報恩記
阿媽港甚内の話
わたしは
甚内と云うものです。
苗字は――さあ、世間ではずっと前から、
阿媽港甚内と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い
盗人です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。
あなたは
日本にいる
伴天連の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや
聚楽の
御殿へ召された
呂宋助左衛門の
手代の一人も、確か甚内と名乗っていました。また
利休居士の
珍重していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った
連歌師の
本名は、
甚内とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、
阿媽港日記と云う本を書いた、
大村あたりの
通辞の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか
三条河原の喧嘩に、
甲比丹「まるどなど」を救った
虚無僧、
堺の
妙国寺門前に、
南蛮の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の
御寺へ、おん母「まりや」の爪を収めた、
黄金の
舎利塔を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。
しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか
阿媽港甚内は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの
刃金に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして
好いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、
冥福を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、
他言しない約束が必要です。あなたはその胸の
十字架に懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は
赦して下さい。(微笑)
伴天連のあなたを疑うのは、
盗人のわたしには
僭上でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然
真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、
現世に
罰が
下る筈です。
もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある
凩の真夜中です。わたしは
雲水に姿を変えながら、京の
町中をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その
夜に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも
初更を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を
窺ったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は
摩利伽へでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に
金の入用もあったのです。
町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、
小やみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い
軒通いに、
小川通りを
下って来ると、ふと辻を一つ
曲った所に、大きい
角屋敷のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、
北条屋弥三右衛門の本宅です。同じ
渡海を渡世にしていても、北条屋は
到底角倉などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく
沙室や
呂宋へ、船の一二
艘も出しているのですから、一かどの
分限者には違いありません。わたしは何もこの
家を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、
一稼ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、
夜は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの
寸法です。わたしは路ばたの
天水桶の
後に、
網代の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
世間の
噂を聞いて御覧なさい。
阿媽港甚内は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ
阿媽港にいた時分、
葡萄牙の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を
じ切ったり、重い
閂を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盗みの仕方、――それも
日本と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。
わたしは一ときとたたない内に、北条屋の
家の中にはいっていました。が、暗い
廊下をつき当ると、驚いた事にはこの
夜更けにも、まだ
火影のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの
容子では、どうしても茶室に違いありません。「
凩の茶か」――わたしはそう
苦笑しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の
邪魔を思うよりも、
数寄を凝らした囲いの中に、この
家の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が
惹かれたのです。
襖の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、
釜のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う
大家の茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた
襖の
隙から、茶室の中を
覗きこみました。
行燈の光に照された、
古色紙らしい
床の懸け物、懸け
花入の
霜菊の花。――
囲いの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの
真正面に坐った老人は、主人の
弥三右衛門でしょう、何か
細かい
唐草の羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の
煮え音でも聞いているようです。弥三右衛門の
下座には、
品の
好い
笄髷の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。
「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を
洩らしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは
北条屋夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、
悪名ばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。(残酷な表情)その時もわたしは夫婦の歎きが、
歌舞伎を見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる
草紙と云えば、悲しい話にきまっているようです。
弥三右衛門はしばらくの
後、
吐息をするようにこう云いました。
「もうこの
羽目になった上は、泣いても
喚いても取返しはつかない。わたしは
明日にも店のものに、
暇をやる事に決心をした。」
その時また烈しい風が、どっと茶室を
揺すぶりました。それに声が
紛れたのでしょう。弥三右衛門の
内儀の言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は
頷きながら、両手を膝の上に組み合せると、
網代の天井へ眼を上げました。太い
眉、尖った
頬骨、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。
「おん
主、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」
弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を
呟き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその
間瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた
凩の渡った時、わたしの心に
閃いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を
捉えました。
その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは
阿媽港に渡っていた時、ある
日本の船頭に
危い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは
奇遇に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば
威かつい肩のあたりや、
指節の太い手の
恰好には、
未に
珊瑚礁の
潮けむりや、
白檀山の匂いがしみているようです。
弥三右衛門は長い御祈りを終ると、静かに老女へこう云いました。
「跡はただ何事も、
天主の
御意次第と思うたが
好い。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか?」
しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を
