2023年1月12日木曜日

ヘブル語と日本語 青森県(旧)戸来村に伝わる【ナニャドヤラ】の意味とは TV東京


青森県(旧)戸来村に伝わる【ナニャドヤラ】の意味とは
https://freeassociations2020.blogspot.com/2023/01/httpsyoutu_12.html @


https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/790544542546620838



‎       נגד ナニャド

‎ יעלה ヤラー

(救い主よ、立ち上がり給え)


 ‎ נגד    ナニャド

‎ נצרת ナザレ

‎   יו ヨー

(ナザレの主、神よ)


‎       נגד ナニャド

‎ יעלה ヤラー

(救い主よ、立ち上がり給え)


‎       נגד ナニャド

‎ יעלה ヤラー

(救い主よ、立ち上がり給え)


 ‎ נגד    ナニャド

‎ נצרת ナザレ

‎   יו ヨー

(ナザレの主、神よ)


‎       נגד ナニャド

‎ יעלה ヤラー

(救い主よ、立ち上がり給え)


 『ナニャドヤラ』 

 נגד ナニャド

 יעלה ヤラー

 נגד ナニャド

 נצרת ナザレ

  לָדַעַת

  デア)ラダート)

 נגד ナニャド

יעלה  ヤラ 

יו   ヨー



 『ナニャドヤラ』 


 נגד ナニャド

 יעלה ヤラー

(主なる神を見よ) 


 נגד ナニャド

 נצרת ナザレ

  לָדַעַת

  デア)ラダート)

(ナザレの主を知れ)


 נגד ナニャド

יעלה  ヤラ 

יו   ヨー

(主なる神、神を見よ) 


ナニャドヤラー  
ナニャドナサレデア

ナニャドヤラヨー 

青森に伝わるヘブライ語 
 北海道の民謡であるソーラン節にヘブライ語の歌詞が含まれているということは、遠い昔、北海道にユダヤ民族が渡来して、日本の文化に何らかの影響を与えたと考えることができる。 
 そしてこのヘブライ語の代表されるユダヤ文化の影響力は北海道だけに留まらず、日本の各地に広がっている。
  北海道の隣の青森県には戸来村と呼ばれる村がある。この戸来という名前はヘブライから来ていると言われている。
  その青森県で唄われる『ナニャド・ヤラ』という民謡がある。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』ではこの青森民謡が大きく取り上げられている。

 『ナニャドヤラ』 
ナニャドヤラー 
ナニャドナサレデア 
ナニャドヤラヨー

  私は実際、青森県の友人にこの言葉の意味がわかるかどうか確認してみた。ところがイントネーションは若干現地の津軽弁のような響きだが、この歌詞の意味は皆目見当がつかないという。
  ところが川守田氏などの研究では、これはヘブライ語であるというのだ。川守田氏の研究等をもとにこれをヘブライ語に訳してみると次のようになる。 「ナニャド」はヘブライ語の「ナギッド」という言葉が訛ったもので、それは王子様とか統治者を意味する。
  次の「ヤ」はヘブライ語では神を意味するのだ。日本でもお馴染みのヘブライ語「ハレルヤ」の最後の「ヤ」は神を表す言葉で、「賛美せよ」の意味の「ハレルー」と一つになって「神を誉めたたえよ」という意味になる。それゆえここでの「ナギッドヤ」の意味は「神の王子」、「神の統治者」もしくは「主なる神」といった意味になる。 
 そして次の「ラー」は「見よ」という命令形のヘブライ語である。つまり「ナギッドヤラー」とは「主なる神を見よ」もしくは「神の王子を見よ」といった意味になるのだ。
  次の「ナニャドナサレデア」の「ナサレ」は日本語で「ナザレ」と訳されるヘブライ語「ナツェレット」である。ナザレとはイエス・キリストが育った、いわば出身地である。「デア」は「知れ」もしくは「覚えよ」という意味のヘブライ語である。つまり「ナニャドナサレデア」とは「ナザレの王を知れ」という意味になる。 
 最後の「ナニャドヤラヨー」の最後の「ヨー」は神を意味する「ヤー」が訛ったものであろう。したがってその意味は「主なる神、神を見よ」という意味になる。
  それですべてまとめて訳すと次のようになる。 

ナニャドヤラー  (主なる神を見よ) 
ナニャドナサレデア(ナザレの主を知れ) 
ナニャドヤラヨー (主なる神、神を見よ!) 

 これはユダヤの詩であるテヒリームの詞をも思い出させるような神への賛美の歌なのである。 
 現在、この歌はイエスの墓と呼ばれる場所で、地元の人々が歌いながら踊っているのだ。ユダヤ人であったイエス・キリスト。そのキリストは当時彼を慕うユダヤ人からは、ナザレの主と呼ばれたことを考えると、この歌詞の意味とイエス・キリストとは何らかの関係があるのかもしれない。

古代日本、ユダヤ人渡来伝説 坂東誠


ナサレ
「(ナザレのイエスの)ナザレ」(中島尚彦、青木偉作説)
もしくは、
「追い払う」(川守田英二説)

川守田は南2支族からの紀元前の影響を想定。
キリストの墓であればナザレのイエスか?

元動画3本:

ナニャドヤラ奉納舞い(キリストの墓)

2017/08/06 2回田子神楽とナニャドヤラ(盆踊り )in 神楽坂

水車のある村      葬式行進 黒澤明 夢より



ナニャドヤラ音頭:

נגיד ナギャド 「救い主よ」

יעלה ヤーラ 「立ち上がり給え」

(サイト『「ナギャドヤラ」の語源を辿る – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究』より)


【参考】

ねぶた祭り:

ラッセーラ「高きへ進め、動かせ」

秋田音頭:

ヤートセー コラ ハイキタカサッサ「神は生きておられる、その御声、ああ、王冠を喜ぼう」






ナニャドヤラ奉納舞い(キリストの墓)

2017/08/06 第2回田子神楽とナニャドヤラ(盆踊り )in 神楽坂

水車のある村   中   葬式行進 黒澤明 夢より

ナニャドヤラ音頭:

「ナギャドヤラ」の語源を辿る – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
https://www.historyjp.com/article/528/
נגיד ナギャド 救い主よ、
יעלה ヤーラ 立ち上がり給え


ねぶた祭り:
ラッセーラ 高きへ進め、動かせ


לאסלה

לאסלאר



רֹאשׁ ローシ 頭
(川守田下185頁)

ミスター跳人14人集結!青森ねぶたで躍動


【青森の魅力】"青森ねぶた祭り"では誰でも跳人(ハネト)になれるらしい



秋田音頭:


יהוה Yahweh「ヤー」「神」
תוסס (toses) 「生きている」
קולה(kolah、コラ) 「声」「彼女の声」
כתר(keter、ケター、キタ)「王冠」
כה(ko、コ、カ) 「だから」
שש「サッサ」「喜ぶ」

כתר(keter、ケター、キタ) というヘブライ語が語源となっている可能性が高いと考えられます。「ケター」は旧約聖書のエステル記1章11節で使われ、日本語では「王冠」と訳されています。その語尾に「だから」のכה(ko、コ、カ) と「喜ぶ」の「サッサ」と付け加えると、「ハイキタカサッサ」が「ああ、王の冠だから、喜べ!」

「ヤートセー、コラ、ハイキタカサッサ」
「神は生きておられる、その御声、ああ、王冠を喜ぼう」

秋田音頭

出船音頭

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべき この国「深奥」の重大な歴史 
ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説 2016
久保有政

54ハラー(halal)    清める   はらい(harai)   祓い(神道の清めの儀式) 

柳田國男

柳田國男説:
《要するに何なりともせよかし、どうなりとなさるがよいと、男に向かって呼びかけた恋の歌である。》
(柳田國男「清光館哀史」『雪国の春』)


柳田國男の説「清光館哀史」1926『雪国の春』1928所収)では、
《要するに何なりともせよかし、どうなりとなさるがよいと、男に向かって呼びかけた恋の歌である。》と、ヘブライ語説を無視している。

中島や青木と違って川守田がナザレ説を取らなかったのは紀元前の影響を想定しているからだろう(秋田と青森で発見されたヘブライ語の書かれた縄文土器に川守田は言及している)。
紀元前の進軍歌をキリスト用に書き換えたのだとすれば両者矛盾しない。
「日ユ同祖論」はもはや渡来順を議論する段階に来ている。

偽史

אאוי
あおい
いたい



青森県(旧)戸来村に伝わる【ナニャドヤラ】の意味とは

https://youtu.be/huqyf7iyrFY

∞ 【新郷村について】 • 【口外禁止】極秘口伝で語られたイエ... #キリストの墓 #ナニャドヤラ #ヘブライ #戸来  #新郷村キリスト祭  原始福音 青木偉作氏によると【ナニャドヤラ (ナギッド ヤ ラー) ナニャドナサレノ (ナギッド ナツェレット) ナニャドヤラ (ナギッド ヤ ラー) 】=ヘブライ語で「主なる神は見給う ナザレの主よ 主なる神は見給う」という意味になるそうです。



【口外禁止】極秘口伝で語られたイエスの弟『石切彦』の行方とは!
新郷村
戸来村


青森にあったキリストの墓!?

青木偉作氏

ヘブライ語翻訳家


ナニャドヤラ→ナギッド ヤラー

主なる神は見給う


ナニャドナサレノ→ナキッド ナツェレット

נגיד נצרת

ナザレの主よ


ナギャッドヤーラ「救い主よ、立ち上がり給え」

ナギャドヤラヨー「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」

ナギャドヤラヨー「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」





ナギャッドヤーラ「救い主よ、立ち上がり給え」

ナギャドヤラヨー「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」

ナギャドヤラヨー「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」


God  adonāy  אֲדוֹנָי


~~


『日本ヘブル詩歌の研究』川守田英二



~~
「ナギャドヤラ」の語源を辿る – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
https://www.historyjp.com/article/528/


ヘブライ語で「ナギャドヤラ」とは

「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」としても知られています。そして実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と唄っています。これはおそらく、「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛ったものと推測されます。よって、ここでは原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点をあてることとしました。

まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目です。「ナギャド」は王子、主権者を意味するנגיד(nagid、ナギッド) です。旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられています(ダニエル書9章24節)。「メシア」は油注がれた聖者という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」の意味は、「油注がれた救い主なる君主」、すなわち「救世主」となります。それ故、「ナギャド」「ナギド」という言葉には、単なる君主という意味だけでなく、救い主、救世主という意味合いも、ほのめかされているのです。

その後に続く「ナサレテ」は、その発音のとおり、新約聖書にも記載されている「ナザレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名と考えられます。「ナザレ」はイエスキリストの出自に関わる場所として有名です。よって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と理解することができます。

「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた、「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源は、ヘブライ語で「立ち上がる」のיעלה(yaala、ヤアラ、ヤーラ) と推測されます。すると救い主を意味する「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になることがわかります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を祀る踊り唄の真骨頂となる掛け声ではないでしょうか。

また、「ナギャドヤラヨー」と、最後に「ヨー」がつく節も直後に続きます。「ヨー」は「神」を意味する「ヤ」、「ヨ」を指しています。ヘブライ語で「神」には様々な表現の方法があり、יההו(yahu、ヤフー) 、または略のיה(ya、ヤ)、 יו(yo、よー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」という祈りの言葉だったのです。

次の「サーエ」שעיר(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては、עזאזל(azazel、アザゼル) という「地獄」を意味する言葉と繋がり、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味の言葉としても用いられていました。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」ではないでしょうか。それは、「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」を意味していたのです。つまるところ、その「身代り」とはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、救い主であるメシアが、人々の罪を背負って代わりに死ぬことを指していたと考えられます。


「ナギャドヤラ」の語源を辿る

東北民謡「ナニャドヤラ」の意味を紐解く

青森県に伝承されるヘブライ民族の渡来

青森県新郷村 キリストの墓青森県新郷村 キリストの墓本州最北端、北海道に最も近い青森県では、古くからヘブライ民族の渡来が噂されています。八戸と十和田湖の中間に位置する新郷村には、イエス・キリストがあることは有名です。この墓の信憑性は疑わしくとも、イスラエルの歴史に関わる人物の墓が青森県の奥地にあるだけでなく、その地域周辺では、「ナニャドヤラ踊り」と呼ばれる意味が不可解な言葉で唄いながら踊る祭りまで古くから行われているということ自体、何かしらキリストを祀る理由があったのでしょうか。

理由なくして、イエス・キリストの墓が、青森県の奥地に建てられることなど想像もつかないことです。また、青森県の戸来(へらい)村という名称も、「ヘブライ」に起因しているという説があります。確かに「ヘブライ」と「ヘライ」はほぼ同等の発音であるだけでなく、そこに「戸来」という漢字をあて、わざわざ「ヘライ」と読んだことからしても、意図的にイスラエル人を意味する「ヘブライ」を「戸来」にあてた可能性があります。

