2023年1月27日金曜日

「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも」万葉集 巻六 九九八

 アマテラスの墓が徳島に!?/榊正志さんに聞く02

https://youtu.be/hNM8zmYfp9o

5:30


「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも」万葉集 巻六 九九八


(訳)眉のように雲居はるかに横たわる阿波(あわ)の山、その山を目指して漕いで行く舟は、さて今夜、どこに泊まることやら。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)




ツクヨミ            



イザナミ高越山      スサノオ八人塚古墳 

万葉歌碑を訪ねて(その1951)―徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近く―万葉集 巻六 九九八 - 万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑を訪ねて(その1951)―徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近く―万葉集 巻六 九九八

●歌は、「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも」である。

徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近くの万葉歌碑(船王)

●歌碑は、徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近くにある。

●歌をみていこう。

◆如眉 雲居尓所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛

       (船王 巻六 九九八)

≪書き下し≫眉(まよ)のごと雲居(くもゐ)に見ゆる阿波(あは)の山懸(か)けて漕(こ)ぐ舟泊(とま)り知らずも

(訳)眉のように雲居はるかに横たわる阿波(あわ)の山、その山を目指して漕いで行く舟は、さて今夜、どこに泊まることやら。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)眉のごと:眉のように横に長く。三五三一。(伊藤脚注)

(注)ごと【如】:①…のように。…のよう。▽連用形「ごとく」と同じ用法。②…のようだ。▽終止形「ごとし」と同じ用法。 ※参考 (1)活用語の連体形や、助詞「の」「が」に付く。(2)上代から中古末ごろまで和文系の文章に用いられた。⇒ごとし(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まゆ【眉】名詞:①まゆげ。細い三日月形のものをたとえていうこともある。②牛車(ぎつしや)の屋形の前後にある軒。▽張り出しているさまが「眉」に似るところから。 ⇒参考:「まよ」の変化した語。平安時代の女性は、成人後は眉を抜いたり剃(そ)ったりして、その跡に眉墨で細い三日月形の眉をかいた。(学研)

(注)阿波の山:四国徳島の山。西方遥かに見える山を阿波の山と見たもの。(伊藤脚注)

(注)かく【懸く・掛く】他動詞:目標にする。目ざす。(学研)

左注は、「右一首船王作」<右の一首は船王(ふなのおほきみ)が作>である。

(注)船王(ふなのおほきみ):舎人皇子の子。淳仁天皇の兄。(伊藤脚注)

 九九七から一〇〇二歌の題詞は、「春の三月に、難波の宮に幸(いでま)す時の歌六首」である。

(注)聖武天皇行幸。:天平六年(734年)三月十日出発、十九日帰京。(伊藤脚注)

 九九七から一〇〇二歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その793)」で紹介している。

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伊藤 博氏は脚注で「眉のごと:眉のように横に長く。三五三一。」と書かれている。この三五三一歌をみてみよう。

◆伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流

       (作者未詳 巻十四 三五三一)

≪書き下し≫妹(いも)をこそ相見(あひみ)に来(こ)しか眉引(まよび)きの横山(よこやま)辺(へ)ろの鹿猪(しし)なす思へる

(訳)俺は愛(う)いやつに逢いに来ただけなんだ。なのに、人のことを、あの子の眉(まゆ)でもあるまいが、横山あたりをうろつく鹿猪かなんぞのように思いおって。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まよびきの【眉引きの】分類枕詞:低い山の稜線(りようせん)が、眉墨(まゆずみ)で書いた眉の形に似ていることから「横山」にかかる。(学研)

 この歌は、娘の母親に毒づく男の歌である。(伊藤脚注)

三五三一歌の「まよびき(眉引き)」は、「眉墨(まゆずみ)でかいた眉。」のことである。上代語で、後には「まゆびき」といわれた。(学研)

 「眉を掻く」と想う人に逢えるという呪術的なことが万葉時代には信じられていたようである。「眉を掻く」と「眉引き」を詠った、大伴坂上郎女大伴家持の歌がある。これをみてみよう。家持十六歳の時の歌である。

題詞は、「同坂上郎女初月歌一首」<同じき坂上郎女が初月(みかづき)の歌一首>である。

◆月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨

       (大伴坂上郎女 巻六 九九三)

≪書き下し≫月立ちてただ三日月(みかづき)の眉根(まよね)掻(か)き日(け)長く恋ひし君に逢へるかも

(訳)月が替わってほんの三日目の月のような細い眉(まゆ)を掻きながら、長らく待ち焦がれていたあなたにとうとう逢うことができました。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三日月の眉:漢語「眉月」を踏まえる表現。三日月を詠題とする宴歌故の趣向であろう。(伊藤脚注)

(注)眉根掻く:眉がかゆいのは思う人に逢える前兆とされた。娘大嬢の気持ちを寓しているか。(伊藤脚注)

 家持の歌をみてみよう。

 題詞は、「大伴宿祢家持初月歌一首」<大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が初月(みかづき)の歌一首>である。

◆振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞

      (大伴家持 巻六 九九四)

≪書き下し≫振り放(さ)けて三日月(みかづき)見れば一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも

(訳)遠く振り仰いで三日月を見ると 一目見たあの人の眉根がしきりに思われます。(同上)

(注)まよびき【眉引き】名詞:眉墨(まゆずみ)でかいた眉。 ※後には「まゆびき」とも。上代語。(学研)

(注)三句以下、坂上大嬢への思いを寓しているか。(伊藤脚注)

 郎女ならびに家持の歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その7改、8改)」で紹介している。「眉根を掻く」といったような俗言についてはその8改でふれている。

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徳島県阿南市那賀川社会福祉会館」→眉山ロープウェイ山頂駅近く■

 眉山山頂公園の駐車場に到着。現地の案内地図と先達のブログの言語情報を照らし合わてパコダの南にある歌碑をめざす。結構な上り坂である。

眉山公園案内図」

天気は完全に回復している。ようやく辿り着く。山頂からの徳島市内の光景に癒されこれまでの疲れが吹っ飛ぶ。

徳島市内遠望

パゴダ

 歌碑は、パゴダちかくにある広場に立てられている。公園入口近くに「イノシシ注意」という看板があったが、歌碑がイノシシのように見えるので思わず笑ってしまった。

 「眉山」については、徳島県観光協会HP「徳島県観光情報サイト 阿波ナビ」で、徳島市のシンボル 眉山」として次の様に紹介されている。

 「徳島県の県庁所在地、徳島市の川といえば、もちろん大河『吉野川』。そして、山といえば『眉山』。『眉の如雲居に見ゆる阿波の山かけてこぐ舟泊知らずも』万葉の歌人“船王”によって万葉集にも詠まれた眉山は、どの方向から見ても『眉』の形をしていることから、眉の山『眉山』(びざん)と呼ばれ、古く万葉の昔から今に至るまで、徳島市のシンボルとして親しまれ続けています。・・・山頂は眉山公園として整備され、 さまざまな山頂施設もあります。」さらに、「眉山の山頂駅のすぐ上の広場にある『パゴダ』のすぐ近くには、眉山を歌った万葉集の歌碑もあります。」とも紹介されている。

徳島市のシンボル「眉山」(徳島県観光協会HP「徳島県観光情報サイト 阿波ナビ」)より引用させていただきました。

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『古代の恋愛生活』 万葉集の恋歌を読む」 (NHKブックス

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「徳島県観光情報サイト 阿波ナビ」 (徳島県観光協会HP)

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