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#4
一方、湾岸戦争が「妥協的和平」のうちに終結し、多国籍軍側の「現在の犠牲」が極小化された代償として、フセイン体制は温存され、結局アメリカは一二年後に再びフセインとのあいだで「第二次湾岸戦争」とも呼ばれるイラク戦争を戦わなければならなくなった。安全保障研究者のギデオン・ローズが言うように「またの機会に、別の誰かが、別の方法で、このコストを支払う」ことになったのである。それはアメリカが「現在の犠牲」をためらうあまり、安易な妥協をおこなったからであった。
アフガニスタン戦争とイラク戦争は、タリバン政権の打倒および同政権がかくまったアルカイダの殲滅と、フセイン体制の打倒およびイラクの武装解除をそれぞれめざした有志連合にとって、ヨーロッパにおける第二次世界大戦と同様「紛争原因の根本的解決」の極にあるケースであった。その反対側、すなわち…
あとがき
特に防衛省防衛研究所入所後の二〇一二年に、Foreign Affairs誌の編集長であるギデオン・ローズ博士による戦争終結研究、How Wars End: Why We Always Fight the Last Battle (New York: Simon & Schuster, 2010)の監訳に携わったことは貴重な機会であった(『終戦論──アメリカはなぜ戦後処理に失敗し続けるのか』の邦題で原書房より刊行)。欧米の戦争終結研究のまとまった翻訳は、一九七四年に出版されたフレッド・イクレの『紛争終結の理論』(桃井真訳、日本国際問題研究所)以来であったと思う。『終戦論』刊行直後、拙監訳をお読み下さった土山先生からわざわざお電話をいただき、さらに色々とご教示もいただいた。
このあと筆者は二〇一四年から二〇一五年まで、ジェラルド・カーティス先生のご厚意でコロンビア大学に客員研究員として籍を置いたが、戦争終結論についてさらに詳しく調べるうえでも同大学は理想的な環境であった。帰国後の二〇一五年に防衛研究所で開催した「歴史から見た戦争の終結」をテーマにした国際会議にもスタッフとして関わった。
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