ドナティスト派,*230
ペラギウス,2:1:④*230(-派),2:1:⑤*237
キケロ 国家について
https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/blog-post_20.html
『神の国』アウグスティヌス Aurelius Augustinus 354~430
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/blog-post_65.html @
https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/3777570697036217736
http://polylogos.org/philosophers/augustin.htm
「道徳的卓越性」
*231
mores optimi
moral excellence
excellentia Augustinus
https://www.loebclassics.com/search?q=excellentia+
それを元に、「道徳」や「道徳観の発露」を意味する ἠθικός (ethikos) という言葉が生まれ、ラテン語には ethicus として流用される。また、その女性形である ἠθική ...
2023/10/6 -ラテン語では、道徳的なアライメントは個人のmosです。 例えば:. bonus mos - 良い道徳. neutralis mos - 中立的な道徳. malus mos - 悪い道徳.
アウグスティヌス著作集7 マニ教駁論集
Written by St. Augustine of Hippo in AD 388. It is laid down at the outset that the customs of the holy life of the Church should be referred to the chief good ...
| 388–389 | 『カトリック教会の道徳とマニ教徒の道徳』 | De moribus ecclesiae catholicae et de moribus Manichaeorum |
CHURCH FATHERS: Of the Morals of the Catholic Church (Augustine) https://www.newadvent.org/fathers/1401.htm
Chapter 32.— Praise of the Clergy
69. There is not, however, such narrowness in the moral excellence of the CatholicChurch as that I should limit my praise of it to the life of those here mentioned. For how many bishops have I known most excellent and holy men, how many presbyters, how many deacons, and ministers of all kinds of the divine sacraments, whose virtue seems to me more admirable and more worthy of commendation on account of the greater difficulty of preserving it amidst the manifold varieties of men, and in this life of turmoil! For they preside over men needing cure as much as over those already cured. The vices of the crowd must be borne with in order that they may be cured, and the plague must be endured before it is subdued. To keep here the best way of life and a mind calm and peaceful is very hard. Here, in a word, we are among people who are learning to live. There they live.
第32章――聖職者への賛辞
