やはり佐渡島は巨済島だった
佐渡島と巨済島の関係について考えた話です。
- 佐渡島は巨済島
- 巨済島は沙都島
- 読みから佐渡島とした
- 日本書紀にも在った
佐渡島は巨済島
少し前の記事で、国生み神話について書きました。
『魏志倭人伝』に最初の寄港地として出て来る狗邪韓国が倭人の国であり、現在の巨済島にあったと考えられることから、「古事記」の国生み神話に出て来る大八島の内の佐渡はもともと巨済島の事だったのではないかという話でした。
巨済島は沙都島
という事なのですが、別の件で色々なページを巡っている途中で、次のような地図を見付けました。
見てもらえば分かりますが,右下辺りに沙都島(巨済島)とあります。
ルビは振られていませんが、「さととう」と読めそうです。
6世紀前半には、巨済島は沙都島と呼ばれていたようです。
読みから佐渡島とした
上記の記事では、国生み神話に出て来る佐渡島は、元々は巨済島が当時呼ばれていた名称で入っていたのではないかとしました。
そして、元々巨済島(狗邪韓国)にいた倭人が、朝鮮半島本土に進出することで、その勢力範囲が島では無くなってしまった事から、年月が経る中でどこを指しているのか分からなくなってしまったのではないかとしました。
その上で、「大八島」なので、島である佐渡を充てたのではないかという話でした。
しかし上図に在ったように、事はもっと単純で、巨済島は沙都島と呼ばれていたわけで、その読みに合わせて佐渡島を充てたという事になりそうです。
やはり、国生み神話は、元来の倭人の勢力範囲がどのように作られたのかを説明した神話だったという事になりそうです。
日本書紀にも在った
ところが、この沙都島について調べて見ると、『日本書紀』第17巻継体天皇に、百済の使者の文貴將軍という人物が沙都島経由で帰国したという記述がある事が分かりました。
これを見ると、沙都島の存在は、かなり後の時代まで知られていたとも考えられます。
そうだとすると、この当時には沙都島は朝鮮の勢力下だと考えられますから、それを国生み神話から外すために読みの似た佐渡島に変わっていったとも考えられそうです。
いずれにしても、国生み神話に出て来る佐渡島は、沙都島(巨済島)と考えてよさそうです。
どうも、やはり文献はチャンと確認しておきましょうということですね。
ではでは
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