2022年11月15日火曜日

『神の国』アウグスティヌス

チカコー205

2:1:④

帝国95

 正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにものでもないのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制されたからではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレクサンダー大王にのべた答えは全く適切で真理をうがっている。すなわち、大王が海賊に、「海を荒らすのはどういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆するところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである(『神の国』服部英二郎・藤本雄三訳、岩波文庫)。

岩波文庫①272

4:4


墨子の非攻にも似た記述がある。


チカコー

2:1:⑤

207

帝国97~98

 人間の社会は、家からはじまって、そこから都市へと進み、そして世界にいたるのである。まったく世界は水の合流のようであって、それが大きければ大きいほど、それだけ多くの危険に満ちている。この段階においては、何よりもまず言語の相違が人間と人間を遠ざける。(中略)また、強大な力をもつ国家は、征服した民族に軛を課すだけでなく、平和的友好的方法によって自国の言語を課そうと骨折ったのであった。(中略)これはほんとうである。しかし、いかに多くの、そしてどれほど大きな戦闘によって、いかに多くの人間の殺戮によって、どれほど人間の血が流されることによって、このことが成し遂げられたことか。これらの戦闘は過去のものとなっている。しかし、それらの悲惨は終わってはいない。というのは、つねに戦闘がなされてきた、そしていまもなされている敵対する外国の民は欠けることがなかったし、いまも欠けてはいないけれども、すくなくとも、帝国の広大さそれ自身がいっそう悪質な戦闘、すなわち同盟者間の戦いや内乱を引き起こしてきたからであって、それによって、……人類はいっそう惨めに動揺させられるのである(『神の国』第一九巻・第七章、岩波文庫5)。

岩波文庫⑤44〜47頁


帝国196~197

 そのようなわけで天上の国は、この世にあって遍歴の旅をつづけているあいだ、あらゆる民族からその国の民を召し出し、多様な言語を語る寄留者の社会を集めるのである。その国は、唯一にして最高の真の神を拝すべきことを教える宗教を阻止しないなら、地上的平和を得させ、保持している慣習や法、制度の相違を慮ることなくそれらのうちの何ものかを無効にしたり廃棄したりせずに、かえってむしろそれを維持し、追っていくのである。というのは、さまざまな民族のあいだに相違が存するけれども、しかし、一つの同じ目的──地上的平和──が目ざされているからである。 

 それゆえ、地上において旅をつづける天上の国も地上の平和を用いるのであり、また、人間の可死的な本性に属するもろもろの事物にかんしては、それらが健康的な宗教と敬虔に害をくわえることなくゆるされるかぎり、人間の意志の合成をまもり、かつ求めるのである。その国は地上的平和を天上的平和へと関係づける。この平和は真の平和であって、すくなくとも理性的被造者にとっては、それのみが得られるべきであり、平和とよばれるべきものである(『神の国』第一九巻・第一七章、岩波文庫5)。

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