チカコー
1:3:⑥
154
メソポタミアやアラビアでは、収穫を生み出すのは雨ではなくて、もっぱら人工の灌漑であるとされていた。メソポタミアでは、このことがもっぱら国王の絶対的支配を生むみなもととなり、同様にエジプトでは河川治水がちょうどそれにあたる。つまり国王は、略取して集めた隷属民たちを使って、運河やその沿岸の都邑を造り、これによって収益をあげたのである。西南アジアのねっからの砂漠地帯やその周辺地域では、右のような事態は、その固有の神観念を、すなわちそれ以外の地方に多く見られるような大地や人間を生み出す神ではなくて、まさにそれらを無から「創り出す」神という観念を生ぜしめる一つの源泉となる。国王の水利経済もまた、実に、荒漠たる砂のなかで収穫物を無から創出するものである。(『宗教社会学』武藤一雄ほか訳、創文社)
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1:3:⑦
157~158
アメノフィス四世(イクナトン)の一神教的な、したがってまた事実上普遍主義的な太陽崇拝への動きは、以上とはまったく異なった事情に由来するものであった。すなわち一方では、ここでも広く行きわたっている祭司合理主義やおそらくはまた平信徒合理主義──ただしそれらはイスラエル的な預言とはきわめて対照的な、純粋に自然主義的な性格のものである──に由来するものであったが、他方ではまたそれは、官僚的な統一国家の頂点に位する君主のいだく次のような実際的要求に、すなわち数多い祭司的神々を排除することによって、祭司たち自身の優勢な権力をも打ち挫き、また国王を最高の太陽神祭司へとたかめることによって、神と崇められたかつてのファラオたちの権勢を再現するといった要求に由来したのである。(『宗教社会学』)
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1:4:④
169
ヴェーバーによれば、モーセの神ヤハウェとは、部族連合体の神である。《政治的な集団形成が、一個の集団神への服従を条件とすることは、普遍的な現象である》(『宗教社会学』)。イスラエル民族は、遊牧民の諸部族(一二部族)の誓約共同体として始まった。つまり、「出エジプト記」で語られているのは、そのような部族連合体の成立過程にほかならない。そして、これは、特にイスラエル民族に限られることではない。ギリシア人もそうであったが、どこでも、遊牧民たちが部族連合体や都市国家を形成するときは、新たな神の下での盟約によってそうしたのである。
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【内容紹介・目次・著者略歴】
社会学の泰斗による著作第2部第5章。支配の社会学と並び宗教意識の問題は一貫して近代の意味を問うウェーバー社会学の要石である。
【目次より】
凡例
第五章 宗教社会学(宗教的共同体関係の諸類型)
第一節 諸宗教の成立
一 宗教的ないし呪術的に動機づけられた共同体行為の根源的此岸性 二 精霊信仰 三 「超感性的」な力の成立 四 自然主義と象徴主義 五 神々の世界と機能神 六 祖先崇拝と家 祭司制 七 政治的な集団神と地方神 八 一神教と日常的宗教性 九 普遍主義と一神教 一〇 神強制、呪術、神礼
第二節 呪術師 祭司
第三節 神概念。宗教的倫理。タブー
一 倫理的な神々。立法の神々 二 超神的、非人格的な力。神の創造としての秩序 三 タブー規範の社会学的意義。トーテミズム 四 タブー化、共同体関係、および類型化 五 呪術的倫理 宗教的倫理。罪意識、救済思想
第四節 「預言者」
一 「預言者」 祭司および呪術師に対するものとして 二 預言者と立法者 三 預言者と教説家 四 密儀師と預言者 五 倫理的預言と模範的預言 六 預言者的啓示の性格
第五節 教団
一 預言者、遵奉者、および教団 二 教団的宗教性 三 預言と祭司経営
第六節 聖なる知。説教。司牧
第七節 身分、階級と宗教
一 農民階級の宗教性 二 初期キリスト教の都市占住性 三 信仰戦士としての騎士 四 官僚制と宗教 五 「市民的」宗教性の多様性 六 経済的合理主義と宗教的─倫理的合理主義 七 小市民階級の非類型的な宗教的態度。職人の宗教性 など
第八節 神義論の問題
一 一神教的な神観念と世界の不完全性 二 神義論の純粋な諸類型 メシア的終末論 三 彼岸信仰、摂理信仰、応報信仰、予定信仰 四 世界の不完全性の問題に関するさまざまな解決の試み
第九節 救済と再生
第十節 救済方法と、生活態度へのそれの影響
一 呪術的宗教性と儀礼主義。儀礼主義的な帰依宗教性の諸帰結 二 日常倫理の宗教的体系化 三 忘我、狂躁、病的快感、および合理的宗教的な救済方法論 四 救済方法論の体系化と合理化、および生活態度 五 宗教的錬達者 六 現世拒否的禁欲と現世内的禁欲 七 現世逃避的、神秘主義的観照 など
第十一節 宗教的倫理と「現世」
一 宗教的心情倫理の現世に対する緊張関係 二 宗教的倫理の基盤としての隣人 三 利息取得に対する宗教的排斥 四 生の宗教的 五 宗教的な愛の無世界論と政治的な強圧行為 六 国家に対するキリスト教の態度の変遷 七 「有機的」な職業倫理 など
第十二節 文化宗教と「現世」
一 ユダヤ教の現世志向性 二 カトリック教徒、ユダヤ教徒、清教徒の営
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ウェーバー,マックス
1864-1920年。西洋近代について考察したドイツの法学者・経済学者・社会学者。代表作は『仕事としての学問』『仕事としての政治』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などがある。
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