モラルの起源―道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか 単行本 – 2014/11/1
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ人間にだけ道徳が生まれたのか?気鋭の進化人類学者が進化論、動物行動学、文化人類学、考古学、霊長類のフィールドワーク、狩猟採集民族の民族誌などの知見を駆使して人類最大の謎に迫り、エレガントで斬新な新理論を提唱する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ボーム,クリストファー
南カリフォルニア大学人類学・生物科学教授、ジェーン・グドール研究センター長。ロサンゼルスとサンタフェに在住
斉藤/隆央
翻訳者。1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。化学メーカー勤務を経て、現在は翻訳業に専念
長谷川/眞理子
総合研究大学院大学先導科学研究科教授。1952年生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
南カリフォルニア大学人類学・生物科学教授、ジェーン・グドール研究センター長。ロサンゼルスとサンタフェに在住
斉藤/隆央
翻訳者。1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。化学メーカー勤務を経て、現在は翻訳業に専念
長谷川/眞理子
総合研究大学院大学先導科学研究科教授。1952年生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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●概要
・(正確には違うが)ゴリラ共通祖先から原初のチンパンジー属とゴリラが分かれ、原初のチンパンジー属からさらにヒトとチンパンジーやボノボが分かれた
・ゴリラ共通祖先は序列と群れをなすが、服従者たちが支配者に対して「同盟」を組み抵抗することがありうると考えられる
・原初のチンパンジー属は「肉食」「狩猟」及び「食物分配」を行なうが、それは支配者たちが服従者たちから肉を横取りした上で、親しい仲間にだけ取らせる、身内びいきの不公平なものである
・直立二足歩行が特徴的なヒト亜族や、脳の大型化が特徴的なヒト属については、それほど説明はない
・40万年前にヒト属においても「狩猟」が始まり、25万年前には狩猟は常態化し、骨から肉を切り分けた痕の様子から、20万年前には「公平」な分配、及び成員(少なくとも狩人)の「平等」がみられた
・大物狩りには狩人全員の栄養状態の良さが必要とされるし、不公平な分配を巡る争いにおいて狩猟用具は容易に武器と化し、争いを命がけの危険なものとしたため、争いを禁止するために公平及び平等を徹底するような規範が必要となった
・この本では説明はないが、20万年前というのはホモ・サピエンスが登場した頃とされている。公平及び平等とホモ・サピエンスの間に強い関係が予想される
・「言語」は、他者にコストを負わせて自分は成果だけ取るフリーライダー(この本では実は支配者がフリーライダーとして重要であると主張されている)や、規範の逸脱者をあぶりだす「うわさ話」を可能にした。これは「評判」という新たな地位の評価基準をもたらし、評判の良い人が多くの成員から何らかの報酬を受けうるといういわゆる「間接互恵性」を可能にした(これは一対一のいわゆる「互恵的利他主義」とは区別される)
・ヒト以前からのある種の「自己」概念が、ヒトにおいて「恥」として結実した。また、ヒト以前は罰や報復への恐怖に基づいていた「自制心」だが、ヒトにおいてはこれに付随して規範や社会的価値の「内面化」というメカニズムが生じた。この恥と内面化が、善悪の内なる判断、「良心」を生み出した
・間接互恵性を良心あるヒト達が採用することで、ヒト以前の単なる命令・禁止・罰のセットに過ぎなかった「規範」が、群れのためになる、自ら守る「道徳」として結実した
・定住・農耕・牧畜以後の話は、それほど説明はない
・国際連盟・第二次世界大戦以後の世界情勢に関する私見がある。遊動性狩猟採集民バンド社会のようなやり方が今も生きている部分と、もう通用しない部分があるとのこと
●書評
・筋立てはもっともらしく面白いのですが、新たな報告により内容が古くなってしまった箇所があります。
