船盡比賣神社
「船盡比賣神社」(ふなはてひめじんじゃ)という、少しミステリアスな神社が徳島市入田町にあります。
長閑な田舎道脇にある、素朴な神社なのですが、
この謎の物体、これは三つ足の鳥居の原型だとされており、中の石は天照大神と素戔嗚神が、和解したときの誓約石(うけいいし)だと言う話が実しやかに囁かれています。
三つ足の鳥居といえば、京都太秦の「蚕ノ社」(木嶋坐天照御魂神社)が有名です。僕も最初こそそのミステリアスさに魅了されていましたが、全国を旅していると意外とあちこちで見かけることがあり、今では「ふ~ん」というくらいの感じです。
それはさておき、これがその三つ足鳥居の原型かと言われると、これ自体は新しいものでしょうからなんとも言い難い気持ちです。
無造作に置かれていますが、わざわざこうして形状を維持しているあたりは、何かを言い伝えているのでしょう。
更にこの神社をミステリアスにしているのが、当社に伝わっていると言う「神代文字」の幟です。
その幟には、意味深な神の名が記されいるようですが、僕はそもそも神代文字自体に懐疑的です。
あれはおそらく、修験者たちが創作した文字なのではないかと考えています。
この船盡比賣神社の社殿と思われる社の中には、白蛇がトグロを巻いたような石が祀られていました。
船盡比賣神社の前には鮎喰川が流れており、その対岸に「船盡神社」(ふなはてじんじゃ)が鎮座しています。
まず驚くのが、要塞のように積まれた石垣。
磐境神明神社を彷彿とさせます。
先の船盡比賣神社は、この舩盡神社が川の増水などで渡河できず参拝できない場合の遥拝所だったと言われているそうです。
船盡神社、船盡比賣神社共に、祭神は「船尽比売尊」(ふなはてひめのみこと)と聞き慣れない名の神です。
まったくもって謎深い船盡比賣ですが、一説に木船ノ神と言われているようで、貴船の神とはすなわち玉依姫を指しているのではないかと思われました。
玉依姫は豊玉姫の息子、ウガヤフキアエズに嫁いだとあることから、越智の常世織姫のことだと考えられます。
宇佐家伝承では、常世織姫は宇佐の貴船宮に埋葬されたと伝えられていました。
吉野川に架かる岩津橋(いわづばし)の袂、そこにある「鯰の歌碑」と言うものを見てきました。
それはどんなものかと言うと、文久2年(1862年)に建てられた、岩雲花香による神代文字の歌碑だということです。
江戸時代に阿波国の神官であった岩雲花香は、平田篤胤に神代文字を学び、自作自筆の詩を彫刻させたものがこれだといいます。
「波の間に い出て見えなむ つぬさはふ 岩津の淵の 底の鯰は」
対馬の卜部氏・阿比留氏に伝わると言う阿比留文字でそのように書かれているとのことですが、はっきり言ってハングル文字そのままで、神代どころか古代の風格さえ見受けられません。
象形文字でさえない。
船盡比賣神社に伝わる幟旗もこれに似た文字のようで、神代もソロモンも、関係ないと思われます。
古代出雲には、法を定めた八重書きがあったというので、なんらかの文字が存在していたはずなのですが、現在目にする神代文字は稚拙に見え、風格が感じられないでいるのです。
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