田川郡赤村赤 大祖神社(山浦神社)
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福岡県神社誌では大祖神社とありますが、ゼンリンの地図は山浦神社となっています。神功皇后の腰掛石が、聖蹟地の石碑とともに参道脇に鎮座しています。参道まで草が茂っており、蜘蛛が多くけっこう歩くのが困難です。
鳥居と本殿前の扁額には「妙見宮」「八幡大神」と並記されています。福岡県神社誌では、御祭神は、天之御名主、イザナギ、イザナミ、応神天皇、大山祇、猿田彦、ウヒヂニ(泥土煮尊)、スヒヂニ(沙土煮尊)とされています。
同日に京築で訪問した大祖神社の御祭神は、天之御名主、高木大神(高皇産霊神)、大幡主(神皇産霊神)の組み合わせでしたが、田川郡赤村に入ったとたん、高木大神と大幡主の名が消えてしまいます。
明治の神仏分離政策のとき、妙見宮から神社に衣替えするとき大祖神社という名称を用いたのであれば、行橋の大祖大神社と同じ御祭神で揃えるような気がするのですが、なにか理由がありそうです。
八幡大神が並記されているのも現地を訪れるまで知りませんでした。応神天皇だけが祀られており、神功皇后や仲哀天皇といったよく見かける面々の名前はありません。
明治13年(1880年)に、大山祇、猿田彦、ウヒヂニ(泥土煮尊)、スヒヂニ(沙土煮尊)を合祀したと、福岡県神社誌には記載があります。大山祇と猿田彦はよく見かけるのですが、ウヒヂニ(泥土煮尊)、スヒヂニ(沙土煮尊)とは?
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『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。
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『日本書紀』では神世七代の第4代の神々とされる。それまでは独神であったが、この代ではじめて男女一対の神となった。
神名の「ウ」は泥(古語で「うき」)、「ス」は沙(砂)の意味で、大地が泥や沙によってやや形を表した様子を表現したものとする説がある。
宇比地邇神「宇比地」は「初泥」(ういひぢ)の音約、「邇」は親愛を表す接尾語と解し、名義は「最初の泥土」と考えられる。須比智邇神の「須」は「砂」、「比智」は「泥土」、「邇」は親愛を表す接尾語と解し、名義は「砂と泥土」と考えられる。
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さすがにわからず調べてみたところ、どうやら大地に関係する夫婦神だとは読めます。
しかし。
土を「煮」る。砂を「煮」る。煮てなにをするのでしょうか。
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日本の製塩の歴史 | 「伯方の塩」のあゆみ | 伯方の塩® | 伯方塩業株式会社
室町中期より、敷き詰めた砂の上に海水を運搬し、天日で乾燥させる製法が生まれました。
塩田の登場です。
塩田に、人力で大量の海水を運搬します。撒いた海水の水分が蒸発して、塩が付着した砂をあつめて海水の洗いを繰り返して、濃い塩水を作って煮詰めます。
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室町時代まで下ると、揚げ浜製塩という方法がとられるようになります。
室町時代の話ですから、神々の時代に泥を「煮」たのと、結びつかないとは思いますが……。
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辰砂(しんしゃ、cinnabar)は硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物である。別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物。
(略)
辰砂を空気中で 400-600°Cに加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が生じる。この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製する。古代から水銀製錬の原理は変わっておらず、時代を経てレトルト炉や重油を用いたロータリーキルン炉に変更していったが、これらは主として生産能力と従事者の安全性に関する改良であった。
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「煮」を、加熱すると考えれば、こちらのほうが現実味があろうかと思われます。赤村大字赤という地名も、辰砂の色を指しているのかもしれません。ここは水銀の産地だったのでしょうか?
するとこの夫婦神は、金山彦・金山姫か、金山彦の一族なのでしょうか?
(2019.08.17訪問)
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