太平洋岸にある港街は古代から八戸(はちのへ)と呼ばれていました。「戸来」の読みから「戸」は「へ」、「八」は「ヤ」と発音します。よって「八戸」の読みは今日では「ハチノヘ」ですが、本来は「ヤヘ」と読まれていたのではないでしょうか。「ヤヘ」は、ヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」という発音に酷似していることから、「戸来」共々、イスラエルの神に結びつく呼び名であったと考えられます。

青森民謡「ナギャドヤラ」はヘブライ語

その青森県で唄われる民謡の中に、「ナニャドヤラ」とも呼ばれる唄があります。その声の響きは「ナギャドヤラ」とも聞こえることから、「ナニャドヤラ」は「ナギャドヤラ」と呼ばれることもあります。現代では八戸をはじめ、二戸、三戸、九戸など、青森県の東側にあたる地域において、盆踊りの唄として親しまれています。そして定例の祭りの際には多くの女性が輪になって踊りながら、この唄を歌います。

ところが、その歌詞の意味は、日本語では全くといってよいほど通じないのです。そこで様々な説が唱えられ、これまで「梵語説」や「道歌説」、また「恋の歌説」などが提言されてきました。しかしながら、どれもその不可解な歌詞を解明するまでには至りませんでした。

「ナニャドヤラ」の発音を「ナギャドヤラ」としてヘブライ語で読むと、一変して意味のある言葉を有する唄に様変わりします。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』では、この青森民謡が大きく取り上げられています。そこでは、いかにしてヘブライルーツの詩が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説され、実際、ヘブライ語で書かれた日本民謡の歌詞や囃子言葉があることを、複数の事例をもって紹介されています。その内のひとつが、この「ナギャドヤラ」です。

その歌詞は、およそ以下の2文にまとめることができます。

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー

ヘブライ語で「ナギャドヤラ」とは

「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」としても知られています。そして実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と唄っています。これはおそらく、「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛ったものと推測されます。よって、ここでは原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点をあてることとしました。

まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目です。「ナギャド」は王子、主権者を意味するנגיד(nagid、ナギッド) です。旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられています(ダニエル書9章24節)。「メシア」は油注がれた聖者という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」の意味は、「油注がれた救い主なる君主」、すなわち「救世主」となります。それ故、「ナギャド」「ナギド」という言葉には、単なる君主という意味だけでなく、救い主、救世主という意味合いも、ほのめかされているのです。

その後に続く「ナサレテ」は、その発音のとおり、新約聖書にも記載されている「ナザレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名と考えられます。「ナザレ」はイエスキリストの出自に関わる場所として有名です。よって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と理解することができます。

「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた、「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源は、ヘブライ語で「立ち上がる」のיעלה(yaala、ヤアラ、ヤーラ) と推測されます。すると救い主を意味する「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になることがわかります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を祀る踊り唄の真骨頂となる掛け声ではないでしょうか。

また、「ナギャドヤラヨー」と、最後に「ヨー」がつく節も直後に続きます。「ヨー」は「神」を意味する「ヤ」、「ヨ」を指しています。ヘブライ語で「神」には様々な表現の方法があり、יההו(yahu、ヤフー) 、または略のיה(ya、ヤ)、 יו(yo、よー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」という祈りの言葉だったのです。

次の「サーエ」שעיר(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては、עזאזל(azazel、アザゼル) という「地獄」を意味する言葉と繋がり、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味の言葉としても用いられていました。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」ではないでしょうか。それは、「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」を意味していたのです。つまるところ、その「身代り」とはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、救い主であるメシアが、人々の罪を背負って代わりに死ぬことを指していたと考えられます。

囃子詞に秘められたメッセージ

この青森民謡の囃子詞には、ユダヤ人のメシア、神の子についてのメッセージが秘められていることに驚きを隠せません。西アジアから渡来した大勢の人々が古代、青森県周辺を訪れ、そこに集落を形成して神を祀った結果、「ナギャドヤラ」の祭りが始まったのでしょうか。今日まで青森県に存在する戸来(ヘライ)村は、古代イスラエルの集落を意味するヘブライ村ではないかとも語り継がれ、太平洋に面する東海岸の拠点となった港町は、神の名前を意味する八戸「ヤへ(エ)」「ハチノヘ」とも読めることが、その証であるように思えてなりません。


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Hebrew and Japanese .wmv



ドリフの8時だよ全員集合のオープニング曲でエンヤーコーラヤの次の歌詞はなんと歌っているのか?
   ⬇︎
エンヤー コーラヤット ドッコイジャンジャンコーラヤ
主と共に主の為に主の助けを借りて隠して隠して主の為に
(ヘブル語訳)
。。

主と共に主の為に主の助けを借りて隠して隠して主の為に


また、ヘブライ語には、日本語に類似した言葉がたくさんあるといわれます。例えば、アッパレ(=APPR 栄誉を誇る)、アラ・マー(=YL・MH どうした理由・何?) アナタ(=ANT 貴方)、アリガトウ(=ALI・GD 私にとって幸運です)、サヨウナラ(= SYIR・NYRH 悪魔は追い払われた)ダマレ(=DM・ALI 沈黙を守れ)、オハリ(=AHR 終端)など

レポート ・失われたイスラエル10支族

レポート ・失われたイスラエル10支族

『日ユ同祖論』(にちゆどうそろん)とか、『失われたイスラエル10支族』という話しをご存知でしょうか。日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるというのです。
  
淤岐嶋(隠岐島、一説に単なる沖の島)に流された白兎は、本土に渡る手段とするため、『君たちの仲間と、私の仲間とどっちが多いか競争しよう。できるだけ仲間を集めて気多(けた)の岬まで一列に並びなさい。私がその上を跳び越えながら数えてあげる』といって、海の和邇(わに)をだまします。
  
よく知られている出雲神話『因幡の白兎』ですが、この話しで論争になるのが、和邇(わに)は、本当にワニ(鰐)なのかという点です。ワニ説とサメ説があるようですが、マレー半島には、鹿がワニを並ばせて川を渡る説話があるそうです。
  
川の向こう岸に果実のなった木があるのを見つけた鹿は、向こう岸へ渡るのに『俺はソロモン王の命令によってお前たちを数えに来た。こちらから向こう岸まで一列に並びなさい』といってワニたちを並ばせます。マレー半島のこの説話が『因幡の白兎』のルーツだというのです。ソロモン王は、旧約聖書に登場する古代イスラエル王国の第3代の王(紀元前965年~紀元前925年頃在位)ですから、ここで出雲と古代イスラエルがつながるのです。
  
              ***
  
一方、長野県諏訪市の諏訪大社にも古代イスラエルとのつながりを示唆するものがみられます。毎年4月15日に行われる『御頭祭』という祭りで昔は、75頭の鹿が生贄(いけにえ)として奉納され、そのなかの一頭は必ず耳が裂けていたそうです。かつてイスラエルのモリヤの山(ソロモン王が神殿を建てた丘)で行なわれる過越祭では75頭の羊が生贄にされていました。
  
また、この御頭祭で江戸時代頃まで『御神(おこう)生贄の神事』という奇妙な儀式が行われていたそうです。神の使いとしての役割が与えられた御神(おこう)と呼ばれる少年を柱に縛りつけ、神官が少年の上に刀を振り上げるしぐさをします。丁度そのとき、別の男が現れて神官の動作を止め、少年は解放されます。
  
この奇妙な神事は、旧約聖書の『創世記』22章に記述されている『イサクの燔祭』にそっくりだというのです。燔祭(はんさい)とは、古代ユダヤ教で、犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げた儀式のことです。神は、アブラハムを試みて彼に『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、彼を燔祭として奉げなさい』と命じます。 
  
アブラハムは、激しい苦悩の末その命令に従いモリヤの山に向かい、イサクを縛り、たきぎの上に横たえます。しかし、アブラハムがイサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の使者が現れてその行為を止めます。アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角をからませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げました。この一頭の羊は、アブラハムのために神が用意してくれたものだといわれます(ウィキペディアより)。
  
諏訪大社の御頭祭の耳が裂けた一頭の鹿は、神が用意してくれた一頭の雄羊を象徴していたと思われます。なお、諏訪大社上社本宮は、守屋山(標高1,650m)を御神体山としています。『守屋山(もりやさん)』と『モリヤ山』、単なる偶然の一致でしょうか?
  
              ***
  
古代イスラエルは、紀元前10世紀になってソロモン王のもとで繁栄の絶頂を迎えます。当時イスラエルは、12部族が統一王国を形成していましたが、ソロモン王が死ぬと部族間の抗争により統一体制が崩れ、やがて10部族がイスラエル王国(北王国)として独立し、南のエルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離しました。ユダヤ人とは、基本的にはこの南王国ユダの人々とその子孫をさすのですが、ユダヤ人をイスラエル人と同義に使う場合もあり、明確に区分けされていないようです。
  
その後、紀元前8世紀になって、イスラエル王国の首都サマリアは、東のアッシリア帝国によって陥落します。アッシリアのサルゴン2世はサマリアのイスラエル人を奴隷として連れ去り、あるいは追放して、その土地にメソポタミアなどからの異民族を移住させました。ここにイスラエル王国は滅亡します。このとき、故郷の地から引き離された10部族の行方が記録に残されていないため、のちに『失われた10部族』と呼ばれるようになりました。その一部が日本にやって来たというのです。いわゆる『日ユ同祖論』です。
  
国家滅亡という局面の中で、イスラエルの無数の民は大予言者イザヤの予言に従って祖国を脱出し、東方へ民族移動を始めました。その一部が、日の出づる方角にある『海の島々』、すなわち日本列島にたどり着いたというのです。
  
『古事記』にいわく、天津神に命を受けたイザナギとイザナミが、天浮橋(アメノウキハシ)に立って天沼矛(アメノヌボコ)を降ろして混沌をかき混ぜ、矛の先から滴り落ちたものが積もって島となった。二人は、高天原(タカマガハラ)からその島に降り立ちます。
  
このイザナギとイザナミこそ、イスラエルの救世主としてアジア大陸を横断してきたイザヤの王子らに違いないというのです。そして、二人が降り立った高天原(タカマガハラ)は、イスラエル人の放浪の起点となった、タガーマ地方のハランという場所を意味するというのです。そもそも、『大和(ヤマト)』の発音は、ヘブライ系アラム方言の『ヤ・ウマト(神の民)』が縮まってできたもので、『帝(ミカド)』の発音も古代ヘブライ語の『ミ・カド(カド族の王)』に由来するなどといわれています。
  
              ***
  
旧約聖書(創世記)と古事記や日本書紀に多くの類似点がみられほか、神社に関する神道とユダヤ教にも多くの類似性がみられるといわれます。例えば、日本もユダヤも水や塩で身を清める禊(みそぎ)の習慣がある。エルサレム神殿の門には、天皇家の16弁の菊花紋と共通した紋章が刻み込まれている。古代ヘブライ神殿と日本の神社の構造が似ている。祇園祭と古代イスラエルのシオン祭に多くの共通点がみられる。
  
また、ヘブライ語には、日本語に類似した言葉がたくさんあるといわれます。例えば、アッパレ(=APPR 栄誉を誇る)、アラ・マー(=YL・MH どうした理由・何?) アナタ(=ANT 貴方)、アリガトウ(=ALI・GD 私にとって幸運です)、サヨウナラ(= SYIR・NYRH 悪魔は追い払われた)ダマレ(=DM・ALI 沈黙を守れ)、オハリ(=AHR 終端)など(フリー百科事典『ウィキペディア』より)。
  
日本とイスラエルの類似を示唆する傍証はその他にもたくさんあり、『日ユ同祖論』は、必ずしも特定の人たちだけが支持している所説ではないようですが、あなたはどのように感じ、どのように思いますか?
  
