2023年1月27日金曜日

徒然草第一四二段 「生活が破綻するから泥棒になる」「政治が国民を崖っぷちに追いやって犯罪をそそのかすのに、その罪だけを償わせるとは何事か」「国を治める人が国民を慈しみ農業を奨励すればよい。それが、労働者の希望になる」

 


新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2015/3/25 


第一四二段  
 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり。ある荒夷のおそろしげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「ひとりも持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらんと、いとおそろし。子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべきことなり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子もちてこそ親の志は思ひ知るなれ。  
 世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ望みふかきを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことにかなしからん親のため妻子のためには、恥をも忘れ盗もしつべきことなり。されば、盗人をいましめ僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は恒の心なし。人窮まりて盗みす。世治らずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ法を犯さしめてそれを罪なはんこと、不便のわざなり。  
 さて、いかがして人を恵むべきとならば、上の奢り費す所をやめ、民を撫で、農を勧めば、下に利あらんこと、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。

第一四二段 
 情趣を解さないと思える者も、時に立派な一言は言うものである。ある荒武者で恐ろしそうなのが、側にいた者に向かって、「お子さんはおいでか」と尋ねたところ、「一人もおりません」と答えたので、「それでは、人間らしい情感をお分かりにはなるまい。無情な心でいらっしゃるだろうと、たいへん怖い気がする。子のおかげで、あらゆる情感は自然と分かってくる」と言っていたのは、まったくもっともなことである。肉親間の愛情でなくして、このような者の心に慈悲が湧くであろうか。孝行に励む心がない者も、子を持って初めて親の気持ちを悟るのである。  
 世を捨てた人で、天涯孤独で無一物の者は、何かにつけ世間のしがらみの多い人が、あらゆることで他人に媚びへつらい欲望の深いさまを見て、ひどく軽蔑するものであるが、それは間違っている。そのような人の心になって考えれば、まったく、愛しい親のため妻子のためには、恥を忘れるし盗みもするであろう。だから、盗人を捕らえてこらしめただ悪事を罰しようとするよりは、世間の人々が飢えたり凍えたりしないように、この世を治めてほしいものである。人間は、安定した資産がない時は安定した心も持てないものである。また人は追いつめられて盗みを働くのである。世が治らずに、人々が飢えたり凍えたりする苦しみにさらされるならば、罪人はあとを絶たないはずである。人々を苦しめて法に触れさせ、それを罰するのは、気の毒なやり方である。  
 それでは、どのようにして人々に恵みを与えるのがよいかといえば、上に立つ者の奢侈浪費を止めて、民衆を慈しみ、農業を勧奨すれば、下の者に利益があること、疑いをはさむ余地がない。衣食に事欠くことがないのに悪事を働く者こそ、真実の盗人と言えるであろう。


[注] 
142【恩愛と撫民】 
1 情趣を解さないと思える者。 2 東国の野蛮人、荒々しい武者。 3 親子・夫婦など肉親間の愛情でなくして。 4 親に孝行を尽くす心。 5 身一つで係累・資産のない状態。 6 むやみと軽蔑するのは。 7 愛する。いとしい。 8 捕縛する。 9 人は安定した資産があって初めて平常の心を持てる。孟子・梁恵王上「若キハ民ノ則チ無ケレバ恒産因テ無シ恒心」。 10 論語・衛霊公「子曰ク、君子ハ固ヨリ窮ス、小人窮スレバ、斯ニ濫矣」。中世「濫」をヌスミヲスと訓読。 11 飢え凍えること。孟子・尽心上「不ル煖カナラ不ル飽カ、謂フ之ヲ凍餒ト」。 12 民衆を慈しみ。「撫民」を訓読。 13 事足りている。 
❖「撫民」は常套的題目であるが、北条泰時ら鎌倉幕府の政治家が特に熱心に唱えたことが注意される。


序段  つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 [注] 
序【つれづれなるままに】 1 なすこともなくまた話し相手もいない状態。 2 補注1 3 鏡に映る像のように、次々と心に浮かんでは消えていく。「移る」も「映る」の意を包摂する。 4 内容に一貫性や秩序もなく。 5 おかしくなったようだ。枕草子・二一〇「牛の鞦の香の、なほあやしう嗅ぎ知らぬ物なれど、をかしきこそ物狂ほしけれ」。

 第一段  いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
  御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はる際は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつつ時にあひしたり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
  法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢ひ猛にののしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖の言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教へに違ふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
  人はかたちありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、くちをしかるべけれ。品かたちこそ生れつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。 
 ありたきことは、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道。また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから下戸ならぬこそをのこはよけれ。

