2022年11月22日火曜日

お神楽から判明した猿田彦の正体 - ウガヤフキアエズ王朝実在論

お神楽から判明した猿田彦の正体 - ウガヤフキアエズ王朝実在論

お神楽から判明した猿田彦の正体

大分県豊後大野市に伝わる御嶽神楽に『地割 (ぢわり)』という出し物があります。

これは、ニニギの命の天孫降臨を道案内するため、猿田彦が地上で待ち構えていたところ、アメノウズメと押し問答となった様子を再現したものです。

そこには、『古事記』にも『日本書紀』にも『ウエツフミ』にも書かれていなかった、詳細な会話の内容が残されていたのです。

このことから大変なことが分かりました。

つまり、謎とされていた猿田彦の正体が明かされていたのです。


猿田彦とは、ふなどの神である!

まず結論から先に書きますと、

◆猿田彦とは、縄文人が信仰していた「クナト神」「岐の神」または「ふなどの神」、中国流には「道祖神」のことである。
◆縄文神のクナト神は世界中を渡り歩いて、「五色人」を創造したということ。
◆そして、ここで行われた「押し問答」とは、縄文的な世界観と弥生的な世界観の対立であったということ。

以上の三点が明らかになってきました。

いやあ、文字で書き記したものとは違い、お神楽は一子相伝で極秘裏に受け継がれてゆきますので、第三者が介入する余地は全くなく、本当のことが語り継がれている可能性が高いということです。

すごいぜ、大分県豊後大野市!

庶民レベルでここまで詳細で正確な記述が残されているということは、豊日の国とはただの田舎ではなく、本物の天皇を生んだ聖地だということです。

それでは、その内容を詳細に見てゆきましょう。


御嶽神楽 第31番『地割(ぢわり)』の番組内容

≪登場する神と装束≫
猿田毘古神(さるたびこのかみ)・・・・猿田面(赤)
天宇受売尊(あめのうづめのみこと、舞台上では神主として登場)・・・・烏帽子
御供神一 ・・・・ 毛頭(丸毛)
御供神二 ・・・・ 毛頭(丸毛)

≪最も大切な会話の現代語訳≫

【ウズメ】(神主の姿で)いったいどうやって真偽を判断したらよいのやら?
正しきを行い、神の意思を実行しようと(猿田彦が)おっしゃるのなら、(神よ!)その詔を教えてください。

【ウズメ】このような(荒れた)世の中を、神の世に変えてゆこうとしているときに、世にも恐ろしい顔立ちでお供を申し出た人、よくよく見れば(中略)、全くこの世界の人の姿ではありません。
東国の人ならば顔色が青く、南国の人なら赤く、西国の人なら白く、北国の人なら黒く、アジアの人なら黄色いはず。
とても五色人とは思えないので、この手に持った御笏(みてぐら)で、境界の外まで追い払ってしまいましょう。

【猿田彦】聞けよ、聞け、よく聞け。
天の言い伝えにもあるではないか。
大海に船を浮かべ、小川という小川に橋をかけ、士農工商の職業を家ごとに定め、それ天地がまだ開かずに混沌としているとき、九億十万八千丈の内から出てきた「猿田彦の明神」とは私のことである。
だから天孫降臨に際して「導き」を行うため、今日はおれい(?)を締めて、禊(みそぎ)を祓って、不浄を除いてきた。
もしも大切なときに極悪の神敵が現われるならば、その体中を斬って、斬って、斬り鎮めるためである。
つまり国を踏み開くことが(私の)目的なので、よくよく聞き給へ。

【猿田彦】東方、東方、わが東方。
六万里にも十二漕の舟をそろえ、それに青金を積んで、持っている剣を櫓棹にして、東方六万里にも漕いで行き、漕ぎ返して、東方の段の柱とした。
同じく、南方は赤金、西方は白金、北方は黒金を、それぞれ段の柱とした。
このように東西南北、道を踏み開いた私こそ「ふなどの神」、またの名を「道祖神」とも言うのである。
かくのとおりなので、(神よ!)アメノウズメにも分かりやすく詔をお伝えください。

◆その他の会話は、こちらの「原文」★からどうぞ、


お神楽の解説

つまり、ここで猿田彦は「自分はふなどの神であり、ニニギの天孫降臨を道案内したい」と申し出ています。
ふなどの神とはアラハバキ(女神)とペアとなる男神のことであり、縄文時代の神様です。

