2023年1月24日火曜日

第五回阿波古代史プロジェクト 「蒲生田の素兎と大国主」 ~阿波に広がる古事記の世界~


うさぎについての合理的説明

「稲葉の素兎」阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏


大国主命(おおくにぬしのみこと)

故、この大國主神の兄弟、 八十神坐しき。

然れども皆園は大國主神に避りき。

避りし所以は、その八十神、各稲羽の八上比

を婚はむ心ありて、共に稲羽に行きし時、

大牟遅神に袋を負せ、従者として率て往きき

ここに多(けた)の前(さき)に到りし時、

裸の兎伏せりき。










賀立神社(かだちじんじゃ)

    賀立02

 徳島県阿南市椿町蒲生田に波の上を跳ぶ兎をみごとに彫っている彫刻のある賀立神社(かだちじんじゃ)が御座います。

 「大穴牟遲神に袋を負せ、從者として率て往きき。ここに氣多(けた)の前(さき)に到りし時、裸(あかはだ)の兎伏せりき。」と古事記に書かれるように、大国主命(大穴牟遲神)は、「氣多の前」で兎に会います。

 「氣多の前」とは、"橋げたのような岬"と連想され、徳島県阿南市蒲生田岬から沖の伊島の間には「橋杭の瀬」と呼ばれる岩礁群が連なっています。
 
 そしてその蒲生田には、「岬の橋杭」伝説が残っており、「燈下録」という江戸時代(文化九年・1812)の書物に書かれ、阿波の民話集「お亀千軒」飯原一夫著にも収録されています。

 『伊島と蒲生田間に連なる、橋杭の瀬と呼ばれる岩礁は、昔、神様が伊島まで橋を架けようと思い、山から大岩を運んできて、海の中に橋の杭を立て始めた。
 そこに通りかかった天邪鬼(あまのじゃく)に「倒れんように番をしとれ」と言って、また、山に大岩を運びに行った。
 天邪鬼は、神様がいない間に大岩でできた橋の杭を海の中に倒してしまった。
 帰ってきた神様は、今度は倒れないようにと頑丈に作ったが、天邪鬼は、神様がいない間に端から倒していった。
 とうとう神様は、根負けして橋を架けるのをやめ、何処かに行ってしまった。
 それで残った伊島と蒲生田間に連なる岩礁群を橋杭の瀬と呼ぶようになった。』
 とあります。

 蒲生田岬から伊島へと続く岩礁群の図

              賀立11

 実は椿町周辺の神社には、「波の上を跳ぶ兎の彫刻」が彫られており、一つは、阿南市椿泊町にある佐田神社の拝殿の柱の礎石に彫られた二羽の兎。前の兎が、後の兎を導いているように彫られています。

                     佐田神社 椿泊町

 もう一つは、阿南市福井町土佐谷の金刀比羅神社の境内の後世山遙拝所の拝殿に彫られた「波の上を跳ぶ兎」。後ろ足を跳ねて波の上を跳んでいます。

                     金比羅神社 福井町

 そして、蒲生田岬突端の浜にある賀立神社本殿内にある波兎ですが、兎の後ろ側に彫られた大波などもみごとに彫られています。

                 賀立10
 
 他にも兎の彫刻を彫った神社は時々見ることがありますが、「この地区のように波の上を跳ぶ兎をみごとに彫っている彫刻を他の神社では見たことがない。とあり、蒲生田岬周辺は、稲羽の素兎の話を彷彿とさせる所である。」(阿波古事記研究会)としています。

 ちなみに、上板町神宅に鎮座する「葦稲葉(あしいなば)神社」(祭神:倉稲魂命、創祀年代不詳)があり、あの有名な伏見稲荷大社の元社と思わしき神社があります。

 この「いなば」も阿波にあったのです。

 柿本人麻呂曰く、阿波は隠国「言挙げせぬ国」、ルーツが阿波にあったとしてもそういわなかったという地なのです。
 また、古事記原文には 「稻羽之素菟」 と記載されておりますが、通説では、稲羽は鳥取県の旧因幡国とされています。

