え方を排除すると同時に、「跳ぶ」をロドスの内部に制限するのである。このように、ヘーゲルは、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことを表現するものとしてHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を取り上げているのである。
ヘーゲルのHic Rhodus, hic saltus!は、端的にいえば、現実(ロドス)で、哲学せよ(跳べ)という意味である。そしてこのように変位された「ロドス」と「跳べ」に対して、言い替えが行われる。
Rhodus ―― Rose
saltus ―― tanze
言い替えをしたのは、哲学の課題の端的な表現としてHic Rhodus, hic saltus!を取り上げたが、それはあまりにもイソップの物語と違っている。そのために同じ内容をヘーゲル独自の表象で表わす必要を感じたからだろう。
「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。」
これには次のような注が付いている。 「ギリシア語のロドス(島の名)をロドン(ばらの花)、ラテン語の saltus(跳べ)をsalta(踊れ)に「すこし変え」たしゃれ。ヘーゲルはここにギリシア語もラテン語も記してはいないが。」
いま改めてこの注を見ていると、おかしなことに気づく。ヘーゲルはラテン語の saltus(跳べ)をドイツ語の tanze(踊れ)に変えたのであって、salta(踊れ)に変えたのではない。ヘーゲルはギリシア語もラテン語も記してはいないのである。さかのぼって言えば、英文の記事(punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative].)も厳密にいえば正しくないのである。
ちなみに、ギリシア語で、ロドス(島の名)はΡοδοςである。これをローマ字表記したのがRhodosである。また、ロドン(ばらの花)はροδονで、ローマ字表記がrhodonである。
「十字架における薔薇」には次のような注が付いている。
十字架は苦しみ、ばらは喜びのしるし。『宗教哲学』でも「現在の十字架のうちにばらをつむためには、おのれ自身に十字架を負わなくてはならない」と述べている。別のところでヘーゲルは「ばら十字架会の周知のシンボル」と記しているから、十七、八世紀ごろの神秘主義的な秘密結社「ロ-ゼンクロイツァー」Rosenkreuzerのシンボルからの示唆かと思われるが、メッツケによると、ルターの楯紋様が白いばらで取り囲まれた一つの心臓のまんなかに黒い十字架を描き、題銘に「キリスト者の心は十字架のまなかにあるときばらの花に向かう」とあるのを連想し、ルターにおいてはキリスト信仰の純粋な表現であったものがヘーゲルでは理性信仰になり、現実のもろもろの対立分裂のなかにおける和解の力としての理性のシンボルになるという。
メッツケの解釈が正しいと思う。ロドス(島の名)をロドン(ばらの花)に変えるとき、ルター(の紋章「薔薇と十字架」)への同調があったのである。これはもっと強調されてよいと思う。
「現に存在している現実としての理性」は「十字架における薔薇」といいかえられる。
十字架は現実、薔薇は理性と対応している。「十字架における薔薇」は、「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である。」(What is rational is real; what is real is rational.)というヘーゲルの基本的な思想を象徴しているのである。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ」を省略しないで表現すると「ここに十字架における薔薇がある、ここで踊れ」である。ヘーゲルの薔薇は十字架における薔薇である。そして、理性を現在の十字架における薔薇として認識するとは、理性的なものを現実的なもののうちにおいてのみ把握するということである。
ヘーゲルはイソップのHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を解釈して、次のように要約した。
ロドス(現実)で、跳べ(哲学せよ)。
Hier ist die Rose, hier tanze!も同じように、
薔薇(現実)がある、踊れ(哲学せよ)。 である。
しかし、薔薇の方が、内に秘められている理性と現実の関係が見やすくなっていて、美しく深みのある箴言になっているように思える。
4 マルクスのロドス
こんどは、Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)とHic Rhodus, hic salta!(マルクス)の関係についてみていこう。マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳)で次のように述べている。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
Hic Rhodus, hic salta!
Hier ist die Rose, hier tanze!