・まず、今日はゴリラや、もっと古い共通祖先から分かれたオランウータンにおいても、食物分配がみられることが報告されています(オランウータンの分配は2008年に田島知之による。ゴリラの分配は2014年に山極寿一らによる)。この本の原著は2012年なので、盛り込むのに不確定要素が多すぎて間に合わなかったのだろうと好意的に見たとして、この本の主な論点の一つである「原初のチンパンジー属が食物分配を始めた」というのは成り立たなくなってしまいます。この本では「同盟の為の食物分配」ということが書いてありますが、そういうこともあるかも知れないが、それが主な目的手段ではありえない、それ以前からあったんだから、ということにならざるを得ません。じゃあ食物分配が同盟の前提か? それともこれら二つはあまり関係ないのか? 現時点ではちょっとよく分からないところです。
・「原初のチンパンジー属は肉食・狩猟をしており、これらが食物分配の主な前提である」という説も難しいところです。人類学の本(河合信和『ヒトの進化 七〇〇万年史』。2010年)では、いまだ樹上性だった頃の化石人類が、果実の他に葉や小動物を食べていた可能性が示唆されていますので、これをもって肉食・狩猟をしていたとすることは可能ではあります。しかし、東アフリカの気候の乾燥化から脳の大型化までの間はサバンナで死肉漁りをしていた、40万年前からようやく狩猟が始まったと言われており、じゃあそれまでの間は本当に肉食・狩猟・食物分配していたのか、という疑問があります。人類学者たちがいう肉食や狩猟はあくまでサバンナの比較的大型の動物の話で、樹上の小動物を対象とした肉食・狩猟・食料分配が当初からあったのだいうのなら、それはそれで話は通ります。
・それでもどうしようもないのが、「(この本に書いてあるが)ゴリラが基本的に狩りをしない」「オランウータンも基本的に狩りをしない」というところです。ではオランウータンやゴリラの食物分配はどのようなものかというと、他者に果実を取られても容認する、というものです。なおチンパンジーやボノボにおいても果実分配は見られます。肉分配は目立ちますが、オランウータン以後に共通する特徴としては、果実分配こそがメインで、肉分配はその後獲得したおまけであると考えた方がよいのではないでしょうか。
・すると原初のチンパンジー属の主な特徴は何なのか、実は分からなくなってしまいます。何か別にこれはというものがあるのでしょうか。
・ということで、チンパンジーやボノボの特徴はまた別の本を当たった方がよさそうですが、ゴリラと、特に遊動性狩猟採集民バンド社会だった頃のホモ・サピエンス(平等、言語、道徳)の話は面白いです。そうしたテーマに興味のある方にはお勧めかと思います。
・(正確には違うが)ゴリラ共通祖先から原初のチンパンジー属とゴリラが分かれ、原初のチンパンジー属からさらにヒトとチンパンジーやボノボが分かれた
・ゴリラ共通祖先は序列と群れをなすが、服従者たちが支配者に対して「同盟」を組み抵抗することがありうると考えられる
・原初のチンパンジー属は「肉食」「狩猟」及び「食物分配」を行なうが、それは支配者たちが服従者たちから肉を横取りした上で、親しい仲間にだけ取らせる、身内びいきの不公平なものである
・直立二足歩行が特徴的なヒト亜族や、脳の大型化が特徴的なヒト属については、それほど説明はない
・40万年前にヒト属においても「狩猟」が始まり、25万年前には狩猟は常態化し、骨から肉を切り分けた痕の様子から、20万年前には「公平」な分配、及び成員(少なくとも狩人)の「平等」がみられた
・大物狩りには狩人全員の栄養状態の良さが必要とされるし、不公平な分配を巡る争いにおいて狩猟用具は容易に武器と化し、争いを命がけの危険なものとしたため、争いを禁止するために公平及び平等を徹底するような規範が必要となった
・この本では説明はないが、20万年前というのはホモ・サピエンスが登場した頃とされている。公平及び平等とホモ・サピエンスの間に強い関係が予想される
・「言語」は、他者にコストを負わせて自分は成果だけ取るフリーライダー(この本では実は支配者がフリーライダーとして重要であると主張されている)や、規範の逸脱者をあぶりだす「うわさ話」を可能にした。これは「評判」という新たな地位の評価基準をもたらし、評判の良い人が多くの成員から何らかの報酬を受けうるといういわゆる「間接互恵性」を可能にした(これは一対一のいわゆる「互恵的利他主義」とは区別される)
