古事記編 数百年前の沼島-No.15-
No.14では、沼島の神宮寺 宮司さんに運良く出会って島に残る古事記にまつわる貴重な文献を実際に見せてもらいました!
そこから「古事記編纂の日本人の想い」まさに「日本人のルーツ」を感じることができました。
さらに沼島の絵巻も見せてもらって、昔の様子を見ることができました!
沼島の数百年前
神宮寺さんには、さらに江戸時代に記された絵巻もあるとのこと。
数百年の時を経ていますが、本当に状態が良いです!!こちらも有難いことに本堂から持ってきていただきお見せいただきました。
数百年前の「上立神岩」と「下立神岩」
それがこちらです!
すごいんです!沼島は平坦な港、そして反対側は断崖絶壁という神秘的な2面性を持ってます。
江戸時代の人はその裏側の景色を船から模写した絵巻を残してくれてました。
沼島の「上立神岩」は今でも今でも有名ですが、「下立神岩」はすでに岩は崩れてなくなってしまっているようなのですが、この絵巻によると数百年前はこのように立派な岩が存在したことがわかります。
ちなみに現存する「上立神岩」。
こちらはなんと当時は今よりもっと大きく巨大な岩だったそうです。ですが岩が崩れて今の高さになったそう。。。この絵巻の他の岩などに比べても圧倒的な大きさ。
ちなみに、こちらが現在の「上立神岩」です。
絵巻と比べると、一目瞭然。わかるはずです。昔はこの2倍くらいの大きさがあったとのことです。絵巻の岩のくびれた部分から上が崩れてなってしまってます。
まなごんルート古事記編 No.11で詳しく書いてます^^
絵巻を見てから現物を見ると、、だいぶ小さくなったんだなぁ〜といういうイメージ。
ここから数百年また進むと、岩の形も変わりもしかするとなくなってしまっているかも…
そう思うと、今の時代を生きて見られる景色全てが愛おしくなるというか、、奇跡なんだなぁ〜と目と心に焼き付けようと、改めて思います。
見たかった〜昔あった「鏡石」
さらに、絵巻に面白い記載が。。
宮司さんが説明してくださいました。
これです!↑
真ん中あたりに「鏡石」と書かれた不思議な色をした石が描かれてます。
なんと、こんなに重要な石、「いつの間にか消えてしまっていた」らしいのですw
鏡石..これが残ってたら確実に観光スポットとされて、沼島のクルーズでは紹介されたことかも。。しかもまるで神社にお参りするとよくある、神棚の「鏡」のよう。
本当に神秘が沢山詰まった島が沼島なんだ〜と、感動でした。
ぜひ、実際に見てみたかったなぁ〜やっぱり時代とともに消えてなくなるものもある。
神社や歴史的な建造物、昔からの景色が現代まで残っているのは人が一生懸命繋いできた奇跡なんだと感じます。悲しいけど人が手をかけなければ消滅していく..でも本当はそれが本来あるべき姿で、もしかすると自然なのかもしれませんね。
景色には文化や当時の生活のヒントも残ってます。そういったことからも、きっと数百年後はないかもしれない今の景色を伝えていくというのは重要なのだと思います。
伊能忠敬は「神宮寺」を訪れてた!
伊能忠敬の凄さは地図だけではない
伊能忠敬といえば、初めて正確な日本の地図を完成させた偉人です。
1800年から17年をかけて日本全国を測量し、日本地図(大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず))を完成させ、日本の国土を正確に明らかにした人です。
測量計機械もなく、まして移動手段は「船」か「徒歩」「馬」。しかも今のようにもちろん道なんてしっかりしたものもない。海沿いを歩けない場合は船や、山越えをしながら測るわけです。凄まじく大変であったことは一瞬で想像できます。
ちなみに、伊能=地図作成は有名ですが、この方本当に優秀で、若くして算術に長けて、さらに「天文学」「暦学」を自ら学び、そして自然にも通じてたとのこと。
伊能は実は婿養子で嫁いだ家の村は武士が住んでいない村人が自らで村を収めていた場所。
その村の中でも伊能家は商人の家として財力もあり、村を束ねる役割をになってくのですが、大飢饉の時に持ち前の先見の目と、頭の良さや、人格者でもあり積極的に人を救い、1名の死者も出さずに難局を乗り越えるといった名君ぶり。
彼を大河ドラマにしたら面白そう。笑
伊能と沼島
神宮寺には伊能が沼島に寄った時のことや、日記を記した資料がありました。
この資料から伊能が沼島 神宮寺に立ち寄ったとのこと記載あります!
