森鴎外の小説にも登場「高瀬舟」来春復活へ…地元住民、京都の水辺に「往時の光景を」
江戸時代以降、食料や人を乗せて京都市中心部の高瀬川を往来した「高瀬舟」を新造する計画を地元住民が進めている。文豪・森鴎外(1862~1922年)の小説にも登場する木造舟は、水運が衰退した大正期に役割を終えたが、「往時の光景を次代に残したい」との願いを受け、来年春に観光客らに乗船を体験してもらう。(山口景子)
水深の浅い川でも浮く平底の高瀬舟(全長13メートル、幅2メートル)は、江戸期の高瀬川で約190隻が往来。鴎外の小説は重い病気の弟を殺した罪人が役人に舟の中で罪を語る一幕を描いている。
長年、伏見と大坂を淀川で行き来する三十石船と連携し、米や塩を運ぶ物流を担った。明治期には伏見稲荷を訪れる参拝客らでにぎわったが、鉄道開通などの影響で水運は1920年(大正9年)に廃止された。
新たな舟の全長は約6・5メートル、幅約1・2メートル。現在は川に橋がかかるなどしたため、江戸期の半分ほどの大きさで約10人が乗船できる。
運航は四条通北側の数十メートルに限られるが、観光客を乗せる計画もあり、来年春に高瀬川で進水式を行う。
製作を担うのは、和船を調査研究する船大工・小川智彦さん(50)(京都市)。9月に着工し、杉材を削ったり、組み合わせたりして年内の完成を予定。小川さんは「舟の先に向かって舟底がそり上がる意匠を忠実に再現したい」と意気込む。
高瀬川沿いの住民でつくる「立誠高瀬川
立誠高瀬川保勝会の西川勲会長(79)は「京都の水辺の歴史を伝える高瀬舟が復活すれば、新たな観光資源になる」と期待している。
◆ 高瀬川 =京都市の二条と伏見を結ぶ運河(全長約10キロ)。度々氾濫する鴨川に代わる交通路として1614年(慶長19年)、豪商・
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