69. しかし、カトリック教会の道徳的卓越性には、私がその称賛をここに挙げた人々の生涯に限定するような狭量さは、決してない。なぜなら、私はどれほど多くの、最も卓越した聖なる司教たち、どれほど多くの助祭たち、そしてあらゆる種類の神聖な秘跡の奉仕者たちを知っていることか。彼らの中にある徳は、多種多様な人々の中にあって、またこの騒乱に満ちた人生の中でそれを保つことの困難さゆえに、私にとってはいっそう称賛に値し、賞賛にふさわしいものに見える。彼らは、すでに癒された人々と同様に、癒しを必要とする人々をも司っているからである。群衆の悪徳は、彼らが癒されるために耐え忍ばねばならず、疫病も、鎮められるまでは耐え忍ばねばならない。この地で最善の生き方と、穏やかで平和な心を保つことは、極めて困難である。一言で言えば、我々はここで「生きることを学んでいる」人々の間にいるのだ。あちらでは、彼らはすでに生きている。
DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
キリスト教古典叢書2:カトリック教会の道徳
キリストキョウコテンソウショ2カトリックキョウカイノドウトク

青年アウグスチヌスが改心後ローマへ帰ったとき、マニ教との攻撃に答えるために、カトリック教会が教え実践する道徳をまとめて著したのが本書である。神への愛と隣人への愛を基礎として考察を展開した本書は、哲学と神学、聖書の教えと日々の実践の諸問題を考え合わせ、キリスト教的道徳のすぐれた手引き書である。
【目次】
緒言 P・ネメシェギ
第一部 幸福と愛
一 幸福
二 愛の法
第二部 徳と教会
一 徳
二 諸徳
三 徳と愛
四 徳行の規範である教会
注 P・ネメシェギ
六九 しかしながらカトリック教会の至高なる徳行は、以上述べた人々の生活だけを称揚すべきで、他の人々の生活は称揚してはならないとわたしに思わせるような、そんな偏狭なものではない。わたしは、高い聖徳の域に達した非常にすぐれた司教たちをどれほど多く知っていることだろうか。また、そのような司祭たち、助祭たち、さらに、いろいろな階級の神の秘跡の侍者たちをどれほど多く知っていることだろうか。かれらの徳は、いろいろな種類の人々や混乱したこの世の生活のさ中にあって、徳を保持していることが困難であればあるほど、それだけ賛嘆と称賛に値するものであると思われる。かれらは、いやされた人よりも、いやされるべき人の上にたてられているのだからである。群衆の悪徳をいやすためには、それらを忍耐しなければならないのである。疫病をしずめるためには、まずそれを耐え忍ばねばならないのである。この世では、完全な生活様式や平和で静かな精神を持つということは非常に困難なことである。簡単に説明すれば、後に述べた人々は、人が正しく生活することを学ぶところに生活しており、前に述べた人々は、人が正しく生活している所に生活しているのである。
上では道徳的卓越性ではなく至高なる徳行と訳している
mores optimi
Authors/Augustine/De moribus/De moribus ecclesiae catholicae - The Logic Museum
https://www.logicmuseum.com/wiki/Authors/Augustine/De_moribus/De_moribus_ecclesiae_catholicae#S69
32. 69. Neque tamen ita sese anguste habent Ecclesiae catholicae mores optimi, ut eorum tantum vita, quos commemoravi, arbitrer esse laudandos. Quam enim multos episcopos optimos viros sanctissimosque cognovi, quam multos presbyteros, quam multos diaconos et cuiuscemodi ministros divinorum sacramentorum, quorum virtus eo mihi mirabilior et maiore praedicatione dignior videtur, quo difficilius est eam in multiplici hominum genere et in ista vita turbulentiore servare. Non enim sanatis magis quam sanandis hominibus praesunt. Perpetienda sunt vitia multitudinis ut curentur, et prius toleranda quam sedanda est pestilentia. Difficillimum est hic tenere optimum vitae modum et animum pacatum atque tranquillum. Quippe, ut brevi explicem, hi agunt ubi vivere discitur, illi ubi vivitur.