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』では、アラハバキ神のお姿は遮光器土偶(写真上右)のこととされています。
それが中国に渡って「道祖神」とも呼ばれるようになりました。

出雲族のナガスネヒコ(神武天皇に滅ぼされた)と、その子孫である「富家」も信仰していました。(富家文書による)
つまり、本物の出雲族とは縄文人であったということです。

(逆にいえば、これを必死で否定している勢力がニセモノということになります)

【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD

さらに、「自分は世界中を航海して、東西南北に4つの段の柱を立てた」と言っていますが、これは「五色人を創造したのは自分だ」ともとれる発言です。
ちなみに五色人とは、阿蘇の「幣立神宮」にも伝わる世界の5大人種のことですが、最近のDNA解析の進歩により、縄文人が世界中にその痕跡を残していることが証明され始めました。
つまり猿田彦の言っていることが正しいということになります。

ちなみに、12艘の船で航海したといってますので、失われたユダヤの12氏族を象徴していると解釈することもできますが、この辺は私の専門外なのであまり詮索しないこととします。

ただし、猿田彦の風貌が五色人のうちのどの人種にも似ていなかったため、悪神と勘違いされてしまいます。

ここに、神官の姿を借りたアメノウズメが猛反発しはじめます。
その主張とは、
「ふなどの神とは悪神である。なぜならわが国にはそんな神は存在しない。そもそもわが国を造ったのは、国常立命⇒伊邪那岐と伊邪那美の二柱⇒天照大神である。」

「異国からやってきて、わが国を開き固めるというのは納得できない。だから追い返す!」というのです。

この二人の議論は延々と日没まで続いたため、それを見かねた御供神たちが仲裁に入ります。
いわく、「おめでたい遷都の席にふさわしくない」「もう夕暮れなので時間が無い」「二人の神が協動すればよいではないか」・・・・云々。

そして最後には、縄文神と弥生神が融和して一緒に舞を踊るという設定になっています。
めでしたし、めでたし。


結びにかえて

さてさて、以上のやりとりをどう解釈したらよいのでしょうか?

まず、縄文人の世界観と弥生人の世界観、特に天地創造に関する伝承がみごとに対立してしまったということです。

それも無理はありません。
そもそも二つの民族は、そのルーツも、DNAも全く異なっているのです。
ここで「二物の衝突」が起こってしまったということです。

しかし、それはやがてアウフヘーベン(ヘーゲルのいう次元上昇)して、新生日本である弥生時代が幕を開けることとなります。

その結末は、『ウエツフミ』だけに詳細に書かれています。
つまり、猿田彦とアメノウズメは結婚して夫婦となり、ニニギの命の国づくりに全面協力することになりました。

だから、現在でも日本人は縄文人のDNAと弥生人のDNAを半分ずつ受け継いでいるのです。

そういえば、日本の歴史には常に二つの勢力が登場してきます。
あるときには、山の神と海の神であったり、
山幸彦と海幸彦であったり、
物部氏と中臣氏であったり、
源氏と平家であったり、
北朝と南朝であったり、
東軍と西軍であったり・・・・と。

つまり、「陰陽五行」の理論でいえば、2つのエネルギーが激しく対立しながら、ときには融合して、さらに新しいものを生み出しているのです。
それは、あたかも男女の関係に似ています。

すばらしきかな、日本人。
やがてそれはもっと新しい次のイデオロギーを生み出して、神に近づいていくのではないでしょうか?
それが、神の望んだ未来形だから?
なんだかそんな気がして、無償に嬉しくなってしまうのは、私だけでしょうか?


