2023年11月7日火曜日

北杜夫 昆虫記 菊地晩香

 ところで、テングとはそもそも何者であろうか。

   中国の天狗伝説についてはここでははぶく。わが国の天狗には二つある。一つは猿田彦神から由来したもので、ニニギノミコトが高天ヶ原から降臨したとき、天八衢に、身のたけ七、八尺ばかり、鼻の高さ七、八寸、眼は鏡のごとく、顔は朱のごとき容貌魁偉の男が立ちはだかっていた。一行の神が怖れて近づかなかったなかに、天鈿女命が歩みよってお前は何者なるかと尋ねたところ、これが猿田彦神で害をなす者ではなく、一行の道案内になった。のちに祭りの際、先頭に天狗の面をかむってゆくのは猿田彦神をかたどったものである。 

  もう一つはもっと妖怪じみたもので、日本書紀に、  「大きなる星東より西に流る、すなわち音あり、雷に似たり、時の人曰く流星の音なり、亦曰く地雷なりと、僧ナントカ曰く、流星にあらず是れ天狗なり、その吠ゆる声雷に似たるのみ」 

  とあるものである。 

  やがて平安朝から鎌倉時代へかけてテングはやたらと出没し、カラステングなるものも現われ、背中には翼まで生やし、鞍馬山などにたむろしてウチワで風を起した。ところがこの天狗なるものも、けっして架空なるものではなく、実在していた人間であるという説も少なくない。その最たるものは天狗ユダヤ人説である。

   伊豆は伊東の仏現寺に「天狗の詫証文」という文書がある由だ。これを研究した菊地晩香氏のいうには、  「天狗も山伏と同様、その風体は嶮山を踏破する旅行家の形装で、その兜巾は猶太人の誓文筥と同形であるのみならず、その鼻の形が猶太式の鉤鼻である。天狗は往古、支那や日本へ移住してきた猶太人でないかと直覚される。猶太の十二支族の中の、信心もっとも堅固な一族が行方不明になったという文献がある。猶太教は太陽を信仰する宗教でシオンの字義も日の照る処と解釈される」

   事実、アイヌはユダヤ人なりとする研究はわが国にも外国にもいくらもある。さまざまな言葉の共通点とか風習の近似をあげている。コーヘン氏なる御仁がユダヤ人と東洋民族との特色を列記しているのを記すと、(一)黒い毛髪と黒い瞳、(二)食事の前と用便のあと、ならびに常におおわれた体部にふれたとき手を洗う、(三)子宝主義で幾人でも子の多いのを誇りとし、結婚後十年に子ができなければ妻を去らしめてよい、(四)結婚は親と親とが定め、媒妁人の尽力で成立し、未見の新郎新婦は一朝にして手を握って終世を契る、(五)リリス伝と日本の鬼子母神伝説は大体同一と考えられる、(六)子供の生後三十一日目にその母に連れられて神詣をする、などなど。 

  こう写していると、私は日本人でもユダヤ人でもないように思われてきたが、それにしても余談にはいりすぎた。

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