記事は、マルクスがラテン語とドイツ語を併記しているのを、ありえないが、まるで翻訳のようだと述べていた。私は次のように読み替える。
as if it were a translation(まるで翻訳)を it was a translation(翻訳)に、
it cannot be (ありえない)をit can be(ありえる)に。
ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を翻訳したものとして、Hic Rhodus, hic salta!を捉える。つまり、saltaはtanzeの訳で「踊れ」である。そしてRhodusはギリシア語でもラテン語でもあり得ないが、Roseの訳で「薔薇」である。ありえないはずの翻訳がありえたと想定する。Rhodusは、当時でも現代でも「ロドス」という島を指すが、saltaと初めて結びついたRhodusは、島の名前ではなく、薔薇なのである。マルクスはラテン語とドイツ語で、同じ一つのことを言ったのである。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」と。マルクスの頭の中では、RhodusはRoseなのである。マルクスはrhodonのつもりでRhodusと書いているのである。
rhodonはギリシア語の薔薇ροδονのローマ字表記である。ドイツ語では名詞を大文字で始める。それゆえrhodonではなく、Rhodon。ロドスの古名Rhodosなら一字違い、Rhodusなら二字違いである。it can be(ありえる)である。
マルクスは Hier ist die Rose, hier tanze!(ここに薔薇がある、ここで踊れ!)をラテン語に翻訳しただけである。ラテン語の表現もドイツ語の表現も、英語の表現でいえば、Here is the rose, here dance!と言っているだけなのである。Hic Rhodus, hic salta!は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を書いているマルクスの頭の中では、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」とか、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という意味をもっていない。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。
なぜドイツ語の提示だけでなくラテン語に訳しそれを先に提示したのかといえば、それはヘーゲルの「法哲学」ではなく、「ヘーゲル法哲学批判」の立場を鮮明にしたかったからである。いいかえれば「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」の精神を、ミネルバの梟ではなくガリヤの雄鶏に、夕暮れではなく明け方に、和解ではなく挑戦において継承しようとする意志を表していると考えられるのである。ヘーゲルを継承しその先へ行くという姿勢を表しているのである。記事がいうa more active spin(もっと積極的な解釈)である。
ヘーゲルが「存在するところのものは理性である」と見たのに対して、マルクスは「存在するところのものは理性を実現していない」と見たのである。マルクスは「世界が何であるか(what is)」を把握するだけでなく、「世界が何であるべきか(what it ought to be)」を展開しようとしたのである。
Hic Rhodus, hic salta!というラテン語を正確に訳せば、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。しかし、マルクスはその意味の表現を意図したのではなく、あくまでも、Hier ist die Rose, hier tanze!の翻訳として提起したのである。もちろん、それはマルクスの内部においてだけ成立する。そしてマルクスは生涯にわたって、この間違いに気づかないのである。Hic Rhodus, hic salta!は、マルクスにとって、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。
しかし、マルクスの表現したHic Rhodus, hic salta!を他の人が読むと、薔薇の花はたちまちロドス島に変わることになる。薔薇がロドスに変わったあと、二つの読まれ方をすることになる。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と「ここがロドスだ、ここで跳べ!」である。
最初は「ここがロドスだ、ここで踊れ!」の方だったろう。フォイエルバッハの『唯心論と唯物論』(桝田啓三郎訳)には次のようなところがある。
すなわち私とは、ここで考えるこの個人、ここでこの肉体のなかで、とりわけ汝の頭の外にあるこの頭の中で考えるこの個人のことなのである。単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」を正確にラテン語に翻訳すると、Hic Rhodus, hic salta!である。フォイエルバッハはマルクスの作ったラテン語の箴言を引用していると思われる。
「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」には訳注がついていて、Hic Rhodus, hic salta!への言及がある。
アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。(最初が大文字ではなく小文字になっているのは訳注にある通りで、引用の間違いではない。)
この訳注には「跳ぶ」と「踊る」が混在している。「ここがロドスだと思って跳んでみせろ」の直後に、「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。Hic Rhodus, hic salta!が掻き乱しているのである。
桝田啓三郎はHic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで踊れ!)が格言として伝えられたと述べているが、これは誤解である。格言として伝承されてきたのは、Hic Rhodus, hic saltus!の方である。そして、Hic Rhodus, hic salta!は1852年に、マルクスによって作られたばかりの表現なのである。
注の後半に、「ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである」(二つの「ここ」・「この」には強調の傍点がある)とある。この指摘は正しいが、背景がまったく違っている。ヘーゲルのロドスは、Hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)ではなく、Hic Rhodus, hic saltus!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)である。
ちなみに、フォイエルバッハは『唯心論と唯物論』を書いていたのは1863年から1866年のあいだと解説にある。ここの引用は、『資本論』(1867年)ではなく『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(1852年)からのものであることがわかる。
このように、マルクスのHic Rhodus, hic salta!は、マルクスの頭の外にある個人の頭の中では、違った意味に捉えられるのである。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」が最初に現れた例である。
「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は、ラテン語の意味としては正しい翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップの物語とはまったく切断されていて、歴史的にも文化的にも孤立した表現であるというべきだろう。
5 ロドスの下向と上向
最後に、Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)とHic Rhodus, hic saltus!(イソップ)の関係をみることにする。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』にもどって、確認しておこう。先の引用はあえて、ラテン語の表現とドイツ語の表現に注釈を付けなかった。実際は、次のようになっているのである。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここでとべ!)