【参考にしたサイト】 
[1]新科学と健康と雑学: 日本のルーツは古代イスラエル?
[2]古代遺跡な旅ブログ:★日本人のルーツはイスラエル?!
[3]INTEC JAPAN/BLOG:●大和民族のルーツはイスラエルである
[4]ユダヤと日本 イザナギ神話の謎に潜むイスラエルとイザヤ一族の影
[5]日ユ同祖論 - ウィキペディア
[6]諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承
    
■お便り紹介■ - 古代ユダヤのメルマガのこと -
  
レポート『失われたイスラエル10支族』をお読み頂き、大阪在住の坐忘さん、岡山在住のモーリーさんより、とても大事な視点からご指摘、示唆、コメントを頂きましたので、ご紹介させて頂きます。坐忘さん、モーリーさん、ありがとうございました。
  
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●○● レポート拝見しました。失われた十支族と日本との関係は、近年、テレビ東京系の新説・日本ミステリーなどを中心にあからさまに語られるようになってきましたね。両者の類似性は、明治の開国からまもなくして取り沙汰され、石屋(フリーメーソン)問題とともに今日までかなり活発に語られてきています。
  
私見ではもう疑う余地のないものと思っておりますが、いくつかの大きな神社には古来の伝承として連綿と伝えられ、封印の解ける日を待っているものもあると承っております。
  
例えば、丹後の元伊勢の籠神社は日本最古の系図をもつ神社でもありますが、この籠はモーゼがナイルで籠に入れて流された故事に因むものであるようですし、宇佐神宮では神仏混交の背後にさらに古代ユダヤと中国道教、印度仏教、およびアニミズム原始神道の一大混交が行われていた模様です。またわれわれの家紋の中にも、どの支族の出身かを表す鍵が隠されているそうです。
  
四国の剣山にソロモンの秘宝が隠されているとして、実際に私財を投じて発掘調査をしたのが、薩摩の山本権兵衛の甥の山本英輔海軍大将でしたね。山本家は大隅八幡の神官の家系ですから、こういう問題には鋭敏であったであろうと推察できます。
  
しかし、これを日ユ同祖論として扱う場合に注意すべきことは、現在のイスラエルと古代ユダヤとは、ほとんど関係が無いという点です。戦中戦後、ヒトラーに追われるようにしてイスラエルの地に入植したのは、白系アシュケナージユダヤで、聖書の民とは何の関係もない改宗ユダヤ人たちであることです。偽ユダヤと言われる所以です。
  
この点を抑えておかないと、現在イスラエルと白系ユダヤの狂気じみた行ないに振り回されてしまいます。鳩のように柔和であることは達成されていても、蛇のように賢くなるようにいまの日本はもうちょっと努力しなければなりませんね。われわれはわれわれで、ゆっくり落ち着いて自分の中の古代ユダヤが語る声に耳を済ませればいいのではないでしょうか。(大阪在住 坐忘さんより)
  
              ***
  
●○● ユダヤのことがレポートに書かれてあってびっくりしました。私は、プロテスタントクリスチャンで、教会で聖書を学んでいます。ユダヤの問題はかなり深く学びました。イスラエルにも行ってきました。ユダヤやイスラエルについて話をするとほとんどの人が引いてしまうので、最近は語ることがない自分がずっといました。だからビックしたわけです。
  
いろんな面白おかしい説もあるのですが、こうして事実だけをならべてみると何かが見えてきますよね。私の知っている事実は、お正月のことです。ユダヤのお正月の行事と日本のお正月の行事はそっくりなんです。
  
ユダヤではまず新年(ユダヤ暦)の前日には、徹底的にすす払いをして大掃除をします。これはモーセの出エジプトのことに始まっています。酵母のないパンを食べたことを忘れないためにお正月には酵母のはいっていないパンを食べます。そのために徹底的にすす払いをするのだそうです。そのパンの名前は「モッツア」です。お正月にはモッツアを7日間食べて、出エジプトのとき苦い菜を食べたことを忘れないために7日目に苦い菜を食べます。日本の「大掃除」「もち」「七草」の風習と似ているのは偶然でしょうか。
  
あと有名なのは、祇園祭とユダヤの「チオン」の祭りです。夏の疫病を防ぐ祭りだそうです。山車の模様が中近東の模様なんですよね。ユダヤの末裔がどうのこうのというより、まだ日本が縄文のころ、高度な文明を持った人々がやってくれば、その人たちが指導者になりさまざまな分野で影響を残したと考えるのはとても自然なことだと思っています。(岡山在住 モーリーさんより)

2017/6/9 -ジャン(隠して)ケン(準備)ポン(来い) ヤマト(大和) = ヤゥマト(神の民) かんぬし(神主) = カムナシ(長)

2014/4/24 -(ジャン***隠して) (ケン***準備) (ポン***来い!) ありがとう (アリ ガト***幸運です) 神様への感謝の言葉



2021/9/30 -ヘブライ語で読む「エンヤラヤ」とは、「我は神を讃えます!」、もしくは、「神よ、我は行きます!」という意味に捉えることができます。いずれも元気 ...


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ドリフの8時だよ全員集合のオープニング曲でエンヤーコーラヤの次の歌詞ってなんて歌ってるのですか?

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2005/9/27 21:47



 




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ハバ・ナギラ」(הבה נגילה, Hava Nagila) は、ヘブライ語民謡で、ユダヤ教徒の結婚式や成人式(バル・ミツワーバト・ミツワー)で演奏される楽曲である。

Hava nagila הבה נגילה 喜べ

Bob Dylan - Talkin' Hava Negeilah Blues (Studio Outtake - 1962 - Officia...

公式

ハバ・ナギラ」(הבה נגילה, Hava Nagila) は、ヘブライ語民謡で、ユダヤ教徒の結婚式や成人式(バル・ミツワーバト・ミツワー)で演奏される楽曲である。

BOB DYLAN Hava Nagila הבה נגילה

伴奏のみ 1989

Bob Dylan - Talkin' Hava Negeilah Blues

音声のみ


ハバ・ナギラ

ハバ・ナギラ」(הבה נגילהHava Nagila) は、ヘブライ語民謡で、ユダヤ教徒の結婚式や成人式(バル・ミツワーバト・ミツワー)で演奏される楽曲である。

歴史

メロディーは、ウクライナブコビナ民謡が元である[1]。ルーマニアや西ウクライナでは一般的であるフリギア旋法が用いられている。第一次世界大戦ならびにバルフォア宣言の間、おそらくパレスチナでイギリスの勝利を祝うため、1918年にアーブラハム・ツェーヴィ・イーデルゾーンが作詞したものが一般的である[2][3]

字訳(アルファベット)ヘブライ文字日本語翻訳
Hava nagilaהבה נגילה喜べ
Hava nagilaהבה נגילה喜べ
Hava nagila ve-nismeḥaהבה נגילה ונשמחה喜んで幸せになれ
 繰り返し 
Hava neranenahהבה נרננה歌え
Hava neranenahהבה נרננה歌え
Hava neranenah ve-nismeḥaהבה נרננה ונשמחה歌って幸せになれ
 繰り返し 
Uru, uru aḥim!!עורו, עורו אחים起きろ、起きろ、兄弟!
Uru aḥim be-lev sameaḥעורו אחים בלב שמח幸せな気持ちで起きろ、兄弟
 4回繰り返し 
Uru aḥim, uru aḥim!!עורו אחים, עורו אחים起きろ、兄弟、起きろ、兄弟!
Be-lev sameaḥבלב שמח幸せな気持ちで

演奏者

脚注

  1.  A. Idelsohn "Jewish Music: its historical development", p.12
  2.  Yudelson, Larry. “Who wrote Havah Nagilah?”. RadioHazak. Larry Yudelson. 2008年7月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年11月8日閲覧。none
  3.  2007年10月28日のBBC Radio 4 『Desert Island Disc』の放送で、Joel Joffe が祖父のアーブラハム・ツェーヴィ・イーデルゾーンが「ハバ・ナギラ」の作者だと語ったが、プログラム・ノートには「Composer: Bashir Am Israelim」とある。これはアーブラハム・ツェーヴィ・イーデルゾーンの別名、もしくは「Shir Am Yisraeli」(イスラエル民謡の意味)の誤記だと考えられる。
  4. a b c d e f g h "Hava Nagila, What Is It? (Part I)" at YouTube
  5.  Leland, John. Hip: The History, HarperCollins, 2004, p. 206.
  6.  DALIDA Hava nagila 2, at Youtube
  7.  Neil Diamond Live In America 1994, at Youtube
  8.  "Hava Nagila" by Sonata Arctica in a Tokyo concert, at Youtube
  9.  Dream Theater: vídeo de música judaica no show em Israel, luew, 2009-06-19

外部リンク

《日本語とヘブル語の類似語リスト》

 またアイデルバーグは、日本語とヘブル語の間で意味も発音もよく似ている類似語を500ほどリストアップしている。その中から一部を引用してみよう。

[おのおのの項目で、前者(カタカナ)は、とくにことわっていないものはヘブル語であり、後者(ひらがな)は日本語である]



もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべき この国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説 第一刷 2016年2月29日 編著者 久保有政

日本語とヘブル語の類似例   発 音        意 味 
1 アガム(agam)    悲しむ、疲れる、嘆く   あぐむ(agumu)   倦む(飽き疲れる、もてあますの意) 
2 アカ(aka)     疲労、飽き、困窮   あき(aki)     飽き(飽きること) 
3 アカル(akar)    場所を去る 場所から離れる   あける(akeru)   空ける(「部屋を空ける」等、「去る」の意) 
4 アンタ(anta)    あなた   あなた(anata)   あなた(あんた) 
5 アワル(avar)    過去、終了、終わり   おわり(owari)   終わり 
6 エフォド(ephod)  古代イスラエルの祭司が上半身に身につけた一種のベスト。とくに大祭司のエフォドは、金色等の糸でつくられ、二つのシマメノウの宝石で飾られていた(出エジプト記28章6〜9節)。一方、ダビデ王は、ある重要な宗教的儀式において、「麻のエフォド」(サムエル記下6章14節)を身につけた。聖装束の一つである(邦訳によっては「エポデ」とも書く)   おふだ(ofuda)   お札(木でできた守り札で、神の名が記してある。神社で配られ、神道信者の家庭で護符として使われる) 
7 ハエル(haer)    輝く、照り輝く、異彩を放つ   はえる(haeru)   映える(照り輝く、色あざやかに見えるの意) 
8 ハカル(hakar)   探る、調査する   はかる(hakaru)   測る、計る、量る 9 ハケ(hake)     打つ、たたく   はく(haku)     拍(「脈拍」「一拍、二拍」「拍子」等、打つこと、たたくこと) 
10 ハラヴ(harav)   滅ぶ、破滅する   ほろぶ(horobu)   滅ぶ 
11 ハーヤー(haya アラム語) 早く   はやい(hayai)   早い 
12 ハザザ(hazaza)   取り外す、外す   はずす(hazusu)   外す 
13 
ヘケル(heker)   測り、測定器   はかり(hakari)   測り 
14 ヘン(hen)     恵み、美、品   ひん(hin)     品 
15 ヘビァ(hevia)   まむし   へび(hebi)     へび 16 ホレル(horer)   穴を掘る   ほれる(horeru)   掘れる 
17 カマ(kama)     穀物   コメ(kome)     米 
18 カラ(kara)     切り開く、裂く、分割する、引き裂く   きる(kiru)     切る 
19 カラス(karas シリア語)乾く、干上がる、枯れる   からす(karasu)   枯らす 
20 カレル(karer)   冷ます、カゼをひく   かれる(kareru)   (声が)嗄れる(カゼをひくと、ふつう声がかれる) 

21 カサ(kasa)     守る、おおう   かさ(kasa)     傘 

22 カワ(kava)     (運河や盆地に)水を運ぶ   かわ(kawa)     川 
23 コウ(ko)      こう、このように   こう(ko)      こう(このように) 
24 コオル(kor)    寒い、冷たい   コオル(koru)    凍る 
25 マヴァル(ma'var)  通路、方向転換、まわり道   まわる(mawaru)   回る(まわり道をする) 
26 マタ(mata)     〜の下、〜のもと   もと(moto)     下(もと) 
27 ミツ(mits)     果汁   みつ(mitsu)    蜜(甘い液) 
28 ナガヴ(nagav)   ぬぐう、拭く   ぬぐう(nuguu)   ぬぐう(拭く) 
29 ナカム(nakam)   復讐する、仇を討つ   にくむ(nikumu)   憎む(復讐までには長い期間の憎しみが先立つから、「復讐する」を意味する「ナカム」に若干の意味の変化が生じ、「憎む」になったのではないか?) 