堪えるように、消え入りそうな返事をしました。
「はい。――それでもまだ
悔やしいのは、――」
「さあ、それが
愚痴と云うものじゃ。
北条丸の沈んだのも、
抛げ
銀の皆倒れたのも、――」
「いえ、そんな事ではございません。せめては
倅の
弥三郎でも、いてくれればと思うのでございますが、……」
わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は
北条屋の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の
阿媽港甚内にも、
立派に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を
施した時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も
碌には知らないのですから。
「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」
弥三右衛門は
苦々しそうに、
行燈へ眼を
外らせました。
「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは
凌げたかも知れぬ。それを思えば
勘当したのは、………」
弥三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、
堺の
襖を明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、
雲水に姿をやつした上、
網代の笠を脱いだ代りに、
南蛮頭巾をかぶっていたのですから。
「誰だ、おぬしは?」
弥三右衛門は年はとっていても、
咄嗟に膝を起しました。
「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚内と云うものです。――まあ、御静かになすって下さい。阿媽港甚内は
盗人ですが、今夜突然参上したのは、少しほかにも
訣があるのです。――」
わたしは
頭巾を脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。
その
後の事は話さずとも、あなたには推察出来るでしょう。わたしは
北条屋の
危急を救うために、三日と云う
日限を一日も違えず、六千貫の
金を調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか? では今夜は御免下さい。いずれ
明日か
明後日の
夜、もう一度ここへ
忍んで来ます。あの
大十字架の星の光は
阿媽港の空には輝いていても、
日本の空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿を
晦ませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。
何、わたしの逃げ
途ですか? そんな事は心配に及びません。この高い
天窓からでも、あの大きい
暖炉からでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか
呉々も、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切
他言は
慎んで下さい。
北条屋弥三右衛門の話
伴天連様。どうかわたしの
懺悔を御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、
阿媽港甚内と云う
盗人がございます。
根来寺の塔に住んでいたのも、
殺生関白の
太刀を盗んだのも、また遠い海の
外では、
呂宋の太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう
搦めとられた上、今度一条
戻り
橋のほとりに、
曝し
首になったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚内に
一方ならぬ大恩を
蒙りました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にも
遇ったのでございます。どうかその
仔細を御聞きの上、罪びと
北条屋弥三右衛門にも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。
ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっと
しけばかり続いたために、持ち船の
北条丸は沈みますし、
抛げ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった
揚句、北条屋一家は分散のほかに、仕方のない
羽目になってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた
大船も同様、まっ
逆さまに
奈落の底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの
夜の事は忘れません。ある
凩の烈しい
夜でございましたが、わたし共夫婦は御存知の
囲いに、夜の
更けるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、
雲水の姿に
南蛮頭巾をかぶった、あの
阿媽港甚内でございます。わたしは勿論驚きもすれば、また
怒りも致しました。が、甚内の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盗みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室には
未に
火影ばかりか、人の話し声が聞えている、そこで
襖越しに、
覗いて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?
なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが
阿媽港通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、
髭さえ
碌にない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の
喧嘩から、
唐人を一人殺したために、
追手がかかったとか申して居りました。して見ればそれが
今日では、あの阿媽港甚内と云う、
名代の
盗人になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。
すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、
差当り
入用の
金子の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず
苦笑致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが
可笑しいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその
金高を申しますと、甚内は
小首を傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、
無造作に引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、
当てになるものではございません。いや、わたしの
量見では、まず
賽の目をたのむよりも、
覚束ないと覚悟をきめていました。
甚内はその
夜わたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、
凩の中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり
夜に入ってしまった
後も、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居らぬと申し上げました。が、店のものにも
暇を出さず、成行きに
任せていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の
夜には、囲いの
行燈に向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。
所が
三更も過ぎた時分、突然茶室の
外の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心に
閃いたのは、
勿論甚内の身の上でございます。もしや
捕り
手でもかかったのではないか?――わたしは
咄嗟にこう思いましたから、庭に向いた
障子を明けるが早いか、
行燈の火を
掲げて見ました。雪の深い茶室の前には、
大明竹の垂れ伏したあたりに、誰か二人
掴み合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の
陰をくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に
攀じ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか
塀の外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。
阿媽港甚内ですよ。」
わたしは
呆気にとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も
南蛮頭巾に、
袈裟法衣を着ているのでございます。
「いや、とんだ
騒ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」
甚内は
囲いへはいると同時に、ちらりと
苦笑を
洩らしました。
「何、わたしが
忍んで来ると、ちょうど誰かこの
床の下へ、
這いこもうとするものがあるのです。そこで一つ
手捕りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」
わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと
尋ねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人を
捉えようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の
成否を聞かない内は、わたしの心も安まりません。すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と