Hier ist die Rose, hier tanze!(ここにバラがある、ここでおどれ!)
このように、19世紀のドイツで表現されたものが、時代を越え、国を越えて、20世紀の日本にまで来ると、マルクスが同じ一つのことを言っているのではなく、イソップとヘーゲルの二つを併置していると捉えられるようになるのである。
確認しよう。ここには、次のような注が付いている。
はじめの行のラテン語、ここがロドスだ、ここでとべ、はイソップ寓話の一つ(岩波文痺『アイソーボス寓話』第五一話)に由来する。「ロドス島のとびくらべでものすごくとんだ、ちゃんと証人がいる」といってほらを吹く人に、「証人なんかいりゃしない、ここがロドス島だ、ここでとんでみろ」という話である。すなわち、ここで実践してみせろの意。ところでつぎのドイツ語、ここにバラがある、ここでおどれは、ロドス島がロドンすなわちバラに由来した名でバラの花で有名な島であることから、ロドスにバラをひっかけたしゃれであって、ヘーゲルは『法律哲学』の序文で「ここがロドスだ、ここでとべ」をこう言いかえることができるといっている。マルクスはここでこのヘーゲルの文章を思い出して、前の句にこれをつけたのである。
Hic Rhodus, hic salta! の「salta」が「跳べ」と読まれるようになったのは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではなく、『資本論』だっただろう。そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』は当時、マルクスの周辺の人が読んだだけで、ほとんど読まれていないと言っていい。しかし、『資本論』は多くの人に読まれたのである。
『資本論』には、Hic Rhodus, hic salta!だけが書いてある。そして、次のような注釈がついている。「ここがロドスだ、さあ跳べ!」(向坂逸郎、岩波文庫)、「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(大内兵衛・細川嘉六、大月書店)。ここに初めて、二番目の読み方が登場したのである。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』では無理だったろう。そこには二本の薔薇が並んでいた。『資本論』において、ヘーゲルの薔薇Roseと切り離され、単独でマルクスの薔薇Rhodusとして提起されて初めて、saltaは「跳ぶ」可能性をもったのである。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではsaltaは「踊る」のままで、「跳ぶ」兆候はないのである。
『資本論』のHic Rhodus, hic salta!も『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と同じである。これはマルクスの頭の中では、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。マルクスの内部では、これは積極的になったHier ist die Rose, hier tanze! である。Rhodusはマルクスの薔薇なのである。しかし、いったんマルクスから離れ、多くの人に読まれ始めると、Rhodusはロドス島とみえ、Hic Rhodus, hic saltus!と結びつく可能性が生まれたのである。そして、実際、saltaは、命がけの跳躍(salto mortale)をして、saltusになったのである。いいかえれば、saltaは「跳ぶ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」はマルクスが作ったのではない。マルクスの頭の外で作られたのである。命がけの跳躍(salto mortale)はマルクスの頭の外で起こったのである。いいかえれば、マルクス主義の運動が作り出したのである。ラテン語には精通していないが、イソップの物語はよく知っている人たちが多くいたのである。
それはマルクスの精神を否定するものではなく、マルクスの精神をより積極的に表現したのである。マルクスが、ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!をラテン語に翻訳したのは、ヘーゲルの精神を積極的にとらえ直すことにあった。このときマルクスは誤ってHic Rhodus, hic salta!と書いた。こんどは、正しい「踊る」saltaが「跳ぶ」saltusと誤って読まれ、Hic Rhodus, hic saltus!と重なることによって、このマルクスの精神は、さらに積極的に捉えられるようになったのである。
マルクスの精神はマルクスの頭の外で補完され実現されたのである。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
初めに『資本論』である。そこでsaltaが「跳ぶ」に変わった。次に『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が読まれるようになって、二本の薔薇が、ロドスと薔薇に分かれる。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(イソップ)と「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」(ヘーゲル)が併置されていると解釈されるようになったのである。
私の学生時代は1970年代前半だが、Hic Rhodus, hic salta!は、もっぱら「ここがロドスだ、ここで跳べ!」であった。『唯心論と唯物論』も読んだが、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は目に入らなかった。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠男を読むまでまったく自覚することはなかったのである。
堀江忠男はHic Rhodus, hic salta!の成立過程を次のように捉えていた。(『弁証法経済学批判』参照)
「Hic Rhodus, hic saltus!」(ここがロドスだ、ここで跳べ!)。Hier ist die Rose, hier tanze!(これが薔薇だ、ここで踊れ!)をラテン語に直した「Hic rodon, hic salta! 」。マルクスはこの二つを知っていて、前半Hic Rhodusと後半hic salta!を結びつけて、Hic Rhodus, hic salta!と書いた。それゆえ、これは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく「ここがロドスだ、ここで踊れ!」
そして、その考えを自然なものにするために、古代ギリシアまでさかのぼって、イソップの話を書き替えたのである。
