(漫画)日本語とヘブライ語のとんでもない共通点を漫画にしてみた【都市伝説】
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嶋田英晴 著 — 性と持続性を維持するための手段として,すすんで厳格な宗教的儀式と戒律を遵守する ... 北のイスラエル王国とダビデ家の血統が統治する南のユダ王国に分裂した。
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ることが条件となっていた (19) 。 ダビデはエルサレムに神の契約の箱を運び込み, さらにそれを
安置する神殿を建設しようと望むが, その望みは彼の治世下では達成されなかった。 ダビデの後,
王位を継いだのは、 兄弟同士の熾烈な権力闘争を勝ち抜いたソロモンであった。 ソロモンは王位
に就くと神の 「契約の箱」 を安置する壮麗な神殿をエルサレムに建設し, その治世の下で古代イ
スラエル王国は繁栄を極めた。 しかし、 やがてソロモンは異教徒の女性を多く娶り,その影響で
異教の神や偶像崇拝に耽るようになった。 そして, ソロモンが没すると古代イスラエル王国は,
北のイスラエル王国とダビデ家の血統が統治する南のユダ王国に分裂した。
分裂後の北のイスラエル王国では,唯一神に立ち返るよう促す預言者達による警告にも拘らず,
王を始めとする国民によって唯一神が蔑ろにされ, やがて政情が不安定化した。 こうした中,ヤ
ハウェ信仰とバアル神信仰の対決を物語る (王上 17章) 以下において, 「残りの者」は迫害のた
だ中にありつつもヤハウェ信仰を貫いた人々を指しており, バアルにひざをかがめず, それにロ
づけしない「7千人」をヤハウェは 「残される」 (王上 19:18)とされた。しかし, イスラエルは
【歴史】謎の大嘗祭の秘儀 起源はユーラシア遊牧民か [すらいむ★]
開封市は、洛陽市から黄河の下流に170km離れた中原地方の東部に位置し、7代の王朝が都を構えた歴史的都市ですが、今では都市部の人口が52万人の地方都市です。都としての ...
ムー・スーパーミステリー・ブックス 失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎 電子版 2016年11月 version1.0発行 著者 飛鳥昭雄 三神たける
2018年10月18日に日本でレビュー済み
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物部氏はニギハヤヒ命の天孫降臨から始まる。 徐福と共に若狭湾に来て出雲王朝を作る。 2回目は佐賀県の吉野ヶ里にきて態勢を整えてヤマトに侵攻する。 ここで邪馬台国を創る。 一方ニニギノ命の天孫降臨から始まる応神天皇が辰韓,弁韓から大群の秦の遺臣を連れてくる。ニギハヤヒを奉じる長髄彦が抵抗する。最後には応神天皇に屈服する。 これらの遺臣は秦氏を名乗る。応神天皇は邪馬台国に入り婿して物部と秦は一体化して大和朝廷を開く。 ヤマトとはヘブライ語で神の民を意味する。 弓月国の近くにヤマトという国があった。 ユダヤ10氏族が創ったのではと推論されている。 徐福の日本遠征も不老不死の薬草捜しよりも日本の占領支配が目的ではなかったか。 紀元前に日本の実情は大陸で詳細に知られていたようである。 徐福は日本中に人員を派遣して地理、人口、動植物の状況を調査したようである。大量の秦人を移住させると同時に秦軍の侵略準備をしたと思われる。 秦氏は忍者の始まり集団でもある。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1643945183/
◆古代中国のユダヤ人
始皇帝陵考古チームの隊長、段清波陝西省考古学研究所研究員は、
この発見によって中国の中心部まで、2200年前のユーラシア西部の人間が
来ていたことが証明されたとし、シルクロードが盛んに用いられた漢時代以前から、