胴巻をほどきながら、
炉の前へ
金包みを並べました。
「御安心なさい、六千貫の
工面はつきましたから。――実はもう
昨日の内に、
大抵調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また
昨日までに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の
床下へ隠して置きました。
大方今夜の盗人のやつも、その金を
嗅ぎつけて来たのでしょう。」
わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盗人に金を
施して貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出来るかどうか、半信半疑の
境にいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、
路頭に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては
御憐憫を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、
恭しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……
その
後わたしは二年の
間、甚内の
噂を聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに
恙ないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、
祈願をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃
往来の話を聞けば、
阿媽港甚内は
御召捕りの上、
戻り
橋に首を
曝していると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の
報と思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、
陰ながら
回向をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは
今日伴もつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。
戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、
大勢人がたかって居ります。罪状を
記した
白木の
札、首の番をする
下役人――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう? わたしは
騒々しい人だかりの中に、
蒼ざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い
眉、この突き出た
頬、この
眉間の
刀創、――何一つ甚内には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた
曝し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「
弥三郎!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は
瘧を病んだように、
震えているばかりでございました。
弥三郎! わたしはただ幻のように、
倅の曝し首を眺めました。首はやや
仰向いたまま半ば
開いた
の下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした
訣でございましょう? 倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかし
御吟味も受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た
贋雲水は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う
日限を一日も
違えず、六千貫の金を
工面するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った
夜、甚内と庭に争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで参りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に
緊りのない
唇には、何か
微笑に近い物が、ほんのり残っているのでございます。
曝し首に微笑が残っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、
御哂いになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その
干からびた唇には、確かに微笑らしい
明みが、
漂っているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い
間見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで参りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して来たのでございます。
「お
父さん、
勘忍して下さい。――」
その微笑は無言の内に、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪の
夜、
勘当の
御詫びがしたいばかりに、そっと
家へ
忍んで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、
恥しいなりをしていましたから、わざわざ
夜の
更けるのを待った上、お父さんの
寝間の戸を
叩いても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと
囲いの障子に、
火影のさしているのを幸い、そこへ
怯ず
怯ず行きかけると、いきなり誰か
後から、言葉もかけずに組つきました。
「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の
曲者を突き放したなり、
高塀の外へ逃げてしまいました。が、
雪明りに見た相手の姿は、不思議にも
雲水のようでしたから、誰も追う者のないのを確かめた
後、もう一度あの茶室の外へ、
大胆にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、
一切の話を立ち聞きました。
「お父さん。
北条屋を救った
甚内は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に
危急があれば、たとえ命は
抛っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた
浮浪人のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは
極道に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、
倅のけなげさを
褒めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の
弥三郎もわたしと同様、
御宗門に
帰依して居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの
阿媽港甚内に一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら
未練だと思いましても、こればかりは
切のうございます。分散せずにいた方が
好いか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………(永い
間の
歔欷)
「ぽうろ」弥三郎の話
ああ、おん母「まりや」様! わたしは
夜が明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの
魂は小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天国)の
荘厳を拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、
逆落しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
わたしは
北条屋弥三郎です。が、わたしの
曝し
首は、
阿媽港甚内と呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど
愉快な事があるでしょうか? 阿媽港甚内、――どうです?
好い名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い
牢の中さえ、天上の
薔薇や
百合の花に、満ち渡るような心もちがします。
忘れもしない二年
前の冬、ちょうどある大雪の
夜です。わたしは
博奕の
元手が欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの
障子に、
火影がさしていましたから、そっとそこを
窺おうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの
襟上を
捉えたものがあります。振り払う、また
掴みかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の
逞しい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度
揉み合う内に、茶室の障子が
明いたと思うと、庭へ
行燈をさし出したのは、
紛れもない父の
弥三右衛門です。わたしは一生懸命に、
掴まれた
胸倉を振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。
しかし
半町ほど逃げ延びると、わたしはある
軒下に隠れながら、往来の前後を見廻しました。往来には夜目にも
白々と、時々雪煙りが
揚るほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は
諦めてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう?