そして、その当時の宮司さんから奇石をたくさん見せてもらったとのこと!なんだか、私もそうですが神宮寺の宮司さんは、昔も今も変わらず訪れた人へ様々な事を教えてくださってたんですね。。
上記は日記の現代語訳です。
ピンクの線が引いてある箇所は神宮寺についての記載箇所。
日記を読むと、、数百年前のその日の天候が記載されている。これはかなり貴重ですね。。
そして、当時の沼島の島の様子も残されている。当時はデジタルもスマホも写真も気軽に取れない、そんな時代ですから、みんなマメに書物に記して残したのがわかります。
写真とか本当に便利なもんです。パッシャパッシャ、私みたいに景色や資料まで一瞬でコピーできてしまうのだから…これが当たり前じゃない時代もあったんです。
そして、この伊能の正確さ、です。
上空から撮影などできないので、もちろん地を歩き測量したのですが、恐ろしいほど正確ですね。。
測量も縄や徒歩で測ってたそうです。そして「天文学」にも精通してたことから、星空を見て方向を確かめてたのでしょう。そして後日測量したデータを後で緻密に組み合わせて地図を作っていった..とのこと。いや〜〜〜〜〜すごい。
帰りの船を見送り続ける..魅力的な話
宮司さんの沼島の話が面白くて面白くて、、、長い時間聞いてました。
沼島から淡路島への船を送ること3回くらいでしょうか。。。?笑
船が出る時に汽笛が島に響くんですがまた、「ぷぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
そうして3時間はいたでしょうか、、。宮司さんのこれまでの人生のあゆみもお聞きして本当に感動。宮司さんは80歳代とのこと!若々しくて見えない!!昔教師をしていたそうですが、
その当時は今より「人に優劣」をつける風潮があったそうで、沼島の小さい島から、神戸の小学校を担当した時は出身でかなりバカにされたそうです。
だからずっとコンプレックスを抱いて生きてきたけど、20歳になった時に「人間には上も下もない」と気づいてそこから周りからなんと言われようと自分の正しいと信じる道を歩くことにしたそうです。
こんな「優劣」をつけたがるのは間違っている。教育だってそうだ、階級(賢いこ、そうではない子と)などで教育は行わない、単純なものさしで人を計ってはいけない。
その子一人一人の個性を理解し、生かし教育するべきだ!
その考え方は、当時他の教師には受け入れられず嫌がらせをされたこともあったそうです。
まさに現代の考え方をすでに宮司さんは考えており、その時は常識を逸脱した変わり者となったんだなと思いました。当時は理解されないが時を経て評価され直す歴史の偉人と同じです。
そんな熱い思いをいだき教育現場に50〜60歳まで携わり、紆余曲折様々困難乗り越え、
なんと教育関連で天皇に表彰されたそうです!!!!!
な、何者ですか!と聞いてしまったのですが、宮司さんは笑ってました笑
人生に熱くなれ。
そう宮司さんがおっしゃって他のが印象的です。
宮司さんの人生が熱くてカッコよかった
とにかく、素敵な魅力が十分に伝わるお方でした。人生のお話を聞いてると、
私はここで何をしてるんだ。。。(爆)
と、この恵まれすぎた幸せを当たり前と思ってはいけない。決して…そう感じました。自由にこうして旅に出たり、仕事しながらブログなんてものを更新できたり..これがいかに幸せか。周りに感謝しながら生きていかないとなと…
多様化が進んでいて皆いろんなことを、自由にできる時代です。だけどこの自由さは数えきれない人の努力、人生の積み重ねの上の産物なんです。
きっと宮司さんも教育界に影響を与えたお方だと感じます。石を投げられながらも世間に流されずに「自分の正義の道」を歩く人がいます。
その道は、最初は獣道ですが、その人の後には道ができ、時がたつと舗装された道になって多くの人が歩けるようになる。
道を開拓する人、その道をさらに人が歩きやすいようにする人、その道からさらに道を作る人、その道を人に教える人..様々ですね。
でもきっと道は多い方がいい!生きてるからには、道を作る一人になって後の世に貢献したいです。
今回のまとめ…
沼島の出会いで、古事記について理解を深められたと私自身感じました。何より宮司さんのお話で、「人生は一度だけ、自分が正しいと信じる道を堂々と、熱く進む。」
その熱い想いを、グッと胸に受け止めました。
プライベートでも仕事でも壁にぶち当たることって沢山あると思います。その壁に対してどれくらい真剣に向き合えるか。目を背けても問題って..不思議なんですけど人生をずーっと追いかけてくる。
その壁をぶち破り続けると、あれ?昔はこんなことで悩んでたのか〜とだんだんとぶち破り威力を強化していける気がしてます。
そうやって長い人生、自分なりに一生懸命歩いていくことで、自分だけではなくそれは世の中をよりよくする事ができる。そう信じてます。
常に何かを判断する時、少し考えます。なぜそう思うのか、「自分の利」に偏ってないか。それは世の中のためになるのか。
話、最後脱線したけど「人生を熱く生きる。」宮司さんから素敵な話と人生感を聞いたこと一生の宝です。
最終回間近。続く。。
〜No.15〜
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