笄堀
さかまき
「この事を誰が知っていますか」
「まだわたくしだけでござります」
「使の者はどうしました」
「わたくしの住居にとめ置いてござります」
真名女はちょっと眼をつむった。――おちつかなくてはいけない、決してせいてはならない、いま自分が云うどんなひと言も
「ではこなたはさがって、その使者を誰にも会わせぬようにはからって下さい、そして
「すればやはり館林へ御合体でござりますか、それとも……」
「あとで、それはあとで云います」
きびしいこわねだった。
「みなが集って、みなの意見をも聴いたうえで云います、それまでは決して表だたぬよう、ほかの者たちに気づかれぬようにして下さい」
靱負之助はさがっていった。
真名女はひとりになった、両手を
――そうだ、この弱いうろたえた気持はたしかに自分のなかにある、これをごまかしてはいけない、自分はまずよくよくこの惑い乱れた心をつきとめるのだ。われとわがからだの
豊臣秀吉が関白太政大臣の権勢と威力をもって、北条氏討伐のいくさをおこしたのは、そのまえの年(天正十七年)十月のことであった。天下の諸雄はほとんどその旗下にはせ参じ、明けて今年の三月には小田原城をまったく包囲してしまい、さらに石田三成、大谷吉継、長束正家らをして上野、武蔵、下総の諸国にある北条氏の属城を攻めおとすべく軍を進めさせた。……酒巻靱負之助のもとへ来た使者というのは館林城からのもので、すなわち石田三成が三万の大軍をもってくに境へ迫っている、すぐにこちらへ合体せよという知らせであった。北条氏はいくさが始まるとすぐ、関東諸国にある属城の主たちを小田原へ召集した、これは本城のまもりを固めると同時に、属下の離反をふせぐ策だったのである。城主たちはおのおのその兵の大半をつれて小田原城へたてこもった、したがって留守城はどこも防備がてうすだった、兵も武器もとぼしかった、それでみずからたのみがたしとみた足利、飯野、板倉、北大島、前岡、西島などの諸城の人々は、北条氏規の居城だった館林の城へ合体したのである。
しかしはたしてそれが可能であろうか、三百にたらぬ兵と、充分でない武器とで、三万の敵軍に対抗することができるであろうか。
真名女は身ゆるぎもせずに坐っていた、あたりの空気が重みをもっていて、それが四方から圧し縮まってくるような息ぐるしさだった、堪えかねて
みずから自分を突きのめし、
あらいざらい弱さ脆さを吐きだしてしまったあとの、おちつき場を得た心の底からすこしずつちからがわきあがってきた。それはもうごまかしではなかった、作りものでもなかった、真名女はそれでもなおよくそれをたしかめてから、はじめてふところ紙をとりだして両手をぬぐった、両の掌にはじっとりと
そう云いのこしていった品である、真名女はしっかりとその鎧をみまもった。
「申上げます」
「やがて出ると申せ」
侍女はしずかに去った。真名女はなおしばらくのあいだじっと坐っていたが、やがて娘の
「申しきかすことがあります、こちらへおすすみなさい」
真名女はそう云って向き直った、甲斐姫はしずかに母の前へすすみ寄った。
姫に良人の
「使者の口上には、この城をひきはらって館林へ合体するようにとあります、みなみなはどう思われますか、ありようの意見を申し述べてもらいます」
しばらくは息苦しい沈黙が広間を占めていた、それで靱負之助が答をうながすと、新田常陸介が同意の者の意見を代表して、館林城へ合体するのが良策であると答えた。
「
「わかりました」
真名女はうなずいて人々をみまわした。
「いま常陸介の申した意見をもっともと思う者は前へすすむがよい」
かれらは互いに眼をみかわしたが、やがてほぼ半数の者が席をすすめた。
「あとの者はべつに意見がありますか」
