阿弥陀念仏はユダヤ教の「AMIDAH」から
上の写真はユダヤ教祈祷書から抜粋で新年の祈りの一部です。このページのタイトルが「THE AMIDAH」となっていますが、ユダヤ教では「阿弥陀(アミダ)」は立ち上がって祈る祈りのことです。
日本では遣唐使の時代にアジア大陸から持ち帰った知識の多くがキリスト教ネストリウス派のもので、空海すらもマルコ福音書を持ち帰ったと言われています。(参照→西本願寺の景教文書)
そして、「大乗仏教に見られるキリスト教の影響」を読んでみても「紀元一世紀に、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは、キリストの昇天後、中国およびインド地方に伝道に行き、インドで殉教したと伝えられています。実際インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、三世紀にはキリスト教の団体もありました。したがって、大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの「龍樹(りゅうじゅ)」(紀元一五〇~二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れたことは、確実とみられます。 」とも書かれてあります。
これからして言えることは、「阿弥陀(アミダ)」についてはユダヤ教が先か仏教が先かという問題になりますが、これは明らかに旧約聖書の時代から存在していた「阿弥陀(アミダ)」が最初かと思われます。
面白く拝見しました。
龍樹菩薩伝には
外道仏教以外の教えをことごとく論破した。とあります。
また、龍樹菩薩がキリスト教を参考にし、釈迦の教えとして大乗経典を創作する位なら、キリスト教に改宗してキリスト教を広めていかなかったのは何故でしょう?
しかも論破した教えを使うのですか?
阿弥陀経には
釈迦と同じように王子として転生後、全てを捨てて出家し、樹の下で悟りを開き如来となるとありますね。
キリスト教に
このような習慣はないですよね?
インド特有の習慣ですね。
やはりキリスト教が聖書を創作する際に真似をしたのではないですか?
釈迦はキリストより500年前の方ですし。
釈迦十大弟子、キリスト十二使徒
キリストが12月に生まれたから十大弟子に2を足して12?
釈迦のお母さんはマーヤー、マリアに似てますね。父は浄飯王ジョバンニに似てますね。
裏切り者のダイバダッタとユダ似てますねー。
反論お待ちしてます。
良き反論がありましたらキリスト教徒になるかも知れません。
青木さん、キリスト教に改宗することなど一切考えなくてもよいです。
ユダヤ教に関しては存じていないのですが、浄土教キリスト教説は根拠が貧弱です。ここにいくつか理由をあげます。
① 親鸞が聖書(世尊布施論)を読んだというのは誤りです。そもそも巷に広まっているこの説の出典は「隠された十字架の国・日本』という本で、著者は久保有政氏とケンジョセフ氏というトンデモ論者の方です。著書もキリスト教優位になるように書かれており、彼らの仏教理解も浅く、すべてを「キリスト教の影響」としてしまう本です。
世尊布施論については、明治から大正にかけて大谷探検隊が敦煌で発掘した景教の教典であり、彼らはこの大谷探検隊が見つけたものを親鸞が読んだと勘違いしています。世尊布施論の発表は1918年(大正7年)、解説付きの出版は1931年(昭和6年)です。本願寺の経蔵の「大蔵経」は寛永12年(1635年)なので、親鸞が学んだとは言えません。また「漢訳仏典の総集」として名高い「大正新脩大蔵経』にも世尊布施論はありません。ネットで調べることができます。
② 龍樹とトマスについて
トマスの伝道については歴史的な裏付けはなく、未だに伝説の域を出ていません。3世紀まではインドのキリスト教に関する情報は得られないからです。『トマス行伝』自体3世紀後半にシリアで書かれたもので、資料としての信憑性も低いです。またもし仮にトマスの伝道が史実だとしても、たまたま大乗仏教が活発になっている時に居合わせたということでしょう。そもそも仏教では全知全能の神がいることを否定しているので、トマスがキリスト教の神観を伝えたとしても邪見とされたでしょう。また龍樹の「諸々の事象は縁起によって成り立っている」という仏教の真髄と言えるべき論はキリスト教にはないものです。
③ 阿弥陀について
