【本文】赤いファントム|7ページ - 小説投稿エブリスタ
一九七一年、第三次佐藤内閣の時代。 全日空機雫石衝突事故が発生した。 同年七月三十日、岩手県岩手郡雫石町の上空で、全日空58便と航空自衛隊F86戦闘機が衝突し、全日空機は空中分解の末、乗客乗員162名が全員死亡した。
事故の一番の原因は、F86戦闘機が訓練空域を逸脱し、民間機の飛行ルートを侵犯したことにある。
この事故は後に、刑事および民事で裁判が行われ裁決もされているが、このときの防衛庁長官が中曽根康弘であった。
つまり中曽根は、防衛庁長官という自衛隊トップの時代と、内閣総理大臣という国のトップに在るときに、二度も、自衛隊が関与した民間機の墜落事故を経験しているのだ。
この経験があったからこそ、中曽根は、悪魔の判断を下したのではないだろうか。
123便墜落の十四年前。国防のトップである防衛庁長官として、民間人162名の命を奪った責任を問われた中曽根が、辛酸を舐めたことは容易に想像できる。
皮肉にもその十四年後、今度は国のトップとして、520名の人生を奪った責任を問われる瀬戸際に立たされた。また、あのような辛酸を舐めるのか。
しかも、GDP1%枠を撤廃し、軍備を拡張しようと目論んでいる矢先だ。この不祥事を公にする訳には行かない。
もし中曽根が、このように考えたとしたら、自ら地獄への片道切符に手を伸ばした可能性は否定出来ない。
では、中曽根はどのように隠蔽工作を行ったのか?
123便は墜落から十時間後にようやく墜落場所が特定され、自衛隊や町の消防団が救出に向かったのだが、じつは、墜落場所は墜落直後に特定されていた可能性が高いことが、後から分かった。 つまり日本政府は、墜落場所を把握していながら、隠蔽工作の時間稼ぎのために、墜落場所が不明であると、虚偽の情報を流していたことになる。
このことは、生存者の落合由美氏や、元米軍中尉のアントヌッチ氏の証言が裏付けている。
【本文】赤いファントム|12ページ - 小説投稿エブリスタ
マスコミへの圧力と忖度
123便が墜落したその日、百里基地の基地司令官から、一人の男性に電話が入った。この司令官は電話の相手に、標的機が民間機に衝突したと語ったという。 また某新聞社の記者は退任後、後輩にこう語った。
「墜落の当日、自分が現場に行って、自衛隊機に当てられたというスクープ記事を書いた。十三日の零時には、その記事が十三日の朝刊第一面に掲載されることが決まった。ところが、翌朝の新聞に、自分の書いたものとは全く違う記事が載せられたのを見て、仰天した」
この記者が現場にいたのは、自衛隊と政府が、123便の墜落原因を自損事故(圧力隔壁破損)に塗り替える画策を行なっていた時間と重なる。 真実が明るみに出ることを嫌った日本の最高権力者が、新聞やテレビに対して報道規制を命じたと考えるのが自然だろう。
さらに、墜落後の現場取材においても、別の某新聞社記者が語っている。 「自衛隊ヘリが墜落現場からオレンジ色の残骸を吊り上げる写真を撮った。その写真は、翌朝の朝刊トップに載るはずだった。ところが、この写真はなぜかボツになった」
青山透子氏は、地元民の証言を多数集めており、墜落地点近隣の住民は、墜落後すぐに墜落場所を特定し、警察、消防署、テレビ、マスコミに電話で伝えていたことも、明らかになっている。一人二人ではなく、何十人もの人が、一刻も早い救出を願い、情報提供を続けていたが、それらは握り潰され、活かされることは無かった。
自衛隊、政府、警察、マスコミ、日航などの、被害者以外のすべてが結託し、誤報を流し証拠を隠し、国民の目から真相を遠ざけようと動いていたことがわかる。
少し話は逸れるが、政府がマスコミに対して圧力をかけた例は、つい最近も起きている。 それは、森友学園問題である。
NHK記者(当時)の相澤冬樹氏は、森友事件を執拗に追い、核心に迫る記事をいくつか発表していた。しかしある日、報道局長に呼ばれ異動を言い渡される。 異動先は報道とは無関係の部署で、つまり相澤氏は筆を折られたのである。
その後相澤氏はNHKを自主退職し、大阪日日新聞の記者に転職した後、「安倍官邸vs.NHK: 森友事件をスクープした私が辞めた理由」(文藝春秋刊)で、ことの経緯を告発している。
520名が亡くなった事件と森友事件を同列に扱うつもりは無いが、しかし森友事件においても、近畿財務局の職員が自殺により亡くなっている。命の重さという意味では同じであり、森友事件においては安倍政権がNHKに圧力をかけ、真相を闇に葬った。
この国の政府は、国民の尊い命を犠牲にしてまで、いったい何を守りたいのだろうか。
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