「反俗の哲人イエス」を論証
いま聖書の解読が新紀元を迎え、イエスの新たな歴史像が大胆な仮説のもとに登場してきた。一九四九年以降に発見された死海文書の研究がすすみ、半世紀にわたる新約聖書学の蓄積がそれと手を結んだ成果である。その研究の流れに二つの注目すべき特色がみられる。一つは、聖書の奇蹟物語の中に歴史的事実が隠されているとする解読法である。先年刊行されわが国にも紹介されたB・スィーリングの「イエスのミステリー」(高尾利数訳、NHK出版)がそれだ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1994年)。もう一つが、福音書(新約聖書)の内容を古層と新層に分け、前者に登場する歴史的イエス像と後者に姿をあらわす神話的なイエス像とを区別する解読法である。本書は、この流れの最左翼に位置する作品といってよいだろう。
四福音書のうち、とくにマタイ伝とルカ伝に共通する古層の伝承群に着目し、それをQ資料と呼んで原イエスの肖像を抽出しようとする試みはこれまでにもあった。聖書学の努力の積み重ねがそれを可能にしたのである。
本書の著者はこの立場をさらに押しすすめ、Q資料の中から最古層を示す「語録福音書」の部分と、のちの発展を示す「物語福音書」の部分をあぶりだしている。その結果、前者の「語録福音書」資料にもとづいて再現されたイエス像は、これまでの奇蹟物語に含まれていた終末論的なイエス像とは似ても似つかない、一個の反俗的な哲人の風貌をもった人物としてわれわれの前にあらわれる。すなわち原始的で反文明的な言行に富む遍歴の主人公、つまりディオゲネス風の「犬儒派の哲学者」のイメージでとらえられることになったのだ。
本書ではその論証のためQ資料の確定作業が慎重にすすめられ、簡明な訳文と注釈が付せられている。研究の過程がダイナミックな謎解きの趣で紹介され、イエスの時代の歴史的背景が鋭い洞察によって明らかにされているところも刺激的だ。マック教授は今夏第一の「福音」を私に授けてくれたのである。
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