「われらは」と舟橋内匠が云った、「いかようともおかた様のおぼしめしどおりにつかまつる所存でござります」
「それは意見ではあるまい」常陸介がきっと向き直った、「おかた様おぼしめしどおりとは、われらも申すことだ、いくさ評定であるかぎり、殿お留守をあずかる責任をも考えあわせ、しかとした所存を申上ぐべきではないか」
「これがわれらのしかとした所存なのだ」
ふたりはそこで激しく議論をたたかわした。さいぜんからおなじ問題がやりとりされていたものとみえて、ほかの人々も二派にわかれて、こわだかに云いつのった。しかしやがて、だまって聴いている真名女に気づいて、はてしのない議論をやめた。しずかになった広間の四壁に、燭の光が人々の影をおどろおどろしくうつしだしている。
「おかた様にはいかがおぼしめしまするか」
酒巻靱負之助がはじめて口をひらいた、真名女はうちかえすように云った。
「わらわはこの城をまもります」
無造作な、なにげない言葉だった、常陸介がずっと顔をあげた。
「軍議ゆえぶしつけにおうかがい申します、城のふせぎは備わらず、武器は足らず、しかも僅かに三百の兵をもって、おかた様には、まことに三万の軍勢とおたたかいあそばすお覚悟でござりますか」
「そうです」
「それにはなにかおぼしめす軍略でもござりますか、城の内外にある老幼婦女をどうあそばしまするか」
「常陸介はわらわをなんとみるぞ」
「…………」
「わらわを女とはみぬか、ここにいる姫を少女とはみぬか」
常陸介は言葉につまった。
「おんなの口からはおこにもきこえようが、いかに堅固な城に拠ればとてたたかいに勝つとはきまるまい、余るほどの武器、精鋭すぐった大軍をもっても、負けいくさになるためしは数々ある。城にたよる者は城によって亡びる、武器にたよる者は武器によってやぶれる、大切なのは城でも武器でもなく、それをもちいうごかす人の心にあるのではないか、十万百万の兵も
すこしも気負った調子はなかった、平常どおりの優雅な夫人のこわねだった。
「わらわは兵も武器も足らぬとは思いませぬ、弾丸ひとつ、矢ひと筋、その一つ一つにむだがなければ武庫にあるだけでも余るくらいです。兵はなるほど三百そこそこでしょう、けれどたたかいは兵だけがするものではない、忍の領土に生きる者はみな兵となってたたかう筈です、老人も、幼児も。婦女も、……すくなくともわらわと姫とはたたかいます」
そう云って真名女はしずかにうわぎをぬいだ、甲斐姫もぬいだ、ふたりとも下には鎧の腹巻をつけていた。
評定はその一瞬にきまった、館林へ合体しようと云った常陸介とその同意の人々も、むろん忍城のまもりにつく決意をかためた、真名女はその評定がもはやゆるぎのないものだとみきわめると、良人の兜をとってしずかにかぶり、
「ではあらためて、唯今からわらわが忍城のあるじになります、この
そう云いながら立ちあがった真名女のすがたは、甲冑もよく似合って、ひじょうに
あくる日の朝、酒巻、舟橋、成田次家、新田、成田康長の五人が本丸へまねかれた。真名女は甲冑をつけて上座につき、五人のつくべき役目を申しわたした、すなわち酒巻靱負之助は総奉行に軍監を兼ねる、舟橋内匠は武庫奉行、新田常陸介は槍、弓、鉄砲奉行、成田次家と康長は城塁奉行として、城の門木戸をかためる、そしてその各役目の下におくべき番がしら手代まできちんときめた。かくてその日のうちに、城下町はいうまでもなく、領内のはしはしまで城主の名をもって布令書がまわされた。それには関西の軍勢三万余騎が攻めて来ること、城主はじめ留守の将士は城をまもってたたかう覚悟のこと、領内の民たちのうち忍城にたてこもるべき心ある者は老幼婦女にかかわらず城へ入るべきこと、その心なき者は