名誉とお金のどちらを愛するかという問いは、アウグスティヌスの思想の核心にもつながるところですね。
💬 言葉の出典と意味
「金銭より名誉を愛したこと」というフレーズ自体は、調べたかぎりアウグスティヌスの著作にそのままの形では見つからず、後世の要約や意訳に近い表現と考えられます。アウグスティヌスは、お金や快楽、世俗的な名誉を最終目的として愛することを批判し、あくまで「神という最高善」を愛することが人間の真の幸福だと考えました。(biz.trans-suite.jp)
なので、このフレーズをアウグスティヌス風に言い換えるなら「金銭や名誉よりも、神という最高の善を愛すること」といった方向の意味合いに近いと考えると理解しやすいです。(note.lv73.net)
📖 名誉と富への態度
アウグスティヌスは『告白』などで、自分自身が若い頃、名誉や出世を必死に追い求めていたが、心はむしろ重く、安らぎを失っていたと振り返っています。(christianpress.jp)
富や名誉そのものを完全に悪とは言いませんが、それらを「究極の目的」として愛してしまうと、人は不安定でむなしい状態に陥ると考えました。
🧭 どのように理解するとよいか
「金銭より名誉を愛したこと」という言葉を、アウグスティヌス的に深めるなら、次のように読むことができます。
- 単にお金より評判が大事という意味ではなく
- 「外面的な富や快楽ではなく、より高い価値や善を愛すること」
- そして最終的には「最高善である神への愛」に向かっていくこと
という流れで考えると、アウグスティヌスの全体像とつながってきます。
キケロ 国家について
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https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/blog-post_65.html @
https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/3777570697036217736
ある人とプロテスタントが口論しているのを手伝っていたんだけど、その人が聖アウグスティヌスを引用したんだ。僕が読んだ限りでは、彼はマリア論をかなり支持していたんだけど、同時にこんなことも書いていたんだよね:
この子は父から生まれ、すべての時代を創造した。今、母から生まれ、この日を祝福した。最初の誕生には母はあり得なかったし、二番目の誕生には父となる男も必要なかった。つまり、キリストは父と母の両方から生まれたし、父なし、母なしでも生まれた。神としては父から生まれ、人としては母から生まれた。神としては母なしで生まれ、人としては父なしで生まれたのだ。「その世代を誰が告げようか?」[5] 時間の限界を超えた彼の世代を考えるにしても、種なしの世代を考えるにしても、始まりのない世代を考えるにしても、前例のない世代を考えるにしても、終わりがない世代を考えるにしても、始まりがある世代を考えるにしても、
(説教184より)
これは、キリストの性質の分裂に関するネストリウス派の誤りをかなり助長しているように見えるし、マリアをテオトコスとして明確に否定しているように思える。
2024/3/2 -エフェソス公会議によってイエスの神性と人性が分離して存在するとするネストリウス説は退けられたが,その過程で今度は逆に,イエスは神性・人性が ...
アウグスティヌスはエフェソス公会議には直接参加していません。しかし、彼の思想はキリスト教の教義に大きな影響を与えました。
💡 エフェソス公会議
エフェソス公会議は431年に開催されたキリスト教の公会議で、キリストの「人間性」と「神性」に関する論争に決着をつけることが目的でした。
- 開催場所 :エフェソス(現在のトルコ共和国セルチュク郊外)
- 召集者 :東ローマ皇帝テオドシウス2世
- 主な議題 :キリストの神性と人性に関する論争「テオトコス論争」
- 決定 :ネストリオス派の教説を異端とし、マリアを「神の母(テオトコス)」と認める
⛪ アウグスティヌス
アウグスティヌスは4世紀から5世紀にかけて活躍したキリスト教の教父です。
- 主要な著作 :『告白』『神の国』
- 思想 :三位一体説の確立に貢献
- 没年 :430年、エフェソス公会議の前年に死去
エフェソス公会議は、キリスト教の教義を統一するために開催された重要な会議の一つです。この公会議では、キリストの神性と人性に関する見解の相違が激しく議論されました。アウグスティヌスは公会議には出席していませんが、彼の三位一体説などの思想は、当時のキリスト教神学の基礎となっていました。
チカコー205*230:
2:1:④:
帝国95:
