2022年11月5日土曜日

「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」 | 文春オンライン

「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」 | 文春オンライン




「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1

「GDPで測られる『経済力』はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです」――欧米を代表する「知の巨人」エマニュエル・トッド氏がGDPを「時代遅れの指標」と語る意味、そしてGDP2位の中国が「世界の脅威」になりえない理由とは?

 トッド氏の新刊『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 上 アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

エマニュエル・トッド(歴史人口学者)
エマニュエル・トッド(歴史人口学者)

◆◆◆

GDPでは現実は見えない

 GDPがもはや「時代遅れの指標」であることも指摘しなければなりません──といっても、人類学的アプローチを重視する私が「経済」を軽視しているわけではありません──。

 現下の戦争をGDPの観点から見てみましょう。ロシアによるウクライナ侵攻前夜の2021年、世界銀行のデータによれば、ロシアとベラルーシのGDPの合計は、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、EU、ノルウェー、スイス、日本、韓国のGDPの合計のわずか3.3%にしか相当していません。一国単位で見れば、ロシアのGDPは韓国と同程度です。

 ではなぜ、これほど「小国の」ロシアが、GDPで見れば、ロシアを圧倒している西洋諸国全体を敵に回すことができているのでしょうか。これだけ経済制裁を受けているのに、なぜロシア経済は崩壊しないのでしょうか。

 答えは簡単です。GDPで測られる「経済力」はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです。

「栄光の30年」と言われた第二次世界大戦後から1970年代までは、鉄鋼、自動車、冷蔵庫、テレビといった実物経済が中心で、「実際の生産力を測る指標」としてGDPは意味を持ち得ていましたが、産業構造が変容し、モノよりサービスの割合が高まるなかで、GDPは「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったのです。

 ここでは米国の医療を例にとりましょう。医療部門は、欧州諸国ではGDPの9~11%程度を占めているのに対し、米国は約2倍で、GDPの18%にも達しています。

 では、これだけ膨大な額が費やされている米国人の健康はどうなっているのでしょうか。米国の平均寿命は77.3歳で、ドイツの80.9歳、フランスの82.2歳、スウェーデンの82.4歳、日本の84.6歳にはるかに及んでいません。

 米国の医療費の半分以上は、医師の過大な収入と異常に高価な医薬品(世界の支出の半分)で占められています。米国の医療は、莫大なカネがかかっているのに実質的な成果を生んでいないのです。これが、GDPでは見えてこない米国の現実です。経済統計は噓をつきますが、人口統計は噓をつきません。

 ちなみにロシアの平均寿命はまだ71.3歳で他の先進国に遅れをとっていますが、医療の効率性を最もよく計測できるのは、1976年に私がソ連崩壊を予言した際に用いた乳幼児死亡率です。ロシアの乳幼児死亡率は2000年頃から大幅に改善し、いまやロシア(2020年時点で出生1000人当たり4.9人)の方が米国(5.4人)を下回っています。

「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1

「経済構造」と「家族構造」の一致

 GDPのこうした欠点を踏まえた上で、現下の経済的グローバリゼーションにおける「相互作用」に話を戻しましょう。

 まず経済のグローバリゼーションが進むなかで、「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」と「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」への分岐がますます進んでいることが確認できます。

 その地理的分布を見ると、ロシア、中国、インドという米国が恐れている三国がユーラシア大陸の中心部に存在しています。ロシアは「軍事的な脅威」として、中国は「経済的な脅威」として、インドは「米国になかなか従わない大国」として、それぞれ米国にとって無視できない存在なのです。

 ここで重要なのは、この三国がともに、「産業大国」であり続けていることです。ロシアは、天然ガス、安価で高性能な兵器、原発、農産物を、中国は工業完成品(最終生産物)を、インドは医薬品とソフトウェアを世界市場に供給しています。

輸出大国・輸入大国の違い

 それに対して、米国、イギリス、フランスは、財の輸入大国として、グローバリゼーションのなかで、自国の産業基盤を失ってしまいました。

 この両者の違いを人類学的に見てみましょう。

「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」は、伝統的に、個人主義的で、核家族社会で、より双系的で(夫側の親と妻側の親を同等にみなす)、女性のステータスが比較的高いという特徴が見られます。

「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」は、全体として、権威主義的で、直系家族または共同体家族で、より父系的で、女性のステータスが比較的低いという特徴が見られます。

 要するに「経済構造」と「家族構造」が驚くほど一致しているのです。それは地図B(各国の全雇用に占める第二次産業の割合)と地図C(家族構造における父権性の強度)を見れば、一目瞭然です。 