東西の行き来が盛んに行われていたことが判明したと語った。
王建新西北大学考古学科主任もまた、東西文化交流史上における重大な発見と述べた。
正直な話、採取したサンプルが少なすぎるのではっきりした事は言えないが
わずか15体の人骨からこれだけの数の西アジア人が見つかった以上、
実際にはかなり多くの西アジアが始皇帝に仕えていたと考えられる。
たとえ外国人であっても中国入りすると中国名で呼ばれ、
史書にも中国名で書かれるのが通例なので
実際には想像以上に多くの西アジア人が入り込んでいたものと思われる。
事実、古代中国に多くのユダヤ人が居住していた事は様々な証拠からわかっている。
ユダヤ教のラビ、マービン・トケイヤーは著書『ユダヤと日本 謎の古代史』において、
古くからシルクロードの商人はユダヤ人が占めてきていたと指摘。
「絹の貿易商人と絹を加工する職能技術者の全てはユダヤ人だった。
2500年前のことである」と述べている。
また、フランス人神父ゲオルゲ・プレボスは1926年に
『東漢』(後漢)時代の3つのヘブライ語石碑を洛陽で発見しており、
ここからもトケイヤーは「古代中国で紀元前三世紀から西暦三世紀にわたって存在した
漢王朝において、すでに中国各地にユダヤ人の居留地があった」と述べている。
◆青い目をしていた始皇帝
始皇帝もまた、呂不韋の実子であったとすればユダヤ人であった。
『史記』のなかで、兵法家であった尉繚は秦始皇帝の容貌をこう記している。
「秦王の人となりは、鼻が高くて蜂のような恰好、切れ長の目、
猛禽のように突き出た胸、豺のような声で、恩恵は少なくて虎狼のような心だ」
つまり始皇帝は、ユダヤ人を思わせる鷲鼻をしていたと言うのだ。
また別の資料に始皇帝は色目(西洋人のような色がついた眼)であるとも書かれており
碧眼だった可能性もある。
さらに父親の荘襄王も子楚と改名する前は「異人」という異様な名前であった。
そのように名付けられ父親からひどく嫌われたのは、母親が白人であり
父親とはあまりにも異なった容貌であったためであるという可能性もある。
実際に白人とアジア人の混血は昔からいた。
匈奴の活動範囲であったタリム盆地にある
新疆ウイグル自治区小河墓地の167の墓群からは
4000年前の中国最古のミイラが発掘されている。
吉林大学の科学者は2005年からこの墓地のミイラの遺伝子分析を開始。
ミイラの大部分がアジア人と西欧人の双方のDNAの特徴を備えていることを発見しており、
アジア人群は主に中国北方やバイカル湖地方のもの、西欧人群は欧州由来のものであるという。
遺伝子的に東西民族の混血が起きていたのだ。
兵馬俑の兵士たちも、クルド人やバクトリア人が混じっていた可能性が考えられる。
上は徐福=物部説
徐福は田中英道2022によれば第五派中の第三派。
第三派が若狭湾、西九州と2派に分かれるということか
三重県にも来ているから3波か
ジャンケンポン(隠して、準備して、来い)
ねぶたのラッセーラッセーラッセーラ(動かせ・動かせ・高きへ進め)
相撲のハッケヨーイノコッタ(投げつけよ、やっつけよ、打ち破れ)
古事記のアナニヤシ エヲトコヲ(私は結婚する素晴らしい男性と)
登山のヤッホー(神よ)
ヨイショ(神よ助けて)
天狗、カッパの様相も…
セム語系のアラム語、アムハラ語も調べたい
阿波踊りの意味や起源を考える | アテナの泉
https://ameblo.jp/ppap369/entry-12397810666.html
阿波踊りとは、古代神殿で巫女が行う、
神の創造行為を感じる
舞だったのではないか。
阿波踊りでは、「ヤットサー」という
掛け声を発するらしいが、
これを古代ヘブライ語で解釈すると、
「ヤットー(IYT`)」とは、
「ヤハウエ神、装わせ給えり」で、
「サー」は、「主権者」という意味、
「ヤット・サー」は、
「主であるヤハウエ神のお陰」という
感謝の意味をもつらしい。
だから、「ヤットサー」は、
「神様ありがとうございます」という感じ?
