筋力低下の難病を患う女性が独学で論文を読みあさり「オリンピック陸上銅メダリストと自身に共通する遺伝子変異」を発見するまでの物語
病気を患っている人々は自然とその病気について詳しくなりがちですが、さすがに科学論文まで読みあさって専門知識を蓄える人はそれほど多くはいません。しかし、アメリカに住むジル・ヴァイルズという女性は、自らも筋力が低下して歩行すら困難になる難病を患いながら独学で科学論文を読みあさり、「オリンピック銅メダリストと自身に共通する遺伝子変異」を発見したとのことです。
The DIY Scientist, the Olympian, and the Mutated Gene — ProPublica
https://www.propublica.org/article/muscular-dystrophy-patient-olympic-medalist-same-genetic-mutation
1974年に生まれたヴァイルズ氏は幼少の頃から体が非常に細く、3歳の頃には体を支えきれずにトイレにはまったり、頻繁に転んだりしたとのこと。ヴァイルズ氏の父親も足が非常に細く、子どもの頃によく転んだ経験があったそうですが、ヴァイルズ氏の状態ははるかに顕著でした。しかし、医師はヴァイルズ一家に筋力低下を引き起こす何らかの筋ジストロフィーがあるのではないかと考えたものの、一体どのようなタイプの筋ジストロフィーなのかは判断できませんでした。
成長するに従ってヴァイルズ氏が転ぶことは少なくなり、身長も他の子どもたちと同じ程度にまで伸びましたが、手足の脂肪がなく非常に細い体つきになりました。当時は毎年夏に医師の診察を受けていましたが、結局医師は原因を特定することができなかったとのこと。それでも、12歳頃まではヴァイルズ氏も他の子どもたちと同じように遊ぶことができたそうです。しかし、ついに12歳の時に筋肉がうまく機能しなくなり、自転車に乗ったりローラースケートを履いてバランスを取ったりできなくなってしまいました。
以下は、11歳のヴァイルズ氏を撮影した写真です。手足が非常に細長く、脂肪や筋肉がほとんど付いていないことがわかります。
大学進学時のヴァイルズ氏は身長が約160cmほどになっていましたが、依然として手足は細く、体重は最大でも40kgほどにしかなりませんでした。大学では授業より多くの時間を大学図書館で過ごし、週に25時間は筋肉疾患についての教科書や科学雑誌を読みあさりました。すると、「エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー」という病気についての論文の中に、「自分の父親とよく似た腕の写真」を見つけたとのこと。ヴァイルズ氏の父親は足が非常に細かったものの前腕には筋肉がしっかり付いており、幼いヴァイルズ氏は「ポパイの腕」と呼んでいましたが、これはエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー患者によく見られる特徴です。
また、論文はエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー患者の特徴として、あごを胸に当てたり、かかとを床に触れたり、ひじをまっすぐ伸ばしたりできない関節拘縮という状態についても説明していました。これらの特徴はいずれもヴァイルズ氏自身に当てはまるほか、さらに論文ではエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー患者が心臓病も発症しやすいことが記されていたため、もっと調べる必要があると感じたヴァイルズ氏は論文や医学書を家に持ち帰ったとのこと。
家族を怖がらせたくなかったヴァイルズ氏は人のいる場所で論文を読みませんでしたが、ある日ヴァイルズ氏が台所でポップコーンを調理していた隙に、父親が論文を読んでしまったそうです。父親は、自分もエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー患者の特徴がすべて当てはまる上に、数年前に医者から心臓に不整脈があることを指摘されていたと打ち明けました。当時の医者は、不整脈の原因がウイルスだろうと述べていましたが、ヴァイルズ氏は父親の不整脈がエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーによるものだと確信し、心臓専門医をなんとか説得して診察を依頼しました。
心臓の活動を1日にわたり追跡した結果、父親の心拍数は1分間で20台にまで落ち込むことがあることが判明し、すぐにペースメーカーを埋め込む手術が行われました。ヴァイルズ氏の母親であるメアリーさんは、「ジルは父親の命を救いました。彼女がいなかったらどうやってこれを知ることができたでしょう?」と述べています。