 さらに、「蒲生田」という地名ですが、大国主神がうさぎに「真水で体を洗い"蒲(ガマ)"の花粉の上で寝転がるといい」と言ったとされたとあり、やはりこの地がそうだったのでは!?…などと想像が膨らみますなぁ~。

    賀立12

 少し写真では読みにくいのですが、湿地植物群落として、蒲生田大池の北東部一帯にヒメガマ、アンペライが生茂り、いわゆる蒲生田の地名の由来となっている。とあります。


 ここからはほぼ写真日記です(笑) 

 蒲生田岬付近到着、賀立神社の標識発見!
 そういや小さい頃は蒲生田のことを「がもうだ」ってずっと言っていたし思ってました。
 周りの人にもそれで普通に通じました(笑)
 実は「かもだ」のようです(´・ω・`)

    賀立01

 扁額

    賀立03

 地神塔(通称おぢがみさん)、五角形の石柱で、正面に天照大神、左周りで大己貴命、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命となっている徳島独特の祭礼ですね(´ω`)

    賀立04

 ここにも阿波古事記研究会の看板発見。
 コアな古事記ファンからすれば、若干場の雰囲気から察するにチープ感が否めませんが、ライト層にはよいかも…(´▽`A``

    賀立05

 「撫でうさぎ」: 撫でると、良縁、健康長寿、病気平癒、いじめ封じのご利益。

    賀立06

 賀立神社の狛犬

    賀立07

 若干ダウンタウンの浜ちゃんっぽいチョット独特な狛犬ですなー。

    賀立08

 本殿です。中の木彫りに兎が彫られているらしい。

    賀立09

 そこから徒歩で400m程海岸沿いを行くとかもだ岬に到着。

    kamoda01.jpg

 何かオブジェがあったのでそこから覗く伊島とパシャリ。

    kamoda02.jpg

 快晴だったため、伊島と更に奥に薄っすらと見える和歌山県が確認できました!

    kamoda03.jpg

 かもだ岬灯台上から伊島―和歌山方面を眺望。
 すごくいい眺めですなー。素兎も飛んできそうです(笑)

    kamoda04.jpg

 ふと横のジャングルに見えるのは…

    kamoda05.jpg

 朱塗りが綺麗な鳥居が…
 しかしどうやって行くんだろうな…
 気になりましたが、体力が尽きていたので今回調査できず。。。

    kamoda06.jpg

 以上、「稲葉の素兎in阿波」の舞台でした!

稲羽の素兎 – 國學院大學 古典文化学事業
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E7%A8%B2%E7%BE%BD%E3%81%AE%E7%B4%A0%E5%85%8E/

古事記ビューアー

かれ、此の大国主神の兄弟あにおと八十やそ神坐がみいましき。 然れども、皆国は大国主神にりき。 避りし所以は、 其の八十神、おのおの稲羽いなば八上やがみ比売ひめはむとおもふ心有りて、共に稲羽に行きし時に、 大穴牟遅神おほあなむぢのかみふくろおほせ、従者ともびときき。 是に、気多けたさきに到りし時に、あかはだうさぎせり。 しかして、八十神其の菟に謂ひて云ひしく、 なれむは、此の海塩うしほみ、風の吹くに当りて、高山たかやまの尾の上に伏せれ」といひき。 故、其の菟、八十神のをしへしたがひて伏しき。 尒して、其の塩の乾くまにまに、其の身のかはことごとく風に吹きさかえき。 故、痛み苦しみ泣き伏せれば、 最後いやはてに来ませる大穴牟遅神、其の菟を見て言ひしく、 「何のゆゑにか汝が泣き伏せる」といひき。菟の答へ言ひしく、 やつかれ淤岐おきの嶋に在りて、 此地ここわたらむとおもへども、度らむよしなかりし故に、 海の和迩わに[此二字は音を以ゐる。下は此に效へ。]をあざむきて言ひしく、 くらべて、うがらの多き少きをはからむ。故、は其のうがらありまにまことごと率来ゐきて、 此の嶋より気多の前に至るまで、皆列み伏し度れ。 尒して、あれ其の上を踏み、走りつつ読み度らむ。是に、が族といづれか多きを知らむ』といひき。 如此かく言ひつれば、欺かえてみ伏せりし時に、 あれ其の上を踏み、読み度りて、 今地つちりなむとせし時に、が云ひしく、 あれに欺かえつ』と言ひふる即ち、 最端いやはしに伏せる和迩わにあれを捕らへ、ことごと衣服ころもを剥ぎつ。 此に因りて泣き患へしかば、先に行きし八十神のみことちて、をしらししく、 海塩うしほみ、風に当りて伏せれ』とのらしき。 故、教の如くせしかば、我が身悉くそこなはえき」といひき。 是に、大穴牟遅神其の菟に教へ告らししく、 今急すむやかに此の水門みなとに往き、水を以ちてが身を洗ふ即ち、 其の水門のかまはなを取り、敷き散らして、其の上にまろばば、 身本もとはだの如く必ずえむ」とのらしき。 故、教の如くしかば、其の身本の如し。 此れ、稲羽の素菟しろうさぎぞ。 今に菟神うさぎがみと謂ふ。 故、其の菟、大穴牟遅神にまをししく、 「此の八十神は、必ず八上比売を得じ。 帒をおほせども、みことむ」とまをしき。