30 ナセ(nase)     試みる、試す   なす(nasu)     為す(行なう、するの意) 

31 ニガル(nigar)   流れ   ながれ(nagare)   流れ 
32 ニサ(nisa)     旗、見出し、しるし   ぬさ(nusa)     幣(神社でお祓いに使う物。棒の先に白いジグザグの紙がたくさんついている) 
33 サール(sa'ar シリア語)する、行動する、実行する   する(suru)     する 34 サーガル(sagar)  閉じる、さえぎる、ふさぐ、妨げる   さえぎる(saegiru) さえぎる 
35シト(shit)      底、基礎   した(shita)    下 
36シカ(sika)      鋤の刃   すき(suki)     鋤 
37シユム(siyum)    結論、終わり、終了   すむ(sumu)     済む
38タヤル(tayar)    斥候(情報を持ってくるために遣わされる)   たより(tayori)   便り 
39テウラー(teura)   明かり、灯火   とうろう(tooroo)  灯籠(神社には道の両側に灯籠がある。次も参照) 
40テウラー(teura)   明かり   てる(teru)     照る 
41ツァラー(tsara)   つらいこと、トラブル、苦痛、困窮   つらい(tsurai)   辛い 
42ツーカ(tsuka)    困窮、トラブル、苦痛   つうく(tsuku)   痛苦 
43ウマト(umat)     前に   おもて(omote)   表(前。興味深いことに、古代イスラエルには東側を「前」、西側を「後ろ」(裏)と呼ぶ風習があった。日本でもこの風習が続いており、東側の太平洋側を「表日本」、西側の日本海側を「裏日本」と呼んでいる) 
44ヤド(yad)      手   うで(ude)     腕 
45ヤダム(yadam)    これはヘブル語にはないが、ヘブル語文法にはかなっており、「よどんだ」「流れのない」の意味になる   よどむ(yodomu)   よどむ(流れがとどこおる) 
46ヤドゥル(yadur)   語根「ドゥル」から、「住む」「宿る」の意   やどる(yadoru)   宿る 
47ヤエ(yae)      良い、すてきな、きれいな   よい(yoi)     良い 48ヤム(yam)      海、湖   うみ(umi)     海 
49ヤラ(yara)      射る   いる(iru)     射る 
50ユルシェ(yurshe)   許されるであろう   ゆるし(yurushi)  許し 
51ガルゲル(galgel)   まわす、まわる、曲がる   ぐるぐる(guru-guru)ぐるぐる(まわる様子) 
52ハアレ(ha'ale)    文字通りには「上げる」だが、しばしば「着る」の意味でも使う   はおる(haoru)   羽織る(着るの意) 
53ハイ(hail)      兵、軍   へい(hei)     兵 
54ハラー(halal)    清める   はらい(harai)   祓い(神道の清めの儀式) 55ヘイ(heil)      低い塀   へい(hei)     塀 
56イルイ(ilui)    「イリ」と同じ語根で、「偉大な(とくに知識で)」「りっぱな」の意   えらい(erai)    偉い、りっぱな 





57カベル(kabel)    受ける、自身の義務として負う   かぶる(kaburu)  (人の罪や責任などを)かぶる(負う) 
58カラ(kala)     終わり、期間の終了   くれ(kure)    暮れ(終わり、期間の末) 
59カリー(kalil)    軽い   かるい(karui)   軽い 

60キ・モノ(kli mono)これはヘブル語としては使われていないが、ヘブル語文法にはかなっており、「着物」の意味になる   きもの(kimono)  着物 
61コー(kol)      声、音   こえ(koe)     声 
62マアガル(ma'agal)  円   めぐる(meguru)  巡る 
63マレ(male)     いっぱい、完全な   まる(maru)    (丸焼け、丸出しなどというときの)丸(完全なの意) 
64ムー(mul)      前に、反対の   まえ(mae)     前 
65ナハラ(nahala)   土地(ふつう農地)   のはら(nohara)  野原 
66タベル(tabel アラム語)文字通りには「浸す」の意味だが、塩や酢などに浸して食べ物を食べるの意味にも使われる。とくに中近東では、パンをスープに浸して食べるのが普通で、「タベル」(浸す)と「食べる」は同義に使われたと思われる   たべる(taberu)  食べる 
67タラ(tala)     つるす、垂らす   たれ(tare)    垂れ(垂れること) 68トル(tol)      取る、つかむ   とる(toru)    取る 
69トゥル(tul アラム語)歩き回る   とおる(tooru)   通る 
70クシュ(kush アラム語)   くさ(kusa)    草 71アグダ・ナシ(aguda nasi) 集団の長   あがたぬし(agata nushi) (古代日本語で)県主(種族の長) 
72ミショ(mish'ol)   道、小道、狭い道   みち(michi)    道 
73ナシ(nasi)     代表、長、主人、王子   ぬし(nushi)    主 74シャラー(shala)   取り除く(たいていは水から)   さらう(sarau)   (水底などを)さらう(ゴミなどを取り除く) 75シャーワー(shalva) 静けさ、満足、幸福   さいわい(saiwai) 幸い 
76シャマル(shamar)  見張る、守る、護衛する   さむらう(samurau)侍う[(貴人のそばで)仕える、守る] 
77シャムライ(shamrai)守る者、護衛[この語は現代ヘブル語にはないが、ヘブル語文法にそっており、過去においては「守る者」を意味して使われたと思われる。語尾のアイ(-ai)は、人の職業または性格を表す。たとえば「バナ」(建てる)に語尾「アイ」をつけて「バナイ」とすると「建設者」の意味、「カネ」(嫉妬深い)に語尾「アイ」をつけて「カナイ」とすると「嫉妬深い者」の意味になる。同様に、「シャマル」(守る)に語尾「アイ」がついて「シャムライ」、すなわちサムライ(侍)になったと考えられる]  さむらい(samurai) 侍、武士[彼らは、すでに平安時代には一つの身分、階級として存在するようになった。主君と領地を守るために仕えていた。彼らの務めは「さむらう」(仕える、守る)ことであったので、やがて「さむらい」(侍、仕える者、守る者)と呼ばれるようになった。軍隊を構成し、主君のためにいつでも戦える備えをしていた] 

78シマー(sima)    置くこと、しまうこと   しまう(shimau)  しまう 

79ハラク(halakh)   歩く、行く、出発する   あるく(aruku)  歩く 
80ハトゥラカ(hatrakha)働かせる、仕事を与える   はたらく(hataraku)働く 
81ハヴァル(haval)  悲しみの叫び、嘆き   あわれ(aware)  哀れ 
82フト(hut)     糸、編み糸   いと(ito)    糸 
83カカ(kakha)    このように、かく   かく(kaku)    斯く(「斯くのごとく」、このように) 
84エカ(lekha)    湿気、分泌液   えき(eki)    液 
85シェカー(shekhar) 酒   さけ(sake)    酒(ライス・ワイン) 
86ホエシュ(horesh)  小さな森、やぶ   はやし(hayashi) 林 
87ガルゲル(galgel)  回る、ころがる、宙返りする   ころがる(korogaru)転がる 
88ガマル(gamar)   決心する、落ち着く、決める   きまる(kimaru)  決まる 
89ガザ(gaza)     風によってもたらされる   かぜ(kaze)    風 
90ガザム(gazam)   切る、刻む   きざむ(kizamu)  刻む 
91ごめ(gome)     パピルス(古代紙の材料)   かみ(kami)    紙 
92ハヴァル(havar)  はめる、つなぐ   はまる(hamaru)  はまる(ぴったり入る) 
93カヴァル(kaval)  困る、不平を言う   こまる(komaru)  困る 
94シェヴ(shev)    ヤシャヴ(すわった)から来た言葉で「すわる」「居住する」「住む」の意   すむ(sumu)    住む 
95タヴァ(tava アラム語)良い、尊い   たま(tama)    玉(尊い、素晴らしいの意味で「玉の顔」「玉砕」などと使う) 

96ツァヴァル(tsavar) [詰まる?]積もる、集まる   つもる(tsumoru) 積もる 

97パーム(pa'am)   踏む   ふむ(fumu)    踏む 
98ドゥル(dur アラム語)小屋に住む、滞在する、宿る。 また派生語「ヤドゥル」は「住むであろう」の意   やどる(yadoru)  宿る 
99ハシャー(hashak)  欲する、欲しい   ほしい(hoshii)  欲しい(ホシクなる) 
100ハシュアラ(hash'ara)ヘブル語にはないが、「シウル」(学習)から来た言葉で、ヘブル語文法にはかなっており、「学習させる」を意味する   おしえる(oshieru)教える 
101ヒッカケル(hikaker)ヘブル語にはないが、アラム語「コカラ」(罠)から来た言葉で、ヘブル語文法にはかなっており、「罠にかかる」「計略にひっかかる」の意   ひっかける(hikkakeru)ひっかける(計略にかける。「客をひっかけて、安物を高く買わせる」等) 
102カラ(karav)    近づく、近くに来る   くる(kuru)   来る 

103カテ(katef)    肩   かた(kata)   肩 

104カヨム(kayom)  この日、今日、このとき   きょう(kyoo)  今日 

105マークート(malkhuto)文字通りには「彼の王国」の意で、王たちの称号としても用いることができる   みこと(mikoto) 尊、命(神々や、天皇、貴人は「ミコト」と呼ばれた) 

106ナギ(nagid)   古代イスラエル神殿の職員をさす言葉   ねぎ(negi)   禰宜[神社の(下級)神官] 

107ナサ(nasa)    運ぶ。派生語「ノセ」は「運んでいる」の意   のせる(noseru) 載せる 
108ナムイ(namui)  語根はヌムで、「眠い」の意。ヘブル語にはない言葉だが、ヘブル語文法には完璧に従っている   ねむい(nemui)  眠い 
109スゲイ(sugei アラム語)通り過ぎる、歩く   すぎる(sugiru) 過ぎる(通り過ぎるの意。「トンネルを過ぎて……」等) 
110シャア(sha'af)  吸う   すう(suu)    吸う 
111シャヴァ(shavua) 1週間、週   しゅう(shuu)  週 
112ウム(um アラム語)母   うむ(umu)    生む、生む(母になる) 

113ヤカド(yakad)  焼く、火にかける   やけど(yakedo) 火傷 
114アラ・ァセ(ara ase)言い争う(アラは「議論」、アセは「する」)   あらそい(arasoi)争い(言い争い) 
115ハヴァト・ハケ(havat hake)ハヴァト(打つ)+ハケ(たたく)で、「はたく」   はばたく(habataku)羽ばたく 
116ヘシェ・ガレ(heshek gare)ヘシェ(欲求)+ガレ(じらす、呼び起こす)で、「欲しがる」   ほしがる(hoshigaru)欲しがる 
117ヘゼカーシェム(hezek hashem)文字通りには「名を傷つける」で、「辱める」の意[ヘゼク(傷つける)+ハシェム(その名)]   はずかしめ(hazukashime)辱め 118イシャ・ツァヘク(isha tsahek)イシャ(女)+ツァヘク(遊ぶ)で、「女性といちゃつく」   いちゃつく(ichatsuku)いちゃつく(男女が甘ったるくふざけ合うこと) 
119ミ・ガドー(mi gadol)ミ(〜の者)+ガドー(偉大な)で、「偉大な者」   みかど(mikado) 帝、御門(天皇の別称) 
120ミーサー・サガー(misa sagar)ミサ(死、死者)+サガー(閉ざす)で、「死者を閉ざす」「墓」「陵」   みささぎ(misasagi)陵(天皇・皇后の墓) 
121オラ・シサ(ora sisa)熟語的に使われ、「大きな喜び」「嬉しさ」の意[オラ(明るい、輝く)+シサ(喜び)。同様な表現として、「オラ(ヴェ)シムハ」という表現が聖書のエステル記8章16節にあるが、これも「大きな喜び」「嬉しさ」の意]   うれしさ(ureshisa)嬉しさ 
122テウラ・ァセ(teura ase)テウラ(照明)+アセ(〜にする)で、「照らす」。日本神話の女神アマテラスの名は、「天照らす」の意   てらす(terasu) 照らす 

《民謡囃子詞のヘブル語解》  またアイデルバーグも、『日本ヘブル詩歌の研究』で有名な川守田英二と同じく、日本民謡の囃子詞の中にヘブル語をみている。次に見るのは、秋田民謡「能代船方節」の囃子詞に、ヘブル語解を施したものである。 

「能代船方節」とヘブル語
「秋田県に、民謡「能代船方節」(能代船唄)というのがある。船乗りの歌だが、歌詞は次の通りである。 
[能代船方節] ヤサ・ホー・エーサー ノサー・エンヤ、ラホー・エンヤ ハーエンヤー・ホー・エサ 能代橋から ハーエンヤー・ホー・エサ 沖眺むれば ハーエンヤー・ホー・エサ 三十五反の 帆を巻いて 米代川に 入るとき 大きな声をば 張り上げて ホー・ラホー・エサー ノサー・エンヤ、ラホー・エンヤ ハーエンヤー・ホー・エサ 思い出しゃ 船乗りゃやめられぬ ハーエンヤー・ホー・エサ  

 このカタカナの部分は、日本語としては、これといった意味がない。しかしこれをヘブル語としてみても、それはまさに船乗りの歌なのだ。以下は、この能代船方節にヘブル語解を施したものである。(  )内が、そのヘブル語解と意味である。


《日本語とヘブル語の類似語リスト》   

 またアイデルバーグは、日本語とヘブル語の間で意味も発音もよく似ている類似語を500ほどリストアップしている。その中から一部を引用してみよう。  [おのおのの項目で、前者(カタカナ)は、とくにことわっていないものはヘブル語であり、後者(ひらがな)は日本語である]


4 アンタ(anta)    あなた    あなた(anata)   あなた(あんた)

you (singular)  atā  אַתָּה  


7 ハエル(haer)    輝く、照り輝く、異彩を放つ    はえる(haeru)   映える(照り輝く、色あざやかに見えるの意)

