アインシュタイン博士追悼文の建つ光泉寺
美馬市穴吹町出身の三宅速博士は、アインシュタイン博士と親交があり、第二次世界大戦の戦火で亡くなられた、三宅博士夫妻への追悼文が記念碑として建てられている。人の世のしあわせのために働き
そして世の恐ろしい迷いの犠牲となってともになくなった。
と、
戦争はおびただしい悲しみを作り出す。
碑の建つ光泉寺は、舞中島という、昔川中島であった場所にある。
吉野川の洪水被害を受けないよう、高い石垣の上に本堂が建つ。
洪水では、石垣部分は水没していたようだ。
こんな洪水被害のおきる場所に暮らしていたのは、藍があるから。
藍の栽培に適した地で、藍は明治中頃の時代まで、地域の人々の暮らしを支えてきた。
時代の移り変わりを感じる。
高石垣のお寺は、かつての藍栽培地風景。
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