中曽根康弘元首相が墓場まで日航機墜落事故を隠す惨事は本当か?
中曽根康弘元首相が、お亡くなりになりましたね。
中曽根康弘元首相と関係が深いことといえば、日航機墜落事故。
しかしなぜ、中曽根康弘元首相と日航機墜落事故に深い関係があるのでしょうか?
それには墓場まで誰にもいえない、隠れた事実があったのです。
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中曽根康弘元首相と日航機墜落事故との秘密とは?
中曽根康弘元首相が首相をしていた1985年、8月に起きた惨事である日航機墜落事故。
この事故の原因は、整備不良による圧力隔壁の損傷で旧減圧したことが原因とされました。
しかし、その後相模湾の海底から、なぜか123便の垂直尾翼の一部が発見されたのです。
このことで中曽根康弘元首相は、墓場まで誰にもいえない日航機墜落事故の本当の墜落事故の原因を知りことになります。
それはなぜか?
海から発見された尾翼の一部には、事故原因である痕跡があったからなのです。
そう、尾翼にはミサイル痕跡があったのでした。
そして日航機墜落事故の翌年である1986年の1年間に、なぜかほぼ航空自衛隊員が90人以上自殺を図るという異常事態がおきたのです。
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中曽根元首相が墓場まで日航機墜落事故を隠す理由
日航機墜落事故の原因は整備不良ではなく、航空自衛隊のファントム機2機がミサイルの誤射し、日航123便を撃ち落としてしまったことが本当の原因だといわれています。
実際、事故があった時間に日航123便の近くを謎のオレンジ色の物体が飛んでいたことが画像解析で判明。
このオレンジ色の物体は、自衛隊が敵機に見立てた無人機ではと考えれており、近くを飛行していた日航123便を見誤って打ち、ミサイルが当たり吹き飛んだ尾翼が相模湾に落ちたと考えられているのです。
123便が墜落した直後、事故現場の上空には横田基地から異常を受けた米軍のヘリが待機していましたが、自衛隊は直ぐに到着しませんでした。
それどころか、地元の消防隊が救助に向かった所、自衛隊に追い返され救出までに約10時間、謎の空白の時間があったのです。
この空白の時間に中曽根元首相と自衛隊が、闇の会談をしていたと考えられており、内容が内容だけに墓場まで誰にいえない話とされています。
また、このようにいわれている理由の1つに、機体と遺体が炭化するほど黒こげに燃えていたという点。
現場に入った住人の話でも、ガソリンとタールを混合したような異臭がし、ジェット燃料以外の燃料が燃えたのではと疑問や謎が残ることが多いのです。
この内容から、中曽根元総理が墓場まで持っていく会談内容とは、自衛隊機のミサイル誤射で日航123便が撃墜された事実を隠蔽するため、座間から救援に来ていた米軍に引き返すよう命じた。
さらに、謎の10時間の間に自衛隊が現場に入り、墜落現場にガソリンをかけて黒こげにし証拠隠滅を図ったといわれています。
そしてこの指揮ができたのは、その時の首相である中曽根元首相ただ一人なのです。
奇跡的に助かった4人は、墜落時かなり遠くに飛ばされていました。
このような奇妙な事実が多かった日航機墜落事故。
そして事故翌年に自衛隊関係者による90人以上の自殺。
事実を解明しようと書かれた書籍が青山透子著の『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』です。
しかし出版後、マスコミは本を排除し闇に葬ろうとしました。
このことから、この事実は本当にあったからではといわれるようになったのです。
実際、整備不良が真実なのか、ミサイル誤射が真実なのか、それを知っているのは中曽根元首相とその関係者のみ。
そしてもしミサイル誤射が真実なら、指示した中曽根元首相は本当に墓場まで誰にも言えないことを行ったのです。
お亡くなりになる間際、中曽根元首相はどんなことを考えたのでしょうか。
日航機墜落事故のことは真実ではなかったことを、祈りたいです。
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