すぐに戦備がはじめられた。弾丸を鋳る者、矢を作る者、防塁を築く者、糧食を運ぶ者、木戸を結う者など、城の内外はめざましいほどの活気に満ちてきた。また城中の武士の婦人たちだけで城壁の外廓に
「そのもとたちの持場だ、笄が落ちているのにふしぎはあるまい」
「なみなみの品なればふしんはござりませぬが、これはわたくしどもの用うるものではござりませぬ」
「そればかりではなく」とそばにいたひとりが云った。
「わたくしそのお笄には見おぼえがござります、わたくしは数年まえまで奥へあがっておりました、そのおりたしかに見おぼえております、それはおかた様が日常お用いなされる品でございました」
「これが、この笄が、おかた様の……」
靱負之助は婦人の手から笄をうけ取った、或ることがふとかれの頭にひらめいた。
「いずれにもせよ」とかれは笄を懐紙に包みながら云った、「かような品の
やはりおかた様だ、おかた様がおしのびで、自分たちと一緒に壕を掘っていらっしゃったのだ。婦人たちがそう囁き合うこえを聞きながら、靱負之助はそのあしで本丸へあがった。広書院へ伺候すると、いつものとおり甲冑をつけた真名女が、ちゃんと上段の
「今日かような品が、壕つくりの場所よりみいだされました」
靱負之助は笄をさしだしながら、上段のきわまで膝をすすめた。
「かれらのなかに、かつておそば近く仕えた者がおり、おかたさま御用の品と申しております、その者のおぼえ違いでござりましょうや、それともおかたさま御用のお品にござりましょうや」
「…………」
「もし御用の品なれば、家臣どもと苦労をおわかちあそばすおぼしめしでござりましょうが、それはいささかお考え違いと申さねばなりませぬ、おかた様は忍城のおんあるじ、さようなかるがるしいおふるまいは」
そこまで云いかけて、靱負之助はあっと眼をみはった、兜の眉庇のかげにみえたのは真名女ではなかった、真名女によく似たうるわしい面ざしではあるがそれは甲斐姫であった。姫が母に代って甲冑をつけていたのであった、
「これは……」
靱負之助はつぐべき言葉を知らなかった。そしてかれには今、家臣の妻たちといっしょに土まみれになって、壕を掘っている夫人の姿がみえるように思えた。
石田治部少輔三成が三万の軍をもって上野のくにへ攻めいったのは天正十八年五月であった。かれは佐竹、宇都宮、結城、多賀谷の諸将を指揮し、二十七日早朝から館林を攻撃せしめた。館林には留守兵をはじめ、上野のくに八ヶ城の兵およそ六千余騎がたてこもり、力をあわせて防戦したが、もとより寄り集りの兵のことで決戦の意気もなく、わずか三日のたたかいにあえなくやぶれ、おなじ三十日にはついに降参のうえ開城してしまった。
勝ちいくさに勢いをえた石田軍は、ただちに忍の領内へ侵入し、六月一日、城を包囲してひと
城はびくともしなかった。はじめから忍城の防備がどれほどのものかよくわかっていた、館林でさえわずか三日で陥ちたのである、まして忍などは半日もかかれば片付くにちがいない、将も兵もそう思っていた。まるでなめてかかったその攻撃のでばなは、しかし予想もせぬはげしい防戦をもって叩かれ、よせてはひじょうな損害をこうむって敗退した。――こんな筈はない。かれらには自分たちの敗けた理由がわからなかった、また城兵のまもりが堅いのだとは考えられなかった。――あなどりすぎたのだ。――こんどこそはひと押しだ。攻撃はつづけておこなわれた。二ど、三ど、しかし城はやはりびくともしなかった。泥でつくねたくらいに思っていたのが、じつは鉄石の壁だった、こんどこそはと必死の攻撃をしかけるたびに、寄手は少しずつ忍城がどのようなまもりであるかをおしえられた。そして、あまりに予想とかけはなれた事実をみて茫然とした。城兵の数は知れたものである、武器も多くはない筈だ。それでいて実際にはおどろくべき防戦ぶりをみせた。城には四つの門と五つの木戸があった、そのうちどのひとつを攻めても兵が充分にいて防ぎたたかうのである、よせてをま近へひきつけておいていっせいに射だす矢が、弾丸が、ひとつの無駄もなく生き物のようによせての兵をうち倒した。はげしい斉射につづいて斬って出る城兵のすさまじいたたかいぶりは悪鬼とも
