2022年11月27日日曜日

益田市のナフコで『沖手遺跡』の案内板を発見

益田市のナフコで『沖手遺跡』の案内板を発見


引用表記益田市教育委員会 2014 『沖手遺跡』益田市教育委員会 
益田市教育委員会 2014 『沖手遺跡』 

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16559

https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/22/22447/16559_1_沖手遺跡.pdf


沖手遺跡は、 11世紀から12世紀にかけて繁栄した中世の大規模な集落遺跡で、 日本海

や高津川・益田川の水運を利用した物資の流通・ 集散の拠点であったことが明らかに

されています。 




sitereports.nabunken.go.jp

中国五県土地 租税資料文庫美濃郡久城村地図 (広島大学図書館所蔵)

平成26年3月

本報告書は、 益田市教育委員会が平成25年8月から11月にかけて実施した、 ホー

ムプラザナフコ益田北店開発事業に伴う沖手遺跡の発掘調査の結果をまとめたもので

す。

沖手遺跡は、 今回の発掘調査を含め11 次にわたる発掘調査が実施され、 その成果

によって11世紀から12世紀にかけて繁栄した中世の大規模な集落遺跡で、 日本海

や高津川 益田川の水運を利用した物資の流通・ 集散の拠点であったことが明らかに

されています。 中須東原遺跡に代表される中世港湾遺跡の発見が河口域で相次いだこ

とにより、 中世の益田が交易流通に密接に関わる重要な地域として全国的に注目を集

める中、 益田平野でいち早く成立した沖手遺跡の再評価もなされつつあります。

本書が皆様に広く活用され、 地域の歴史や遺跡保護に対する理解と関心を深めてい

ただく一助となれば幸いです。

調査にあたって多大なご協力をいただきました株式会社ナフコをはじめ、 土地所

有者、地元の方々並びに関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

益田市教育委員会

教育長 村川 修


参考


韃靼図(タルタリア図)に見る日本 "Oxote" はどこ?
 
 
ラテン語さん
⁦‪@latina_sama‬⁩
西洋の人による、日本を描いた大昔の地図です。
そこに書かれている"Meaco"は「都」、その右隣の"Osaquo"は「大阪」だと思われます。 pic.twitter.com/NseAsfacte
 
2022/11/26 8:55
 
 
https://twitter.com/latina_sama/status/1596291571099783169?s=61&t=iHfZGSZsRJ5pqn4TRajU2w



~~~


http://masuda.blog.jp/archives/1008393879.html


ちゅうせいこうれん

1. 沖手遺跡と中世港湾の移り変わり

 沖手遺跡は、 平安時代末~室町時代 (12~ 16 世紀)の約

400 年の間に栄えた中世の大規模な集落跡です。 当時の益田川

河口域は入江状の湯湖の状態で、 遺跡はその内水面に面していま

した。

 道路建設に伴う発掘調査では、 集落全体が道路や満、柵列によっ

て区画され、 この区画に沿って建物が並んでいたことがわかりま

した。 このような 「町」 的な景観をもつ集落が中世の早い段階に

成立し、 発展した例は全国的にみても貴重です。

 沖手遺跡は、 日本海を通じて国内外の遠隔地と、さらに益田川・

高津川 (匹見川) の水運により、 益田平野や山間部とを結ぶ交易・

流通センターとしての機能を備えた港湾集落と考えられます。 中

世港湾の拠点は、潟湖の縮小や河道の変動によって、 沖手から中

須へ、さらに今市へと移動していきました。

WP

アメリカ極東空撮影空中写真

(昭和22年)

鎌倉〜室町時代の益田平野

w


益田市のナフコで『沖手遺跡』の案内板を発見
http://masuda.blog.jp/archives/1008393879.html


益田市のナフコで『沖手遺跡』の案内板を発見

先日、益田市に新しくできたナフコ(ホームプラザナフコ) 益田北店(益田市久城町)さんに大きめのデスクを探しにいったところ、偶然にも『沖手遺跡(おきていせき)』の案内板(解説プレート)を発見しました。

案内板のタイトルは沖手遺跡‐中世の大規模港湾集落‐
益田市教育委員会さんにより作成されたものです。

沖手遺跡 案内板 益田市教育委員会

◆『沖手遺跡』の案内板の構成

この案内板の構成は
1.沖手遺跡と中世港湾の移り変わり
2.発掘調査からわかったこと
3.地中に眠る人々の生活の痕跡
4.江戸時代の沖手遺跡

前から気になっていた益田市の『沖手遺跡』。この『沖手遺跡』の案内板は図面や画像が豊富で、私にとって、わかりやすくまとまった情報をえることができました。

◆『沖手遺跡』の発掘調査場所

今回の『沖手遺跡』の発掘調査は下の画像に示されているで囲まれた部分です。整然と並んでいますがずいぶん部分的ですネ。

沖手遺跡 案内板 発掘調査場所

発掘調査場所が部分的になっている「理由」として、(この案内板の「2.発掘調査からわかったこと」より、)場所の選定は、ナフコさんの店舗の基礎部分と灯油販売所(※画像右下「くの字」型の部分)に限定した発掘調査であることがわかりました。

◆『沖手遺跡』…実は大部分は未発掘!?
同じく案内板の「2.発掘調査からわかったこと」の最後に、「なお、遺跡のうち店舗の基礎以外の部分は盛土で保護されています。」とありました。

ということは…店舗や広い駐車場を含めると、未発掘、未調査場所の方が遥かに広いわけで、地面の下にはまだまだ貴重なお宝遺物がたくさん眠っているかもしれませんネ!?

◆『沖手遺跡』の案内板(解説プレート)の設置場所
『沖手遺跡』の案内板(解説プレート)はナフコ21スタイル(TWO-ONE STYLE)の方の入口の駐車場付近で建物の壁のそばに設置されています。

0 件のコメント:

コメントを投稿