正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにものでもないのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制されたからではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレクサンダー大王にのべた答えは全く適切で真理をうがっている。すなわち、大王が海賊に、「海を荒らすのはどういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆するところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである(『神の国』服部英二郎・藤本雄三訳、岩波文庫)。
:岩波文庫①272
:4:4
墨子の非攻にも似た記述がある。
チカコー
2:1:⑤
207
帝国97~98
人間の社会は、家からはじまって、そこから都市へと進み、そして世界にいたるのである。まったく世界は水の合流のようであって、それが大きければ大きいほど、それだけ多くの危険に満ちている。この段階においては、何よりもまず言語の相違が人間と人間を遠ざける。(中略)また、強大な力をもつ国家は、征服した民族に軛を課すだけでなく、平和的友好的方法によって自国の言語を課そうと骨折ったのであった。(中略)これはほんとうである。しかし、いかに多くの、そしてどれほど大きな戦闘によって、いかに多くの人間の殺戮によって、どれほど人間の血が流されることによって、このことが成し遂げられたことか。これらの戦闘は過去のものとなっている。しかし、それらの悲惨は終わってはいない。というのは、つねに戦闘がなされてきた、そしていまもなされている敵対する外国の民は欠けることがなかったし、いまも欠けてはいないけれども、すくなくとも、帝国の広大さそれ自身がいっそう悪質な戦闘、すなわち同盟者間の戦いや内乱を引き起こしてきたからであって、それによって、……人類はいっそう惨めに動揺させられるのである(『神の国』第一九巻・第七章、岩波文庫5)。
岩波文庫⑤44〜47頁
帝国196~197
そのようなわけで天上の国は、この世にあって遍歴の旅をつづけているあいだ、あらゆる民族からその国の民を召し出し、多様な言語を語る寄留者の社会を集めるのである。その国は、唯一にして最高の真の神を拝すべきことを教える宗教を阻止しないなら、地上的平和を得させ、保持している慣習や法、制度の相違を慮ることなくそれらのうちの何ものかを無効にしたり廃棄したりせずに、かえってむしろそれを維持し、追っていくのである。というのは、さまざまな民族のあいだに相違が存するけれども、しかし、一つの同じ目的──地上的平和──が目ざされているからである。
それゆえ、地上において旅をつづける天上の国も地上の平和を用いるのであり、また、人間の可死的な本性に属するもろもろの事物にかんしては、それらが健康的な宗教と敬虔に害をくわえることなくゆるされるかぎり、人間の意志の合成をまもり、かつ求めるのである。その国は地上的平和を天上的平和へと関係づける。この平和は真の平和であって、すくなくとも理性的被造者にとっては、それのみが得られるべきであり、平和とよばれるべきものである(『神の国』第一九巻・第一七章、岩波文庫5)。
。。。
ドナティスト派,*230
ドナトゥス派
ドナトゥス派(イタリア語: Donatismo)は、4世紀から5世紀にかけて北アフリカで勢力を得たキリスト教の分派。主流派(のちのカトリック教会・東方教会の両方)から異端とされる。英語表記(Donatists)からドナティストとも転写される。
思想潮流としてはドナトゥス主義、もしくは英語から転写してドナティズムとも表記される。これを巡る論争については「ドナティスト論争」等と呼ばれる。
主張内容の概要
アリウス派やネストリウス派と異なり、三位一体論(至聖三者論)や神の母といった、教義上では主流派と対立していない。相違点は、一度棄教した者のサクラメントの有効性を巡る見解である[1]。
ドナトゥス派は、聖徒の教会は常に聖でなければならないと主張。一度棄教・背教した者の行うサクラメント(機密・秘蹟・聖奠・礼典)は無効であり、ドナトゥス派に改宗する者は洗礼を再び受けなければならないとした[1]。
発祥と反駁の内容
きっかけとなったのは、311年にカルタゴの助祭であったカエキリアヌス(英語版)が同地の司教(主教)に任職された際、彼を叙品した司教の一人であるフェリックスが過去、ディオクレティアヌスの弾圧時に聖書・聖物を官憲に渡し棄教した者であったため、ヌミディアの司教達がこの任職を承認せず、別にマヨリヌスをカルタゴ司教に任じ、マヨリヌス死後には学識と実行力に優れたドナトゥスがカルタゴ司教に立てられたことにあった。この指導者である司教ドナトゥスが、この派の名称「ドナトゥス派」「ドナティスト」の名の由来である[1]。