【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その参
https://kaze-yashiro.com/kojiki-book-first-volume-text-three/

【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その参

大国主命おおくにぬしのみこと

出典:国立国会図書館デジタルコレクションnone

故此大國主神之兄弟八十神坐然皆國者避於大國主神所以避者其八十神各有欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時於大穴牟遲神負帒爲從者率往於是到氣多之前時裸菟伏也

(かれ)(こ)大国主神(おほくにぬしのかみ)(の)兄弟(あにおと)八十神(やそかみ)(いま)(しか)るに(みな)の国(は)大国主神(おほくにぬしのかみ)(おいて)(やら)ひき(やら)ひし所以(ゆえ)(は)八十神(やそかみ)(おのおの)稲羽(いなば)(の)八上比売(やがみひめ)(よば)はむと(ねが)ひし(の)心有り共に稲羽(いなば)(ゆ)かむとせし時、大穴牟遅神(おほなむちのかみ)(おいて)袋を(お)ほし従者(つかひひと)(ため)率往(ひきい)(ゆ)きき於是(ここにおいて)気多(けた)(の)(さき)に到りし時(あかはだか)(うさぎ)(ふ)しき(なり)

さて、この大国主神おおくにぬしのかみには、兄弟関係にある神が八十やそ(無数の数ほど)いらっしゃいました。

ですが、彼らはその治める地域から大国主神おおくにぬしのかみを追い出しました。

追い出した訳は、その八十神やそかみには皆稲羽いなばの国(因幡いなばの国)の八上姫やがみひめと一緒になりたい思いがあり、共に稲羽に行く時大穴牟遅神おおあなむちのかみとして皆の袋を背負わせ従者(おともの者)として連れて行くためでした。

そして、気多けた(かつてあった稲羽国いなばのくに気多郡けたのこおり)の前(浜辺)に到着した時、皮がなく赤裸のうさぎが倒れておりました。

爾八十神謂其菟云汝將爲者浴此海鹽當風吹而伏高山尾上故其菟從八十神之教而伏爾其鹽隨乾其身皮悉風見吹拆故痛苦泣伏者最後之來大穴牟遲神見其菟言何由汝泣伏菟答言僕在淤岐嶋雖欲度此地無度因故欺海和邇 【此二字以音下效此】 言

(ここに)八十神(やそかみ)(そ)(うさぎ)(い)ひしく(いまし)(まさ)(せ)むとすること(は)(こ)の海の(しほ)を浴び、風の吹くに当たりて(しかるに)高き山の(を)の上に伏せと云ひき(かれ)(そ)(うさぎ)八十神(やそかみ)(の)(のり)(まにま)(しかるに)伏して(ここに)(そ)の鹽(か)るる(まにま)(そ)の身の皮(ことごと)風に吹かれ(み)(さ)けし(ゆえ)に痛く苦しく泣き伏せ(ば)最後(いやはて)(これ)(こ)大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)(そ)(うさぎ)を見て言ひしく何由(いかなるゆえ)(いまし)は泣き伏すや(うさぎ)答へて言ひしく(やつかれ)淤岐(おき)(しま)(あ)(いへども)(こ)の地に(わた)らむと(おも)へど(わた)り無く因故(かによりて)海の(わ)(に) 【(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす(しも)(こ)(なら)ふ】 を(あざむ)きて言はく