・ヒト以前からのある種の「自己」概念が、ヒトにおいて「恥」として結実した。また、ヒト以前は罰や報復への恐怖に基づいていた「自制心」だが、ヒトにおいてはこれに付随して規範や社会的価値の「内面化」というメカニズムが生じた。この恥と内面化が、善悪の内なる判断、「良心」を生み出した
・間接互恵性を良心あるヒト達が採用することで、ヒト以前の単なる命令・禁止・罰のセットに過ぎなかった「規範」が、群れのためになる、自ら守る「道徳」として結実した
・定住・農耕・牧畜以後の話は、それほど説明はない
・国際連盟・第二次世界大戦以後の世界情勢に関する私見がある。遊動性狩猟採集民バンド社会のようなやり方が今も生きている部分と、もう通用しない部分があるとのこと
●書評
・筋立てはもっともらしく面白いのですが、新たな報告により内容が古くなってしまった箇所があります。
・まず、今日はゴリラや、もっと古い共通祖先から分かれたオランウータンにおいても、食物分配がみられることが報告されています(オランウータンの分配は2008年に田島知之による。ゴリラの分配は2014年に山極寿一らによる)。この本の原著は2012年なので、盛り込むのに不確定要素が多すぎて間に合わなかったのだろうと好意的に見たとして、この本の主な論点の一つである「原初のチンパンジー属が食物分配を始めた」というのは成り立たなくなってしまいます。この本では「同盟の為の食物分配」ということが書いてありますが、そういうこともあるかも知れないが、それが主な目的手段ではありえない、それ以前からあったんだから、ということにならざるを得ません。じゃあ食物分配が同盟の前提か? それともこれら二つはあまり関係ないのか? 現時点ではちょっとよく分からないところです。
・「原初のチンパンジー属は肉食・狩猟をしており、これらが食物分配の主な前提である」という説も難しいところです。人類学の本(河合信和『ヒトの進化 七〇〇万年史』。2010年)では、いまだ樹上性だった頃の化石人類が、果実の他に葉や小動物を食べていた可能性が示唆されていますので、これをもって肉食・狩猟をしていたとすることは可能ではあります。しかし、東アフリカの気候の乾燥化から脳の大型化までの間はサバンナで死肉漁りをしていた、40万年前からようやく狩猟が始まったと言われており、じゃあそれまでの間は本当に肉食・狩猟・食物分配していたのか、という疑問があります。人類学者たちがいう肉食や狩猟はあくまでサバンナの比較的大型の動物の話で、樹上の小動物を対象とした肉食・狩猟・食料分配が当初からあったのだいうのなら、それはそれで話は通ります。
・それでもどうしようもないのが、「(この本に書いてあるが)ゴリラが基本的に狩りをしない」「オランウータンも基本的に狩りをしない」というところです。ではオランウータンやゴリラの食物分配はどのようなものかというと、他者に果実を取られても容認する、というものです。なおチンパンジーやボノボにおいても果実分配は見られます。肉分配は目立ちますが、オランウータン以後に共通する特徴としては、果実分配こそがメインで、肉分配はその後獲得したおまけであると考えた方がよいのではないでしょうか。
・すると原初のチンパンジー属の主な特徴は何なのか、実は分からなくなってしまいます。何か別にこれはというものがあるのでしょうか。
・ということで、チンパンジーやボノボの特徴はまた別の本を当たった方がよさそうですが、ゴリラと、特に遊動性狩猟採集民バンド社会だった頃のホモ・サピエンス(平等、言語、道徳)の話は面白いです。そうしたテーマに興味のある方にはお勧めかと思います。
30人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2014年11月19日に日本でレビュー済み 違反を報告する
本書の主題は、そのサブタイトルが物語っている。すなわち、「道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか」。近年議論も盛んなこの問題に、本書は多角的な視点から挑んでいる。
著者が紡ぐ進化のストーリーは、大きくふたつの段階にわけることができる。ひとつは、各人において、社会のルールが内面化されて、良心が生まれてくる段階。もうひとつは、集団のなかで寛大さが奨励され、利他行動が広まる段階である。そして著者によれば、ふたつの段階それぞれには、その段階特有の「社会選択(social selection)」が関わっている。つまり、著者は本書で、道徳の進化に関する社会選択説を展開しているのである。