徳島・阿波おどり開幕 「ヤットサー」の掛け声響く
お店の中まで あ.ヤットサー
- to walk the streets lihiyōt yats’anīt לִהְיוֹת
arm (eyeglasses) [UK] yatsūl יָצוּל
- out of action yatsā miklāl pe’ulā יָצָא
会衆עֵדָה
出エジプト12:3
会衆
ydt
エド
江戸
川守田398
3 イスラエルの全会衆に告げて言え。 この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
https://www.biblegateway.com/passage/?search=שמות%2012&version=WLC
3 דַּבְּר֗וּ אֶֽל־כָּל־עֲדַ֤ת יִשְׂרָאֵל֙ לֵאמֹ֔ר בֶּעָשֹׂ֖ר לַחֹ֣דֶשׁ הַזֶּ֑ה וְיִקְח֣וּ לָהֶ֗ם אִ֛ישׁ שֶׂ֥ה לְבֵית־אָבֹ֖ת שֶׂ֥ה לַבָּֽיִת
דַּבְּר֗וּ אֶֽל־כָּל־עֲדַ֤ת
彼はすべての会衆に話しかけた
旧約 - 152 ページ
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1970 · スニペット表示
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わたしの苦しみと、わたしの手の労苦を神はご覧になって、昨日裁きを与えら手で神れ「この娘たちはわたしの娘たちだサハドゥタ」(アラム語で「証の石塚」)と呼び、ヤコブはそれを「ガル・
エド」(
ヘブライ語で「証の石塚」)と呼ん e だ。
創世記
31:
44 さあ、今、私とあなたと契約を結び、それを私とあなたとの間の証拠としよう。」 45 そこで、ヤコブは石を取り、これを立てて石の柱とした。
46 ヤコブは自分の一族に言った。「石を集めなさい。」そこで彼らは石を取り、石塚を作った。こうして彼らは石塚のそばで食事をした。 47 ラバンはそれをエガル・サハドタと名づけたが、ヤコブはこれを102ガルエデと名づけた。
102 あるいは「あかしの塚」
48 そしてラバンは言った。「この石塚は、きょう私とあなたとの間の証拠である。」それゆえ、その名はガルエデと呼ばれた。 49 またそれは103ミツパとも呼ばれた。彼がこう言ったからである。「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように。
103 「見張りをする」意の語根「ツァファ」の派生語
2017/9/27 -ファーストネームの「ガル」はヘブライ語で「波」、「ガドット」は「川岸」を意味するのだそう。妹のダナを抱いてニッコリするガル、幼少時代から実に ...
Gadot(ヘブライ語:גדות)はヘブライ語の姓の意味です 川岸. ... 「ワンダーウーマン」のスター、ガル・ガドット イスラエルで生まれた イスラエル国防軍の兵士として ...
ガル・ガドット. がるがどっと. 5843; 24. + チェックリスト. イスラエル出身の女優、プロデューサー、モデル。DCコミックのスーパーヒロイン・ワンダーウーマンを ...
未指定:意味
- 著者
- 桐原 健
- ジャンル
- 人文科学 > 歴史
- シリーズ
- UP考古学選書
- 発売日
- 1989/06/23
- ISBN
- 978-4-13-024110-6
- 判型・ページ数
- A5 ・ 136ページ
- 定価
- 1,980円(本体1,800円+税)
- 在庫
- 品切れ・重版未定
土を盛るのではなく、石を積み上げて作った積石塚古墳は、従来から朝鮮系渡来人のもたらした墳墓様式とされている。本書は、古代信濃王権が確立した地でもある善光寺平の積石塚群集地を舞台にして、渡来人と積石塚をめぐる興味深い謎の解明に挑む。
ヘブライ語から読み解く日本神話「あなにやし」「タカマガハラ」日本語とヘブライ語の共通点
https://youtu.be/Fv0rZSYd9Yk
ユダヤと日本の類似性
●ヘブライ語と日本語の類似
NEXT⇒契約の聖櫃(アーク)
(日本語)=(ヘブライ語)
カク=書く
トル=取る
スム=住む
ホレブ=滅ぶ
ハラー=祓う
ハケシュ=拍手
バレル=明らかになる
ダベル=おしゃべり
ハエル=輝く
ハラ=腹をたてる
コオル=凍る
カサ=傘
クモツ=捧げ物
ミツ=蜜
ナク=泣く
シャムショ=社務所
ヤッホー!=ヤッホー!(神様)
ヨイショ!=ヨイショ(神が助けてくださる)
ワッショイ!=ワッショイ(神が来た)
ハッケ ヨイ ノコッタ=ハッケ(撃て)ヨイ(やっつけろ)ノコッタ(打ち破れ)
ジャンケンポン!=ジャン(隠して)ケン(準備)ポン(来い)
ヤマト(大和)=ヤゥマト(神の民)
かんぬし(神主)=カムナシ(長)
ヤーレンソーラン=神が答えてくださった。見てください。[ハシゴ?]