主将三成もこの評判をきいた、かれも忍城の堅固さにおどろいていたので、ある日その本陣を出て丸墓山の丘の上に立った。忍は平城である、北に刀根川の流れがあり、南には荒川が蛇行している、城はそのほぼ中間にあって地盤は低く、その周囲には水田と沼沢とがうちわたしてみえる。そしていま三成の立っている丸墓山の中心に、小高い堤が北と西とへのびていた、これはふたつの川がしばしば
こうして日が経っていった、糧食の尽きるのを待っても附近の民たちはぜんぶが城とつながりをもっているので、石田軍の眼をぬけてはいくらでも城中へ食糧がはこびこまれる。水攻めの堤を築きたてたときにも、人足に
まぶしいような七月の日光が、
忍城本丸の矢倉に、真名女は靱負之助とただふたり対坐していた。数日まえ、小田原から良人氏長の手紙が届いたのである、氏長は連歌の友である山城守山中長俊のとりなしで、秀吉と和をむすび、その軍門にくだったのである、そして忍をも開城するようにと云いおくって来たのだ。
「城の将兵にはとがめなし、私財もそのまま退城してよく、また領民たちは戦前どおり居所財物を
「まことにこのたびの御指揮ぶりは、老人などの思いもおよばぬ、みごとさでござりました」
靱負之助は述懐するように云った。
「少年どもに
「城がせまいおかげでした」
真名女はしずかに云った。
「そして少い兵たちの足なみがそろっていたからです。足なみがそろったといえば、……領民たちはよくはたらいてくれました、わらわはこのうえもない教訓をうけました、農夫もあきゅうども、女も子供も、いざと心をきめればこれだけのはたらきができる。たたかいは城の備えでもなく武器でもなく、精鋭の兵だけではない、領内のすべての者がひとつになってたちあがる心にあるのだと」
「そしてその心をひとつにまとめたものは」
靱負之助はふところから懐紙に包んだものをとりだして云った。
「この一本の笄でござりました」
「…………」
「家臣の女どものなかに身をしのばせて、その労苦をともにあそばしたおかた様の、ひとすじのお心がもとでござりました」
「それはもう云わぬ筈ではないか」
「申しませぬ、わたくしの口からは申しませぬ、けれど……あれ以来たれ云うとなく、あのときの壕を笄堀とよんでおるのを御存じでござりますか」
「こうがいぼり、それは」
真名女はかぶりをふりながら云った。
「それはあの壕を女だけの手で掘ったゆえ申すのであろう、城壕にはめずらしい、やさしい名がつきましたこと、あの者たちのこのうえもない記念になることでしょう」
そう云いながら真名女が床几から立ちあがったとき、本丸前の広場から、にわかに人のどよめきの声が聞えてきた。靱負之助が立っていった、すると城をたち退いてゆく民たちであろう、老若男女の
「おかた様、領民たちがいま退城するところでござります、さいごにおかた様のお姿を拝みたいようすで、あのように櫓前へ集って騒いでおります、おばしままで出ておやりあそばせ」
「そのような晴れがましいことはいやだけれど……」
そう云いながら、しかし思いかえして真名女は甲斐姫を呼ばせ、二人でしずかに櫓のおぼしまへと出ていった、……おそらくはこれが城主として、領民たちを見るさいごであろうと思いながら。
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