【過去の関連記事】 『猿田彦は縄文人だった!』

◆いまから2年前、私はウエツフミの記述だけから、猿田彦は縄文人であると断定していましたが、この無謀な説は図らずも当たっていたようです。


かけまくも、畏き当社うずの広前において、当村より当社へ、諸般円満願成就の為、綱伐の御神楽を奏し奉る。あやにあやに恐れみも慎み敬って申す。

 そもそもこの綱の呪文に曰く、国津神一世の初め、須佐之男仕業甚だ悪しきによって、今、天照大神は、この世に再びを日を照らさんやと、天が岩戸にさし籠らせたもう。そのとき、世は常闇となるなり。時に、須佐之男命に罪を仰じ、遠くは根の国へ追いやりき。命、清々しくも天降り給へば、出雲の国簸の川上に辺り、いまし川中に一人の少女(おとめ)を据え置き、かき撫で啜り泣く声あり。命、かの声尋ね行き、問うて宣わく。「今、汝達は誰ぞや、何の為にかく泣くや」。命に答えて申す。「これやつかれは国津神なり。我が名は足名椎(あしなづち)、我が妻が名は手名椎(てなづち)と申す。この少女は、やつかれが子なり。名を櫛名田比売(くしなだひめ)と申す。泣く故は我先に八人の少女を持ち給えば、年毎に八俣が大蛇が為に呑まれき。今また残りの少女も呑まれなんとす。呑まるるに逃るるによしなし。これ故痛み申す」「然らばまさに女(むすめ)もって、吾に奉(はか)らわんや」「詔(みことのり)のままに捧げ奉る、須佐之男の大神に」「然らば吾謀(はか)り申す」。八塩折(やしおおり)の酒を醸(か)みあわし桟敷八間(さずきやま)を結いて酒を盛りもって待ちなば果たして大蛇、八尾八谷の間を這え渡り頭各々一つの酒船に落とし入れ、呑み終えて眠らむその時、吾腰に佩えたる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いてずたずたに退治したもう。大蛇を略して綱とす。もって五方の呪文に曰く。

東 鎮西東方には木の神、久々能智命(くぐぬちのみこと)の眼のあたりに伐り鎮め奉る。
南 鎮西南方には火の神、迦具土命(かぐぬちのみこと)の眼のあたりに伐り鎮め奉る。
西 鎮西西方には金の神、金山毘古命(かなやまぎこのみこと)の眼のあたりに伐り鎮め奉る。
北 鎮西北方には水の神、弥都波能売命(みずはねのみこと)の眼のあたりに伐り鎮め奉る。
中央 鎮西中央には土神(どじん)、波邇夜須毘売命(はねやすのひめみこと)の眼のあたりに伐り鎮め奉る。

 今、須佐之男命が佩かしかまえたる十拳剣はこれなり。如何なるや悪しき悪魔も伐り祓いたもう。諸々退治の名刀なり。
 天孫降臨の途中、猿田毘古神が天孫邇々芸命を迎え、天宇受売命と問答する物語の舞。

<神文>
 如何なれば斯く真偽正を仰ぎ、しんようをすすめもうさんと言われてあらば、詔のほどを説き給へ。

<神歌>
神主 深くへ荒神をたずぬれば またうえもなき峯の松風
荒神 霜はなつ解けど返せぬ榊葉に 立ち栄ゆべき神のきねかも
神主 道のくの足立の眞弓我が引かば すえさのえおりて しのびしのびへに
荒神 さいの駒川に駒とめて ひとせ汲まねば水草生(お)びけり
神主 岩裂(いわさく)の神のさこうは眺むらん 雲井遥かに住(す)ぬる月風
荒神 深山にあられ降るなる遠山(とやま)なる 正木のかずら色づきにけり
神主 巻向(まむ)く嵐の山の山 人もみるかね山のつらせよ
荒神 我が門(かど)のひたいの清水(きよみず)里とめて ひとせ汲まねば河津生ぎえけり

<神文>
神主 かかる世をなる神世(しんよ)をすすめ申さんと仕る所、世も怪訝恐ろしき形にて伴(ばん)じたる人よくよく見れば、髪は天魔夜叉のごとく、額に四海の波をただえ眉の毛は長く生い茂り両眼は日月の光よりも尚高く、鼻は岩(がん)ぜき岩のさしかかりたるがごとく、口は鬼口(きこう)のごとく塑朝(そちょう)のごとくそれ塑朝の人の形に非ず。東州国の人なれば、その色青かるべし。南州国の人なれば、その色赤かるべし、西州国の人なれば、その色白かるべし、北州国の人なれば、その色黒かるべし。中州国の人なれば、その色黄(きな)にもあるべし。青、赤、白、黒、黄、五色の色を保つ人物仰せあらずんば、この神主手に持ったる三尺二寸の御笏(みてぐら)をもって注連(しめ)より外(ほか)に鎮め申さん。