みそぐ=ミソグ(聖別)
エッサホイサッサ
エッサ=エッサ(持ち上げる)
サアー!=サア!(出発)
アスカ(飛鳥)=ハスカー(住居)
ナラ(奈良)=川・・・奈良は川に囲まれている
ミヤ(宮)=ミヤ(神様のいる場所)
アリガトウ=アリ・ガト(幸運です)神への感謝の言葉
まったくそっくりな言葉が500ぐらい、類似性のあるものがこの10倍ほどあると云われる。
●古代のユダヤ語で解ける不可解な言葉
■祭囃子
エッサ=運ぶ
エンヤラヤー=我こそは神を誉め讃えまつらん(祇園祭)
ヤートコセ、ヨーイヤナ=ヤーウェがお越しになりました。用意は良いですか(播州の祭)
■相撲の掛け声
ハッケー=撃て
ヨイヨイ=やっつけろ
ノコッタ=あなたは敵を打ち破った
…
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シロというヘブライ語には 「神の器」という意味がある。
神社のことを古くから 「やしろ」 という。 この言葉はヘブライ語の 「ヤハシロ」に非常に似ている。 そして、この「ヤハシロ」の意味は、「ヤハウェの器」 「ヤハウェの斎場」。
日本古来の神仏は「イスラエルの神」21頁
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-Jesus-died-no-sin-
◆神道にみられるヘブライ語
Hebrew words used in Shinto rituals. Alleluia
●ハレルヤ=主に栄光ハレの日 ハレの門出 = 栄光を意味する
Hallelujah
tem
Ancient gods of Japan Spring
from the God of Israel
日本古来の神仏は「イスラエルの神」
Footprints of Ancient Israel all around the World~
~世界にある古代イスラエル人の足跡~
Koji Soma
Kobe Peace Research Institute
そま
こうじ
神戸平和研究所 仙浩二
聖書イザヤ書19章24節 Isaia 19:24
「イスラエルの神を信じるのは、 エジプトからアッシリアまで 」
Israel will be the third with Egypt and with Assyria, a blessing
in the midst of the earth;
21頁
この他にも神道では、ハレとケという言葉を使う。 ハレとは、めでたいことを意味する。「晴れ着」「ハレの
日」 などの言葉はそれに由来している。 それに対し、 ケという言葉は生活の日常態をいう。つまり、ハレは
めでたき非日常。 ケは日常である。
ハレ、ケという言葉もヘブライ語にはある。 ちなみにハレの意味は栄光で、 ケの意味は俗である。
ほかにも依代(よりしろ)、 神の霊が降臨する際の媒体となるもので、 神道では鏡や刀などがあり、
シロと
いうヘブライ語には 「神の器」という意味がある。
神社のことを古くから 「やしろ」 という。 この言葉はヘブライ語の 「ヤハシロ」に非常に似ている。 そして、こ
の「ヤハシロ」の意味は、「ヤハウェの器」 「ヤハウェの斎場」。
祇園 (京都) Gion -
シオン (ヘブル語) Zion
だいうす町(京都) Daius
デウス (ラテン語) Deus
いさら井(京都 広隆寺傍) Israi → いさ=イエス Jesus・らい = 羊飼い Shepherd (アラム語)
【参考】 「イスラエルの失われた部族」 (ラビ・エリヤフ・アビハイル 著)
ホームページ:中島尚彦氏 川守田英二著書物
● 「月刊レムナント」、「日本書記と日本語のユダヤ起源』 (ヨセフ・アイデルバーグ 著)
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古代イスラエルはエフライム部族=日本人説の可能性?: 子羊通信
http://zaakai.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-d415.html
ザーカイさんこんばんわ。
いよいよ明日は大晦日ですね。早いものです。
追加
レビを表す漢字