ところで、協力行動や利他行動の進化を論じる際には、フリーライダー(ただ乗り)の問題を避けて通ることはできない。というのも、ある集団がフリーライダーをうまく抑制できなければ、そこに協力行動や利他行動が広まる余地はないからである(いわゆるお人好しはフリーライダーに搾取されるだけで、自らの遺伝子を広めることができない)。さて、ここでおもしろいのは、本書が独特なタイプのフリーライダーを問題にしている点である。従来おもに論じられてきたのは、いかさま師タイプのフリーライダーであった。それに対して、本書がとくに問題とするのは、攻撃的な圧制者タイプのフリーライダーである。力にものを言わせて、食料や生殖の機会をほかのメンバーから奪い取る――じつはそんなフリーライダーこそが、集団のメンバー(と利他行動)にとって本当の脅威だったと著者は考えるのである。
では、そうしたフリーライダーの抑制と平行しながら、ヒトの道徳能力はいかにして進化したのか。著者が着目するのは、およそ4万5千年前の狩猟採集社会である。その頃までには、ヒトは集団で大型動物を仕留めるようになっており、また、とくにその肉の分配に関して、徹底した平等主義(egalitarianism)を敷くようになっていた。そして、そうした社会のメンバーにとって脅威であったのは、やはり上述したようなフリーライダーの存在だ。そこで、著者によれば、ヒトの集団はフリーライダーを頻繁に「処罰」(仲間外れ、共同絶好、追放、「死刑」)したのである。こうしてフリーライダーは、その表現型を抑え込まれるか、あるいは(追放や「死刑」などの手段によって)人類の遺伝子プールから排除されていった。これが、社会選択のひとつの側面、すなわち「処罰による社会選択」である。
さらに、以上のような処罰が強化されると、社会のルールにしっかり従う個体ほど、その集団において有利となるだろう。ここで、ヒトの進化史に新たに「良心」が登場したと著者は主張する。なぜなら、社会のルールを内面化し、それと感情的な結びつきを覚えれば、その個体は上記の理由で適応度を上げただろうから、とそういうわけである。
ならばもう一方の、利他行動の普及についてはどうだろうか。ポイントは、寛大さ(generosity)とその評判(reputation)が個体の適応度にどう影響するかにある。先述のような社会において、血縁者以外のメンバーにも寛大であること、そしてそのような評判を受けることは、当の個体にとって有利に働いただろうか。著者は「イエス」と答える。実際、比較の条件を満たす現代の狩猟採集社会を調べてみると、寛大だという評判を得ている者は、食料分配においても生殖においても有利な立場に立っている。すなわち、彼らは食料不足のときにも他者から援助を受けやすいし、また性的パートナーとしても選択されやすいのだ。それゆえ、更新世後期の社会においても、寛大だという評判の個体には有利な選択が働き、さらにその結果として、利他行動が集団中に広まったと考えられる。これが、社会選択のもうひとつの側面であり、著者はそれを「評判による社会選択」と表現している。
ずいぶん長くなってしまったが、以上が本書の議論のおもなポイントである。ただ、本書がことさら興味深いのは、以上のポイントに加えて、それを補強する広範な考察を行っている点だ。更新世後期のヒトの社会と、ヒトと大型類人猿の共通祖先の社会では、どこが同じで、どこが異なるのか(第5章)。食料が豊富な時期とそうでない時期では、利他行動に変化はあったのか(第10章)。そしてとりわけ、すでに少し触れたように、比較となるべき現代の狩猟採集社会はどのようなもので、またわれわれはそこから何を学ぶことができるのか(第4章、第11章)。これらもいずれも興味深い議論であるから、ぜひ本書自身に当たってほしいところである。
率直に言って、本書の議論をたどるのはけっして容易ではない。しかし、最終的な論点は比較的クリアであるし、また最後までなんとか読み進めていけば、充実した読後感が得られるだろう。わたし個人としては、こういう本が多くの人に読まれてほしいと、久しぶりにそう思わせてくれた1冊であった。