咄嗟の
間に見た所では、確かに
僧形をしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にも
精しいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪の
夜に、庭先へ誰か
坊主が来ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案した
後、たとい
危い芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。
それから
一時ばかりたった
頃です。あの怪しい
行脚の
坊主は、ちょうど雪の止んだのを幸い、
小川通りを
下って行きました。これが
阿媽港甚内なのです。
侍、
連歌師、町人、
虚無僧、――何にでも姿を変えると云う、
洛中に名高い
盗人なのです。わたしは
後から見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢の
中にも、あの男の姿を慕っていたでしょう。
殺生関白の
太刀を盗んだのも甚内です。
沙室屋の
珊瑚樹を
詐ったのも甚内です。
備前宰相の
伽羅を切ったのも、
甲比丹「ぺれいら」の時計を奪ったのも、
一夜に五つの土蔵を破ったのも、八人の
参河侍を斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、
稀有の悪事を働いたのは、いつでも
阿媽港甚内です。その甚内は今わたしの前に、
網代の笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。
わたしは
浄厳寺の裏へ来ると、
一散に甚内へ追いつきました。ここはずっと
町家のない
土塀続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番
御誂えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた
気色は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも
杖をついたなり、わたしの言葉を待つように、
一言も口を
利かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。
「どうか失礼は御免下さい。わたしは
北条屋弥三右衛門の
倅弥三郎と申すものです。――」
わたしは顔を
火照らせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少し御願いがあって、あなたの跡を
慕って来たのですが、……」
甚内はただ
頷きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい
難有い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の
勘当を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の
家へ盗みにはいった所が、
計らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を
手短に話しました。が、甚内は
不相変、
黙然と口を
噤んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を
覗きこみました。
「
北条一家の
蒙った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの
手下になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける
術も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に
劣らず知っています。――」
しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、
伏見、
堺、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も
四斗俵は片手に
挙ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の
白孔雀も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の
鐘楼も、焼けと云えば焼いて来ます。
右大臣家の姫君も、
拐せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」
わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ
蹴倒されました。
「
莫迦め!」
甚内は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように
法衣の
裾へ
縋りつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の
獅子王さえ、
鼠に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「
白癩めが! 親孝行でもしろ!」
わたしは二度目に蹴倒された時、急に
口惜しさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
しかし甚内は見返りもせず、さっさと
雪路を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に
網代の
笠を
仄めかせながら、……それぎりわたしは二年の
間、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは
夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。
ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ
恨を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが
遇った
贋雲水は四十前後の小男です。が、
柳町の
廓にいたのは、まだ三十を越えていない、
赧ら顔に
鬚の生えた、浪人だと云うではありませんか?
歌舞伎の小屋を
擾がしたと云う、腰の曲った
紅毛人、
妙国寺の
財宝を
掠めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の
正体を見分ける事さえ、
到底人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、
吐血の病に
罹ってしまいました。
どうか
恨みを返してやりたい、――わたしは日毎に
痩せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然
閃いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、
吐血の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその
夜嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の
身代りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」
甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も
亡んでしまう。――甚内は広い
日本国中、どこでも
大威張に歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、
稀代の
大賊になれるのです。
呂宋助左衛門の
手代だったのも、
備前宰相の
伽羅を切ったのも、
利休居士の友だちになったのも、
沙室屋の
珊瑚樹を
詐ったのも、伏見の城の
金蔵を破ったのも、八人の
参河侍を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。(
三度笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの
恨みも返してしまう、――このくらい愉快な
返報はありません。わたしがその
夜嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この
牢の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
わたしはこの策を思いついた後、
内裏へ盗みにはいりました。
宵闇の
夜の浅い内ですから、
御簾越しに
火影がちらついたり、松の中に花だけ
仄めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い
廻廊の屋根から、
人気のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の
警護の侍に、望みの通り
搦められました。その時です。わたしを組み伏せた
鬚侍は、一生懸命に
縄をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、
呟いていたではありませんか? そうです。
阿媽港甚内のほかに、誰が
内裏なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている
間でも、思わず
微笑を洩らしたものです。
「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは
夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う
気味の
好い
面当てでしょう。わたしは首を
曝されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない
哄笑を感ずるでしょう。「どうだ、
弥三郎の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、
日本第一の
大盗人は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の
弥三右衛門に、わたしの
曝し首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に
罹ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは
極道に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………
(大正十一年三月)
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