しかし、依然として心臓専門医はヴァイルズ氏の家系がエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーを持っているとは確認できず、ヴァイルズ氏が独自の調査結果を手に神経科医に連絡しても、信じてもらえませんでした。ヴァイルズ氏によると、神経科医は「いいえ、あなたはエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーを持っていません」と厳しく言い放ち、書類を見ることを拒否したとのこと。当時、ほとんどの医師はエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーが男性にのみ発症すると考えていた上に、まだ10代だったヴァイルズ氏の自己申告という点も信頼性を得る上で障害となりました。
それでも諦めなかったヴァイルズ氏は、エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーについて調べるイタリアの研究チームに対し、自分の体の写真を添付して手紙を送りました。研究チームはエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーの家系を見つけるのに苦戦していたため、即座に家族全員のDNAまたは血液を送ってもらえないかと連絡してきたとのこと。ヴァイルズ氏は看護師の友人に頼んで採血キットを入手し、イタリアに送付しました。
1990年代の検査技術では遺伝子分析にとても時間がかかりましたが、4年後の1999年にようやく回答がありました。その結果、エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーの家系にはいずれもLMNA遺伝子(ラミン遺伝子)に遺伝子変異があり、ヴァイルズ氏の一家にも同様にラミン遺伝子の変異が認められました。研究チームはこの結果を基に、エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーがラミン遺伝子の変異によるものであるとする論文を発表。論文の最後には、研究に協力してくれたヴァイルズ氏(当時の姓はDopf)への感謝がつづられています。
その後、ヴァイルズ氏はジョンズ・ホプキンズ大学のインターンシップに招かれ、科学雑誌を調査してラミン遺伝子に関連する可能性を持つ病気を探す仕事を割り当てられました。その中でヴァイルズ氏は、「脂肪異栄養症(脂肪萎縮症)」という非常にまれな病気の症状が、自分や家族にも当てはまることを見つけました。脂肪異栄養症とは、栄養状態にかかわらず全身または手足の脂肪が消失するというもので、発症者の手足は静脈や筋肉が浮き出て非常によく目立ちます。
ヴァイルズ氏はジョンズ・ホプキンズ大学の会議に出席し、自分自身や家族も手足の脂肪が非常に薄く、脂肪異栄養症の可能性があると説明しました。しかし、エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーだけでもおそらく100万人に1人未満の発症率である上に、脂肪異栄養症はそれ以上にまれな病気であるため、医師らはヴァイルズ氏の主張を信じなかったとのこと。当時のヴァイルズ氏も専門家を信頼していたため、この説は取り下げることにしました。
後に医学文献の読み過ぎでストレスを抱えたヴァイルズ氏は、医学の研究からは離れることに決め、コミュニティカレッジでライティング指導の職を得て働き始めました。やがてジェレミー・ヴァイルズ氏という男性と結婚し、息子も生まれましたが、出産後に歩行能力を失ったため電動スクーターでの生活になりました。なお、ヴァイルズ氏の父親も同時期に歩行能力を失い、63歳で亡くなったとのこと。
父親の葬儀を終えた数日後に、ヴァイルズ氏は妹からGoogle画像検索でヒットした写真を見せられました。妹は昔から腕の筋肉がはっきり見えることを気にしており、数年前にヴァイルズ氏は「それは脂肪異栄養症かもしれないが、ジョンズ・ホプキンズ大学の医師から否定された」と伝えていましたが、その後も妹は脂肪異栄養症について気にしていたとのこと。妹がヴァイルズ氏に見せたのは、カナダの陸上短距離走選手であり、2008年の北京オリンピック女子100mハードル走の銅メダリストであるプリシラ・ロペス=シュリエプ氏の写真でした。
以下の写真は、ロペス=シュリエプ氏(左)とヴァイルズ氏(右)の体を比較したもの。筋肉の付き具合からは関連性を想像するのは困難ですが、ヴァイルズ氏はGoogle画像検索を駆使してさまざまなロペス=シュリエプ氏の写真を調べた結果、確かにロペス=シュリエプ氏と自分たちの家族は同じ遺伝子変異を持っていると確信したとのこと。そして、ロペス=シュリエプ氏がこれほどの筋肉を持ち、ヴァイルズ氏がほとんど筋肉を持たないのは、ロペス=シュリエプ氏の体が何らかの方法で筋ジストロフィーを回避しているからではないかと考えました。