 [注]
 1【人として願うこと】 1 天子の子孫、皇族。2 神の末裔なので尊貴である。和漢朗詠集・親王・大江朝綱「此ノ花ハ非ズ是レ人間ノ種ニ」。 3 摂政・関白。職原抄「執柄ハ必ズ蒙ル一座ノ宣旨ヲ故ニ称ス一人ト」。 4 摂関家以外の貴族の総称。 5 随身を賜る階層は。摂関および近衛大将にならない公家にとり、随身兵仗の宣下は最高の名誉。平家物語・一「(平清盛は)大将にあらねども兵仗を給りて随身を召し具す」。 6 優雅で気品に富んでいる。 7 枕草子(前田家本)・二六八「烏帽子冠のなきばかりに木の端などのやうに人の思ひたるよ」。 8 清原元輔女。一条天皇中宮定子女房。枕草子を著す。生没年未詳。 9 天台僧。名利を忌み多武峰に隠棲した。九一七~一〇〇三。 10 発心集・一に増賀の逸話を載せ「名聞こそ苦しかりけれ。かたゐ(乞食)のみぞたのしかりける」と唄ったとある。 11 論語・学而「子夏曰ク、賢賢易色」。「賢きより賢からんとならば色を易へよ」と訓読したのによるか。 12 問題にもされず圧倒される。「かけず」は意未詳。源氏物語・紅葉賀「(源氏の)かざしの紅葉いたう散りすぎて顔のにほひに気おされたる心地すれば」。 13 正統的な学問。特に漢学。 14 漢詩を作ること。 15 公家社会の慣例・制度・服飾などに関わる知識。「公事」は朝廷の政務・儀式のこと。

第二段
  いにしへの聖の御代の政をも忘れ、民の愁へ、国のそこなはるるをも知らず、よろづにきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。
 「衣冠より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むることなかれ」とぞ、九条殿の遺誡にも侍る。順徳院の、禁中のことども書かせ給へるにも、「おほやけの奉りものは、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。

 [注]
002【倹約を宗とすべし】 1 服装・調度が華美を極めるさま。源氏物語・桐壺「きよらを尽して仕うまつれり」。 2 財宝があふれんばかりの様子か。源氏物語・桐壺「屯食、禄の唐櫃どもなど所せきまで春宮の御元服の折にも数まされり」。 3 藤原師輔。忠平男。正二位右大臣。九〇八~六〇。遺誡は子孫に日常生活の心得を説き後世も重んじられた。「始メ自衣冠及ブマデ于車馬ニ随ヒテ有ルニ用ヰヨ之ヲ、勿レ求ムルコト美麗ヲ」とある。 4 第八四代天皇。後鳥羽院皇子。一一九七~一二四二。 5 禁秘抄。二巻。上・御装束事に「天位着御ノ物、以テ疎ヲ為ス美ト」とある。 6 天子のお召し物。



序段 無聊孤独であるのに任せて、一日中、硯と向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙におかしな気分になってくる。 

第一段 さても、人がこの世に生まれてきたからには、あれやこれやと願うことがあまたあろう。 
 かといって天子の御位は口にするのも畏れ多く、その血を受けた宮々の末裔まで人間界の種族ではない点、尊貴である。摂政・関白の御様子は言うまでもない。それより下の一般の廷臣でも、随身を賜る階層は立派であると思える。その子・孫くらいまでは、没落したとしても、まだどことなく気品が感じられる。それより下になると、家柄に応じて時運に乗じ得意顔であるのも、自分では大したものだと思うのであろうが、はたから見れば実にくだらないものである。
  法師ほど羨ましくないものはあるまい。「人からは木の切れ端のように思われることよ」と清少納言が書いたのも、本当にその通りである。権勢盛んで名声轟くのを聞いても、立派だとは思えない。増賀上人が言ったように、法師には名声は煩悩となるから心苦しいばかりで、仏の教えにも背くであろうと思う。いちずな世捨人の方が、名声とは無縁でもかえって好ましいことがあろう。
  人は容貌風采の優れていることが望ましいに決まっているが、何か物を言っても、感じがよく、愛嬌があり、余計なことを言わない人とは、いつまでも向き合っていたいものである。ただ、立派だと思った人が、軽蔑せずにいられない本性を露呈してしまうのには、がっかりさせられる。身分や容貌は生まれつきで変わりようがないが、心は賢く賢くしようと努力すれば変えられないことがあろうか。容貌や気立てがよい人でも、学才に欠けるようになってしまうと、身分が劣り、容貌の醜い人の仲間に入って、問題にもされず圧倒されてしまうのが、残念な次第である。 
 それでは、身につけたい教養としては、正統的な学問、漢詩・和歌・管絃の才能。さらにしきたりや政務儀礼の方面で、人の規範となれば大したものであろう。文字を稚拙でない程度にさらさらと書き、声が綺麗で一座の音頭を取り、酒を勧められると困った顔をしながらまったく飲めない口でもないのが、男としてはよいものである。 