(to) shine  le’ha’īr  לְהָאִיר


21 カサ(kasa)     守る、おおう    かさ(kasa)     

brute  pēre adām  פֶּרֶא אָדָם | ז 

 - with brute force  kāsach  כַּסַאח


24 コオル(kor)    寒い、冷たい    コオル(koru)    凍る

cold (n) (temperature)  kor  קור,



59カリー(kalil)    軽い   かるい(karui)   軽い 

easy (adj)  kal  קַל


68トル(tol)      取る、つかむ    とる(toru)    取る  

(to) take (to partake)  litōl  ליטוללִטֹּל 


71アグダ・ナシ(aguda nasi) 集団の長    あがたぬし(agata nushi) (古代日本語で)県主(種族の長)  

sorority  agudāt nashīm  אֲגוּדַּת

[倶楽部]


76シャマル(shamar)  見張る、守る、護衛する    さむらう(samurau)侍う[(貴人のそばで)仕える、守る]  

77シャムライ(shamrai)守る者、護衛[この語は現代ヘブル語にはないが、ヘブル語文法にそっており、過去においては「守る者」を意味して使われたと思われる。語尾のアイ(-ai)は、人の職業または性格を表す。

guard  shomēr  שׁוֹמֵר


78シマー(sima)    置くこと、しまうこと    しまう(shimau)  しまう  

putting (n)  simā  שִׂימָה | נ 


103カテ(katef)    肩    かた(kata)   肩  

shoulder  katēf  כָּתֵף


106ナギ(nagid)   古代イスラエル神殿の職員をさす言葉    ねぎ(negi)   禰宜[神社の(下級)神官]   

director (of a bank)  nagīd  נָגִיד


。。。

ladder  sulām  סולם,


もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべき この国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説 
第一刷 2016年2月29日 
編著者 久保有政

ENGLISH - HEBREW - Practical Bi-Lingual Dictionary - PROLOG - מילון אנגלי-עברי (PROLOG Dictionaries Book 1) (English Edition) Kindle版 


  1. https://s.jtcf.jp>item
能代船方節/北海鱈つり唄 - 日本伝統文化振興財団 作品検索
  1. https://s.jtcf.jp>item

能代船方節/北海鱈つり唄. のしろふながたぶし/ほっかいたらつりうた. 小松みどり. こまつ・みどり. VZSG-10051 (カセット) 1,210円(本体 1,100円).
未指定:ヘブル

https://youtu.be/Z2hJiDB3tXk

1 make great, e.g. shekel Amos 8:5, pile for fire Ezekiel 24:9, joy Isaiah 9:2 ... 2 magnify, salvation Psalm 18:51, so "" 2 Samuel 22:51 (Kt מַגְדִּיל; > ...

... Amos 8:5; Participle מַגְדִּיל Psalm 18:51 (= מִגְדֹּיל in || 2 Samuel ... 1. make great, e.g. shekel Amos 8:5, pile for fire Ezekiel 24:9, joy ...

gadal


Lexicon
gadal: to grow up, become great

Original Word: גָּדַל
Part of Speech: Verb
Transliteration: gadal
Phonetic Spelling: (gaw-dal')
Short Definition: grew

NAS Exhaustive Concordance

Word Origin
a prim. root
Definition
to grow up, become great


גָּדַל


育つ

grows up


https://translate.google.co.jp/?sl=en&tl=iw&text=grows%20up&op=translate


defined  mugdār  מוגדר,
一定

magnifier  magdīl  מַגְדִּיל
拡大

アリ・ガド

מגד

על
On

私にとって幸運

על という文字は英語で言えばonに相当する前置詞で、アルと読む。アインと、さっきも説明したら「ら」の音である。
それを私に、という形にするとアリという発音になる。

そのアリに幸福を意味するמגדをつけると、読みはアリガドとなる。そう、「ありがとう」だ。
つまり日本のありがとうという言葉は、ヘブライ語では私にとって幸福であるという意味を指している。



他には
「言葉」   「כתובה(コトブァ) 書かれた物」
「ダベる(喋る)」   「דבר(ダベル) 話す」
「ヒト(人)」 「חטא(ヒト)  偶像崇拝者、過ちを犯す者、罪」
「ヨシ(良し)」「יס(ヨシ)(はい、イエスの意味)」

ヤマト
ימית


marine
ימי

日本とユダヤ人の関係をヘブライ語で読み解く

לא לשכוח משהו שאני למדתי



ヘブライ語と日本語の単語間にある共通点は挙げればキリがない。


ホロブ(滅ぶ) הרוס ホロス(破壊された)
サムライ(侍) שמרה シャムラー (守った)

守るという言葉には物理的に何者かから誰かを護る場合と、味を守るというように保ち続けるという意味があるが、ヘブライ語でも同じである。
つまりシャムラーにはkeepとguardの意味がある。


さらに、ヘブライ語で聞くという動詞には従うという意味もある。これも従うことを「言うことを聞く」と表現する日本語とまったく同じである。

他にも「前」を意味する言葉の場合、例えば英語であれば時間ではbeforeを使い、物理的な場所であればin front ofを使うが、日本語と同じくヘブライ語の場合でも ひとつの単語で時間と場所を同じく表わすことが出来る。
לפני

על という文字は英語で言えばonに相当する前置詞で、アルと読む。アインと、さっきも説明したら「ら」の音である。
それを私に、という形にするとアリという発音になる。

そのアリに幸福を意味するמגדをつけると、読みはアリガドとなる。そう、「ありがとう」だ。

つまり日本のありがとうという言葉は、ヘブライ語では私にとって幸福であるという意味を指している。

さらに最初という意味で日本語では「頭から」などといって頭という単語を使うが、ヘブライ語でも同じことが出来る。
創世記の序文は英語では in the beginning god created the heaven and the earth.
初めにと訳される場所はヘブライ語では「頭において(ベレーシート)」という言葉が使われている。日本語でも四月の頭、などというように時間の始まりを頭で表現するが、ヘブライ語でも同じような表現が出来る。


きわめつけはカルという単語である。ヘブライ語で קל カルという言葉が意味しているのは「軽い・単純」である。
これは日本語の軽いとまったく同じとしか言いようがない。軽音楽などのように、日本語でも軽いという言葉が簡単や単純を意味している。
軽い軽いと言えば、簡単かもしくは言葉通り重量的に大したことがないという意味だが、ヘブライ語でも同じことが出来る。


他には
「言葉」   「כתובה(コトブァ) 書かれた物」
「ダベる(喋る)」   「דבר(ダベル) 話す」
「ヒト(人)」 「חטא(ヒト)  偶像崇拝者、過ちを犯す者、罪」
「ヨシ(良し)」「יס(ヨシ)(はい、イエスの意味)」


さらに、
ヤマトは ימית と書き、その意味は海、さらに豊富という意味もある。これは大和という国が海、そして恵み豊かな土地であることを表わしている


ここで神武天皇の名をヘブライ語で説明してみよう。
古事記において神武はこう綴られている。

かむやまといわれひこのみこと

קום (クァム)立ち上がれ
ימית (ャマト)海の国
עבר (エヴァレ)進め
הכה (ヒコ)討て or 叩け
מ גד (ミガド)ガド族より

ガド族より立ち上がり海の国を進み討て、という意味になる。



他にも卑弥呼もヘブライ語で説明が出来る。
ヒというのは「彼女」を意味していて、היא と書く。ヘブライ語では現在時制においてはコピュラが省かれる。日本語で「これは何です?」でも「これ何?」でもいいようなものだ。
つまりヒという字だけでShe isと同じ意味がある。

היא מלך (ヒーミゥク)(彼女は支配者)


そもそも魏でも昔の日本でも、いきなり相手の名前を尋ねて相手の名前を呼ぶなどということは貴人の間ではまずない。
役職を尋ねられ、従者が彼女は支配者である(ヒーミゥク)と答え、それが記されたのだ。


 
日本とユダヤ人に深いかかわりがあるのはもう言うまでもない。

ミカドという言葉はミガドという言葉が元になっている。ミというのはfromの意味で、ガドというのはヤコブが奴隷の女に産ませた子どもの名前で、兵隊や幸福という意味になる。
性奴隷の子ガドはやがてガド族を形成するようになる。

そのガド族は行方がわからなくなったことにより、失われた十支族のひとつに数えられるようになる。

そのガド族の子孫こそが天皇である。
מ גד (ミガド) 意味はfrom Gad

スメラミコトももちろんヘブライ語で説明が出来る。
スメの部分は名詞で、ラの部分は前置詞から成っている。

このスメの部分は名前という意味の名詞であり、ラというのはto herを意味している。
שはsh(もしくはs)の音を、םはmの音を、לは「ら」の音を(形もそっくり)、מはミと読みfromを意味する前置詞、そして גד ガド。

従ってスメラミコトをヘブライ語で書くとこうなる。

שם לה מ גד (彼女への名をガド族より)

この”彼女”が天照大神を指しているのは明らかだ。
なにせ天皇の仕事は天照大神に祈りを捧げ、国土に五穀豊穣をもたらすことだからだ。
ちなみにアマはヘブライ語で母を意味しており、テルは教理を意味している。(アマテラスではなく、アマテルと呼ぶ場合も多い)










ナニャドヤラ 〜 北東北人はユダヤ人 ? - エム・システムのブログ
https://msystem.hatenablog.com/entry/20150822/1440171181

ナニャドヤラ 〜 北東北人はユダヤ人 ?


以前、過去ブログ「盛岡市近郊「お盆の風景」 〜 他とは一味違うお盆(20150620.html)」において、岩手県の県北地域で行われている「ナニャドヤラ(ナニャトヤラ)」と言う盆踊りがあることを紹介しました。

そして、この盆踊りの歌詞をカナ文字にするとヘブライ語になると言う説がある事も紹介しました。

この「ヘブライ語」説は、岩手県一戸町出身の神学者「川守田 英二」氏が唱えた説なのですが、「ナニャドヤラ」の歌詞に関しては、実は、次のような様々な説があります。

【 ナニャドヤラの歌詞の意味 】
・「恋の歌」説 :民俗学者柳田國男」が唱えた説。盆踊り時の恋の歌であると言う説。
・「道歌」説 :青森県八戸市の心霊研究科「中里義美」が唱えた説で、言語学者金田一京介」も支持した説。「道歌」が南部地方の方言により変化したと言う説。
・「ヘブライ語」説 :前述の通り。ヘブライ語の進軍歌と言う説。
・「梵語」説 :提唱者不明。南北朝時代長慶天皇が、足利氏に追われ、三戸郡名久井岳の近くに隠れ住んだ際に、味方に無事を知らせる内容を里人に唄わせたという説。

また、この「ナニャドヤラ」を踊っている地域には、「キリストの墓」と呼ばれている物まで存在しています。

その他にも、青森、そして岩手に跨る「旧 南部藩」の地域には、ユダヤ人に関わる不思議な言い伝えがありますので、それらも合わせて、次の内容を紹介したいと思います。

●ナニャドヤラの歌詞とヘブライ語
●南部地方とユダヤとの関係
●粛慎とは
●その他、日ユ同祖論の紹介

ちなみに、本ブログの最初の画像は「六芒星」、英語でヘキサグラム(Hexagram)と言い、イスラエルの国旗にも取り入れられていますが、「ダビデの星」とも呼ばれ、ユダヤ人の象徴として、良く用いられる記号です。

しかし、何故か、旧 南部藩の領地には、この「六芒星」と関わる点が見受けられますので、それらについても紹介したいと思います。

それでは今回も宜しくお願いします。

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■ナニャドヤラが伝わる地域と諸説の内容

この「ナニャドヤラ」、現在は、次の地域において、盆踊りとして伝わっているそうです。

青森県
三戸郡新郷村(さんのへぐん-しんごうむら)
三戸郡田子町(たっこまち)
三戸郡階上町(はしかみちょう)
八戸市
・上北郡東北町(かみきたぐん-とうほくまち)
岩手県
九戸郡洋野町(くのへぐん-ひろのちょう)
九戸郡野田村(のだむら)
二戸市
二戸郡一戸町(にのへぐん-いちのへちょう)
久慈市


一部の情報(Wikipedia等)では、秋田県鹿角市付近にも伝わって踊られていると言う情報もありますが、どうやら秋田県には、「ナニャドヤラ」を踊っている地域は存在しないみたいです。

このため、地図で見ると、右図の赤線で囲まれている地域にだけ、伝わっているような感じがします。

これは、旧南部藩領の内、南部氏発祥の地である八戸藩、および七戸藩の地域に重なっています。

元々南部氏は、甲斐国(山梨県)の甲斐源氏の流れをくんだ「南部 光行」が、「源 頼朝」の求めに応じて、奥州藤原氏討伐に参加し、その功績により現在の八戸市南部町に居城を築いたのが始まりとされています。

