とらべるじゃーな!
NHK番組のブラタモリ・徳島の阿波踊り編で、徳島の地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタリ徳島(阿波踊り)編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。
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徳島市内|ブラタモリ阿波踊り
徳島市は、 人口約26万人。徳島県の県庁所在地です。 ブラタモリは徳島市の川沿い(両国橋付近)からスタート。徳島県を以って、全都道府県を制覇。
阿波踊り
阿波踊りには、例年、4日間で120万人を超える人が訪ねます。ブラタモリのテーマは、なぜ阿波踊りは生まれたか?です。
ブラタモリは、阿波踊り会館を訪ねます。内部には劇場があり、毎日阿波踊りを見ることができます。阿波踊りには、どんな特徴があるのでしょうか?
輪になって踊る普通の盆踊りと異なり、横一列の行列が特徴。踊りの激しさも特徴です。阿波踊りは、見せる踊りと言えます。
徳島駅南の両国橋|ブラタモリ徳島
ブラタモリは、徳島の水路を船で進みます。徳島を象徴する眉山(びざん)が見えます。水路には分かれ道が多く、三叉路(さんさろ)まであります。
- ●(赤色) … 両国橋から乗船。赤いラインの方向へ進みます。
- ●(青色) … 2つに枝分かれした川を見ます。
- ●(黄色) … 三叉路(さんさろ)の橋を見て、3つの枝分かれを確認します。
- ●(緑色) … 少し先に2つの枝分かれを確認します。
- ●(黒色) … ほぼ1周し、島の地形を感じます。
出典:御城下絵図 – 徳島大学附属図書館
現在の川の流れと多少異なりますが、江戸時代の地図には、原形が感じられます。徳島の城下町は、日本三大暴れ川である吉野川河口の島々に作られていたのです。そのため、武家地だけでほとんどの土地が埋まり、町人の住む場所は12%だけ。とても狭いという欠点がありました。
江戸時代、夏には盆踊りが企画されましたが、広場がなく、狭い道を練り歩く形が生まれました。ブラタモリは、江戸時代と同じ幅の道を訪ねます(写真、地図はこちら)。これが阿波踊りの原点です。
阿波踊りの発展|ブラタモリ徳島
ブラタモリは、新町橋(地図はこちら、舟乗り場や、上で紹介の狭い道からすぐ)を訪ねます。江戸時代には、町ごとに盆踊りがありましたが、風紀上、隣町への乗り入れは禁止。そのため、橋の上が、お互いに踊りを競い合う場所になりました。橋の上は、遠くから見通しが良く、格好の舞台となり阿波踊りの盛り上がりにつなががりました。
阿波踊りは400年前に生まれました。派手な衣装など、とにかくお金がかかるのですが、徳島にはお金持ちがいました。どのような人だったのでしょう?
江戸時代の吉野川は、台風の影響でたびたび洪水を起こしていました。収穫期に洪水で流されてしまう稲の代わりに、徳島の人たちは着物などを染める藍(あい)を作り、財を成したのです。
藍商人
ブラタモリは、藍商人の末裔を訪ねます(場所は非公開)。現在も藍の加工を行っています。
植物である藍を収穫し発酵させると、黒色の土に似た外見になり、染料のようなアンモニア臭がします。
布を何度も染めると、濃い紺色となり、その色は長く色あせません。徳島の藍は質が良く、コメの倍の値段で売れ、徳島の財政を潤しました。
ブラタモリは、藍商人の持っていた家屋を訪ねます(石井駅から北へ徒歩35分。地図はこちらから)。家屋は屈強な石垣の上に立っています。なぜなのでしょうか?
吉野川が氾濫した際に、洪水の水流を両方に切り分けて流し、藍を守るための構造でした。この洪水はデメリットばかりではありません。藍は、1回の収穫までに土の栄養をほとんど吸い取る性質がありますが、洪水で新しい土が運ばれ、同じ場所で藍を育てることができました。
こうして徳島の藍商人は、長者番付の常連になったのです。
花街
この徳島の藍商人は、金銭だけでなく、音楽の面でも阿波踊りに影響を与えていました。どういうことでしょうか?ブラタモリは、徳島の花街だった場所にある、100年以上続く料亭しまだを訪ねます(地図はこちらから)。
徳島の藍商人は、芸者を呼んでの宴席を好みました。当時の盆踊りの歌は、現在の阿波踊りの音楽とは異なるものでした。藍商人は、行商の販路だった熊本の民謡を参考に、賑やかでしっとりた曲調に変え、大阪で流行りの歌詞を載せました。
藍産業の衰退|ブラタモリ
化学染料の台頭で藍染料は売れなくなりました。そのとき徳島は、阿波踊りを名物に観光での立て直しを図りました。昭和の中ごろまで、阿波踊りは今のように洗練されたものではありませんでした。
1983年に、地元の踊り手の四宮賀代さんが、指先の動きや、ダイナミックな脚の動きを工夫し、シャープな形の傘を被り、新しい阿波踊りを考案します。これは、所属の虹以外の連にも広がり、現在の華やかな阿波踊りの形ができました。
(参考)徳島城
徳島城は、吉野川河口の中州にある、標高約60mの渭山(=城山)に築かれ、居館はふもとに置かれました。明治維新後の廃城や空襲により、ほとんどの建物が消失しましたが、鷲之門が再建されました。徳島駅裏手すぐ。
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