2022年3月24日木曜日

水に浮かぶ巨石の神秘!高砂・生石神社で謎に包まれた石の宝殿を探る旅 | ニホンタビ

水に浮かぶ巨石の神秘!高砂・生石神社で謎に包まれた石の宝殿を探る旅 | ニホンタビ

水に浮かぶ巨石の神秘!高砂・生石神社で謎に包まれた石の宝殿を探る旅

兵庫県高砂市の「生石(おうしこ)神社」は、1300年前から鎮座するという450トンもの巨石をご神体する珍しい神社です。今回は「日本三奇」にも選ばれている、謎のご神体に出会う歴史旅をご紹介していきます。

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JR山陽線の神戸と姫路の間に位置する高砂市。この高砂市には「宝殿(ほうでん)駅」という名前の駅があります。そしてこの駅名の由来も「生石(おうしこ)神社」の史跡「石の宝殿」にあると言います。駅の名前にもなっているほどなので、地元の方々に崇められ、大切にされてきた存在である事が窺えます。

生石神社

駅から西に1.5kmほど先の丘陵にあるのが「生石神社」。ここには「浮石」という奇岩があると言います。

生石神社の浮石①

生石神社の浮石②

水の上にそびえ立つ謎の巨石「浮石」

早速神社の奥へと進むと巨石が目に入ります。そしてこの石に近づいてみると大きさに圧倒されます。この巨石はそびえ立つようになっていて、下を覗いてみるとまさに浮いているよう。これまでに見たことのない奇岩です。

ちなみにこの「浮石」というのは、「浮いている」ことを指すのではなく、基盤から遊離しかけて、ぐらぐらとしている不安定な石のことを言うそうなのです。この巨石は下の部分を削って掘りこんであり、切り離す直前の状態で、そのまま残っている石だそう。

聖徳太子の時代に造られてから1300年

霊亀元年(715年)前後に成立したといわれる播磨国風土記の一節に、「作石(つくりいし)あり、形は屋(や)のごとし。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもかくの如し、名号を大石(おおいし)という」という記述があり、聖徳太子の時代に、物部守屋によって造られた石と書いてあるそうです。確かに大きさもほぼ同じで、構造に「屋形」があり、その記述内容はまさにこの「石の宝殿」のことだと言われています。なんと8世紀前半から1,300年もの間、ここに在り続けているのですね。

生石神社の浮石③

近辺は古来から、「竜山石(たつやまいし)」という良質な凝灰岩の採石場として有名な地域です。古墳時代から石棺の材料としても使われ、日本各地の墳墓で使われていて、姫路城の石垣にもこの石が使われていると言います。

「石の宝殿」もこの竜山丘陵にあり、その岩山の一角を掘り削って造り出しています。正面の幅6.5m、高さ5.6m、奥行5.6mの直方体で、後面に幅2.5m、高さ2.9m、奥行1.9mの突起部がある家形の形状です。その重さは450トン以上と推定されています。

生石神社の浮石④

このような石を、誰が何のために作ったのか?それはまだ定かではなく、何かのために石を切り出そうとし、なんらかの原因があって途中でやめてしまったのではないか?という風に言われています。その真相が現在まで解明されていない、謎の多い不思議な巨岩なのです。

上から見る浮石

上から見てみると、岩山を削って造ったであろうことが良くわかります。石の上には塵埃が積もり、樹木も生えています。岩山に囲まれて全体像がわかりにくいですが、神社で頂いた竜山石のお守りに「石の宝殿」の全体図が書かれていました。

竜山石のお守り

このお守りのイラストのように、「左倒れ」の状態から神社側に引き起こし、「屋形」が上になるようにする手筈だったのでは?という説があります。古墳時代から上が屋根型になった石棺も多くあり、その踏襲ではないかという推理です。

しかしそれならば、最初から立てた状態で石を切り出せばよいはずです。実際には下の部分を岩盤から切り離すだけの状態になっているので、どこかに運ぶつもりだったはずと思われます。いやしかし、さすがに450トンの石を運ぶのは重すぎて無理・・・等々。未だにその結論はわかりません。

今のところ、「横口式石槨(せっかく)」(7世紀頃の古墳時代終末期に見られる横方向から棺を入れる形状)を造ろうとしていた跡である。といった説が有力というところで止まっています。

生石神社へ参拝

巨石はその後、御神体となって神社に祀られる

貞和4年(1348)に書かれた「峰相記(みねあいき)」にも、陰陽二神を祀る神社として生石神社の事が書かれています。人力で切り出そうとした巨岩が、この頃からは神の成せる業として伝承されています。

「生石神社略記」には、大穴牟遅(おおあなむち)、少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けてこの地に「石の宮殿」を造営し始めたが、阿賀の神の反乱を受け、その鎮圧に時間を費やして夜明けになったため、この宮殿を正面に起こすことが出来なくなったとあります。そして未完のまま、二神はこの石に籠もって永劫に国土を鎮めんと言明された。それ以来、この宮殿は石之宝殿、鎮の石室(しずのいわや)と言われていると伝わっています。

この生石神社は12世紀には成立していたと推測され、神社の「御参詣記録之事」には宝暦2年(1752)から安政6年(1859)の間に、140名もの西国大名が参詣し、シーボルトも石の宝殿のスケッチを著書「日本」に残すなど、18種以上の絵図類が書かれ、江戸時代に広く信仰の対象となっていました。

裏の岩山へ登る

直接岩山を削って作られた階段

生石神社の横から裏の岩山に登ってみました。この階段は直接岩山を削って作られています。

瀬戸内海を望む景色

遠くには瀬戸内海が眺望できます。晴れている日であれば淡路島も見えるそうです。

「竜山石」の石切場

周辺には「竜山石」の石切場もあります。

生石神社の境内①

生石神社の境内②

1300年の時を凝縮し、未来へと繋がっていくパワーストーン

この「石の宝殿」は、平成26年(2014)10月に国の史跡として指定されました。名称は「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」で、周辺の竜山石採石場も含めた史跡です。

文化庁の詳細説明には、「石の宝殿は7世紀の採石技術を知る上で重要な遺構」「中世以降は生石神社が造られて採石遺跡が信仰の対象となり、現代に至っている稀有な例である」とあります。特徴のある史跡ですので、これからまた1000年、2000年と繋がっていけばいいですね。

石の宝殿

この石の宝殿はよく「パワースポット」とも言われていますが、1300年の歴史を450トンで凝縮した「パワーストーン」なのでしょうね。巨石の右側奥の角は50cmほど削れて角が落ちています。こちらのお宮の方に話を伺うと、この部分を触れるとパワーが貰えるそうです。聖徳太子時代の石に直接触れることが出来るので、ぜひ一度はそのエネルギーを感じてみてはいかがでしょうか?

名称:石の宝殿、生石神社
住所:兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
アクセス:JR「宝殿駅」から徒歩約25分
駐車場:神社の横に駐車場あり

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

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