第二段 昔の聖代の善政を忘れて、民衆が愁歎し、国力が疲弊することも知らないで、万事華美の限りを尽くして立派だと思い、財宝をぎっしり溜め込んだ様子でいる人は、何ともひどく、思慮に欠けると思われる。
 「衣冠をはじめ、乗馬や牛車にいたるまで、ありあわせのものを使え。華美なものを求めてはならぬ」と、九条殿遺誡にもあります。順徳院が、禁中のしきたりを書かれた著作にも、「天子のお召しものは、粗略なものをもって最上とする」とあります。


徒然草 (ちくま学芸文庫) Kindle版 

2010


【第百四十二段】
  心無しと見ゆる者も、良き一言、言ふ物なり。或る荒夷の恐ろしげなるが、傍に会ひて、「御子は御座すや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「然ては、物の哀れは知り給はじ。情け無き御心にぞ、物し給ふらんと、いと恐ろし。子故にこそ、万の哀れは、思ひ知らるれ」と言ひたりし、然も有りぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に、慈悲有りなんや。孝養の心無き者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
  世を捨てたる人の、万に匹如身なるが、なべて絆多かる人の、万に諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひ腐すは、僻事なり。その人の心に成りて思へば、真に悲しからん親の為、妻子の為には、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。然れば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬ様に、世をば行はまほしきなり。人、恒の産無き時は、恒の心無し。人、窮まりて盗みす。世、治まらずして、凍餒の苦しみ有らば、科の者、絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便の業なり。  
 然て、いかがして人を恵むべきとならば、上の、奢り、費やす所を止め、民を撫で、農を勧めば、下に利有らん事、疑ひ有るべからず。衣食、尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき。

 人、恒の産無き時は、恒の心無し 『孟子』が典拠。 人、窮まりて盗みす 『孔子家語』が典拠。 凍餒の苦しみ 『孟子』が典拠。「凍餒」は、凍え飢えること。 上の、奢り、費やす所を止め、民を撫で、農を勧めば 『帝範』が典拠。  

 訳 まさかあの人が、と思うような人も、意外な一言を発することがあるものだ。ある東国武者で、見るからに恐ろしげな人物が、傍らにいた人に向かって、「お子さんは、いらっしゃいますか」と尋ねたところ、その人は「子どもは、一人もいません」と答えた。するとその武者は、「それでは、もののあわれはおわかりにならないでしょう。あなたが、人情味のわからないお心の持ち主の人であるかと思うと、たいそう恐ろしいですね。子どもがいてこそ、万事につけ、人間らしい、思いやりのある優しい気持ちが、身に沁みてわかるのですよ」と言ったのは、さもありなんと思う。親子の情愛の道でなくては、このような荒武者に、慈悲の心があろうか。親孝行の気持ちがない者でも、子どもを持つと、初めて親の気持ちがわかるのだ。
  何事につけて、絆のない身である世捨て人が、何かと係累が多い人間を見て、彼が万事につけて媚びへつらい、願望が強いのをひどく見下すのは、まちがいである。その当人の心になってみれば、真実、大切な親のため、愛する妻子のためには、恥も忘れ、盗みだってしてしまうだろう。だから、盗人を逮捕し、彼が犯した罪だけを罰しようとするよりも、まずは世間の人々が飢えずに済み、寒さで震えずに済むような政治を、為政者は行ってほしいものだ。『孟子』にもあるように、人間たる者、安定した財産がない時は、落ち着いた心もなくなってしまう。人間は進退窮まって盗みをする。世の中が治まらず、飢え苦しむことがあるならば、罪を犯す者が絶えるはずはない。人々を苦しめ、法律を破らせておいて、罪だけ罰するのは、かわいそうである。
  それでは、どのようにして人々を幸福にするのかと言えば、上に立つ為政者が、贅沢を止め、人々を慈しみ、農業を奨励するならば、人々に利益が巡ってくることは確かである。衣食足りて、なおかつ悪事を犯す人間がいたならば、彼こそは正真正銘の盗人だといってよいだろう。 