しかし、ヴァイルズ氏はロペス=シュリエプ氏と接触する手段を持たなかったため、手を打つことができないまま1年間が過ぎました。そんなある日、テレビでアスリートの遺伝子について語るジャーナリストのデイヴィッド・エプスタイン氏を見たことで、ヴァイルズ氏は「自分とロペス=シュリエプ氏の間には共通する遺伝子変異があり、何らかの要因が『筋ジストロフィー患者』と『陸上銅メダリスト』の違いを生み出した可能性がある」という調査結果をレポートにまとめ、エプスタイン氏に送付しました。
当初は半信半疑だったエプスタイン氏ですが、レポートを読むうちにヴァイルズ氏が非常に優れた科学知識と理論を持っていることに気づき、Twitterでつながっていたロペス=シュリエプ氏のエージェントに連絡しました。ロペス=シュリエプ氏はあまりに筋肉が付いているため、一部のメディアから「ステロイドを服用しているのではないか」と疑惑をかけられるほどであり、エージェントはこれが本当なら疑惑を晴らせるかもしれないと考えたとのこと。
ロペス=シュリエプ氏も、最初は「アイオワ州に住む筋ジストロフィーの女性が、あなたと同じ遺伝子変異を持っている」と伝えられて困惑していましたが、電話で話したりヴァイルズ氏のレポートを読んだりするうちに信頼を持つようになりました。特にロペス=シュリエプ氏が心を引かれたのは、レポートに記されていた「子どもの頃に足の静脈が浮き出ていて同級生にからかわれた」というエピソードであり、ロペス=シュリエプ氏もまったく同じ経験をしたことがあったそうです。
そしてエプスタイン氏の紹介から8カ月後、とうとうヴァイルズ氏とロペス=シュリエプ氏は面会しました。その時のことを回想したヴァイルズ氏は、「なんてこと、まるで家族に会うみたいだ」と思ったと述べています。ロペス=シュリエプ氏も同様の感想を抱いたそうで、「それは本当にすごい瞬間でした」と述べています。2人はすぐに廊下の隅へ行って体の一部を見せ合うなどして打ち解け、ヴァイルズ氏はロペス=シュリエプ氏に小切手を渡し、それで遺伝子検査を受けるように訴えました。
ロペス=シュリエプ氏は複数の医師に遺伝子検査を断られた後、脂肪異栄養症の第一人者であるテキサス大学サウスウェスタン・メディカル・センターのAbhimanyu Garg博士にアプローチし、遺伝子と脂肪異栄養症の検査を行ってもらうことになりました。その結果、ロペス=シュリエプ氏は確かに脂肪異栄養症であり、ヴァイルズ氏と同じラミン遺伝子の変異を持っていることが判明。しかし、ロペス=シュリエプ氏の遺伝子変異がある場所はヴァイルズ氏とわずかに異なっており、その差によってヴァイルズ氏にはほとんど筋肉が付かず、ロペス=シュリエプ氏には素晴らしい筋肉が付いたというわけです。
また、ロペス=シュリエプ氏は脂肪異栄養症のため、血中脂肪が通常の3倍のレベルに達していることが発覚し、すぐに入院して治療を受けることになりました。結果的にロペス=シュリエプ氏は危ういところを救われたことになり、ヴァイルズ氏に電話して感謝を伝えたとのことです。Garg博士は、「患者が自分の病気についてもっと学ぼうとすることは理解できます。しかし、他の誰かに手を差し伸べ、彼らの問題も解決することは驚くべき偉業です」とコメントしました。
ヴァイルズ氏は、引き続きロペス=シュリエプ氏と自分を分けた要因について興味を持っており、科学文献を読みあさっていたところ、フランスのエティエンヌ・レファイ氏という分子生物学者の研究に目を留めました。レファイ氏の研究はSREBP1という脂肪貯蔵を調節するタンパク質についてのものであり、細胞内にSREBP1が蓄積すると極度の筋萎縮または極端な筋肉成長につながることを発見しました。
この研究結果に興味を持ったヴァイルズ氏はレファイ氏に短い質問のメールを送り、レファイ氏は他の研究者か博士課程学生からのメールだろうと考えて返信しました。その後、ヴァイルズ氏は自身がエメリー・ドレイフス型筋ジストロフィーを持っていること、ロペス=シュリエプ氏と同じラミン遺伝子の変異があり、共に脂肪異栄養症を持っていることなどを説明。そして、「SREBP1はラミン遺伝子と相互作用するのではないか?」という考えを伝えたそうです。
レファイ氏は「ええ、これは私の側に反省を引き起こす素晴らしい質問でした。なぜなら、ヴァイルズ氏が連絡をくれるまで、私は遺伝性疾患の分野で何ができるのか、まったく知らなかったからです。今、私はチームの進路を変えました」とコメント。ヴァイルズ氏の連絡後、レファイ氏はラミン遺伝子によって作られるラミンタンパク質がSREBP1と相互作用することを発見し、ラミン遺伝子の変異がSREBP1の働きや筋肉減少に与える影響について研究を進めています。
なお、ヴァイルズ氏は家族との時間を大事にしたいため、医学研究からは手を引くとエプスタイン氏に語っています。しかし、ヴァイルズ氏の母親やレファイ氏は、いずれヴァイルズ氏が医学研究を再開するだろうと考えており、エプスタイン氏もそう思っているとのことです。
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