2023年11月16日木曜日

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 土成町 樫原神社

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 土成町 樫原神社

土成町 樫原神社

ちょっと間が空いてしまいました、かな。
またまた、知ってる人は知っている有名どころではございますが
ようやくにして、行って参りましたので書かせていただきます。
すえドンさんのブログにも書いてあるので、ダブルんですが
そこはそれ、ということでね。
阿波市土成町樫原山ノ本 樫原神社
鈴川山に鎮座いたします。

場所はここ

より大きな地図で 樫原神社 を表示

入口がひじょーに分りにくいので写真も載せておきます。
東(熊谷寺の方)から行けば左に山本光学の建物を見た辺りから山の方へ入ります。
斜めにじゃなくて、直角に入るところ(分りにくいなぁ)。
ポニーの居る自販機まで行くと行き過ぎ。
御祭神
徳島県神社誌には「神日本磐礼毘古之命(かむやまといわれひこのみこと)」と記載され

『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)
『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
狹野尊(さののみこと)
彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
「神武天皇」のことです。
創立年代不詳
明治32年山崩れのため社殿埋没のため大正七年再建された。天保十二年(1841)の
棟札が残っている。
徳島県神社誌より
とあります。
知ってる人も信用しがたい「奈良県橿原神宮」の元社と言われている神社です。
詳しくは、今回は書きませんが。

この付近は和名抄に記されるところの秋月郷にあたる場所でありまして

平城京跡出土木簡に

「阿波国阿波郡秋月郷庸米物部小龍一俵」との記載が発見されております。

さらには、(まだ詳しく書いてませんが)田上郷戸籍断簡にも秋月郷の記載が

見えるのは有名なところです。

画像は田上郷戸籍断簡の一部

ま、そこらは余談ですが

お参りさせていただいて一つ見つけたのが

地神塔が二つある。

この様式も始めて見ましたが。

つまりはここに元あった神社社地に樫原神社が移設されたということです、300m先から。

鳥居は?と見れば、内側の鳥居が

「鈴川神社」となっております。

これはうちの奥様が見つけたんですが

「社名が違う」などとほざいて仰っておりましたので見てみれば確かに!

「鈴川神社」となっておりますね。

この「鈴川神社」は徳島県神社誌にも土成町史にも記載されておりませんでした。

ここらの由緒が分れば面白いんですが。

それにしても「鈴川神社」とはね。五十鈴川を連想させますね。

当然の事ながら、今は「樫原神社」とのみあるだけです。

平然と十六菊の神紋が輝いております。

ちょっと資料を探す時間が取れずに(←また言い訳)詳しく書けないのが残念

なのですが。

最後に、ここの裏山を覗いてみれば

この有様!!!

拾えるものならと思いましたが、用意もしてないし、拾える量じゃない!

ペットボトルだけじゃなく、家電製品のゴミなんかも捨ててある!!!

来週は分りませんが近々もう一度行って拾える分は拾ってくるつもりなんですが・・・

なんか、裏に呼ばれてるような気がしたんですよ、ホントに。

後で撮って来た写真を見てみても。

(一番上の神社入口からの写真)

右端の御神木が泣いてるでしょ。

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