2022年3月30日水曜日

++ JAL123便 日航機墜落事故の真相 ++

++ JAL123便 日航機墜落事故の真相 ++

9.なぜ横田基地着陸阻止になったか

  JAL123便が操縦不能に陥った真の原因は、演習用ミサイルが飛行機の垂直尾翼に衝突してその3分の2が失われたという仮説を中心にこのレポートを書いています。
 事故より14年が経過した時点で発刊された山崎豊子氏の『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』(新潮社刊)には、この演習用ミサイル衝突説はどのように扱われているのでしょうか。それとも無視されているのでしょうか。 
  実はちゃんと取り上げられているのです。事前調査には定評のある山崎豊子氏のことですから、あらゆる情報を集めて研究し、書いています。もちろん山崎氏が、荒唐無稽な情報であると判断すれば無視するでしょうが、ちゃんと取り上げているのです。
  それは、事故調の藤波調査官に突撃取材を試みる週刊日本の記者のシーンで取り上げられています。
 本を読まれた方も多いと思いますが、その一部をご紹介しましょう。 
  それにしても当時の内閣官房長官は、あの藤波孝生氏――山崎さんは皮肉を込めて「藤波」という名を使ったのでしょうか。 

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「藤波調査官ですね」 
再び、声をかけられた。今度は三十そこそこの男性だった。
「そうですが―――」 
「週刊日本の記者です、ちょっと話を伺いたいのですが」
行く手を阻むように言い、名刺を差し出した。
(一部略)
「どのような話ですか」
「実は、事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な話を仕込みましてね、墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓練に使う標的機が、たまたま飛行中の国民航空123便の尾翼に衝突したらしいのです、ご意見を聞かせて下さいませんか。
(駅の)ホームで、記者は強引にコメントを求めた。
「いきなりそんな突飛なことを言われても、答えようがないですな」
「おや、おとぼけですか、それとも政府、防衛庁は、事故調査官を棚上げして、真相を隠蔽するつもりなのですかね」
嫌味な言い方をした。
「確たる証拠でもあるのですか」
「事故機が、最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛隊の護衛艦『たかつき』が、相模湾でちょうど演習中だったのですよ。現に事故の翌日、相模湾内に尾翼の重要部分である垂直安定版が浮いていて、回収されたではありませんか」
-――山崎豊子著、『沈まぬ太陽(三)/御巣鷹山篇』より

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http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm

JAL123便 日航機墜落事故の真相

【 ご挨拶 】
このページは http: //www.fims.co.jp/fumitaka/osutaka.pdf ファイル(作成日・変更日 2005/08/11,18:09:11)からできるだけ忠実に引用したものです。
なお、著者の承諾手続きをまだ致しておりませんが、残念ながら、サイトにアクセスできなくなってしまいました。


【 墜落後の不審な動き 】 --> こちら

  米軍輸送機C130がJAL123便の異常を察知し、交信を傍受。
  米軍横田基地から直ちに捜索開始命令が発せられ、20分後にそのC130が墜落現場を特定。
  座間から救難へりUH-1も到着し、直ちにロープを下ろし救助を始めようとしたところで、
  そこへ横田から帰還命令が発せられた。そして口外するな、と。

日本側とバトンタッチする際に、米軍から当然に正確な位置情報が伝えられたはずなのに
自衛隊は誤報を繰り返した。

その誤報によって現場に向かっていた救助隊が混乱し、
救助の開始が大きく妨げられたと考えられ、
助かっていた筈の尊い人命が、無残にも多数失われたと推察されます。
米軍が現場から撤収したあと、救助開始までの10時間以上、いったいなにが行われていたのか?
管理人 (2013.8.20)

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