著者が紡ぐ進化のストーリーは、大きくふたつの段階にわけることができる。ひとつは、各人において、社会のルールが内面化されて、良心が生まれてくる段階。もうひとつは、集団のなかで寛大さが奨励され、利他行動が広まる段階である。そして著者によれば、ふたつの段階それぞれには、その段階特有の「社会選択(social selection)」が関わっている。つまり、著者は本書で、道徳の進化に関する社会選択説を展開しているのである。
ところで、協力行動や利他行動の進化を論じる際には、フリーライダー(ただ乗り)の問題を避けて通ることはできない。というのも、ある集団がフリーライダーをうまく抑制できなければ、そこに協力行動や利他行動が広まる余地はないからである(いわゆるお人好しはフリーライダーに搾取されるだけで、自らの遺伝子を広めることができない)。さて、ここでおもしろいのは、本書が独特なタイプのフリーライダーを問題にしている点である。従来おもに論じられてきたのは、いかさま師タイプのフリーライダーであった。それに対して、本書がとくに問題とするのは、攻撃的な圧制者タイプのフリーライダーである。力にものを言わせて、食料や生殖の機会をほかのメンバーから奪い取る――じつはそんなフリーライダーこそが、集団のメンバー(と利他行動)にとって本当の脅威だったと著者は考えるのである。
では、そうしたフリーライダーの抑制と平行しながら、ヒトの道徳能力はいかにして進化したのか。著者が着目するのは、およそ4万5千年前の狩猟採集社会である。その頃までには、ヒトは集団で大型動物を仕留めるようになっており、また、とくにその肉の分配に関して、徹底した平等主義(egalitarianism)を敷くようになっていた。そして、そうした社会のメンバーにとって脅威であったのは、やはり上述したようなフリーライダーの存在だ。そこで、著者によれば、ヒトの集団はフリーライダーを頻繁に「処罰」(仲間外れ、共同絶好、追放、「死刑」)したのである。こうしてフリーライダーは、その表現型を抑え込まれるか、あるいは(追放や「死刑」などの手段によって)人類の遺伝子プールから排除されていった。これが、社会選択のひとつの側面、すなわち「処罰による社会選択」である。
さらに、以上のような処罰が強化されると、社会のルールにしっかり従う個体ほど、その集団において有利となるだろう。ここで、ヒトの進化史に新たに「良心」が登場したと著者は主張する。なぜなら、社会のルールを内面化し、それと感情的な結びつきを覚えれば、その個体は上記の理由で適応度を上げただろうから、とそういうわけである。
ならばもう一方の、利他行動の普及についてはどうだろうか。ポイントは、寛大さ(generosity)とその評判(reputation)が個体の適応度にどう影響するかにある。先述のような社会において、血縁者以外のメンバーにも寛大であること、そしてそのような評判を受けることは、当の個体にとって有利に働いただろうか。著者は「イエス」と答える。実際、比較の条件を満たす現代の狩猟採集社会を調べてみると、寛大だという評判を得ている者は、食料分配においても生殖においても有利な立場に立っている。すなわち、彼らは食料不足のときにも他者から援助を受けやすいし、また性的パートナーとしても選択されやすいのだ。それゆえ、更新世後期の社会においても、寛大だという評判の個体には有利な選択が働き、さらにその結果として、利他行動が集団中に広まったと考えられる。これが、社会選択のもうひとつの側面であり、著者はそれを「評判による社会選択」と表現している。
ずいぶん長くなってしまったが、以上が本書の議論のおもなポイントである。ただ、本書がことさら興味深いのは、以上のポイントに加えて、それを補強する広範な考察を行っている点だ。更新世後期のヒトの社会と、ヒトと大型類人猿の共通祖先の社会では、どこが同じで、どこが異なるのか(第5章)。食料が豊富な時期とそうでない時期では、利他行動に変化はあったのか(第10章)。そしてとりわけ、すでに少し触れたように、比較となるべき現代の狩猟採集社会はどのようなもので、またわれわれはそこから何を学ぶことができるのか(第4章、第11章)。これらもいずれも興味深い議論であるから、ぜひ本書自身に当たってほしいところである。
率直に言って、本書の議論をたどるのはけっして容易ではない。しかし、最終的な論点は比較的クリアであるし、また最後までなんとか読み進めていけば、充実した読後感が得られるだろう。わたし個人としては、こういう本が多くの人に読まれてほしいと、久しぶりにそう思わせてくれた1冊であった。
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