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は教会の統一を望んで313年にローマで教会会議を開き、ここでカエキリアヌスの地位の正当性が承認されたが、ドナトゥス派はこれに従わなかったため弾圧された[1]。
411年に3日間にわたって行われたカルタゴ会議では、アウグスティヌスがドナトゥス派への反駁の先頭に立った[2]。ドナトゥス派との論争を通じてアウグスティヌスの教会論は確立された[1]。
この論争のテーマは、人の罪がサクラメントの有効性に影響するのかどうかにあった。結局、主流派となった教会においては、神の恩寵は人の道徳面の状態からは影響を受けないこと、罪の無い人間はいないことを根拠として、サクラメントは一度棄教した者によるものであっても有効である事が確認された[3]。
ただしこの確認については、棄教・背教・道徳的退廃をそのまま容認するものではない。教会・信徒の無過失を主張したドナティストに対して、論陣を張ったアウグスティヌスの主張においては、信徒と言えども罪が無い訳では無いこと、そしてそうした罪が悔い改めによって赦されることの重要性が前提として強調される[4]。
カルタゴ会議でも論争に決着が着かなかったのち、皇帝ホノリウスにより統一令が発布され、ドナトゥス派は単なる分派ではなく異端と宣告された[1](この際に異端と宣告されたことについての評価は教派によって異なる)。414年にはドナトゥス派は全ての市民権を剥奪されている[2]。
ドナトゥス派は異端宣告の後にも、急速に衰退したものの、ヴァンダル人の支配下や東ローマ帝国の支配下にあった時代にまでもなお存続していた[1]。しかしイスラームの北アフリカへの侵入とともに、7世紀頃には消滅した[2][5]。
ドナトゥス派を巡る論争は、一度離教した者のサクラメントの有効性についてのものであるが、サクラメントの概念自体に疑問符を付けるものではない。カトリック教会の秘跡の概念そのものに疑問符をつけるプロテスタントの登場は、16世紀の宗教改革以降の事である。
正教会からの評価
正教会からは、ドナトゥス派は「西方に発生した分離派(異端)」(раскол в Западной церкви)と位置づけられる。カトリック教会と同様に正教会も、至福者アウグスティヌスがドナトゥス派に対し、教会の価値を擁護し恩寵の働きについて主張したことにつき、アウグスティヌスは正教を強力に擁護したと捉える[6]。
カトリック教会からの評価
カトリック教会も、ドナトゥス派に対して反駁したアウグスティヌスを評価する[7]。
カトリック教会では、ドナトティスト論争の教理上の意義として、教会の聖性と秘跡授与の有効性が信徒・授洗者の聖性に制約されるとするドナトゥス派の主張に対し、アウグスティヌスによる「勝利の状態にある教会」「途上の状態にある教会(『籾殻と小麦の並存』混ぜ合わさった真の主の体:corpus Domini rectum atque permixtum)」との区別する論が勝ったことが挙げられる。教会の聖性には、効果ある救霊手段、愛の精神、可視的形態が必要であるとされる[8]。
ドナトゥス派に属していた者の著作であるからといって必ずしも現代のカトリック教会から全否定されている訳ではなく、著者・著作内容によっては、部分的にカトリック教会から評価されているケースもある[9]。
プロテスタント教会からの評価
宗教改革者は神の恵みについて、アウグスティヌスの主張を受け入れたが、教会論を無視した。 アリスター・マクグラスは宗教改革の論議の背景にドナティスト論争があると指摘し、改革派神学者ウォーフィールドを引用して、宗教改革はアウグスティヌスの教会論に対する恩恵論の勝利であるとしている[10]。キプリアヌス、アウグスティヌスにとっては背教よりも教会の分裂がより罪深いことなのであったのだとマクグラスは捉える[11]。 キプリアヌスらの毒麦のたとえの用い方に対し、クラス・ルーニアらは毒麦を世に適用し、あらゆる分離を断罪しようとする試みは聖書に根拠がなく、すでに教会は分断状態にあるので、その関係を断ち切って歴史的キリスト教信仰に立つ者の一致を実現するのは分派ではないとしている[12]。
脚注
- ^ a b c d e f g 『キリスト教大事典 改訂新版』755頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- ^ a b c DONATISTS - Online Information article about DONATISTS (英語)
- Donatism | Christian Apologetics and Research Ministry (英語)
- 同志社大学神学部大学院神学研究科博士課程前期 講義 キリスト教史研究Ⅰ 講師:土肥昭夫『アウグスティヌスの神学思想』レポート:川上純平「アウグスティヌスの教会論研究」 1995・ 1・24
- Donatism - OrthodoxWiki (英語)
- Донатизм (Энциклопедический Словарь)
- CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Donatists (英語)
- 『カトリック大辞典 III』(753頁右、上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷)
- 教皇ベネディクト十六世の175回目の一般謁見演説
- 『宗教改革の思想』10章教会論「宗教改革論議の背景-ドナトゥス派論争」
- 『宗教改革の思想』p.252
- 『現代の宗教改革』「分離の問題」
参考文献
- 『キリスト教大事典 改訂新版』教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- 『現代カトリック辞典』エンデルレ書店
- 『宗教改革の思想』アリスター・マクグラス 教文館
- 『現代の宗教改革』クラス・ルーニア 小峯書店
- 『古代ローマ人名事典』ダイアナ・パウダー編、小田謙爾ほか訳 原書房、平成6年
関連項目
外部リンク
- Donatism | Christian Apologetics and Research Ministry(英語)
- Donatism - OrthodoxWiki(英語)
- CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Donatists(英語)
- DONATISTS - Online Information article about DONATISTS(英語)
- 同志社大学神学部大学院神学研究科博士課程前期 講義 キリスト教史研究Ⅰ 講師:土肥昭夫『アウグスティヌスの神学思想』レポート:川上純平「アウグスティヌスの教会論研究」 1995・ 1・24 (日本語)
- 小林敬幸「ドナティズム運動の民族的性格 -二つのムーア人反乱を通して-」
- Донатизм (ドナティズム) - Энциклопедический Словарь(百科事典)内のページ (ロシア語)
- 『ドナトゥス派』 - コトバンク
- 『ドナティズム運動』 - コトバンク
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2:1:④*230
2:1:⑤*237
ペラギウス,2:1:④*230(-派),2:1:⑤*237
🕊️ ペラギウス派
ペラギウス派は、人間の自由意志による救済の可能性を主張しました。
- 提唱者:イギリス出身の修道士ペラギウス。
- 主張:
- 原罪を否定し、人間は自力で神の律法を守れるとする。
- 洗礼以外の恩恵(神の恵み)を認めない。
- 自由意志による救いを強調。
- 背景:ストア学派の模倣論に基づく考え方。
- 異端認定:416年に異端とされ、アウグスティヌスと激しい論争を展開。
- 影響:後に原罪や預定、幼児洗礼の否定を和らげた半ペラギウス主義が生じ、ネストリウスにも影響を与えました。
🌍 ネストリウス派
ネストリウス派は、キリストの神性と人性に関する独自の解釈を主張した教派です。
- 提唱者:コンスタンティノープル総大司教ネストリウス。
- 主張:
- キリストには神性と人性の二つの位格(分離された人格)があると考える。
- マリアはイエスの人性のみを生んだとし、「神の母(テオトコス)」ではなく「キリストの母(クリストトコス)」と呼ぶべきだと主張。
- これは、神(ヤハウェ)を万物の創造主とする根本教義と矛盾するとの考えから、キリストの人性を明確に示そうとしたものです。
- 異端認定:
- 431年のエフェソス公会議において異端とされ、ネストリウスは追放されました。
- この異端宣告の背景には、アレクサンドリア学派とアンティオキア学派の政治的対立があったと指摘する研究もあります。
- 発展と伝播:
- 異端認定後、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、東方へ広まりました。
- イランを中心に独自の発展を遂げ、中央アジア、モンゴルを経て、7世紀には中国に伝わり、「景教」と呼ばれました。
- 現在でもイラクや南インド、アメリカ、オーストラリアなどに信徒がおり、アッシリア東方教会として存在しています。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ペラギウス主義
ペラギウス主義とは、5世紀にキリスト教神学の歴史上に現われた教説で、広く支持者を持ったが、正統のキリスト教から異端とされた。
ローマの修道士ペラギウス(350?-425年?)が提唱したことからこの名が付く。実際に、この教説を広めたのは、弟子ケレスティウスである。