そこで八十神やそかみは、そのうさぎに言いました。

「お前が今しなくてはいけないことは、この海の塩水を浴び風が吹くに当たり、高い山の尾根の上で横になることだ。」

そう言われたので、うさぎは横たわっていました。

すると、そのままその塩が乾くに従い全身の皮膚が風に吹かれ裂けてしまいました。

こうしたことから、痛く苦しく泣いて横たわっていました。

最後になってやって来た大穴牟遅神おおあなむちのかみは、そのうさぎを見て言いました。

「どうしたわけで、お前は泣き伏せっているのか?」

うさぎは答えて言いました。

「私めは淤岐島おきのしまにおりましたが、この地に渡りたかったのですが渡るすべがありませんでした。そこで海の和邇わに(さめの古名・出雲地方の方言)をだまそうと、このように言ったのです。

吾與汝競欲計族之多小故汝者隨其族在悉率來自此嶋至于氣多前皆列伏度爾吾蹈其上走乍讀度於是知與吾族孰多如此言者見欺而列伏之時吾蹈其上讀度來今將下地時吾云汝者我見欺言竟卽伏最端和邇捕我悉剥我衣服因此泣患者先行八十神之命以誨告浴海鹽當風伏故爲如教者我身悉傷

(あれ)(いまし)(と)(きほ)ひて(うがら)(の)(おほ)かるか(すくな)かるか(はか)るを(ほ)(かれ)(なれ)(は)(そ)(うがら)(あ)るを(したが)(ことごと)(ひき)い来て(こ)(しま)(よ)気多(けた)の前(において)(ま)(おのおの)(つら)ね伏せ(わた)(ここに)(あれ)(そ)の上を踏み走り(つつ)読み(わた)於是(ここにおいて)(あ)(うがら)(と)(いづれ)(おほ)かるかを知らむとすと此如(このごとく)言へ(ば)(あざむ)かえ見て(しかるに)(つら)ねて伏しし(の)(あれ)(そ)の上を踏み読み(わた)り来たり今(まさ)(つち)(お)りむとせし時(あれ)(い)はく(いまし)(は)(あれ)(あざむ)かえ見ぬと言ひ(を)へて即ち伏しし(もと)(はし)和邇(わに)(あれ)(とら)(あ)衣服(きぬ)(ことごと)(は)ぎき(こ)(よ)りて泣き(わづら)(ば)先に(ゆ)きし八十神之命(やそかみのみこと)(をし)(の)りしことを(もち)いて海の(しを)を浴び風に当たり伏しき(かれ)(のり)(ごと)(す)(ば)(あ)が身(ことごと)(やぶ)れき

「私はあなたと一族の数が多いが少ないかをきそいたい。そこであなたはその一族をいるだけ従えすべてひきいて、この島から気多の浜辺までそれぞれを連ね伏せさせて渡してくれませんか。 そこで私はその上を踏み走りながら数えつつ渡り、こうやって私の一族とどちらが多いかを調べませんか。」

このように言ったところだまされて並び伏せましたので、私はその上を踏み数え渡ってきました。

そして、まさに地面に下りようとした時私は言いました。

「あなたたちは、だまされた事も知らずに並び伏せたのです。」

言い終えるかいなや、 伏せていた一番端のワニが私を捕え、ことごとく私の衣服(毛皮)をいでしまいました。

それにより泣き苦しんでいたところ、先に来た八十神やそかみみことが教えていただくには、 『海の塩水を浴び風に当たって伏していれば良い。』

こうして教わった通りにしたところ、私の全身はひどく傷ついてしまったのです。

於是大穴牟遲神教告其菟今急往此水門以水洗汝身卽取其水門之蒲黃敷散而輾轉其上者汝身如本膚必差故爲如教其身如本也此稲羽之素菟者也於今者謂菟神也故其菟白大穴牟遲神 此八十神者必不得八上比賣雖負帒汝命獲之