 評 前の段に引き続き、東国出身の武者の意外な発言に触発された話である。人情の機微がわかることの大切さから、理想の政治のあり方に論が発展している。為政者の奢侈への批判は第二段にもあったが、兼好の政道論が当時の為政者に直接伝わった形跡はない。





【序段】
  徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

  訳 さしあたってしなければならないこともないという徒然な状態が、このところずっと続いている。こんな時に一番よいのは、心に浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念を書き留めてみることであって、そうしてみて初めて、みずからの心の奥に蟠っていた思いが、浮上してくる。まるで一つ一つの言葉の尻尾に小さな釣針が付いているようで、次々と言葉が連なって出てくる。それは、和歌という三十一文字からなる明確な輪郭を持つ形ではなく、どこまでも連なり、揺らめくもの……。そのことが我ながら不思議で、思わぬ感興におのずと筆も進んでゆく。自由に想念を遊泳させながら、それらに言葉という衣裳を纏わせてこそ、自分の心の実体と向き合うことが可能となるのではなかろうか。

  評 この有名な冒頭の一文が、「序段」として独立するようになったのは、江戸時代に出版された徒然草の版本や、徒然草の注釈書においてであった。ただし当時は、この序段と、次の第一段を一続きにして、「第一段」とする本もあった。けれども、冒頭の一文を独立させて序段とすることがそのまま、徒然草という作品自体の生成と展開を的確に指し示すことに気づくことが、重要である。「心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく」書くことは、例えば、恋愛とか、旅とか、戦争とか、滑稽譚とか、テーマを決めなくても、執筆できるという新しい文学宣言だった。ここが、序段の眼目である。

 【第一段】 
 いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ。
  帝の御位は、いとも畏し。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様は、更なり。直人も、舎人など賜はる際は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、放れにたれど、なほ艶めかし。それより下つ方は、程に付けつつ、時に遇ひ、したり顔なるも、自らはいみじと思ふらめど、いと口惜し。
  法師ばかり、羨ましからぬものは有らじ。「人には、木の端の様に思はるるよ」と清少納言が書けるも、げに、然る事ぞかし。勢ひ、猛に、罵りたるに付けて、いみじとは見えず。増賀聖の言ひけん様に、名聞苦しく、仏の御教へに違ふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨て人は、なかなか、あらまほしき方も有りなん。
  人は、容貌・有様の優れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物打ち言ひたる、聞き悪からず、愛敬有りて、言葉多からぬこそ、飽かず向かはまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口惜しかるべけれ。 
 品・容貌こそ、生まれ付きたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。容貌・心様、良き人も、才なく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ち交じりて、かけず、気圧さるるこそ、本意なき業なれ。 
 有りたき事は、真しき文の道・作文・和歌・管絃の道。また、有職に公事の方、人の鑑ならんこそ、いみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかしくて拍子取り、痛ましうするものから、下戸ならぬこそ、男は良けれ。