その後、三戸町、そして盛岡市と移転し、南部氏盛岡藩となりましたが、同時に八戸藩七戸藩も合わせて、「南部藩」と呼ばれています。

さて、ここで、あらためて「ナニャドヤラ」の歌詞を紹介させて頂きます。但し、この歌詞も、地域により若干異なるようです。

【 ナニャドヤラの歌詞(洋野町で開催されるナニャドヤラ大会の歌) 】

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド

そして、歌詞の意味に関する、それぞれの説も再度紹介させて頂きます。

●「恋の歌」説

民俗学者柳田國男」が唱えた説。
・大正10年頃に、前述の九戸郡洋野町種市を訪れて盆踊りを見た時に、地元の女の子から「なにヤとやーれ なにヤとなされのう」という歌詞を教えてもらったが、これを「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」と訳し、盆踊り時の恋の歌である唱えた。
・この事を「清光館哀史」と言う短編本に書いており、この内容は、一時期、教科書にも記載されていたそうです。

●「道歌」説

青森県八戸市の心霊研究科「中里義美」が唱えた説。
・道歌とは、道徳的な短歌の事で、有名な道歌に「なせばなる、なさねばならぬ何事も」と言う歌も有る。
・この有名な道歌を、南部地方の方言で歌ったものが「ナニャドヤラ」で、意味は「なんでもやりましょう。そうすればなんでもできるものだ。わかりました。なんでも大いにやろう」と言うものだと言う説。
・昭和24年(1949年)、宮中に学士院会員が招かれた時に、キリスト教史を研究されていた三笠宮崇仁親王(みかさのみや-たかひとしんのう)が、言語学者金田一 京介」に「ナニャドヤラ」についてお尋ねになられた際に、この道歌説を紹介したとされています。

●「梵語」説
・提唱者不明。
南北朝時代(1336年〜1392年)、南朝第三代天皇長慶天皇」が、足利氏に追われ、三戸郡名久井岳の近くの長谷寺に隠れ住んだ際に、味方に無事を知らせる内容を里人に唄わせたという説。
・下記のように伝えられているが、その内「長谷嶺居野宰叡」の箇所が、「長谷よりほかに住む都がない」という意味になるという説。
奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ)
奈任耶阿堵長谷嶺居野宰叡(なにゃあどなされいのさえ)
奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ)

●「ヘブライ語」説

岩手県一戸町出身の神学者で、サンフランシスコ在住の「川守田 英二」氏が、上記「金田一 京介」の記事を読んで、翌年の昭和25年(1950年)に反論した内容。
・昭和31年(1956年)に、自身の著書「日本へブル詩歌の研究」の中で、ヘブライ語の進軍歌と言う説を唱えた。
・詳しくは、次の章で紹介します。

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■ナニャドヤラの歌詞とヘブライ語

それでは、この章の最初に、「ナニャドヤラ」とは、どのような物なのか、Youtubeに投稿されている動画をご覧下さい。

この動画は、青森県三戸郡新郷村で毎年6月1日に開催される「キリスト祭」の模様となります。

キリスト祭 ? 何それ ? と思われる方も居ると思いますので、「キリスト祭」に関しては、後で説明します。

そこで、まずは「ナニャドヤラ」の歌詞とヘブライ語の関係ですが、前述の神学者「川守田 英二」氏によると、「ナニャドヤラ」の歌詞は、次のようになるとの事です。


ナギャド ナサレ ヘテ 行く手に 我ら追い払わんとす ヘテ人を
ナギャド ヤド ヤーリヤ その領土に向かって 進撃し給え ヤーよ

ナギャド ナサレ ヒイヤ 行く手に 我ら追い払わんとす ヒビ人を
ナギャド ヤーレヤー ヤーよ 進撃し給え

ナギャド ナサレ アダ 彼方へ アダ族は退却したり
ナギャド ヤーラヤ 前方へ ヤーよ 進み給わんことを
ナギャド ハヤラド ヤーレ ヨルダン川に向かって ヤーよ 進み給わんことを

※ハヤラド:ヨルダン川の古名

あれ?! 何か、前の歌詞と違うような気がするんだけど・・・と思う方も居ると思いますが、前にも記載しましたが、「ナニャドヤラ」は、その地域によって、微妙に歌詞が異なります。

「川守田 英二」氏が、どこの地域の「ナニャドヤラ」を翻訳(?)したのかは不明ですが、少なくても岩手県九戸郡洋野町ではないようです。

また、Web検索をすると「Wikipedia」に記載されている翻訳文が多く掲載されていますが、本ブログでは、異なる翻訳文を掲載しています。

Wikipedia」では、次のように訳文が掲載されています。

【 御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん 】


次に「キリスト祭」の件ですが・・・これは、ゴルゴダの丘磔刑に処されたはずのキリストが、実は密かに日本に渡り、新郷村で106歳の天寿を全うしたと言う、とんでもない「キリスト渡来説」が基礎になっています。

事の起こりは、昭和9年(1934年)、新郷村(旧村名:戸来村)出身の画家「鳥谷 幡山(とりたに-ばんざん)」が、地元「新郷村戸来雨池」に、ピラミッドを発見した事から始まります。

そして、ピラミッド発見の翌年となる昭和10年(1935年)に、新宗教団体の教祖「竹内 巨麿(たけうち-きよまろ)」を連れて、ピラミッドの再確認のため、再び新郷村を訪れたそうです。


すると、今度は「竹内 巨麿」が、数メートルの高さになっている「盛り土」を見て、「ここがキリストの墓である」と認定し、村長に、この塚を「十来塚」と名付けるように指示したそうです。

その後、新郷村では、昭和39年(1964年)から、毎年6月の第一日曜日に、この地で一生を終えたとされるキリストの御霊をお慰めするため、キリスト祭を開催しているそうです。

ちなみに、平成16年(2004年)に開催された「第41回キリスト祭」には、イスラエル駐日大使が、わざわざ祭りに参加して、エルサレム・ストーン(※)を寄贈したとのことです。

さらに、おまけの話ですが、「竹内 巨麿」が「キリストの墓」を発見した時に、隣の盛り土は、キリストの弟である「イスキリの墓」である、とも言っていたそうです。なんともはや・・・・


それと、参考までに、「鳥谷 幡山」が発見した、上述のピラミッドらしき物は、現在では「大石神(おおいしがみ)ピラミッド」と呼ばれています。

これは、ピラミッドらしき物を発見した場所が、「大石神山」と呼ばれる山であったと言う事と、日本にピラミッドがあると言う説を提唱する「酒井 勝軍(さかい-かつとき)」と言う人物の説に従い、地元の人間が、勝手に「大石神ピラミッド」と名付けた物なのだそうです。

また、「竹内 巨麿」が、単なる「盛り土」をキリストの墓と認定した証拠は、自身の家に、古くから伝わる古文書に、キリストが日本に来た事が書かれていたからなのだそうです。


この「竹内家」に伝わる古文書は、「竹内文書」と呼ばれ、「古事記」以前の、日本古来の歴史上の出来事が記録されているとされている「古文書」と言われていますが、現在では「偽物」と言われています。

さらに、日本にピラミッドがあると提唱した「酒井 勝軍」は、この「竹内文書」の信奉者だったらしいです。

これらの事から、「キリストの墓」や「大石神ピラミッド」の件を客観的に判断すると、どちらも「眉」に「ツバ」を付けたくなる事柄のような気がします。

しかし、敢えて、次の章では、この「新郷村」を含む北東北とユダヤとの関係などを紹介したいと思います。

本章の最後になりますが、「ナニャドヤラ」がヘブライ語であると唱えた「川守田 英二」氏は、キリストの墓と「ナニャドヤラ」がヘブライ語であると言う事は、何の関係も無いと言っていたそうです。

エルサレム・ストーン:エルサレム市街の建築物外壁に使われる白い石灰岩の事。

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■南部地方とユダヤとの関係


本章では、新郷村を始めとする旧南部藩の領地における習慣や風習と、ユダヤとの関係を紹介したいと思います。

「ナニャドヤラ」が伝わる旧南部藩領や新郷村の位置関係は、左の画像のようになります。(※新郷村は二重下線)

最初に、新郷村の風習とユダヤとの関連性を紹介します。

新郷村の風習とユダヤとの関連

新郷村(旧村名:戸来村)では、前述の「キリストの墓」とは全く関係なく、何時からかは不明ですが、次のような言い伝えや風習等があるそうです。

(1)「戸来村」の地名
まずは、「新郷村」の旧村名「戸来(へらい)村」ですが、その存在自体が、とっ〜ても怪しい「古代史書研究会」と言う団体が、この「戸来」と言う村名は、「ヘブライ語」であると言ったそうです。(1987年出版、新人物往来社「世界 謎のユダヤ人」に記載)

(2)戸来小学校の校章
新郷村にある「戸来小学校」、この小学校の「校章」が、(今回の調査では真偽の程は確認できませんでしたが)、先に紹介した「ダビデの星」であると、まことしやかに伝えられています。

(3)額に「十字架」

戸来村には、生まれて間もない子供の額に十字を書いていたとか、足がしびれた時は、指にツバを付けて額に十字を3回書くとしびれが治るという言い伝えがあるそうです。

左図は、ホラー映画のセットではなく、戸来村にある「キリストの里伝承館」の展示物です。

(4)「ダビデの星」を家紋に持つ一族

戸来村には、「キリストの墓」を代々守ってきた「沢口家」という一族が存在し、この一族の家紋は、昔は「ダビデの星」だったと言う話があるそうです。

また、この「沢口一族」は、実はキリストの子孫で、過去には「長身&碧眼」の当主も存在したとする説も紹介されていますが・・・

家紋の話はさて置き、「長身&碧眼」の当主の話は、誰かのでっち上げのようです。

●南部地方の風習とユダヤとの類似点


次に、旧藩部藩領とユダヤとの関係について紹介します。

南部藩の領地には、「南部せんべい」と言う郷土料理(菓子?)があるのは、皆さんもご存知かと思います。

南部せんべい」は、青森県、および岩手県が、主な生産地となっており、現在では、「南部せんべい」と言う名称で、岩手県南部煎餅協同組合が、商標登録しています。

そして、この「南部せんべい」には、実は、次のような由来があると伝えられています。

(1)「長慶天皇創始」説
(2)「南部氏創始」説
(3)「ユダヤ人創始」説

それでは、簡単に、それぞれの説を紹介したいと思います。

(1)「長慶天皇創始」説

長慶天皇」に関しては、「ナニャドヤラ」の梵語説に記載した通りです。

そして、天皇長谷寺に隠れ住んでいた時に、家臣の「赤松 助左衛門」が、自分の兜を鍋の代わりにして、近くの農家からそば粉と胡麻を手に入れて焼き上げた物が、「南部せんべい」の始まりである、と言う説です。

その後、長慶天皇は、この「南部せんべい」が気に入ったので、たびたび赤松に作らせて召し上がり、さらには、煎餅に赤松家の家紋「三階松」を入れる事を許されたとの事です。


また、赤松家の家紋とは別に、南朝に尽くしてくれた忠臣「楠木 正成」を偲び、楠木家の家紋「菊水」の印も入れるようにした、と言う説です。

この説は、昭和20年代に、「南部せんべい」の起源を整理した時に、この説を中心に、話を組み立てたので、現在でも「三階松」と「菊水」の家紋が、煎餅に押されているとのことです。

(2)「南部氏創始」説
応永十八年(1411年)、根城南部家十代「南部 光経(みつつね)」が、安東氏と戦った「秋田戦争」において、戦場で兵士達が、そば粉に胡麻を混ぜて兜で焼いて食べた所、大いに将兵の士気が上がり、戦いに勝利することが出来た。

このため、その後の戦においても、この「南部せんべい」を携行するようになったと言う説です。

(3)「ユダヤ人創始」説

話の出処は不明で、一説には「キリスト渡来説」と一緒に話が広まったと言う噂もありますが、ともかく、この地に来たユダヤ人が、故郷のパンに似せて作ったものが「南部せんべい」である、と言う説です。

確かに、今では、ほとんど見ませんが、私が子供の頃には、煎餅の裏側に、「ユダヤの星(六芒星)」の焼き印が押された「南部せんべい」があった記憶があります。

左の画像では表側に焼印がありますが・・・

また、上記の説に、さらに「尾ひれ」が付いて、キリストが作った物だとか、モーゼが作ったとか言う説もありますが、どれも「眉唾」ものだと思います。


このように、新郷村を含む、旧南部藩領には、キリストや長慶天皇の伝説は別としても、何か不思議な言い伝えが残されているのは確かな様です。

日本の歴史においては、3世紀後半〜4世紀前半までの約150年間、何があったのか全く解らない時代があるそうです。

この期間は、「空白の4世紀」と呼ばれているらしいのですが、この時期は、「卑弥呼」の死後となり、ちょうど「大和朝廷」の設立期にあたると思うのですが、この空白の時代が、何か北東北に影響を与えているのかもしれません。