於是(ここにおいて)大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)(そ)(うさぎ)(をし)(の)たまふ今急ぎ(こ)水門(みと)(ゆ)き水を(もち)(な)が身を洗へ(すなは)(そ)水門(みと)(の)蒲黄(かまのはな)を取り敷き散らして(しかるに)(そ)の上を(めぐ)(まろ)(ば)(な)が身は(もと)(ごと)きに(はだ)必ず(い)(かれ)(をし)へが(ごと)(す)れば(そ)の身は(もと)(ごと)(なり)(こ)稲羽(いなば)(の)素菟(しろうさぎ)(は)(なり)今に(おいて)(は)(うさぎ)の神と(い)(なり)(かれ)(そ)(うさぎ)大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)(まを)さく(こ)八十神(やそかみ)(は)必ず八上比売(やがみひめ)不得(えじ)袋を(お)ほせと(いへども)(な)(みこと)(これ)(う)べし

そこで大穴牟遅神おおあなむちのかみは、そのうさぎに教え言いました。

「今すぐ急いでこの河口に行き、真水でお前の全身を洗いなさい。 そして、その河口近くの蒲黄ほおう(がまの花粉)を取り、敷き散らしてその上を転がれば、お前の体は元通りに必ず皮膚はえるであろう。」

そこで、教えられた通りにしたところ、その身は元通りになりました。

これが稲羽いなば(因幡いなば=鳥取県東部)の素菟しろうさぎ(白兎しろうさぎ)というものであり、今ではうさぎの神と伝わります。

さて、そのうさぎ大穴牟遅神おおあなむちのかみにこう申し上げました。

「あの八十神やそかみは絶対に八上比売やがみひめを得ることはできません。袋を背負っていたとしてもあなた様が姫を獲得できます。」

於是八上比賣答八十神言吾者不聞汝等之言將嫁大穴牟遲神故爾八十神怒欲殺大穴牟遲神共議而至伯伎國之手間山本云赤猪在此山故和禮 【此二字以音】 共追下者汝待取若不待取者必將殺汝云而以火燒似猪大石而轉落爾追下取時卽於其石所燒著而死

於是(ここにおいて)八上比売(やがみひめ)八十神(やそがみ)に答へて言ひしく(あれ)(は)汝等(いましら)(の)(こと)不聞(きか)(まさ)大穴牟遅(おほあなむち)の神に(あ)はむ故爾(ここに)八十神(やそがみ)怒りて大穴牟遅(おほあなむち)の神を殺さむと(おも)ひて共に(はか)りて(しかるに)伯伎(ほうき)の国(の)手間山(てまやま)(もと)に至りて云はく赤き(い)(こ)の山に(あ)(ゆえ)(わ)(れ) 【(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】 (ども)が追ひ(お)とさ(ば)(なれ)待ちて取れ(も)し待ちて取ら(ざ)(ば)必ず(まさ)(いまし)を殺さむと云ひて(しかるに)火を(もち)て焼き(おほ)(いは)(い)(に)せて(しかるに)(まろ)ばし落としき(ここ)に追ひ(お)り取りし時(すなは)(そ)(いは)(おいて)焼かるる(ところ)(いちしり)くして(しかるに)死にせり

このようなわけで、八上比売やがみひめ八十神やそかみに答えて言いました。

「私はあなたたちの言うことは聞きません。大穴牟遅おおあなむちの神と結婚します。」

これに八十神たちは怒りました。

そこで、大穴牟遅おおあなむちの神を殺そうと皆で相談しました。

そして、伯耆ほうきの国(鳥取県西部)の手間山てまやま(手間要害山てまようがいざん)のふもとに連れて来て言いました。

「赤いいのししがこの山にいる。我々が追い落としたら、お前が待ちかまえて捕えよ。もし待ちかまえて捕えなければ、必ずお前を殺す。」

このように言って、大きな岩を火で焼きいのししに似せて転げ落としました。

それを追い降りて行って取ったところ、すぐにその岩にひどく焼かれ死にました。

爾其御祖命哭患而參上于天請神產巢日之命時乃遣貝比賣與蛤貝比賣令作活爾貝比賣岐佐宜 【此三字以音】 集而蛤貝比賣持承而塗母乳汁者成麗壯夫 【訓壯夫云袁等古】 而出遊行

