2023年11月13日月曜日

伊雑宮へ〈5〉六芒星の行方 : 追跡アマミキヨ

伊雑宮へ〈5〉六芒星の行方 : 追跡アマミキヨ
境内ではなく、鳥居の斜向いの建物の灯籠
https://mintun.exblog.jp/20264491/

伊雑宮へ〈5〉六芒星の行方

伊雑宮には、六芒星(ダビデの星)の付いた灯籠がある。

よって同じく六芒星を裏社紋とする籠神社とは、

阿吽の関係だ…と、言われて久しいが、
聖書と似た風習の多い沖縄の古代を追いかけるには重要な鍵。

ということで探してみると…あった。
ただし、境内ではなく、鳥居の斜向いの建物に。

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神武参剣道場(じんむさんけんどうじょう)という。

神武とはこれまた意味深。昭和36年の設立。

門に立つ石灯籠に、十六菊と六芒星がくっきりと刻印されている。

石柱の下部には「伊勢参宮奉賛献燈会」と、鮮やかに、左右に。

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道場主は、小泉太子命(こいずみたいしめい)氏という剣の達人だった。

御師の家の森さんによると、小泉氏は平成元年に他界されたが、

生前、多くの政治家や財界人が訪れていたという。


「伊雑宮の神紋は花菱と六芒星である」が持論で、

惟神(かんながら)思想の平和主義者。

そして、際立った霊能者だった。また…

神宮の内宮と外宮をつなぐ御幸道路(みゆきどうろ、5.5㎞)に、

隙間なく六芒星の灯籠を設置するため、寄付者探しに尽力。

自らの道場にも立てたのが、「伊雑宮に六芒星あり」の真相だった。



こちら御幸道路に立っている石灯籠。

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六芒星は、伊勢三宮奉賛献燈会のシンボルだった。

伊雑宮、内宮、外宮を「太陽、星、月」と崇めるのが、

「三宮」と付けた団体名の由来…

と、知ったところで、思わずのけぞった。

「日月星」信仰は、沖縄ナーワンダーグスクに見る古代祭祀のかたち。


伊勢三宮を六芒星でつないだ伊勢三宮奉賛献燈会は、

神宮が古代ユダヤかシュメール由来であることを暗示していた


財団法人であったその献燈会は既に

解散しているが、設立当時('53年)の総裁には、

北白川宮能久(よしひさ)親王家に所縁の方が就かれたと聞く。

実はなんと、北白川宮能久親王は
沖縄開闢の地・
知念玉城をご訪問になったことがある。

まさか御嶽の視察ではないだろうが、気になる一致だ。


『玉城村史』('77年)に「北白川宮能久親王御台臨」の記事が見える。


〜明治26年の夏、北白川宮第六師団長殿下は島尻郡を御視察になり、

正午、玉城村に御立寄りになり、御昼食を召し上がられました。〜

また(知念)佐敷村役場にも、当時の記録が残っている。

〜北白川宮能久親王殿下御馬にて村東入口より御来村遊ばされ、

村民学童村入口にて御迎え申候〜

佐敷では村役場に1泊され、翌日、佐敷小学校で歓迎運動会をご覧になった。


その3ヶ月後、親王殿下は大日本帝国陸軍第四師団長

として台湾出兵。2年後、マラリアのため薨去された。


ともあれ、御幸道路(県道、市道)に立つ石灯籠(700基余り)は

老朽化して危険なものから撤去となることが決まっている。

三重県では、昨年の遷宮前に425基のうち9基を撤去した



伊雑宮から車で20分ほど。

海沿いの町・相差(おうさつ、鳥羽市)では、

海女さんが「五芒星(セーマン)九字(ドーマン)」の魔除けを磯着に付ける。

そのお守りを授ける神明神社近くの海産物販売所には、こんな張り紙も。

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くだんの籠神社の海部宮司が、この相差で

海女さんが五芒星の魔除けを付ける風習に

関心を寄せておられたのを思い出す。

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