余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。
しかし、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。踊るのは、薔薇。跳ぶのはロドスである。しかしマルクスの書いているラテン語は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。堀江とは違った成立過程を提示しなければならないと思った。
イソップのHic Rhodus, hic saltus!が、ヘーゲルによって独特な解釈をされ、Hier ist die Rose, hier tanze!なった過程をRhodusの下向ということにしよう。そして、ヘーゲルの薔薇が誤って翻訳され、ふたたびRhodusになり、Hic Rhodus, hic salta!になった過程を、Rhodusの上向としよう。
ヘーゲルによる下向。イソップのロドスRhodusは、現実と置き換えられ、薔薇Roseとなる。他方、跳躍saltusは、存在するものを把握する(「to apprehend what is 」)行為として、踊れ tanzeになった。
マルクスによる上向。ヘーゲルの薔薇は誤ってラテン語に翻訳されロドスRhodusとなる。他方、踊るtanzeは正確に翻訳されてsaltaとなったが、このとき踊るsaltaは、「和解」ではなく「挑戦」の色彩を帯びるようになった。
そしてHic Rhodus, hic salta!はロドスRhodusを支点にして、Hic Rhodus, hic saltus!と関連するようになった。そして、Rhodusは、「薔薇」から「ロドス」に変わり、saltaは「踊れ」から「跳べ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、一つの与えられた課題(task)に挑戦する人(自分でも他人でも)を鼓舞する箴言として把握されるようになっている。
これはイソップのHic Rhodus, hic saltus!(主張と行為)ともヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!(現実と哲学)とも違っている。しかし、「踊る」saltaが「跳べ」と解釈されることによって、両者を複合した意味をもつようになったのである。
「主張と行為」の関係の中に「現実と哲学」の関係が入り込み、また「現実と哲学」の中に「主張と行為」が入り込んで、両者が「課題と挑戦」を構成している。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、ラテン語の意味としては誤った翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップのHic Rhodus, hic saltus!とヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を止揚していて、歴史的にも文化的にも連帯している表現なのである。
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。saltaの意味が振れる原因を、Rhodusと saltaの奇妙な結合に見出し、ロドスの下向と上向という過程が19世紀に起きたと想定することによって、Rhodusと saltaの謎を解こうとしたのである。
以前(「踊るのか、跳ぶのか。」)は、肯定的理性・「to be」(このままでいい)と否定的理性・「not to be」(このままではいけない)を「踊る」と「跳ぶ」で区別していた。
「踊る」 ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」 ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
いまは、「踊る」で区別できる。「踊る」のドイツ語表記tanzeとラテン語表記saltaである。
「踊る」tanze(和解) ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「踊る」salta(挑戦) ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
日本語の「踊る」に着目すれば、「踊るのか、跳ぶのか。」では、肯定的理性・「to be」だけに限定されていた「踊る」は、いまはすべて(肯定的理性・「to be」と否定的理性・「not to be」)を含むようになっている。「踊る」の拡張が、以前との大きな違いである。
ロドスでは踊らない。なぜならマルクスのHic Rhodus, hic salta!は、積極的になったHier ist die Rose, hier tanze!だからである。ロドスとは関係ないのである。
踊るのは薔薇。これはヘーゲルとマルクスが共有する認識である。Hier ist die Rose, hier tanze!とHic rhodon, hic salta! 。これはHic Rhodus, hic salta!の基礎である。
跳ぶのはロドス。Hic Rhodus, hic salta!が多くの人に読まれはじめると、Rhodusを支点にHic Rhodus, hic saltus!と関連して、saltaは踊るから跳ぶに変わったのである。
「踊る」tanze ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」salta ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。揺れるのは、 Rhodusとsaltaの奇妙な結合に由来している。a garbled mixture of Hegel's two versions ―― Hic Rhodus, hic salta!。
あと一つ指摘して終わろう。
マルクスが『資本論』の第1巻を仕上げようとしていたころ、ドイツの知識人たちは、ヘーゲルを「死せる犬」として取り扱っていた。これに対して、マルクスは、次のように述べている。
「それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚を呈しさえしたのである。」
これを集約した表現が Hic Rhodus, hic salta! である。いまでは世界中で、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と読まれているが、マルクスが書いているのは、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。
(了)
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