 
ネイサン・ナン作成の図を著者が一部修正
ネイサン・ナン作成の図を著者が一部修正

「家族構造」の視点から全人類史を捉え直したのが本書ですが、このアプローチは、近年のグローバリゼーションによって何が生じているかをも理解させてくれます。

 まず父系的社会は、第二次産業に強く、モノづくりは男性原理と親和性があるといえそうです。

 これに対して、女性のステータスが比較的高い双系的社会は、第三次産業と親和性をもっています。女性の解放によって女性の社会進出が進んだわけですが、その過程で増えたのは第二次産業よりも第三次産業の雇用で、結果的に社会全体の第三次産業化が進み、自国の産業基盤は衰退してしまいました。

 現在の世界のかたちがどうなっているか。それぞれの家族構造にしたがって、一方は「消費」に特化し、他方は「生産」に特化するというかたちで2つの陣営に分かれています。しかもグローバリゼーションのなかで、2つの陣営が極度に相互依存関係にある。これがわれわれが生きている世界の構造であり、いま始まっている戦争も、こうした文脈で起きていることが、最も重要なポイントです。


「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1

奇妙な戦争

 この戦争は「奇妙な戦争」です。対立する2つの陣営が、経済的には極度に相互依存しているからです。ヨーロッパはロシアの天然ガスなしには生きていけません。米国は中国製品なしには生きていけません。それぞれの陣営は、新しい戦い方をいちいち「発明」する必要に迫られています。互いに相手を完全には破壊することなしに戦争を続ける必要があるからです。

 なぜこの戦争が起きたのか。軍事支援を通じてNATOの事実上の加盟国にして、ウクライナをロシアとの戦争に仕向けた米英にこそ、直接的な原因と責任があると私は考えます(詳しくは『第三次世界大戦はもう始まっている』をご参照ください)。しかし、より大きく捉えれば、2つの陣営の相互の無理解こそが、真の原因であり、その無理解が戦争を長期化させています。

 現在、強力なイデオロギー的言説が飛び交っています。西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。

 しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系制(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。

「ツキディデスの罠」ではない

 事実上、米国とロシアが戦っている以上、「第三次世界大戦」がすでに始まったと私は見ていますが、今次の世界大戦は、第一次大戦や第二次大戦とは性質を異にしています。

 この点を明確にするために、古代ギリシアの歴史家ツキディデス(紀元前460年頃
〜紀元前400年頃)を援用して米中対立を論じた米国の国際政治学者グレアム・アリソンの著書『米中戦争前夜──新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2017年)を取り上げてみましょう。

 ツキディデスは、新興国アテネに対してその他のポリス国家が恐怖心を抱いたことでペロポネソス戦争が起きたと『歴史』に記しました。このことにちなんで、「新興勢力の擡頭を既存勢力が不安視することで戦争が起こる現象」を「ツキディデスの罠」と呼ぶようになりました。この「ツキディデスの罠」を米中関係に当て嵌めて、「数十年以内に米中戦争が起こる可能性は、ただ『ある』というだけでなく、現在考えられているよりも非常に高い」と主張しているのが、アリソンの著書です。急速に擡頭する中国が米国に恐怖を与えている以上、戦争は避けられなくなる、と。


「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1

 しかし、ツキディデスの解釈をそのまま現代に適用するのは無理があるでしょう。戦争が起きたのは、中国と米国の間ではなくロシアと米国の間だったわけで、新興国の急速な擡頭によって戦争が始まったというのは、この戦争には妥当しません。冷戦期も含めた長いスパンで見れば、米露という、ともに凋落に向かう2つの勢力の間で戦争が起きているからです。

 ちなみに中国に関して言えば、これまで人口学者として何度も繰り返してきたように、中長期的に見て、出生率の異常な低さ(2020年時点で女性1人当たり1.3人)からして、世界にとって脅威になることはあり得ません。出生率1.3人の国とはそもそも戦う必要がありません。将来の人口減少と国力衰退は火を見るより明らかで、単に待てばいい。待っていれば、老人の重みで自ずと脅威ではなくなるでしょう。

戦争の当事国はどこも「弱小国」

 他の先進国も擡頭の局面よりも衰退の局面にあります。ドイツでは、政治システムが機能不全に陥っていて、庶民層の不満が蓄積しています。イギリスも、ブレグジットにもかかわらず、欧州のなかで経済が一番うまくいっていません。少子化対策にも移民受け入れにも本格的に取り組んでいない日本が、対外膨張的な政策を展開することはあり得ないでしょう。私の目には、日本はそもそも国力の維持すら諦めているように見えます。

 つまり、どの国もうまくいっていない。今次の戦争の当事国はどこも「弱小国」で、どこかに弱みを抱えている国同士がやり合っているのです。ここに第一次世界大戦や第二次世界大戦との大きな違いがあります。このことは、人口動態を見れば、一目瞭然です。

その他の写真はこちらよりご覧ください。

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