次の章では、旧南部藩領に、何か影響を与えたかもしれない事象に関して、少し紹介したいと思います。

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■旧南部藩領に影響を与えたかもしれない事

これまでは、「ナニャドヤラ」を始めとして、旧南部藩領において見られるユダヤの影響について、様々な言い伝え等を紹介してきました。

それでは、何故、この地域に、ユダヤの影響が見られるのでしょうか? 私は、歴史学者ではないので、詳しいことは解りませんが、これから紹介する事象が、この地域に何らかの影響を与えているのではないかと思っています。

●「安倍氏」の影響

南部藩領を含む、北東北地域(奥六郡)は、8世紀には「阿弖流為(アテルイ)」率いる蝦夷支配下でしたが、9世紀には「坂上田村麻呂」に破れて大和朝廷支配下となりました。

そして、10世紀〜11世紀に掛けては、「奥州安倍氏」が、朝廷より「六箇郡の司」と言う地位を与えられて支配していました。

その後は、「前九年の役」により「源 頼義/出羽清原氏」、「後三年の役」では「奥州藤原氏」に支配され、さらにその後は、前述の通り、「源 頼朝」配下の「南部 光行」が支配する事となります。

ところで、この「安倍氏」は、第八代「孝元天皇(こうげんてんのう)」の第一王子である「大彦命(おおひこのみこと)」が、始祖とされています。

歴史上で「安倍氏」の存在が明らかとなったのは「安倍 大麻呂(おおまろ)」と言われており、第二十八代「宣化天皇(せんかてんのう)」の重臣として活躍しました。

そして「安倍 大麻呂」の子供達から2系統に大きく分裂し、一方は大化の改新左大臣となった「安倍 麻呂」系と、もう一方は7世紀に将軍となって蝦夷(えみし)や粛慎(しゅくしん/みしはせ)と戦った「阿倍 比羅夫(ひらふ)」系となります。

「安倍 麻呂」系には、陰陽師で有名な「安倍 晴明」が居ますし、「阿倍 比羅夫」系には、歌人「阿部 仲麻呂」や、奥州安倍氏の祖となる「安倍 忠良(ただよし)」がいます。


さて、ここで奥州安倍氏ですが、「前九年の役」で「源 頼義」と戦った「安倍 貞任(さだとう)」や、その弟の「安倍 宗任(むねとう)」等は、色白で身長180cm以上と、当時としては、並外れた体格の持ち主として知られています。

そして、一説では、奥州安倍氏には、「粛慎」の血が入っているのではないかと言われています。

この事は、「安部貞任/宗任」兄弟の先祖である「阿倍 比羅夫」が、「粛慎」と戦った事実がありますので、あながち嘘とも言えない可能性があります。

そして、「粛慎」は、現在の中国北東部/ロシア地方に住んでいたとされていますので、そこに、ユダヤ系の血筋の人達が入り込んでいた可能性もあります。

このため、「粛慎」から、何らかのユダヤ系の言い伝えや儀式が、北東北に持ち込まれた可能性が、あるかもしれません。

●「秦氏」の影響
秦氏(はたうじ)」とは、応神天皇の時代に大陸から帰化した人々で、始祖は「弓月君(ゆづきのきみ)」、あるいは「融通王(ゆうずうおう)」と言う名であったと「日本書記」に記載されている一族となります。

さらに「日本書記」によると、応神十四年(283年)に、120の県(あがた:地方の意味)の民を率いて日本に帰化したとあります。

この「120の県の民」ですが、人数は不明ですし、どの民族なのかも解りませんが、120もの県ですから、相当数の人を率いてきたと思われます。

秦氏」自体は、名前の通り、「秦(しん)国」出身で、自らは「始皇帝」の末裔と称していたようですので、元々は朝鮮半島系ではなく、大陸系の民族だと思われます。

京都を始め、全国に「太秦(うずまさ)」と言う地名が付く場所がありますが、その場所が、「秦氏」の居留地だったと考えられています。

また、神奈川県に「秦野(はだの)市」と言う自治体がありますが、ここも「秦氏」関連の場所と伝えられています。

しかし、現在のところ、文献等では「秦氏」が移り住んだ記録は残されていないようですし、「秦野」と言う地名も、元は「波多野氏」が由来と伝えられています。

ところで、この「秦氏」が日本に渡った際に、同行してきた「120の県」に、ユダヤ人が含まれていたのではないか、と言う説があります。

また、前述の「波多野氏」ですが、遠い祖先は「平 将門」を討った「藤原 秀郷」と伝えられており、その子孫が、恩賞として賜った「秦野」に移り住んで勢力を拡大したと伝わっています。

そして「藤原 秀郷」の子孫である「佐伯 経範(つねのり)」が、「波多野氏」の始祖と言われていますが、この「佐伯 経範」は、「源 頼義」の家人として「前九年の役」で活躍したことが記録に残されています。

秦氏」と「波多野氏」が、「秦野」でつながり、さらに「前九年の役」で「安倍氏」とつながれば、少々無理はあるかもしれませんが、東北とユダヤ人の関係が見えてくるかもしれません。

●「徐福」の影響

「徐福(じょふく)」とは、「司馬 遷」の「史記」に登場する人物で、「秦始皇帝」の命を受け、3,000人の技術者を引き連れて、東方に「不老不死」の霊薬を探しに行ったと伝えられています。

また「史記」によれば、「徐福」は、「東方の三神山に向けて船出をしたが、結局、東方の王となり戻らなかった」とも記載されています。

このため、「徐福」は、朝鮮半島経由で日本に渡ったと言われており、日本では、青森県から鹿児島県に至るまで、広い地域に「徐福伝説」が残されています。

「徐福伝説」が伝わる青森県では、徐福達の船団が、対馬海峡を渡る時に嵐に遭遇してしまい、その結果、津軽半島の「小泊(こどまり)村」に流れ着いたとされています。

そして、この「小泊村」にある「権現崎」こそが、「徐福」が求める「東方の三神山」の一つである「蓬莱山」だと信じ、この地に住み着いたとされています。

他方、「徐福」、その人が、ユダヤ人であるとする説がありますし、「徐福」が引き連れてきた3,000人の技術者の中に、ユダヤ人が居たとする説もあります。

この説が、正しいと認められれば、ユダヤ人と東北の関係が、明らかになると思われますが・・・

しかし、もしも「徐福」、あるいは配下の技術者が日本に渡って来ており、かつ日本に定住したのであれば、紀元前3世紀頃には、既に日本に漢字が伝わったことになりますので、当時の遺物に、漢字が使われていた形跡が残されているはずです。

紀元前3世紀と言えば、日本では、まだ弥生時代です。

残念ながら、この時代の遺物に漢字が使われた形跡は残っておりませんし、日本で漢字が使われ始めたのは、5世紀〜6世紀と言われていますので、「徐福伝説」は、あくまでも伝説に過ぎないと思われますので、「徐福」が東北地域に影響を与えた可能性は、極めて低いと思われます。

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■その他、日ユ同祖論

ここまで、旧南部藩領となる北東北とユダヤ人の関係を、大いなる推測を含めて紹介してきましたが、日本には、古くから「日ユ同祖論」と言われる話が、そこかしこで燻っています。

この「日ユ同祖論」とは、「日本人の祖先がユダヤ人である」と言う説です。

何故、こんな、突拍子もない話が、延々と語られるのかと言えば、それば日本の生立ちを示す明確な証拠が存在しないからです。

『 日本の生立ちを示す証拠なら「日本書記」や「古事記」があるじゃないか! 』、と思われる方も大勢居るかと思います。

しかし・・・和銅五年(712年)に記載された「古事記」や、養老四年(720年)に記載された「日本書記」は、後世の人達、取り分け、大和朝廷となった時に、大和朝廷の人達が、自分達が日本を支配する事の「正当性」を示すための、意図的に歴史を捏造、あるいは歪曲して作成した書物だと言われています。


まあ、たいていの歴史書は、後世の人達が書いたものですが・・・

今では、「日本書記」や「古事記」は、単なる物語、フィクションである、と言うのが、歴史家の通説となっています。

ちなみに、「古事記」、および「日本書記」は、次の年代の歴史を記載していると言われています。

古事記 :神代における天地創造から推古天皇(在位593年〜628年)の時代に至るまでの出来事を記載
日本書紀 :神代から持統天皇(在位690年〜697年)に至るまでの出来事を記載

それでは「日本書記」や「古事記」がフィクションとされているのは何故かと言いますと、他の歴史書とは異なる記述が多く、また発見された遺物との間に、整合性が見られない点が多過ぎるからと言われています。

また、日本には、「仁徳天皇陵」等、数多くの古墳がありますが、どれ一つとして、宮内庁が調査を許可しないため、歴史の解明が進んでいないことも、「日本書記」や「古事記」の信憑性が疑われる原因となっています。

加えて、「伊勢神宮」や「出雲神社」等、日本の生立ちに多大な影響を与えたと思われる神社も、各種調査を阻んでいる点も問題です。

近頃では、平成25年(2013年)に、「伊勢神宮」において「神宮式年遷宮」が執り行われたので、色々なTV番組で「伊勢神宮」の事が紹介されましたが、その実態は闇の中です。

神宮式年遷宮」を含め、「伊勢神宮」では、日々数多くの行事が執り行われますが、その多くは非公開となっています。特に、「伊勢神宮」に保管されている(と言われている)「三種の神器」は、天皇でさえ見ることは出来無い物と言われています

また、「伊勢神宮」は、皇室の氏神である「天照大御神」を祀っているにも関わらず、「持統天皇」が、第1回目の「式年遷宮」を行った692年から、「明治天皇」が、明治二年(1869年)に参拝するまで、約1,177年間、天皇が誰も参拝していないのも謎を深めるばかりです。

ちなみに、「三種の神器」とは、次の宝物です。

八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)

このように、宮内庁神社庁が、歴史の解明に非協力的なため、また明治政府以降で、天皇を神格化する動きがあったため、現在でも日本の生立ちは「闇の中」となってしまっています。

他方、「日本書紀」/「古事記」の他に、日本の歴史書は存在しないのかと言うと、本当は、他にも存在していたそうです。

日本書紀」には、「天皇記」や「国記」と言う日本最古の歴史書が存在した事が記録されていますが、645年に「蘇我蝦夷」が自害する際に自宅に火を掛けたのですが、この火が書庫にまで延焼し、「天皇記」を含む多くの歴書が焼失してしまったと伝えられています。(「国記」は何を逃れたのですが、その後紛失したと言われています。)

このような背景等があり、かつこれから紹介しますが、日本とユダヤの風習に、数々の類似点があることから、いつまでも「日ユ同祖論」が語られ続けているのだと思います。

それでは、簡単に、その類似点を紹介します。

●墓の形

皆さん、左の画像は、歴史で必ず習う「仁徳天皇陵」です。

ちなみに、現在では「仁徳天皇陵」とは呼ばず、「大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)」と呼ばれているようですが・・・

このお墓を「前方後円墳」と呼んでいることは、これも学校で学んで覚えていると思いますが、左の画像、おかしくありませんか ?


「後円墳」ですよね ? つまり、後ろが「円」になっているから「後円墳」と言われている訳ですから、上の画像は、本当は逆さまの画像なのです。

そして、上の画像を逆さにしたのでが、右の画像となります。

何で、わざわざ上下を逆さにした画像を教科書、その他に使うのか、なんらかの意図(悪意)を感じてしまいますが・・・その点は、今回は割愛します。

こうして、従来紹介されている画像を、本来に形にしてみると、何か、別の物の形に見えませんか ? ワッペン ? 壺 ?


