https://www.amazon.co.jp/偽書が揺るがせた日本史-原田実-ebook/dp/B092DL7PWX/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1689135581&sr=1-5
2020年6月22日に日本でレビュー済み
『偽書が揺るがせた日本史』(原田実著、山川出版社)では、多くの偽書が取り上げられているが、とりわけ興味深いのは、『和論語(わろんご)』、『武功夜話(ぶこうやわ)』、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』、『椿井文書(つばいもんじょ)』の4点です。
『和論語』のことは本書で初めて知ったが、石田梅岩もこの書に魅せられたということです。「梅岩に関する書籍には、しばしば彼に影響を与えた書物として『和論語』という名が出てくる。・・・(『和論語』の)特徴は、歴史上の人物を幅広く取り上げていることと、それらの人物について他の文献にはないような珍しい発言がしばしば収められていることである」。
『和論語』を偽書と見做す研究者たちの考証により、偽作者は沢田源内(1619~88年)ということで一致しています。「(研究者の)勝部真長は源内について次のように評した。<『和論語』の作者のごとき才筆の持ち主、さらに故事に通じ、一個の思想を持った人物なら、戦国の世なら竹中半兵衛のような軍師としても通用したかもしれない。沢田源内が通俗の軍談や系図の書を多くものしたのは、泰平の世における市井の人物の鬱屈した不平の気の現われであろう>」。
地域の観光資源として利用された偽書として、『武功夜話』と『東日流外三郡誌』が挙げられています。「『前野家文書』は、昭和34(1956)年、愛知県江南市の旧家の土蔵を整理した際に出てきた古文書・古記録の総称だという。その中でも、もっとも代表的なものは『武功夜話』と題された記録である」。
「NHKのTV番組『歴史への招待』1980年1月17日放送『太閤記・藤吉郎一夜城を築く』で大きく取り上げられてから全国的な認知度も高まった。小和田哲男氏のように日本史学界からも『前野家文書』の史料価値を認める意見がだされた。・・・だが、『前野家文書』については、いくつもの疑問があった。木曽川の流路は天正14(1586)年6月の洪水で大きく変わっているが、墨俣一夜城関連の図版に出てくる流路はそれ以前の史料のはずなのに現代と同じになっている。・・・(美濃の地名として『武功夜話』に出てくる『富加』は)昭和29(1954)年、富田村と加治田村の合併で生じた新村名である。『武功夜話』は昭和29年以降の岐阜県地図を参考にして書かれたとしか考えられない。・・・信長の側室に生駒氏の女性がいたのは事実だが、正室と並ぶ重要人物だとする文献は『前野家文書』しかなく、吉乃という名や、信忠、信勝、徳姫らの母だったというのも『前野家文書』作者の創作とみてよい」。
「(『東日流外三郡誌』の)内容は、神武東征で畿内を追われた耶馬台国(邪馬台国)の一族と津軽の先住民族、中国からの渡来人が混交した荒吐族という民族が、津軽に一大王国を建てて大和朝廷と対立した。中世においても荒吐族の流れをくむ安東氏が十三湊(現・青森県の十三湖)を根拠として栄えたが、南朝年号の興国元(1340)年もしくは興国2年に起こった大津波で安東水軍が滅亡、その歴史は次第に忘れられていったというものである。・・・だが、1990年代に入ってから『東日流外三郡誌』の検証が進み、江戸時代の文書にはありえない用語や官位・暦法など制度に関する錯誤がぞくぞくと指摘されるばかりかテキスト(明治期の写本と主張)の筆跡が(発見したと主張する)和田喜八郎のものと一致することが判明、偽書であることは明らかになった」。
近畿地方の各地で郷土史の資料として重宝されている偽書群が『椿井文書』です。「『椿井文書』はもともと椿井村在住の椿井政隆(1770~1837年)という人物による中世文書のコレクションとみなされていた。・・・政隆が単なる収集家ではなく『古文書』作成まで行っていた可能性はすでに1960年代から指摘されていた」。
「政隆は、各地域で出資者になりそうな有力者を探してはその人物と近隣の同階層の人を結びつけて縁戚関係を示す系図を作成する。そして着到状(武士が合戦などに馳せ参じた順序を記した帳面)などで、その作成された系図で同時代とされた人物が同じ場所に居合わせたことがあるという『証拠』を作る。この作業を繰り返すことでその地域の歴史ができたなら、神社縁起などでその村などの領域を示す『伝承』を作る。近世においては地域の区画を示す古文書は現在の不動産登記のような役割を果たしたから出資者はそれで自分の系譜を飾るだけでなく地域の地所管理に関する利権をも主張できるようになる」。
「『椿井文書』には多数の地図が収められているが、これは『古文書』探索(実情としては作成)を求めた出資者たちにその利権が及ぶ領域をビジュアルで確認させるためのものであった。『椿井文書』の図版には、実際の形とまったく異なる下書きの線が残ったままのものがあり、これは実際の古文書を模写した場合にはまずありえない現象なのだが、そのような草稿と思われるものまで椿井家没落で流出してしまったのはご愛敬だろう)。
「生前の政隆が精力的に『古文書』を作り続けたためにその総量の確認は困難になった。一方で、詭弁を用いつつ『椿井文書』を利用し続ける自治体や教育機関、研究者は後を絶たないため、『椿井文書』問題はいまだ混迷をきわめているわけである」。