荒神 聞(き)いつ聞いつよく聞いつ。天に曰く、我大海に舟を浮かべ小川小川に橋を架け、士農工商、門(かど)を分け、それ天地未だ開けず混沌とありしとき、九億十万八千丈の内よりわれ出でたる猿田彦の明神とは己(み)がことなり。即ち天孫降臨のとき、導きしたる所以をもって、今日おれいをかしめ、禊(みさき)を祓って不浄を除き、もしそのとき悪逆の神敵現わるるならば、運・甲・尺・本・小・節・健、斯くのごとく伐って伐って伐り鎮めんが為なり。それは国を踏み開きし所以をよくよく聞き給へ。

荒神 東方東方我東方六万里にも十二漕の舟をそろえ、それに青金を積んで持ちたる剣を櫓棹にして、東方六万里にも漕ぎ行き、漕ぎ返して東方の段の柱とす。

荒神 南方南方我南方七万里にも十二漕の舟をそろえ、それに赤金を積んで持ちたる剣を櫓棹にして、南方七万里にも漕ぎ行き漕ぎ返して、南方の段の柱とす。

荒神 西方西方我西方八万里にも十二漕の舟をそろえ、それに白金を積んで持ちたる剣を櫓棹にして、西方八万里にも漕ぎ行き漕ぎ返して、西方の段の柱とす。

荒神 北方北方我北方九万里にも十二漕の舟をそろえ、それに黒金を積んで持ちたる剣を櫓棹にして、北方九万里にも漕ぎ行き漕ぎ返して、北方の段の柱とす。

荒神 右東西南北、道踏み開きし我ぞ、かしふなどの神、又の名を道祖神とも言(げん)ずべし。しかるによって神主にも仔細よく詔のほどを説き給へ。

神主 さては荒ぶる御神にてましますや荒神よくよく聞き給へ。天に一つの物なれり。千葦(ちあし)かいわをもって神となる国常立命(くにとこたつのみこと)と申すなる神代は、この大御神より七世にわたり伊邪那岐伊邪那美の二柱の神、天の浮橋の上に立たして、矛をもってかきさぶりしは、これを海原へ僻矛(へきほこ)の先より滴る滴を積もりて一つの島となる。これを淤能碁呂島(おのころじま)と名付け、二柱の神、淡島に天降り給いて、国土をはじめ八百万の神々を生み給う。この大御神より天照大御神には我が国の道を踏み給う。今日高処(たかみ)の宮にたやせぬ神の道、御宝の数々、一草百草(いっくさももくさ)に至るまで神界(しんかい)のためしなり。しんべしかつべし。神は分身(ぶんみん)、人の国より我が国に来たりて、我が国の道を踏み給う事伝神(でんしん)と申すなり。いまひと悪成すひのひと、かかる黄金の上に臥し給う。とうどうなされそうらへ。

荒神 聞いつ聞いつよく聞いつ。我はこれより神前にすすむ。神主、そこを立ち退かれよ。

神主 いやいや神殿には適うまじ。されば尊き祝詞を申し聞かさん。御聞きなされそうらへ。かけまくもかしこき国家の鎮守、ちゅうし中興というはしんけいのためしなり。天照大御神には昼夜ちゅうじきのみねをこえ、光は三千万里のしもを消し、神明他になしねの始祖、そのならしねに非ず。みたまいすくいなればみやねにあり。また須佐之男命邪(よこしま)なれば、天照大御神は天が岩戸にさし籠らせ給う。世は常闇となるなり。その時八百万の神達、神集いに集い来て、千早降る御身衣(おんみころも)朝倉返(あさくらがえし)と奏し奉り。神楽の分には、あな楽しあなさやさやと奏し奉り、罪という罪、咎(とが)という咎は焼鎌(やきがま)の利鎌(とがま)をもって討祓(うちはら)い、天地穏やかなればあなめでたくと、かしこみかしこみ申す。

御供神一 当社御遷宮尊き御座あるところ、荒神、神主争い、きょうしょう千万きりながら、もはや落日となりぬれば社祷後衛(しゃとうこうえい)のところ国土を守りなされそうらへ。神主には八少女神楽(やおとめ)神楽御修技あって然るべし。

荒神 いやいや問答決し申す。
神主 いやいや問答決し申さん。
御供神二 互いに聞こし召されそうらへ。ここに随神(にじん)、国家安全の為あって然るべし。両者御立ちなされそうらへ。

<神歌>
一番 喜びに喜びを重ぬれば 共に嬉しき神の名と知る
二番 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みの 八重垣作る その八重垣を

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