(ここ)(そ)御祖命(みおやのみこと)(な)(わづら)ひて(しかるに)(あめ)(おいて)参上(まひのぼ)神産巣日之命(かむむすびのみこと)(こ)ひし時(すなは)貝比売(きさぎひめ)(と)蛤貝比売(うむぎひめ)とを(つか)はし(い)(な)(し)めて(すなは)貝比売(きさがひひめ)(き)(さ)(げ) 【(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】 集めて(しかるに)蛤貝比売(うみがひひめ)持ち(う)けて(しかるに)母の乳汁(ちしる)を塗りしか(ば)(うるは)壮夫(をとこ) 【壮夫を(よみ)(を)(と)(こ)(い)ふ】 と(な)りて(しかるに)(い)(あそば)(ゆ)きき

そのため、その御母おんははみこと(刺国若比売さしくにわかひめ)は泣き悲しみ、 天に参上し神産巣日之命かむむすびのみことにお願いしたところ、すぐに貝比売きさぎひめ蛤貝比売うむぎひめつかわし 生き返らせるよう命じました。

そして、貝比売きさぎひめがきさ貝(赤貝)のからを砕き集め、蛤貝比売うむぎひめがうむ貝(はまぐり)の絞り汁を受けて作った母乳のような汁を塗ったところ、うるわしい男性となって現れ行きました。

於是八十神見且欺率入山而切伏大樹茹矢打立其木令入其中卽打離其氷目矢而拷殺也爾亦其御祖命哭乍求者得見卽拆其木而取出活告其子言汝有此間者遂爲八十神所滅乃違遣於木國之大屋毘古神之御所爾八十神覓追臻而矢刺之時自木俣漏逃而云可參向須佐能男命所坐之根堅州國必其大神議也

於是(これにおいて)八十神(やそかみ)(み)(また)(あざむ)き山に(あども)ひ入れて(しかるに)(おほ)(き)を切り伏せ矢を(ひ)めて(そ)の木を打ち立て(そ)の中に(い)(し)めて(すなは)(そ)氷目矢(ひめや)を打ち離ちて(しかるに)(たた)き殺しき(なり)爾(ここ)に(また)(そ)御祖命(みおやのみこと)(な)(つつ)求むれ(ば)(え)(み)(すなは)(そ)の木を(さ)きて(しかるに)取り(いで)(いけ)(そ)の子に(の)たまひしく(いまし)(こ)の間に(あ)(ば)(つひ)八十神(やそかみ)(け)たるる(ところ)(な)らむ(すなは)(たが)へ木の国(の)大屋毘古神(おほやびこのかみ)(の)御所(みところ)(おいて)(や)りき(ここに)八十神(やそかみ)(ま)ぎて追ひ(いた)りて(しかるに)矢刺(やざ)しし(の)時木の(また)(よ)(く)きて逃げて(しかるに)(い)はく須佐能男命(すさのをのみこと)(いま)せし(の)(ところ)根堅州国(ねのかたすくに)参り向かひ必ず(そ)大神(おほかみ)(はか)(べ)(なり)

八十神やそかみはそれを見て、もう一度だまして声をかけて山に誘いました。

そして、大樹を切り倒し数本を束ね縛って起こし、め矢(支柱)をあてがい斜めに立て、その下に行くように誘いました。

そして、その秘め矢(支柱)を外して丸太の束によって圧殺しました。

再び御母みははみことは泣きながら行方を捜し発見しました。

すぐにその木を裂き取り出して生き返らせ、その子にこのように言いました。

「お前はこのままでは、最後に八十神やそかみに完全に消されてしまいます。」

そこで逃げさせるために、木の国(紀伊国きいのくに=現在の和歌山県・三重県)の大屋毘古神おおやびこのかみの所に行かせました。

それでも、八十神やそかみは行方を探し求め追って行き、矢を向けた時木の股を潜り抜けて逃げました。

そこで、御母おんははみことは言いました。

須佐能男命すさのをのみことが行かれた根堅州国ねのかたすくにに向かい参り、 必ず大神おおかみに相談しなさい。」

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