本書は、偽書の内容に止まらず、偽作者サイドの事情や、偽書の存在・流布を許してしまった研究者たちの責任にも筆が及んでいる点で、類書とは趣が異なっています。
『和論語』のことは本書で初めて知ったが、石田梅岩もこの書に魅せられたということです。「梅岩に関する書籍には、しばしば彼に影響を与えた書物として『和論語』という名が出てくる。・・・(『和論語』の)特徴は、歴史上の人物を幅広く取り上げていることと、それらの人物について他の文献にはないような珍しい発言がしばしば収められていることである」。
『和論語』を偽書と見做す研究者たちの考証により、偽作者は沢田源内(1619~88年)ということで一致しています。「(研究者の)勝部真長は源内について次のように評した。<『和論語』の作者のごとき才筆の持ち主、さらに故事に通じ、一個の思想を持った人物なら、戦国の世なら竹中半兵衛のような軍師としても通用したかもしれない。沢田源内が通俗の軍談や系図の書を多くものしたのは、泰平の世における市井の人物の鬱屈した不平の気の現われであろう>」。
地域の観光資源として利用された偽書として、『武功夜話』と『東日流外三郡誌』が挙げられています。「『前野家文書』は、昭和34(1956)年、愛知県江南市の旧家の土蔵を整理した際に出てきた古文書・古記録の総称だという。その中でも、もっとも代表的なものは『武功夜話』と題された記録である」。
「NHKのTV番組『歴史への招待』1980年1月17日放送『太閤記・藤吉郎一夜城を築く』で大きく取り上げられてから全国的な認知度も高まった。小和田哲男氏のように日本史学界からも『前野家文書』の史料価値を認める意見がだされた。・・・だが、『前野家文書』については、いくつもの疑問があった。木曽川の流路は天正14(1586)年6月の洪水で大きく変わっているが、墨俣一夜城関連の図版に出てくる流路はそれ以前の史料のはずなのに現代と同じになっている。・・・(美濃の地名として『武功夜話』に出てくる『富加』は)昭和29(1954)年、富田村と加治田村の合併で生じた新村名である。『武功夜話』は昭和29年以降の岐阜県地図を参考にして書かれたとしか考えられない。・・・信長の側室に生駒氏の女性がいたのは事実だが、正室と並ぶ重要人物だとする文献は『前野家文書』しかなく、吉乃という名や、信忠、信勝、徳姫らの母だったというのも『前野家文書』作者の創作とみてよい」。
「(『東日流外三郡誌』の)内容は、神武東征で畿内を追われた耶馬台国(邪馬台国)の一族と津軽の先住民族、中国からの渡来人が混交した荒吐族という民族が、津軽に一大王国を建てて大和朝廷と対立した。中世においても荒吐族の流れをくむ安東氏が十三湊(現・青森県の十三湖)を根拠として栄えたが、南朝年号の興国元(1340)年もしくは興国2年に起こった大津波で安東水軍が滅亡、その歴史は次第に忘れられていったというものである。・・・だが、1990年代に入ってから『東日流外三郡誌』の検証が進み、江戸時代の文書にはありえない用語や官位・暦法など制度に関する錯誤がぞくぞくと指摘されるばかりかテキスト(明治期の写本と主張)の筆跡が(発見したと主張する)和田喜八郎のものと一致することが判明、偽書であることは明らかになった」。
近畿地方の各地で郷土史の資料として重宝されている偽書群が『椿井文書』です。「『椿井文書』はもともと椿井村在住の椿井政隆(1770~1837年)という人物による中世文書のコレクションとみなされていた。・・・政隆が単なる収集家ではなく『古文書』作成まで行っていた可能性はすでに1960年代から指摘されていた」。
「政隆は、各地域で出資者になりそうな有力者を探してはその人物と近隣の同階層の人を結びつけて縁戚関係を示す系図を作成する。そして着到状(武士が合戦などに馳せ参じた順序を記した帳面)などで、その作成された系図で同時代とされた人物が同じ場所に居合わせたことがあるという『証拠』を作る。この作業を繰り返すことでその地域の歴史ができたなら、神社縁起などでその村などの領域を示す『伝承』を作る。近世においては地域の区画を示す古文書は現在の不動産登記のような役割を果たしたから出資者はそれで自分の系譜を飾るだけでなく地域の地所管理に関する利権をも主張できるようになる」。
「『椿井文書』には多数の地図が収められているが、これは『古文書』探索(実情としては作成)を求めた出資者たちにその利権が及ぶ領域をビジュアルで確認させるためのものであった。『椿井文書』の図版には、実際の形とまったく異なる下書きの線が残ったままのものがあり、これは実際の古文書を模写した場合にはまずありえない現象なのだが、そのような草稿と思われるものまで椿井家没落で流出してしまったのはご愛敬だろう)。
「生前の政隆が精力的に『古文書』を作り続けたためにその総量の確認は困難になった。一方で、詭弁を用いつつ『椿井文書』を利用し続ける自治体や教育機関、研究者は後を絶たないため、『椿井文書』問題はいまだ混迷をきわめているわけである」。
本書は、偽書の内容に止まらず、偽作者サイドの事情や、偽書の存在・流布を許してしまった研究者たちの責任にも筆が及んでいる点で、類書とは趣が異なっています。
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