2022年11月22日火曜日

名前から判断して、彼がユダヤ系の何ものかである可能性が高い | 幻冬舎ゴールドライフオンライン

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第二章 渡来人に支配された古代ヤマト

名前から判断して、彼がユダヤ系の何ものかである可能性が高い

7.ユダヤ系同士の覇権争い

猿田毘古と天宇受賣の夫婦神は、現在は三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社のご祭神になっている。ここの地名にも「UDI」が付いているので、ユダヤ系の人たちが居たのであろう。そこから伊勢湾に沿って北に進むと、「阿邪訶(あざか)」の海岸(三重県壱志郡)に着く。

故、その猿田毘古神、阿邪訶(あざか)に坐(ま)す時、漁(いさり)して比良夫貝(ひらぶかひ)にその手を咋(く)ひ合わさえて、海鹽(うしほ)に沈み溺(おぼ)れたまひき。故、その底に沈み居(ゐ)たまひし時の名を、底(そこ)どく御魂(みたま)と謂ひ、 その海水(うしほ)のつぶたつ時の名を、つぶたつ御魂と謂ひ、そのあわさく時の名を、あわさく御魂と謂ふ。(『古事記』)

青銅器類の埋納のことであるが、出雲国に関しては、ごく最近までその実態が分からなかった。1984〜85年にかけて発掘調査された荒神谷遺跡(島根県出雲市斐川町)から出土した大量の青銅器(銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6口)から判断して、古代国家出雲 の軍事的、経済的実力が再確認された。財宝所有においても古代の覇権国出雲は、突出して豊かであったと想像できる。

また加茂岩倉遺跡(雲南市加茂町岩倉)からは、一か所からの出土としては過去最多の39口の銅鐸が見つかった。考古学的にはこれも仰天もので、古代出雲への認識が一変することになった。

そんな出雲の神宝を、国譲り戦の勝者崇神は、見たいと命じた。『日本書紀』崇神紀六十年からの引用であるが、崇神は出雲臣の祖である武日照命が、出雲大神の宮に蔵(をさ)めた神宝を見たいと宣わったのである。

「(武日照命(たけひなてるのみこと)が)天(あめ)より将(も)ち来(きた)れる神宝(かむたから)を、出雲大神(いづものおほみかみ)の宮(みや)に蔵(をさ)む。是(これ)を見欲(みまほ)し」とのたまふ。(中略)是(こ)の時(とき)に当 (あた)りて、出雲臣(いづものおみ)の遠祖出雲振根(とほつおやいづものふるね)、神宝(かむたから)を主(つかさど)れり。是(ここ)に筑紫国(つくしのくに)に 往(まか)りて、遇(まうあ)はず。其(そ)の弟飯入根(いろどいひいりね)、則ち皇命(おほみこと)を被(うけたまは)りて、神宝を以て、弟甘美韓日狭(いろどうましからひさ)と子鸕濡渟(こうかづくぬ)とに付(さづ)けて貢(たてまつ)り上(あ)ぐ。(『日本書紀』)

筑紫から帰った出雲振根は、兄の自分に相談もせず、崇神に神宝を貢納したことに立腹して、弟飯入根を騙し撃ちして、殺してしまった。何か崇神側の策謀に掛かってしまった感がある。

則(すなは)ち吉備津彦(きびつひこ)と武渟河別(たけぬなかはわけ)とを遣(つかは)して、出雲振根(いづものふるね)を誅(ころ)す。故(かれ)、出雲臣等(いづものおみら) 、是(こ)の事(こと)を畏(おそ)りて、大神(おほかみ)を祭(まつ)らずして間有(しましあ)り。

この神宝事件を畏れて、出雲臣たちは暫くの間は、出雲大神を祭らなかったのであるが、この事件では、勝者崇神に対する出雲側の反応に、二通りあったことが理解できる。すなわち抗戦派と帰順派である。

前者の代表が兄の出雲振根であり、後者が弟の飯入根であった。兄弟間の考えの違いを利用して抗戦派の勢力を削ぎ、国譲り戦のあとの出雲国を崇神派に塗り替えていったのである。身内の抗争を政治的に利用するのは、世の常套手段ではあるが、崇神の側近がこれをよく見極め、的確な情勢判断をしていた証拠にもなる。

この神宝は三種の神器のような重要な財宝であって、青銅器製の武器や祭祀品ではないと思われる。しかし抗戦派の動向に注意すると、出雲側には、いつか崇神にリベンジしようという思いが伝わってくる。

そのための金属製品・素材の確保は、それらの埋納という形で、崇神側の目を欺いたのであろう。出雲におけるあの大量の銅剣・銅矛、そして銅鐸の整然とした埋納は、そんな意志を今日に伝えて余りある。

『日本書紀』(岩波文庫)の注書には、「出雲振根」について簡潔に述べている。「他に見えず」とだけ。崇神に逆らった人物名としての出雲振根は、ここのみに登場する勇者である。その名前を分析すると、「出雲のHURU-NE」であり、ユダヤ系に特徴的な「HURU」が出ている。「HURU」はまた、石上神宮の主祭神「HURU」であるに違いない。

すると「HURU」=饒速日(大物主)=出雲振根ではないのか。しかし他には説明的な史料がないので、分からない、とするしかない。名前から判断して、彼がユダヤ系の何ものかである可能性が高いのである。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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