光 乙 口 春 椿 川 爺 形 本 道 泣 熱 靴 鞄 釦 思 出 命 骨 横 弘 希 峡 更 幕 荒 静 腕 情 巡 市 傘 南 里 半 痛 元 笛 側 望 仮 柔 寂 誰 肌 面 幻 彼 果 能 辺 細 鍵 畳 昴 鷲 C(ABCのC)
(だぶり、はずれあるかもです)
乙の字の意味は燕でした。(ネット検索)燕は黒く尾はV字形ですのでレビ。
動画 胸の振子 坂本紀男 (微妙に音声変えられてしまいました。)柳は十支族 手のサインもお見逃しなく。 ということで乙=燕=レビ(あなた)
太郎は乙姫様から玉手箱(アーク)を預かり一足先に帰ってきたのでしょうか。
とはいっても一緒に帰ってきてはいるみたいですが。帰還にかなり時間差はあるのかもしれないですね。わかりません。
阿波踊り ヤットサーのヤは神 トは預言者 サは叉(12部族としました。)
神社=ユダ部族 お寺=十支族
https://www.amazon.co.jp/新説-東洲斎写楽-浮世絵師の遊戯(ゲーム)-文芸社文庫-高井-ebook/dp/B08X9R9WFW/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=M4RGX1S9ZZVS&keywords=新説東洲斎写楽浮世絵師の遊戯&qid=1675603014&sprefix=新説東洲斎写楽浮世絵師の遊戯%2Caps%2C475&sr=8-2
「日本へやってきたのはユダヤ人でしょう」 まるで自明の物事のように彼は指摘した。 それがあまりに自然な物言いだったから、コートといい、少年たちといい、ああ、そうでしたかと危うく納得してしまうところだった。 「するとあなたは、日本人とユダヤ人は同一民族なのだと……?」 探るようにコートが訊いた。この頃の日本の知識人層──政治家、官僚、軍人、学者たちの間に、日本ユダヤ同祖論が案外に広まっていることは彼も多少聞き知っていた。 前述のように紀元前七二二年、北朝イスラエルがアッシリアの進攻によって滅んだことで、北朝の十部族は国土を追われ、離散し、それきり正史からは消息を絶ってしまうのだが、この失われた十部族の一部がユーラシア大陸を横断して古代日本へ上陸した、すなわち古代ユダヤ人の末裔が日本民族だというのである。 「かのソロモン王は、古代の航海民族フェニキア人の船団のオーナーで、アフリカ、インド、東アジアとも交易したといわれています。航海を続け、さらに東の日本を目指したということは充分考えられるでしょう? それから……佐伯好郎博士は、応神帝の御世に来朝した秦一族はユダヤ人景教徒ではなかったかと論じ、これは先日の講演でも多少言及がありましたが、僕はむしろ秦一族はキリスト教以前の、古代ユダヤ教徒、古代ユダヤ人ではなかったかと考えているのです。京都はユダヤ人秦氏が作ったのですよ。げんに秦河勝は、大荒大明神の神号で祀られていますが、オオサケは大辟あるいは大闢とも表記し、支那の景教文献でこれはダビデ王を指しているといいますからね。ダビデ王の子のソロモンと秦一族の伝承はきれいに結びつく」
宙に指先を走らせ、漢字を描きながら、男は熱っぽく語った。 「日本民族の起源になったのは失われた十部族のうちの、主にガド族でしょう。ミカドの尊称は始祖ガドの名に由来するもの。もっとも、他の部族がまったくやってこなかったとはいえませんがね。朝鮮半島の任那はそのままマナセ族の土地だと解釈できますし、
それにこの四国についていえばエフライム族の入植地だった可能性が高い。何故といって『列代記』にエフライムの子孫たちが住んだ土地の一つとしてアワの地名が挙げられているのですよ。この徳島──阿波の国という呼称は、エフライム族の末裔が遠い祖先の故地を偲んで、同じ地名を採用したものではないでしょうか。そう考えると平仄が合う」 「不思議な話をいろいろとお考えだ」
列王記 第二
17:24 アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。
https://books.google.com/books/about/新説_東洲斎写楽_浮世絵師の.html?hl=ja&id=XsofEAAAQBAJ
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