阿弥陀の語源にはサンスクリット語のアミターユス(無量寿)とアミターバ(無量光)の二つがありますが、どちらも初期仏典に記述があり、原始仏教において成立していました。
アミターユス(無量寿)・原始仏典の『増一阿含経』巻四十四には過去七仏及び釈尊の寿命が非常に長いことが説かれています。また『長部』一六経には「如来は、もし望むならば、一劫の間、あるいは一劫以上の間、留まることができる」と釈尊の寿命の永遠性が説かれています。これが部派仏教において『異部宗輪論』においての「如来の色身は実に辺際なく、如来の威力もまた辺際なく、・・・仏、有情を化して浄心を生ぜしむるも厭足なし」と引き継がれ、大乗仏教で花開いたものであり、いきなり外来の影響を受けて、仏教が変化したものではありません。
アミターバ(無量光)・仏教に限らず、ヒンドゥー教でも聖なるものを光明と結びつける考え方はあります。仏と光明との結びつきは、原始仏典に多くの教説を見出すことができます。紀元前3世紀以前に成立した『相応部』の中でも古層に属する詩句には、「正覚者は輝けるものの中で最勝者であり、この光明は無上である」とあります。原始仏典である『雑阿含経』や『増支部』には、「仏がこの世に出現すれば、大いなる光(āloka)、大いなる光(obhāsa)が現れる」や「(仏の託胎、降誕、成道などの際は)無量にして広大なる光が神々の神的威力を超えて出現する」と説かれるようになります。
また『無量寿経』で説かれる、阿弥陀仏が過去世で元王族であり、出家して修行を重ねたことは、現に釈迦と同じ境遇であり、世自在王仏のもとで誓願を立てて、誓願成就のため長い間修行したということも紀元前4〜3世紀に成立したジャータカの燃灯仏授記を下敷きにしています。
このように阿弥陀仏の思想は仏教の本流に位置づけられるものなのです。
因みに弥勒菩薩がキリスト教の影響で生まれたと言う人もいますが、弥勒菩薩が下生するという信仰は原始仏典の『長阿含』「転輪聖王修業経」と『中阿含』「説本経」にルーツを持つので、キリスト教の影響で生まれたとは言えないでしょう。
親鸞ですか。
親鸞は阿弥陀経を拡大解釈してますからね。
まあ漢訳経から読んだのでしょうから、仕方ありませんね。
大乗非仏説は
最近では学者が先達の世襲をしているのみで死語になりつつありますね。
中村元さんも
創作と言いながら大量の大乗経典を訳し、
大乗経典で仏の慈悲深さを講演しています。
第一回経典結集は
全ての経典が確認したものではないと考えます。
即ち阿難のみが聞いた経典のみであると。
第二回経典結集も
阿難の高弟八人の長老による結集です。
原始仏教は全て阿難が対合衆。
舎利弗の教団とまだ言わしめた仏教教団。智恵第一の舎利弗の経典は何故残らなかったんでしょう?
それは
釈迦教団は元々
派閥の集まりだと考えます。
阿難の派閥
舎利弗の派閥
摩訶迦葉は阿難と不仲でしたし、一人山林に篭り修行していた。
阿難が見た時は既に白骨化していた為に
山に埋めた様な経典が存在してます。
阿難の派閥は
阿難の聞いた経典
では
舎利弗の経典は何処に?
残念ながら舎利弗は目連尊者の跡を追い病気で亡くなったので派閥はありませんね。
では何処へ?
舎利弗は釈迦の信頼より、マガダ国を任せられ釈迦は伝道の旅へ行きます。
龍樹に大乗経典を授けた人は
マハーナーガと言う
釈迦族ゆかりのナーガ族
釈迦の実母マーヤーはナーガ族の人です。
だからある経典には非アーリア人と書かれています。
父の浄飯王は日種オッカーカ王の子孫ですが。
舎利弗の経典は
舎利弗死後に
舎利弗の弟子、菩薩、在家の仏典を
ナーガ族のマハーナーガ大菩薩が受け継いだ物。
だから大乗経典は北伝で伝えられたと言うのが私の考えです。
釈迦の教説の携帯はいろんなパターンがあります。
上座部阿含部
雨安居な侍者阿難と阿難の弟子に対する経典
伝道の旅で阿難と二人きりの対話
伝道の旅で道中の人との対話
だから阿難しか居ません。
大乗経典
舎利弗が対合衆。舎利弗の派閥弟子による物。
形態
釈迦
時は来た。法を解くので人を集めなさい。阿難
かしこまりました。
※このやり取りはなんと!阿含経典に書かれています。
舎利弗大長老を中心に比丘以外の為の法を説く。内容は阿含経典には乗って居ません。これが大乗経典のおしと考えます。
バルラームやヨサファトのように仏伝がキリスト教に取り込まれた例もありますし。バルラームは世尊と同じ意味の「バガバン」から「ビラウバー」をへて派生したもので、ヨサファトは「ボーディサットヴァ」(菩提薩)の俗称短略形「ボーディサット」です。