そして、次の画像ですが、古墳の内部だけを切り取った画像ですが・・・どうみても壺ですよね。

ちなみに、ユダヤ人にとっての三種の神器は、次の3個なのだそうです。

・アロンの杖 :モーゼとアロンが使用すると奇跡を起こせる杖。
・十戎の石版 :モーゼが神より与えられた十戎が刻まれた石版。
・マナの壺 :モーゼが神より授かった壺。神から与えられた食料が入っている。

「日ユ同祖論」を唱える人達にとっては、この画像は、「マナの壺」を表しているのだそうです。

●神輿

祭には欠かせない「神輿」。左の画像は、日本全国、何処に行っても見られる祭の光景です。

神輿の起源は諸説ありますが、文献に最初に現れるのは「八幡宇佐宮御託宣集」で、養老四年(720年)に九州で起こった「隼人の乱」において、八幡神の神霊が乗る「神輿」を作らせたのが最初とされています。

そして、その後の天平感宝元年(749年)、聖武天皇が、奈良の東大寺に盧遮那仏を建立している最中に、宇佐八幡神が、屋根に金色の鳳凰が輝く乗り物「鳳輦(ほうれん)」に乗って、奈良に渡御したと言われており、この時の形が、今の神輿の原型になっているそうです。


他方、右の画像をご覧下さい。

これは、「契約の箱」と呼ばれ、当初は、前述の三種の神器が納められていた箱の模型です。

これは、神からの指示に従い、モーゼが、出エジプトの1年後に作らせた物と伝えされています。

モーゼの時代には、先の通り、三種の神器が納められていたが、その後、ソロモン王の時代(紀元前10世紀頃)には、石版のみが納められていたとされています。


上の画像は、映画「レイダース/失われたアーク 聖櫃」に登場した「アーク」ですが、実物は、現在は行方不明です。

しかし、エチオピアの「エチオピア正教会」には、現在でも「アーク」が存在しているとされています。

そこで、「神輿」と「契約の箱」です。何が言いたいのかは、既にお解りだと思いますが、形、それに運搬方法が、両者とも酷似しています。

これも、「日ユ同祖論」の一つの証拠とされています。

●山伏とユダヤ教徒

皆さん、この方達は、何者かは、良くご存知だと思いますが、「山伏」です。

「山伏」は、「修験道」と言う、「仏教」と「山岳信仰」が習合した日本独自の宗教を行う人達で、山にこもって悟りを得ることを目的にしています。

そして、山伏達は、頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持ち、袈裟と篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に纏い、山中での互いの連絡や合図のために、ほら貝を加工した楽器を使用します。

まあ、これが一般的な「山伏」の出で立ちとなります。


それでは、次に右の画像をご覧下さい。この画像は、ユダヤ教徒の人の画像です。

頭に載せているのは、ユダヤ教聖典である「旧約聖書」が納められた小箱「ヒラクティリー」という物です。

また、この人が吹いているのは、羊の角で作った「ショーファー」と呼ばれる楽器ですが、ユダヤ人の祭の時などに使用されるそうです。

これも言うまでもなく、山伏にそっくりですよね。

諏訪神社の「御頭祭(おんとうさい)」

皆さん、諏訪大社の祭事と聞いて、何を思い浮かべますか ? はやり、普通は「御柱祭」ですよね。

諏訪大社の「御柱祭」は、「寅年」と「申年」の6年毎に行われている最大の祭事となり、正式には「式年造営御柱大祭」と言いますが、次は2016年の開催予定となっています。

左の画像は、「下社の木落し」の画像ですが、木落し坂は、最大斜度35度、距離100mで、過去何度も死人を出している最も危険な行事です。


しかし、「御柱祭」とは別に、毎年4/15に行われる「御頭祭(おんとうさい)」と言う祭事もあります。

この祭事、名前に「御頭」と付き、何か不気味な雰囲気を醸し出していますが、想像通り、右の画像のように「鹿の頭」を奉納する、何とも奇妙な祭りとなっています。

ちなみに、現在では「鹿の頭」は剥製ですが、その昔は、当然の事ながら、実物を75頭分も奉納していたそうです。



そして、さらに江戸時代となる天明四年(1784年)に、当時の旅行家である「菅江 真澄(すがえ-ますみ)」が書いた紀行文「諏訪の海」に、当時の「御頭祭」の様子が書かれていたそうです。

そして、その内容が、「神長官守矢史料館(じんちょうかん-もりやしりょうかん)」と言う地元の資料館の「しおり」に記載されているそうです。

そして、その内容はと言うと・・・

前述の通り、75頭もの鹿の頭の貢物については「前官の十間廊に、鹿の頭が75もマナ板の上に並んでいた。その中に耳が裂けた鹿があるが、それは神の矛で切られたものだと言う。」と言う解説があります。

さらに、次のような説明書きがあります。

【 諏訪の海 】の内容

やがて篠の束の縄をほどき、篠をばらばらにしてその上に敷き、花をそえる。その時、長さは五尺余り、幅は五寸ほどで、先のとがった柱を押し立てる。これを、御杖(おつえ)とも、御贄柱(おにえばしら)とも言うが、どうであろうか。(中略)

御神おこうといって、八歳ぐらいの子どもが、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。(中略)
そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな綿の袋から取り出し、抜き放って長殿に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。(中略)

例の神の子供達を、桑の木の皮をより合わせた縄で縛り上げる。その縄でしばるとき、人々はただ「まず。まず」と声をかける。(中略)

例の御贄柱を肩にかついだ神官が、「御宝だ、御宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを五個、綿の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走りだし、神の前庭を大きく七回回って姿を消す。そして、長殿の前庭で、先に桑の木の皮でしばられていた子どもたちが解き放され、祭は終わった。


また、しおりには「御神(おこう)という紅の着物を着た子供を御贄柱とともに押し上げ、その後、立木に縄で縛りつけるのは何故か。かつては、御神(おこう)は殺されたと伝えられている。」と言う記述があるそうです。

つまり、「御神と言う少年を、御贄柱に縛り付けて一緒に押し上げて、昔は、本当に生贄として殺害していたが、今は解き放っている。」と言うのである。

このため、「御神を御贄柱に捧げて殺す」と言う部分が、旧約聖書の創世記、第22章「イサクを捧げようとするアブラハム」に類似していると騒がれてしまいました。

さらに、この逸話を盛り上げたのは、「モリヤ」と言う単語です。

前述の「守矢史料館」とは、「守矢家」の文書を保管・公開している博物館なのですが、この「守矢家」と言うのは、江戸時代まで諏訪大社上社の神長官を務めていた家系です。

さらに、諏訪大社は、漢字は違いますが「守屋山」の麓にあり、また、上記の創世記の逸話は、「モリヤ山」で行われたと伝えられています。

「モリヤ山」に「守屋山」、さらに「守矢氏」・・・どう思いますか ?

祇園祭

祇園祭は、平安時代貞観年間(9世紀)に始まったとされる、京都の「八坂神社(祇園社)」の祭礼です。

しかし、祇園祭には、八坂神社が主催する祭と、山鉾町が主催する祭の2種類の祭があり、一般的に、山鉾町が主催する祭事が「祇園祭」と認識されているそうです。

左の画像は、祇園祭のハイライトである「山鉾巡行」ですが、これは山鉾町が主催する祭事となります。

ところで、この山鉾を覆う掛け物ですが・・・これって日本の風景ではないのはご存知ですか ?


実際、山鉾を覆う掛け物は、ペルシャ絨毯やタペストリーであることが判明しており、鯉山町の飾りはベルギーで作成されたことも解っており、重要文化財になっています。

さらに、その描かれた内容ですが・・・なんと、旧約聖書の場面が描かれた物が多数存在しています。

右の画像は、「函谷(かんこう)鉾」に使われているゴブラン織りのタペストリーですが、題名は「イサクに水を供するリベカ」となっており、旧約聖書の創世記第24章の場面を表しています。

ちなみに、このタペストリーは、16世紀のベルギー製であることが解っており、享保三年(1718年)、「沼津 宇右衛門」と言う商人が寄贈した物だそうです。

このため、タペストリーに旧約聖書の場面がある事とユダヤ人との関係は、正直、無関係だと思います。

しかし、以前、祇園祭山鉾連合会の理事長「深見 茂」氏と言う方が、2007年9月21日に放映されたTV番組「新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜」の取材で「祇園祭りはユダヤの文明と同じ形態と経過と結果を持ったお祭りです。」と回答していましたが・・・

それによると、祇園祭と、ユダヤ人の「シオン祭」と言う祭事には、次のような類似点がある、との事でした。

祇園祭シオン祭
行事/スケジュール7月1日〜7月31日(1ヶ月)7月から約1ヶ月
7/1〜7/2神事始め新年祭
7/10神輿洗い贖罪の日
7/16御手洗井戸開き水汲み場の歓喜
7/15〜7/21山鉾巡行巡行の祭り
7/17神幸祭神聖な日(ノアの方舟が山頂に到着)
7/22以降還行祭(7/24)歓喜祭(7/22)


しかし、祇園祭は、無病息災を祈る祭りであるのに対し、シオン祭は、ノア一家が大洪水を無事乗り越えたことを祝う祭りですので、その起源は、前述の理事長の談話とは異なるのではないかと思われます。

一方、この山鉾ですが、ある研究者の話では、「山鉾は、ノアの方舟を表している。」と言う説もあるみたいです。

まあ、確かに、山鉾の中には「船鉾」もありますが・・・どうなのでしょうか ?

●その他
その他にも、「日ユ同祖論」では、次のような類似点を上げている人もいます。

・「旧約聖書ヤコブ」と「記紀ニニギノミコト」との類似性
・「ダビデ/ソロモン王」と「崇神天皇/垂仁天皇」との類似性
・「モーゼのトーラー」と「大化の改新の詔」との類似性
・「ユダヤ祭祀」と「皇室神祀」との類似性
・「ヘブライ語」と「日本語」との類似性
・「菊の紋章」と「エルサレム神殿の紋章」の類似性
伊勢神宮六芒星の関係

今回は、文章量が多くなり過ぎたので割愛しますが、詳しく調べると、かなり面白い内容もありますので、時間がある方は調べて見ると面白いかもしれません。

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「ナニャドヤラ」が「日ユ同祖論」にまで発展してしまいましたが、皆さんは、どう思われますか ?

元々、「日ユ同祖論」は、明治時代に日本を訪れたスコットランド人の商人「ニコラス マクラウド」が、日本とユダヤの類似性に気が付き、その内容を体系化した「日本古代史の縮図(The Epitome of The Ancient History of Japan)」と言う本が始まりとなります。

「ニコラス マクラウド」の説では、ユダヤ人(失われた10支族)は、青森県沖縄県奄美諸島を経由して日本に入り、その後、京都まで辿り着いたとしています。

日本とイスラエル、色々と類似性はあるのかもしれませんが、重要なのは、「似ている事」と「こじつけ」の違いを明確に分離することだと思います。


明らかに「こじつけ」なのは、「伊勢神宮にある六芒星」とか、「菊の紋章とエルサレム神殿の紋章が同じである」と説だと思います。

マーク類は、国内のみならず、全世界で似てくるものです。そのために「商標」と言う決まりが存在します。

六芒星(ヘキサグラム)が、必ずユダヤと関係するのであれば、西部劇の保安官は、全員ユダヤ人になってしまいます。(笑)


また、現在、皇室を表す「菊花紋章(きくか-もんしょう)」ですが、「菊」自体、奈良時代に中国から輸入されてきた植物ですので、昔から皇室が「菊花紋章」を使っていた訳ではありません。

「菊花紋章」は、鎌倉時代の「後鳥羽上皇」が、「菊」が好みで、自分の紋章として「菊」使っていたのが継承されただけと言われています。

さらに、現在では、日本人とユダヤ人のDNAは、明確に異なっていることが証明されていますし、日本周辺にもユダヤ人系のDNAを持つ民族は、ほとんどありません。

加えて、宗教的にも、ユダヤ教は「一神教」であるのに対して、日本は、「八百万の神」と言われるように「多神教」です。宗教がらみの類似性は、ゼロと考えて良いと思います。

色々と興味深い「日ユ同祖論」ですが、これからの研究成果に期待したいところです。


それでは、次回も宜しくお願い申し上げます。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
青森県写真集(http://cool.holy.jp/aomori/index.html)
・玄龍の琵琶の調絃(http://genryu.at.webry.info/)
立命館大学アート・リサーチセンター(http://www.arc.ritsumei.ac.jp/dbroot/top.htm)
奥州市埋蔵文化財調査センター(http://www.oshu-bunka.or.jp/maibun/)
・レムナント出版(http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/096suwa.htm)
諏訪大社諏訪神社(http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/index.htm)
・生きた水(http://ikitamizu.com/)

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柳田國男には無論興味深い指摘が多々ある。


定本柳田國男全集35


柳田国男聴書 

354


[柳田]これはユイとは言えないが、ユイは労力交換のみで あるが、贈与はすでに返礼を予想した行為である。 

 売買の起源を略奪だとする説は間違いで、やはり贈与が元らしい。フランスのモースなどはそれを言い、満州や蒙古ではそれをやっておる。

 日本でも目上の人に何かを贈ること、それに対して物質で なければ精神の何かの返礼があるのだ。

 ユイは労力のみであるが、しかしこの婚礼葬式は同じもの である。


島ノ話


744


秦ノ始皇ハ 今ノ山東角二近イ

東萊ノ海岸ニ来テ長歎シタ

コレヲ渡ルトイフ決心ニハ準備 

ガナケレハナラナカッタ、


745


モーゼナトノ陸上二モ必要テアツタ


805


日本人が昔、東の方角に浄土のある信仰があり 



日本民俗講座

205

 二つ以上の土地の別々の事実が同じか否かをたしかめる方 法には我々は現在「コトバ」を利用してゐる。コトバは中央 に既に失はれてゐる為に単なるー地方の方言として軽しめられてゐるものでも、案外に遠い所と一致してゐるものがある。


206

然るに多くの重要な古い法則は秘密のまゝに忘れられてゐる。秘密を忘れる者は無い筈のやうだが今でも土の中から黄金の瓶などがほり出さるゝことさへ稀にはある。あまり大事にした為に思ひ出す機会を失ったので ある。それが再び朗かな白日の光に照さる日が参って我々の智慧は改造せらるゝ。学問は結局人間の幸福を完成する唯一無二の力であることが素人にもよくわかる時代は来ると信ずる。


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