ペラギウスに関してはほとんどの事が分かってはいない。修道士であったとしばしば言及されるが、本当にそうだったかも定かではない。アウグスティヌスによれば、彼はブリタンニアあるいはカレドニアの出自でローマに長い間住んでいたと言う。彼はその禁欲苦行の過激さと演説の雄弁さですでにローマの属州ではよく知られており、彼の教説の本質が明るみに出るまでキリスト教の重鎮、アウグスティヌスでさえも、彼を行動が聖人のように清らかな人と捉えていた。
教説
実際のペラギウスが説いた教えはどのようなものかは分かってはいない。彼の教えは弟子ケレスティウスによって伝えられたものである。
それによると、ペラギウスの説とは神は人間を善なるものとして創造したのであり、人間の原罪は神が善のものとして創りたもうた人間の本質を汚すものではないとする。故に神からの聖寵を必要とはせず、自分の自由意志によって功徳を積むことで救霊に至ることが可能であるとするものと考えた。その人間の救霊に至るまでの道としてアダムを悪しき例とし、イエズス・キリストをよき例とした。また人間個人は自ら救霊に神の救いを必要としないので、イエズスの受難は人間全般の罪をあがなったものではないと考えた。 また幼児洗礼を否定していたとされる。
彼の説は、その多くが、ケルト人である彼の出自ないし彼の学んだギリシア語からギリシア哲学の影響を受けている。すなわち人間各人が己の責任を持って行動を行うという人間の独立性を掲げ、また人間の意志とは超自然的な存在−彼はそれを原罪と呼んだのかもしれないが−に対峙して打ち勝つものとして強調した。このようにペラギウス主義にはギリシア哲学、とくにストア派の影響が見受けられたが、彼の説は当時の教父たちが説く教えとは大きく異なっていた。
経緯
このように人間の意志は神の救いを必要としないというペラギウス主義は、人間は選択の自由はあるが究極的には救いは神の栄光から至るというアウグスティヌスの主張とは対立した。またアウグスティヌスは人間の選択の自由の中にも実は神意の采配が宿っているとしており、人間単身の選択では救いの道は開けず、神の恩寵と結びついた選択により道が開けるとしていた。
この点でアウグスティヌスやヒエロニムスはペラギウス主義を批判し、418年のカルタゴ会議(英語版)などで異端として排斥され、さほどな重要な問題とは思われてはいなかったが431年のエフェソス公会議で異端である事が再確認された。
関連項目
この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 |
ネストリウス派(英語: Nestorianism, ギリシア語: Νεστοριανισμός)、または東シリア教会は、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス[注釈 1]により説かれたキリスト教の一派で、東方教会(東方諸教会)に含まれる。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった[1]。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちにはイラクを拠点とする一派アッシリア東方教会などが継承した。

ネストリウス派
その教義においては、三位一体説およびイエス・キリストの両性説は認めるものの、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されるとし、さらに、イエスの神性は受肉によって人性に統合されたと考える。このため、人性においてイエスを生んだマリアを「神の母」(テオトコス Θεοτοκος)と呼ぶことを否定し、「キリストの母」(クリストトコス Χριστοτόκος)と呼んだ。これは、マリアはイエス・キリストの人格においてのみの産み主であるという教理に基づくものであり、マリア神学というよりはキリスト論が根幹である。このネストリオスの教説は、431年のエフェソス公会議において異端とされた。
アレクサンドリア学派出身のアレクサンドリア総主教キュリロスとアンティオキア学派出身のネストリウスの間での対立から始まる。ネストリウスは、それまでの古代教父らが使用していた聖母マリアに対する称号「神の母 Θεοτοκος(神 θεος を生む者 τοκος)」を否定し、マリアは「クリストトコス Χριστοτόκος(キリスト Χριστος を生む者 τοκος)」であると説いた。その理由は、キリストは神性と人性において2つ位格(ヒュポスタシス υποστασις)であり、マリアはあくまで人間的位格(人格)を生んだに過ぎないとした。一方、キュリロスは、キリストの本性(ピュシス φυσις)は神性と人性とに区別されるが、位格としては唯一である(位格的結合:hypostatic union, ένωσις καθ΄ υπόστασιν)と唱えて反論した。ネストリウスはエフェソス公会議への出席を拒否している。
ーー





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