  清少納言が書ける 『枕草子』が典拠。 
  増賀 九一七~一〇〇三。清少納言とほぼ同時代の高僧。ゾウガとも読む。

  訳 好むと好まざるとにかかわらず、ひとたびこの世に生まれた以上は、全くのところ、自分は何になりたいのか、実にさまざまな願望が心に去来するものだ。  
 天皇の位に即きたいとか、天皇としてどのように振る舞うべきかを口にするなどは、言うのも畏れ多いことである。古来、「竹の園生(竹園)」と呼ばれる天皇の御子孫、つまり皇族の方々はすべて、われわれ人間と異なる出自でいらっしゃるのは、たいそう尊いことである。天皇・皇族以下の貴族の中では、摂政・関白・太政大臣である「一の人」のありさまは言うまでもなく、それ以外の貴族であっても、身辺護衛のために「舎人」を付けていただく高い身分は、とても素晴らしい。そういった貴族の場合は、たとえ没落しても、子や孫までは、やはりどこか気品が違う。けれども、それよりも下の階級となると、それぞれの身分に応じて、時流に乗り、自慢顔であるのも、本人は「どうだ」と言わんばかりのようだが、そのような態度は、ひどく嫌なものである。  
 ところで、貴族の世界から目を転じて法師のことを考えてみると、この法師くらい、羨ましくないものはない。「他人からは、まるで木の端のように、何の価値もないと思われているではないか」と清少納言が『枕草子』に書いているのも、本当にその通りである。あたりを払うような勢いで威張り散らし、大声で騒いでいるのを見るにつけ、法師が素晴らしいものだなどとは、とても思えない。増賀上人が言ったように、そのような法師は、世間の評判を目当てにしているようで、かえって仏の教えに背いているだろうと思われる。そうではなく、一途な世捨て人こそが、かえって望ましいだろうに。 
 それはともかく、人は、容貌・姿が優れているのが何と言っても望ましい。何かちょっと言ったりする時に聞きにくくなく、愛嬌があり、口数が多くない人とこそ、いつまでも向かい合っていたい。ところが、今まで立派で素晴らしいと思っていた人に、がっかりさせられる本性が見えてしまったら、本当に残念である。
  身分や外観は生まれつきでどうしようもないが、『論語』にもあるように、心はどうして賢い方から、さらにより賢い方へと上昇移動できないだろうか、できないなどということはないのである。外見や気だてがよい人でも、才学を身に付けていないと、身分も低く、容貌も憎々しい人にも交じるような境遇になってしまう。そういう時に、周囲から相手にされず、当人も気後れしてしまうのが、本当に残念なことだ。
  だから、ぜひとも身に付けたいのは、まずは本格的な漢学の素養や漢詩を作る教養、それに加えて、和歌を詠み、楽器の演奏ができることである。また、有職故実に通じて人々の手本となれること、こういったことすべてが素晴らしいのだ。筆を持てばすらすらと文字を書き、宴会の席では、好い声で拍子を取り、辛そうにするものの、酒も飲めないような下戸ではないというのが、この宮廷世界に生きる男性たるものの理想であろう。

  評 劈頭一番、宮廷世界を生きる理想の数々が書かれている。それにしても、兼好にとって、「心にうつりゆく由無し事」の第一番目がこういう内容だった、というのは意外ではないか。いったい、これを書いた兼好は何歳くらいで、どんな生活をしながら、このようなことを心の中で考えていたのだろうか。江戸時代には、挿絵付きの徒然草が何種類も出版された。序段の挿絵は、まるで申し合わせたように、山里の草庵で、ひとり静かに、筆を執る墨染め衣の老僧が描かれる。けれども、序段の原文には、執筆場所のことも、自分がすでに出家しているかどうかも、何一つ触れていなかった。そのような序段に引き続いて、いきなり、貴族社会での身分や才芸・教養を問題にしていることからして、徒然草の冒頭部は、あるいは出家以前に書かれた可能性も考えられよう。ただし、貴族社会における理想像とは言え、外見や身分を越えるものを志向している点は、注目される。


【第二段】 
 古の聖の御代の政をも忘れ、民の愁へ、国の損なはるるをも知らず、万に清らを尽くして、いみじと思ひ、所狭き様したる人こそ、うたて、思ふ所無く見ゆれ。
 「衣冠より馬・車に至るまで、有るに従ひて用ゐよ。美麗を求むる事勿れ」とぞ、九条殿の遺誡にも侍る。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「公の奉り物は、疎かなるをもて良しとす」とこそ侍れ。 

  九条殿の遺誡 藤原師輔(九〇八~九六〇)が子孫に残した家訓書。道長の祖父に当たる。 
  順徳院 一一九七~一二四二。有職故実書である『禁秘抄』を著した。

  訳 かつてあった聖君主による理想の政治のことも忘れ、人々が愁え、国が損なわれるのも知らず、すべてにわたって贅沢を尽くして自分だけが満足し、周りの人が圧迫を感じるようなわが物顔の態度をしている人は、全く思慮分別のない人間だと思われる。
 「衣冠から馬・牛車に至るまで、今あるもので間に合わせて使いなさい。美麗を求めてはならない」と、藤原師輔の大臣が平安時代に書かれた『九条殿遺誡』にも記されている。また、鎌倉時代に順徳院が宮中のしきたりをお書きになった『禁秘抄』にも、「天皇のお召し物は、粗略なものが良いのだ」とある。  

 評 理想の政治についての願望を書いた段である。古代の聖賢の時代を掲げ、その逆がまかり通っている今の時代を批判し、嫌悪する。『九条殿遺誡』『禁秘抄』といった本格的な書物からの的確な引用が見られるのは、後二条天皇(一二八五~一三〇八)の蔵人だった兼好自身の体験の反映であろう。蔵人は、天皇の日常生活のお世話とともに、文書の管理なども行う。
  なお、この段に見られる「侍り」は、今後も徒然草の随所に現れる。本動詞および補助動詞の「侍り」は、敬体で訳すべきかもしれないが、本書では他の章段との文体の統一を考慮して、ニュアンスは含ませつつも、常体で訳すことにした。

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