伊雑宮と猿田彦〈9〉またもや六芒星
六芒星、または籠目紋。
籠神社と伊雑宮の裏社紋だと囁かれて久しい。
その源流を辿れば、ユダヤの神紋、ダビデの星だと。
六芒星の神紋を彫った石灯籠は、伊雑宮から、
内宮・外宮へと三宮を繫ぐ通りに、いまも並ぶ。
神宮側では関与を否定しているようだが、
かつて籠神社の真名井神社の石碑に刻印されるも、1年後に
三つ巴紋に変更された経緯を思い出すたび、深き故ありと思う。
その六芒星の石灯籠が、伊雑宮に近い磯部神社にも。
伊雑宮から佐美長神社への「御神道」から鳥居が見える。
皇大神宮別宮の伊雑宮、その所管社である佐美長神社、
格式の高い両社に比べると地味な印象だが、参詣して驚いた。
鳥居前の左右、堂々たる石門に六芒星がくっきりと浮き彫り。
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「産土の神 磯部神社」とあるが、まさに磯部の総社の趣き。
ご祭神なんと49柱、境内の荘厳さは伊雑宮に引けを取らない。
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さて『磯部郷土史』(昭和38年)に見る、その祭神とは…。
正哉我勝々速日天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、
活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心姫命、端津姫命、
市杵嶋姫命、素戔嗚尊、大幡主命、
少名彦命、大山祇命、猿田彦命、神倭磐余彦命、
誉田別尊、玉依姫命、速秋津姫命、石凝姥命、櫛玉命、
天目一箇神、大田命、天太玉命、天鈿女命、
彦火瓊々杵命、手刀雄命、木花開耶姫命、鵜草葺不合命、
伊弉諾尊、速玉大神、家都御子大神、
(不詳が、12座ある)
神明造りの本殿。
伊雑神戸の郷の総社として、神宮との関係も深いのだろう。
そう言えば、この土地は佐美長神社の正月殿跡だと聞いた。
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三重県神社庁HPにも…
〜郷内四十余社も伊雑宮の摂末社のような
関係を保って奉祀が続けられてきたが、
明治の末年頃神社合祀の気運が高まり、
村内の坂崎を除く10大字の各神社を
正月殿社跡の現在地に移転合祀し
磯辺神社と単称した〜
水中の赤い鳥居は住吉三女神の銘か。
ここにも六芒星の石灯籠。
境内の少なくとも数カ所に立っている。
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赤い鳥居の右に「神武天皇遥拝所」の石碑。2基の鳥居がある。
神様のオールスター。そして縄文的な調和が感じられる。
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語り部の「六芒星」の話を思った。
六芒星は六家。天皇家が統って「七匹の鮫」の説話になったと。
祭神には天目一箇神、天太玉命など
忌部の祖神も含まれる。
猿田彦神、素戔嗚尊、櫛玉命も。
六芒星が六家の象徴なら、その民は
オリエントを発した渡来族だったか?
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